孫文「アメリカには中国人はたくさんいますが、イギリスにはそれほど居ないようですから・・・」
カントリー「いや、そんなことを考えてはいけない。きみは民衆のためにグレート・チャイナのリパブリックをつくりたいと言っていたね。そのことは自国民だけではなく、世界に広く知ってもらわねばならない。きみ、イギリスはそんな宣伝事業の中心だよ。たとえばロンドンの『タイムズ』を味方につけることは100万の援軍を得ることに匹敵する。・・・いや、こんなことは、こんな風光温和なハワイで語るにはふさわしくないようだな。ロンドンの我が家でじっくり話そうではないか」
革命という言葉は、中国で必ずしもなじみのない言葉ではない。しかし、このことばは、-易姓革命 と連用されることが多い。天の意を受けて、「姓が易る」というのである。漢の姓は劉、唐の姓は李、宋の姓は趙、明の姓は朱であった。今の清は「愛新覚羅」であるが、では革命によってつぎは何姓にかわるのかと質問されたりする。 - 万姓である。選挙された者が、何年かの間総統になる。これは皇帝ではない。と説明しなければならず、きわめて歯切れがわるかった。
満州族が中国の中心部に侵攻した17世紀の半ばに、江南各地で暴虐の限りを尽くした話は聞く人に悲憤の涙を誘ったのである。これを聞けば、漢族たるものは必ず涙を流した。満州兵たちの暴行、、殺人、放火などを当時の目撃者が生々しく記録している。『揚州十日記』が孫文の依拠した史料である。著者は揚州の人王秀楚であった。もちろん清朝時代は所持することさえ死罪とされていた。そのため、中国では早くから失われ、記録文字の傑作と言う名のみが密かに伝わっていた。だがこの本は江戸時代に日本に伝わっていた。そして文政11年(1828年)に斉藤南溟の校訂本も出ている。それを明治の留学生たちが筆者し、謄写版に刷って密かに中国に広めた。そのうちの一冊が孫文の講演の資料となた。日本は易姓革命の国ではないので古いものが残りやすい。中国では前代を完全に否定しなければ新政権が成立しないことが多い。秦の焚書以来、歴代似たような思想統制がおこなわれてきた。清では「文字の獄」と称され、苛烈の弾圧があった。
「彼女がそば屋をひらく前、ここはユダヤ人の眼鏡屋だった。私たちは世界の各地からここへやって来ました。私はハンガリーからですし、向こうの化粧品店はポーランド、そして角の食品店はドイツから来ています。同じユダヤ人なのに普段使うのはその土地の言葉です。ドイツ語とハンガリー語では通じません。たあ聖書を読む時に使うヘブライ語なら私たちは少し習っています。」と言った。
-ほう、ではヘブライ語というのは唐人の文字と同じですね。
清国は外交が苦手であった。これまで外国の存在さえ認めていなかった。中原から遠ざかると蛮地になるという認識であり、そんな蛮地の王がときどき朝貢してくる。貢物を持ってくるので、その数倍の下賜品を与える。これをかれらは貿易と称していたのだ。アヘン戦争に敗れて、清国ははじめて外交というものを知り、外務省に相当する総理各国事務衙門をつくり、各国に公使相当の使節を送り始めた。1875年からである。ただし日本への派遣は西南の役のため1年遅れた。
孫文 イギリスの清国公使館に監禁 新聞が報じると一般市民も公使館に抗議したのである。キリスト教徒をただちに解釈せよ。キリスト教徒を監禁したことについて、清国公私の謝罪を求める。オスマン・トルコ領内でキリスト教徒のアルメニア人が虐殺されたのは一昨年の日清戦争がはじまったころである。昨年10月はコンスタンチノープル(イスタンブール)で再び同じ事件が起こっている。何十万、何百万のキリスト教徒が殺されたというニュースが世界のキリスト教社会で悲痛な話題となっている。今回の孫文救出運動でも、「異教徒の清国皇帝がクリスチャンの孫逸仙博士を殺すのを許すな。といったたぐいのプラカードや段幕が多く見られたのである。結局、公使館のメンツも立て、イギリス外務省の人が通りかかったところに孫文が現れることにした。
>ええっ? どういうメンツなんだ? 大使館に長く監禁されていてイギリス外務省の人が通りかかったところに出てくると監禁の事実がなくなる?
孫文の運動は清国を滅ぼすことと新しい共和国をつくることという、二つの面を持っていた。破壊と建設である。孫文は早くから建国の理念を考えていたが、その理論づけは大英博物館付属図書館における研究の所産である。孫文はそれに「三民主義」と名付けた。民族主義、民権主義、民生主義 これは「国家主義」「民主主義」「社会主義」をそれぞれ言いかえたものだ、とする解釈がおこなわれたものである。もっともこれは後年のネーミングであり、この二度目の訪日の時はまだ混沌とした状態であった。
うーん、孫文先生の3つの理想を、中国は未だに実現してない。民族問題、国内暴動を抑えきれず、民主主義どころか人権もなく、日本よりも遥かに所得格差がある社会主義という状態だ。
孫文〈下〉辛亥への道 (中公文庫) 陳 舜臣 中央公論新社 2006-03 |
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