Chapter5. マネートラスト 1890-1920
第一次世界大戦が勃発する前、アメリカ実業界は合併の時代を迎えていた。19世紀後半に続いて巨大なトラストが続々と生まれ、銀行家たちは革新的な中小企業を買収し、それを業界の巨人へと再編していくプロセスに力を貸し続けていた。銀行家たちはアメリカ経済を意義ある方向に発展させる努力もしないで略奪ばかりしていると非難する人たちが現れ始めた。いっぽう銀行家を連合国の資金調達を助け、アメリカの参戦に手を貸した愛国者と見る人たちもいた。
大恐慌が始まるとアメリカでもっとも有害な専門家集団と批判されるようになる。銀行家たちを攻撃した人たちも銀行家の富に腹を立てているわけではなく、富が経済力や政治力を集中させていることに反発していた。やがて連邦議会で中央銀行の設立を求める声が高まるようになった。銀行家は70年以上も中央銀行が存在しない中で、信用の手綱をどうやって取ってきたのだろうか。
アメリカで名門と言うとふつうプライベートバンクや投資銀行と結びついていた。J・P・モルガン社、キダー・ピーボディー社、クーン・ローブ社、リーマン・ブラザーズ社、セリグマン社、ブラウン・ブラザーズ社、ハリマン・ブラザーズ社などがそうである。大手の商業銀行、ナショナル・シティ・バンクやファーストナショナルなども銀行界では名の通った経営陣がそろっていた。これらの人たちは銀行界で名が通っていただけではなく、マネートラストの一員としてアメリカという国の信用の手綱を独占的に握っていたのである。マネートラストは企業に信用を供与し、債券や株式による資金調達を行い、大量の株を持って企業の取締役会に参加することでアメリカの産業政策を支配してきた。20世紀初頭、銀行家たちは多くの事業について急速な中央集権化につながるような取引の成立に深く関わってきた。企業を合理化し、巨大な持ち株会社へ再編させる手助けをしてきた。鉄道会社や電話会社、保険会社など多くの大会社が持ち株会社を親会社とし、銀行家たちが提供してくれる資金を使って中小企業を飲み込んできた。大恐慌が起こるまでアメリカの産業界や金融界は連邦政府より敏速に成長、発展し、政府より大きな権力を行使していたと考えられる。当時の銀行業界を調べてみると、各州の条例に従い「国立」という看板を掲げていた国法銀行の多くが連邦政府のしっかりとした統制を受けていなかった。アメリカには1913年まで中央銀行がなく、ニューヨークの大手商業銀行は通貨や信用創造に責任を持つ中央銀行という権威が不在の中で、やりたいように振る舞っていた。
>モルガンの死亡が1913年、その半年後、同年にFRBは設立されている。
鼻が奇形らしいな。
委員長を務めたルイジアナ州選出の民主党議員アルセーヌ・プジョーの名前を冠してプジョー委員会と呼ばれた委員会による聴聞会が世間の注目を集めたのは、マネートラストについて証言するためにJ・P・モルガンが出席したからだった。このモルガンの証言は、モルガン一族が20世紀に行った2つの有名な証言の最初のものとなった。ちなみに2つの証言は銀行家が行使している企業支配力の大きさを物語ったものとして有名である。この聴聞会でモルガンに尋問したのは主席調査官サミュエル・アンターマイヤーだった。モルガンは聴聞会で国民の福祉に欠くことができない産業分野でのモルガンやベーカーといった銀行家たちが手に入れた取締役の以上な数について、従来の見解を崩すことはなかった。石炭運搬は多くの公共団体と利害関係があったが、その業務は公共団体を所有しているトラストの傘下にあった鉄道会社がおこなっていた。モルガンは彼自身が8万kmの路線を営業する鉄道会社を支配していたことが裏付けられていたにもかかわらず、大手銀行家たちがアメリカ経済のさまざまな分野を支配していること、支配しようとしていることも含めて、きっぱりと否定した。ファースト・ナショナル・バンク・オブ・ニューヨークの会長だったジョージ・F・ベーカーは「マネートラストは一度たりとも存在したことがありません」と証言している。ベーカーはモルガン同様に「銀行にとって信用が大切で、銀行家は信頼するに足ると判断した人物や同業者が名誉を重んじて行動することを期待しているのです。銀行家が他の銀行の株を所有することも、経営権を持つことも自然なことなのです」といった内容の証言をしている。モルガンと十数人のパートナーたちは、47の銀行で72の取締役を占めていた。ファーストナショナルバンクの重役たちは他企業の89の取締役に就いていて、そのうち36社でモルガンのパートナーが取締役となっていた。金融分野以外では総資産が110億ドルになる32の交通システムで105の取締役を占めていたが、この数は当時として驚異的なものだった。結局、総資産額が220億ドルに達している112の企業で、341の取締役の椅子に座っていたのである。「マネートラストなど存在しない、中央銀行がないのなら資金と信用を提供することはマネーセンターバンクの当然の業務である」。プジョー委員会はJ・P・モルガンが公の場に姿を見せた最後のシーンとなった。
ニューヨークの裕福なユダヤ系銀行家一族だったポール・ウォーバーグは、当時ドイツ系の銀行に勤めていたが、連邦準備制度創設の原案づくりに加わっている。ジョージア州選出の共和党議員ネルソン・オールドリッチの依頼で秘密裏にジョージア州ジェキル島に集まり、ここで草案されたオールドリッチプランは連邦準備制度の青写真だった。ウォーバーグは、クーンローブ社のパートナーだった年上のジェイコブ・シフに「ヨーロッパ的な中央銀行構想は胸のうちに留めておいたほうが良い。さもないとニューヨークの銀行業界で君の評判を落とすことにもなりかねない」と忠告されている。1913年、アメリカの中央銀行として連邦準備制度が創設された。その主要な役割は、通貨が全国12の連邦準備地区に公平に分配されているかどうかを監視することだった。ウォーバーグは連邦準備制度理事会(FRB)の議長職を要請されたが断り、1918年まで理事を務めている。モルガン社のパートナーたちはこの制度が自分達の金融支配を脅かすものであることを見てとった。
1933年、証券市場の大暴落を受けて、投資銀行と商業銀行の業務を分離する新しい法律「グラス・スティーガル法」が成立した。この法律は、当時、活発に活動していたマネートラストの力を抑えるためものでもあった。ニューヨークの大手マネーセンターバンクはすべて証券子会社を持ち、この子会社を通じて証券、債券を引き受け、流通市場で売買していた。ナショナル・シティ・バンクのCEOにまで昇りつめたチャールズ・ミッチェルの銀行界における第一歩は、ナショナル・シティ・カンパニーという証券子会社の運営に成功したことからはじまった。モルガンはドレクセル社のブローカー部門を手中に収め、他の大銀行も証券を扱う系列の子会社をもっていた。
> 日本もマネートラストできてますな。おいしいとなれば、消費者金融から証券まで銀行の傘下に入ってます。
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