ヘクトルはトロイア軍の最高の指揮者であった。アカイア軍のアイアスが一騎打ちにのぞみ、終始アイアスが優勢であったが、夜になったので両軍の伝令が来て、引き分けさせた。しかし全体的な戦況はゼウスの加護によりトロイアの方が優勢であった。その4日後の大戦闘でパトロクロスがアキレウスの身代わりになって戦列に加わった。そのパトロクロスをヘクトルは討ち取り、まさに死のうとしている。翌日の戦闘でアキレウスが合戦に参加する。そして22巻でヘクトルとアキレウスとの一騎打ちが展開される。アキレウスの側には女神アテネが加勢し、アキレウスはヘクトルの急所、喉笛を槍で突く。ヘクトルは息を引き取る前に嘆願する。「自分の死体を放置して犬どもの餌食にしてくれるな。父母がかならず償いの物を差し出してくれるはずだから、それを受け取って、死体は返してやって欲しい」。アキレウスの心は鉄のように無情であった。アキレウスはこの死体に思いつく限りの凌辱を加える。
23巻でパトロクロスの葬送、翌日はアキレウスがパトロクロスの霊のために競技を主催する。勇士たちは互いに技を競ってはアキレウスから賞品をもらう。英雄たちにとっては戦争も一種のスポーツ、命がけのスポーツであったから戦闘休止となれば、すぐにスポーツに興ずる余裕があったのである。この後12日間もヘクトルの死体を戦車に結び付けてひきずりまわったが、この間アポロン神がヘクトルの死体を守ってやっていたため、どんなに引きずり回されても、肌には傷がつかなかった。
ヘクトルの父、プリアモスは、アキレウスに近づき、わが子を殺した仇敵の手に接吻して嘆願する。アキレウスはヘクトルの死体を洗い清めさせ、さらに美しく飾った上で、返してやる。肉親はもちろん、トロイアの人々すべてがこの死体を囲んで号泣し、やがて火葬の儀式を行った。ここでイリアスは幕を閉じる
troy.jpg
この話を題材にして”創作された”映画トロイ。ヘクトルがエリック・バナってイメージ違うな…、もっといかつい男を想像してたよ。映画トロイにおける「アガメムノン」は俗物すぎ。アキレウスが分家テティスの子に対して、アガメムノンは仮にもオリュンポス本家本元のゼウス直系なのに…
戦車の用法
イリアスの戦闘では、戦車の使用が顕著である。二頭の馬に曳かせる二輪の軽快な戦車であって、主要な戦士と御者との二人乗りである。しかし、この戦車は戦闘の場への往き帰りするための単なる乗り物の役割しか果たしていいない。戦車の上から槍や弓で攻撃することはまったく見られないのである。敵の直前まで来ると、戦士は車から飛び降りて歩兵として敵と一騎打ちする。最初に槍を投げあい、それで勝負がつかない場合には、剣などで戦い合う。他方、御者と戦車は、敵を追跡したり、逆に逃げ出したりするときのために近くに待機している。さらに興味深いことには、陸上にいる戦士と戦車上にいる戦士とが遭遇してそのまま戦った場合には陸上の戦士の方が勝つという原則がある。戦車の上は不安定で戦いにくかったのであろうか。戦車の戦車らしい用い方は一度だけ現れる。第4巻で老将ネストルが「古人の戦法」だとして提案した戦術である。戦車隊を先頭にして、歩兵隊を後に従わせ、戦車隊は秩序正しく車上から槍で戦う方法である。しかし、この戦法は提案されただけで、実際に用いられた形跡は、イリアスには見られない。
 ただし、イリアスにおいて、戦車は乗物としてはかなり重要であった。サラミスのアイアスとディオメデスとの、戦闘での活躍の仕方を比較してみればこの点は明らかになる。ティオメデスは戦車に乗っており、攻撃の際に特に顕著な活躍をする。他方アイアスは味方が退却する時にしんがりを務めたり、防戦の時に頭角を現したりする。かれはしばしば「アカイア軍の防壁」と呼ばれている。このようにして、戦車を用いることによって攻撃や退却が速くなっていることは確かである。そしてミュケナイ時代においても、この程度の効果しかなかったものと、私は想像している。支配階級は戦車隊を組んで戦い、戦闘での大きな役割を果たすことができた。かれらの地位はそれによって安定したものであり得たであろう。しかしギリシアでは、個々の英雄が部下よりも遥か前へ出て戦うために、戦車は用いられたのである。イリアスにおいては他の人よりも前へ出て戦うことが、英雄の義務であった。かれらにはそれ以外に顕著な軍功を挙げて支配階級としての体面を保つ方法がなかったのである。
詩的な宗教
詩人が描き出したところによれば、神々は姦通や乱暴や欺瞞など、あらゆる罪を平気で犯す。そして人間に対する干渉も必ずしも道徳的ではない。しかし登場人物たちは、概して神々を道徳の実現者だと信じていたようである。イリアスの事件の推移は勧善懲悪的には進行せず、冷酷なほどの悲劇に展開している。その劇の展開を、神々、とりわけゼウスが操っているのだが、その操り方は、極めて冷酷なのである。しかし、ホメロスの描く恣意的で人間的な神々はまったく宗教性を帯びていないとまでいえるであろうか。神々の行動を詳細に物語る詩人の立場はいかなるものか。詩人自身は特定の事件の背後で、どの神が操っていたかを実に具体的に物語っている。他方、登場人物たちは、すべて何らかの神々の操りによるものだと信じているが、その神々の操る手を漠然と感じることはあっても、明確には知らないことになっている。ところが詩人は原因ばかりでなく、その間の事情を具体的に描いてみせることができるのである。
 ホメロスは、遠い昔から発達してきた英雄叙事詩の伝統に立脚して、物語っているのであった。その伝統の所与の量に比較すれば、彼自身の創作の程度は微小なものであった、ともいえるであろう。詩の内容ばかりでなく、その韻律に合わせて詩作する技法も、伝統によって与えられたものであった。それゆえ詩の内容も技法もすべてが女神ムーサの啓示だと考えられたのも、自然のことである。
 ギリシア人は感受性が極めて強かったから、傑出したものや奇異なものに接すると、あまりに大きな感動を受けて呆然となってしまう。この感動から美術が生まれ、知的探求も生まれたのである。プラトンは驚異の感情こそが、「愛知」すなわち哲学の始まりだと語っており、アリストテレスも同様の説をとなえている。もちろんホメロスの時代は哲学以前であり、ただ感嘆して呆然となっただけなのである。ホメロスの聴衆は、超自然的な神々の英雄の活動を、このような精神状態で聴き入っていたに相違ない。