タイトルとイメージ違いますねぇ、この本は。「第四次中東戦争以降の中東政治力学」とした
方が適切だと思われる。
この本で主に取り上げられている暗殺された人物は、サダトとファイサルである。
エジプト大統領のサダトとサウジアラビア国王のファイサル。
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シリア 陰謀とクーデターの国、1949~54年までに5回のクーデターがあった。
親イラク派、民族主義、中立派の争いが原因。
レバノン 信仰のモザイク、人口わずか150万人、マロン派のキリスト教、スンニー派、シーア派
国会の議席99は6対5の割合でキリスト教とイスラム教とに分けられたうえで宗派別によって比例
配分されている。
流血のイラク革命
冷戦のさなかで中東の持つ意義は石油にあった。ペルシア湾岸の石油埋蔵量は世界の7割近くあり、
産油国のイラン、サウジアラビアおよびイラクは西側に属する王国であり、残るクウェート、カタールは
当時イギリスの保護国で開発はメジャー(国際石油資本)が受け持っていた。石油輸出機構(OPEC)な
ど、まだ存在しなかったころである。自由世界は万難を排して、この宝庫を「赤の魔手」から守らなけれ
ばならない。その要求から1955年11月に成立したのが反共軍事同盟のバグダード条約だった。翌56
年にスエズ戦争が起こると西側は中東石油の重要性を思い知らされた。スエズ運河が封鎖され、さら
イラクから地中海に抜ける送油管がシリアの手で爆破されると、備蓄のなかった西欧はたちまち石
油危機に襲われてしまったのだ。ところがナセルはアラブ民族主義の英雄として、その影響力をアラブ
世界全域に広げ始めた。そこでアイゼンハワー大統領はバグダード条約を強化する意味で、中東特別
教書を出す。親米派のサウド・サウジアラビア国王がイラクとヨルダンに和解の手を差し出したのは、こ
の教書の意を汲んだ上での行動に違いない。アイク・ドクトリンの名で知られるこの教書は、ソ連の直接
攻撃がなくとも現地政権が共産主義からの侵略の脅威にさらされたと感じて救いを求めれば、アメリカ
は即座に武力介入して同政権を助けるというもの。これはナセルによる「赤の脅威」を拡大解釈したもの
で「石油ドクトリン」とあだ名がついたほどである。レバノンが「シリアからの共産主義勢力の侵入」を国
連安全保障理事会に提訴したのはアイク・ドクトリンを横目でにらんでの行動だった。6月になるとヨルダ
ン情勢が不穏になったので、イラクは援軍派遣の気配を見せる。こうして世界の目が中東に釘付けされ
ているとき、反共軍事同盟のかなめの地であるバグダードで、7月14日、カセム准将による王政転覆の
クーデターが起こったのである。青年国王ファイサル二世が死んでイラク王家は滅亡した。
ファイサル王の生涯 (イラク国王ではなく、サウジアラビア国王の方)
ファイサル・サウジアラビア国王の暗殺は、第4次中東戦争以後の国際情勢におけるもっとも劇的な事
件である。建国の祖であった父イブン・サウドから将来、王国の外交をになるものとしての教育を受けた。
1953年、父の死とともにサウドが二代目の王として即位したが、兄弟の仲はしっくりいかなかった。そ
れは国内情勢よりも東西冷戦という国際情勢が、父王の描いたビジョンよりはるかにめまぐるしい速さ
で回転したためといえるだろう。すなわち、戦略上の観点からみた中東はソ連に接する「柔らかい下腹」
であり、しかもそこに世界最大の量の石油が埋蔵されている。この資源を確保しようとする米国と、勢力
を軟化させようともくろむソ連という二大勢力の確執の中で、サウド王は元首として、なすところ知らなか
ったといってよい。しかも中東はナセルの登場により、民族主義の炎が渦巻き、サウド王の生来の浪費
癖は、こうしたアラブ急進勢力のかっこうな攻撃目標だった。ついに1964年リヤドに宮廷革命が起こり、
サウド退陣、ファイサル即位となるのだが、このときファイサルは王族一同の合議のもとに円満な譲位
という形式を整え、サウド追放を主張する急進派王族の行き過ぎを抑えて、ついに一滴の血も流させな
かった。即位後、財政の立て直し、アラブ連合(現在のエジプト)のナセル大統領との和解を軸とするア
ラブ連帯の推進、1973年の10月戦争の際、全力をあげてエジプトとシリアを助けた。
 国内の信望厚かった老国王がLSD密売の経歴を持つという甥の凶弾に倒れた。エジプトの外交はナ
セル時代以来、東西冷戦の中で東寄りだった。サダト時代になって、同大統領は米ソ協調体制に対応
して西寄りの姿勢を見せ、キッシンジャー長官の調停工作に期待した。このサダト新路線の誕生には、
ファイサル国王の力がおおいにあずかっていた。すなわち同国王は膨大な石油収入を活用してアラブの
政治大国エジプトを支え、いわゆるアラブの大義を穏健路線のなかで生かし、こうして中東和平を実現
させようとしたのであった。これはキッシンジャー構想と見合うものだ。米国が中東和平構想の見直し
を行わなければならぬのは当然と言えよう。サダト大統領の受けた打撃も深刻なものがあろう。その
和平構想も根本から再検討を迫られるからだ。エジプト、サウジアラビア間に築かれていた信頼関係
は継続することができるだろうか。リヤドに外交的空白が生じたことは、シリア、パレスチナ解放機構
を含む穏健派の危機でもある。
【資源獲得競争】
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