従業員の株式報酬型の新株予約権系、すなわちストックオプションのニュースは、ファイナンスが絡まないので素通りするのだが、気紛れで読んでみたら相当に突っ込みどころが満載だ。ショックなのは、怪しげなファイナンスを行っている”怪しげな企業”なら、資料の不備も人材不足なのだろうと思うのだが、不動産業界トップにある三井不動産のような大会社のプレスリリースでこのレベルなのである。
新株予約権の割当に関するお知らせ – 三井不動産
見てくれ・・・なんじゃこりゃ? でしょ? この原稿を書いているのが広報なのか経理なのか、はたまた弁護士・会計士・コンサル事務所にアウトソースしているのか、日本の会社事情に詳しくないwので知らないが。とにかく、デリバティブに関することになると、日本は全体的にかなりレベルが低いのが、新聞等メディア以外でも目立つ。ストックオプションはかなり広く多くの事業会社で取り入れられているので、広報担当者なり、新株予約権の原稿を書かされて困っているなら、俺に言ってくれれば、面倒でない限り、無料でアドバイスしてやるぞ。面倒とは何かというと、守秘義務契約の締結の必要性や、インサイダー情報にあたるかどうかだ。「プレスリリースを発行する前に全体的にチェックしてくれ。」とかいうお願いは、この観点から言うと”面倒”な話だ。
まずは理論的な部分から斬っていこう。
プレスリリースの2ページ目
6.新株予約権の払込金額の算定方法
各新株予約権の払込金額は、ブラック・ショールズ・モデルを用いて算定される公正価値を基準とし、1円に満たない端数がある場合には、これを切り捨てる(注)。
だから、配当のあるアメリカン・オプションは、解析的に解けないって何度も言ってるだろ! w
(2) 基礎数値
① C:1株当たりのオプション価格
② S:割当日の東京証券取引所における当社普通株式の終値
③ K:行使価格(1円)
もうオプションじゃなくてフォワード(※正確には0-Strike Optionなのだが)で近似しても良いんじゃない?
※フォワードと0-Strike Callを同一視して書いた状態を放置したところで、その区別がつく読者も少ないのであろう。亮司・・・来いやー、あげあし取られてやるからよぉ。
④ r:リスク・フリー・レート
だから、リスク・フリー・レートとは何を参照するのかに言及しないと意味無いだろ! w ま、ありがちなリスク・フリーは国債金利だが、これについても言うと、例えば合併株価・株式交換比率の公正性などでよく見かけるDDM(配当割引モデル)のリスク・プレミアムに対するリスク・フリーならば国債金利でよろしかろう。しかしデリバティブのバリュエーションは、あくまで複製性を意識し、自己調達的にw 銀行間金利(SWAP金利、短期の場合はLIBOR・TIBORでも良いが。)とすべきであろう。通常、かなり厳しい譲渡制限がついているので、会社が合併などで変更されない限り、譲渡はできないが、譲渡するとしたらその買い取り手が金融機関を想定するのが最も公正らしいということも、銀行間金利採用を後押しするだろう。
⑤ t:予想残存期間(15年)
8.新株予約権の権利行使期間
平成25年8月24日から平成55年8月23日まで
発行された次の日からアメリカンに行使できるなら、即行使でしょ? 15年って・・・ と思いきや
9.新株予約権の行使の条件
(1)新株予約権者は、当社の取締役、監査役、執行役員およびグループ執行役員のいずれの地位をも喪失した日の翌日(以下、「権利行使開始日」という。)から5年間に限り、新株予約権を行使することができる。
こんな条項がついている。それにしても15年は長い気がするが。子会社に天下ったりするとこんなものなの?
⑥ q:配当利回り(1株当たりの配当金(平成26年3月期の予想配当金)÷上記②の株価)
幾何ブラウン想定なら、Ln(1+配当金÷株価)だw 突っ込んでおきながら、俺も上記のように計算しているがなw
⑦ N(d):標準正規分布の累積分布関数
⑧ σ:ボラティリティ(割当日までの15年間の各取引日における当社普通株式の終値に基づき算出した変動率)
Vegaあるのかよ! w 15年ものデイリー株価、歴史が長い会社で良かったですね。お疲れ様でした。当然、配当権利落ち日の計算も、Ln((終値+予想配当額)/前日終値)とは計算してないだろうなw
(注)新株予約権の払込金額は、新株予約権者に特に有利な条件となるものではありません。
なお、新株予約権の払込金額の全額の払込みは、払込債務と割当対象者が当社に対して有する報酬債権とを相殺することによりなされます。
で今さらなんだが、新株予約権の払込金額? 言葉遣いがおかしくないか? 新株予約権の評価額だろ!w
スキーム面でも斬ろう。
日本で最もポピュラーな個別株オプションは、1円ストライクのストックオプション。エコノミー的には株と同じとして良いが、ストックオプションを導入する意義は、株はもらった時点で収入扱いで課税される。譲渡制限の間に会社に倒産もしくは株価が撃沈されると、納税義務だけ発生し、実際の受取は0ドルもしくはかなりな小額というケースがリーマンショック後の”外資系金融機関の高額所得組”で起きた実害である。一方、ストックオプションはオプションをもらった時点ではなく、行使した時点の実現益に対して課税されるので、前記のような納税貧乏や可処分所得がマイナスwの悲劇は起こりえない。
ただ、1円の払込み金額に一体何の意味があるのだろうか? わずかに1円の払込みのための事務コストの無駄だと思うので、行使価格0円の0-Strike Callにしてみてはどうだろう? こうすると税務署が株給料とみなすって言ってきたりする事情もあるのかもしれないので、これに関しては担当者さんは、要確認ね。
役員退職しないと行使権利が発生しないw えっ、辞めたら発生するの? かなり面白いよね。ストックオプションの意義は経営陣に最も劣後するステークホルダーである株主と同じ目線になることでガバナンスを保つことである。であるから、粉飾・一時的な決算・業績のかさ上げ行為に対する牽制になる。また、退職したら失効するようになっていれば、同業者への転職、または同業他社との収入比較も単純には行かなくなり、ストックオプションが無効になることを思えば、今の安月給でも我慢するか、と思わせることで、従業員との給与・賞与交渉を優位にもっていく効果を狙っているのである。
役員退職しないと行使権利が発生しない、とは終身雇用を前提としたかなり風変わりな設定であるし、この設定だと賞与の大部分をストックオプションにまで拡大することは難しい。まぁ、雇われ社長にとっては、”株はリスク”以外の何者でもないから、拡大はしないのだが。しかし、これを利用すれば世の中良くなることを思いついた。なんだかジイさん達はとにかく会社に行くこと働くこと、少しでも長くというのが希望らしい。ジイさん達が企業にしがみつく体質の影響で、企業の新陳代謝が悪いのは周知の事実だろう。
一般社員の賞与も「辞めたら行使できる」ようになるストックオプションにしてしまえば良い。年間ボーナスが200万円として20年間勤めると簿価ベース4000万円が、2000万円になったり8000万円になったりするわけ。民、びびっちゃって、絶対早期退職促進できる。ただ欠点は好景気で猫の手も借りたい時に退職が進み、不景気でリストラしたい時には行使が進まないのが構造的な欠陥だ。もっと落ち込んで、倒産するかもなんて噂が出たら、行使が進むことが期待できる。
新株予約権の付与・割当のお知らせの書き方としては、エクイティ・デリバティブを扱う日本最大級の金融機関である野村證券のプレスリリースを参考にすると良いだろう。(ってか最初に書けば、これが結論で終わりだった? www)
野村ホールディングス ストック・オプション(新株予約権)の付与に関するお知らせ
三井不動の担当者は、資料の内容もそうなんだけど、タイトルもこれを見習うように。
「新株予約権の割当に関するお知らせ」
と書いたら、ファイナンスの可能性も含んでしまうだろう? (だからこそ、俺もクリックしたんだがw)
「ストック・オプション(新株予約権)の付与に関するお知らせ」
と書けば、ファイナンスではなく、賞与体系の話というのが明確なタイトルなのである。
広報担当者だけではないと思うので、新株予約権の有利発行、価格公正性をチェックする立場にある者のために、新株予約権・ストックオプションなどのバリュエーション、評価方法の基本をまとめておいた。
2012.04.27 アメリカン・オプションの早期行使
2012.10.17 アメリカン・オプションをモンテカルロするのが難しい理由 1/5 ~ペイオフ・アプローチ手法・モデル
2012.10.24 アメリカン・オプションをモンテカルロするのが難しい理由 2/5 ~Treeとモンテカルロの基本構造
2012.10.25 アメリカン・オプションをモンテカルロするのが難しい理由 3/5 ~最適行使問題
2012.11.01 アメリカン・オプションをモンテカルロするのが難しい理由 4/5 ~バミューダンのバリュエーション
2012.11.13 アメリカン・オプションをモンテカルロするのが難しい理由 5/5 ~TreeのGreeks計算
2013.02.18 外食3社の新株予約権発行とTOBのサンドイッチ・ファイナンス
2013.06.26 新株予約権付社債のリパッケージとは(SONYソニー、2017年満期、転換価格957円)
ま、弁護士先生や会計士先生にとっては、多少難しいとは思うが、がんばって全部読んで理解した上でバリュエーションに励んで欲しいww
あまりにも恥ずかしいプレスリリースがこの世から1つでも消えることを願ってやまないが、それは諸君らの作る資料、一つ一つにかかっている。
【個別株デリバティブ】
2012.09.12 エース交易内紛の原因 新株予約権について
2012.05.31|Facebookは買いか?売りか?
2011.12.20: 秋の夜長の東証デリバティブ祭り オンデマンドTV
2011.07.20: 欧州銀行ストレステストとADRの株価
2011.05.19: 東証マスコットキャラ「かば子」募集要項
2011.04.11: 史上最大のボロ儲け ~一人で笑うポールソン 5/6
2010.11.05: 米ゴールドマン、バフェット氏への50億ドル返済を検討
2010.06.23: 年収9億円 7201 2009年有価証券報告書によるストックオプションの評価方法
2010.04.21: AIGの前社長が株を売った
2009.11.25: 米スリーコムのオプション取引、SECが調査-HP買収発表前に急増
2008.09.10: Put Option Ecstasy @LEH US
2008.07.02: 私好みの株価予想
2008.04.24: ESOP Valuation (従業員の視点から)
2008.04.12: 一族家における投資教育 ~他社株転換債