坂の上の雲六 16~防御戦

好古がとっている戦法は、「拠点式陣地」という特殊なものであった。騎兵本来の特質から言えば急襲と奇襲あるいは挺進という機動戦法こそとらるべきであったが、かれが総司令部から命ぜられている任務は全軍の左翼を警戒し防衛するといういわば非騎兵的任務であった。それが、あるいは兵力僅少な日本騎兵として当然の在り方であったかもしれないが、その警戒と防衛という任務にしても、わずか8,000で40キロの広正面を守るということは半ば不可能に近い。このため、かれは、「拠点式陣地」という方法を取った。4大拠点それぞれに枝が出ていて小拠点が多数ある。いずれも部落の周りに散兵壕をほり、前面に障碍物を設け、土壁には銃眼を穿って堅固に城郭化し、それをもって小兵力で敵の大軍と対決しようというものであった。(敵が3万やってきてもなんとかやれる)という自信が好古にあった。しかしながら現実にやってきた敵は10万以上であった。
日本人には、元来防御の思想と技術が乏しい。日本戦史はほんの数例をのぞいては、進撃作戦の歴史であった。防衛戦における成功の最大の例として、戦国末期、織田信長の軍団を数年にわたってささえつづけた石山本願寺(いまの大阪城付近)のそれが存在する。本願寺は戦闘では最後まで戦闘力を失わずに戦勢をもちこたえたが、結局は外界の外交事情が不利になり、和睦した。このいわゆる石山合戦の場合でも、防御戦のための工学的な配慮や物理力が存在したわけではなく、物理力と言えば「堀一重、堀ひとめぐり」というかぼそいものであった。この合戦の本願寺側の防御力をささえたものは、門徒たちの信仰の力しかない。この点、徳川初期の島原の乱におけるキリシタン一揆も同じ事情である。日本人のものの考え方は、大陸内での国家でなかったせいか、物理的な力で防御力を構築してゆくというところに乏しく、その唯一の例は秀吉の大阪城ぐらいのものかもしれない。秀吉はかつて自分が属した織田軍団が、あれほど石山本願寺の防御力にてこずったことを思い、同じ石山の地に大阪城という一大要塞を構築したが、その規模の大きさは城内に10万以上の兵士を収容できるもので、それ以前の日本史ではとびぬけたものであった。しかし結局は大坂夏の陣において、家康の野戦軍のために陥ちた。物理的な構造物が存在しても、防御戦という極めて心理的な諸条件を必要とする至難な戦いをするには、民族的性格がそれに向いていないからであろう。


ロシアはなぜ負けるのか。この災害(ロシアにとっての)は、その専制政治と専制政治につきものの属僚政治にある」という結論にした。これは世界的常識になった。ロシアは日本のように憲法を持たず、国会を持たず、その専制皇帝は中世そのままの帝権を持ち、国内にいかなる合法的批判機関も持たなかった。「専制国家はほろびる」というただ一つの理由をもって、この戦争の勝敗の予想において、日本の勝利の方に賭けたのは、アメリカ合衆国の大統領セオドア・ルーズヴェルトであった。その理由は簡単である。二流もしくは三流の人物(皇帝)に絶対権力を持たせるのが、専制国家である。その人物が、英雄的自己肥大の妄想を持つとき、何人といえどもそれにブレーキをかけることができない。制度上の制御装置をもたないのである。
この時期の「タイムズ」は、ロシアの戦費を計算した。「タイムズ」自身の計算というよりも、「タイムズ」が、フランスの経済学者レヴィーが出した数字を信頼したといった方が正確かもしれない。それによれば、ロシア陸軍30万が満州の野で戦闘する経費は1か月に600万ポンドから700万ポンドであるという。ところでその計算によると、バルチック艦隊を東洋へ繰り出すについてかけた経費は、3200万ポンドであるという。海軍がいかに金を食うものであるかが分かるが、その経費の一半は艦船の整備費であった。一半は回航についての費用である。その中でも石炭の購入費が大きい。石炭という物質そのものは値の安いものであるとしても、18,000海里という長大な(これだけ大規模な艦隊の遠征としては史上最初の)回航となれば、石炭を輸送することと補給することに途方もない金がかかる。カネも大変だが、それを計画し、遂行してゆくのも大変であろう。
風を相手に船を動かす帆船時代ならば楽であった。しかしこの時代の軍艦は燃料が無ければ動かない。このロジェストウェンスキー航海の場合、その膨大な石炭補給のために世界地図を広げて石炭搭載地点を決めてゆかねばならない。そこにあらかじめ石炭船を待たせておかねばならない。その石炭船を繰り出してゆく諸計算とその運営ということを考えると、ロシア人の運営能力は、その種の仕事を得意とする英国人やドイツ人に少しも劣らず、さらにこの航路の大半は日本の同盟国である英国の勢力下にあり、その妨害が入ってくることを考えれば、ロシアがやりつつあるこの航海自身が、ロシアが経験した世界史的事業であるともいえる。
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