先週、日本から来た友人、そして現在、母がバンコクに遊びに来ているが、彼等とともに行動をすると、行きたがる場所はガイドブックに載っている典型的な場所で日本人だらけ、食べたがるものは偽物タイ料理(チャーハン、カレー、中華とのフュージョン)のようなものばかりだ。
タイではタイ人と遊ぶに限る。このシンプルな行動原理は、中国では中国人、インドネシアではインドネシア人、フィリピンではフィリピン人、九州では九州人と拡張可能だが、改めてその威力をタイのバージョンで書き出してみよう。
1.タイ語が話せる。
2.タイの地理が頭に入っている。
3.タイの文化・歴史に精通している。
4.車を持っている。
5.友人がたくさんいる。
タイ人だったら誰でもできる当然のことだ。全然目新しくもない。だが、日本から遊びに来た観光客はどうだろうか?
1.タイ語が話せない。
2.タイの地理が頭に入っていない。どこへ行くにも行き方もわからない。
3.観光しようにもガイドブックに頼らざるを得ない。
4.モノの値段もわかってないので、ぼったくりにあいやすい。
5.俺の助けが唯一の手段。
現地人と比べ、使えねー。「何も知らないし、何もできないし、何の役にも立たない」。まあ、
日本から来た日本人、これは当然のことだ。残念だが、俺にも完全に当てはまる。いつもタイ人と遊んでいると、どうしても比較してしまい、思わず日本人に対して「なんだ、この人たちは、何にも知らないな」と思ってしまう。
逆にタイでタイ人を見ると、タイ人全員が「何でも知ってて、何でもできる」理想の女、メーテルに見える。全員メーテル。すげーだろw 30代前半くらいまで「頭が良くて、なんでもできる」理想の女性はなかなか居ないものだと嘆いていたが、今では「メーテルが居ないなら、メーテルは作ってしまえばいい」。それを実行してるから周りはみんなメーテルだ。
何にもできない鉄郎と俺も同じだが、俺の場合、5だけ違って、
5.現地人の助けが唯一の手段。
この一文を変えるだけで、現地人の能力を利用でき、全く違う観光(生活)になる。これを実行するためには、特別な才能を持つタイ人は必要ないし、俺自身がタイをよく勉強し、理解しているわけでもない。
アジア一国一愛人構想(通称ACALエイカル)という名称は、マハティールの東アジア経済圏構想(EAEG)をもじったものだが、私が言及し始めたのが2011~2012年あたりだろうか。
今やアジア一国一愛人構想が完成してしまった状態と言えよう。どこへ行っても現地人あるいは現地人並みに詳しい人たち、非常に頼りがいのある人たちとコネクションがあり、私自身は非常に快適な時間を過ごすことができている。東京でも同じで、大手町勤務20年の高給取りたちが、私を銀座のバランスの良い値段による質の高い店に案内してくれる。いつも、みんなありがとう。