マスメディアの管理
人民行動党政権が誕生した1959年当時、有力新聞は英字紙の「ストレート・タイムス」、華字紙の「南洋商報」と「星州日報」の3紙であった。これら新聞は人民行動党に批判的論調を取っていた。そのため人民行動党は新聞管理に乗り出す。まず、「ストレート・タイムス」紙に、新聞発行認可の見直しを示唆するなどの圧力をかけて、親人民行動党の経営者と入れ替える。1971年には、政府の言語政策を英語教育重視であると批判した新聞の取り締まりや廃刊処分を行った。1977年に「新聞・印刷紙法」を改正し、個人が新聞社株式の3%以上持つことを禁じて、華字新聞を華人企業家一族の手から奪い、さらに新聞管理の総仕上げとして、シンガポールで刊行されるすべての新聞を一つの持ち株会社傘下に統合したのである。テレビも、現在は1999年に設立されたメディアコープ社の独占支配下にあるが、同社を100%保有するのが政府系企業の持ち株会社テマセク・ホールディングス社である。
1986年に政府はシンガポールの内政に干渉したと政府が判断した外国雑誌や新聞の販売部数を制限できる法律を制定し、アメリカのタイム誌が、政府の野党管理を批判的に報道したとの理由で、シンガポール国内での販売部数を18000部から2000部に制限される。これ以外にも、香港発行の「ファー・イースタン・エコノミック・レビュー」誌やイギリスの「エコノミスト」誌などが規制対象となった。
野党の抑圧
リー・クアンユー時代に、野党や政府批判勢力が全く存在しなかったわけではない。1981年の国会補欠選挙で当選し、分離独立後初めて人民行動党の国会独占を破った労働者党書記長ジェヤレトナムは、インド人の弁護士で政府批判派のシンボルとなっていく。1984年当選後にジャヤレトナムは労働党資金の不正使用の容疑で起訴、二審で罰金の有罪判決、1986年にジェヤレトナムが国会の場で、自分に無罪判決を下した裁判官を判決直後に人事異動で別の部署に配転したのは行政の司法に対する介入であると批判すると、人民行動党はジェヤレトナムは国会議員として不適切な言動を取ったと非難した。しかし、現行法には処罰規定が無かったため、直ちに国会法を改正し、国会で不適切な言動を行ったものは、国会議員資格を失うという条項が新たに設けられ、それを遡って適用してジェヤレトナムの国会議席を剥奪したのである。1987年、マルクス主義者陰謀事件、市民運動家22人の国内治安法による逮捕・投獄である。同法は、政府が治安上問題ありと見なした人物を逮捕令状なしに逮捕し、しかもほぼ無期限に拘束できる強力な法律である。
人民行動党の国会独占には同党に有利な形での選挙制度改革も大いに寄与している。1984年総選挙で野党がそれまでの一議席から二議席に増え、人民行動党の得票率が70%から63%に落ち込むと危機意識を感じた人民行動党はいくつかの選挙制度を改革した。リー・クアンユーは、シンガポールは「民主主義国家」とあると唱えており、そのために選挙をするが、それは民主主義国家としての形式を満たすためのものであり、実際には、政府の政策運営を批判する野党は国会に不要と考えていたからだ。
開発主義国家
ある国の経済が、外国依存構造にあることを示す指標の一つが、貿易総額を国内総生産額で除した数値の貿易依存度であるが、2000年の場合、「貿易立国」と自ら呼ぶ日本は8.4%なのに対し、シンガポールは144%と遥かに高い。シンガポールの外国依存度は日本とは比べ物にならないが、これに加えて、シンガポールは日本よりも不利な立場におかれている。国土が小さく天然資源が皆無なこと、製造業の有力国内企業が無いことである。
> ちょっとイメージと違うんだよな。貿易依存度=貿易総額÷2÷GDPで計算しているのかなぁ…
http://www.iti.or.jp/stat/2-012.pdf
産業構造高度化政策
順調な経済発展の道を歩んできたシンガポールだが、1980年代になるといくつか深刻な問題に直面する。1つは労働力不足、もう1つは、他の東南アジア諸国が労働集約型産業を武器に、シンガポールの追い上げを開始したことである。新戦略の狙いは、労働集約型産業をマレーシアやインドネシアなど東南アジアの近隣諸国に移転させ、そこから生じた貴重な労働力を付加価値や技術レベルの高い産業に振り向け、さらなる発展を図ることにあった。そのための政策の一つが1979年から3年連続で行われた高賃金政策だった。政府は誘致企業のターゲットを先進国の研究開発型企業、ハイテクなど高付加価値産業に絞り、積極的な誘致活動を開始した。
労働集約型産業が存在しない国家の国民生活は厳しい。優秀な者は良いが、大多数の一般国民は、当然のことながら外国から誘致した高付加価値産業で働くことはできない。例えば、金融機関のトレーディングチームにシンガポール人は居ないだろう? 居たとしてもシングリッシュを話さないシンガポール人、あるいは最近国籍(市民権)を取得した新市民だろうww?
二言語政策-英語化政策の修正
1959年の政権就任後、マレー語を国語にしながらも、実際には英語化政策を勧めた人民行動党だが、65年の分離独立後に方針転換する。国際ビジネスのために英語が必要だと言っても誰もが英語を完璧にマスターできる能力があるわけではなく、国民すべて、とりわけ社会の下層階層が英語を使いこなせる必要が無いことである。もっと深刻なのは英語教育が進化すると、国民が言語の背後にあるイギリスやアメリカの自由主義思想を習得して、権威主義的な人民行動党批判につながる可能性があることである。そのため、英語化政策に修正が加えられる。それが、国民が社会家族の調和を重視するアジア的価値を学び、アジア人としてのアイデンティティを保持するためにそれぞれの民族の母語を習得することであり、これが二言語政策である。国際ビジネス活動のために英語を学び、アジア人としてのアイデンティティを保つために民族母語を学ぶものであり、アジアの伝統的価値とヨーロッパ近代の実用性の2つを国民が習得することを目指す野心的な社会工学的試みなのである。
国際ビジネス活動で活躍できるシンガポール人はほとんど居ないと言っていいだろう。これはシンガポール在住の日本人が、日本の会社や日本市場と全く関係ない仕事をしている人が皆無というのと理由は同じだ。国際ビジネスとはいえ、結局は二国間ビジネスの和であり、その二国に属する者が携わるのが一般的であり、そこにシンガポール人が入る余地が無いのである。
私は日本に住まなくなって長いので、よくわかる。言語的には日本語を完璧に話せるが、日本のテレビや雑誌をほとんど読まない、日本人独特のコミュニケーション法などから距離が遠くなり、日本居住の日本人と段々話が合わなくなってくることがある。つまり、私の日本語は、シンガポール人の英語に対するシングリッシュよりも遥かに完璧なレベルだが、そこに文化的共有が無ければ、相容れないもので、日本人と飲む時は、言語が全く問題なくても、最初の一杯はみんなが揃ってから飲まなければならないのである。同様にシンガポール人のシングリッシュは、最低限のコミュニケーションができるだけであって、イギリス人と友達として話せるだけの文化的共有は無いのである。
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