俺は一体いつまでこのブログ書き続けるんだろう…。ブログというネット媒体は衰退しているとは聞いているが、当ブログのアクセス数は毎年、着実に伸び続けているので、時代の流れは無視して書くことにしようか。私にとってブログを書くことは、自身の経験と思考を脳から引っぱり出し、現実に存在する文書化することで、思考や発言が明確になる、というメリットがある。特に読書、読んだ本を文章に書き起こすことで、その本に何が書いてあったのか?が明確に記憶に残り、本を読んだ後の自分の発言に影響を与える。
ブログを書くのを止めるとしたら、自分自身が原因で無く、外部要因、現在私設のサーバーで運営しているので、これが無くなって、他システムに移管ができないなどの問題が生じた時に、止めることになるかもしれない。しかし「インドネシアの物価、2012年時点でビンタンビアのコンビニ価格っていくらだったっけ?」という記録は、自分のブログで調べたり、質問を受けたら、知識や経験が文書化という再現性のある形で蓄積されているこのブログのリンクを送ったりしている都合上、無くなったら個人的にも不便だなぁ。
思い起こせば、よくもここまでアジアフォーカスした人間になったものだ。かくゆえ私も28歳まではニューヨークやロンドンで働くことに憧れていた金融業界に居がちな若者だったのである。有休と自費で、金融先進国であるニューヨークやロンドンのオフィスに行き、その最前線で働いている先輩方のお話を聞いたり、現地で雇われているプロフェッショナルの外国人たちと議論したりしていて、大きな刺激を受け、相変わらず香港やアジアには、1ミリの関心も無かった。
香港には関心が無いので、自費では行くつもりもなかったのだが、たまたま出張で香港に行った時、「せっかく香港まで出張に来たわけですから、仕事もして欲しいのですが、香港の街も見てください。」と言われ、街に出た私は衝撃を受けた。
1.清濁併せ飲む、タイクーン(超富裕層・三大華僑)と貧困層の共存。HSBC本店の1階にて。
2.中国経済・中国パワーの躍進。香港の街の活気とエネルギーに圧倒された。
3.アジアの富裕層は自国通貨を信用しない。金屋(ゴールドショップ)の存在と米ドル建て金融商品嗜好。
ロンドン・ニューヨークは観光には一切関心無かったのでホテルとオフィスの往復、つまりシティとウォールストリートを中心に活動していたのであるが、香港のセントラル金融街から歩いて5分で存在する、あの猥雑な街並みに衝撃を受けた。
イギリスのポンドもアメリカのドルも基軸通貨として君臨していた2大通貨であるから、その価値を改めて考えることは無かったのだが、中国元という中国人でさえ信用していない中国政府が担保している通貨、民間銀行(HSBC、中国銀行、スタチャン)が発券している香港ドル紙幣と接することで、通貨の信認というものを香港にて、生れて初めて考えさせられたのである。測度変換という測度論上の概念が現実世界とつながった瞬間でもあった。
今にして思えば、日本は先進国で日本円はフリーフロート(変動相場制)、通貨規制無しなので、日本とアメリカ・イギリスの差より、日本と中国の差が大きいので、違いが大きい分だけ、学ぶものが大きかったのだけのことなのである。金融的に日本より遥かに遅れた中国・香港・アジアから学ぶものなど何も無いと思い込んでいた当時の私は、自分の認識の甘さと考えの浅さを思い知らされたのである。