「撤退、ロワールへ」 ショレ市民や近隣の農民も合流、女性子供や負傷者も含めた約80000人がロワール河辺まで10リューの道程を無我夢中で駆け抜ける。後に残れば虐殺が待っているからだ。「ヴァンデ軍はショレから10リューを駆け抜け、加えて渡河という大作業を48時間以内に終えたということになります。総勢8万から9万人もの集団ですよ。しかも半数は民間人。とてもできることではありません。ジュリアンは微笑して答える。「彼らは我々共和国が及びもつかないほどの力を出したのでしょう。なぜなら恐怖に駆り立てられていたからです。」
農民の集団であるヴァンデ軍がこれまで我が共和国軍と互角に戦ってこられた理由は僕の分析によれば3つです。一つには優秀な司令官を持っていること。2つ目は知り尽くした土地を基盤に戦いを展開してきたこと。3つ目は農民特有の肉体的粘り強さと不撓不屈の精神で戦いに挑んでいること。この3つを切り崩さない限り彼らを絶滅させることはできません。僕が先ほどヴァンデがロワール河を渡ったことに対して好ましいと言ったのはこの第二の部分にあたります。ロワールを越えたことで彼らは自分たちにとってなじみのない、ちりもわからず気候も知らない土地に入ってしまったのです。
『あなたにきっとご満足いただけると思いながら、この手紙を書いています。僕はヴァンデ軍の最終決戦地を決定しました。それはグランヴィル、ル・マン、そしてアンジェか、もしくはアンスニか、とにかくロワール河に沿ったどこかの都市になる予定です。グランヴィルを選択したのは最もヴァンデから離れた軍港であり、一見攻略しやすそうに見えて実は難攻不落の天然の要塞であるからです。それらの条件はヴァンデ軍を誘き寄せ、披露させ、壊滅させるのに格好のものです。ただ彼らは非戦闘員も含めて80000という大軍ですから、一度に片づけることはできません。グランヴィルで致命的な打撃を与え退路に主力軍を配して、ル・マンやロワール河沿いの都市で次々に攻め最後に一兵も残しません。完璧を期し、二度とヴァンデが立ち上がることのないようにしたいとお考えになるなら、ヴァンデ軍殲滅後、部隊をこの地方に送りどんな人間も生きることができないようにするため、森と畑、村を焼き尽くし、土地に塩を撒き、全ての住民を無差別に葬り去るのです。最後に土地名を別の名に変えてしまえば、ヴァンデは息絶え祖国フランスから消滅することでしょう。 あなたの忠実な代理人マルク・アントワーヌ・ジュリアンより』
「長く我が国の背骨であったローマ・カトリック教が否定され、人民は拠り所を失っているのです。これを放置しておけば必ず、暴動が起こるでしょう。我々は人民に神に代わるものを与え、満足させねばならないのです。それは何だとお思いになりますか」 ロベスピエールはサン・ジュストの明断に満足しながら答えた。「徳だ」 サン・ジュストはうなずく。
「そうです。権力の更なる集中をはかるならばそれと並行して人民の内に美徳を植え付け育て上げねばなりません。美徳の支配によってこそ人民の心は安定するのです。公安委員会は美徳の先導者とならざるをえないでしょう。その時、ヴァンデ破壊命令が公安委員会から出されていたという証拠が残っているとなると極めてまずいことになります。それは美徳の先導者としてふさわしくない言動だからです。エベール派とダントン派の始末がついたら、次にはジュリアンもチュローも召喚し罷免しなければなりません。地獄部隊は解散させ、代わりに懸命で穏健なニコラ・ラザール・オッシュを送り込んでヴァンデを統制させるのです。」
サン・ジュストは細い人差し指と中指で挟んだ手紙を屑籠の上に差し出す。
「今、公安委員会の名を汚すことはできません。放っておいても彼らは仕事を放棄することは無いでしょう。いささか変わった形ですが、これも革命への貢献です。せいぜい力を尽くしてもらうことにしましょう。」 指を離れた手紙が屑籠の中に落ちる。微かな紙の音が響き、ロベスピエールにジュリアンの幼い笑顔を思い出させた。
ナントに戻っていたジュリアンは、待ちに待ったロベスピエールからの手紙を受け取る。それこそは自分をパリに召喚する内示に違いなかった。長い間の夢が今こそ実現するのである。
『親愛なるジュリアン
まずちゅろーの件から回答させてくれ。チュローは公安委員会から正式な命令がないとこぼしているようだが、公安委員会は彼にすでに正式な命令を下している。ヴァンデ地方の内乱の収拾だ。それを具体化するのは彼の仕事であり責任だと、公安委員会は考えている。これは君についても言えることだが、君は私に代わりヴァンデ各地において情報を収集し反革命を監視し、公安委員会と連絡を取るという命令を受けている。これをどう実行するかは君の裁量であり、行われたことに関しては君の責任である』
ジュリアンは目を疑う。信じられない思いで何度も読み返さずにいられない。ヴァンデにおける流血事件の責任のすべてを実行者の負わせようとしているのだった。ジュリアンは背筋が冷たくなるような気がした。オッシュの言葉が鮮やかに胸に広がる。『あなたはただの大量殺人者です』ジュリアンは首を横に振った。そんなことがあるはずはない。ロベスピエールに従い、革命の遂行という高潔な使命のために人生と生命もなげうつ覚悟をした自分が大量殺人の汚名を着るなどということは考えられないことだった。
『また君はパリに帰りたいと思っているようだが一つ忠告させてくれ。君はその地方での君の任務を君の責任において完璧に仕上げねばならない。そしてそれが終わったら私は次の仕事を依頼するつもりだ。すなわちそのままに死に向かい、バンヌやロリアン、ブレストなどの各都市の革命委員会について調査、報告してほしい。その後は南に連絡をとり、ラ・ロシェルやボルドー、モントーバンを経て南仏まで足を延ばしてもらいたい。君の仕事は他の誰にもできないものだからだ。一方、パリには人材があふれており、君にふさわしい仕事は見つけられそうもない。私の命令に君が満足してくれることを願っている。 1794年1月28日 ロベスピエール』
可哀そうな若きジュリアン。童貞ロベスにふられちゃった♡
ジュリアンは息を止める。ロベスピエールは帰ってくるなと言っているのだった。地方を回らせ自分の側に寄せ付けないつもりでいる。ヴァンデの大量殺人者とのかかわりを断とうとする意図に違いなかった。もう呼び寄せることはもちろん、会うこともしないだろう。思い出すことすら厭うかもしれない。手紙を握りしめてジュリアンは大声を上げる。絶望中を永遠に落ち続ける苦しさに絶叫せずにはいられない。
ヴァンデが静まるのは1801年7月15日、ナポレオン・ボナパルトがローマ教皇ビオ7世と和議を結び、ヴァンデに対し信仰の自由、徴兵の免除、損害の賠償、復興の援助等の政策を講じてからのことである。
聖戦ヴァンデ〈下〉 (角川文庫) 藤本 ひとみ 角川書店 2000-04 |
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