世界の経済体制を支える金本位制にヒビが入り始めたのは1914年に始まる第一次世界大戦の前後である。戦争によって金の輸送が不可能となり、各国の金準備の貯蓄傾向がいっそう強まったことから、通貨と金との連結性が薄れがちになった。戦争当時、基軸通貨国の英国の金準備は意外に低水準で、フランスはその4倍、米国はその10倍以上の金を保有していたといわれている。大戦が終わってまず米国が1919年に金本位制に復帰し、英国はやや遅れて1925年に金本位制に戻ったが、その姿は大戦以前とはやや異なる様相を呈していた。戦争で疲弊した英国経済にとって、戦前と同じレートでの金本位制の復帰は致命的だったのである。英国の輸出産業である繊維や石炭などの業界は、そのレートでは競争力が無いのは明らかだった。英国企業がこうした環境に対応すべく賃下げに次ぐ賃下げを行ったため、ついには炭鉱労働者を中心とした「ゼネスト」に直面することになる。英国の金本位制復帰の裏には英国のポンドのプライドを賭けたレート設定に隠れて、2つの出来事が発生していた。一つは英国中銀で通貨を金に兌換することができなくなったことである。対外的にはポンドは金に兌換されたが、国内ではその兌換性が失われてしまった。もう一つ特筆すべきことは、英国がその金準備を補強するため米国連銀やモルガン商会に協力を仰がざるを得なかったという、米国の存在感の増大である。それは英国から米国への国際経済の舞台における主役交代の時代がまもなく到来することを告げる序曲でもあった。
1929年米国で発生した大恐慌が経済的な打撃として降りかかり、1931年には英国は金本位制から離脱を余儀なくされた。英国の経常収支の黒字が縮小する中でフランス保有のポンドの金兌換要求はやまず、ポンドは急落した。まだ金兌換を行っていたドルを買って、米国から金を入手しようとしたのである。米国は金本位制を放棄することはしなかったが、結局1933年に金を海外へ輸出することを禁止した。世界のマネー体制は大きく揺らぐことになった。現在のようにペーパーマネーに絶大なる信頼を置くという発想はまだなかった。
フランスを中心とする国々は「金ブロック」を形成して、金本位制の維持を試みようとした。そのグループには、オランダ、ベルギー、ルクセンブルグ、スイス、イタリアが含まれている。だが、金本位制への復帰に消極的な英国をはじめ、米国もフランスなどの立場には同調せず、結局この金ブロックも崩壊することとなる。各国は自国通貨切り下げ競争に走り始めた。米英仏の三国は通貨協定を結んで為替相場が無秩序化することを避けようとした。1936年に締結されたこの協定では、米英はフラン切り下げ調整を歓迎すること、競争的な平価の切り下げは行わないこと、貿易制限措置の緩和を求めることなどを取り決めている。こうした協定の背景には自国の為替レートを切下げて経済を回復させようとする、いわば近隣窮乏策による自国経済の救済という目論見が、いたる所で噴出していたことが挙げられるだろう。現在でも日本含むアジア諸国の自国レート安による経済成長が欧米の非難を浴びることが多くなっている。為替調整問題は国際金融における永遠の課題である。この通貨協定は1934年に米国が設定した金1トロイオンス=35ドルという金準備法を拠り所としていた。唯一、金との兌換性を保持した米国ドルが、欧州各国の通貨制度の安定性を目的する協定を可能にしたものだといえよう。そしてこの通貨協定こそが混迷する国際金融を再建するIMF体制につながっていく。IMFは1944年に開かれたブレトン・ウッズ会議においてであるが、それまでの間、世界の金融は全面的な変動相場制となった。
ドル(Dollar)も語源を辿れば、南ドイツ産の「ヨアヒムターラー」と呼ばれる銀貨だといわれている。「ターラー」は谷を表す言葉だが、銀が谷間から産出されたことから銀を指す言葉として用いられるようになった。その大型銀貨を模倣して作ったのがスペイン・ドル(銀貨)である。スペイン・ドルとはスペイン本国の通貨ではなく中南米で鋳造された銀貨のことでとくにメキシコで鋳造されたものがメキシコドルと呼ばれていた。これはペソとも呼ばれていたがその呼称(Peso)と銀(Silver)との頭文字の組み合わせが現在の$マークの起源であるとされている。
米国も英国と同じように金を正貨として流通させるように貨幣鋳造法を改正したり銀行紙幣を発行したが、なかなか通貨制度が整備されなかった。その背景には、連邦・州政府の確執と南北戦争などの国内政治要因が挙げられる。連邦政府は中央銀行的な発想の元で州法銀行券ではなく連邦政府銀行券を流通させようとしたが、州政府の強い抵抗にあって挫折したのである。また南北戦争時には、連邦政府の金の兌換を中止して国法に基づく銀行券(Green Back)を発行し、激しいインフレを引き起こすなかで、徐々に州政府の銀行券を駆使していった。そうした激しい国内での金融権力争いを通じて、漸く通貨制度が収斂していく。だが驚くべきことに金本位制導入にあっても米国の中央銀行はまだ存在していなかったのである。英国中銀が創設されたのは1694年、フランス中銀は1800年、そして日本銀行の設立は1882年である。現在では世界経済と国際金融の要を演じる米国FRBの設立は1913年まで待たねばならなかった。
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