事件の概要は下記に載っているのでご参照ください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E5%B1%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6
あの事件をやったのはね、もしかしたら兄さん(柴田宏ゆたか)かもしれない・・・
亜細亜産業、祖父が戦時中から戦後まで勤めていた貿易会社だ。本社は日本橋室町の通称「ライカビル」の中にあった。業務内容は生前の祖父の言葉を信じるならば「パルプ産業、もしくは貿易業」ということになる。また戦後はGHQ(連合軍総司令部)に家具や文具、日用雑貨なども納入していた。
国鉄合理化に伴う10万人規模の人員整理 リストラ計画
本社側が”整理断行”と出て、熱海の国労大会では”ストを含む実力行使”と強い宣言が発せられても、いまだに実行行為にはいらない慎重な労組の態度に、本社側が労使の立場をこえて親愛感を現したかったのだともいわれている。国鉄の人間関係をながめると幹部といっても出発点では地位の上下もなく、同じ作業衣をきて機関車のハンドルを握り、あるいは駅の改札に一緒に立ち、帳簿をつけた人たちである。いわゆる同じカマの飯を食い、喜怒哀楽をともにした仲間だった。労組と左派と民主化同盟に二分していても、もとの職場では同じ技術屋であり、事務屋で肩を並べた人たちである。下山総裁に限らず有資格の幹部たちは、国鉄にはいったときは全国各地で1年生として現場からたたきあげられ、育てられた人たちとは死ぬまでつきあうという気風ができていた。いわゆる”国鉄一家”の風は、民主化の時代の波をこえ、労使という対立関係をこえて、この危険をはらんだ時期にも、その底に流れていたのである。
現場近くの末広旅館で下山総裁らしき人物が休息したという証言がある。人相、服装がよく似ているというわけで、自殺説をとる人はこの証言を根拠にしている。しかし私は、おそらくこの末広旅館の下山氏は替え玉だと思う。旅館の人も総裁その人を知っているわけではない。この事件は右翼、あるいはアメリカが共産党弾圧の口実を作るためにやったのだという説もある。しかし赤色テロの謀略でこそあれ、アメリカがこのような事件を起こす必要はどこにもなかった。私は下山総裁の死は徒死ではなかったと思う。事件を契機に国鉄大整理も進行、無事終了した。その意味ではこの年は日本の経済が立ち直る契機をつかんだエポックメイキングな年でもあったからだ。
GHQオーストラリア軍のルー・キャメロンという軍人は「ユタカはスパイだった。ショーデン(昭和電工)で汚職事件があっただろう。それを解決したのがユタカだよ。彼はアメリカのGHQの将校とも友達でね。G2(参謀第二部)のウィロビーとも付き合っていた。ユタカは大物だったんだ」
三鷹事件の起きた7月15日は下山事件からちょうど10日後だった。母が事故現場を見に行った16日に、吉田茂首相は事故を「一部の労組であり共産主義者の扇動によるもの」とする声明を発表。検察当局は共産党員による犯行と断定し、「電車往来危険転覆致死」の罪状で党員など10名を逮捕した。これを機に共産党は急激に求心力を失い、ほぼ無抵抗のままに7月21日の9万4300人あまりの大量解雇を受け入れることになる。さらに追い討ちをかけるように、福島県内で松川事件が起こる。機関士など3名が死亡する惨事となった。これも福島県警により「労組左派による犯行」と断定され、東芝松川工場の組合員など20名が逮捕起訴された。(後に全員無罪)

下山事件―最後の証言 下山事件―最後の証言
柴田 哲孝

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