この本は利休切腹の日から時代を遡って書いています。
秀吉の使者がつたえた賜死の理由は二つあった。大徳寺山門に安置された利休の像が不敬であること。茶道具を法外な高値で売り、売僧となりはてていること。しかし、木像は山門重層部寄進の礼として大徳寺側が置いたものだし、茶道具のことなど言いがかりもはなはだしい。
利休の寄進で山門を修築し、重層部に金毛閣ができたのは、一昨年の師走であった。寺側が寄進を謝して、閣内に利休の木像を安置したのは去年のことだと聞いている。それを今になって秀吉が怒っている。先日、聚楽第で秀吉に会ったとき、宗陳は秀吉に怒鳴りつけられた。
「わしは、しょっちゅうあの門を通る。利休の股の下をくぐれというのか」
秀吉の聚楽第には、広い敷地にいくつもの館があるが、池のほとりに建つこの館は三層で、いちばん上にのった摘星楼は、眺望のきく八畳の座敷である。そこに、金箔貼りの床の間がある。金色の壁に淡い墨で、霞の中に立つ富士の山が描いてある。絵師は狩野栄徳。右側だけすそをひろげた大きな富士は、はっとするほど高く、おぼろに霞んでいながら、悠然とすわっている。まことに風韻がよく、品格がある。座敷には三方に窓があり、外の光がよくはいるので、東雲か、あるいは黄昏の薄明かりにながめると、金になんともぬらりとした趣があって富士が浮かび立つ。ふりかえって、窓外の低い空に大きく輝く明星でも浮かんでいれば、まさに星を摘む気分である。天下広しといえども、坐して星を愛でる茶の席など、他にあるまい。利休でさえ、この趣向には感服した。四年前、ここをつくったとき、夜明けに来いと呼んでおいた。折りよく、東山の空が鴇色に染まり、金の床がえもいわれぬ光沢を見せた。
あのときばかりは傲慢な利休が素直にひれ伏した。あの男は、あのときのほかは、冷ややかな眼でしか、わしを見たことがない。だいたいあの男は、目つきが剣呑で気に喰わぬ。首のかしげ方がさかしらで腹が立つ。黄金の茶室といい、赤楽の茶碗といい、わしが、いささかでも派手なしつらえや道具を愛でると、あの男の眉が、かすかに動く。そのときの顔つきの高慢なことといったら、わしは、生まれてきたことを後悔したほどだ。まこと、ぞっとするほど冷酷、冷徹な眼光で、このわしを見下しおる。「--下賎な好み。」 口にはせぬが、眼がそう語っている。ものごしは慇懃である。あの男、手をついて、頭だけは殊勝にさげておるゆえに、ことさら責めたてることもできぬ。されど、内心わしを侮蔑しておるのは明々白々。こころの根に秘めた驕慢が許しがたい。
「茶の湯はな、人の心を狂わせる魔性の遊芸よ。茶の湯に淫すると、人は我を忘れて、欲と見栄におぼれる。名物道具を手にした者は、奢りたかぶり、自分が偉くなったと勘違いしおる。それが名物の魔力よ。」
話ながら、秀吉は口が酸っぱくなった。高値を惜しまず、天下の名物道具をいちばん狩り集めているのは、ほかの誰でもない秀吉自信である。金も銀も蔵にうなっている。兵や鉄砲、名刀、名馬、書画はもとより、美姫も官位も、みんな飽きるほど手に入れた。この聚楽第の壮麗さはいうまでもない。-このうえ、何を欲しがれというのだ。二年前、あまりにも金が余って飽きはててしまったので、金五千枚、銀三万枚を積み上げて公家や侍に配った。その日は痛快だったが、翌朝目覚めたときは砂を噛むような寂寥におそわれた。あんなことをするくらいならたとえ土くれでも、名物茶入を愛でていたほうが、よほどこころの養いになる。
「いうておくが、伝来の名物道具というのは、やはりよいものじゃ。手にした者が、こころを研ぎ澄ますならば、茶入の釉にさえ、宇宙深奥の景色を読み取ることができる。見る者に器量がなければ、ただの土くれよ。名物は持つ者を選ぶということだ。」
何か思い出さないか? そう、裸の王様だ。
「見る者に器量がなければ、ただの土くれよ。名物は持つ者を選ぶ」だって。利休は秀吉お抱えの天才詐欺師か。
忠興の父幽斎は、古今伝授はもとより、有職故実、能、音曲、料理など諸道に通じ、いずれも奥義をきわめている。利休とも親交は深いが、幽斎は幽斎なりの茶の湯の道を歩んでいる。
「おまえは、利休から何を学んだ」
いきなり喉もとに短刀を突きつけられた気がした。
「さて、面妖なおたずね。むろん、茶の湯のこころでございます」
とりあえず答えたが、そんな答えでよいはずがない。
「ちとはましなことを学んだかと思うたら、まこと、凡愚なせがれであった。ちかごろは知るも知らぬも茶の湯とて、侘びの数奇のふりばかりしたがって、困った世の中よ」
立ち上がろうとする父を、忠興はにらみつけた。
「お待ちください。それがしが茶の湯を知らぬと仰せか」
「ならば、茶の湯のなにを知っておる」
そう問われて、忠興は答えに窮した。
「おまえのはただの真似ごとだ。利休にそういわれたことはなかったか」
忠興は喉をつまらせた。たしかに利休にそう指摘されたことがあった-
「忠興殿の茶は、私の茶そのままですから、のちの世には伝わりますまい。数奇とは人と違うことをすること。古田殿などは、わたしの茶と随分違いますから、のちの世に残るでしょう」
新しい創意工夫ができないなら、せめて正当な継承者であろうと忠興は懸命に利休の茶の湯を模倣してきた。
「どんな道でも、上手のなすことを真似るのは、大事と存ずる」
幽斎が首をふった。
「ちがうな。お前は利休に目をくらまされておる。あの男はたしかにたいした男だが、だからといって、おまえが創意を怠ってよいはずがない」
良いお父様ですね。大人になった息子への愛のある厳しさ、感じます。
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