「市場」において、企業家は確率予想のできない危険、すなわち「不確実性」の領域に踏み込むことによってのみ「利潤」
が得られる。なぜなら、事業に関わる危険が、確率予想のできる「リスク」だけであるならば、事業についての収入と生産
費の期待値を上回り、平均的には「利潤」がその事業に見込まれるという場合には、企業間の熾烈な競争が継続するだ
ろう。その結果、収入の期待値は生産費の期待値にまで下がって、平均的には「利潤」は消滅せざるをえないのである。
それに対して、危険についての確率予想のできない「不確実性」の領域に踏み込むなら、企業家は時に「利潤」を得られ
る。なぜなら、「不確実性」の領域では「利潤」についての確率予想は成り立たないから、いかに強力な競争の力をもって
しても「利潤」がゼロまで下がるとは断言できないからだ。経済学者ナイトはあくまでも自分の直感に過ぎないと断った上
で、「企業家は平均的には利潤を得る代わりに損失を被っている」という推測を述べるのである。彼がそう主張する理由は
単純明快だ。「企業家とは、本来、自惚れの強い人間がなる職業だから」
今回のサブプライム危機に際して、日本の経験を欧米の政治家に教訓として伝えたらどうかという意見があるが、その
ようなことはまだ実行されていない。当然である。日本の場合、もともとそれほど大変ではない問題を、政府と金融機関
が隠蔽に走ったために大変な問題にしてしまったのである。その「経験」を欧米の政治家に伝授するなど、恥ずかしくて
とてもできたものではなかろう。今回の場合、シティグループ、メリルリンチ、UBSなど欧米の金融機関のトップは、サブ
プライム関係の損失の責任を取って退任している。その後を継いだ経営者は、前任者の作った損失を引き継いではたま
らないので、前任者の判断で生まれたバランスシートの損失を積極的に公表する。それで損害の規模がわかり、増資
など何らかの手段が取れる
のだ。これに対して、バブル崩壊後の日本では、金融機関トップの交代がなかなか行われず
組織ぐるみで損失が隠蔽された。欧米で確立している「株主重視」の経営基準が、日本ではその当時確立していなかった
ために、経営者の失敗に甘い判断が日本では取られたのだ。
フランス王立銀行総裁にして「大ペテン師」
ミシシッピー・バブル
の舞台になったのは1716年フランスで設立されたミシシッピー会社である。この会社は当初、アメリカ
にある仏領「ルイジアナ」の通商権と開発権を与えられて設立されたが、やがて様々な事業を統合し、今日までも比較する
もののない史上最大の企業に成長する。この会社の実質的支配権を握っていたのがスコットランド人のジョン・ロウである。
2008年6月のフィナンシャルタイムズ紙にジュームズ・マクドナルドという評論家が面白い論説を載せている。サブプライム
は1719年にフランスが発明した」というのである。与信審査もろくにしない、本来価値の低い住宅ローンであるサブプライム
を、トリプルAの証券に仕立て上げるアメリカの金融機関の手法が、無価値な証券を人気のある証券に転換する錬金術を
初めて開発したということではミシシッピー会社がそのさきがけだという主張である。ここで無価値な債券というのはずばり
フランス国債である。ルイ14世が乱費をしたせいで、1714年の公債残高は国民生産の100%を超えていたのである。1715年
ルイ14世の死後、政府は800万ルーブルの借り入れをするために3200万ルーブルの額面の手形を発行しなければならな
かった事実も、それを裏書する。それを人気の証券に転換する。人気の証券とは、ミシシッピー会社の株式であった。人気
株を大量に発行して事業券の買収を繰り返し、やがては中国・インド・アフリカ貿易の権利も買い占めた。煙草の専売権、
貨幣鋳造権、さらにジョン・ロウは、フランス国債残高の全てをミシシッピー会社が買収するという壮大な計画まで発表して
いた
。ミシシッピー会社とはフランスという強大な帝国そのものをM&Aによって丸ごと乗っ取るプロジェクトの「コードネーム」
だった考えていただければ話が早い。一般大衆はミシシッピー会社の株を買い、ミシシッピー会社はそれで得た金を使って
フランス国債を買う。人々が望むならば、フランス国債を使って直接、ミシシッピー株を買うことも認められた。なるほど、この
ほうが手っ取り早い。
強国フランスの買収という気宇壮大な計画を打ち出すことのほかに、ミシシッピー株を人気株にするための絶対の切り札が
ロウにはもう一枚あった。彼はバンク・ロワイヤル(王立銀行)という彼自ら創設した当時のフランスの中央銀行の総裁でもあ
ったので、紙幣の発行を意のままにできたのである。王立銀行総裁としてのロウは、緩和的な金融政策を実行した。つまり
紙幣をどんどん発行して、自分が支配人であるミシシッピー会社の株式が市場で順調に消化されることを援護したのである。
ロウの壮大な計画もミシシッピー・バブルの崩壊とともに崩れ去る。当時の通商はリスクの割りに利益の少ない事業だったし
ロウが残高を全て買い取ると発表したフランス国債は、所詮ジャンク・ボンド以下だった。
金融システムの発展を生かすインセンティブを
問題の根本は金融機関の報酬体系がアップサイドに感応的である一方で、ダウンサイドに対して非感応な点にある。そのために
リスク・テーキングが過剰になされるのである。報酬体系の改め方として、ある金融機関のファンドマネージャーが基準金利を上回
る利益を上げた場合にはその成果に対する報酬をすぐに現金で渡す代わりに、その金融機関の株式の形で渡し、さらにその株式
は金融機関が設ける基金に委託されて一定期間はファンドマネージャー本人による株式の売却が不可能なようにする。そうすれば
もしそのファンドマネージャーの取ったテールリスクが実現して、金融機関が損失を被った場合、その金融機関の株価は下落し、
ファンドマネージャーが自動的に制裁を受ける。
経済学への教訓 価格シグナルは信頼できない
時価会計についての議論は経済学における革命といってよいかもしれない。なぜならこれまでは価格のシグナルに対する信頼が、
経済学にとって、いわば中核的な思想だったからである。その信頼に基づいて時価会計の提唱もなされてきた。もちろん、資産の
時価がファンダメンタルズをそのまま反映したものなら、そのシグナルを送ることは、金融取引を正常にする効果を持つだろう。だが
ファンダメンタルズがどのような値をとるかは誰にもわからず、時価はむしろ、ファンダメンタルズではなくその時点での流動性を反映
したものとなるので、そのようなシグナルの発信は流動性のスパイラルを生む危険性があるわけである。流動性、つまりその経済の
投資意欲に応じて決まる価格シグナルの場合、経済における主体間の行動の調整に役立つものの、その調整の仕方は過度に積
極的、もしくは過度に消極的に傾く傾向がある。なぜならば一部のものが積極的に動く状態では、その積極性が価格シグナルを通
じて他の者にも伝播されるからである。資産価格は、ファンダメンタルズなどという、誰も見たことも触ったこともないものに煩わされず
に、勝手に一人歩きをする
。つまり、資産価格の上昇する局面では、資産価格の上昇がバランスシートの改善や証拠金の減少を通
じて、市場の流動性の拡大を生み、それがさらに資産価格上昇につながる。他方で、資産価格の下落する局面では、資産価格の下
落がバランスシートの悪化や証拠金の増加を通じて、市場の流動性の縮小を生み、それがさらに資産価格の下落につながる。要す
るに上がる時も下がる時も、資産価格はファンダメンタルズとは関わり無く変動するわけである。

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