M資金幻想
昭和44年1969年、、大庭が社長に就任すると顧問の長谷村は以前にもまして社長室に入り浸る
ようになった。そんな長谷村の元へ、アラビア石油時代からの顔見知りで、昭和石油の社長室に
籍を置く、堀井雅彦から電話がかかった。
「低利の500億円の金が用意してあるので借りませんか?」
「どうした種類の金なんです?」
「アラブ産油国の資金がスイスや中東系のイギリスの銀行、アメリカの銀行に預けてあります。」
「そうした話はときどき耳にしますが本当に借りられるんですか?」
長谷村は半信半疑だった。
「お疑いのようですが、この話には新東京国際空港公団総裁の成田努さんもからんでます。必要
とあらば電話させます。」
翌日、成田努総裁から大庭に直接電話がかかり、大庭はすっかりこの話を信じ、大庭の頭に真っ先
に浮かんだのはこれで交際費が思う存分使えるということである。
堀井、成田の紹介で、河野雄次郎なる男があらわれ、500億円の融資申込書と念書を長谷村が
書き、コピーして渡した。もちろん総務部次長を大庭が怒鳴り上げて、社の実印を押した文章だった。
島津家の末裔と称する島津正久なる男、アメリカ大使館員を名乗る男やらが訪ねては、融資の
確認をしていった。
どうやら全日空を信用させるための役者たちだったらしいが、「就任のご挨拶」と称して大蔵省銀
行局長の青山俊なる人物が現れたことによって長谷村は
-----謀られている
とやっと気づいた
。秘書官時代、理財局長だった青山とは面識がある。長谷村は河野に会い、
融資申込書と念書を回収した。
しかし、時すでに遅し。二通の文書のコピーがM資金ブローカー仲間に3000円から5000円で出
回っていた
、長谷村はこれも極力回収し決着した。しかし「全日空は金に困っている」という噂が
ブローカー仲間に広がり、その後も手を替え品を替え様々な話が持ち込まれる。
長谷村はマッカートという名前を聞いただけで胸がときめいた。アラブ産油国資金で失敗したの
にも懲りず、金額3000億円に対し念書を10枚も書いた。
3000億円を30年間年利4.5%で借り、その手数料として0.7%相当額を銀行小切手(無記名)で
支払うといった内容。
当時、全日空の営業収入が400億円、国家公務員上級職合格者の初任給が36000円の時代。
公定歩合が6.25%で、又貸ししただけで儲かる美味い話だった。
代表者印付の3000億円の融資申込書念書コピーがM資金ブローカー仲間・総会屋・暴力団に
出回っていた。この念書のコピーをしかるべき会社の担当者に見せ、全日空に3000億円入れ
ば手数料として21億円もらえるからそれまでの運転資金として100万円なり200万円を出せ

いう活動を始めていた。
顧問長谷村資の山っ気から発した火遊びが原因で、連日のように全日空の秘書室に得体の知
れない男たちから電話が入るようになった。男たちは決まって、「巨額の資金を融資したいので
大庭社長におめにかかりたい」と言うのである。
最終的に、株主総会前の大庭社長辞任で幕を閉じることになった。
【脅しのバイブル】
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