投稿者: 一族エキゾ

オプションの期待値は株より高いと思ってるの?

とある先輩と談義の中で。先輩は現在、株式の運用だけで暮らしている無職(失礼)だが、もともと金融業界というわけではないアマチュアの個人投資家である。アマチュアというのは理解が無い、取引が下手という意味ではなく、プロ=他人の金を動かす、アマ=自分の金を動かす、の区分である。原則、日本株ロングオンリーの健全な個人投資家で、成功なさっている方である。

そんな「株式メガネをかけた先輩」には、オプション取引はどのように見えているのであろうか? それは彼が繰り出したいくつかの質問に集約されている。

Q1.「割安な銘柄の判断は?」
Q2.「ボラティリティの高安の相場観とかあるの?」

そして極め付けが、

Q3.「オプションの期待値は株より高いと思ってるの?

だ。

A1.銘柄って…。確かにあるのですが、オプションの銘柄というのはアンダーライング×期間×行使価格×(Put/Call)、という機械的な存在です。だからS&P500の DEC18 1,800のPutとS&P500のDEC 18 1850のPutという差異はあるけども、株に比べれば没個性的です。でもDEC18のPutとMAR16 2000 Callだとかなり性質が異なるような気がするが…、なかなか説明難しいですね。

株式投資とオプション取引は次元が2つ違います。株式の場合は、売りと買いという0次元的投資判断になりますが、オプションの場合は、株価と時間という平面上に損益曲面を描くので2次元的相場観になるわけです。オプションの銘柄の一つ一つは、平面上に損益曲面を描くためのインストルメントの一つにすぎません。

A2.株式はゆっくり上がって、急に下がるという性質があります。オプション価格は、現値を中心として、その距離で値段が決まるわけですが、同じ距離なら、上昇を期待するCallよりもPutが高いというのが普通です。それが同じ値段なら、Putに割安感、あるいはCallに割高感があるわけですが、そういうプライシングはされません。

A3.株の期待値の規定は難しいが、オプションを含むデリバティブの期待値は、アンダーライングや取引戦略、計算方法によって異なると思うが、99%~99.999%程度と思ってよいだろう。コストをいくらかけるかということよりも重大なことは、オプションの期待値はコストの分だけ、マイナスであるというのが私の答えだ。彼は以前に、


日本株市場をPR

日本の3トップ、株の魅力維持なるか(はや耳)

2016/03/07 日本経済新聞

 日本証券業協会などが米国時間10日にニューヨークで開く「日本証券サミット」に金融庁長官として初めて森信親長官が参加、日本株市場をPRする。これまで金融庁からは参事官らの出席にとどまっていたが、今回は「長官のスケジュールが合った」(日証協)。今年に入って日本株相場は軟調な場面が目立つことが多かっただけに、株式市場関係者からは歓迎の声があがる。
 当日は日証協の稲野和利会長と日本取引所グループの清田瞭グループ最高経営責任者を合わせた「3トップ」が勢ぞろい。日本企業のガバナンス向上や少額投資非課税制度(NISA)など日本株の魅力を発信する。証券業界で「右肩上がりだったアベノミクス相場の潮目が変わった」との懸念も強まるなか、3トップの発信力で海外マネーの関心をつなぎ留められるか――。

新聞記事を額面通りに受け止めるなら、

海外マネーの関心をつなぎ留められるか――。

じゃねぇだろうよ。「日本株の魅力はNISAです」って本当にニューヨークで発言したのかね? ついでに、

株式分割などを通じて、最低取引金額を下げることで個人投資家を呼び込んでます。
株主優待を充実させて、個人投資家を呼び込み、物言わぬ株主を増やして、余計な株主によるガバナンスが働かないように努力しています。
「最近、ROEを経営目標にしました」と日経新聞の一面にも取り上げられました。

まだ言おうか?


2016年 日本に行こう 横浜地元編 5~神社

寒川神社で厄除け
神奈川県下の神社だと鶴岡八幡宮が私のお気に入りの場所なのですが、今回は地元の友人が「厄除けに行くから、お前も来いよ。前厄だろ?」と言われ、私もお付き合いしたくなりました。寒川神社は相模の一之宮神社ということで、神奈川県内では権威。「厄」だとか「神社の格式」とか、こういったことというのは、みんな知っているものなのでしょうかね?
横浜から寒川…電車で移動が基本の私は、「なんだか遠そうだな」と思ってしまいますが、私の友人は車民族です。車だと直線距離に近くなるので、横浜市->藤沢市->茅ヶ崎市と移動し、20-30分程度でした。寒川というのは、茅ヶ崎市ではなくて、高座郡。郡なんて神奈川県にあったんですねぇ…。丹沢だか箱根だかわかりませんが、山がきれいだったので、助手席から撮影。
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俺「ジャカルタと比較して感じるのは、日本は道路の状態が良いんだなぁ。全然ガタガタしない。」
友人「道路じゃねぇ! そういう車なんだよ、ボケッ!」
愛車の性能を道路のお陰と、のたまう俺に対して、かなりムッとしていましたw 車好き友人の愛車より。確かに2014年に長野に行った時に軽カーに乗ったのですが、怖くなるくらいフワフワしてる感じがありました。道路だけの影響ではないというのは間違いないでしょうw
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勝つ投資負けない投資 2/2~社長業

「投機」と「投資」の違いとは?
正解は、投機とは「確率」にお金を投じること、投資とは「価値」にお金を投じることです。パチンコや競輪、競馬などのギャンブルへお金を投じるのは、確率に対してお金をかけている状態であり、一定の確率で勝ち、一定の確率で負けるようにできています。一方で投資とは価値にお金を投じるものです。価値には絶対的なものはなく、需要と供給にとって大きく変動します。需要が大きくなればなるほど、供給が小さくなればなるほど、価格の均衡点は高くなっていきます。

この説明でも良いですね。僕の説明では、
2013.04.04 投資・投機・ギャンブルの違いを述べよ
「投資・投機・ギャンブルの違いを述べよ。」と著者に問い詰めたくなる。正解はないが、どのように答えるかで、その人の考えやこだわりがわかる。私の考えでは、
投資とは、リスク・プレミアムを受ける行為、ギャンブルとは、リスク・プレミアムを払う行為。
投資とは、資産価格で認識する取引態度、投機とは、損益だけで認識する取引態度。
うーん、あんまり一般向けじゃないかなぁ、リスク・プレミアムって概念を当たり前に使っているあたりが…反省ですね。

残念ながら日本では職業としての社長業というものがなく、単にプロパー社員で一番出世した人や、親会社から天下ってきた人が社長になるシステムであるため、社長の能力が要求される基準に達していないことが多く見られます。このため、私は日本株に関しては社長と直接ミーティングをしない限り、その会社へ投資することは基本的にありません。これとは対照的に、米国の場合には社長業のプロがいます。会社の業績が悪化してくると、株主やその意向を受けた委員会がその状況に適したプロの社長を探し出して、組織の立て直しを図ります。プロ社長の前職は、業種業界が全く異なることもよくあることで、電子デバイスの会社の元社長が、百貨店のトップになったり、商社の社長がアパレル企業のトップになったりということが、日常的に起こっています。社長に求められるものは業界の専門的な知識では無く、イノベーティブな組織作りなどのソフト面にあるためです。

最近どうだろう。新浪さんとかソフトバンクの次期社長とか、あっ、あれインド人かw
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勝つ投資負けない投資 1/2~株ドラマ

そんな時期に、偶然に出会ったのが株式投資でした。2005年に、『ビッグマネー!~浮世の沙汰は株しだい~』(フジテレビ)という株をテーマにしてテレビドラマを観たのがきっかけで、僕は相場の世界に入りました。そのドラマを観るうちに、「世の中にはこんなに面白い世界があったのか!」と居ても立ってもいられなくなり、すぐさま証券会社に口座を開きました。その時、僕の手には、バイトで貯めた全財産の65万円が握りしめられていました。

[このyoutubeは削除されました]
このドラマ見た人いる? 酷いドラマでねぇ、見れば、製作スタッフに株を知っている人が一人もいないのがわかる。株価が、40円、60円、35円、16円みたいな瞬間瞬間で飛び飛びの値を取ったり・・・、一番ひどいのが衝撃のラストシーン、「1分前に筆頭株主になりました」って言って株主総会に乗り込んでくるという、あきれ果てて声も出ない。でも、それで「株やってみよう」なんて人もいたんだなぁ…。


国税局資料調査課

「コメ」という部署は、国税局資料調査課の隠語である。マルサと違い、一般人にはまだ知られていない。資料の「料」と調査課の「調」をとって「リョウチョウ」とも呼ばれているが、税理士などを含めた税務の分野ではすでに知られた言葉で、隠語としての価値はなくなった。それで「料」のヘンを指して「コメ」と呼ぶようになったのだ。コメは、マルサとは違いタマリが無くても調査を実行する。蓄積されたデータをもとに調査対象者を選定し、令状なしで(むろん、納税者による承諾の明示が必要とされるが)隅から隅まで調査する部隊である。大型事案では100人を投入することもある。
強制捜査より怖い任意調査
世間ではマルサが税務当局における最強部隊のように認識されているが、徴税に関してはコメのほうが圧倒的に怖い存在である。コメは1週間に一事案を基本に調査を企画・実施しており、増差所得(調査によって把握した所得)、調査件数ともに、職員一人当たりの効果測定はコメが圧倒している。マルサの調査事績は国税庁により公表されているが、2012年度に告発したのは117億円。人員が約300人とすると、一人当たり増差所得は3900万円にすぎない。コメの調査事績は税務署の調査事績の中に混在しており、具体的な数字はベールに包まれているが、一人当たりの増差所得は5億円は下らないだろう。追徴本税に換算すると年間2億円程度になり、マルサの5倍以上だ。マルサとコメとの大きな違いは調査の性格にある。すなわち「強制捜査」と「任意調査」の違いだ。マルサは内偵の結果、「タマリ」と呼ばれる不正計算の裏付け(過少申告した利益に対応する預金、有価証券、不動産など)があった案件しか調査できない。つまり答えがわかっている案件しか調査できないのである。
マルサの「強制」は、国税犯則取締法という法律に基づいて裁判所から令状を取るという後ろ盾があることによるが、コメは令状が無くても調査が可能。しかも「任意調査」は強制調査に対する対義語なだけで、法律上は、納税者には質問に答えたり調査に応じなければならない義務がある。コメは、国税通則法に定められている「質問検査権」という権限に基づいて調査する。質問や検査にあたって、相手方の「明示の承諾」があれば、書類やその他の物件を調査することができる。財政と治安は国の根幹であり、税収は財政にとって非常に重要なものである。調査を受けずにのらりくらりといなされては困るので、調査官が持つ質問検査権はかなり強力になっている。拒否したり、虚偽の回答をした場合には、懲役1年以下などの懲罰規定も定められている。つまり、間接的に強制しているので、「間接強制調査」といわれる場合もある。任意という言葉尻をとって軽く考えている人もいるが、その点は気を付けておくべきだ。質問検査証には、権利が及ぶ範囲が明記されている。例えば京橋税務署と明記されていれば、京橋税務署の管轄しか調査はできない。しかし、コメは、東京国税局長が質問検査証を発行するので、84すべての税務署の管轄エリアを調査できる権限を持っている。税目についても同じだ。例えば税務署の個人課税部門の場合、所得税調査が業務となるので、質問検査権は所得税法に関する調査に限定される。つまり、法人を直接調査することはできない。取引相手を調査する反面調査はできるが、その法人自体を調査対象とすることができない。ところがコメの場合には全税目に対して調査できる権限を与えられているのだ。
世に出ている節税本などに書かれていることを実践しても、大した節税にはならない。極端な利益の低調は、かなり怪しいと感じる。脱税は論外としても、過少申告の動機は限られている。来期以降の不況対策、株主対策、予算・決算を重視する企業においては、事業部の実績捜査のために行われるのが一般的だ。無理な利益調整を行うと、売り上げの伸びと申告所得の伸びに歪が生じる。歪みのある企業に行けば追徴ができ、調査官の成績に加点されるので、優先して選定されるわけである。利益を圧縮する方法は、実はいくつもない。売り上げを減らす。売上原価や経費の水増し、架空経費を作る。それに棚卸資産を減らすという大きく3つほどだ。水増し発注の場合は、協力者が必要になる。本当は1000万円の支払いなのに、3000万円支払ったことにして、2000万円戻してもらうといったように、だ。しかし、調査が入った場合、発注先に迷惑をかけてしまう。ところが棚卸の過少申告は自社だけで完結できる。しかも、棚卸を減らした伝票を入れるだけなので簡単。一度手を付けられたらやめられないわけだ。


ナイスディール

ま、うん・・・一応読んだけど、折り目わずかに2ページだけだった。

蒔田雄一郎がCEOを務めるスパイスクルーズは、インターネット関連のいくつかのお事業に加えて、企業の独立支援をビジネスの柱にしていた。企業に出資して再生支援を行うという点では再生ファンドのような位置づけと言えるが、特徴的なのは労働組合への接点を通じて企業へアプローチする点にあった。蒔田はこれからの企業に経営者はいらないといった。株主はもはや企業経営上の需要な利害関係者ではない。彼らは結局のところ、従業員の利益を損なうことでしか存在しない。企業は従業員のためにこそ最大の貢献をするべきであり、そのために従業員の代表を取締役にすべきである。

この手の小説は読まない方がいいんだけど、冷やかし半分の気持ちで読むと毎度、違和感を覚える点をいくつか。
1.バイサイドとセルサイドの区別がついていない。
バイサイドは個人投資家と同じ、つまり、リスクを取る=株を持つこと、どんな会社かとか収益性が議論の中心だが、セルサイドの話なら、リスクを消すこと、発生したポジションは消すものであって、持ち続けることは無い。もちろん、一時的にとはいえ、保有するから、どんな会社なのかを、全く無視することは無いだろうが、それよりも、誰が売っているのか、誰に売るのか、誰が持っているのか、ということが中心のはずだ。
2.ビジネスに絡む女性が「不自然に」登場する。
そういうロマンスは無い。男しか登場しない。以上。
3.所詮は「村」の話なのに、世界の中心かのような表現
日本市場でも、株は比較的、世界展開できていると思うが、株でもエクイティのデリバティブ、JGB、そしてこの小説で扱っている社債市場に行くにしたがって強度の村社会。市場参加者が非常に限られている小さな小さな世界の話。どのくらい小さいかというと、JGBは発行総額・残高という意味での市場規模はめちゃくちゃデカいのに、誰も見てない。当座預金金利マイナス導入以前の、量的緩和以降、短期の国債はずっとマイナスだったのに、その時は誰も何も言わず、黒田さんの「マイナス金利導入」という単語にのみ、異様に反応していることからもわかるだろう?


自社株買いは効率の良い株主還元か?

「ROE」という標語にとらわれている感、満載の低レベルな記事。

5期連続自社株買い、ヤマトHD、来期100億円超、ROE底上げ。
2016/02/23 日本経済新聞
 ヤマトホールディングスは2017年3月期に5期連続の自社株買いを実施する見通しだ。100億円超の規模とみられる。自社株買いで株主還元を強化し、資本効率を高めて自己資本利益率(ROE)を底上げする狙いだ。
 収益環境は楽観を許さない。インターネット通販市場拡大という追い風はあるが、17年3月期は協力会社に払う運送費の高止まりやパート社員への社会保険の適用拡大などが収益を圧迫。純利益は伸び悩む公算が大きい。自社株買いで自己資本を減らし、1株あたり利益を増やすことでROE上昇につなげる。
 ヤマトHDは年間配当に自社株買いを足した額を純利益で割った「総還元性向」で50%以上を目指している。17年3月期の年間配当は100億円強になるとみられ、総還元性向を50%以上にするには100億円超の自社株買いが必要になる。
 中期経営計画では最終年度の17年3月期にROEを9%に高める目標を掲げるが、足元のROEは7%前後と、乖離(かいり)が大きい。目標に近づけるため、来期の自社株買いは数百億円の規模になる可能性もある。15年3月期は約300億円実施、16年3月期も約500億円分の枠を設定済みだ。

> 自社株買いで自己資本を減らし、1株あたり利益を増やすことでROE上昇
自己資本減るってのは正しいけど、1株あたり利益を増やすことでROE上昇?
ヤマトってそれなりの大きな会社だから、見るまでもなく、PBRとか標準的なレベルの株価だと思うの。例えば2倍としよう。
新聞記者でもわかる、「簡単・株教室」やってやるよw
いま仮に資本として現金を100を入れたペーパーカンパニーを作ったとしよう。
PBR2倍で発行済み株式の40%を買い取ったらどうなるか?

現金20、株主資本20の会社になるだけだが、一株あたりの純資産1/3になっちゃう。PBR2倍で一定だとしたら、元の株価の67%、33%の株価の下落を引き起こす株主還元策ということになる。
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PBRが1倍以上だったら、自社株買いはすべきでない、と言ってるわけではないのよ。上の記事で株価だとかPBRって一切意識してないでしょう? 配当は現金だから綺麗な株主還元で良いと思うけども、自社株買いも会社のカネ使ってやるんだから、「会社としての事業・投資の一環」で、それが果たして、効率的で良い買い物かどうか、というのは株価による


国債金利のマイナス誘導は増税

銀行の預金金利や住宅ローン金利が下がることで、国民生活にも影響が・・・、という論調ばかりなのだが、日銀の当座預金金利よりも、国民の生活に影響するのは、国債の金利がマイナス状態で維持されることが、見えない税になりうるという解釈が全くないことに違和感を覚える。
などと原稿を書いていたら、2月25日付のブルームバーグでようやく、その論調のニュースを発見した。
借金王の日本政府にマイナス金利の恩恵、入札で超過収入520億円
2016/02/25
http://www.bloomberg.co.jp/news/123-O31MJ56K50Y001.html
新聞はもっとひどいか。なんでもかんでも「マイナス金利」のせい。初の「金利がマイナスの世界」とも書かれているが、短期の国債は随分前(日銀の量的緩和以降)からずっとマイナスで維持されていた。ってことは知ってる? って次元が多いか。それにしても10年国債金利の下落っぷりは激しく、驚いたわ。
すごいなぁ・・・。10年国債金利のチャートでも良いかもしれないけど・・・。
http://www.bloomberg.co.jp/markets/rates.html
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利払費と金利の推移
https://www.mof.go.jp/tax_policy/summary/condition/005.htm
金利と同じことだが利払費の推移がすごいと思うんだが・・・。このまま下がり続けると・・・、国債金利はマイナスになり(ってすでになっているのだが)、10年後くらいには、利払費が受けになり、歳入の部に計上されることになるぞ。このグラフも金利をマイナスまで用意していないようだし、その頃にはこの情報も見れなくなっちゃうのかな…。
「国の借金は次世代への負担」という論調は今後は止めて、「国債債務残高は将来の税収源」にすれば良いんじゃないかな。この超楽観視してよい日本の国家財政を、


紛争と難民 緒方貞子の回想 5/5~難民発生の根源

明るみに出た虐殺の実態
1996年10月以降に行われた殺戮及び残虐行為には、ザイール国軍(FAZ)と傭兵、旧ルワンダ政府軍(FAR)と難民キャンプ出身の民兵、そしてカビラが率いるAFDLとルワンダ政府軍(RPA)という、三つの集団がかかわっていた。殺戮や残虐行為の内容や規模は集団によって大きく異なっていた。AFDL部隊および同盟を組むRPAは、民間人や難民に対し大規模な殺戮を行った。AFDLの行った殺戮と残虐行為にRPAも関与していたことが明らかになると、アメリカ政府は立場を変えざるを得なくなった。忘れてはならないのは、アメリカはフツ系難民が多数を占めるザイールの難民キャンプに人道援助を行う一方、RPAと南キヴのツチ系バニャムレンゲの軍事訓練や軍事支援にも手を貸していたという事実である。アメリカ軍による軍事訓練がRPAとAFDLの軍事能力を高めており、もはや暗黙の政治支援や軽度の治安維持支援の域をはるかに超えていると広く思われていた。人道的な地雷除去と訓練プログラムを隠れ蓑に、より積極的な軍事支援が行われていたと考えられていた。
RPAの関与について国際的な監査が進むにつれ、アメリカの政治・経済・軍事面での支援が問題になった。アメリカはルワンダ政府を支持したが、これはカビラ率いるAFDLを支援したことになるだろうか?下院公聴会でのクリストファー・スミス下院議員の質問や、「人権のための医師団」の証言に対して、アメリカ政府はルワンダへの軍事支援の重要性を否定しようとした。人権問題調査チームがカビラによる妨害や活動の制限によって、任務遂行上の困難に直面すると、アメリカは調査に賛成し、これまでに行われた大虐殺の責任を追及する、という立場を取り始めた。
アフガン難民
1970年代末から23年間、アフガニスタンはずっと戦場であった。国際社会がこの国の平和と安定を確かなものとするためにようやく支援に乗り出したのは21世紀になってからで、アメリカを襲った同時多発テロの余波のさなかであった。アフガニスタンから膨大な数の難民が流出する事態を引き起こした様々な紛争は国内問題に起因するが、外国の介入が国内紛争を一段と激化させた。米ソ両超大国の冷戦対立はムジャヒディーン(イスラム聖戦士の意)などのイスラム抵抗勢力による熾烈な武装闘争に火をつけた。ソ連軍はムジャヒディーンの激しい抵抗にあい、撤退するとアメリカはアフガニスタンに対する関心を失っていった。タリバーン勢力の台頭は一部の地域を平定したが、厳格で抑圧的な統制を強めたため、国民生活は悪化の一途をたどった。また、タリバーンの支配はアフガニスタン周辺諸国の関与を強めることになった。なかでもとくにパキスタンはタリバーンを支援することで影響力を著しく強めていったのである。
終わりの見えない戦争の惨禍と、泥沼化したアフガン問題を解決しようとする国際社会の関心は薄れてゆき、アフガン国民は苦難の中に取り残されていった。1978年に共産党が政権を掌握するとアフガン国民は国を離れはじめ、1979年末のソ連軍の軍事侵攻後には大規模な難民流出が起きた。推定では1年間に630万人が周辺諸国へのがれ、そのうちパキスタンには330万人、イランには300万人が避難した。ソ連軍が撤退を開始した1989年2月から91年末までに、およそ30万から40万人の難民が故国に帰還した。その後、92年4月にカブールの共産主義政権が崩壊すると、最多の難民がいち早く本国に帰還、その数はパキスタンから120万人、イランからは20万人に達した。その後も期間は続いたものの人数は減少していった。96年9月にカブールが陥落し、タリバーン勢力が政権の座につくと、新たに5万人の難民が生じた。そのうち80%はカブール出身者であり、さらに30万人の国内避難民がアフガン北部と東部の戦闘から逃れていった。アフガン難民が置かれた状況はパキスタンとイランでは大きく異なっていた。パキスタンに逃れた難民の多くはパシュトゥン族で、この民族が多く住む地域を中心に非難した。難民の3/4は女性と子供で、ソ連と共産主義の信仰の犠牲者を対象にした豊富な資金源のお陰で、国際機関や数多くのNGOが提供する十分な医療・教育支援を受けていた。それとは対照的に、イランに逃れた難民は、タジク人、ウズベク人、ペルシャ語を話すシーア派のハザラ族で、そのうち60%は成人男子であり、イランの労働力を担っていた。イランに滞留した難民に対する国際援助は非常に限られたものであった。1979年のイスラム革命以降、イランの新イスラム政権と西側諸国は緊張関係にあったからである。

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日本の厳しい冬、10年ぶりに風邪ひいた

37~38度の熱が出まして、かれこれ5日(長い、ツライ! 退屈だ! )も実家に引きこもっています。本来、親を介護するために帰ってきても良いような年齢なのに、この年で親に介護されるとは、不本意極まりない、情けない。(幸い、両親ともに健康なので、介護の必要はないのですが) インフルエンザが流行っているということなので、調べてみたら、インフルの場合は、風邪と症状が似ているが、熱は急速に38度超になるということなので、それも違うっぽい。単なる風邪でしょう。
原因は、母が旅行に出かけたこと、です。 ハハハ、どこまでマザコンなんだって? 俺の推論過程の最終地点なんだ。でも時系列的には、そこが起点だ。日本に帰ってきて、すぐに風邪をひいたなら、単に日本とシンガポールの気候の差に体がついて行けなかったということなのだが、毎年、冬に帰ってきてるし、日本についてから数週間経った後で風邪をひいたのだ。
母が旅行に出かけた。
母はいつも実家の1階全体に暖房を入れているが、電気代がもったいないと思い、私は全部切ってコタツだけで寒さをしのいでいた。
東南アジアは暑いので、髪を洗った後、真面目に乾かす習慣が無い。コタツは足元だけで室温が寒いので洗い髪が真まで冷えた。
2016年冬の日本で得た教訓 (来年以降も実践します)
暖房は必要、ケチらずちゃんと使いましょう。
髪はドライヤーできちんと乾かしましょう。
4~5つのアポイント全部ドタキャン。皆さん申し訳ありませんでした。せっかく楽しみにしていた皆さんとの久しぶりの会合やお食事が流れてしまい、歯がゆい。風邪ひいて寝込むなんて何年ぶりだろう。シンガポールで体調悪くなったことはあるけど、風邪ひいたこと・・・、記憶の限り、ない。ということは少なくとも8年ぶり。シンガポールでは体温計も持ってないんでね、熱があったとしても体感で計るしかないんだが、酒とたばこがまずくなるから、なんとなくわかる。


紛争と難民 緒方貞子の回想 4/5~難民の定義

第三章 アフリカ大湖地域における危機
アフリカ中部の極小国ブルンジとルワンダは、2つの大国、ザイール(現コンゴ民主共和国)とタンザニアに挟まれた内陸国である。
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> この地図上の位置だけで、海を奪われた大国の緩衝地帯。悲惨の運命が待っていそうな予感がする。
国土のほとんどは丘陵地で、人口密度は高い。人々は同じ言語を使い、文化を共有しながらも異なる部族、とりわけフツ族とツチ族の二大集団によって構成されている。旧宗主国はツチ族の長を通じて間接統治を行っていた。しかしながら、独立が近付くにつれて、多数派のフツ族は旧来の統治方法に対してますます挑戦的になり、政治的・社会的地位や権力を要求するようになっていった。1961年にフツ族が弾圧的な共和制を樹立すると、おびただしい数のツチ系住民が周辺諸国へ逃避した。1960年代初頭までに、ルワンダから15万人がザイール、ブルンジ、ウガンダ、タンザニアに流出した。1990年の時点でもなお難民だと名乗る人は、概数で60万から70万人にものぼっていた。難民に加え、多数のルワンダ人が、隣接するザイール東部のキヴ地方に移住した。
国内はフツ系とツチ系に分断され、深刻な政治的対立が続いていた。政権の座に就いたのはフツ族であったが、軍を掌握していたのツチ族であった。1993年10月21日にブルンジ政府軍がクーデターを起こし、ンダダイエ大統領が暗殺されると全土に暴動が広がり、5万人を超えるフツ系住民が殺害されたうえ、70万人を超える難民がルワンダ、タンザニア、ザイールへ流出した。
ジェノサイドと難民の避難
ルワンダでジェノサイドが起きると、フツ系住民は大部分が周辺諸国に逃れた。最初の集団は1994年4月末に国境を越えてタンザニアに流入した。その数は25万人にのぼったがUNHCRはこれには何とか対応することができた。難民の多くはキブンゴ州のフツ系農民であったが彼らは殺戮から逃れてきたのではなく、かつてルワンダ東部で起きたツチ系住民の殺害に関与していたため、ルワンダ愛国戦線(RPF)部隊が到着する前に脱出してきたのである。そのなかには、かの悪名高いムランビ市長であるジャン・バプティスト・ガテテが紛れ込んでいた。彼はかつてルワンダで起きた大量殺戮の首謀者であった。UNHCRはこの人物をベナコ難民キャンプからタンザニア警察の拘留所に移送しようとしたが、大きな抵抗にあった。5000人ほどの群衆がキャンプを取り囲み、ガテテの釈放を要求したのである。この暴動事件は難民集団の複雑な性格を示すもので、難民は大部分が、RPFの到着を阻止するために政治行動や犯罪鋼を犯した集団に属していた。この時代は、現場で活動する人道援助要員の安全を確保するにも、難民の活動を抑えるにもタンザニア警察の能力には限界があることを示すものであった。
> 虐殺加担した後で逃げた人は、果たして「難民」なのか?


紛争と難民 緒方貞子の回想 3/5~領土問題への介入

1993年2月17、私は声明文を発表、「通行妨害を受けている輸送体を基地に戻し、セルビア人勢力支配化のボスニアにおけるすべての救援活動を直ちに停止する。サラエヴォにおけるUNHCRの活動を全面的に一時停止し、包囲下にあるこの38万人都市には最小限の要員だけを残し、ほとんどの職員を引き揚げる。サラエヴォへの物資輸送及び空輸を一時停止する。UNHCRの活動が継続できるボスニアの地域ではUNHCRの救援事業を規模を縮小して維持する」「政治指導者側が援助の再開を要望し、輸送体の通行を妨害しないと保証するなら、即座に再開する」
メディアの論評は、私が決定を下す前に事務総長と協議すべきだったとするニューヨークの外交官や国連職員の批判的な見方を反映したものであった。「事務総長と事前協議せずにボスニアにおける援助活動を『現地での活動上の理由で』一時停止するという、昨日のあなたの声明を懸念している 安全地域を設置することによる将来の領土分割への影響
安全地域政策の矛盾
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私を最も驚かせたのは、オルブライト米国連大使が、安全地域はボスニア共和国領土の基礎となると言及した、次の発言であった。「領土が無い国家は無い。こうした安全地域の設置を通して我々が試みようとしていることは、これらの安全地域をいずれはボスニア国家となる地域として確立することである」。ボスニア紛争の人道問題に没頭していた私は、安全地域をこのような意味で見たことは無かった。領土問題は和平協議にとって重要であることは理解していた。しかし、人の命はどうなるのであろう?
安全地域政策は軍事作成上の位置づけであると同時に、対立する政治的利害の産物でもあった。戦争犠牲者を保護する人道的手段としては、政治的かつ軍事的打算と決定に左右されるものであった。ボスニア政府とその支援者にとって、安全地域は来たるべきボスニア国家の領土分割を軸とした政治解決の担保にするものであった。またボスニア政府にとっては、セルビア軍の陣地へ向けて発砲する場所でもあり、自国の軍隊が休息し、訓練し、装備する場所でもあった。セルビア側は安全地域をボスニア東部を支配下におさめるために制圧すべき軍事攻撃の対象と考えた。


紛争と難民 緒方貞子の回想 2/5~対立する利害

クルド難民
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UNHCR内には、難民が逃れ出た敵意に満ちたイラク国内にまで難民保護の範囲を拡大することに、深刻な懸念があった。また、庇護の代替として安全地域を設けることに強く反対する者もいた。さらにイラク国内における我々の活動拠点の存在が、周辺諸国に難民の庇護を拒否する口実に使われることが心配された。こうした前例ができてしまうと、UNHCRの基本的な難民保護のマンデート、すなわち本来の任務に弊害をもたらすかもしれない。しかも多国籍軍諸国が採択した緊急措置に異を唱えることはそもそも難民保護と援助を目的に設立されたUNHCRが、その任務を自ら否定する結果にもなりかねなかった。UNHCRは自国の外にあって、人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であること、または政治的意見を理由に迫害を受けるという十分に理由のある恐怖を有するために、自国へ帰還できない人々を保護し援助する任務と権限を与えられていた。つまり、自国内で住んでいる所から追われた人々は法的に定義された、国際的な難民保護の枠組みの外にあると理解されていた。各国は迫害される恐れがある状況下に難民を送還してはならないとする義務はあるが、庇護を与えることを強制されるものではなかった。クルド難民問題は、UNHCRの難民保護の任務にとって、厳しい試金石となったのである。国境内では任務を行使しないという報的命令を守り、越境を阻止されている人々への援助を控えるべきなのか、それとも、より現実的な人道的立場から、できる限り援助の手を広げるべきなのか? 難民支援をトルコ側から行うとすれば、トルコから国境を越えて難民を平地へ移さなければならない。ところが、地形的に平地はイラク側に広がっていた。イラク北部に安全地域を設けるという構想は、犠牲となった特定の民族集団のために、紛争に介入するという先例となった
> 国連同様「国内問題」では動けず、「国際問題」である必要がある。
第二章 バルカン紛争における難民の保護
> 物資の輸送と護衛。護衛は軍事介入?
空輸機撃墜の衝撃
空輸はサラエヴォ市民に不可欠の救援物資を運んだが、食糧、多目的ビニールシート、毛布といった生活必需品の配布から次第に都市の暮らしを便利にするものやサービスの提供へと拡大していった。例えば、郵便の輸送、新聞用紙の輸入、政府要人の輸送、そして病人や負傷者の避難も請け負った。陸上輸送隊もディーゼル油、薪、石炭などの燃料を運搬した。サラエヴォ市民はUNHCRを頼りにし、特に空輸は、国際社会がサラエヴォを忘れず、見殺しにしないというメッセージであると受け取っていた。
しかしながら一方で、メンデルーチェ特使は我々が直面している本質的な問題を私に警告した。「UNHCRはボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエヴォを統治・管理できないことをはっきりと公言すべきです…。サラエヴォの生命維持の問題は単なる救援問題ではありません。ある勢力は他の勢力の支配地域に救援物資が運び込まれるのを見たくないという理由で、輸送を阻止しているのが現実ですRead More


日経レバ2(1570)アンダーライングのフォワードのバリュエーションについて

最近、日本市場では日経レバ2のETFが売買代金トップとなっているようだ。市場としての品位と参加者の質がうかがいしれる状態だが、フォローするならば、デリバティブと株の損益通算ができないという税制も、日経レバ2の流動性を後押しする要因となっているだろう。
規模が大きすぎて、1570の先物売買が市場を左右することもあるらしいが、今回はその話ではなく、
1570のフォワードそのものがいくらで取引されるべきか? という哲学的w な問題に切り込もう
「フハハ。フォワードなのにガンマありそうだな。面白い話題だとは思うが、これを論じたところで理解できるヤツがおらんだろう」 という私に対して
「10人くらいは居るんじゃないですかねぇ? 正解は無いと思うのですが、1570アンダーライングのデリバティブをブックしてみれば、どう管理するかは必ず対処はしなければならない問題です。この話題の供給者はゼロなので、たとえ10人しか理解できる人がいないとしても、需給のバランスは良いはずです」
と説得されたのでw 一筆書いてみることにしよう。
1570アンダーライングのデリバティブを1570アンダーライングとして認識する、すなわち1570でヘッジする場合は、
分配金のみをキャリーコストとして差し引いてフォワードを計算することになろう。ただ、1570は中身が先物で配当が無いので、分配金も存在しないようだ。
しかし、ポジションが大きい場合、これではあまりに不本意すぎる…というのがトレーダー諸君らの悩みどころだろう。
1570アンダーライングのデリバティブを日経225アンダーライングとして認識する、すなわち先物でヘッジする場合について考えていこう。
日経225のキャッシュプライスSに対して、まず考えると
ドリフト項:リスクフリー×2-配当率×2-信託報酬
拡散項:2σ
信託報酬も引いてよいと思う。だが、問題は、既に当ブログでも取り上げている日経レバ2が本質的に持つガンマロング性の評価をドリフト項にどう加えるかである。
2014.04.25 素人がハマっている必負法 1/3 ~日経レバ2の行く末
日経225のボラティリティ、ここではインプライドボラティリティの解釈で良く、それをσとする。運用会社はデイリーでリバランスするので、 簡単なケースとして、ある日+1σ、次の日-1σ動いたときの、引け値で取引したと近似してポジションと損益を実際に計算してみよう。

株価	ポジション
1	2 
1+σ	2+2σ
1	2

1日目の損益は {(1+σ)-1} × 2 = 2σ
2日目の損益は {1-(1+σ)}×(2+2σ)= -2σ-2σ^2 2日間の損益は-2σ^2となるので、1日あたりの損益は-σ^2となる。
では、連騰相場

株価	ポジション
1		2
(1+σ) 	2+2σ
(1+σ)(1+σ)

2日目の損益 {(1+2σ+σ^2)-(1+σ)}×(2+2σ)=(σ+σ^2)×(2+2σ)=2σ+2σ^2+2σ^2+2σ^3=2(σ+2σ^2+σ^3)
次、続落

株価	ポジション
1		2
(1-σ) 	2-2σ
(1-σ)(1-σ)

2日目の損益 {(1-2σ+σ^2)-(1-σ)}×(2-2σ)=(-σ+σ^2)×(2-2σ)=-2σ+2σ^2+2σ^2-2σ^3=-2(σ-2σ^2+σ^3)
連騰と続落の場合の2日分の損益を足せば、8σ^2、一日当たり+4σ^2となり、連騰や続落相場では有利に働く効果がある。
これをn日分、50%-50%でやるのかリスク中立確率でやるのかは諸君らに任せるが、これだけ引けばいいんじゃないの?
連騰相場では1570の持つガンマロング性が、S^2のPower Forwardのごとくに効いてくるので、デルタヘッジをしているトレーダーを悩ませているポイントは、Forward値よりも、このデルタエクスポージャーのブレにあることだろう。書きながら思ったのだが、その観点ではS^2のデリバティブとして処理するのが一番楽かもしれないな。


紛争と難民 緒方貞子の回想 1/5~人道問題に人道的解決なし

1991年2月から2000年12月までの10年間、私は国連難民高等弁務官として世界の難民と救済に専念した。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)に求められたのは、難民や国内避難民、さらに被災民まで網羅した人道救援活動を主導し、かつ調整する役割を担うことであった。
世界の辺境にあって難民の救済にあっていた私およびUNHCR職員一同に対する日本の支援に心からの謝意を表したい。財政的には、日本政府は任意拠出によって賄われている事業経費において、アメリカに次ぐ第二の大口拠出国(ドナー国)となっている。外務省は高等弁務官の補佐官として優れた幹部職員を次々と派遣し、密接な協力を続けた。また、環境庁は、難民キャンプの設営に伴う大規模な環境破壊の防止と復旧をはかりたいという私の要請に応え、三代にわたって有能な技官・行政官を派遣し、事務所の環境対策の確立に大きく貢献した。
とはいえ、難民支援活動の中で、今一つ積極的な進展が見られなかったのは、庇護を求めて来日する難民への対応である。インドシナ難民の受け入れに当たっては日本政府は1万人の枠を設け、東南アジアに出向いて日本への受け入れをはかったこともあったが、その後、個々に来日して庇護を求める人々に対する条約の適用に当たっては、人道的配慮に基づく制度の透明な運営がいまだに確立されておらず、まだ満足すべき成果を収めるに至っていない。UNHCRに赴任する際、「日本は『人道大国』としての地位を占めてほしい」と私が語ったことが伝えられている。グローバル化が進み、相互依存が深まる今日、自分の村、町、あるいは国から追われ、悲惨な状況にある人々を放置し続けることはできない。


2016年 日本に行こう 横浜地元編 4~ウォーキング@横浜

山②
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カブをまく時に使える、山と階段のセットです。カブって株式投資とか白いカブじゃないですよ。良いですね? 使用頻度の高かった、山と階段の「カブまきポイント」であった「山①」は、なんと山が切り崩され住宅が建ってしまっているので現在はありません。この年で「カブをまく」こともないwので山①が無くなったところで困りはしないのですが、気分は少し寂しいです。
底なし沼
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立ち入り禁止区域です。周囲はだいぶ変わりましたが、沼本体は、まだあります。この周辺の田んぼで、ザリガニ、アメンボ、ヤゴなどが取れ、水カマキリやタガメ、ゲンゴロウというレアアイテムを持っていれば英雄です。その周辺の田んぼは消えてしまって現在はありません。
クイズー! ここどこだ? 横浜市民ならわかるかな? 難しいかな? 横浜在住の後輩に聞いたら一発であててました。
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うーん、昔なら気にならなかった、鉄塔と電柱と電線がどうしても目に入るな・・・。


2016年 日本に行こう 横浜地元編 3~ウォーキング@横浜

しかし、このブログ神奈川県の読者なんているのかねぇ?と思い、グーグルアナリティクスで調べてみると・・・、国別日本85%の中のさらに内訳では、東京40%、大阪12.5%、神奈川10%の3位でした。シンガポールのアクセスが全体の4.5%だから、神奈川県民の8.5%はシンガポールより多いようです。そうかそうか、意味あるな。
日本でもウォーキングをしてみた。シンガポールと比較し、歩いていて思うのは、
1.日差しが弱い。
2.電線がある。
冬の日本は、日差しが弱く、任意の時間でもウォーキングを開始できます。シンガポールの場合、かなり日差しが強いので、日陰を選んで歩くか、日中16時以降という制約があります。私の地元は、シンガポール同様、かなり歩きやすく道が整備されていて(って日本では当然ですが、バンコクやジャカルタのように異様な交通量ではないという比較の意)、どこへ行くのも歩きでOKです。また、日本では当たり前の風景であえて注視することもなかったのですが、シンガポールのウォーキングに慣れていると、電線やそれをつなぐ鉄塔の存在が珍しく、無駄に上を向いて、鉄塔から鉄塔、電信柱から電信柱、電線から各家庭に、線がつながっている様子を確認するという奇行が…。日本でも新しい街では、剥き出しの電線なるものは消えているのでしょうが、私の近所では、変わらず電線があります。

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何十年も前にジョギングしてた頃から最初にのぼる坂です。写真で見ると観測できないほどですが、自転車でたちこぎしなくてもかろうじて登れるくらいの傾斜はあります。ジョギングの場合、この坂を上りきったところで、息が切れてくるくらいの上り坂です。
高所
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坂を上って、さらにもう少し歩くと、高台に出ます。多分、この近所半径1km以内では最も高い所です。遥か昔に朝のジョギングをしていた時に、ここに人だかりができていて、何かと思ったら、元旦の初日の出を見ている民の集合でした。この向きがちょうど東向き(南東向きくらいかな)です。電線は見えるとして、遠くに小さく鉄塔が立っているのが見えるでしょうか?
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今度は逆向き、北西方面。ここからざーっと下って谷になっていて、また坂で山になっている様子です。どちらの方向にしてもマンションがあまりになく、一軒家が多いのがこの地域の特徴です。建築物としての一軒家も日本っぽい。家も時代とともに変わっているとはいえ、日本の特徴がありそうですが、建築ってまったく知らないので、文章で表現することができません。


2016年 日本に行こう 横浜地元編 2~美容院

美容院で髪を切る。縮毛矯正+カットです。縮毛矯正3年目なので髪が痛むせいか、薬を弱くしているっぽく、矯正効果が初年度に比べて薄いような気がしておりますが、櫛が通るようになるので、まぁ、良いでしょう。
2014.03.17 日本全土落下傘計画 九州編 1/8~日本の買物
2015.05.14 円が安い、そうだ、日本に行こう 3/4~美容院で縮毛矯正
去年は、「かっこよくしないでください。今の怪しさを残して、整える程度でカットをお願いしたい」とだけ言って、ばっちりキモい感じに仕上がったのですが、今年は少し変えていきたいと思いました。
うーん、いいですね。
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2016年 日本に行こう 横浜地元編 1~通信事情

羽田より日本入り。夜の羽田便、前は眼下に広がる大都市東京の凄さ(国内比較で言ってるのではなく、グローバル比較でも、無限に広がる如くの都市の光)に圧倒されたのが、今回、大したことは無かった。曇り空ということと、飛行機の経路に依るところもあるのかもしれない。
またもAir Asiaからクアラルンプール経由で羽田なのだが、KLのP Gateを一度くぐると、喫煙スペースがなく、脱出不可能なので、これは注意が必要だ。可能な限り、喫煙スペースのそばで待ち、最後の一服をしてから移動するのが良いだろう。クアラルンプールで3時間待ちだったのだが最初にすぐ一服してしまったので、搭乗時間にはすでに最後の一服から3時間近く経過。これから6時間フライトだというのに、乗る前にすでに禁断症状で苦しい…ゴホッゴホッ、やはり禁煙は体に悪い…。
シンガポールのチャンギ空港の半額で食べられるクアラルンプールのバーキン。このためだけにリンギットを持っているのがドケチ=グローバルアービトラージャーの基本だ。
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タバコはP-Gateに入ったら吸えない。P-Gateに入るのは搭乗時間30分前で十分! 繰り返し、二度と同じ過ちを繰り返さないようにしよう。このAir Asia KL経由羽田便は値段も安く便利なので、また使うこともあるだろう。
羽田に着いたら喫煙室に駆け込んで一服。う~~~ん、一箱3SGDのセブンスターがしみるぜぇ。タバコの毒は0.1秒で脳に到達するというのはまた実感だ。スパッと吸った瞬間に、禁断症状(私の場合は胸がつっかえるような症状)がぶっ飛ぶ。喫煙室の前にハングル文字を掲げた若い女性たちがいっぱい。従軍慰安婦じゃねぇなw 韓流スターが羽田に来ていたのだろうか?(1月25日22時過ぎ)
羽田から横浜まで、近い! 8分ほど駅で待ったが、成田の1時間待ちに比べれば全然許せる!
バスを目の前で逃したので、重い荷物を持ってはいたが、また歩き。これ去年もこの展開だったような…。
ショッキングな忘れ物をしたことにKL空港で気づいていた。Surface(タブレット)の電源アダプターをシンガポールの部屋に置き忘れてしまっていたのだ。バッテリーに限りがある。明日の朝一で買いに行かなければならない…。
ヤマダ電機に電話「パーツ売りは取り寄せになる」とのこと。
ヨドバシカメラに電話「横浜店に在庫はないが、上永谷店なら在庫がある」「今すぐ取りに行くから、取り置いてください。」
正規品9200円、高いなぁとは聞いていたが、ヨドバシカメラに行くと、「汎用品が出ていたので、こちらなら5100円ですけどどちらになさいます?」 迷わず、「汎用品で」w 信頼のヨドバシ!
「さっきヤマダ電機に電話したらパーツ売りは取り寄せって言われたんですがねぇ…」
「そりゃ、品揃えが違いますから…」 とあきれ顔の店員。
ヤマダ電機とヨドバシカメラって品揃えが違うようです。そこも、信頼のヨドバシ!
「プリペイドのシムカードも買いたいんですが…」
ぐわー、100種類くらいあって、わけわかんねぇ…。
「2か月くらい日本にいる。もうちょっといるかもしれない。だから途中でチャージできるタイプが良いんですが…」
「チャージ高いので、データ通信なら新規で買ってしまうのも手かもしれません」
う~ん、なるほど。容量MAX使い切ったり、延長したい場合は新規で買えばいいのか! 顧客目線、利用者目線で回答いただけるのが素晴らしい。とにかく高いものを売り、売ったら最後、逃げることしか考えないシンガポールとは全然違う。シンガポールの電気屋で店員に質問したくないもん俺。「お前に聞くくらいなら、自分で説明文読んだ方が早いわ」っていう低レベルのバイトさんしかいねぇからね。そこらへんがヨドバシカメラの店員はレベルが違う。さすが、信頼のヨドバシ!
ちなみに、通話できるプリペイドは2016年1月をもっても、まだ無いそうです。データ通信は不思議なことに去年の春から許可されたとのこと。それは嘘だ。去年の2月くらいには俺、データ通信のプリペイドシムカード買ってるはずだ。にしても「遅れてる」というよりガラパゴスな制限しすぎだよなぁ…。Prepaid SIM for Japan Travelって書いてあって、英語の説明書までついてるよ。そりゃそうだよな、これから東京オリンピック、2020年までにはなんとかしないと「通話できるプリペイドシムカード売ってないの? 日本は先進国って聞いていたけど…」と世界中から笑われてしまうぞw


GPIFデリバティブ解禁かお悩み中? 2/2 プロ向け曲解

株の自主運用認めず、GPIF巡り社保審、政府・与党で最終判断へ。
2016/02/09 日本経済新聞
 公的年金を運用する年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)に株式の自主運用を解禁するかを巡り、厚生労働省の社会保障審議会は8日、認めないことでほぼ意見が一致した。GPIFが直接株式を持つと、国家の企業支配につながるとの懸念が強かった。審議会の意見を踏まえ、政府・与党が今国会に提出予定の公的年金改革の関連法案に盛りこむか最終判断する。
 審議会で了承した論点整理では、(1)自主運用の全面解禁(2)部分解禁(3)見送り――の3案を併記した。このうち、日経平均株価など指数に連動した運用成績を目指す「パッシブ運用」に限って、議決権を外部に委託して、部分的に自主運用を認めるべきだとの意見が複数の委員からあったが、「一部の意見」にとどめた。
 自主運用は見送り、「早急に手当てが必要なデリバティブ(金融派生商品)の規制緩和」などに限るという意見が多かったとした。
 自主運用の解禁は経団連や連合出身の委員を中心に反対意見が強かった。GPIFが直接株式を保有して、株主総会で議決権行使をするようになると、企業経営への影響力を強めることができるという懸念があるためだ。8日の審議会でも「企業支配や市場をゆがめる懸念を払拭できない」との声があった。

はぁ…、がっかりしちゃうねぇ。株主との対話? スチュワードシップコード? コーポレートガバナンス? 形骸化した社外取締役? やる気ねぇじゃん。就職協定・定年延長・ベースアップwwwなどなど、経団連は、ろくなことを言わねぇな。健全な資本市場の形成を阻む、ガンコおじいちゃんの集まりとしか思えない。
しかし、デリバティブ解禁にはおじいちゃんたちも理解を示しているようなので、さらに俺も経団連の意見に援護射撃してやろう。日経新聞紙上で議論しているのは、為替の”先物”のことのようであるのだが、株式のデリバティブである先物・先渡にも議決権がないから、株の代わりにGPIFが先物・先渡で持ってくれれば、エコノミーは大きく変わらず、議決権は発生しない。経団連が大好きな物言わぬ株主の出来上がりだ。株主じゃねぇな、巨額なデリバティブ年金ファンドw
100兆を超える金額だと、先物のロールコストもバカにならないから、株の代わりにデリバティブで株式エクスポージャーというのは極論で現実味がないが、アロケーション比率を保つための日々の売買に先物を使うのならば、取引コストは下がるかもしれない。債券にしても株にしても、現物でやるより、先物で調整すれば、手間もスプレッドも狭いだろう。
また、アロケーション比率を固定して、日々、リバランスをする場合、ボラティリティを味方にできる。下がったアセットクラスを買い、上がったものを売るので、規模が大きくても楽な方向の取引だ。あたかもガンマロング的ポジションで、言って来いの相場展開では、Buy&Holdは不変だが、アロケーション比率固定戦略は、動きの分だけプラスとなる。一方で、売買代金がついにトップとなった日経レバ2などのリバランスは、下がったら売り、上がったら買わなければならないので、規模が大きくなればなるほど、厳しい取引(ガンマショート)となる。
2014.02.25 株のBuy&Hold戦略が持つGamma Long性
2014.04.25 素人がハマっている必負法 1/3 ~日経レバ2の行く末

株自主運用、解禁せず、公的年金巡り政府・与党。
2016/02/11 日本経済新聞
 政府・与党は10日、公的年金を運用する年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の株式自主運用を認めない方針を固めた。株価の急落で慎重な意見が強まった。今国会に提出予定の公的年金改革の関連法案には盛り込まない方針だ。
 現在の法律ではGPIFが株式を直接持てないルールになっている。厚生労働省の社会保障審議会は2015年12月から機動的な運用や手数料の削減を目的に自主運用の解禁を検討してきたが、経団連や連合が「政府機関であるGPIFの株式保有は企業支配につながる」と反対し、結論が出ていなかった。
 政府・与党内では日経平均株価などの指数に連動した運用成績を目指す「パッシブ運用」だけ認めるべきだとの意見もあったが、「株価が大幅に下がるなかで実施する必要があるのか」との意見が強まっており、見送る方向になった。
 厚労省が3月上旬に提出を目指す公的年金改革の関連法案には、GPIFのガバナンス強化とデリバティブ(金融派生商品)の規制緩和などを盛り込む。
 理事長に権限が集中する体制を改め、労使の代表らで構成する経営委員会を設置。円高などによる損失を抑える目的に限ったデリバティブを使えるようにする。

デリバティブ解禁と言っても、議論の中心は、株の話ではなく、為替の話なんだよね。ごめんごめん。しかし、為替の上場先物というのはどういうことなんだろう? CMEのFX Futureでも使うつもりなのだろうか? たぶん、ちょっと株が下がって、円高になって、損した時だけ怒る金主に対して、場当たり的な対応をしただけなのだろうが、あえて、また援護射撃をしよう。
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当座預金に対するマイナス金利導入以降、国債金利も激しく下がったが、ベーシススワップもさらに拡張し、円がダブつき、JPY LIBOR -100ベーシスまで到達している。GPIFの為替のヘッジは方向的に、ドル売り円買いなので、先物でも先渡でもオプションでもスワップでも-100ベーシスがFavorに働く。GPIFは、このベーシススワップも取りに行く方向で、どん欲にデリバティブ解禁を働きかけ…。うん、まぁ、上場ものじゃなくて、店頭でいくらでもできるので、やっぱ言い訳か。
アロケーション比率一定というのは、日経レバ2に比べれば、はるかに素晴らしい運用戦略なんだけど、損したら、やっぱりみんな怒るんだな。上がったら売り、下がったら買うというトレーディングになる点や、ベーシスの実現で為替ヘッジと考えれば、もう少しGPIFに対して寛容になれないものなのかねぇ?
【G7 金利・国債系】
2015.12.21 坂の上の雲四 12~金策
2015.09.29 アメリカ覇権という信仰
2015.07.15 家計の金融資産残高が1700兆円を突破
2015.03.16 仮想通貨革命 ビットコインは始まりにすぎない 7/7~貨幣の非国有化
2014.07.28 続・オプション・トレーディングにおける個人投資家とプロの違い、グリーク(リスク指標)の見方
2014.03.26 人民元売却計画ステージ2 10/16~ユーロマネー、オフショア人民元
2013.08.13 オプションなんて勉強するものじゃないです。まずは債券いっときまひょ
2013.01.29 金融政策の話 2/2 ~預金と規制
2012.07.04|ウォールストリートの歴史 5/8 ~第一次世界大戦
2012.02.27|告白 元大和銀行NY支店2/2 ~トレーディング
2011.10.31: 日本国債CDSが急落
2011.10.03: 日本国債5年CDS 1.3% vs 日本国債5年モノ0.35%
2011.09.09: スイスフランの介入劇
2011.07.07: モルガンS、米インフレ期待めぐるトレーディングで損失
2011.04.18: 米国債券投資戦略のすべて3/3 ~パススルー証券
2010.02.04: 日本最大の投信「グロソブ」4兆円割れ
2009.12.01: 金利系投資からの撤退 
2009.08.05: 金利をSalesに教える
2009.06.17: 暗算でやる金利計算@街頭インタビュー
2009.01.15: 株投資家から見たインフレ連動債TIPS
2008.12.25: さようならUS Strips
2007.12.17: 債券市場参加者の世界観 ~ 儲け=売値ー買値では無い  
2007.12.12: 債券税制 ~これを知った上で買えるか?毎月分配


GPIFデリバティブ解禁かお悩み中? 1/2 一般向け解釈

新聞記者がGPIFの真意を理解できているのか?というのは極めて疑問ではあるが、新聞経由の情報で、将来のGPIFのデリバティブ運用を想像してみよう。GPIFが記者に対して、行間を読むという難解な言い方をせず、包み隠さず方針を述べたとしても、記者が理解できたレベルで曲解されたものが記事になるという性質上、ソースが揺らいでいるゆえに私の想像も揺らぐことになるのだが、その変化を記事とともに追っていくことにしよう。
毎日、「GPIFのデリバティブ解禁」の記事が載っているので、順に追っていこう。

GPIF、損失回避に規制の壁(風速計)
2016/02/08 日本経済新聞
 「じくじたる思いだ」。公的年金を運用する年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の水野弘道・最高投資責任者は1月28日の社会保障審議会で漏らした。GPIFは2015年7~9月期に7・9兆円の損失を出した。運用成績は市場平均とほぼ同じだが、価格変動リスクを避けるデリバティブ(金融派生商品)が使えれば、損失を少なくできたという思いが強い。
 今のGPIFは円高で運用資産に損失が出ないように為替ヘッジ(差損回避)をしようとしても、市場参加者の多い市場デリバティブが使えない規制の「壁」がある。店頭デリバティブは使えるものの、相対取引なのでGPIFの投資行動が市場に伝わりやすく、為替相場に影響を及ぼす可能性がある。
 社保審ではGPIFのガバナンス強化と運用規制の緩和を議論し、デリバティブの活用拡大も検討されている。ガバナンスは合議制の導入で大筋合意したものの、運用規制は年初からの相場の変調もあり、慎重な意見が複数の委員から出ている状況だ。
 調整が難航しているのは、GPIFの株式自主運用の解禁などハードルの高い施策があるため。ただリスクにおびえるあまりに、損失を回避するための方策も導入できなくなるようなら、皮肉と言わざるを得ない。(O)

> 市場参加者の多い市場デリバティブが使えない規制の「壁」がある。店頭デリバティブは使える
市場デリバティブってなんだよ、上場デリバティブだろ? Listedを市場って訳すか? と思っていたら、厚生省の説明で、
http://www.mhlw.go.jp/file/05-Shingikai-12601000-Seisakutoukatsukan-Sanjikanshitsu_Shakaihoshoutantou/0000111870.pdf
5ページ目に、市場デリバティブ(上場デリバティブ)という表現がある。取引所だけが市場(=Market)ではないので、上場と表現するようにして欲しいものだ。口うるさい頑固おやじはまた嫌なものを発見w
厚生省同じ5ページに
為替先物取引(※1)
※1 市場デリバティブ取引を除く
コラァー!
日経新聞は先物と先渡の区別もついてないのか! 銀行の説明のせい? とか思っていたのだが、「厚生省、お前もか」
2009.03.26 中国人民元先物?
LeniWithAdolf_c.jpg
日本の役所のウェブ(いつも見ているのは日銀や財務省だが)って、しっかりしててレベル高いなぁ…、と思っていたのだが、ここだけはいただけないな。英語で言ったらFutureとForwardでね、Forwardに対する先渡って日本語までちゃんとあるの。物書きなら、そのくらいの表現の多彩さは持っていなさい。


日本仏教史 4/4~外来思想は日本に根付くか?

日本人の宗教意識-統計に見る奇妙な結果
1988年の日本の諸宗教の信者数である。
神道系 111,791,562
仏教系  93,109,006
キリスト教系 1,422,858
諸教 11,377,217
計 217,700,643
(文化庁「宗教年鑑」平成元年版による)
だがよく見ると、この数字はどこかおかしい。信者数の統計を見ると、2億を越している。そこでもう一つ別の統計を見ていただきたい。これは世論調査から出された数値である。
                日本 アメリカ
信仰を持っている人    33% 93%
信仰を持っていない人  65% 7%
(NHK「日本人の宗教意識」 日本放送出版協会1984)
信仰を持っている日本人は1/3にすぎず、アメリカと比べてみるとまさに無信仰の国と言ってよいほどである。
どうしてこのような奇妙な結果が出るのであろうか。どうやら最大の問題は信者数における神道系の数字にありそうだということは推測できる。神道系のうち、8639万人は神社本庁の信者ということになっているから、これは戦前の国家神道以来の氏神-氏子関係が持ち越されているのではないだろうか。本人の知らないうちに信者に組み込まれているとすれば、いささか恐ろしい気もする。仏教の場合、信者数の統計では9000万を超え、総人口の8割に迫る信者数を持ちながら自覚的な信者は27%にしか達しないところをみるとやはりその食い違いが気になる。信者数の統計には檀那寺と檀家の関係が持ち込まれていると思われる。
そもそも日本の仏教というのは学問的にはなかなか扱いにくい領域です。まず何よりも非常に多面的であり、かつ現代でも生きた宗教ということがあります。例えば、インドの仏教を考えてみますと、確かに仏教発祥の地であり、数多くの仏典もインド起源ですから、仏教の研究をする場合、つねにインドの仏教をおさえておかなければなりません。私たちの研究室では、日本の仏教の研究を専攻する人でも、まずインドのサンスクリット語の習得が義務付けられています
> インド哲学、俗に言う「印哲学科」か…。人気のない学科ということで名前だけは聞いたことがあったのだが、なかなか面白そうな学科じゃないか。
数理研究を進めていていつも行き当たるのは、日本の仏教は数理面の研究だけではごく一部しか解明できないという実態です。葬式仏教と言われるような仏教の実態、あるいは民衆の中に溶け込んだ様々な行事や風習などは、数理的な説明があったとしても建前にすぎず、むしろ日本人の生活習俗が仏教の形を取って現れたという面も少なくありません。例えば、古代の仏教の実態を知るのには、南都六宗の学問仏教も重要ですが、それはしょせん一部のエリート層の営みであり、大多数の民衆とは無関係です。民衆の間で信じられていた仏教の実態は、例えば「日本霊異記」などを読んだほうがよほど生き生きと描かれています。それゆえ、日本の仏教の実態を明らかにするためには、数理や歴史資料のみならず、文学やさらに仏像などの美術の分野も不可欠になります。


日本仏教史 3/4~檀家制度ができた歴史的背景

仏教の真理観
仏教思想の大きな特徴は縁起にあると言われる。縁起というのはあらゆる現象世界の事物は種々の原因や条件が寄り集まって成立しているということで、それゆえにこそ一切万物は変転極まりない、これが無常といわれることである。このように万物が変化し、演技によって成立しているということは、裏から言えば、外に依らずして自存し、永遠に存在するようなものは何もないということである。したがって、縁起の原理は実体が存在しない、無実体であるということに他ならない。またインド哲学の用語では、このような実体はアートマン(我)といわれるので、縁起の原理はアートマン否定ということになり、これはアナートマン(無我)の原理ともいわれる。大乗仏教で主張される空(シューニヤター)も基本的には同じ原理を言っているものである。さて、このような縁起・無実体の原理に立つならば、この現象世界を離れて何か真実の世界があるという考え方は否定される。このことは西洋の哲学と比べると明白である。実体主義の最も典型的な例はプラトンのイデア論に見られる。イデア論によれば、我々が見ている現象の世界はイデアの真実の世界の影のようなものであり、イデアの世界は感覚ではとらえられないものとされる。神を完全な存在としてこの世界を不完全な存在とみるキリスト教の哲学や、またブラフマンを絶対と見る。ヴェーダーンタの哲学も同様に実体主義の立場にたつということができる。これに対して、仏教では現象世界以外の世界を認めない。しかし、現象世界の自体の中に実体が存在すると見る唯物主義とも異なっている。
中国の北方に興り、ヨーロッパにまで攻め込んだ蒙古が、最初に国書を送って日本に迫ってきたのは文永5年(1268)。思想史上でもこの事件は大きな転換点を形作る。第一に、歴史始まって以来の国難はいや応なく国家意識を高め、また日本の神々への関心を高める。神道がはじめて本格的に理論化され、思想界に登場するのはこの頃から建武の中興を経て、南北朝にかけての時代である。それに対応して仏教界でもいち早く日蓮の国家思想が見られ、さらに熊野信仰と結びついた一遍の念仏などが見られる。
第二に、元の興隆と南宋の滅亡(1279)により、中国への留学はもちろん、大陸の新しい動向に左右されることもなくなった点が挙げられる。前代には最も土着的と思われる親鸞でさえ、宋の仏教界の動きに大きな関心を寄せていたが、この時代にはそれは不要であり、不可能にもなって、いや応なく独自の道を探ることになる。
第三に、前代には比較的安定した社会を背景に宗教の問題に沈潜し、思索を深めることができたが、社会の激動に伴い、現実への関心や社会的活動が強くなってきている。日蓮の国家諌暁や折伏活動、一遍の遊行、叡尊・忍性の救済活動などいずれもこうした動向と見ることができる。


日本仏教史 2/4~仏教の発展

どうして膨大な仏典ができたか
仏教がキリスト教などと違う一つの点は、その聖典の分量が膨大だというところにある。キリスト教では、旧約・新約聖書を合わせるとかなりの量になるとはいえ、一冊に収まる程度の量である。ところが仏教では、今日広く普及している「大正新修大蔵経」によると、B5判の分厚い本に三段組みでぎっしり漢文が組まれて全100巻にのぼる。もっともこのなかには中国や日本で書かれた注釈書などまで入っているが、いわゆる経典だけ取り出しても21冊になる。これでは専門家でさえ十分に読みこなしきれない。どうしてこんなにたくさんの経典ができることになったのであろうか。
伝説によると、仏典の編纂作業はブッダの滅後、直ちに開始されたという。十大弟子の一人魔訶迦葉(マハーカーシャパ)は、
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弟子の一人の比丘がブッダが亡くなってこれで自由になれると喜んでいるのを見て、これではブッダの教えは滅んでしまうと危機感を抱き、ブッダの教えを正しく伝えようと決心した。そこで仏弟子たちに呼びかけ、500人の長老たちが集まって、マガダ国の首都王舎城(ラージャグリハ)で集会を開き、ブッダの教えやブッダが定めた戒律を確認したという。ブッダ自身の用いた言語はマガダ地方の方言であるマガダ語であったと考えられるが、初期の仏教では言語を無理に統一しようとせず、各地の方言を自由に用いたようである。そのなかでとくにのちにパーリ語とよばれるようになる言語のものがスリランカに伝えられて、今日に至るまで東南アジアの仏教の聖典とされている。他方、中国に伝えられた原始経典は、聖典を意味するアーガマの音写で阿含経典とよばれたが、小乗経典として低く見られ、近代にいたるまで十分に研究されることが無かった。


日本仏教史 1/4~日本における仏教

日本仏教というのはいささか問題のある言葉で、かつて皇国史観のもとで、「日本」においてこそ「仏教」は最高の円熟に達するとされ、その独自性が「日本仏教」という言い方で表現されたことがある。いわば「日本」と「仏教」とのおめでたい調和ともいうべきものであるが、そんな経緯があるから、どうもこの言葉には抵抗がある。だが、ともかく僕にとっては、おめでたい調和ではなく、むしろ「日本」と「仏教」との相互の居心地の悪さ、どこかしっくりしないところがおもしろいのだ。大体、仏教というのはおかしな宗教で、発生地のインドでは滅びて消えているし、中国や韓国でも滅びはしないまでも、ある時代以降、積極的な思想史的な意味を失ってしまう。キリスト教だって発生地のユダヤ人社会で滅びたではないかと言われるかもしれないが、もともとユダヤ人社会でもそれほど多数を占めたり、大きな影響を残したわけではなかったであろう。ところが仏教はインドでは古代の一代期、思想・宗教界の主流ともいうべき強大な力を誇り、インド最大の哲学者シャンカラ
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でさえ「仮面の仏教徒」といわれるような大きな影響を残している。それがほとんど完全に消えてしまっているのはなぜだろう。中国だって、中世の仏教の全盛期から近世に下ると、仏教にひいきする目から見れば目を覆いたくなるものがある。日本の場合、仏教はかなり強力に生き残ってはいるが、近世以後、思想界の主流としての力は持ちえなかった。もちろん、チベットや東南アジアのように仏教の定着した地域もあるのだから一概には言えないが、どうも仏教には定着しにくい一面があるような気がする。例えば、「空」という発想にはどうにも落ち着きの悪さがある。「空」は「有」として安定することへの絶えざる否定であるから、定着することをはじめから拒否している。


変な記事、所得税と消費税、どちら選ぶ?(風)

まず日経新聞の記事原文だが…、

所得税と消費税、どちら選ぶ?(風)
2016/02/02
 「所得税と消費税、どちらを選ぶ?」。行動経済学の分野で、こんなテーマの経済実験が進んでいる。実験に取り組むのは大阪大学大学院の黒川博文氏(日本学術振興会特別研究員)らだ。
 阪大生105人を5つの所得グループ(1600円から4500円まで5段階)に分け、所得のすべてを消費に使うと設定。被験者は所得税率と消費税率の組み合わせに対し、好みの税を選ぶ。
 実験結果は「所得税20%、消費税25%」の組み合わせでは所得税を選ぶ人が多く、「所得税20%、消費税22%」でも所得税を選ぶ人が多かった。
 所得1600円の人は所得税額がいずれも320円。消費税額は税率25%で320円。1280円の商品を購入し、25%(320円)を納税して1600円を使い切る計算だ。同様に税率22%では消費税額は約289円。消費税額が所得税額以下なのに所得税を選ぶ人が多かったことになる。
 一方、消費税の計算方法を尋ねると、正しく理解していた人はわずか約2割だった。黒川氏は「所得税が好まれたのは消費税額の誤計算。見た目の税率の大小で判断していることを示唆している」という。
 経済社会では見かけの数字に惑わされる例がほかにもある。例えば所得控除と税額控除。岩本康志・東大教授は「所得控除は税額控除より金額のケタが大きいが、必ずしも効果が大きいわけではない」と指摘。そのうえで「所得控除は税率の高い人の減税額が大きくなる。高所得者には恩恵が大きいが、低所得者には恩恵が小さい」と話す。
 見かけに惑わされず、実態に即した行動や政策判断が大切だといえる。(経済解説部 福士譲)

何言ってんだこれ? 変な記事だと思わなかった? 俺はネットの日経新聞記事だから、紙の日経新聞オリジナルには、ちゃんと載っていたのかねぇ?
所得が1600円?
所得のすべてを消費に使うと設定? だったら、消費税も所得税もクソもねぇだろが
あまりにも変な記事だったので、「黒川博文 所得税と消費税、どちらを選ぶ?」でぐぐってみると…、
所得税と消費税の好みに対する選択実験
http://www.abef.jp/event/2015/pdf_abst/E2.pdf
というオリジナルがすぐに出てくる。思った通り、オリジナル論文は、筋が通っていてわかりやすい


シャープ「液晶敗戦の教訓」 3/3~仕組まれた価格破壊

イオンが売り出した「5万円テレビ」の衝撃
「32インチが5万円以下!」 シャープの亀山工場が稼働する前の2009年2月、流通大手のイオンが15000台限定で32インチの薄型液晶テレビを売り出した。イオンの5万円テレビは「ダイナコネクティブ」という東京のベンチャー企業がつくった。同社は大学卒業後に韓国から来日した金鳳浩氏が、2002年に立ち上げた会社で、従業員数25人のファブレス企業だった。「ファブレス」とは、製品の企画設計や開発は行うが、製品製造のための自社工場を持たない企業を言う。電機業界では1990年代に分業化が始まり、自社では生産設備を持たないファブレス企業や、ファブレスとは逆に他社から半導体チップの製造の受託生産を専門に手がける「ファウンドリ」と呼ばれる企業が次々に誕生した。また「EMS」(electronics manufacturing service)と呼ばれる企業では、家電製品を組み立てる受託生産を幅広く展開している。
「モジュール」は「すり合わせ」の対極概念
5万円テレビの事例では、液晶パネル、光学部材、バックライトについても標準的な仕様で大量に生産された汎用部品を用いる。テレビの映りを左右する中核部品にも汎用部品を用いる。信号処理基盤やテレビチューナも、異なる会社の汎用部品を力技で組み合わせる。大企業ではな考えられない設計だ。大企業の場合は、「専用部品」を用いて、一体の基板として、自社で設計・生産するのが普通だ。これは、テレビの画質の良さや組み立てやすさを追求するためである。汎用部品はモジュールである。モジュールを寄せ集めるとシステムができ、微調整は必要ない。「すり合わせ」は相手の状況を読みながら微調整を繰り返す方法だが、モジュールを使ってものづくりをする場合は、すり合わせはまったく必要ない。つまり、モジュールとすり合わせは対極の概念である。


シャープ「液晶敗戦の教訓」 2/3~亀山工場と堺工場

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新竹サイエンスパーク(新竹市東区)は、台湾のシリコンバレーとも言うべきハイテク企業の集積地である。パーク内には、国立研究所である工業技術研究院(ITRI)や、交通大学や精華大学などをはじめ、半導体の前工程だけを受託する世界最大のファウンドリ事業を展開する台湾積体電路製造(TMSC)、世界有数の液晶メーカーである友達光電(AUO)等がある。もちろん、日本のハイテク企業、アメリカのハイテク企業も、ここに台湾での拠点を持っている。広さは約8平方キロメートルでここに約400社があるので、シリコンバレーよりも面積当たりの企業の密度が高い。またITRIか海外に行ってITRIに戻ったり、ITRIから民間企業に移動するといった人の流動性も、シリコンバレーより高い。そのため、この章でテーマとしてきた技術流出も起きやすい環境にあると言える。ITRI出身で、パーク内を案内してもらった技術者はこう言った。
ここでは情報の秘密保持は不可能です。すぐに漏れます


シャープ「液晶敗戦の教訓」 1/3~すり合わせ不要のモジュール化

ものづくりには、個別企業の経営戦略、経営者の経営判断とともに、その国の経済を形成する各種産業の比重や仕組や関係、つまり「産業構造」の変化が大きく影響する。産業構造からみた、日本のものづくりの強みは、よく言われているように「すり合わせ」にある。すり合わせとは、企業間でお互いに技術を共有して相手の状況を読みながら微調整を繰り返す方法だ。日本企業は、このすり合わせにより、高度・高品質な技術を取り込んだ製品を市場に次々に投入して、事業を拡大してきた。そして、それによって、数多くの成功体験が蓄積された。
ところが、このやり方が時代に合わなくなった。本書中で詳しく述べるが、「すり合わせ」をしなくても完成品がつくれる「モジュール化」の時代が到来したのに、日本の電機産業はその対応に遅れてしまった。国内ですり合わせをやりすぎて国内市場に過剰適応してしまった結果、ものづくりが「ガラパゴス化」してしまった。「良い製品を作れば売れる」という時代は終わった。技術をとことん追求し、それを過度に崇拝するだけでは、グローバル競争に勝てない。結果的に、日本市場だけを相手にして、グローバル市場を目指す韓国、台湾、中国などの企業に勝てなくなってしまった。つまり、一言で言うと、「急速な産業構造の変化に日本企業は対応できなかった」ということが、日本の「ものづくり崩壊」の原因である。
モジュール化により日本勢の優位は崩れた
米国グーグルの基本ソフト(OS)「アンドロイド」と、スマホの基本機能を満たす1個の半導体、液晶パネルを組み合わせれば、スマートフォンはできあがる。アンドロイドはグーグルによって主に携帯情報端末向けに開発されたOSである。ライセンスフリーといって、だれでも自由に使用できる。このためアンドロイド搭載機種は、2014年、世界シェアの85%に達して圧倒的な勝利を収め、いまや世界標準となっている。基幹部品のような一つのまとまりを、経営学では「モジュール」と呼んでいる。こうしたモジュールを組み合わせれば、スマホなどの機器は誰でも生産できる。いま世界のものづくりはモジュール化へと大きく変化した。
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そこで多くの人が疑問を抱くのは、「シャオミのスマホは安かろう悪かろうではないのか?」ということだ。しかし、そうではない。優秀なエンジニアたちが、深い技術知識を基に、自ら必要な最先端部品を調達している。シャオミは、アップル、サムスンより規模が小さいため、部品量も少なくてよく、小回りが利き最先端部品を調達できている。また驚くべきことに、主要部品をすべて公開している。顧客に情報公開することにより、最先端部品を使用していることをわかってもらい、顧客に安心感と他社より価格が安いことをアピールしている。サムスンと同等の仕様でサムスンの半値という、コストパフォーマンスの高さを誇っている。古い体質の企業は、こうした情報を企業秘密として扱うので、シャオミのやり方についていけない。


予見された経済危機 3/3~アングロ・アメリカンの借金観

現在の米国GDPの70%は消費が占めており、個人消費が成長を牽引する構造になっている。ちなみに新興国では中国のように米国の消費を前提とした設備投資が経済を引っ張っており、経済が成熟するにしたがって徐々に消費のシェアが高まると予想されている。だが消費はそもそも所得が増えなければ増加しない。所得は逆に消費が増えて生産が刺激されなければ増加しないはずである。米国はその堂々巡りをどう打ち破ったのだろうか。その説明のために、「個人への割賦販売が消費の増加に寄与した」という事実をたどっておくことにしよう。個人が、自分の貯蓄を越える価値の商品を買うことは、本来不可能である。それあ借金や贈与などによって初めて可能になる。企業が借金によって生産を拡大できるように、個人もまた借金によってその生活水準を上げることができるのだ。レバレッジの原点でもある。
借金の源流は、メソポタミア期の耕作のための種子などに求めることができるが、それが「生活必需品の購入」というよりも「耐久財の購入」に制度的に設計されたのは、個人向けの割賦販売が制度として「発明」されたからである。その手法を編み出したのは、政府金融と企業金融とを大西洋間で発展させることに成功した英国と米国、すなわちアングロ・アメリカンであった。このDNAは、クレジットカードのローン残高の世界一が米国で、二番目が英国であるという、21世紀の現代社会にまでしっかりと受け継がれている
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個人向けの金融は誰が牽引したのだろうか。米国の消費者金融モデルをイタリア系移民のA・P・ジアニーニが設立した「バンク・オブ・アメリカ」(設立当時はバンク・オブ・イタリア)に置いている。西海岸で銀行を開業したジアニーニは、1906年のサンフランシスコ大地震の際に他行が営業できなくなったのに対して、早めに金貨や営業記録を持ち出して数日後には港近くで営業を再開する。都市復興のための融資である。これで資金のメドがついた船長らはシアトルやポートランドにまで船を出港させて、サンフランシスコ復興のための資材を確保することができたという。また、ハリウッド映画の基礎を作ったのもジアニーニであった。当時、担保力のない映画産業は銀行から借り入れることができなかった。そこでジアニーニは一案をめぐらし、映画産業への融資のための担保を見つけた。映画フィルムそのものである。これで映画への融資が始まり、ハリウッドは世界に冠たる映画のメッカとなった


予見された経済危機 2/3~万年弱気論者

ルービニ教授は「米国はこれから厳しいリセッションに陥る、皆が期待するようなソフトランディングはあり得ない、ハードランディングを回避することはできない」と、予言者のように米国経済の暗い見通しを語ってみせたのであった。その内容を大きく要約すれば、以下5点である。
(1)米国は2006-2007にかけて景気後退に陥る。
(2)FRBは金融緩和に動くだろうが、それはリセッションを回避する効果を持たない。
(3)新興国などは「デカップリング」によって米国リセッションの影響を受けずに済むというのは、根拠のない楽観論に過ぎない。
(4)米国だけでなく他国でも株式や商品などの価格が下落する。
(5)現在の米国の経常赤字は持続不可能であり、他国による「ドル資産離れ」が起きる可能性がある。
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ルービニ教授は、リセッションは不可避であるという主張を支える3つの要因を挙げている。まずは「住宅市況の変調」だ。教授は2006年の時点で住宅価格は1930年代以降で初めて下落を始めたと指摘、それがかなり激しいものになると予想している。2番目は「原油価格」である。教授は、上昇するエネルギー価格は経済にスタグフレーション効果を与え、FRBは引き締めへと向かわざるを得ない、と見ている。この「FRBによる金融政策」が3番目の要素だ


予見された経済危機 1/3~1ドル紙幣とは何か?

ルービニ教授がパネリストとして招かれた2006年1月のダボス会議のある討論会において、欧州の通貨問題が議題として取り上げられたことがある。そこでルービニ教授は例によって極めてストレートな表現でイタリアの財政の脆さを指摘し、イタリアはほとんどアルゼンチンと同じだ、と述べてひと騒動が起きる。パネリストの一人がイタリアのトレモンティ財務相であったからだ。財務相はその発言を途中で遮って「お前なんかトルコに帰れ!」と、公式の場で教授を罵倒したと伝えられている。教授はその後、この財務相の発言はイスタンブール生まれの自分に対する軽蔑というよりも、EUに加盟しようと努力しているトルコに対して大変失礼な発言であるとブログで批判しつつ、淡々とイタリア財政の問題点を再強調していた。
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教授が一躍世界の注目を浴びることになったのは、2006年9月に開催されたIMF総会の際に、強烈な米国リセッション予想を放った「事件」であろう。ゴルディロックスに酔いしれていたのは資本市場だけではなかった。著名な経済学者らも、世界的不均衡などの問題は認識しつつも、それが危機的な状況にまで至ると考えていたわけではなかったのだ。そこに、ルービニ教授が公式な場で一石を投じたのである。当時の記録によれば、教授の超悲観論は会場から多くの支持や理解を得たとはとても言い難い。だが、一年後に世界中の人々は、それが恐るべき「正確な予言」であったことを知ることになる。


上がったら買い、下がったら売る愚行世論が生まれる瞬間

株安、アベノミクスに試練、政府・与党、追加緩和に期待も、野党、公的年金含み損批判。
2016/01/21 日本経済新聞
 「アベノミクス」が試練を迎えている。円安や株価上昇、それに伴う企業業績の改善を「成果」と位置づけてきた安倍政権にとって、円高・株安はアベノミクスの信頼を根底から揺るがす恐れがある。安倍晋三首相は「日本経済はしっかりしている」と強気の見方を繰り返すが、政府・与党内からは夏の参院選への影響を危惧し、日銀の追加緩和を期待する声も出始めた。
参院選を懸念
 「ことしの政権運営は前途多難だ。夏の参院選の足を引っ張らないといいが……」。首相の側近は20日、こう懸念を示した。
 第2次安倍政権発足以降、首相がとりわけ重視してきたのが株価の動向だ。日銀総裁に黒田東彦氏を起用し、2年間で通貨供給量を2倍に増やす「異次元緩和」を実施。円安が輸出企業の業績を改善し、株価の上昇にも結びつくスパイラルを生み出した。さらに公的年金を運用する年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の運用で株式比率を上げ、株価押し上げ要因をつくった。
 その結果、民主党政権時代に8000円台まで落ち込んだ株価は一時2万円を超える水準まで回復した。海外収益の伸びなどを追い風に、上場企業の2015年3月期の経常利益は最高を更新した。首相周辺は「株高こそが政権運営の原動力だった」と指摘する。
 それだけに政府・与党内では危機感は強い。円高や株安がもっと進めば、企業の来期業績の下振れ懸念も強まる。首相が期待していた賃上げや雇用増の機運にも急ブレーキがかかりかねない。
「最後は日銀」
 ある政権幹部は「最後は日銀頼みか」と漏らす。菅義偉官房長官も20日の記者会見で「日銀総裁は日ごろ2%の物価安定目標の実現のためにためらいなく追加緩和を含めて対応すると述べている」と日銀の対応に期待を示した。20日の自民党財務金融部会では上野賢一郎部会長が「場合によっては政府・与党あるいは日銀の方でなんらかの対応も今後考えられるのではないか」と強調した。
 ただ、原油安や中国経済の先行き不安など海外要因を背景とする世界的な株安だけに、日本側で打てる手は限られているのが実情だ。
 野党は一斉に攻勢に出ている。民主党の枝野幸男幹事長は20日の記者会見で「アベノミクスというカンフル剤をやめて経済の体質改善をしっかりとしていく必要がある」と述べた。共産党の穀田恵二国会対策委員長も「労働者の所得や賃金は実質上がらず格差と貧困を生んだ」と批判した。
 矛先は、GPIFの含み損にも向かう。「年金積立金が目減りした恐れがある」。維新の党の井坂信彦氏は12日の衆院予算委員会で追及した。民主党の長妻昭代表代行は14日の記者会見で「公的年金の基礎年金で50%の株投資というのは世界の標準から見ても問題が大きい」と批判した。
 首相が打ち出した「金融緩和」「財政出動」「成長戦略」のアベノミクス「3本の矢」。日銀の異次元金融緩和は経済活性化へのカンフル剤となったが、持続的な成長実現ではまだ目にみえる成果は生み出せていない。貿易と投資の自由化をめざす環太平洋経済連携協定(TPP)では大筋合意にこぎつけたが抜本的な農業改革はこれからの課題だ。
 昨年には、20年に向けた新たな「3本の矢」を発表したが、子育て支援などが軸で「わかりにくい」との反応が多い。アベノミクスが海外発の逆風下で踏みとどまれるかどうかは、本質的な成長戦略を打ち出せるかにかかっている。
エコノミストの見方
GDP600兆円へ
抜本対策が必要
 熊野英生・第一生命経済研究所首席エコノミスト 安倍政権の「新3本の矢」は内容に乏しく、市場では実現性に疑問をもたれている。海外から株式市場に逆風が吹いたときに弱いのはこのためだ。本当に国内総生産(GDP)600兆円を実現するなら、人口減少に歯止めをかける抜本対策や農業改革などやるべきメニューはある。
 株価上昇局面では年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の運用先に株式を増やすやり方は有効だったが下落局面では損失ばかりに焦点があたる。日銀の金融緩和に依存し、改革が遅れたツケがでている。
「新3本の矢」
海外に響かず
 河野龍太郎・BNPパリバ証券チーフエコノミスト もともと実体経済の回復が弱いなかでアベノミクスで円安に誘導することに無理があった。輸入品の価格上昇で生活を圧迫し、企業の調達コストが上がる。安倍政権が知事選など地方選で負けが目立つのはこのためだ。
 円安誘導で実現していた株高効果が海外経済の要因ではがれ落ち、弱い日本経済の実態があらわになったといえる。
 新3本の矢も具体策はないに等しい。海外投資家からは「訳が分からない」という声が聞こえる。政権が海外経済の不透明さを理由1に消費増税の延期に傾く懸念もある。
【図・写真】参院本会議で2015年度補正予算が可決、成立し、一礼する安倍首相(20日)


モンスター 尼崎連続殺人事件の真実 2/2~支配・追い込み

「一つの家族や集団の中で、一人を集中的に可愛がり、他の一人を徹底的に迫害すると、彼らの中で自然と誰につけばいいかとか、どうすれば自分は助かるかといった感情が働き始め、放っておいても協力者や密告者が出てきて、組織の運営がスムーズになる。ただ、取り込む人間から信頼、心酔されるだけでは駄目で、時々彼らにも恐怖心を与え、隷属することでしか生き延びられないという呪縛を持たせなければならない。連日、家族会議を開かせ、何事も会議で決めさせる形を取ることが有効だ。特に家族間で優劣をつけ序列を作り、最下位のものを集中して虐待する。序列は何か理由をつけては頻繁に入れ替えると、家族全員が常に緊張感に支配される。誰か他の者を最下位に落とさなければ、自分の身が危うくなるので、自分は権力者に絶対服従の姿勢を貫き、下位の者は少しでも序列を上げるために権力者の歓心を買おうとし媚びへつらい、家族を裏切ることも平気になる。そうなると家族は敵対関係に陥り、もはや結束して権力者に対抗する気力も知恵もなくなる。本質的に親は子供を可愛いと思い、守らなければならないという決意を心に秘めているものだ。だから親の面前で子供を虐待・暴行すれば、親は子を庇うために自ら権力者に対して反抗的な態度を取って、標的になろうとする。それを逆手にとって、子供に親を殴らせれば、その家族関係は瞬く間に崩壊するはずだ。」
茉莉子と瑠衣の母親・初代はどうしていたのか。初代は03年8月に夫だった谷本明の機転で高松市の谷本家から逃げ出した後、同市内の友人宅や大阪市の女性保護施設などを経て、和歌山県内のホテルで住み込みの仲居として働いていた。もちろん偽名を使ってである。だが、07年12月に自家用車を購入するため住民票を移動したことなどから、所在が美代子側にバレて、駆けつけた瑠衣や正則らによって尼崎に連れ戻されてしまった。転入届を提出すると、以前の住民票は新住所を記載したうえで除票として保存される。他人はさておき、瑠衣ら家族の立場なら住民票を取得できるため、新住所が発覚したのだ。
美代子は逃亡者の追跡には異常なほどの執念を見せる。先に述べた通り、04年に茉莉子が逃走した際は、運転免許証の更新手続きを見越して、兵庫県内の運転免許センターなどを監視していたという。それで茉莉子の友人たちの車でわざわざ遠くにある明石市の免許更新センターを訪れたにもかかわらず、簡単に連れ戻されてしまった。他に橋本兄弟や皆吉兄弟、仲島ら大勢の人々の行方を独自ルートを駆使して捜し出し、隠れ場所を突き止め、ほとんど連れ戻している。このように、運転免許証の更新手続きや、住民票の移動のチェックなど、理屈の上では誰もが可能なことでも、そう簡単に思いつくものではないし、実際にはなかなかやれるものでもない。つまり、美代子の周辺にはそうした業務を日ごろからこなす警察関係者か、弁護士など司法関係者、戸籍などを扱う行政関係者、はたまた日常的にそうした追跡業務を行っている暴力団関係者など専門家たちがいて、何らかの形で協力しているのではないかとの疑惑さえ湧き上がってくる。
> そうだねぇ。法律詳しいアドバイザーは、いたように思うなぁ・・・


モンスター 尼崎連続殺人事件の真実 1/2~刑事から民事へ

はじめに の最後
尼崎連続殺人を「もう終わった事件」などと言わず、多くの方々にぜひとも読んでいただきたい。そして、各人が「自分の家庭でも起こり得る危機」として捉え、何らかの教訓として役立てていただければ無上の喜びである。
> うんうん、僕も思うんですよ。男の人で、派手な結婚式に金使いたい人いないでしょ? 低所得者は別として、高所得者なら住宅買いたいとも思っている人少ないはずなんだけど、奥さんに言い寄られて、やむなく・・・。こういう話って、これにつながると。家庭の中で起こることって、刑事から民事へのトランスファーなんだけど、無法地帯化も普通に起きてるよねぇ。俺いつも思うんだわ。バカな奥さんが作った家庭のルールは、やはり矛盾だらけで法として成立してないってね。
美代子が兵庫県警本部の留置場でふと漏らした男の正体は、山口組系暴力団の下部組織の組員であり、後に組幹部にのし上がっていったキレ者の男だった。その名前を、仮に「M」と呼ぶことにする。彼の人柄や立場、美代子との出会いから交流ぶり、事件との関わりや悪党仲間との繋がり、背後関係などについてはおいおい明かしていくとして、ここでまず言っておきたいのは、美代子が行った冷酷非道な犯行手口はほぼすべて、このMからの指示に従い、その考え方や言動、情報に影響を受けたものである-ということだ。
「アメとムチを巧みに使い分け、家族の絆を断絶すれば、家族同士は相互に憎しみあい、自然と瓦解していくものや」
相手を肉体的、精神的にとことん追い込むだけでは、他人を支配することはできない。時には一歩引いて、『不幸な境遇で生きてきた不憫なヤツ』と一緒に泣いてやれば、人間関係の濃密なエキスが心をマヒさせてくれる・・・」
まるでカルト教団の教祖のように美代子の耳元で囁いたMの言葉が、一人の不良少女を冷酷無比な悪女に変身させ、やがて、恐るべき破壊力と突進力を持った「モンスター」を創り出していったのである。


母へのお土産はいつも現金

また冬になったので、日本に遊びに行こうと思っているのだが、日本は便利な国でなんでも手に入るので、不毛の地「シンガポール」からお土産を持って行くのは難しいが、現在をもって解決していない問題がこれだ。
Arcade-Money-Changer.jpg
※ラッフルズのアーケードの入り口の両替店だが、この店は値段が良くないことが多い。2階までエスカレーターで上がり、いくつかの店で比較すると良いだろう。
お土産はいつも現金、お金に困っていない母にとって、日本円は意味がないので、母が旅行に行く先の現地通貨をシンガポール・ラッフルズプレイスのアーケードで調達して、渡しているのだ。親子で遺伝している「ケチ」って病気で、為替のスプレッドを無駄に払うと気分が悪くなってしまうのだ。旅行するカネはあっても、スプレッドに払うカネはねぇ。というわけで、正確には現金をプレゼントしているというよりはスプレッドをプレゼントしている。ユーロ・スイスフランなど、いかにもスイーツ系が好きそうなヨーロッパ先進諸国通貨が多いが、今回はアジア通貨の香港ドルだ。
日本居住の皆さん、旅行の時の少額の現地通貨の調達はどうしてるの? 「スプレッド払えない病」の患者さんの意見が聞きたいわ。俺は中でも症状重めだと思うけど。
母の旅行は、欧州系とアジア系に大別され、欧州系は年2~3回、アジアは年に1回、香港・シンガポール・バンコクを3年周期でグルグル繰り返し行くだけなのだが、はっきり言って、話にならないほど、浅い。バンコクなんか10回以上行ってるはずだが、ソムタムも知らないくらいのレベル。「ソムタム?パパイヤサラダのこと? あー、辛いのダメなんだよ。」 せっかくのバンコクで何食ってんだよwと呆れるばかりだ
私のブログの記事に影響されて、「ジャカルタに随分行ってるみたいだけど、面白いの?」
「何度も言ってるけど、便利さや楽しさを求めるなら、ジャカルタはバンコクには絶対に勝てないの。大切なものは失ってから初めて、その貴重さが分かる。通貨の信任、道路インフラ、こういう基本が欠落した社会、そして高度経済成長と悪性のインフレがリアルタイムで体験できるわけ。観光とかそういう楽しみ方じゃないから。」 (母親世代だと高度経済成長、日本でリアルタイム体験しちゃってるから意味ないしw)
「毎年、九州も行ってるよな? 楽しいの?」
「博多は観光はない。飯と飲みだけだ。」
「九州ってーと、トンコツラーメンとモツくらいしか思いつかんのだが、モツ・・・あんま好きじゃないんだよな。」
「俺、アジア住民なの。九州も日本の一部、日本食として捉えてるの。酒も飲まないでしょ? 焼酎の種類は豊富で、シンガポールの1/10くらいで飲めるという優越感もあったりするの。水炊き、リュウキュウって言ってもわからないでしょ? 俺には九州のキャバ嬢が付いてるの。ちゃんと福岡出身で、バイトじゃなくて、プロとしてずっとキャバやってる人だから、若くてもあの辺の飯とか、お酒とかに詳しいの。」
「酒飲まないしなぁ・・・。温泉とかあんの?」
ダメだ・・・アジア一国一愛人構想の威力、わかってねぇわ・・・。


おいしいスパゲティはサイゼリアで@シンガポール (コーヒーも良い)

撤退観測があるわけではないのだが、週一で通いつめてるヘビーユーザーゆえに、撤退は個人的に望まないw 利用者として。
http://www.saizeriya.com.sg/restaurant-outlets/
全部で15店舗もあるみたいだから、そんな簡単に撤退しないよね?(希望的観測)

サイゼリヤ―13%安と急落、アジア事業鈍化を懸念(銘柄診断)
2016/01/15 日本経済新聞
 14日の株式市場でサイゼリヤの株価が前日比13%(385円)安の2506円と急落した。全面安となった東証1部市場の中でも下落率は2番目の大きさだった。前日に発表した2015年9~11月期決算は大幅増益だったものの、成長のけん引役として期待されるアジア事業の伸びが小幅だった。中国の事業環境が悪化傾向にあり、海外での成長性に懸念が強まった。
 9~11月期は連結営業利益が前年同期比34%増の17億円だった。国内事業の利益が6割増えた一方で、中国などアジア事業の増益率は3%にとどまった。同事業の売上高は連結全体の約25%を占め、収益の柱に育ちつつある。「市場の期待が高まっていた分、失望売りが膨らんだ」(松井証券の窪田朋一郎氏)
 アジアの業績が鈍化した理由の一つはコスト負担の増加だ。社会保険制度への対応などで現地従業員の労務費が上昇した一方、出店数が計画を下回り固定費負担が重くなった。一部地域では「競合のファストフード店や現地の模倣店に客が流れた」(サイゼリヤ)のも影響したようだ
 予想PER(株価収益率)は約28倍と海外での成長期待から高い水準にある。中国経済などの先行きの不透明感は残るが、「海外で収益基盤を確立した数少ない外食企業として高い評価は揺らがない」(国内証券)との声もあった。

う~、嫌な記事だ。俺が利用する=俺が金を払う=割安=経営に厳しい、この傾向は事実で、私のお気に入りは厳しい生存競争の中で消えゆく傾向にある死神的存在ではある。ただ、私が利用している場合でも、米国マクドナルドほどの鉄板の収益構造を確立した完璧な企業ならば、お互いに客・提供企業として、存続可能なのだが、この記事を見ている限り、サイゼリアがマクドナルド体制を確立するには程遠そうだ。
2011.02.21: マクドナルドの繁栄の秘密? 研修不要、損益計算書から読むよ


グローバル企業は決算通貨を選択制に

海外売上比率という単語は非常によく聞く。一方、海外資産比率という言葉は聞かれることがない。日本を代表するトヨタという製造業だけでなく、昨今のアジアでの買収によりMUFGなどの銀行業もまた海外売上比率が高まっていて、日本の最大手=日本のグローバル企業の海外資産は増えていく傾向にあるのは間違いないだろう。
トヨタとMUFGという最大手企業を出しておいて、私個人という超零細の話にいきなり飛んで恐縮だが、私の場合、円資産比率が50%未満であるため、円ではじく損益計算(円中立)は大きくぶれてしまい、意味を感じない。ただ、日本株を見ているアジア時間は円中立、アメ株を見ているアメリカ時間はドル中立という複数の中立測度を持っている(個人だから許される自由w)のだが、長期で見る場合は、ドル中立を採用している。

人民元安、業績にリスク、中国での円建て収益目減り、価格競争力にも影響。
2016/01/15 日本経済新聞 朝刊
 人民元の対円レートでの下落が企業業績に大きなリスクとなりつつある。中国で稼いだ事業収益が円換算時に目減りしてしまううえ、中国企業にとっては輸出時の価格競争力が強まり、日本企業を脅かしかねない。人民元安はどんな企業にどのような影響が出てくるのか。代表的な4つのリスクにまとめて分析してみた。
 元は直近で対円レートでの下落が続いている。14日の取引は1元=18円弱で推移した。昨年8月の元切り下げ前のピーク時(約20円)に比べると2円強の元安水準になっている。昨年3月末(19円強)に比べても1円ほどの元安だ。
 では元安はどのように企業業績に影響していくのか。4つのリスクのうちの1つ目は中国事業の円建て収益が目減りする点だ。元ベースで同じ利益を稼いでも、元安円高だと円ベースでは少なく換算されてしまう。中国で稼ぐ利益の割合が大きいほど影響は深刻だ。
 TOTOは15年4~9月期に中国事業の営業利益の増益率が前年同期比で31%と元建てベース(8%)を大きく上回った。同期間の平均レートが1元=19・7円と前年同期に比べ3円強の元高になったためだ。逆に為替が円高元安に振れれば収益は目減りする。
 良品計画は中国を含む東アジア地域の営業利益が全体の約4割に達する。ファーストリテイリングも中国で世界全体の2割強にあたる414店舗の「ユニクロ」を展開している。同社は「生産面では影響は受けないものの、円ベースの収益は目減りする」としている。
 2つ目のリスクは中国企業の輸出時の価格競争力だ。元建てで同価格でも円やドルで安くなり、価格競争力が高まる。円安で日本の輸出企業が恩恵を受けるのと同じだ。新日鉄住金をはじめとした鉄鋼大手は中国企業との直接競合は少ないが、中国の輸出拡大で市況が悪化し、業績下押しにつながる。「中国企業が減産に踏み切るのか見守るしかない」(鉄鋼会社幹部)のが実情だ。
 3つ目は人民元安がアジア通貨安を引き起こす点だ。輸出で中国と競合するアジア各国は、競争力維持のために通貨を切り下げるとの思惑を生みやすい。昨年8月の元切り下げでは、マレーシア・リンギットやタイ・バーツなどが下落。キヤノンでは現地法人債務の評価損が発生し、ユニ・チャームも15年12月期の業績下振れ要因になった。
 4つ目は元安で内外価格差を理由に膨らんだ中国人観光客の消費だ。元安で円ベースの購買力が落ちれば、日本での消費の勢いも冷え込みかねない。今後は小売りや消費財メーカーの販売動向にも影響が出てきそうだ。

(会計上しょうがないのはわかるのだが、中国元の変動を円建てで見ているだけで嫌悪感が湧き出てくるわw)
など、という記事を見ていると、海外売上が円高で減るというフローのデータばかりに注目しているように見え、
海外利益=(海外売上-海外コスト)÷為替レート
ではなく、海外資産がある場合、
2008.01.21: 悲しい時は、中立測度変換  で示したように
DeriLec(MT).PNG
Value Change=S(t)*JPY/USD(t)-S(0)*JPY/USD(0) (注:これはドル中立の評価なので、円中立の場合は、USD/JPY(t)となる)
というストックが持つ資産効果による評価損益が大きい。企業の場合、海外負債によるネット効果があったり、会計上の問題で、(海外売上-海外コスト)÷為替レートとしても良い部分もあるが、一方、個人に近いファンドとなると、同日の新聞に、

投信、4年ぶり運用損、昨年の公募、2兆円規模に、海外資産の評価減響く。
2016/01/15 日本経済新聞

という資産効果のみに注目した見出しも存在する。
2015.07.09 アジア通貨よりも高いVolatilityを持つ日本円という事実
という数値で見てもわかるように、円はアジア通貨よりもドルに対してボラティリティが高く、かつまた、株と通貨の逆相関性を持っている。=株が上がると円安になるという意味だが、スイスフランと円以外は株が上がると通貨高になる傾向が”あった”。2013年FRBが量的緩和を止め、利上げを示唆するようになってからは、株高・「ドル高」傾向で、ドル高というのは円安でもあるので、日本から見たらいつもと同じ現象だが、ユーロやオージーなどは株高・通貨安という今までの逆方向であるというのは踏まえた上で、
2008.10.13: 株と通貨の相関
世界の金融緩和・通貨安競争が落ち着き、昔のような状況、円とスイスフランだけが株と逆相関性を持っていると仮定すると、円中立下では米国以外の海外資産の持つボラティリティは異様に高くなる。だが、逆に、円資産を保有しながら、ドル中立で評価すると、損益は異様に安定する。私は「2008年プラスの男」と称しているが、「ショートセルやデリバティブなどの複雑な金融取引を通じてw」儲けたわけではなく、単に円の現金を持っていてドル中立で評価しただけだw ちなみに円中立で評価すると2008年は大きなマイナスだ。円高だから当然といえば当然で、まったく面白くない・・・。
日本の大企業がM&Aなどを通じて、海外進出している記事が目立つが、大企業が事業計画や投資計画を練る際に、円中立測度で見た純利益のブレで「ぎゃーぎゃー」言われると、長期的な展望に立った視点を確立するのが難しいように感じるのは私だけだろうか。シンガポールの場合、企業の決算通貨は選択制だ。貿易比率などで見れば明らかで、国内市場の規模が零細すぎて、国際取引が多い企業にとって、シンガポールドル中立が意味を持たないというシンガポールのショボさ固有の事情があるのだが。
米国会計基準というのも結構だが、納税や会社法の都合で円建ての損益計算書を出すが、ディスクローズ資料としてのアニュアルレポートは、2000年から2015年までの決算をドル建てで見ると、「うちの会社、こんなに安定してるんです!」って企業が一社くらいあっても良いような気がするんだけどなぁ・・・。そうしないと海外進出の意義とか見出しにくくない??
【Tax Arbitrage法人・組織】
2015.02.26 ロビイスト アメリカ政治を動かすもの 2/4~ロビー活動の法的根拠
2014.11.14 第二次フィリピン遠征 2/10~ルソン島の工業地帯
2014.02.05 税金の論理 3/4 ~原始的な税制と先進的な税制
2013.05.31 基地と人権 2/2 ~国土と基地
2013.04.01 国際テロネットワーク 狙われた東南アジア 3/3 ~資金ルート
2011.04.14: 米国債券投資戦略のすべて2/3 ~決済
2010.11.04: グーグルの税率2.4%はアイルランド仕込みのダッチ・サンドイッチ
2010.10.06: マネー・ロンダリング入門 ~海外送金 
2009.10.13: 金融監督って難しい
2009.09.09: 世界の金融センターの候補地を選ぶ際の指針
2008.11.07: Tax Havenと相性のよいもの
2008.11.06: Tax Haven諸国の国としての特徴
2008.10.23: Tax Haven的観点による香港とシンガポールの違い


坂の上の雲八 22~小説なのか?

たいていの国の海軍刑法では、ネボガトフの「降伏しよう」という処置はその主将が死刑に該当することになっている。奮戦してのちの降伏なら「名誉の降伏」ということになるのだが、戦わずして敵に降り、その艦船もしくは兵器を敵に交付した場合その指揮官は死刑-ということになっている。ロシア海軍はとくにこの点で厳格な伝統を持っていた。かつてクリミア戦争のとき、ロシア軍艦1隻がトルコ海軍に奪われ、トルコ軍官として戦域を出没していたことがある。ときの皇帝はこれをロシアの汚辱として、全海軍に対し、「かの軍艦を捜索し、撃沈せよ」と命じ、執拗に督励したことがある。その皇帝の名は皮肉なことにこのネボガトフの旗艦の名前であるニコライ一世であった。
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寺内正毅は陸軍大臣になってから何かの用事で士官学校にやってきたことがあるが、校門に「陸軍士官学校」と陽刻された金文字の看板が青さびて光沢を失っているのを発見した。重大な発見であった。かれはすぐ校長の某中将をよびつけ、大いにしかった。この叱責の論理は規律主義者が好んで用いる形式論理で、「この文字は恐れ多くも有栖川宮一品親王殿下のお手に成るものである」からはじまる。「しかるをなんぞや、この手入れを怠り、このように錆を生ぜしめ、ほとんど文字を識別しかねるまでとは。まことに不敬の至りである。さらにひるがえって思えば、本校は日本帝国の士官教育を代表すべき唯一の学校であるにもかかわらず、その扁額に錆を生ぜしめるとは、ひとり士官学校の不面目ならず、我が帝国陸軍の恥辱であり、帝国陸軍の恥辱であるということは我が大日本帝国の国辱である」と説諭した。
この愚にもつかぬ形式論理はその後の帝国陸軍に遺伝相続され、帝国陸軍にあっては伍長に至るまでこの種の論理を駆使して兵を叱責し、自らの権威を打ち立てる風習ができた。逆に考えれば寺内正毅という器にもっとも適した職は、伍長か軍曹がつとめる内務班長であったかもしれない。なぜならば寺内陸相は日露戦争前後の陸軍のオーナーでありながら、陸軍のために何一つ創造的な仕事をしなかったからである。


坂の上の雲八 21~天気予報

「天気晴朗ナレド浪高シ」という文章は、朝から真之の机の上に載っかっていた。東京の気象官が、大本営を経て毎朝届けている天気予報の文章だったのである。日本の気象学と気象行政は、明治8年、東京赤坂で気象観測された時から始まる。同15年に東京気象学会が設立され、同17年に全国を7つに分けて地域の天気と予報が発せられた。
しかし、日本の気象学を実際におこすにいたった人物は、岡田武松(1874~1956)である。岡田は明治32年に東京帝大理科大学物理学科を卒業し、中央気象台につとめた。年表風に言えば、岡田の恩師の長岡半太郎が、この前年に原子核の存在を予言している。岡田が中央気象台に入ってほどなく日露戦争がはじまったため、彼は予報課長兼観測課長として、大本営の気象予報を担当することになった。戦争の運命を決定するのは時に気象であるということは、古くから言われている。このため日本は開戦前後から戦場の周辺に測候所を設置し始めた。韓国内では釜山、仁川など数箇所におかれ、華北では天津におかれた。
日本は気象学はその行政の面でも背伸びしていた。岡田は、「日本はロシアを相手に宣戦布告したが、世界中は日本を遅れた国だと思っている。だから英文の報告を世界の気象台や気象学会に送るべきだ」 として、戦時予報のために毎日へとへとになっていながら「中央気象台欧文報告」という海外向けの雑誌を発行した。岡田自身が編集し、論文も書いた。筋の通った記章研究者が何人もいないため、一つの号で岡田が4つも5つも論文を書いた。いよいよバルチック艦隊との衝突が近いというころになると、岡田は毎日の天気予報のために文字通り骨身をすり減らした。


坂の上の雲七 20~ベトナムの戦略的軍港

艦隊が祖国を発ったのは、去年の秋であった。10月15日、リバウ港を出て以来、かぞえてみればこのカムラン湾にたどりつくまで6ヶ月であった。カムラン湾はベトナム(フランス領)の東岸にある湾で、水深は十分で、ちょうど旅順港の地形に似て内港と外港にわかれている。もっとも厳密にはそれらを単なる入り江であって港とは言いがたいかもしれない。なぜならばフランス海軍はここを基地にしているとはいえ、実際にはほとんど港湾施設をほどこしていないのである。人間はほとんど住んでいない。電信局のある場所にフランス人が数人住んでいるのと、ベトナム人が50人ばかり小屋を作っているにすぎない。
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-ロシア艦隊が仏領ベトナムのカムラン湾に入り込んでいる。という報は、たしかにパリの外務省を驚かせた。外相デルカッセはこの種のことが起こってももはや同情する必要の無いロシアのためにフランスが国際紛争に巻き込まれることをかねて怖れていた。この情報をデルカッセに伝えたのは、当時外務省秘密諜報部につとめていてのち外交史について多くの著述をしたモーリス・パレオログで、かれがのちに発表した日記にとると4月19日である。デルカッセはほとんど狼狽したといってもいい。「カムラン湾?いったいカムラン湾などというような湾がわが属領に存在したのか。私は地名も聞いたことが無い。しかもその場所にフランスの官憲が駐在していたとは初耳である」
「ロジェストウェンスキーは、カムラン湾でネボガトフ少将の第三艦隊と落ち合うつもりです。それらが到着するまであと二週間はかかりましょう。もしもです、我が国がロジェストウェンスキーに退去を命じ、それによってかれに本国からの増援部隊を待つ場所を失わしめ、また十分な食糧を積み込む機会を失わしめたとすれば、あとあとロシアからの苦情はその理由をもって殺到するでしょう、われわれはフランスの冷酷な仕打ちのために負けたのだ、と。もし負けたとすればです、全責任を我が国にかぶせてきます」
「そのとおりだ」
と、デルカッセはいらいらしていった。妙案は一つしかなかった。幸い、現地のサイゴンにインドシナ(ベトナム)分遣隊司令官であるド・ジョンキエル提督がいる。同提督はむしろ外交官に適した機才と物腰のやわらかさをもった軍人で、この始末を彼に一任したほうがいい、本国から彼に与える訓令は、
ロシア艦隊に対し、できるかぎりの手心を加えつつ24時間以内に退去せしめよ。しかもそのあとロシア艦隊がどこへゆくかは無関心という顔つきでサイゴンへ戻れ
バルチック艦隊は4月22日、カムラン湾を去った。外洋に出た。沖合いで漂泊をはじめた。漂泊は長く続いた。おどろくべきことに25日まで漂いぱなしであった。しかし艦隊は遠くへは去らなかった。26日になってカムラン湾から北方50里のヴァン・フォン湾にもぐりこんでしまったのである。むろん、ヴァン・フォン湾は仏領であった。この報告を閣議の席上で聞いた首相ルウヴィエはテーブルを叩いて憤慨した。「わが海辺を、まるでロシア領であるかのように作戦根拠地にしているあの艦隊のずうずうしさ」とわめき、すぐ露都ペテルブルグに抗議せよ、といったが、しかし外相デルカッセは抗議の一件は握りつぶした。


坂の上の雲七 19~国際世論の中の日本

ロシア軍の本防御陣地は、清河城の南東にある。「まるで旅順だ」というところから、「小旅順」という呼び方で呼び始めた。むろんロシア軍陣地は野戦陣地にすぎず、旅順のような恒久要塞ではなかった。陣地作りのうまいロシア軍はこの付近の地形を利用しては巧みに陣地を作り、日本軍が近づくと猛烈な火網を構成して彼らに無数の死を生産させた。日本軍が陣地攻撃をするにあたってあいかわらず銃剣突撃をもってする型をくりかえし、そのためにかつて203高地において払ったような犠牲を払ってしまったからである。
型といえば、元来、軍隊というのは型そのものであり、その戦闘についての思考は型そのものであった。ついでながら型をもっとも種類多く暗記している者が参謀官になるという習慣が、日露戦争後に生まれた。日露戦争の終了後、その戦訓を参考にして作戦関係の軍隊教科書が編まれ、陸軍大学校における作戦教育もそれが基調になっていた。その日露戦争の型をもって滑稽なことながら太平洋戦争までやってのけるという、他のどの分野でも考えられないほどの異常さが、軍隊社会においてはむしろそれが正統であった。「日本軍は奇妙な軍隊である。その中でもっとも愚かな者が参謀憲章を吊っている」と、太平洋戦争の末期、日本軍のインパール作戦を専制的に防いでこれを壊滅させた英軍の参謀が語っているように、軍人というのは型の奴隷であり、その型というのは、その軍隊と、それが所属する国家形態がともどもに滅びさるまで滅びない。
日本軍の野砲は、31年式とよばれるもので、この一種類しかない。厳密な呼称は「速射野砲」という。ついでながら、日清戦争で用いられた日本の制式野砲は-ちょっと信じがたいことだが-青銅製であった。当時、世界中の陸軍で青銅という中世期的な材料を使った野砲を制式としていた国は日本だけで、この妙な砲を採用した理由は維新後十数年のあいだの日本陸軍の神経質的な苦悩から来ている。戦争には鉄を必要とする。のちにはこれに石油が加わる。いずれにしてもそれらの資源が国内において皆無に近い日本という国は、原型として近代的軍事国家を志すのは無理であった。維新後、前時代をつきゆるがした尊皇攘夷思想が、国家体制に吸い上げられて国防強化というかたちになったが、それには火砲を必要とした。このためドイツのクルップ砲を購入し、これをもってとりあえず陸軍制式に順ずるあつかいにしたが、しかしこれは臨時の処置で外国製の砲と砲弾をもって軍隊をつくるわけにゆかないという考え方がつねに正当性を持ち、この正当性が陸軍首脳の頭を悩ませ続けた。
「問題は、国産火砲をつくることにある。わが国産の鉱物を材料とし、わが国の工場でこれを製作しなければならない」
という基本的な考え方が確認された。ところが「わが国産」という肝心の鉄鉱石が日本にはないためにこの勧化方は買えて陸軍首脳の神経を痛めるもとになった。意外な人物から日本の陸軍省にあてた手紙が届いた。かつてナポレオン三世政府の命により、旧幕府の陸軍顧問として日本に駐在したことのあるブリューネーという砲兵士官で、かれは、
「日本には銅が多い。青銅砲はどうか」
といってきたのである。さっそくイタリアからこの砲の製造に必要な諸機械をとりよせ、大阪工廟にすえつけ数門製作した。これにクルップ砲弾をこめて試射したところ、その結果は良好であった。
「非常に結構なものだ」
「結構」といわれたこの青銅野砲の初速は420m、最大射程わずか5000mであった。これと同じ口径(75ミリ)をもつドイツのラインメタル式の野砲が初速700m、最大射程14000mであることをおもうと、おもちゃのようなものであった。この青銅野砲でもって日清戦争を戦った。


坂の上の雲六 18~孤独な航路

薩摩藩が、西洋音楽に興味を持ったのは、文久3年(1863年)7月、この藩が鹿児島湾において英国艦隊と戦った戦闘が契機になっている。この戦いでは、いま三笠に座上している東郷平八郎も父吉左衛門および二人の兄とともに、齢17で参加した。かれは五ツ蔦の定紋を打った陣笠をかぶり、ツツソデのブッサキ羽織にタチアゲ袴をはき、両刀を帯し、火縄銃を持ち、母親の益子の「負クルナ」という声に励まされて家を出、持ち場についた。英国艦隊は艦砲で尖頭弾と火箭を送り、薩摩藩は沿岸砲に円弾をこめて応酬し、戦闘は結局は勝敗無しの引き分けといった結果になったが、この戦闘中、英国軍艦の上では士気を鼓舞するためにしばしば軍楽が吹奏され、それをきいた薩摩藩士たちは敵の身ながら感動し、戦後、「あれはよかもんじゃった」ということになって、いつか機会があれば藩に取り入れたいという相談があった。それが実現した明治4年、兵部省付属になり、翌5年兵部省が廃止され陸海軍両省がおかれたときこの軍楽隊が陸軍と海軍に二分された。このため、海軍軍楽隊のメンバーにはこの日露戦闘の時期でもなお薩摩人が多く、「軍艦行進曲」の作曲で有名な瀬戸口藤吉も薩摩生まれで明治15年海軍軍楽隊生徒になった。
「外国には、国家の次にその国を代表する歌があるが。残念ながら日本にはない。おまえ、作曲してみないか」といって、華族女学校の先生である鳥山啓というひとのつくった「軍艦」という歌詞を示した。国民的な歌唱の主題として「軍艦」が選ばれたというのはいかにも明治国家らしく、ある意味では象徴的なことであった。鳥山啓の歌詞ははじめ「此の城」という題がついていた。瀬戸口はこの作曲に熱中し、つくりあげて「軍艦」という題にして明治30年に発表したがそれが気に入らず、1年ほど推敲を重ねて、「軍艦行進曲」を仕上げ、明治33年4月30日、神戸沖観艦式ではじめて演奏された。このころの「軍艦行進曲」はハ長調で、その後のものと少し違っている。その後、歌うには高すぎるということで、明治43年、ピアノ編曲で出版されるとき瀬戸口がこれをト長調にあらためた
ロジェストウェンスキーの容貌は、神が「非凡さ」ということをテーマに彫り上げるとすればこの顔になってしまうだろうと思われるほどにすぐれた造形性をもっていた。聡明でよく澄みよく輝いた両眼、端正な鼻と品が良くて意志的な唇、といったぐあいに道具だてを個々に取り上げても優れていたが、それが顔として総合されてもなお、一個の力を感じさせる容貌であった。かれはロシアの将官としてはめずらしく貴族の出ではなかったが、その容貌は貴族中の貴族であることにふさわしいものであった。かれは抜群の成績で海軍兵学校を出、尉官時代はその有能さで上官から畏敬された。佐官時代は主に陸上勤務であったが、砲術の研究者として優秀であった。ただし独創的な業績やひらめきは少しも持っていなかった。さらに海軍省にいたときは事務家としても、物事の処理者としても有能であり、部下に対しても厳しく、上官に対しても言うべきことは言った。もし彼の生涯において戦争というものがなかったならば、この不戦の提督はロシア海軍の逸材として国家の内外で大切にされ、幸福な余生をどこかの別荘で送ったことであろう。が、かれはロシアの多くの提督の中から選ばれ、とほうもない冒険と計算力を必要とする戦争に引き出されてしまった。
ロジェストウェンスキー
Zinovi_Petrovich_Rozhestvenski.jpg
> そこまで褒めるほどの容貌か?


坂の上の雲六 17~左はヨーロッパ、右は日本

もともと戦争というのは、「勝つ」ということを目的にする以上、勝つべき態勢を整えるのが当然のことであり、ナポレオンも常にそれを行い、日本の織田信長も常にそれを行った。ただ敵よりも二倍以上の兵力を集中するということが英雄的事業というものの内容の9割以上を占めるものであり、それを可能にするためには外交をもって敵をだまして時間稼ぎをし、あるいは第三勢力に甘い餌を与えて同盟へ引きずり込むなどの政治的苦心をしなければならない。そのたと行われる戦闘というのは、単にその結果に過ぎない。こういう思想は、日本にあっては戦国期こそ常識であったが、その後江戸期に至って衰弱し、勝つか負けるかという冷たい計算式よりも、むしろ壮烈さの方を愛するという不健康な思想-将帥にとって-が発展した。その屈折した結果として、江戸期の士民を勘当させた軍談は、ことごとく少人数をもって大軍を防いだか、もしくは破ったという記述的な名将譚であり、これによって源義経が愛され、楠木正成に対しては神秘的な畏敬を抱いた。絶望的な籠城戦をあえてやってしかも滅んだ豊臣秀頼の、大坂の陣は、登場人物を仮名にすることによって多くの芝居が作られ、真田幸村や後藤又兵衛たちが国民的英雄になった。その行為の目的が勝敗にあるのではなく壮烈な美にあるために、江戸泰平の庶民の心を打ったのであろう。この精神は昭和期まで続く。
この時代、ヨーロッパだけでなく世界中の情報がロンドンに集まる仕組みになっていた。英国が、ヨーロッパの政治的風景を海峡を隔てて鳥瞰できる地理的位置にあったことと、さらには英国政府が何世紀もかかってその地理的利点にみがきをかけ、ロンドンをもって豊富な情報の合流点にしたこともあるであろう。この時期の英国外交は、その豊富な情報の上に成立していた。さらにこれを厳密に言えば、英国人の冷徹さが、その情報の処理とそこから事態の真相を見抜くという能力に極めて適合していた。「英国の外務省を味方にしていれば世界中のことが分かる」と、この当時、駐英公使を務めていた林董がいったが、そのとおりであろう。たとえばベルリンで得る情報は、ドイツ人の主観が強く入っているか、それとも権謀好きのドイツ人の手で歪曲されているか、そのどちらかであることが多い。またパリはすでに外交の主舞台ではなく、ローマは外交上の田舎に過ぎなかった。


坂の上の雲六 16~防御戦

好古がとっている戦法は、「拠点式陣地」という特殊なものであった。騎兵本来の特質から言えば急襲と奇襲あるいは挺進という機動戦法こそとらるべきであったが、かれが総司令部から命ぜられている任務は全軍の左翼を警戒し防衛するといういわば非騎兵的任務であった。それが、あるいは兵力僅少な日本騎兵として当然の在り方であったかもしれないが、その警戒と防衛という任務にしても、わずか8,000で40キロの広正面を守るということは半ば不可能に近い。このため、かれは、「拠点式陣地」という方法を取った。4大拠点それぞれに枝が出ていて小拠点が多数ある。いずれも部落の周りに散兵壕をほり、前面に障碍物を設け、土壁には銃眼を穿って堅固に城郭化し、それをもって小兵力で敵の大軍と対決しようというものであった。(敵が3万やってきてもなんとかやれる)という自信が好古にあった。しかしながら現実にやってきた敵は10万以上であった。
日本人には、元来防御の思想と技術が乏しい。日本戦史はほんの数例をのぞいては、進撃作戦の歴史であった。防衛戦における成功の最大の例として、戦国末期、織田信長の軍団を数年にわたってささえつづけた石山本願寺(いまの大阪城付近)のそれが存在する。本願寺は戦闘では最後まで戦闘力を失わずに戦勢をもちこたえたが、結局は外界の外交事情が不利になり、和睦した。このいわゆる石山合戦の場合でも、防御戦のための工学的な配慮や物理力が存在したわけではなく、物理力と言えば「堀一重、堀ひとめぐり」というかぼそいものであった。この合戦の本願寺側の防御力をささえたものは、門徒たちの信仰の力しかない。この点、徳川初期の島原の乱におけるキリシタン一揆も同じ事情である。日本人のものの考え方は、大陸内での国家でなかったせいか、物理的な力で防御力を構築してゆくというところに乏しく、その唯一の例は秀吉の大阪城ぐらいのものかもしれない。秀吉はかつて自分が属した織田軍団が、あれほど石山本願寺の防御力にてこずったことを思い、同じ石山の地に大阪城という一大要塞を構築したが、その規模の大きさは城内に10万以上の兵士を収容できるもので、それ以前の日本史ではとびぬけたものであった。しかし結局は大坂夏の陣において、家康の野戦軍のために陥ちた。物理的な構造物が存在しても、防御戦という極めて心理的な諸条件を必要とする至難な戦いをするには、民族的性格がそれに向いていないからであろう。


2015年のオプション市場と私の戦略

オプションの損益とリスク認識の主観性について、前回述べたので、今回はもう少し具体的な取引、取引戦略にまで踏み込んで行こうと思う。
ではまず、結果から。
DDvsSP500-2015.jpg
オプション戦略であるDancing Dragon(以降DD)はオレンジ、S&P500が水色だが、DDはS&P500のオプション取引を開始した2013年9月の開始時を10,000として、資金の出し入れを控除したパフォーマンスベースで指数化した左軸、S&P500は単純な現値を右軸に取っている。
年初を100と基準化して比較しても良いのだが、S&P500の絶対水準、DDの2014年からの継続性を重視して、縮尺が多少違う軸を使用しつつの比較である。DDは10500~12500だから19%の範囲、S&P500は16%の範囲なので、実際のボラティリティはグラフ上の見かけよりDDが高い。
でも縮尺がどうあれ、DDはプラスで終わり、S&P500はマイナスなので、1年を通してじりじりと逆転している様がわかるであろう
このグラフで私が言っているまま、すなわち、デルタロング、ガンマショート、ベガロングのポジションを保持していることがわかった諸君は、うん、プロだなw


2015年投資一族のオプション取引の成績

オプションのリターンやリスクの定義は難しく、多かれ少なかれ、主観的要素が入らざるを得ない。2015年の成績を振り返っていて、オプションが入ると注釈をつけたほうが適切なのだが、その注釈が長すぎて、全体の説明の要旨がぼやけてしまいそうだったので、別途、本日、説明することにする。
リターンから説明しろ、という気持ちは分かるのだが、まずはリスク認識からw
1.リスクアセット比率
私の場合は金融資産のみなので、総資産のうち、どれだけ株に投資しているのか? というリスク認識について。
現金と株だけなら、その時価で比率を計算すれば十分であろう。しかし、先物やオプションなどのデリバティブが入ると、時価とリスクが乖離する。もっとも分かりやすい日経平均先物でいえば、先物を20,000で1枚買って、今現値が、20,000なら先物の時価は0になる。しかし、当然ながらリスクエクスポージャーは、2000万円相当の日経平均を保有しているのと等価だ。
と言える分だけ、先物はまだ単純だ。オプションの極端な例として、明日満期のATM Callを1枚ロングしていた場合、時価が40円で、デルタが半分として、1000万円相当の日経平均を保有しているとして良いだろうか?
もちろん、金融機関のリスク・エクスポージャーとしては、機械的に(客観的に)、1000万円相当のデルタアマウントを計上するのが適切であるが、個人として、明日満期のATM Callを1枚をNakedで保有していて、株を1000万円分、保有しているのと等価と言うことは、果たして自然だろうか? 仮に明日、日経平均が5%下がれば、1000万円分保有しているのなら、50万円の損失になるのだが、このオプションでは4万円しか損しないということがわかっていて保有しているのにだ。
1億円の金融資産を所有しているが、そのすべてが40円のオプションで、2500枚保有するというポジションもありうる。その場合、数値的には250億円の株式エクスポージャーを保有している、と個人として発言するのはまともな発言か? ただ、これは個人としての「つぶやき」を越えて、デリバティブの会計基準に対する疑問符でもあるのだぞ。
実際に私が満期まで後1日のオプションをロングなりショートなりのいずれの形でも保有していることは無いのだが、私がメインとしているスプレッド取引のデルタに対するガンマの比率は、ショートタームのNakedよりも大きくなることは当たり前に存在する。
だから、私はあえて、リスクアセット比率、私の場合は株比率だが、オプションはいかにデルタを取っていようが、株だけの時価評価の比率で計算している。私のリスクアセット比率を40%しか取っていないのに、上昇相場についていけるのは、ここに「嘘」、というか表現しきれていない真実があるからだ。オプションのポジションで発生している年間の平均のデルタエクスポージャーを足せば、株式の比率は60%~80%はあるだろう。そうでなければ、この長年にわたる上昇相場についていけるはずもない。
2.リターンの定義


2015年投資一族のポートフォリオ

2014年末から2015年末へのマーケットの変動は、

2014		2015
S&P500	2058.90		2043.94		-0.7%
JPY	119.4		120.4		-0.8%
TOPIX	1407.51		1547.30		+9.9% (※円建てリターン)

夏終わりの下げはあったものの、あんまり変化無しという年であった。
一方、投資一族のリターンは、ドル建てで+5.6%。円建てだと+6.6%。ちなみに12月30日時点ではドル建て最高時価総額だった。31日下げたから、最高値で終わらなかったが、要は自分自身の資産総額はほぼ最高額で終わったということだ。
しぶといなぁ、俺も・・・。毎年、ショボいリターンだけど、負けない戦略だねぇ。健全な投資家である良い子の皆さんは、僕の真似しちゃ駄目だよ。負けない投資というのは勝てない投資だからね。「絶対にウォーレンバフェットになれない、負けない投資」と言えばわかりやすいかな?
1年以上の期間で見る場合、円建てリターンは円のボラティリティが高すぎて、円安なのか、円高なのかが非常に大きく影響してしまいあまり意味が無いので、ドル建てリターンで見たほうが健全だ。
ドル建てで通貨×アセットクラス別に見た成績は・・・、
1位:アメ株 +15.3%
2位:日本株 +7.5% (円建てリターンは8.5%)
3位:S&P500 Options +6.0%
4位:日経225オプション +4.3% (円建てリターンは5.2%)
・・・
ワースト2:中国人民元預金 -3.6%
ワースト:AUD Futures -7.2%
なんだか、2014年末にもアメリカ株が好調で、日本株もプラスだがTOPIXに負け、オプションはなかずとばず・・・というまったく同じ結果を書いたような気がするが・・・、2015年も同様です・・・。
でもS&P500には勝ったぞーw
我らが米国軍需産業ロッキードマーチンとレイセオンによるところが大きいのかなぁ?
F35.jpg
コード 2014  2015       トータルリターン
LMT 192.57 -> 217.15 配当6.15  +16.0%
RTN 108.17 -> 124.53 配当2.615  +17.5%
おおー! 軍需産業がんばったw 上がってるなぁという感じでボーッと見てたけど、みんな上がってるし・・・とか思ってたら、S&P500は微マイナスなんだなぁ・・・。


遥かなるマレーシア対岸2

Pasir Risからマレーシア対岸に臨むウォーキングコースに失敗したので、リトライです。EW Line(緑のMRT)の東の果て、Pasir Ris駅まで電車で行きます。そこから歩きで北上し、マレーシア対岸を目指します
たった一か所曲がるところを直しただけで、無事にマレーシア対岸に。
Far-Malaysia-Retry_c.jpg