先史時代後期の狩猟採集者たちは。狩りや死肉をあさって手に入れた動物とともに、採集したさまざまな植物を食べていた。当時はほとんど手を加えることもなかったので、長く嚙まなければならなかった。初期のヒトは食べることに多くの時間を費やしていた。2011年8月に発表されたハーヴァード大学の研究によれば、それは1日のおよそ48%にのぼるという。現代人は4.7%。およそ190万年前、チンパンジーの系統永久帰れたのちに人ふいにつながる系統において、食事にかける時間がなぜか大幅に減少した。この系統が進化し、ホモ・エレクトスになると、臼歯のサイズが一貫して小さくなっていくのがわかるのである。

旧石器時代から「美食の」探求が存在したのであり、それは無視できない結果をもたらした。食べたり噛んだりする時間が減ったことから、先史時代の人間はより多くの時間を狩りや道具作り、社会生活といった別の活動に振り向けるようになり、そうすることで自らの生活条件を改善していった。一日に飲み食いする食物のカロリーも増加したことだろう。加熱した肉はより食欲をそそり、穀物のように炭水化物を多く含む食べ物は、エネルギーがより豊富だからだ。身体の変化がそのことを示している。臼歯が小さくなっただけでなく、腸が短くなり、脳の容積が増加したのである。

私たちが今でも発酵食品に特別な感情を抱くのは、それがはるか昔、神にさかのぼる起源を持つからではないだろうか。キリスト教でパンが神聖視されたことは、世俗の風習にも大きな影響を与えた。つい最近まで、一家の主人はパンを切る前にナイフの先でパンに十字を入れるのが普通だった。パンは決して捨てたり無駄にしたりせず、残ったパンはスープに入れたり、パン粉やフレンチトーストにした。パンはナイフで切るのではなく、手で割かなければならなかった。フランス語には、パンに関する格言や成句がたくさんある。それらはパンの文化的な重要性をよく示している。「パンのない一日のように長い(うんざりするほど長い)」とは言うが、肉や野菜やお菓子のない一日とは言わない。先に楽をするのは「黒パンの前に白パンを食べる」。「鞄の中やマントの下でパンを食べる」のはケチということ。はじめにやり方を誤ると期待した成果が得られないのは「窯の入れ方が悪いと角のあるパンができる」。よからぬ企てに加わりたくない時は「そんなパンは食べない」。「パンよりバターを約束する(安請け合いする)人間には用心しなければならない。「ひと窯のパンから一個拝借する」とは結婚前に妊娠すること。そして死ぬのはただ「パンの味がなくなる」と言う。
発酵食の名産品を求めて世界を巡り歩いていると、いたるところで、発酵食品がこの種の格言や習慣、信仰、迷信、魔術的行為、儀礼と結びついている。それらは宗教というより民間信仰に近いが、集団的な無意識において、発酵食品が原型としていかに重要な役割を果たしているかがよくわかる。発酵食品は人間の活動を神聖なものにする。生きている人や死者に敬意を表する時、あるいは子供の誕生や記念日、大事業、良き知らせの報告のような、おめでたい出来事を祝う時、人は乾杯したり、一つの発酵飲料をみんなで飲んだりする。結婚式で挙げるのはワインの祝杯であって、水ではない。スポーツのイベントでは勝利を祝ってシャンパンの栓が抜かれる。

サカナの発酵について語る時、古代ギリシアの「ガロス(小魚の意)」、古代ローマがこれを受け継いでラテン語で「ガルム」と呼んだものに触れないわけにはいかない。ラテン人はこれとは別に「ムリア」を作っていたが、その語源はアッカド語の「ムラトゥム」で、ジャン・ボテロはこれを塩辛いと訳している。ガルムやムリアは地中海沿岸において、ベトナム料理のニョクマムに相当するものである。古代ギリシア・ローマ人は乳酸発酵した魚の汁で、料理やいくつかの飲み物に味をつけていた。古代ギリシア・ローマ人は魚のソース(魚醤)に目がなかった。ギリシア人はエジプト人からそれを教わり、エジプト自身は、前4000年紀頃にメソポタミアに定住したシュメール人から受け継いだ。
地中海沿岸には何種類ものガルムが存在していた。最高級品は主に「スコンブロス」、サバで作られた。魚の血やはらわたといった、本来なら捨てられてしまう部分を塩漬けにする。もっとも評価の高いものは、ガルム・スキオールム、スパインのガルム、黒ガルム、ないしはガルム・ノビレと呼ばれ、魚の血と内臓だけで作られている。この最高級のガルムにつけられた「ソキオールム」は「企業」という意味でつかわれる「ソサエティー」のことでこれはおそらく商標、ある種の品質ラベルだった。産業のはしりともいえるこのソキオールムは、専用の漁場と製塩所全体にたいする使用料を支払うことで、ローマ国家に莫大な富をもたらした。