月: 2016年7月

最近数年の新しい変化って何がある? ドローンの操縦

消費税が上がりましたってのは、変化かもしれないけど、新しくないですよね。
ビッグデータ? 俺も文字情報では認識してるけど、あなた関係あるの?

時代錯誤指数の確認のための良い質問だと思います。スマートフォンはこの数年で一気に普及し、皆さんの身の回りの代表的な変化だと思いますが、ガラケーやパソコンを持っていた日本人にとって、スマートフォンはどこまで革命的な変化だったのでしょうか? 私はガラケーを使ったことはないのですが、電話機能、E-Mail、Web閲覧はできていたはずで、ゲームなども充実していたので、スマホとガラケーの差分は、大きな変化ではないと思うのです。

私が主に使っているスマートフォン自体の独自の性能、GPS搭載で地図がナビになる程度で、これでも大きな変化ではありません。私にとってのスマートフォンの革新性は、機能ではなく、普及にあります。世界の民がインターネット環境を手に入れたことが大きいと思っています。

日本の場合、2000年以降はガラケーと家庭やオフィスで使うパソコンは完全に普及しきっていて、インターネット環境がない人は、年寄りを除けばほとんどいない状況でした。一方、香港とシンガポールを除くアジアでは、ノキアの携帯は普及していましたが、どんなものかというと携帯電話機能が主でインターネットに接続する(こともできるがそのように使われていない)ことはありません。そして家庭にインターネット網が敷かれていることはなく、パソコンも当然ありません。1980~1990年代の日本に近い環境を想像してもらうとよいかもしれません。当時、E-Mailアドレス・Webなる概念は、一般的ではなく、連絡手段は主として電話とFAXでした。

1980年代の日本にいきなりスマートフォンが登場したとしたら、それは革命的な変化です。それがアジアにおけるスマホの衝撃です。日本の場合、一般家庭において、インターネット環境は電話回線、ISDN、ADSL、光ファイバーと徐々に発展してきましたが、アジアにおいては、途中を全部ぶっ飛ばして、いきなりスマホのモバイル環境によるネット接続が登場しました。日本中に線を張り巡らせて作るインターネット環境は、天下のNTTに匹敵する莫大な資本力が必要ですが、アジアでは全土にくまなく線を引く必要はなく、携帯電話網でネット環境を構築しました。(これでも金はかかるので、アジアにおいても通信インフラ企業の時価総額は大きいですが)

日本においてはスマホの登場は、GPSとタッチパネルくらいかもしれませんが、アジアにおいては、スマホ=民がインターネットを手にしたことを意味します。だから今まで、電話でしかコンタクトできなかった人とインターネットによってコンタクトできるようになったのです。国をまたいで遊ぶ時、電話はとても不便なものでした。シンガポールのフィリピンパブに出稼ぎに来ているフィリピン人がいました。2000年代までは、ノキアの携帯しかなかったので、フィリピンに帰ってしまった瞬間、電話番号が変わり、連絡を取るのが難しくなります。日本人にわかるように説明すると、今の私もそうですが、固定契約=固定の電話番号で毎月いくらってのは一般的ではありません。国についてシムカードを買うまで、電話番号はわからないものなのです。だから、事前に次の電話番号を通知することはできません。しかも国際通話は異様に高かったのです。しかし、2010年以降は、SNSで登録しておけば電話番号のように国によって変わってしまうこともなければ、無料でテレビ通話もできてしまうのです。

これが私が繰り返し主張している最近の変化、スマートフォンではなく「スマートフォンの普及」です。

そんな私に「自分は時代に置いてかれている」と認識させるお誘いが来ました。

今度、ドローン飛ばすんですけど、遊びに来ますか?

皆さんに質問、ドローンを知らない人はいないと思いますが、見たことありますか?どうやって操縦するか見たことありますか?

場所はシンガポール・チャイニーズガーデン。ジュロンイーストよりさらに西へ一駅行くと…駅前に広大な原っぱが…。うーん、シンガポールで、いるだけで目が良くなりそうな広い原っぱ初めて見たぞ。ドローンの前に、まずそれが衝撃だw

4つのプロペラがついたドローン登場。どんな風に操縦するかは後述しますが、動きとしては想像通り、ただ、思ったより速い、時速で80kmくらいまで一気に加速できる性能は驚きました。そして…、誘ってくれた友人のドローンは、飛行機型。

ググるとこんな近代的な形

Drone-01

Drone-02

ただ彼のドローンは…

Drone-03

あれ? プロペラの位置は少し違いますが、これに近い。

これが失礼な話、超ショボい見かけでした。昔、親父と飛ばした、ゴムをキリキリ巻いて飛ばすおもちゃの飛行機を思い出すほどに、クラシカルな見かけでした。大きさも同程度です。(なんだこれ…ショボいな…というのが正直な私の印象でした)

とばしてあそぼう シリーズ TA-06 ゴム動力飛行機

ただ、よく見ると素材は発泡スチロール、そして主翼と尾翼には、本物の航空機さながらの可動翼がちゃんとついているところが、ゴムの飛行機と違います。この発泡スチロールの飛行機に、遠隔可動カメラがついており、ヘッドギアの動きに合わせてカメラが動き、カメラ映像はスマホに飛ばすことができます。これは飛行機(飛行機型ドローン)自体の性能とは関係ない技術なので、いいでしょう。

ピピッ、ピピッ

「ちょっと今、GPSと同期を取ってて少し時間かかります」
「先生、GPSですか? GPSなんて何に使うんです?」

「遠くまで行きすぎたり、なんらかの原因で、コントローラーと通信不能になることがあるのですよ。その時、GPSとオートパイロットで戻ってくるんです。」

「!!!!!!」

オートパイロットだとぉ? こんな小さい飛行機にオートパイロット機能を搭載できるほどに制御装置は小型化されているのか! 小型なのでパワーこそないのですが、飛行能力は旅客機とほとんど同じというのが私にとって大変な衝撃。

「じゃ、そろそろ飛ばしますね」

このプロペラ機は、滑走路がないので、先生が自分の手で飛行機を投げるというマニュアルカタパルトで離陸。すーっと綺麗に飛び始めます。あっという間に高度が上がって、100メートル…、300メートルを超えたあたりで、わずか50cmほどの飛行機は目では見えなくなってしまいました。

4つのプロペラがついたドローンも飛行機型ドローンも、彼らの操縦法は同じです。どんな風に操縦しているか想像つきますか?

私は「ラジコンヘリ」を操縦する姿を想像していたのですが、彼らの姿は「無人戦闘機」の操縦と同様です

確かにドローンに遠隔可動カメラがついてたし、その画像が手元に送られてくるのは知っていました。なんらかの撮影目的だと思っていたのですが、実はそれを見ながら操作するのです。ヘッドギアにスマホをくっつけて、遠隔可動カメラによる映像を見ながら操縦。これってもう、目視でヘリ本体を見ながら操作するラジコンではなく、ドローンと同じ目線で地上や建造物を見ながら操縦するとは、完全に無人戦闘機と同じ操縦ではないか。

だから目に見えないほどの高さまで飛行機は高度を上げているのですが、先生はヘッドギアを付けながらずっと操縦しています。直進するとコントローラーの圏外に出てしまうので、大きく旋回しながら高度を上げていくのですが、それは風景を見ながら、マニュアルで操縦。それってもう航空機の操縦と同じじゃない…。私も送られてくる画像を見ていたのですが、どっちの方向を向いて、今、飛行機が上空のどの位置にいるのか、その画像を見ても全く分からなかったのですが、先生はその同じ情報を見て、「飛行機を遠隔操縦」しているのです。

本当はGPSとオートパイロット機能を見たかったのですが、無事に操縦で戻ってきました。

はい、では最初の質問に戻ります。

最近数年の新しい変化って何がある?

ってドローンを操縦している彼らに聞けば、次から次へと、「こんなことができるようになった」「次は多分こうなるだろう」という新技術や新製品の話が出てくるんですよ。

ねぇ、諸君ら何年、早期償還ノックインやってるの?
時代は変わってるっぽいぞ。


Maker Faireに行ってきました

場所はイーストの果て、expoにあるSingapore University of Technology and Design、新しくできた大学のようです。Maker Faireはアカデミックなイベントではなく、一言でいえば、子供に面白い遊びを提供するイベントです。

なぜ、このようなイベントに予算がつくのか?

斜めにシンガポールを見ている私の偏見ですが、シンガポールは図工教育してない(していたとしてもあまり熱心でない)影響が強いと思います。必要最低限の教育に集中するあまり、失われた文化を求めて、ということです。ドラマ「モンスターペアレント」の哀川翔のセリフで

2012.12.06 どうか子供たちに関わらないで欲しい

「図工なんて教科は大学受験にはありませんよ。そんなことをしている余裕はウチの息子には無いんです」ってのがあるわけですが、缶の絵を立体的に描けないとかカラオケが超下手な「大人」が多いシンガポールに住んでいると、図工や音楽の必要性に気付けます。ただ、子供のためのイベントという面だけではなく、ビジネス的なつながり、スポンサーを見つけるなどの意味もあります。

ブースの出し物をバーッと見ていると、いわゆる、日本であれば図工の授業で取り扱うような、絵をかいたり、粘土だったり、工作的な出し物が多く見受けられます。

誘ってくれた私の友人の出し物は、ちょっとハイテク。ドローンに360度撮影できるカメラを装着して録画し、その録画映像を、ヘッドギアにスマートフォンを付けて見ます。ヘッドギアは顔の動きを認知し、360度立体的に見回すことができます。ヘッドギアとスマホが連動していて、スマホの画像が顔の動きに合わせて動きます。何言ってるかわかりますかね? 高度が上がっているときに下を見ると少し怖いくらい臨場感があります。360度とはいえ、完全なものではないらしく、360度カメラをドローンにぶら下げて撮影しているので、上を向くとドローン本体が映り込んでしまっているようです。私は上を見上げなかったので気づきませんでしたが。

このイベントは、企業ブースだけではなく、個人でも出展できます。私の友人は、なんと「個人ブース」。完全な趣味目的だそうです。普通にお勤めしている方です。上記で紹介した各機械は、子供の小遣いでは買えないかもしれませんが、大人なら普通に買えるそうです。それらを自分で組み合わせて、3Dプリンターで作った支柱で補強して、実験して…という準備をして、イベントで制作発表。

イベントはビジネス目的もあるので、参加者は子供だけではないのですが、子供たちが「人間の持つ自然な好奇心」をもって、「なんだろう?」と興味を持って引き込まれている姿は、素晴らしいですね。私の友人、そして同じブースで制作発表している方々の「お顔」が、おだやかで優しそうな顔してるんですよ。その人たちを門外漢丸出しの俺がポツーンとうらやましそうな顔して、ちょっと離れて見つめているという構図が想像つくだろw でも、お前ら笑えないぞ。俺たちの業界で、そういう顔した人いないでしょー?

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素晴らしい休日の過ごし方だと思いませんか?

周りに子供がいれば、どんな人でも良い人に見える。これは今でもその通りだと思うけど、基礎が違うわ。刑事課の刑事さん、どっちが犯人だかわからない、ってのと同じでね。「マーケットでバカ見つけたら、そいつから根こそぎ搾り取る」なーんて普段から思ってると、顔に出るよ。

俺、基本的に子供好きなんだよね。子供ってのは自分の血を分けたという意味ではない意味の子供。先ほど書いた子供が自然に持っている好奇心、向学心。これを目の当たりにすると「かーーーっ」と燃えてくるのよ、「俺も負けられない」ってライバル心がな。まま、子供の向学心や成長力に勝てるわけもないんだけど、それでもね。だって逆の年寄りって、年金受給年齢が延ばされた、消費税上がった、アベノミクスでも生活はよくならん、とかさー、あと、病気の話?聞いてても全然面白くない。人生の先がないからかもしれないが、話の中身まで将来性と生産性がない。価値=将来のキャッシュフローの現在価値の和じゃんw


光線空間法 プレゼンテーションの仕方

シンガポールに遊びに来た理由の一つに、「光線空間法」の講義を聞きたいというのがありました。なんだか難しそうに聞こえますが、端的に言えば、「次世代テレビのテクノロジー、たくさんの光を解析するとより現実に近い画像が作れるようになりますよ」という話です。

最新のテクノロジーというとグーグル、という印象ですが、このコンピューターグラフィックスやホログラムの世界は、マイクロソフトとディズニーが強いらしいです。

先生らしいなwと思ったのが、人間の反応について。脳神経の視点から刺激に対してどう人間が反応するかという演繹的手法ではなく、人間の反応を、コンピューター的に細かく分析し、帰納的に求めた原因で、人間の反応をかなり精巧に説明できる。というものです。これは前に紹介した「統計学は最強の学問である」という本の骨子で、コンピューターの計算速度が飛躍的に伸びたことで、統計分析をより簡易に、精度高いものになったのと同じ。そして、金融業界における、ブラックショールズを解析的に解くことが美しいw(ほんと(笑)だw)と思っていた、若かりし頃の私が、最も多用したプライシングメソッドは、皮肉なことに、乱数をたくさん発生させて平均をとるという「数学的美学w」に反する、「モンテカルロシュミレーション」であったことも、偶然ではなく、すべて、コンピューターの計算速度の向上が原因です。

先生が私に転送してくれた衝撃的な論文はすでに記事になっていて

アメリカ・フロリダに行ってきました 1/4~アナ雪と微分方程式

前回書いたことは、プレゼンテーションとしての完成度。いかにして素人の学生に興味を持ってもらって研究人口を増やすか、あるいは、いかにして素人の金主にファイナンスさせるか、ということが主眼で、私が学生時代に受けていた、教授が念仏を唱えているような講義とは全く違うことが衝撃であった。

ちなみにダーマン&カニのLocal Volatilityとかは読んだけど、それほど衝撃受けなかったんだけどな。しかし、話も論文も古いな、もう10年以上も前の論文だし、ジャンル違うしなw

さらに、私は大学不要論者になってしまった。投資一族を引き連れて、東大見学ツアーを実行したのは3年位前だったが、今はもう考えが違う。この論文、無料だぜ。有名な大学であればあるほど、ネット上の無料のオープンキャンパス充実してるし、講義の英語がどうしてもつらければ、最初は論文にしてグーグル翻訳にぶちこんで読めばいい。(講義の英語も音声認識でさらに自動翻訳すれば日本語で聞けちゃう時代かな?) 中学生なり高校生なりの時点でこれをやっていないというならば、大学に行っても意味なし。どうせ得られるものは何もない。学位など通じないし、学位が通じるような大学であるならば、学位は取れなくとも、授業は、無料でネットで自宅で受けられる。それをやってない奴の大学の学費❓出すわけねーわ。
僭越ながら、先生の講義に一言申し上げると、「気を使いすぎてて説明がぼけている」気がしました。そして、それは偶然にも、このブログの書き始めと同じ問題を孕んでおり、私が主張したのは「数学を使わないデリバティブ理論」で、先生も同様に、数式を一回も使うことなく、光線空間法を1時間話し続けていたのである。私自身も「話を無理やりこじつけている」「説明を飛ばしすぎている」「プロ向けなのか素人向けなのかが不明確」「数式を使ってはいないが『数学』を使っている」などと言われたことがありますし、自分でもそう認識しています。

この問題について、先生はよくご存じで、私が感動したSiggraphのMPM論文は実際には、「共著」である。数学やる人、プログラミングする人(計算部分やグラフィック部分など)、このあたりまでは想像つくが、論文のデザインや構図を考える人やファイナンス(お金の割り振り・資金集めのスキーム)の専門家までついているという。Siggraphの論文と趣味でやってる日本語のブログを同一視してはいけないが、さすがに、ブログの一つ一つの記事のデザインと構図w まったく考えてねー。このあたりが一人でやってる限界か。

ブログの更新が滞ったのは、結局、この問題でね。デリバティブの理論はさておき、アジア一国一愛人構想も、いくら言っても、俺一人のプレゼンテーション能力では、「アジアで夜遊びしている」という印象しか与えることができず、不特定多数に対する情報発信には限界があるのではないか? この後、先生と話し合って得た結論は、多数の聴衆を相手にする場合、相手の理解度や伝えられることに差があるのは当然のこと。もっと自分中心に、自分の言いたいことを、「こんなに楽しいんだ」とアピールすることで、理解できない人でもなんとなく感覚を共有できるのではないか、ということだった。ブログもそういうもんだな。