Chapter9. ブル・マーケット 1954-1969
ハロルド・メディーナが司法省による投資銀行業界告発を却下した時、アメリカの金融業界の近代化が始まった。ウォールストリートはそれまで30年間にわたって株価の暴落や不況、2つの世界大戦に苦しめられてきた。その間、ニューディール陣営が銀行家たちから長い時間かけて蓄積された経済力をもぎ取ろうとする時期もあった。アメリカ経済は第二次世界大戦後、1950年代初頭から好況の時期を迎えている。この好況は1920年代の黄金時代のものとは違って、しっかりとした経済基盤や技術革新に基づいていた。株式市場では乱暴な投機ではない投資が急増した。アメリカの平均的な家庭の暮らし向きも上向き、再び「健全な経済の基礎に消費の拡大がある」とするコンシューマリズムがアメリカの社会を支配し、物欲と楽観主義が花開くことになった。国内の工場では戦争のためではなく、消費者のための商品を生産できるようになった。

1957年10月、ソ連がスプートニク1号の打ち上げに成功した。このニュースはアメリカ国内を騒然とさせ、その後、30年間に渡って国民の心理に深い影響を与えていくことになる。アメリカが科学や技術、高等教育などの分野で国際的に抜きん出た力をもっているかどうか、不安視されたからである。景気刺激の面では頼りにされるコンシューマリズムも、違った価値体系を持っている敵には太刀打ちできないというのである。それまで物質主義に力点を置いていたアメリカはハイテク部門で世界第2位の地位に追い落とされてしまったかのようだった。ソ連がスプートニクの成功を発表した直後、アイゼンハワーは国民に向かって「アメリカの国防は万全であり、何も恐れるべきものはない」と演説し、直ちに新兵器開発のための国防予算を増額することを決めた。ロケット燃料を筆頭に宇宙開発関連の製品や類似品を製造している企業の株価が高騰し、さらに国防関係の企業の株も値を上げている。ソ連は株式市場が予期していなかった外的な影響を及ぼし、第二次世界大戦後のアメリカの島国根性の反動がやってきたというわけである。この時期、軍需産業が製品を売り込もうと政府に殺到し、「軍産複合体」という言葉が流行語になっている。
アイゼンハワー政権は株式市場には好意的で、司法省は1950年代末に活発となった企業合併に口を挟もうとしなかった。ただし、アイゼンハワー大統領は2期目が終わるころ軍産複合体の経済力の集中に気づいていて、大統領を離任する時の演説で「連邦政府は毎年、アメリカの全法人の純利益以上の額を軍事費に使っている。政府の審議会は軍産複合体が手にしようとしている権力に対して守りを固めなくてはならない。権力が誤った手に握られるとアメリカが破局に向かう可能性があり、その恐れは消えることがない」と警告を発生している。アメリカ社会の敵は怪物のようなトラストでも自由競争を破壊する独占企業でもなく、軍事と産業の組み合わさった軍産複合体になろうとしていた。国民にソ連への反感を煽り、政府から多くの契約をとって儲けようとしていた。
>ちっ、うまく警告を発し、おかげで軍産複合体はオールドエコノミーさ。第三次世界大戦で使用される兵器は、彼らが作るものではないかもしれないなぁ・・・。
ITTは英国人のハロルド・ジニーンの指揮でM&Aに手を染めていったが、企業買収の手法は堅実だった。ジニーンはレイセオン社の経営陣に加わっていたこともあり、1959年、ITTの経営に参加している。ITTは事業の中核が電話や周辺機器の製造だったが、ATTベルがアメリカ国内の電話事業を独占していたため、事業のほとんどを海外で展開していた。ITTは最盛期に世界70カ国に進出し、20万人の株主と40万人の従業員を抱えるようになった。アンソニー・サンプソンは「ITTは進出した国では説明責任を負わず、しかもジニーンという一人の男が帝国を束ねている。この男は会計士として、自制心のある人物として有名であるが、その経営手法は海賊波である。しかし、誰も彼に異を唱えようとしない」と嘆いている。
アメリカの海外での評判は、コングロマリットの活動が原因で悪化することも頻繁だった。多くのコングロマリットが進出した国の内政に干渉し、ITTも例外ではなかった。ITTの成長は1960年代、必ずしも順調とはいえなかった。アメリカ放送(ABC)の入札に失敗、ニクソン政権下での反トラストの姿勢にも耐えなければならなかった。司法省は、ITTのハードフォードの合併は認めたが、買収先を手放すように強いたこともあったのである。1970年代初頭、チリの大統領に選ばれたばかりだったサルバドール・アジェンデのマルクス主義政権の転覆をめぐって新聞の見出しを大きく飾ったことがある。アジェンデ政権は当時、チリの銅鉱業を国有化しようとして多くの多国籍企業から怒りを買っていた。この国有化の犠牲となった会社にはアナコンダ・カパー社の名前もあった。チリ政府とITTの対立の結果引き起こされたアジェンデ暗殺は、多国籍業の力について暗い影を投げかけることになった。ITTに対して「行動規範を持たないまま、企業が国家のようになっている」との非難が集中した。
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