自衛隊派遣の大義とは、なんだったのか。
第一に、国際社会が、イラク人のイラク人のよるイラク人のための自由で民主的な国を作ろうと努力している時、その国際社会の一員である日本が貢献するのは当然のことであり、先進国としての責任である。第二に、日本はエネルギー資源である石油の85%を中東地域に頼っている。しかもイラクの原油の埋蔵量はサウジアラビアに次いで世界第二位。この地域の平和と安定を回復するということは、まさに日本の国益にかなうことなのである。
これはちょっと・・・アメリカ国民は騙せても、日本国民には通じないかもしれない。当時のテレビの街頭調査で、「ブッシュとフセインどっちが怖い?」ってアンケートとったら過半数でブッシュだったよ。俺もテロの直後くらいにラスベガスに遊びに行ったのだが、べラージオの噴水ショーの最後の曲まで、やたらとAmericaだWinだという歌詞が目立つ煽動的な歌に変わっていた。ラスベガスにまで及ぶアメリカのプロパガンダ恐るべしと当時思ったものだ。アメリカは民主主義と自由を輸出している。しかし、アメリカにとっての民主主義とは、戦争のための言い訳である。しかも国際社会はイラク侵攻は反対で、あればアメリカの単独行動とも言える。第二の理由はもっと強調して良いとは思うが、あの地域の平和と安定は永遠に来ない。あの地域の権益を押さえているアメリカさんに「お前も来い」と言われると日本としては断りにくいでしょう?
「中国を冷徹に、かつ客観的に判断することはなかなかむずかしい。特に中国専門家にとってはなおさらだ。なぜなら、中国は悠久の歴史と文化をもつ、きわめてチャーミングな国だからだ。エドガー・スノーばかりではない。多くの専門家が、恋に落ちる。」
日本では戦争中の1944年にまず厚生年金だけが始まった。このときは完全な報酬比例年金、給料の多寡に応じて保険料を支払うもので、国民年金に相当する基礎年金部分は作られていない。1950年代になってから国家公務員の共済組合が始まった。(地方公務員は62年)。国民年金ができて国民皆年金と言われるようになったのは1961年、このとき日本の年金はサラリーマンの厚生年金、自営業者らの国民年金、公務員の共済年金と3つ揃ったのである。3つの年金のすべてに共通する基礎年金の仕組みが完成するのは1986年まで待たなければならない。
戦後日本は、60年前の戦争の原因と敗戦の理由をひたすら国家主義に求めた。その結果、戦後の日本人の心性のどこかに、国家=悪という方程式がビルトインされてしまった。だから国家的見地からの発想がなかなかできない。いやむしろ忌避するような傾向が強い。戦後教育の蹉跌のひとつである。1980年代、イギリスのサッチャー首相はサッチャー改革と呼ばれたドラスティックな社会変革を行った。イギリス社会には大きな軋轢を生じさせたが、それはよりよき未来へ向けた、いわば創造的破壊だった。私たちはこの構造改革を金融ビッグバンに象徴させる民営化と市場化の成功例ととらえているはずだ。しかし、そればかりではなく、壮大な教育改革、1988年教育改革で2つのことを断行した。一つは自虐的な偏向教育の是正、もう一つは教育水準の向上である。自虐的な歴史教育は敗戦国に特有のことだと思っていたから、戦勝国のイギリスでもそのような教育が行われていると聞いてたいへん驚いた。聞いてみると長年にわたってイギリスがおこなってきた帝国主義の反動なのだという。たしかにイギリスの植民地政策を思い浮かべれば、イギリスの歴史は収奪の歴史であり、国内に自虐的な自国の歴史観が生まれてもおかしくない。長い間のイギリス病が敗戦国シンドロームに似た感性を教育界にはびこらせたのかもしれない。当時イギリスでつかわれていた歴史教科書の中には、「人種差別はどのようにイギリスにやってきたのか」というようなものもあった。アフリカを搾取するイギリスを太った家畜にたとえたイラストも乗っている。この教科書は高等教育ではなく、初等教育で使われるものだ。大変自尊心を傷つける教科書である。こんな教科書で子どもを教育したのでは、イギリス国民として自尊心を育てることはできない、とサッチャーは考えた。
つぎが、教育水準の向上である。イギリスでは戦後、国が教育内容をチェックする仕組みがなく、現場の自主性に任されていた。そのため数も満足に数えらあれない子どもが続出したのである。まず国定のカリキュラムを作り全国共通学力テストを実施した。そして教育省から独立した女王直属の学校審査機関を作り5000人以上の査察官を全国に派遣して国定カリキュラムどおりに教育がおこなわれているかどうかを徹底的にチェックした。その結果、水準に達していないことがわかった学校は、容赦なく廃校にした。その数は100以上に及ぶ。そういう学校に教師を送り出している大学の教育学部までがつぶされた。もちろんこの改革は現場教師の猛反発を食らうことになった。国家にはデモ隊が押し寄せ、教育大臣の人形が焼かれたり、教員のストが半年も続いたりした。しかしサッチャーは一切妥協しなかった。そしてついに改革をやり遂げたのである。
美しい国へ (文春新書) 安倍 晋三 文藝春秋 2006-07 |
【教育一般論】
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