おどろおどろしい怪物を扱った前章とはうって変わり、この章ではロマンティックな星空を眺めることにしよう。夜空に目を凝らす前に、ギリシア人にとって星座がどんな意味を持っていたか少し考えてみたい。羅針盤も海図もまだなかった時代、海の民ギリシア人が地中海やエーゲ海を渡る時に頼みの綱としたのは昼間ならば点在する島々や太陽の位置であったが、夜ともなれば星のほかには目印は何もなかった。星と密接に結びついていたのは航海だけではない。農業もまたたく星がなければ立ち行かなかった。私たちは日常生活の中でカレンダーや精密な機械時計をごく当たり前のものとして使っているので、その計り知れない恩恵に改めて感謝することなど滅多にない。水や砂を利用した素朴な時計はあったものの、時を知る主な手がかりは太陽と月と星であった。農耕に従事していたギリシア人にとって、とりわけ星と星座が農作業の時期を告げる大事な目安であった。「仕事と日」は、まじめに働くことの大切さをヘシオドスが弟に説いた教訓詩であると同時に、有益な農事暦をふくむ実用書でもあった。「昴の昇る頃に刈り入れをし、昴の沈む頃に耕云を始めよ」というように農作業に最も適した時期は常に星との関係で告げられる。


そう、今までこれを書いたことがなかったので、本の写しではあるが抜粋してみた。占い、星占い、占星術とは本来、軍事目的のカレンダーの開発であったはずだ。国民の将来を”占う”農業政策や軍事政策に利用された天文学の起源であり、どうでもいい個人の将来を、あたりさわりなく語るものではない。私たち現代人は、精度の高いカレンダーと時計が前提になって行動しているが、占星術師は正確な暦や時刻を知るために空を眺めていたのであって、それがあたかも不確実な将来を予言するかのように一般人には思えたのだろう。逆に言えば、昔の星占いは現代よりも、もっと正確だったのだろう。ま、その時代に、彼氏とどうなる?とかいう生死にかかわらない問題を”占う”人はいなかったと思うが。


昔はカレンダーや機械仕掛けの時計だけではなく、望遠鏡ももちろんなかった。肉眼だけなので、認識できる星の数はたかが知れているだろうと考えがちであるが、古代ギリシアでもすでに1000個以上もの星が認識されていたのである。慢性的に目を酷使している現代人よりも古代人の方が視力が遥かによかったのかもしれない。当時は星の観察を妨げる余計な光源もなかったのではあるが。太陽系の惑星と神話の結びつきは、古代ギリシアで知られていた惑星は、5つであり、ホルストの管弦楽組曲「惑星」を楽章の順に、「火星、戦争をもたらす者」、軍神アレス、「金星、平和をもたらす者」、美と愛欲のアプロディテ、「水星、翼のある使者」、ヘルメス、「木星、快楽をもたらす者」、ゼウス、「土星、老いをもたらす者」、クロノスである。太陽系最大の惑星である木星にはゼウス、それについで大きい土星にはゼウスの父であるクロノスが与えられ、クロノスはラテン語でサトゥルヌスと同一視された。英語のSaturdayの語源はサトゥルヌスの英語系Saturnである。また第6楽章「天王星、魔術師」、ウラノス、第7楽章「海王星、神秘主義者」、海神ポセイドンである。天王星が発見されたのは1781年、海王星は1848年、星にギリシア神話の神の名を採用するのは古代の慣習であったが、近代に入ってからもやはり踏襲されたのである。ホルストがこの曲に取りに組んでいたのは1914年から16年のことであり、冥王星の発見は1930年のことであるから組曲にその楽曲がないのは当然である。そこでハレ管弦楽団のケント・ナガノの依頼で作曲家コリン・マシューズが「冥王星、再生をもたらす者」プルト、プルトはハデスのラテン語系に由来する。ホルストの「惑星」にない楽章はもう一つある。地球である。青い惑星に与えられている神話的名称は、ガイア(大地)である。太古原始のカオスから突如として生じ、神々と万物を生み出した母なるガイア、それが地球である。