降りしきる雪はびっしりと空間を埋めつくし、濃密な白い闇がどこまでも広がっている。男は上越線の鉄橋
を渡っていた。吹雪のため列車が動いていないとしらされたが、ひるみはしなかった。「歩いていこ」と言っ
てのけて、みのとわら靴を着けた。白い闇におそれをなして、他の候補者は田中について来なかったのだ。
田中角栄 30歳、昭和22年、新潟三区から初当選を果たした彼は、翌23年10月の第二次吉田内閣発足
とともに法務政務次官のポストを射止めたが、わずか二ヶ月後の12月辞任せざるを得なくなる。片山内閣
(昭和22年)が炭鉱国有化をねらって提出した臨時石炭管理法案(略称炭管法案)をめぐって議会は紛糾。
田中はこの法案に反対する急先鋒となったのはいいが、業者から100万円を収賄した容疑をかけられ逮捕
された。
ところが、獄中で立候補宣言をした田中は、保釈の身となり選挙区に戻ってきたのだ。鉄橋の半ばに差
しかかったとき、事件が起きた。遠くでこもったような金属音が鳴ったのである。白い闇の奥の、わずかに
薄墨色がかった中に光るものがあり、手さぐりするように近づいている。凍った路線が振動している。動い
ていないはずの列車がやってくるのだ。「あっきゃ・・・」保線員なら身を隠す場所を知っているが、慌てた
田中は橋桁にぶら下がった。列車は轟音とともに頭の上を通り過ぎる。両腕に橋桁にくらいつきながら、
目を閉じる。ひどく長い時間があって、震動が弱まっていった。激しい息づかいとともに、再び橋の上に立
つ。しびれかけた腕をなで、再び挑むように歩き始める。
雪がやんでも当時は除雪車はない。自動車もない。冬はバスも通らない。幅50センチほどの道をせかせ
かとただ歩く。村落に入ればメガホンで、「田中角栄が参りました。よろしくお願いいたします。」と大声を
張り上げる。
「石炭はどがんした!」と意地の悪いヤジの飛ぶこともあった。
「演説はもうええ!浪花節をやっしゃれ」と叫ぶ。「それでは・・・」としゃがれ声で浪花節を始める。回を重ね
るにつれ堂に入ってきて、いかに拘置所で苦しい思いをしてきたかをうなる。やんやの喝さいを浴びる。
こうして田中は周囲を圧倒する気迫で当選を果たす。得票数42500票は堂々の二位だった。
魚沼郡から大量の票が出た。選挙は雪のときにやるに限る、というのが以来田中の信条となる。
担任の先生は、「お前は5年修了で柏崎の中学校へ行ける」と進学を勧めてくれたが、母の苦労を思えば
その気にはなれず、尋常高等小学校に進む。分家の長男は東大の農学部に、従兄弟は柏崎の中学校へ
分家の三男は教師になるために師範学校に行っていたが、田中は後二年小学校に通い社会に出ること
を決意したのである。ただし、当時、尋常高等小学校だけで社会に出ることは別に特異なことではなかっ
た。甥の田中信夫によれば、二田小学校の一学年の生徒数は7,80人。その中で中学に行くのはせいぜ
い1人か2人だった。全国でみても戦前の日本では義務教育の尋常小学校6年だけで働きに出る子供た
ちの比率は全体の34%。田中のように高等小学校に進むのは58%。その上の中学校に進むのはわずか8
%だった。新潟県は今日でも進学率の低い県で、平成7年度の大学進学率は27.7%。全国で43位。
>自然な姿だな。現代における9年の義務教育期間でも長すぎるくらいだ。勉強が嫌いという子供たちが
>多くいる。その子を進学させようとする親や社会の圧力は理解に苦しむ。
>勉強嫌いに進学必要なし。また天才に学歴必要なし。
田中角栄―その巨善と巨悪 水木 楊 日本経済新聞社 1998-03 |
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