石油ルート確保の政戦略
1998年インドネシア外務省は「群島航路帯」として3ルートを指定した。17000以上の大小の島からなるインド
ネシアは群島国家と呼ばれるが、この種の国では安全保障や海底資源、漁業権の問題もからんで、領海の設定
がむずかしい。「群島航路帯」というのは、外国の艦船が群島水域でも自由に航行できる特定の三航路である。
日本にとってこれが気になる最大の理由は、中東石油を運ぶタンカー・ルートの安全確保にどう影響するか考える
からである。日本向けタンカーは中東ペルシャ湾からホルムズ海峡を通り、アラビア海、インド洋をへてマラッカ海峡を
通過して北上するのがほとんどである。問題はマラッカ海峡がなんらかの理由で通過できなくなった時の、代替ルート
をどうするかだ。
中国のアキレス腱、石油
1949年共産革命後、自力探査に方針を転換した中国は、56年に石油工業部を設立、東北地区でボーリング
調査を開始した。59年、ついに原油が噴出、有名な多慶油田に発展する。63年に早くも石油自給を達成し、
73年に輸出を始めている。石油生産高は90年代に入って世界第5位となったが93年から輸入国に転じたため
アジアの石油情勢の様相を一変させた。中国の石油輸入量はなお増え続けている。石油探査の活動は内陸だけ
でなく、今や海底にも及び、東シナ海の平湖油田や南沙諸島の海底油田開発のように、近隣の日本や東南アジア
諸国との間に緊張を生んできた。海外資源を求めて、カザフスタンへの投資と開発にも中国は力点を置いている。
地続きの有利さに恵まれ、カザフスタンの二つの油田の採掘権を、米国企業と争って落札に成功した。
カザフスタンの油田からパイプラインをのばし、国境を越え、中国西部の新疆ウイグル自治区を経て華中へ、
さらに上海まで結ぶ遠大な計画も進んでいる。パイプラインとは単にエネルギーを通過させる管ではなく、
地域の安定が不可欠という意味で政治的性格を伴うものである。イスラム系住民が多く、核実験場にあてら
れてきた不満から社会的不安要素をはらむ新疆ウイグル自治区に対して、中国はたいへんな神経を使い、
硬軟両用の構えで鎮静・安定化をはかっている。
グローバル化概念を揺さぶるアジア危機
アジア金融危機によって、IMFはその限界を露呈した。ハーバード大学のマーティン・フェルドシュタイン教授のIMF
批判によれば、タイ、インドネシアには歳出カットや増税などの緊縮策で経常収支の赤字削減は可能であった。
韓国でも、外貨流動性の不足に対応するつなぎ融資や債務繰り延べで事態を改善できたはずだった。しかし、IMF
はこれらの国々に対して、大幅な構造改革を要求して無用の混乱と苦痛を強いたのである。インドネシアにおいて
貧困層向けの米の価格に対する補助金カットをIMFは要求したのだが、再三のインドネシア政府の反対を押し切って
ついに実施させたとたん、反政府暴動の火に油を注いでしまった。スハルト大統領の退陣を経て、IMFが米価補助を
復活させたところ、補助金で価格の下がった米が価格の高い近隣諸国に密輸出される事態となった。
アジアで失敗したIMFは98年ロシアに対して112億ドルの迅速な融資を実施し、甘い条件だったため「大国優遇」
との新たな批判を受けた。しかもそのロシア経済が一ヵ月後、突如、ルーブル切り下げの非常事態に陥った。IMFから
の資金の大半はルーブル買い支えに使われたそうだ。核不拡散体制は核規制のグローバル化、インド・パキスタンの
核実験はその阻止と見られる。
アチェと北朝鮮 難民爆弾の衝撃波
ベトナム戦争終結後、インドシナ半島から難民がマレーシアにも殺到した。多少は受け入れたものの、あとを絶たない
、ついには軍を配備し、銃撃によって難民を追い払ったほどである。アチェ難民の本国送還について難民権利保護団
体アムネスティ・インターナショナルでさえも「マレーシアの苦境も理解できる」とマレーシア政府への批判を控えたのが注
目される。難民はさまざまな形で国家や国際政治を揺り動かす力を秘める。例えばベルリンの壁を崩壊させたのは
東ドイツからの難民が、チェコスロバキアとオーストリア経由で西ドイツへ流入し始めたため、壁が無意味になってしまった。
チベット難民を受け入れたことが駐印戦争の一因となった。北朝鮮の核開発疑惑で、緊張感が高まった90年代前半
日米は朝鮮半島からの多数の難民が日本に押し寄せる可能性とその対応を検討し始めている。アジア最大の難民
爆弾は、1971年の第三次インド・パキスタン戦争を引き起こし、その結果東パキスタンがバングラデシュとして独立した
出来事である。
台湾 限りなく不確かなその存在
台湾を国家だと考えるのは世界の1/6国しかない。歴史的に台湾が独立を享受した期間は少なく、さまざまな外部
勢力に攻撃され、統治・支配される歴史の積み重ねであった。7世紀より中国の歴代王朝が出入りし、1590年に
ポルトガル人、オランダ、スペインと続き、1983年に新王朝が福建省に帰属させた。しかしアヘン戦争を経て、台湾は
また欧州列強の草刈場となる。台湾に最後に登場した外部勢力は日本である。1874年に台湾に出兵、日清戦争
を経て、日本は台湾の割譲を受け、太平洋戦争の終結まで51年間の植民地支配をすることになる。国家ではない
という理由でIMFの支援も得られぬ台湾は通貨管理政策を慎重に維持し、国際投機家の介入を阻止してきた。
バブル経済の波に乗って破綻したアジアの国々の間で台湾の99年のGDPは6.5%の成長を果たし、外貨準備金
は世界三位、対外債務も銀行の不良債権もまた少ない。
【資源獲得競争】
2009.06.26: プーチンのロシア2
2009.03.13: 裏支配
2009.01.29: 意外に重要、イランという国
2008.11.11: ユダヤが解ると世界が見えてくる
2008.10.15: 製造業至上主義的産業構造分析
2008.09.08: いい女発見!
2008.06.19: 原油先物の取引高
2008.04.29: 世界の食糧自給率
アジア情勢を読む地図2
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