ホメロスはギリシア文学史の劈頭をかざる有名な叙事詩人であるが、その生涯についてはほとんどまったく知られていない。トロイア戦争と同時代とする説から、前7世紀頃の詩人アルキロコスと同時代とする説まであり、約500年もの意見の相違があった。トロイア戦争と同時代とする説は、ホメロスがトロイア戦争を、まるで自分が見てきたかのように詳細に物語っているために起こった説であろうが、これは明らかに誤っている。有名な歴史家、
ヘロドトスやツキュディデスが、かかる意見に反対する語調で自分の見解を述べているからである。ヘロドトス「歴史」第2巻53章は、「ヘシオドスとホメロスは私よりもせいぜい400年ほど以前の人であるに過ぎない」と述べている。ヘロドトスは前5世紀中頃の人であるからホメロスは9世紀後半頃ということになる。またツキュディデス「歴史」第1巻3章は、「ホメロスはトロイア戦争よりも遥か後に生まれたのだ」と述べている。しかし両史家にしても、特別な根拠があったわけではなく、あれこれ思案したうえで、大まかな推定を行ったものらしい。おして今日の私たちにしても、多くの研究を積み重ねてきてはいるものの、この両史家より以上のことは、ほとんど言い得ないのである。またホメロスの出身地についても多くの異説があり、この点でも決定的な証拠がなかったのだと思われる。詩人ピンダロス(前5世紀前半)によれば小アジアのスミルナであり、詩人セモニデス(前7世紀)によればキオス島であり、古代の文献学者アリスタルコス(前2世紀)によればアテナイであった。アテナイ説は可能性がきわめて薄い。ホメロスの方言上の特徴が、スミルナとキオスの方言と比較的よく合致するし、ホメロス、とりわけ「イリアス」の詩人は、これら両地の近辺の地理に特に精通しているからである。
ヘシオドス以後の有名な詩人や文筆家たちはすべて同時に農民であったり、政治家や軍人であった。ホメロスは職業的な詩人であり、その点でギリシア文学史上の例外的な存在である。芸術家は王侯や貴族に保護され、その王宮や屋敷に寄生してる場合が多かった。特定の有力者に寄生しない場合は、民衆の間で吟唱して日々の生活の資を得る詩人たちも存在したけれども、有能な詩人は王や貴族の間に招かれ、そちらで活躍することになる。このような事実から類推して、もっぱら支配階級の間で吟唱していたのであり、詩の内容も貴族主義的な高みに達しているのだ、ということである。たしかにホメロスは高貴な生まれの英雄たちばかりに脚光を浴びせ、庶民のことは一括して描いたり、背景に書いたりしているだけである。
イリアスは15,000行以上、オデュッセイアは12,000行以上もある。これほどの大叙事詩が文字を用いずに成立したというのは信じがたいことかも知れない。最近に至るまで、あちこちの後進地域に文字を用いない英雄叙事詩が実際に歌い続けらていた。しかし、それらはいずれも短篇であり、例外的に長い詩篇となると統一性が欠け、いくつかの短篇を集成したもののように見える。統一的な長篇は、文字を用いてのみ可能であったという主張もあるわけである。しかしアメリカの学者がユーゴスラヴィアで採集した叙事詩のうちには、10,000行を越えるものがいく篇か含まれており、そのうち少なくとも一篇は、驚嘆すべきほどの統一性のセンスを発揮しているということである。そうだとすれば、ホメロスの場合にも、文字に頼る必要はかならずしもなかったことになる。しかしホメロスの時代に文字が存在しなかったというのではない。問題は文字を用いて詩を作るほど、文字文化が発達し普及していたかということである。線文字B種は、日本の仮名のような音節文字であるゆえ、ギリシア語の発音を精密に表現することができなかったのである。この文字はミュケナイ時代の最後に起こった各地の王宮の崩壊とともに、消滅してしまった。400年続く暗黒時代のある時にギリシアのアルファベット文字が発明された。その文字の数は27個で22個は形も名称もフェニキア文字と酷似している。しかしフェニキア文字には母音を表記する文字がなかったのに対し、ギリシア人は借用した文字のうち5個を母音と表記する専用の文字とした。この偉大な発明が、いつ、だれによって行われたのか、不明である。この文字を刻んだ最古の遺物は、前8世紀の後半のものであり、主として所有者の名前を刻んだり、神への簡単な奉納文を記したりしたものである。
あれだけの長篇を記すためには相当な量の紙が必要である。粘土板や金属版や木板などに記したとは考えられないからである。パピルスはいうまでもなくエジプトの特産品であり、古典期やヘレニズム時代のギリシアへは、これが輸入されて書物に用いられていた。ホメロスの時代に、すでにパピルスの輸入が行われていたであろうか。ギリシア人がエジプトのデルタ地域と密接な通商関係を結ぶようになったのは前7世紀の末頃からのことである。それ以後ならば問題は無いのであるが、ホメロスの時代についてはかなり否定的にならざるを得ない。
筆で書くよりも口で語る方がはるかに直接的であり自由である。しかも、言葉の音声には強弱や高低や遅速や色調があり、きわめて多彩な表現性を持っている。文字というものはこれらの微妙な要素を捨て去って、無味乾燥な骨だけにしたものである。文学とは文字で書かれたものだと考えるようになって以後、人間は言霊への感覚をむしろ大きく害されてしまっているのである。
筆記された詩篇ははじめは一般に売買するためのものではなかった。一般に書物が市販され、読書の風が起こったのは前5世紀以後のことであるらしい。多くの偽作の詩篇もホメロスの作と称される傾向があった。「ホメロスの詩歌集」もその一例である。もちろん鋭敏な人たちは偽作を見破ることができた。たとえばヘロドトス「歴史」第2巻117章は「キュプリア」という叙事詩の内容が「イリアス」と矛盾していることを指摘し、誰か別人の作だと主張している。かくて結局「イリアス」と「オデュッセイア」だけが、ホメロスの真作として一般に通用するようになった。ホメロスの原典は早ければ前6世紀末、遅くとも前5世紀末頃までには、ほぼ現在の形に固定したものと考えられる。
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