ラムズフェルドをはじめとする国防総省関係者は、複数の目的に使える品目があると主張した。なんら害がないように思える装置が、作り変えられて兵器開発に利用されると何度となく反論していた。たとえばダンプカーだ。荷台を傾けるための油圧装置ををはずせば、ミサイルの発射機に転用できる。イスラエルに向けて発射するミサイルを立てるための道具を売ってやるのか? パウエルは「ミサイルを立てる油圧装置を手に入れるのに20万ドルもするダンプカーを買う必要がどこにある!」と反論した。もう一つの品目はイラクが購入している重機輸送トラックだった。このトラックは大型で戦車を輸送できる。情報部が偵察衛星の画像から突き止めたところではイラク軍は輸送トラックを何台か改造しているという。ラムズフェルドは禁輸項目の変更によって、イラクが戦車輸送部隊をひそかに編成できるようになる、と結論づけた。
ラムズフェルドは、「テロリズムはどうやっても防げないという考え方が根底にある」と述べている。「あらゆる場所で常時あらゆる手口を防ぐのは不可能だ。敵は手口を変え、時期を変える。こっちはそれを追う格好になる。敵に合わせなければならない。だから先制しないといけないんだ。」ブッシュが先制攻撃のドクトリンを正式発表する4ヵ月半前のことである。ラムズフェルドは将来を見据えていた。いずれアメリカが先に攻撃する備えをしなければならなくなる。
アメリカの評判が現地イラクで評判が悪くなった歴史
1972年、大統領ではなかったサダム・フセインがソ連と友好条約を結んだ。中東におけるソ連の影響力の増大に待ったをかけるため、ニクソンはCIAに対しクルド人への秘密工作資金として500万ドルを渡すことを支持する命令書に署名した。クルド人は5カ国にまたがって、イラン、トルコ、シリア、当時のソ連、そしてイラクの北東の隅-居住する山岳民族で部族は40を数え、人口は2500万人におよぶ。CIAのクルド人支援はイラン国への好意を示す意味の方が大きかった。だが1975年イラン国王はフセインと和解し、クルド人を見捨ててCIAの武器輸送を止めた。窮したクルド人はCIAとキッシンジャーにじかに訴えたが反応はなかった。秘密工作は崩壊し、フセインは多数のクルド人を虐殺した。
1991年の湾岸戦争後、ジョージ・H・W・ブッシュ大統領はCIAにフセイン政権転覆を許可する大統領令に署名した。CIAはヨーロッパに亡命していたイラク人や反フセイン勢力に金をばらまいた。ところが北部のクルド人と南部のシーア派が放棄するとアメリカは軍事支援を拒んだ。その結果、またしても大量虐殺が行われた。クリントン政権下でもCIAはちょくちょく手出しをしてさまざまな反フセイン作戦を支援した。1996年にはCIAの支援を受けてクーデターをもくろんでいた元イラク軍士官のグループがフセインの国内保安機関によって摘発され、約120名の元イラク軍指揮官が処刑された。
ホワイトハウスによって動きを凍結された長官
誉れ高い元陸軍大将で今は外交官の頂点に立つパウエルは自分が今目にしていることや耳にしていることに懸念をつのらせていた。ブッシュ政権の上層部には戦争経験のあるものが極めて少ない。ブッシュはテキサス州空軍に所属していたが実戦には参加していない。チェイニーは湾岸戦争中は国防長官だったが、軍隊経験はない。ラムズフェルドは1950年代に海軍のパイロットだったが、戦時には軍務に服していない。ライスとテネットは軍務の経験が全くない。
最高のキャッチフレーズ 「悪の枢軸」(下記動画2:01辺りです)
同時テロ直後2001年9月20日直後の演説では、これ以上国民を怯えさせてはいけないという理由から大量破壊兵器に触れなかった。それらの結びつきを”枢軸”と名付けたのはみごとだし、”悪の枢軸”としたのはなおのことみごとだと、ライスは思った。イラク、イラン、北朝鮮の三カ国を挙げるという案は、ブッシュも気に入った。ライスとハドリーはイランを除いてはどうかと提案した。「いや、いい、イランも入れたい」とブッシュは答えた。ブッシュをはじめ三カ国を結びつけるのが筋が通っているかどうか疑問を抱いていたが、人が耳をそばだてるようにするには強力な隠喩(メタファー)が必要不可欠だ。大統領の演説を解釈し、あるいは色付けして「大統領が言いたいのつまり・・・」というような具体的なことを誰かが言っては困ると考えていた。
パウエルのメモ
戦争は、サウジ、エジプト、ヨルダンなど友好的な政権を揺るがします。テロとの戦争だけでなくその他もろもろの事柄に対処する力を殺がれ、石油の供給と価格に大きな影響が出ます。アメリカの将軍がアラブ人の国を運営しえいる光景を想像してみてください。何を持って成功と見なせばよいうのでしょうか? 戦争によってフセインを打倒し、新しい政府ができるまで、アメリカが政府となるのです。イラクは非常に複雑な歴史があります。民主主義が根付いたことが一度もない。単独行動主義でやればいい、と申し上げたいところですが無理です。地理的に厄介なことが多すぎる。フランクス将軍も、中東その他の地域の同盟国に基地や施設の使用を許可してもらわなければならない。
攻撃計画(Plan of Attack)―ブッシュのイラク戦争 ボブ・ウッドワード 伏見 威蕃 日本経済新聞社 2004-07-15 |
【戦争論・兵法】
2011.07.28: 後藤田正晴と12人の総理たち1/2 ~天安門事件
2011.02.03: 賭博と国家と男と女 ~人は利己的に協調する
2010.12.16: 自作 近未来小説 我が競争 ~第三次世界大戦の勝者と人類の進化
2009.12.16: 孫子・戦略・クラウゼヴィッツ―その活用の方程式
2009.10.23: 核拡散―軍縮の風は起こせるか
2009.05.04: 民族浄化を裁く 旧ユーゴ戦犯法廷の現場から
2009.02.24: 孫子の兵法
2009.01.06: ユーゴスラヴィア現代史 ~Titoという男