旅行の意義として、その前後、眠れなくなることがある。楽しみに思う一方、現代はネットの進化により、現地入りしてから調べれば良いと思うこと、それから帰ってきた後で、仕事に戻りたくないと思うからである。人間は常に考えていなければならない動物である。だから急な転換が頭脳を活性化させ、新しい発想が生まれるきっかけになる、いわば頭脳の慣性の法則である。「明日から旅行だから早く寝ないと」とか「旅行から帰ってきて疲れたから寝よう」などという行為は、旅行の意義を2つ減らす良くない行為である。日常生活において旅行のことを考えることはない。旅行の直前に考えるのである。つまり頭脳は常に日常生活=仕事に、そして旅行中は旅行について使われている。それが直前は明日から仕事がないと思うと頭脳がその使い道をもてあます。昔はその分を旅行の調査に振り向けていたのだ。現代は、それを「着いてから調べよう」と意識的に考えないと頭脳が空白になる。また直後は、帰ってきたら「仕事に戻りたくない」、仕事のことを考えたくない=考えない、しかし旅行は終わっているから、旅行の直後に旅行のことを考える人間はいない。これまた同様に頭脳に空白が生じる。本当に頭を空白にできる人間はいないが、考えることが思いつかない時が、旅行の前後であり、新しい発想が生まれやすいという活性化が起こるのだ。だから眠れないのであり、偶発的に多くの人に起こっている現象ではなく、よく考えれば必然性の現象なのだ。この現象を”思考の歪み”と呼ぼう。ほぅ、偶然にも市場に歪みと同様、歪みは国家の間に落ちている。
 誰からも聞いたことがないが、思考の歪みも旅行代金を正当化する一つの理由として、貴君も加えたらどうか。上記の理由から出張ついでに遊ぶというのと旅行というのは、全く異なり、頭脳を完全に切り替える休暇をビジネスにつなげる意義なのである。今まさに帰ったばかりであるが、頭脳はフル回転だ。今、頭脳の中にあることを吐き出せば、明日へつながる。私の場合は、この状態を記憶することができないので、このように書き出している。寝てしまっても記憶が保てる非アルツの諸君らは思考の歪みのキャリーオーバーができてうらやましい。私も今なら行動一つ一つが超合理的だ。コップに氷を入れて次に、水を製氷機に入れるか、空のペットボトル(普段飲み)に入れるかという普段意識したこともない順番までが気になり、合理性を追求できている。ちなみに今これは洗濯を始めた後、風呂の次の優先順位で行っている。旅行道具の片付けなど明日でもできるが、思考の歪みによって創生された自由発想の吐き出しは今しかできないからだ。
また旅行慣れしている人も思考の歪みは起こらない。旅行と仕事の切替現象にも慣れ、頭脳が対応してしまい空白期が短いからだ。私は出張はしているが、旅行は実に2年ぶりだから今回、思考の歪みがかなり激しく前後に出ているのを感じる。今までで最高に長い旅行・休暇の空白期間だからだ。思考の歪みを旅行の理由として正当化するには頻繁に旅行に出かけてはいけないということだ。旅行の頻度は金銭的な理由ではなく、思考の歪みを生むために落とすことにしよう。同じ回数を行くのなら、その間をなるべく空け、1回辺りを長期にすると、きっと生まれやすいということも推察がつく。旅行前は、なかなかなぜだか眠れず発狂しかけたが、眠れない理由がわかった今は、冷静に思考の歪みをフル活用し、思考の吐き出しを行っている。
「タイの食事が好き、人が好き、言語が好き。」とよく滞在中に言ったものだ。ここで読者も「タイの言語が好きってタイ語しゃべれるの? しゃべれもしないのに好きとは?」と疑問に思うかもしれない。しかしその意味だと、言語は意思疎通手段で、その手段を感情論的に好きと言うのが矛盾している。言語が好きとは、その言語を多く耳にしても気にならないことである。「は?」と思われるだろうから、もう少し書いてみよう。逆に言語を感情的に嫌うというのはどういうことか考えると説明しやすい。その逆で多く耳にすると気になる=ストレスを感じることである。私の場合は英語やSinglishそれからヒンズー語である。私が「XX人の英語が一番聞き取りにくい」という議論において、一人で主張しているのが「ネイティブの英語が一番難しい」。だから、聞いているだけでストレスを感じる言葉なんてないよという諸君は、「XX人の英語が一番聞き取りにくいか」と自問し思いついた国籍が、”嫌いな言語”ということだ。言語とはその民族、文化、歴史の象徴であり、国家の魂でもあるので、言語が嫌いという発言を不用意にすると敵を作るだけだが、好きな言語の議論なら褒め言葉なので無難だろう。しかし、これを思いついたのはチャンギの空港に降り立ち、Singlishを耳にした瞬間のことだ。
 無難な好きな言語=聞いても気にならない言語に話題を戻そう。私の母国語である日本語は気にならないが、あまりにも接してる時間が他の言語に比べて長いので除外しよう(但し、日本語の訛=方言はカウントして良い)。日本語と英語以外の言語を日常生活で多く浴びる者は稀であろう。常軌を逸して特定の言語を浴びる時、それは旅行である。その時、自分がどう感じたか?思い出すことが肝心だ。何も感じてないということは、感情的にその言語を体が許容している=言語が好きということなので、認知しにくいのは確かだが、これは確実に自分の経験から言える。直近だと、タイ、カンボジア(タイ語と響きは似ていて私には区別がつかない)、マレーシア、インドネシア、あたりだが、この辺は私にとって好きな言語ということだ。また、過去のブログ記事から、広東語と中国語(普通話)の嵐を香港で初めて体験した時も、早くこれを覚えなければならないと思ったことから、言語が好き=国家に対する敬意という感情と言っても過言ではない。
 旅行中、現地の言葉を一度でも口にしたか? それは国家の魂たる言語を自ら発する=”言語が好き”を超越して、その国家が好き、つまり料理が好き、人が好きと同義だ。私の場合、カンボジア、マレーシア、インドネシアでは言語の”音(オン)”は、気にはならなかったが、現地語を発していない。一方、タイ、広東語、普通話は、話そうと努力した経験がある。嫌韓流のチャネラーと議論するときに、私はよく言う。「韓国って何だ? 日本にとってアジアで最も重要な国は中国とインドネシア、俺が個人的に尊敬している国家は中国とタイだ。韓国、そんなに気になる?俺には意味がわからない。」と。これは国家を好き嫌いで感情論的に言及する不毛な議論ではあるのだが、よく話題に上るので、”私自身の国家に対する感情”をあえて書いてみた。ちなみに韓国語は長く聞いているとちょっとだけ気になる。(笑
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