Aが小学校3年生のときのことです。兄弟3人が、三つ巴で取っ組み合いの喧嘩をしているところに帰ってきた夫が、長男のAに手を上げ、怒鳴りつけました。するとAは、急に目を剥くというか変に虚ろな目になり、宙を指さして、「前の家(多分、北区の社宅のこと)の炊事場が見える、団地に帰りたい、帰りたい」とうわ言のようにしゃべりました。その様子がとても普通ではなくおびえたようにガタガタと震えだしました。わたしは驚いて駆け寄り、「A、大丈夫やから。お母さんが全部、ちゃんと守ったるから。大丈夫やからね」と震えているAをしばらく抱いていました。
「直感像素質者」としての才能が覚醒した瞬間だったのだろうか?
「直感像素質者」:パッと一瞬見た映像がまるで目の前にあるかのように鮮明に思い出すことができる能力がある人のこと。しかし、一度見たものが、数年後でも原色で色鮮やかに再現されるので、その残像に苦しむケースもある。
Aは粘土でテレビで見た怪獣や読んでいる漫画のキャラクターを器用に作るのを眺めていました。しかしAはいつまでも怪獣ばかり作っていたわけではありませんでした。学校の図工の時間に、Aが赤色を塗った粘土の固まりに、剃刀の刃をいくつも刺した不気味な作品を作ったのは小学校6年生のときでした。「粘土の固まりは人間の脳です」と説明し、聞いた担任の先生がびっくりして夜7時ごろに家を訪ねてこられたのです。私はその実物は見ていませんが、先生から大体の説明を聞き、剃刀の刃をいくつも刺していたことに驚きました。なぜ、そんな危険なものを作ったのだろうか、と。しかし、先生はAが「脳」を作ったことの方が気になる様子でしたので、工作を作るちょっと前、脳の機能について樹木希林と学者が解説するという内容のNHKの教育番組をAが私と一緒に見たことを話し、その影響ではないかと先生に説明しました。
ぎょっとする作品だね。
「念のためMRIを撮ってください」通常は問診と性格テストぐらいだそうですが、思いきってお願いしました。その結果、脳に異常はありませんし、IQも70で普通です、と言われました。
いや、普通じゃねーだろ。一応下方2σだぜ。IQは通常ならば100を中心に1σ=15で分布している。
「母さん、これ」Aが中学2年(1996年)の5月11日、母の日のプレゼントに花嫁姿の私を描いてくれました。Aは他人に良く思われようとする小細工のできない不器用な子でした。私に絵を手渡すと、トトーッと二階に上がっていきました。「母さん、何か欲しい?」前の日に尋ねられたので、「気持さえこもっていたら別になんでもええよ。無理せんで」 するとAは私たちの結婚式の時の写真を押入れから探し出してきました。Aは私の若いころの写真を見て、不思議そうに、 「母さん、この女の人、誰や?」 「母さんなんやけど」 「へえー」 私は出産後にずいぶん太ったので、Aや子供たちにはわからなかったようです。Aはその写真を見た後、漫画用の画用紙の裏に一気に描き上げてくれました。Aが私にプレゼントらしいプレゼントをくれたのはこれが初めてのことでした。私は嬉しくて嬉しくて、その絵を炊事場にずっと貼っていました。そして引っ越しした今でも、この絵だけは大切に持っています。
ヒトラーについてはあの子と一緒にNHKの『ヒトラーの野望』というドキュメンタリー番組を一緒に見た後、『わが闘争』を買って欲しいとせがまれて文庫本を買いました。「へー、すごいな」 Aは、ヒトラーに感銘を受けたようでした。
「自分の好きな本を5冊上げてください」と鑑定医に尋ねられて、Aは『果てしない物語』(映画ネバーエンディングストーリーの原作本)、わが闘争の上下、ゲーム理論の思考法、推理脳を鍛える本 を挙げていました。Aの考え方には私が不用意に買い与えたわが闘争の影響もあったのかもしれません。
10代前半で発禁本に関心ありか。やはり、頭の悪い子の発想じゃないな。
「少年A」この子を生んで……―父と母悔恨の手記 (文春文庫) 「少年A」の父母 文藝春秋 2001-07 |
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