秦の始皇帝、かれが六国を征服して中国大陸をその絶対政権の下に置いたのは、紀元前221年である。皇帝という
言葉が新語であり、かれ自身が創作した。王制や貴族制を一挙に廃し、中央集権というふしぎな機構をもちこみ、精密
な官僚組織の網の目でもってすべての人民を包み込もうとした。包み込みの原理は法であった。自分のことを「朕」と呼ん
だ。一人称を占有したのである。この皇帝制度の創始者はひどく土木工事を好んだ。(万里の長城、阿房宮)
わぉー。いきなりキタね。つかみはばっちりだよ。遼ちゃん。さすがだなー。
ぉっ? ちょっと読んでみようかな、と思うような書き出しだ。
朕が陸海将兵の勇戦
朕が百僚有司の励精
朕が一億衆庶の奉公
を思い出す。
「神仙はかならず陛下のもとに参ります」そのときこそ神仙が陛下に不死の薬を献ずるでありましょう。しかし一向に神仙が
始皇帝の部屋に舞い込んでこなかった。盧生は窮してしまい、それは陛下の生活のあり方がよくないからでございます、と
ひらきなおった。神仙は余人を嫌う。陛下の部屋に舞い降りようにもたえず家来どもがいて舞い降りられないのでございま
す。という意味の理屈を整然たる理論と実証をもって述べた。以後、余人を身辺に近づけなくなった。ただ、宦官の趙高
だけは例外であった。例外を設けておかなければ皇帝としての仕事ができなかった。趙高だけが例外とされたのは
「宦官は人ではない」という理由に拠るものだった。宦官はいうまでもなく男根を切り取られている。趙高はひそひそと歩く。
特別な呼吸法でも心得ているのか、始皇帝の身辺で身のまわりのことをしていても、人間がそこにいるというわずらわしさ
を始皇帝に感じさせず、また床に敷き詰められた黒い(石専セン)の上を趙高が歩いても足音もしなかった。歴史上最初
に出現した皇帝というのは新奇でかつ地上絶対の権力であっても、皇帝の私生活の面倒を見るこの宦官にとってはただ
の初老の男にすぎなかった。それも並はずれた荒淫の人であり、その荒淫をつづけたいがために衰えを怖れ、自分だけが
死をまぬがれたいと妄想している滑稽な男にすぎず、またそれ以外の皇帝を想像する必要は宦官という職務からいって
すこしもなかった。始皇帝と丞相の李欺のあいだをかれは書類を持って往復している。始皇帝の言葉も、趙高が代弁した。
ある朝、暗いうちに始皇帝が恩諒車の寝台の上で息を引き取ってしまった。そこに下僚の宦官が3人居る。「聞け」
趙高はおそろしい顔をしていった。「陛下はなくなられたのではない。この車のなかで生きておられる。咸陽にへ還幸され
までは、生きておられるのだ」もしそうでない事実を口外すれば、不忠の者として殺す、九族まで殺す、よいか、といった。
あついために、始皇帝の死体の腐敗は早かった。死臭が車の中に満ちた。地上ただ一人の絶対者も死ねば死臭を発
するだけというのが、なにか滑稽なようであり、哀れでもあった。かれは趙高にとって死体であり続けねばならなかった。
(もう少しの我慢だ)車の中で趙高は思った。擬似皇帝である趙高はきをうしないそうなほどのにおいの中で、呼吸し
ていた。夜間は腹心の宦官に交代させて車内で伏せさせた。この臭気の中ではとても眠ることはできず、一夜で宦官は
死体寸前の衰えを見せて車から降りてきた。昼は趙高が車内にいる。欲に取り憑かれでもしていないかぎり、こういう
我慢ができるものではなかった。ただおそれるのは、外部にこの臭気が漏れることであった。このため趙高は数日目から
馬車を並行させて走らせている。始皇帝が開通させた軍用道路のろ幅はすべて二車線で、二車線であることが始皇帝
の生前よりも死んで役に立ったことになる。並行して走らせている馬車には、飽魚を一石(30キロ)も積ませていた。飽
魚というのは干物にした魚のことで、臭気が甚だしい。「陛下がそうせよとおおせられた」と供奉の連中にはふれておいたが
、供奉の者から見れば始皇帝がなぜそんな物好きなことをするのかわからない。そのことについては趙高は説明しなかった。
このためにたれもが不審に感じ、なにごとかがおこっているという疑念をもった者がすくなからずいたにちがいない。
結果、長子の扶蘇を自害に追いやり、末子の胡亥を二世皇帝に即位させた。
名キャラ登場でございますね。趙高かなりかっこいい。
宦官、自ら志望して宦官。その勇気がこの俺にあれば・・・。パイ●カットでびびってる場合じゃねぇ!!
影の人でありながら、表の人になっちゃってるのはちょっといただけないけど、立ち位置は謙虚で良い。
俺もそうなりたい。その前に、俺に必要なのは、勇気。切る勇気。断ち切る勇気!!
もーぅ、増えちゃって増えちゃって、「趙高、良いな」とか言ってる場合じゃねーよ。子供居る宦官って居たのかよ。
お前、今、俺を笑ったな? 馬鹿にしたな? お前、切れんのかよ!! やってみろ!
上の御英断をもって、せめて阿房宮の工事だけでも中止してくだされば治安はよほど安定するだけでございます。
と老臣たちは進言した。胡亥はいった。
「およそ、人たる者が、なぜ天子を尊ぶか。天子に徳があるために尊ぶのではない。尭舜のように貧であるがゆえに尊ぶ
のではない。奴隷よりも激しく働くから尊ぶのではない。天子は天下を保有する。それも一人で保有している。天子たるも
のは天下の富を保有し、天下の人民を意のままに使い、その他すべてをいのままにふるまって欲望をきわめつくしてはじめ
て下々は天子とは人間にあらず、格別に尊貴なものだと思うようになる。
関中にあっては、宦官の趙高は、容儀から顔つきまで、以前とは変わってきている。以前、先帝の壮んな頃は餌を探す小
動物のように目の動きがすばやく、先帝の心をよく読み、日常、先帝が用を言いつける前にいちはやくすべるような足どりで
それを持ってくるというぐあいの男であった。そのため、つねにひざをわずかに曲げ、首をたれ、人間以外の-、かといって野獣
でも家畜でもない-一種特別な動物のような感じで先帝の周りに纏わりついていた。先帝の晩年、趙高はもはや生物し
ての先帝の一部に溶け込み、趙高がいなければ判断もできず、極端に言えば生存すらできないのではないかと思われるふ
うになっていた。このことは宦官という人ではないとされる存在の、芸として極地をきわめたものといっていい。ただ二世皇帝
胡亥との関係は先帝時代とまったくちがっていた。「秦帝国の立国に思想は何か」というふうなことを、趙高はたかだかとこの
若い皇帝に説く男になっていた。
胡亥の皇帝としての仕事は、後宮で女どもに惑溺しきってしまうということだった。それが皇帝の至上の善であるという。無拘
束の存在である皇帝たるものは、欲望を思いのままに遂げるということを天から許されているのである、と趙高はいう。趙高は
皇帝たるもの社稷を安んじねばならない、社稷を安んずる道は皇帝の種を増やすことである、つまりは婦人を御することが天
命にかなうための第一の道である、と胡亥にいった。
趙高にすれば、章甘(ショウカン)が戦場で大功をたてて声望があがることをおそれている。もっともそうなったとしても非違を
みつけて勅命によって殺してしまえばそれですむが、ともかくも自分を怖れしめ、自分の意のままになる男に仕立ててしまうほう
が望ましい。このため、この座において、ときには威を見せ、時にはショウカンの心を撮るような笑顔を作ってみせた。趙高は笑
顔のわるい男だった。笑うと顔の皮がぬめつき、口元に豚の黄色い脂肪を折り曲げたようなしわができた。ショウカンはさすがに
薄気味悪かった。
(しかし、官僚どもはどの程度、自分に服しているか)ということが趙高にとって絶えず不安だった。あるとき趙高は宦官と女官
を試しておかねばならないと思い、二世皇帝胡亥の前に鹿を一頭曳いて来させた。
「なんだ」胡亥は趙高の意図をはかりかねた。
「これは馬でございます。」と趙高が二世皇帝に言上したときから彼の実験が始まった。二世皇帝は苦笑して、趙高、なにを
言う、これは鹿ではないか、といったが左右は沈黙している。なかには「上よ」と声を上げて、
「あれが馬であることがお分かりになりませぬか」と言い、趙高にむかってそっと微笑を送るものもいた。愚直な何人かは不審な
顔つきで、上のおおせのとおり、確かに鹿でございます、といった。この者たちは、あとで趙高によって、萱でも刈り取るように告発
され、刑殺された。群臣の趙高に対する恐怖が極度に強くなったのはこのときからである。
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