KBSで勢力拡大
日レースと同じ京都に本拠を置く民放局、近畿放送(KBS京都)。80年代後半に入って、許氏はKBSを舞台に勢力を
広げ、人脈を広くしてきた。関連会社のゴルフ場開発会社(KBS開発=現コスモセンチュリー)が146億円にのぼる融
資を受けた際、KBSの本社土地などに抵当権が設定された問題の責任を取って91年3月辞任した内田和隆副社長。
これと呼応するかのようにKBSの関連会社社長に許氏を就任させたこともあった。近畿放送の役員はフィクサーとか
黒幕と呼ばれる人物のグループが役員の大半を占めている。社長は福本邦雄氏で、その関係者としては内田武宣
氏(竹下元首相の娘婿、元毎日新聞記者)のほか、常務の野村雄作氏(故野村周史氏の子息)の名前もある。伊藤
寿栄光氏、山段芳春氏のグループでは坂根義一氏(キョートファンド社長)、湊和一氏(キョート・ファイナンス社長)が
やはり取締役として顔を出している。
松尾家のお家騒動~雅叙園観光問題の発端
イトマン事件が表面化した直接の原因とも言われる雅叙園観光問題だが、そもそものきっかけは、84年に始まった
創業者である国三氏の率いる松尾家のお家騒動だ。オーナーの故松尾国三氏は九州の旅芸人一座の使い走りか
ら初めて、大物興行師にのし上がった人物。最後の興行師と言われた。雅叙園観光と大阪に本社を置く日本ドリー
ム観光は、どちらも松尾家をオーナーとする兄弟関係にあった。経営面でもドリームが保有する横浜ドリームランドな
どの中で、雅叙園観光が食堂や売店を営業するなど提携していた。しかし創業者の松尾国三氏が亡くなった84年1月
から、日本ドリーム観光を舞台に内紛が勃発した。未亡人のハズヱ会長と、大番頭である坂上勉社長の主導権争い
がきっかけだった。坂上社長は雅叙園観光の買占めを進めていた大阪の仕手集団、コスモポリタン池田保次会長と
手を組んで自社株を買い集め、オーナーのハズヱ会長の追い出しに動いた。これに対しハズヱ会長派は、ドリーム株
を買っていた大阪の仕手筋、豊光実業と組む一方、元警視総監の秦野章元法相ら警察官僚OBに協力を依頼、防戦
した。同年4月にハズヱ会長が反撃に出て、坂上社長のコスモポリタンへの不明朗な融資を暴き、坂上社長を辞任に
追い込む。これを受け、坂上社長派はコスモポリタンの株をバックにハズヱ氏らを追い出すという具合で対立はエスカ
レートする一方だった。結局87年4月に両派は、ハズヱ派はドリームを、坂上派は雅叙園観光を取る」ということで手打
ちになったが、このお家騒動の間に池田会長は雅叙園観光株の買い集めを進め、同社の乗っ取りにまんまと成功した。
ブラックマンデーでコスモポリタンは大打撃を受け、資金繰りが急速に悪化した。池田氏の会長辞任により、雅叙園
の経営権は「香港資本グループ」に移ったとされている。ディクソン・ワン・カンパニーなど香港法人の名義が登場した
からだ。しかし、香港資本グループへの経営権委譲は見せかけだった。名義だけで、株式を押さえていたのは日本
レース事件で手形を乱発、甘い汁を吸った在日韓国人実業家、許永中氏のグループだった。88年春先から息のかか
った経営陣を通じて手形を乱発しはじめた。池田氏は結局、失踪、「今から東京へ行く」、秘書に言い残して姿を消した。
海外逃亡説、拉致説、殺害説などがあるが、いまだにナゾのままだ。
池田氏が去った後の雅叙園観光の経営状態は風前の灯と言ってもいいほどだった。有力経営拠点である神戸ニューポ
ートホテルを手放したほか、イメージダウンも手伝って88年27億円の売上高が89年12億円強まで激減した。とりわけ
700億円という巨額にのぼる手形の処理が悩みの種だった。年が明けて89年、「手形問題の責任をはっきりしない限り
監査証明は書けない」と譲らない公認会計士や手形発行に関わった人物の告訴をちらつかせる経営陣の動きにより、
5月の株主総会が乗り切れるかどうかが極めて微妙な情勢となった。そこで「手形の面倒を見る」と登場したのがイトマ
ン事件の中心人物、伊藤寿栄光、協和総合開発研究所代表取締役だった。
雅叙園が保有する日本ドリーム観光株
大蔵省への届け出や有価証券報告書には800万株保有と記載されている日本ドリーム観光株のうち、126万株が行方
不明になっている。さらに協和総合開発が雅叙園観光の経営権を握った1ヵ月後に日本ドリーム観光株700万株をダイエ
ーの子会社、ドリーム開発に1630円で売却したことも明るみに出た。それが事実なら90年有価証券報告書に記載され
ている簿価一株57円というのは虚偽記載ということになる。
大阪府民信組問題は、「金融自由化の落とし穴」の一面がある。都銀は取引先企業にコマーシャル・ペーパー(CP)を
発行させて手数料を稼ぐ。さらに資金調達した企業には都銀と比べ預金金利の高い信用組合を紹介する。信組側は
より高い貸出金利を取るため、リスクの大きな不動産関連融資に走るという構図だ。府民信組問題は信組本来の中小・
零細企業、個人向け融資に徹していれば起きなかったといえる。
住友銀行の蹉跌 浮利を追う経営土壌
住友家の家訓にはあまりにも有名な言葉がある。「浮利を追わず」だ。しかしイトマンの過大な債務問題や仕手グルー
プ「光進」への巨額な融資不正仲介での元支店長逮捕など、住友銀行への信頼を揺さぶる不祥事に共通するのは、
文字通り「浮利を追う」経営土壌の問題点だった。主要な取引先が重工業に偏り、関西産業界への依存度が高かった
住友銀行は、1950年から60年代にかけての産業構造の変化や関西産業界の地盤沈下の過程で苦しい闘いを強いら
れた。この時期に取引となった堀田氏は、時には企業切り捨てと批判された合理主義を貫き、東上作戦にも力をいれ、
瞬く間に住友銀行を利益ナンバーワン銀行に引き上げた。このあと、富士銀行との熾烈な収益順位争いを続けたが、
磯田氏が頭取になった後に、旧安宅産業向け問題債権処理に伴って首位の座から遠ざかる。ところが大方の銀行が
行員評価に「減点主義・損失防止第一主義」をとっていた時代に、磯田頭取は「得点主義・利益第一主義」を徹底、す
ぐに利益トップに返り咲いた。こうした風潮は金融ハイテク分野で常に都銀の最先端を行くといった利点を生み出したが
半面、「利益につながれば少々のことは許される」的なムードを行内に定着させた面があることは否めない。その代表
的な人物の一人が90年の融資の不正仲介で逮捕された(「光進」、小谷代表への不正融資)、山下章則元青葉台支店
長だった。
ドキュメント イトマン・住銀事件 日本経済新聞社 日本経済新聞社 1991-06 |
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