私が宗教上の理由で買えない三つの小品 富くじ、ワラント、ダイヤモンドである。それぞれに理由があり、そしてそれなりの敬意と感心、愛がある。それゆえに嫌いという感情論を超えた憎しみに近い、不買の信念があるのだ。
富くじ:夢を買うな、高すぎるVolatilityは不当なまでに期待値を下げる。
ワラント:売買の非対称性、それゆえの不公平性。
ダイヤモンド:これはもっとも理由が複雑でまた歴史が長く、そして悪魔的である。
この本はBookoffで105円で買ったものだが、定価130円1964年発行。筆者は私と方向性は違うものの、ダイヤモンドに対する愛があると言う意味では私と同じだ。
ダイヤモンドは、常日頃身につけて愛用したり、一旦緩急の際の財産として蓄えてくものとしては今までの私たちの生活にとってやや縁遠い存在だったようである。同じような状態は100年足らず昔のヨーロッパやアメリカにおいてもみられた。しかし現在欧米人の生活の中でダイヤモンドの占める地位は昔とすっかり変わり、完全に大衆化してしまっているのである。僅か100年前には、王侯貴族などの一握りのハイ・ソサイアティだけの専有物でしかなかったダイヤモンドも、今では婚約指輪はダイヤモンドに限られるという慣習が一般化しているため、欧米の大多数の女性にとって、少なくとも一生に一度は、自分の指にはめることのできる存在となっているのである。このような大衆化が起こった原因の一つはいうまでもないことだが、1866年の南アフリカにおけるダイヤモンドの大鉱床の発見であった。また度重なる大戦争によって財宝を宝石に変えておくという風習が生まれてきたことも大衆化を促進させた動機であろう。ところで多くの人はダイヤモンドと言えばきらめく宝石のことだけをまず頭に思い浮かべるようだが、今日ダイヤモンドの用途はじつに広くなっている。例えば、電蓄用のレコード針。ダイヤモンド針はサファイヤの針よりも高価ではあるが、寿命が格段に永く、しかも長期間の使用に耐え、かつ良い音質を保つことを音楽愛好家ならよく知っていることであろう。歯医者の使う小型の研磨砥石。虫歯を削る砥石がダイヤモンドの粉を埋め込んだダイヤモンド砥石となっている。さらに建築石材やコンクリートブロックの切断・研磨などにもダイヤモンドを埋め込んだ鋸や砥石がさかんに使われ始めている。航空機や自動車産業、電子工業などの近代精密工業の分野において、超硬合金、セラミックス、プラスチックスなどがさかんに使われる。超硬合金より硬い物質といえばダイヤモンド以外にはないので、超硬合金の工具をつくるにはダイヤモンド工具が不可欠の存在である。したがって今日、工業用ダイヤモンドの使用量は、一国の近代工業の発展程度のバロメーターといっても良いほどである。
第二次世界大戦中、日本政府は家庭にある宝石用ダイヤモンドにいたるまで強制的に供出させて軍需工業用に使った。また政府は多くの地質学者を動員して、ボルネオにおいてダイヤモンドの探鉱を行ったことがある。またドイツ軍が大戦初期オランダに侵入を開始する直前のこと、イギリス海軍が軍艦をアムステルダムに派遣して、工業用ダイヤモンドのストックを回収し、ダイヤモンド商人達もこれに協力を惜しまなかったという有名なアムステルダム作戦の例もある。最近では朝鮮戦争の勃発と同時に、イギリス、アメリカ、ソ連などが激しい勢いでダイヤモンドの買占めを始めたことがある。さらに自国内にダイヤモンドをまったく産しなかったアメリカとソ連が前者は人口ダイヤモンドの研究に、後者はダイヤモンドの新鉱床の探査に莫大な国費を投じたことはよく知られている。
聖書の中のダイヤモンド
人類がダイヤモンドを最初に発見し、使い始めたのはいつごろのことか、正確にはわからないがおそらくインド人であろうと言われている。しかし、文献上ではじめてダイヤモンドの名がでてくるのは、バイブルのようである。バイブルの中にダイヤモンドという言葉が最初に出てくるのは、「出エジプト記」28章と39章の箇所である。ここでは祭司の胸当ての作り方と胸当てにちりばめる12個の宝石のことが書かれている。ところで問題は宝石の訳語である。キリスト教研究所の加納政弘氏の好意によって調べていただいたこの12の宝石に対するヘブライ語とその音訳、英語、古い訳の日本語訳、新しい訳の日本語を表示してみよう。
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ヘブライ語のyahalomには第一に宝石という意味があり、第二に古くからダイヤモンドと訳されていたという。しかしその後、学者の間で色々異なった見解があらわれ、人によってjasper、onyx、sardonyxなどと訳されている。訳語がこのように変わってきた理由は、一つにはヘブライ語のもっとも古いギリシャ語訳(yaspis)の解釈の違いによるものであり、もう一つの理由は、当時ダイヤモンドのような硬い物質を磨いたりけずったりする技術はなかったであろうという推論からダイヤモンドと訳すのは当たらないということのようである。後ろの方の理由に対しては、鉱物学者として反論することができる。天然のダイヤモンドの結晶の表面にはダイヤモンドの結晶が成長する過程にできたか、あるいはその後、河川で運ばれる間に作られたいろいろな模様が見られるのが普通である。これらの模様の中には三角形や、四角形、丸や折れ釘のような形など、古代ヘブライ語のアルファベットの形に大変よく似た模様が多い。このような模様を持った天然ダイヤモンドをそのまま使ったと考えることは十分に可能なことである。たとえ100歩譲ってアルファベットを刻み込んだと仮定しても私は当時その技術はありえたように思われる。ダイヤモンドはたしかに地上においてもっとも硬い物質ではあるが、一つの結晶の中で方向によって硬さが著しく違っている。ダイヤモンドの平らな面に結晶のとがった部分を当てて根気よく叩いていけばその面の上に字を刻み込むことは可能なことである。
ダイヤモンド批判の最中ではあるが、聖書の怪しさを垣間見ることができたと思うので、ついでに聖書批判もしておこう。子供の頃、おたたさまが、家に来る宗教の勧誘員に向かっておっしゃった。「さっきから聖書聖書って言っておるが、聖書の原典を読んだことはあるのかね?誰も読めない古代ヘブライ語で書かれた聖書を現代の科学と知識で再解釈し、内容が変わる聖書を拠り所にするとは…、笑止…。10年後にはあなたの崇める聖書の内容がまた変わるかもしれないが、その時あなたはどちらの聖書を信じるのか?」と追求され、ほとんどの下級勧誘員は撤退し、うちには口の上手い上級勧誘員しか来なくなった。私もおたたさまと同意見というか、そういう教育をされているからなんだろうが。私も今なら子供達の前で、こう言うだろう。「かのマハトマガンディが言った・・・。『歴史に記録されている世の中で最も極悪で残酷な罪は、宗教という名の下に行われている』とな・・・」
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