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今日フランスでは、以前にまして金融およびそれを支配しているユダヤ人の意図とショーヴィニズムの立場に立って国家主義的政策の願望との間に本質的な一致が見られている。しかしこの同一性の中には、ドイツにとってはかり知ることのできぬ危険が横たわっている。まさにこの理由からして、フランスは常に極めて恐るべき敵なのである。この自己の中でますますネグロ化しつつある民族は、ユダヤ人の世界支配の目標と結びつくことによって、ヨーロッパの白色人種の存続にとっては身に迫る危険を意味するものである。なにしろ、ヨーロッパの心臓部であるライン地方のネグロの血によるペスト化は、このショーヴィニズムにとりつかれたわが民族の永遠の敵国がもつサディスト的、倒錯的な報復情熱に対応するものであると同様、このようにヨーロッパ大陸の中央部の雑種化をはじめ、低劣な人種からの伝染によって白色人種のもつ独裁的存在の基礎を奪おうとするユダヤ人の氷のように冷たい熟慮にも応ずるものである。フランスが、自国の報復情熱に拍車をかけられ、またユダヤ人に計画的に導かれ、今日ヨーロッパでやっていることは、白色人種の存続に反する罪であり、そして将来いつか人種侮辱を人類の現在と認識している一種族の復讐心が全てこの民族に向かって突進するだろう。
すげーな、よどみないフランス嫌悪www


ドイツ民族は唯一無比の国土を売り渡し裏切った犯罪者たちの責任を追及しない限り、他の国々の態度について非難する道徳的権利を持たない。なるほどイギリスやイタリア等々に対して遠方から毒づき抗議したとしても、敵の戦時宣伝に雇われて我々から武器をかすめとり、道徳的バックボーンを破砕し、麻痺したドイツ国を銀貨30枚の口銭で売り飛ばした無頼漢を国内でのさばらしているのでは本当の真面目とは言えない。
純粋に領土の点から見るとすれば、ドイツ国の面積などはいわゆる世界所強国に比べる場合には完全に消滅してしまう。もちろん、イギリスは反証にはならない。というのは、イギリス本国は事実上ではほとんど全地表の四分の一を自分の領土と呼びうる大英帝国の大首都に過ぎぬからである。さらに我々は第一はアメリカ合衆国を、それからロシアと中国を巨大な国家と見なさなければならない。それらは現在のドイツ国のまず10倍より以上の面積を持っているような国土ばかりである。そしてフランスさえ、これら諸国の中に数えなければならぬ。フランスではますます大規模に巨大な自国内の有色人種現員から軍隊が補充されるだけでなく、人種的にもフランスのネグロ化は非常に急速に増進し、そのため実際はヨーロッパの大地の上にアフリカ的国家が成立したと語りうるほどである。今日のフランスの植民政策は過去のドイツのそれとは比較にならない。今日のやり方ではフランスの発展がもう300年も継続されると仮定すれば、最期のフランス民族の地の残余も形成されつつあるヨーロッパ・アフリカ白黒混血国家の中で滅亡するに違いない。
国際連合、常任理事国は正確に予言しているな。フランスとドイツの決定的違い、地中海沿岸の土地の所有、地中海越えの広大なアフリカにアクセスしやすく、アフリカ割譲・解体のフランス支配領の面積を鑑みると力の差は歴然としていて、ヒトラーのこの見解を後押しする地図の形である。当時から現代に至るまで、チュニジア問題でもフランスが関与しているのは言うまでもない。
1000年にわたる政策から残った結果 
1000年以上も昔からのわが民族の政治的体験を再吟味したり、無数の戦争や闘争を全て想起して、これらの戦争から生じて今日我々の前に現存している究極的成果を研究したりすれば、我々がはっきりした特定の外交政策的および一般の政治的経過の残存結果と見なしうるような、この血の海から生じた現象は実際にはただ3つしかないことが承認されねばならない。つまり、
1.主にバイエルン人の祖先によって実現されたオストマルクの殖民
2.エルベ川以東の地域の獲得と侵略
3.ホーエンツォレルン家によって実現された、新しい国家の模範および結晶核としてのブランデンブルグ・プロイセン国家の組織である。
将来に対してなんと有益な警告であろうか。わが国の外交政策のはじめの2つの偉大な成果は最も永続的な成果として存続している。これらの成果を書いてはわが民族は今日およそどんな役割も演じることがないに違いない。これらは上昇する民族人口と領土の大きさを調和させる最初の、だが残念ながらたった一度成功しただけの企てでもあった。
ぎょー・・・私の教養が足りず、何言ってるのか、わからない!!
1.オーストリア、2.ポーランド、両国に対する国家併合とドイツ民族の拡散。3.神聖ローマ帝国の統治体系のことを言っているのかな?
東国政策の再開
我々国家社会主義者は、我が国戦前の外交政策については終止符を打っておくことにする。我々は600年前に到達した地点から出発する。我々はヨーロッパの南方および西方に向かうゲルマン人の移動をストップして、東方の土地に視線を向ける。我々はついに戦前の海外植民地政策および貿易政策を清算し、将来の領土政策平衡する。だが我々が今日ヨーロッパで新しい領土について語る場合、第一にただロシアとそれに従属する周辺国家が思いつかれるに過ぎない。
ロシアはその新しい支配者の内的な意図を全く無視するとしても(ww)、ドイツ国民の自由闘争にとって同盟国ではない。純粋に軍事的に考えてもドイツとロシアが西欧に対して、多分他の全世界を相手にすることになろうが、戦争をする場合には状況は正しく破局的なものとなるのであろう。戦争はロシアの土地でなく、ドイツの大地で行われるに違いない。ドイツとロシアの中間には完全にフランスの手中にあるポーランド国家が存在している。ドイツとロシアが西欧と戦う場合には、ロシアの自国の最初の兵隊をドイツ戦線にもたらすために、まずポーランドを圧倒しなければならぬことになる。だがその場合、兵隊などよりも技術的装備が問題である。当時ドイツの工業は我が国の光栄ある同盟諸国のために無心されただけで、ドイツはほとんど全く独力で技術戦を引き受けなければならなかったように、この戦争でもロシアは一般に技術的要素としては完全に問題外であるだろう。次の戦争できっと圧倒的に勝敗を決定するものとして現れてくるだろう世界の一般的モータリゼーションに対して、我々のほうにはほとんど何も対抗すべきものを持ち得ないと思われる。なぜならドイツ自体がこの最も重要な方面で不面目にもはるかに立ち遅れているだけでなく、今日でさえまだ実際に走る自動車を生産しうる工場が一つもないロシアをさらに守らなければならなくなるに違いないからである。
ロシアと同盟することをすぐに戦争と結び付けて考える必要は無いだろう、あるいは戦争のためには根本的な用意もできるだろう、などと異議を唱えてはいけない。そうはならないのだ。戦争意図を目的として含まないような同盟はナンセンスであり、また無価値である。戦争のためにのみ同盟は結ばれるのである。したがって、ロシアと同盟を締結するという事実のうちには、すでに次の戦争についての見込みがつけられている。締結の結果はドイツの終末となるはずである。その上、ロシアの今日における権力者は誠実な態度で同盟に加わることはもとより、さらにそれを保持することなどちっとも考えていない。
1918年11月の武装解除でもって、どんな人間の予測でも、徐々に完全な屈服にまで行きつくに相違いない政策が始まったのである。これと似た種類の歴史的諸例が示すように、絶対にやむをえないという理由もなしにまず武器を投げ出した諸民族は、次の時代になっても、新しく力に訴えて自分たちの運命を変更しようと企てるより、むしろこの上ない軽蔑と強奪に耐え忍ぶものである。カルタゴの没落は、そのような緩慢な自業自得の破滅が一民族を襲ったことを最も恐るべき形で示している。それゆえクラウゼヴィッツも彼の「3つの信条」の中で、卓絶した仕方でこの思想をつかみ出しそして次のように語ることにより、あらゆる時代の人々にはっきりとその点を指摘している。「卑劣な屈服の汚名はけっして消し去ることはできぬ。一民族の血液内のこの毒薬のしずくは子孫に伝えられ、その後の種族の力を奪い、害するだろう。」、またこれに反して「血みどろの、名誉ある問うその結果であれば、この自由の滅亡でさえも民族の再生を保証し、そして、いつか新しい樹木となってしっかりと根をおろすような生命の種子である」
ドイツは1918年11月に電光のような速さで崩壊した。しかし破局が故国内で起こった時、野戦群の軍隊はまだ敵国深く入っていた。フランスが当時第一に憂慮したことはドイツの解体ではなく、むしろどうしたらドイツ軍を最も迅速にフランスやベルギーから撤退させられるか?ということであった。したがってパリの国家指導層にとって、世界大戦終結についての第一の課題はドイツ軍の武装解除と、そして可能であれば差し当たりドイツへ押し返すことだった。そして第二の段階としてやっと自分たちが元来持っていた固有の戦争目標の成就に没頭できた。たしかにフランスはこの目標については既に実行力を失っていた。イギリスにとっては、ドイツを植民・貿易国としては破滅させ、そして二流国の徹底的な絶滅は利益でなかったばかりでなく、その上イギリスは将来ヨーロッパにおいてフランスがライヴァルをもつのが望ましい理由を全て持っていた。したがってフランスの政策はまず断固として平和政策でもって、対戦が時刻に準備してくれた仕事を続けなければならなかったし、クレマンソーの、私にとっては平和もまた戦争継続に過ぎないという金言は意味を一層深めたのである。あらゆる可能な機会を見つけてはフランスは絶えずドイツの国家組織をゆすらねばならなかった。他方ではそれによって可能となる経済的搾取を行うことにより、パリはわが国家組織を徐々にぐらつかせてゆくことができるようにと希望していた。
フランス人は、結局は、世界における自分たちの重要性をただトイツが破壊されることによってのみ維持できるに過ぎない。ドイツとフランスの間の永遠の衝突は、ただフランスの攻撃に対するドイツの防衛という形態でのみ解決が図られる限り決着させることはないだろう。そればかりか、ドイツは世紀を経るごとに次々にその地位を失ってゆくに違いない。12世紀から始まって今日に至るまでのドイツ語の境界線の変遷を追及するならば、すでに今まで我々にこれほど多くの損害をもたらせた態度や事態の発展から生じた結果にはおそらくもう少しも頼れぬはずである。
1922年12月に、ドイツとフランスの間の情熱は再び人々を脅かす激烈化を強めたように思われた。フランスは新しい法外な強奪を念頭において、そのための抵当を必要としていた。経済的略奪には政治的圧迫が先行しなければならず、フランス人はわが「反抗的」民族にもっときびしいくびきをかけうるためには、ただ我々ドイツ人の全生活の神経中枢を無理やりにバックボーンを決定的に折り砕くだけではなく、家ッ材的にも我が国を我々すべてがいやでもおうでもきわめて辛い義務をも引き受けなければならぬといった逼迫状態に突き落とすことができるのを望んだ。それは屈服するか決裂するかを要求するものだった。ドイツは最初からすぐに言いなりになったが、さらにその後になって完全な決裂に終わってしまったのである。ルール地方が占領されることになって、運命は再びドイツ民族の再起の手を差し出した。外交政策の面で考えれば、フランスはルール占領によってイギリスをはじめて本当に内心からそむかせることとなった。なぜならフランスはいまや純粋に軍事政策的に見て、以前にドイツさえも持っていなかったほどの地位をヨーロッパ内で占取したばかりでなく、経済的に見ても、いまや自国の政治的競争能力を経済的にほとんど独占的地位に高める基礎を得たからである
【ヨーロッパの戦争・内戦・紛争】
2013.03.28 わが闘争 上 民族主義的世界観 1/7 ~ヒトラーが生きた時代のドイツ
2013.02.20 聖戦ヴァンデ 2/3 ~募兵と蜂起
2012.11.27 ユーゴ紛争はなぜ長期化したか 2/3 ~NATO、国連
2012.07.31|マキアヴェッリと君主論1/4 ~1500年当時のイタリア
2012.04.06: 金融史がわかれば世界がわかる 4/6~ポンドからドルへ
2010.07.16: ドイツの傑作兵器・駄作兵器
2009.06.05: 現代ドイツ史入門
2009.05.05: 民族浄化を裁く ~ボスニア