演説は書物より影響が大きい
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書物はどのような手に落ちるかわからないのでに、一定の表現を保持しなければならない。この表現がその読者たるものの精神的水準や本質的性質にぴったり応ずれば応ずるほど、一般にその効果はますます大きいのである。だから大衆を目的として書物ははじめから文体と程度において、より高度の知識層を目的とした著作物とは異なった効果があるようにせねばならない。演説家は書物と同じテーマをかまわずに取り扱うことができる。けれども彼が偉大な天才的な民衆の演説家であるならば、同じ主題や同じ題材を二度と同じ形式で繰り返さないであろう。


その時々の聴衆の心に語るために必要な言葉が、その場で感情に合わしてちょうど流れ出すように常に大衆によって動いていくに違いない。演説家は聴衆の表情によって、彼らが第一に自分が言ったことを理解したかどうか、第二に彼らが全体についてくることができるかどうか、そして第三にどの程度まで提議したものの正しさについて確信したか、ということを読み取ることができるのである。第一に、聴衆が理解してないと見たならば、彼は最も劣等なものでさえも理解できるに違いないくらいに、その説明を単純に平易にするだろう。第二に聴衆が付いてくることができないと感じたならば、みんなの中で最も頭の弱いものすら取り残されない程度に、自分の思想を注意深く、徐々に組み立てる。そして第三に、聴衆が自分の提議したものの正しさに納得していないように思える限り、これをたびたび常に新しい例を繰り返し、また口に出さないまでも感じ取れる聴衆の異論は、自分から持ち出してついには最後まで反対するグループさえも彼らの態度の表情によって、自分の論証の前に降伏したと認められるまで、反駁し粉砕するだろう。
その際、人間というものは知性に根拠を持たず、大抵は無意識に、ただ感情によってのみ支えられた先入見にとらえられていることが稀でない、ということが問題である。こういう本能的な嫌悪、感情的な憎悪、先入的な拒否というような策を克服することは、欠点のある、あるいは誤った学問的な意見を正しく直すことよりも、千倍も困難である。誤った概念やよからぬ知識というものは啓蒙することによって除去することができる。だが感情からする反抗は断じてそれができない。ただ神秘的な力に訴えることだけが、ここでは効果があるのである。そしてそういうことは常に文筆家にはできず、ほとんどただ演説家だけがなしうるのである。これに対しては我が民衆の間に幾百万という法外な部数で氾濫している、往々にして非常に巧妙に作られたブルジョア新聞があるにもかかわらず、新聞は大衆がこのブルジョア社会の人々のまさしく最も鋭い敵となることを防ぐことができなかったという事実が、このうえもなく適切な証拠を与えている。
演説によるマルクシズムの成功 マルクシズム自体がまさしくマルクシズムの著作物によって、特にカール・マルクスの基礎的労作の影響によってこの主張に対する反証を提供している、とだけ答えて欲しくない。マルクシズムに、大衆に対する驚嘆に値する力を与えたものは、決してあのユダヤ人思想界の形式的な文字で書かれた著作物ではなく、むしろ幾年もの間に大衆をわがものにして演説による巨大な宣伝の波である。この著作物は以前から、多くの下層階級から出てこの運動に実際に関与しているものよりも、インテリ、特にユダヤ人によって千倍も研究されたのである。しかしそのうえこの著作物は大衆のために書かれたものでなく、もっぱらユダヤ人の世界制覇機関の知的指導のために書かれたものなのだ。彼らはそれをまったく別の材料によってたきつけた、すなわち新聞だ。けだしマルクシズムの新聞がドイツのブルジョア新聞から区別されるのはこの点である。マルクス主義の新聞は扇動者によって書かれ、ブルジョア新聞は文筆家によって好んでアジテーションをやっていこうとするのだ。マルクシズムに幾百万の労働者を獲得させたものは、マルクシズムの恐怖たちのお筆先ではなく、むしろ偉大なる扇動の使途から始まって、小さい労働組合役員、腹心の友、討論の演説家にいたるまで幾万のうむことなき扇動者のあくことのない実に強力な宣伝活動であり、無数の集会のためである。
演説の効力の心理的条件
敏感な演説家であるならば、講演が行われる時間すらもその効果に対して決定的な影響がありうるということを推測しうるのだ。同じ講演、同じ演説者、同じ演題でも午前10時と午後3時や晩とではその効果はまったく異なっている。みんなが出席しやすいように私は集会を午前10時と定めたのだ。その結果は惨めなものだった。これは驚くにあたらない。演劇に行って、何か一つ劇を午後3時と同じ配役の同じものを晩の8時に見ると、人々はその異種の効果と印象に驚くであろう。午後の上演の印象が晩の印象ほど大きくないことがすぐにわかるだろう。映画においてすら同じことが確かに言える。これは重要である。というのは、劇場の役者は午後には、夜の部ほど熱心にやらないかもしれない、ということができるからである。けれども映画は午後も、夜9時でも変わっていない。そうだ、ここではちょうど会場が私に対するのと同じように、時間自体が一定の影響を及ぼしているのだ。
統一的象徴の意義
運動は党章も党旗も持っていなかった。そういうシンボルがないということはただ一時的に不利であったばかりでなく、将来のためにも我慢できなかった。まず第一にその不利は党員に同じ党に属しているという外的な目印がまったくなく、それは運動のシンボルの性格を持ってはいるが、インターナショナルなそういうものに対抗しうるような目印を欠いているということは、将来のためにも耐えられないことであった。だがこういうシンボルが心理的にどんな意義を与えるか、私は既に青年時代に一度ならず、しばしば認識し、また感情的に理解する機会を持った。さらに一時大戦後、私はベルリンにおいて王宮とルストガルテン前でマルクシズムの大衆示威を体験した。赤旗、赤い腕章そして赤い花の大海が、おそらく12万人も参加したと思われるこの示威運動に純粋に外面的だけでも力強い勢力を与えたのだ。
新旧の黒・赤・金
ドイツ語地域のある場所で、ブルジョア政党旗のようなものがあっただけだ。ドイツ・オーストリアだ。当地の国家主義的ブルジョアジーの一部は1848年の旗すなわち、黒・赤・金を彼らの党旗に選び、一つのシンボルを作ったので、それは世界観的には何の意味も無かったが、それにもかかわらず国家政治的には、革命的性格を帯びたものであった。当時、この黒・赤・金の旗の最も激しい敵は、-人々はこれをいまでも決して忘れてはならないのであるが-社会民主党であり、キリスト教社会党員ないしカトリック党員であった。当時彼らがまさしくこの旗を侮辱し、けがし、よごしたのは、これらがその後1918年に、黒・白・赤の旗を下水溝に引きずり込んだのとまさに同じである。もちろん旧オーストリアのドイツ諸政党の黒・赤・金は、1848年の色であった。その頃は最も真正なドイツ魂が代表として座を占めていたのである。祖国への裏切り行為や、ドイツ民族とドイツ財宝の無恥な駆け引き売りが、マルクシズムと中央党にこの旗を非常に気に入らせたのである。1918年以後にドイツ・ブルジョアジーは自分たちのより良い政党の中に、今突然発見された黒・赤・金のドイツ国旗を彼ら自身のシンボルとして引き受けることをむしろ好都合とは考えなかったからだ。しかし人々は自ら新しい発展に対して、将来のための独自のプログラムも対置することなく、最善の場合でも過去のドイツ国の再建思想を持っていただけであった。そして旧ドイツ帝国の黒・白・赤が、我々のいわゆる国家主義的ブルジョア政党の旗として復活したのはこの思想のおかげである。
自分自身と自己の市民を売った今日のドイツ国は決して黒・白・赤の栄誉と英雄的な旗を使うことができないのだ。11月革命の恥辱が続く限り、共和国もその外被をまとってもよい。マルクシズムと戦っている運動は、だからその旗からして、疑いも無く新国家のシンボルであらねばならない。黒・白・赤は上述した理由から問題にならず、いずれにせよ今まで表現では問題外である。確かに効果という点ではこの色の組み合わせは他の全てのものを越えて高くそびえている。私自身は常にこの昔の色を残しておく考えだった。それは兵士としての私にとって、私の知っている限りの最も神聖なものであったからというだけでなく、その美的効果においても私の感覚にはるかにぴったりするものであったのだ。私自身が色々とやってみて最後の形を描いた。赤地に白い円を染め抜き、その真ん中に黒のハーケンクロイツを描いたようである。そしてそれが最後まで残された。1920年の盛夏にはじめて、この新しい旗が公衆の前に現れた。それは立派に我々の若い運動に適合した。
【愛国者・民族主義者】
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