もともと明治人は新聞記者や世論に対する認識が貧困で、日本人記者なども軍夫のような扱いを受けた。げんに日本人記者の服装は軍夫まがいの者が多く、ときにはシマの着物を着、尻っ端しょりしてモモヒキをはき、洋傘を杖がわりについて戦地にやってきている者もあった。参謀たちは、この内外の記者団と接触することをうるさがり、ともすればハエのように追っ払ったりした。このことが外人記者団の憤慨を買い、怒って本国に引き上げる者が続出し、自然、ロシア側の従軍記者の記事が世界中に流されることになった。この点、クロパトキンは巧妙であった。かれは遼陽決戦の終了早々、どさくさのなかで記者会見を行い、「我々は予定の退却を行っているのみである。その証拠に砲はわずか二門を遺棄したに過ぎない」と、詳しく公表した。日本軍の総司令部も同じく記者会見をしたが、数行の文章を読み上げただけであった。自然、世界じゅうをかけまわったニュースは日本軍非勝利説であり、このためロンドンにおける日本公債の応募は激減し、日本の戦時財政に手痛い衝撃を与えることになった
遼陽開戦での時点で、世界に映じた日本像は、決して勝利者の像としては映らなかった。それがロンドンにおける公債応募の激減につながったとき、日本帝国の元老たちははじめて飛び上がるほどに驚いた。日本にはカネがない。日露戦争が始まる直前に日本銀行が持っていた正貨(金貨)はわずか1億1700万円にすぎず、これでは戦争できない。この手持ちの金の7、8倍は公債のかたちで外国から借りなければならなかった。その公債募集について、日銀副総裁の高橋是清がロンドンで苦労していた。そこへ遼陽の「敗報」であった。これによってひとびとは日本の敗戦を見越し、いっせいに公債を売るか、手を引くかした。
金がなかった。戦場へ送るべき砲弾も、それを一手に製造するはずだった大阪の砲兵工廟の製造能力をはるかにしのいで消費が上回り、慌てて外国から買わねばならなかった。たとえば遼陽会戦が終わったとき、もう次の作戦のための砲弾がなく、9月15日、陸軍省では世界中の兵器会社に砲弾を注文した。会社名はアームストロング、カイノックス、キングスノルトン、ノーベルなどである。それらに当然ながら金を払わねばならない。その金の調達に、日銀副総裁の高橋是清が、秘書役の深井英五をつれてヨーロッパをかけまわっていた。ひややかに観察すれば、これほど滑稽な忙しさで戦争をした国は古来なかったに違いない。高橋が最初、この使命のために横浜を出帆したのは、この年の2月24日である。ロシアに宣戦してから半月後であった。このとき、彼の壮行会が横浜正金銀行でひらかれた。このとき維新以来日本の財政を担当してきた元老の井上馨が立ち上がってスピーチを試みたが、その時、「もし外債募集がうまくゆかず、戦費が整わなければ、日本はどうなるか。高橋がそれを仕遂げてくれねば、日本はつぶれる」
高橋は最初、ニューヨークへ行った。ここで2,3の銀行家に接触したが「とても」というのが、かれらの意向であった。アメリカはこの時期、英仏その他からさかんに外資を導入して国内産業を開発中であり、そのため他国に貸すような金がとてもなかった。この当時、フランスは大きな金融能力をもつ国であったが、しかし仏露条約の手前をもあってロシアには金を貸していた。高橋はイギリスに行った。イギリスとの間には日英同盟があるものの、英国が日本に戦費を貸与するというような性質の同盟ではない。高橋は、ロンドンにおけるあらゆる主要銀行や大資本家を歴訪した。が、結果は絶望的だった。
高橋是清がヨーロッパで実見したところ、ロシアの信用は開戦後いささかもゆるがないばかりか、パリやロンドンにおけるロシア公債の市価は、むしろ上がり気味であった。日本のそれはよくない。開戦前、日本の4分利付英価公債は80ポンド以上であったが、開戦後暴落して60ポンドまで下がっていた。「この不人気の中で、あらたに公債を発行しても、英国人大衆は応ずるかどうか」と思うと高橋の気持ちは暗かった。「ロシアなら、金は貸せる」 というのが銀行筋の常識であった。ロシアに広大な土地があり、鉱山がある。それを担保に取れば万一のことがあっても貸主に損はない。が、日本には担保にできるような土地も鉱山もなかった。

(クーポン + 償還差益÷年限) ÷ 単価 = 利回り
であるのだが、司馬遼太郎も年限まで書いておいてくれるとよかったのに…
5年債だと、(4+20÷5)÷0.8=10% -> (4+40÷5)÷0.6=20%
10年債だと、(4+20÷10)÷0.8=7.5% -> (4+40÷10)÷0.6=13.3%
1904年だろ? 戦争下のインフレ懸念や、国債の長年限化前ということで、5年債と推測しようか…と思っていたら…
http://www.nri.com/jp/opinion/chitekishisan/2005/pdf/cs20050402.pdf
によると、
55年債だったらしいw
55年債だと、(4+20÷55)÷0.8=5.45% -> (4+40÷55)÷0.6=7.88%
ぎょー、想定以上にまともな動きじゃん。80円から60円の下落の状況下でというと、なんだが基地外沙汰に聞こえるけど、5.45%から7.88%の下落の状況下だったんですね。いいですよね、キャピタルゲイン狙いの債券投資。懐かしい・・・。

こういう状況下で、高橋はとにもかくにも公債発行を成立させたのだが、その条件は関税収入を抵当に入れるというもので、その利子も6分という大きなものであり、いわば植民地的条件であるといっていい。ところがこういう状況下で動き回っていた高橋に、ありうべからざる幸運が向うから接近してきた。たまたまロンドンに来ていたアメリカ国籍のユダヤ人金融家ヤコブ・シフという者が、積極的に高橋に近づいてきて、「あなたの苦心はかねて聞いています。私にできる範囲で、多少の力になってあげましょう」と申し出てくれたのである。ヤコブ・シフはフランクフルト生まれのドイツ系ユダヤ人で、いまでは米国クーン・ロエブ商会の持ち主であり、全米ユダヤ人協会の会長にまでなっていた。高橋が、その成立にこぎつけた第一回の6分利付公債1千万ポンドについて、ヤコブ・シフはあっさり、
「その半分を引き受けてあげます」
Jacob-Schiff.jpg
と言ってくれたのである。ヤコブ・シフはその後、高橋と連絡を取りつつ日本の外債消化に大いに働いてくれるのだが、高橋にとってはなぜこのユダヤ人が日本のためにそれほど力を入れてくれるのか当初よくわからなかった。シフはこれについて高橋にこう語ったと言われる。「ロシアはユダヤ人を迫害している」と、シフは言う。ロシア国内にユダヤ人が600万人居住し、シフに言わせればロシア帝政の歴史はそのままユダヤ人虐殺史であり、いまもそれはつづいている、という。「われわれユダヤ人は、ロシア帝政のなくなることを常に祈っている。時たまたま、極東の日本国が、ロシアに対して戦争を始めた。もしこの戦争で日本がロシアに勝ってくれれば、ロシアにきっと革命がおこるに違いない。革命は帝政を葬るであろう。私はそれを願うがゆえに、あるいは利にあわぬかもしれぬ日本への援助を、いまこのようにしておこなっているのである」

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