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東芝原子力敗戦

p6 1990年代アフリカ。油田の権益を巡って三井物産はBPと競り合っていた。ある日突然、BPが入札から手を引き、権益を手に入れた物産の資源部門は大勝利に沸いた。しかし資金を払い込んだ3日後、その国でクーデターが起こり政権は転覆。物産が払い込んだカネは戻ってこなかった。「MI6だかロイターだか知らないが、何らかのインテリジェンスを使って、英国はBPにクーデターの情報を与えていた。何も知らない我々は間抜けにも突っ込んでしまったわけだ」 ほとんど丸腰で資源ビジネスを戦ってきた日本の総合商社は何度も火傷を負ってきた。三井物産が参画して1970年にスタートした「イラン・ジャパン石油化学(IJPC)」プロジェクトは建設途中でイラン・イラク戦争が始まり、日本側は1300億円の精算金を支払って1989年に撤退した。

うん、今も全く変わってない。同じことがサハリンで起きてる。

p44 WHはすでに死に体だった
2001年米同時多発テロをきっかけに米国で原発を作るコストが大きく跳ね上がっていた。民間航空機が貿易センタービルに突っ込むのを目の当たりにした米原子力規制委員会(NRC)は、「今後、原発がテロのターゲットになる恐れがある」と考え、国内の原発に航空機衝突対策を義務付けたのだ。COL(建設・運転一括許可)と呼ばれる新たな審査制度を経て建設許可を得るには7年もの時間がかかるようになった。WHはこうした新たな状況に対応できていなかった。

p65 「初めての資源ビジネス」はカザフスタンで
東芝手掛けた最初の資源ビジネスは、2007年8月に決めたカザフスタンでの天然ウラン鉱山開発だ。カザフスタンの国営企業(カザトプロム社)でのハラサン高山プロジェクトに22.5%出資し、年間600トンのウラン鉱石引き取り権を手に入れた。
2009年5月、カザフスタン大統領のナザルバエフに近かったザキシェフ(カザトプロム社長)がウラン権益に絡む不正を理由に逮捕され、新ロシア派の人物が社長になると、ザキシェフが主張してきたハラサン鉱山のプロジェクトは事実上凍結された。
2010年には3750万ドルを米国のウラン濃縮会社USEC(ユーゼック)に出資した。ユーゼックは2014年3月連邦破産法11章を申請し、事実上倒産した。

p69 あまりに壮大なモンゴルプロジェクト
モンゴルを舞台にした「CFS(包括的燃料サービス)構想」である。2009年12月に東芝が原子力公社モンアトムとウランを含む地下資源開発のMOU(了解覚書)を交わしたところから始まる。
2010年7月にはモンゴル政府が「モンゴル原子力イニシアティブ」を閣議決定。2030年までにウラン輸出など国内の原子力産業を燃焼150億円規模に育て原発も建設して国内の電力の完全自給を目指す、という野心的な政策だった。
CFSは「国際燃料サービスセンター」を設立し、モンゴルで採掘されたウランを燃料成型加工工場で核燃料にして、原発を新設する新興国などに輸出する。さらに海外で使い終わった使用済み核燃料をモンゴルで引き取り、同国内で中間貯蔵するという構想だ。構想の背後には米国が居た。米国は1987年からネバダ州のユッカマウンテンに使用済み核燃料の埋設処分施設建設を進めてきたが、地元からの反対が強く、2009年、オバマ政権は計画中止に追い込まれた。使用済み核燃料が再び行き場を失い、処分に困っていたところで、目を付けたのがモンゴルだった。日米からすれば、モンゴル産のウランを利用し、使い終わったゴミをモンゴルに捨てるという、ムシの良い話である。
2011年5月毎日新聞が日米合意文書をすっぱ抜いた「モンゴルに核処分場計画」。モンゴル国民は「バカにするな」と猛反発した。エルベグドルジ大統領は、9月「政府安全保障会議の承認なしに、いかなる核廃棄物処理の協議もしてはならない」という大統領令を出し、計画は凍結された。

p75 2011年5月、産業革新機構と共同でスイスのスマートメーター会社ランディス・ギアを買収。23億ドル(約1863億円)で東芝が60%、産業革新機構が40%を出資。
2013年東電からの受注。2023年度を目指して東電管区2700万世帯にランディス・ギアのスマートメーターを設置することになった。ところが2015年、ランディス・ギアのスマートメーターと東電のスマートグリッドの通信方式に違いがあるため、2700万世帯のうち800万世帯しかカバーできなかったのだ。東電は「東芝に瑕疵がある」として作り直しを要請した。東芝はカザトプロム関連で1000億円ののれん代を計上しているが、企業価値が落ちているなら現存処理が必要となる。

2013年9月米フリーポートLNG社と結んだ天然ガス「シェールガス」の液化加工契約
その頃米国ではシェールガス革命の結果、電力料金が急激に下がっていた。東芝が米テキサスで改良型のABWRを受注して計画中の原発「サウス・テキサス・プロジェクト(STP)」は「発電しても電気の売り先がない」という状況に陥っていた。

p103 買収した会社の内情がボロボロで、巨額の買収資金を事実上だまし取られた上に、買収後も好き放題にカネを使われる。日本企業が海外の名門と呼ばれる会社を買収したときによく起きる現象だ。もっとも有名なのが1989年のソニーによる米コロンビア映画買収だろう。盛田昭夫が会長、社長が大賀則雄の時代に決断した大型M&Aで日本企業の強さを象徴する事例とされたが、買収後もソニーは2人の米国人大物プロデューサーに食い物にされていた。その様子を活写した「HIT&RUN」(ひき逃げの意)。邦訳「ヒット&ラン ソニーにNoと言わせなかった男達」 ナンシー・グリフィン、キム・マスターズ共著、エフツウ刊 はベストセラーになった。

東芝 原子力敗戦 (文春e-book)

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発酵食の歴史

先史時代後期の狩猟採集者たちは。狩りや死肉をあさって手に入れた動物とともに、採集したさまざまな植物を食べていた。当時はほとんど手を加えることもなかったので、長く嚙まなければならなかった。初期のヒトは食べることに多くの時間を費やしていた。2011年8月に発表されたハーヴァード大学の研究によれば、それは1日のおよそ48%にのぼるという。現代人は4.7%。およそ190万年前、チンパンジーの系統永久帰れたのちに人ふいにつながる系統において、食事にかける時間がなぜか大幅に減少した。この系統が進化し、ホモ・エレクトスになると、臼歯のサイズが一貫して小さくなっていくのがわかるのである。

旧石器時代から「美食の」探求が存在したのであり、それは無視できない結果をもたらした。食べたり噛んだりする時間が減ったことから、先史時代の人間はより多くの時間を狩りや道具作り、社会生活といった別の活動に振り向けるようになり、そうすることで自らの生活条件を改善していった。一日に飲み食いする食物のカロリーも増加したことだろう。加熱した肉はより食欲をそそり、穀物のように炭水化物を多く含む食べ物は、エネルギーがより豊富だからだ。身体の変化がそのことを示している。臼歯が小さくなっただけでなく、腸が短くなり、脳の容積が増加したのである。

私たちが今でも発酵食品に特別な感情を抱くのは、それがはるか昔、神にさかのぼる起源を持つからではないだろうか。キリスト教でパンが神聖視されたことは、世俗の風習にも大きな影響を与えた。つい最近まで、一家の主人はパンを切る前にナイフの先でパンに十字を入れるのが普通だった。パンは決して捨てたり無駄にしたりせず、残ったパンはスープに入れたり、パン粉やフレンチトーストにした。パンはナイフで切るのではなく、手で割かなければならなかった。フランス語には、パンに関する格言や成句がたくさんある。それらはパンの文化的な重要性をよく示している。「パンのない一日のように長い(うんざりするほど長い)」とは言うが、肉や野菜やお菓子のない一日とは言わない。先に楽をするのは「黒パンの前に白パンを食べる」。「鞄の中やマントの下でパンを食べる」のはケチということ。はじめにやり方を誤ると期待した成果が得られないのは「窯の入れ方が悪いと角のあるパンができる」。よからぬ企てに加わりたくない時は「そんなパンは食べない」。「パンよりバターを約束する(安請け合いする)人間には用心しなければならない。「ひと窯のパンから一個拝借する」とは結婚前に妊娠すること。そして死ぬのはただ「パンの味がなくなる」と言う。
発酵食の名産品を求めて世界を巡り歩いていると、いたるところで、発酵食品がこの種の格言や習慣、信仰、迷信、魔術的行為、儀礼と結びついている。それらは宗教というより民間信仰に近いが、集団的な無意識において、発酵食品が原型としていかに重要な役割を果たしているかがよくわかる。発酵食品は人間の活動を神聖なものにする。生きている人や死者に敬意を表する時、あるいは子供の誕生や記念日、大事業、良き知らせの報告のような、おめでたい出来事を祝う時、人は乾杯したり、一つの発酵飲料をみんなで飲んだりする。結婚式で挙げるのはワインの祝杯であって、水ではない。スポーツのイベントでは勝利を祝ってシャンパンの栓が抜かれる。

サカナの発酵について語る時、古代ギリシアの「ガロス(小魚の意)」、古代ローマがこれを受け継いでラテン語で「ガルム」と呼んだものに触れないわけにはいかない。ラテン人はこれとは別に「ムリア」を作っていたが、その語源はアッカド語の「ムラトゥム」で、ジャン・ボテロはこれを塩辛いと訳している。ガルムやムリアは地中海沿岸において、ベトナム料理のニョクマムに相当するものである。古代ギリシア・ローマ人は乳酸発酵した魚の汁で、料理やいくつかの飲み物に味をつけていた。古代ギリシア・ローマ人は魚のソース(魚醤)に目がなかった。ギリシア人はエジプト人からそれを教わり、エジプト自身は、前4000年紀頃にメソポタミアに定住したシュメール人から受け継いだ。
地中海沿岸には何種類ものガルムが存在していた。最高級品は主に「スコンブロス」、サバで作られた。魚の血やはらわたといった、本来なら捨てられてしまう部分を塩漬けにする。もっとも評価の高いものは、ガルム・スキオールム、スパインのガルム、黒ガルム、ないしはガルム・ノビレと呼ばれ、魚の血と内臓だけで作られている。この最高級のガルムにつけられた「ソキオールム」は「企業」という意味でつかわれる「ソサエティー」のことでこれはおそらく商標、ある種の品質ラベルだった。産業のはしりともいえるこのソキオールムは、専用の漁場と製塩所全体にたいする使用料を支払うことで、ローマ国家に莫大な富をもたらした。


税金の世界史

死と税を別にすれば、確実といえるものは何もない クリストファー・ブロック、「プレストンの靴職人」1716年

「世の征服者たちにとって、税は最も重要なビジネスである」と、ジョージ・バーナード・ショーの戯曲に登場するシーザーは言う。チンギス・ハーンは中国を征服し、いつものごとく住民を皆殺しにするつもりでいた。それは容易なことではなかった。このころの中国は、今でもそうだが、世界で最も人口の多い国だったからである。だが、それほど有名ではないイェリウ・チュツァイという摂政が、農民を生かしておけば、それだけ多くの税金を集められると指摘した。チンギス・ハンはそれに納得し、数百万の人々が命拾いした。

我々が姓を名乗るようになったのも徴税のためだった。ヨーロッパでは、平民は13世紀までは姓を持たなかった。だが14世紀末には姓を名乗るようになった。人頭税の徴収の際、人々を区別するのに便利だからである。中国では、姓はもっと古くから存在した。伝説によれば、その起源は紀元前2852年、伏羲というてい王の治世のさかのぼるという。しかし、姓を名乗るようなった理由は同じ、徴税をやりやすくするためだった。

彼はあなた方の穀物とブドウ畑の十分の一を取り、役人と使用人に与えるだろう。サムエル記 8章15節
稼いだもの、あるいは生産したものの十分の一を納める-あるいは、取られる-ならわしは、メソポタミアだけでなく、中国、エジプト、インド、ギリシャ、ローマ、カルタゴ、フェニキア、アラビアなど、古代の様々な文明にあった。十分の一税について、我々は教会に納めるものだと考えがちだが、神、王、支配者、教会、政府はかならずしも明確に区別されていたわけではなく、すべてが一体である場合も少なくなった。一部の学者の主張によれば、古代文明が十分の一という数字に行き着いたのは我々が10本の指を持っており、計算する時に指を使うことが多かったからだという。

イエスの生涯においては、税にまつわる問題が何度か持ち上がっている。彼はローマの税制の不公平さを憂い、さかんに苦情をもうした立てていた。とりわけローマの神々をまつった神殿以外の神殿に課されていた神殿税である。エルサレムの神殿にやってきたイエスは境内で人々が商売しているのを見てぞっとした。そこで売り買いしている人々を追い出し始めた。境内から商人が居なくなると、イエスは説教を始めた。ファリサイ人と律法学者はこれを大変不快に思った。商売ができ無くなればローマ帝国のユダヤ属州総督ポンティウス・ピラトに納めるはずのカネが入らなくなり、総督との友好関係が損なわれるのだった。彼らはイエスを厄介払いしようと考えた。ユダヤ人が公邸から要求されている税金を納付するのは正しいことかと質問した。彼は言った「税金として納める金を見せなさい」一人がデナリウス銀貨を見せると、イエスは「これは誰の肖像ですか。誰の銘刻ですか」と訊ねた。「皇帝のものです」という答えに対し、彼は大変有名なこの言葉を返した。「皇帝のものは皇帝に、神のものは神に納めなさい」。

イスラム帝国の偉大な思想家の一人に14世紀にチュニジアで生まれたイブン・ハルドゥーンがいる。彼の主な著書の一つである「歴史序説」には一般的なサイクルについて記されている。
王朝の初期には税負担が軽いが税収は多い。時がたち、王が代替わりするにつれ、王が贅沢にふける。税率を引き上げ、自分の取り分を増やす。その結果、生産性が低下し、税収が減少することになる。
そのことに気づいたのはハルドゥーンが初めてではなかった。第読んだ正統カリフのアリはこの見解を指針としていた。18世紀スコットランドの哲学者のデイヴィッド・ヒュームとアダム・スミス、ジョン・メイナード・ケインズ、ジョン・F・ケネディ、ロナルド・レーガン。アメリカの経済学者のアーサー・ラッファーは、税率と税収の相関関係を表す曲線をナプキンに描いたという。税率が非常に低ければ税収も低い。だが税率が高くても税収はやはり低いので、その曲線はベル型になっている。WSJ記者のジュード・ワニスキーがこれを「ラッファー曲線」と命名したが、ラッファーは後日「あのラッファー曲線は私が創案したものではない」と強調し、ケインズからハルドゥーンまで、同じ現象に着目した人々の名前を列挙した。

1789年「人間と市民の権利に宣言」。自由・平等・財産の不可侵、圧制への抵抗の権利がうたわれていた。勝利した革命家たちがさっそく実行したことは、徴税請負人制度の廃止だった。多くの徴税請負人が王と同じように断頭台の露と消えたのである。しかし、新政府にはどうしても税収が必要だった。そのため、塩税は非難してはいたものの、国民に対し、収入の25%、事実上の所得税を供与するように訴えたが、またしても知らんふりされた。公債の償還のための資金を作らなければならない新政府は、カトリック教会の所有地を没収した。その面積はフランスのほぼ三分の一に及んだ。そしてこの土地を抵当にしてアッシニアと呼ばれる国債を発行し、これを債権者への償還に使用した。アッシニアは、没収地と交換することも、転売することもできた。資金が不足している国家で、こういう債券はそれ自体が一種の法定通貨になった。だが新政府は、すでに土地と交換した使用済みのものが破棄されていないのに、アッシニアをあとからあとから発行した。この債券はたちまち信用力を失った。インフレがハイパーインフレを呼び、アッシニアは1797年に廃止されるに至った。

アメリカ南北戦争の本当の理由
サウスカロライナ州のサムター要塞は関税徴収所でもあった。「サムター要塞の軍を撤退させてください」とボールドウィンはリンカーンに訴えた。リンカーンは「税収はどうなる?年間に徴収する金額は5000万から6000万ドルだろう」
下院議会で、奴隷制こそが南北戦争の原因であったと自由党のウィリアム・フォースターが断言した時、そこかしこからこんな声が上がった。「違う、違う、関税だ!」。奴隷制のほかにも、相容れない点はいくつもあったのだ-例えば、関税、連邦政府の支出、州境の警備、準州の平等利用、高用地の売却などである。だが、分裂の原因になったのは不公平な税制だった。南部州は自分たちの稼ぎを自分たちのものにしたかった。リンカーンおよび北部集は南部の富を自分たちのものにしたかった。一般的な歴史認識においては、南部州の行動は謗られ、北部州の行動は偉大で立派であるとみなされる。だが実際は南部奥は経済的利益をめぐって争っていたのである。

所得税がアメリカにやってきた
アメリカで初めて所得税法案が提出されたのは1814年のことだったあ。1812年に始まった対イギリス戦争の資金を作るため、当時の財務長官のアンドリュー・ダグラスが発案したのである。1815年に敵対関係が解消されると、法案は棚上げにされた。その後すっかり忘れられていたが、戦争になったことで再び持ち出され、1861年にエイブラハム・リンカーンによって所得税が導入された。南北戦争が終結すると、所得税は1871年に廃止されたが、19世紀終盤、関税撤廃のかわりであるという布告のもとに再導入された。ところが、最高裁判所が、衆目を集めたある裁判-1895年のボロック対農民貸付信託会社事件-で所得税法を違憲と判断し、所得税の徴収はほぼ不可能になった。所得税の合憲性に関してアメリカでは議論が続いている。

さらなる進化はVATと売上税が徴収されるようになったことだった。1960年代、VATを導入していたのは一か国-その発祥の地であるフランス-のみだったが、いうまでもなく、フランス以外の国ではそれ以前から商品税や売上税が徴収されていた。1980年、VATを徴収する国は27か国、今日では166か国となっている。

ジェイムズ・デイヴィッドソンとウィリアム・リース=モグは、1997年の共著「独立個人(The Sovereign Indivisual)の中で国民国家は消滅に向かっていると主張した。500年前、教会は監督機関だった。今日の晴雨が提供する公的サービス-例えば、教育や貧困者救済など-の多くを提供していた。だが、活版印刷などの新技術の発明により、情報が解き放たれ、教会の力は徐々に弱まった。空白を満たしたのは国民国家だった。そして今日、インターネットの発明により、国民国家もその政治力も弱まりつつある。

支払いの時期、方法、金額は、納税者にとって明瞭かつ平易でなければならない。インフレをわきへおいても、現代の税制は、香港やシンガポールなどの例外はあるが、明瞭でもなければ平易でもない。いまいましいほど複雑である。なかでも21,000ページに1000万語が詰め込まれた、世界最長の税法典を擁するイギリスは、世界最悪の違反者だ。ちなみにその分量は聖書のおよそ12倍である。世界一長い小説としてギネスに登録されているマルセル・プルーストの「失われた時を求めて」は126万語、イギリスの税法典はその8倍だ。1000万語というのは、たいていの人が一生の間に読む量より多い。アインシュタインは確定申告書類を前にして困惑し、「世界で最も理解しがたいものは所得税だ」

一人当たりGDPから見た富裕国ランキングのベストテンのうち、人口が1000万人を超える国は1つもない。またベスト20のうち、人口が2000万を超えるのは2国、アメリカとドイツ。

私の考えるユートピアでは、税の種類はもっと絞られるけど、新税は一切取り入れられないのだろうか。そう読者は考えるかもしれない。実は一つだけ必ず導入しなければならないと私が考える、これまでにはない税がある。それは所有するの土地の立地に基づく税である。これを立地使用税(LUT)と名付けたい。このアイディアのもとになったのは17世紀の重農主義の思想である。重農主義、「Physiocracy」はもともと「自然による統治」を意味する。富には2つの種類がある。人間が作り出したもの、そして母なる自然から与えられたものだ。家は人間が作り出したものだが、その下の土地、周りの空間や放送波のスペクトル、近くの鉱物資源などは自然環境から生じたものである。人間が作った富は作った本人のものにするべきだが、自然が作った富は皆で分かち合うべきだ。
19世紀の経済学者のヘンリー・ジョージはこういう税の構想を一般に広めた。1879年の著書「進歩と貧困」。ジョージが提唱していた土地単税は今日では地価税と呼ばれる。私はこの名称を好きではない。地方の土地所有者に高い税金を支払わせるように思わせて、実際のところは都市の一等地に不動産を所有する企業や個人が最も重い負担をかけられるからだ。だからこそLUTと呼ぶ方が良い、事実上、これは消費税である。使用している土地の価値が高ければ高いほど、それだけ多くの税金を支払わなければならない。すでに実用に供されたこともある。その場所はもちろん香港である。香港では税収のおよそ40%が地下税収だった。香港政府はすべての土地を所有し、それを賃貸していた。


力の追求 ヨーロッパ史1815-1914

p13 1815年に出現した復古体制下のヨーロッパの国家構造は、多くの点で人々を惑わすような外見を呈していたものの、ある程度まで肺炎として1815年の30年前のヨーロッパ大陸の住民たちにとってなじみのあるようなものだった。国家の権力と干渉力はまだかなり限られたものに過ぎなかった。フランス大革命というまだ記憶に新しい前例があったとはいえ、民衆の政治への参加は依然として最小限に限られていた。
ブランニングは、コミュニケーションが改善されるプロセスと経済成長のプロセスが結びついていることを描いているが、19世紀において両者の結びつきは18世紀には誰も想像できなかったような速度で加速した。1815年には、鉄道、電信、蒸気船、写真は歴史の地平線にまだほとんど姿を現していなかった。しかし1914年にはヨーロッパは電話、自動車、ラジオ、映画の時代に入りつつあった。1815年はまだ宇宙がニュートンに基づいて理解される時代、具象絵画と古典音楽の時代である。これに対して1914年は既に、アインシュタインが相対性理論を提唱し、ピカソがキュビスムの作品を描き、シェーンベルクが最初の無調音楽を作曲していた。

p52 17世紀や18世紀にはヨーロッパの大きな戦争の原因、君主が亡くなったことから生じた王家同士の争いであった。スペインの継承戦争やオーストリア継承戦争がそうである。主権の基盤は明らかに個人と家族から国民と国家に移っていた。1815年以前はすべての国際条約は君主が亡くなると無効になるとみなされていて、失効するのを避けるために直ちに新しい君主の署名を得て更新する必要があった。1814~15年に結ばれたような諸条約は個々の君主間ではなくて国家間で締結されたので、一方の側が廃棄する意思を通告するまでは効力を持ち続けた。

p38を中心に。 フランス革命を機に、ヨーロッパ全土が国民国家に一気に発展したわけではない。アンシャンレジーム、1814年以降、旧体制に戻した。だがナポレオン憲法が定めた改革を元に戻すことはできなかった。各国で様子は異なるが、選挙権は5%の人にしかなく、交戦権、立法権、司法権が部分的に王権から取り除かれた。教会権力が減少、聖職諸邦が地図から消え、出生・婚姻・死亡の届け出は世俗の当局が扱うようになった。修道院は解体され、宗教の自由、民事婚と民事離婚、世俗教育、国家による聖職者の任命が導入されたことで教会の権力はさらに削減。慣習や特権を合理性と画一性に置き換え、組織を改め、体系化し、標準化した。新しい世代の職業行政官が出現した。神聖ローマ帝国の何百という帝国騎士や教会や領主が行使していた地方の司法権は、司法官僚が管理する中央集権的な制度に代わっていった。機会の平等、才能に開かれたキャリア。国内関税の撤廃。農奴解放。ロンドンでは治安維持のために統一的な首都警察が創設された。著述家や思想家は自由主義的な見解に転じ始めた。ドラクロア「民衆を導く女神」。ベルギー革命のきっかけとなったオペラダニエル・オベール「ポルティチの唖娘」。

ナポレオンとの戦争から戻ってきた農民兵士たちがいまや自分の領主に武器を向けるのではないかと表明した。

p129 労働奉仕や農民が地代として払ってきた現物もしくはそのほかの賦課金の支払いが失われることに対する領主への補償については、合意を達成する必要があった。ハプスブルグ君主国では、隷属的労働の価値は雇われた賃労働の3分の1に設定された。ヴュルデンブルグ・バーデン・ルーマニア・ハプスブルグ君主国では農民が払う償却金を国家が補助した。ルーマニアでは分割払い期間が15年間、ザクセンでは25年間、ロシアでは49年間にわたり、したがってロシアの場合には1861年の農奴解放令の結果生じたツァーリ当局に対する償却金の支払いは1910年まで終了しないスケジュールになっていた。ドイツ諸邦を中心に、しばしば支払いを管理する特殊銀行が設立された。

p133 戦争と革命の変転を生き延びた大土地保有者たちは。しばしば農奴解放からおおいに利益を得た。彼らは穀物を市場向けに大規模に栽培できる地域では支配的な勢力であり続けた。かつての農奴は今や自分の土地の自由な所有者となり、すべての力を自分の土地を耕作して利益を上げることにそそぐことができ、一方、かつて彼が所有していた森林地はこれまでは荒れるに任せるままだったのが、今や守られて合理的に活用されている。しかしながら、実際には、そう言えるのは主として市場を志向する農民たちについてであった。多くの小規模な農民は、貨幣で取引する経験を欠き、自らの生存を支えるためだけの農業を続け、急速に債務を負うようになり、税金や償却金を支払うために再びかつての領主のために働く立場に戻らざるを得なかった。

日本の農民と同じ??w

p149 農業の姿を最も劇的に変えたと言えるのはー比較的大規模な農場が比較的大きな市場のために生産し、したがって投資することが可能だったところでだがー、疲弊した土壌を回復させ、生産量を増やすために資料が使用されるようになったことであった。19世紀前半に最も重要だった肥料はグアノ、すなわち海鳥の糞である。グアノはペルー沖のチンチャ諸島に何千年もかかって巨大な山となって積み重なっており、それが含む硝酸塩が、乾燥した気候のために雨で流されないで保たれていた。アレクサンダー・フォン・フンボルトがグアノは肥料として効果があることを確証し、ドイツの化学者ユストゥス・フォン・リーヒヒ(1803-1873)も使用を推奨した。この結果ペルーではグアノ時代と呼ばれた一種の経済ブームが起こり、それは1870年代に合成肥料に取って代わられるまで続いた。

p228 ホイッグ党が1841年の総選挙でついに政権を失うと新たなタイプのトーリーが首相として政権の座に就いた-有能で勤勉なサー・ロバート・ピールである。彼はリヴァプール卿とウェリントン公の下で内相を務め、刑法を簡素化し、青い制服のロンドン警視庁を創設した。ピール政権は、イングランド銀行が発行する紙幣を伴う統一通貨制度を確立。1844年の会社法は登記して貸借対照表を公表することを求めたが、それは鉄道投機熱に浮かされていた時代には必要な措置だった。ピールはまた所得税を導入して国家財政を立て直し、政治を支配する人は不承不承それを受け入れた。

p266 1852年11月のもう一度の国民投票が「フランス人の皇帝、ナポレオン三世」の即位を承認した(彼が3世を名乗ったのは、ナポレオン1世の死後、その子息が1832年に早すぎる死を迎えるまで統治していたという虚構を反映したものだった)。ヴィクトル
・ユゴーは、彼を皮肉って「小ナポレオン」と呼んだ。1851年の出来事を1799年にナポレオン1世が第一共和政に対して挙行したクーデターと比較して、カール・マルクスは、歴史は繰り返す、「最初は悲劇として、二度目は茶番として」と辛辣な評言を述べた。

p407 農村社会における正義の執行は、19世紀の大半を通じてまた一部地域では第一次世界大戦期まで、あるいはそれ以後でさえも多くの点で自足的であった。村の掟に背いた者は、フランスでは「シャリヴァリ」、イングランドで「ラフ・ミュージック」または「スキミントン」、ドイツで「ハーバーフェルトトライベン」、イタリアで「スカンパテーナ」と呼ばれる制裁行為の対象となった。

p417 住民の大量移動はヨーロッパのほぼすべての地域において発生していた。1890年から1914年の間にギリシャの全人口の1/6近くがアメリカまたはエジプトに移住した。イギリス、フランスからポルトガル、オランダに至るまで、海外植民地を有するヨーロッパの国々もまた、広範囲に及ぶ移民の波を経験した。主要な例外はフランスで、そこでは低い出生率と土地所有権の保証のおかげで、人々は母国に引き留められた。1815年から1914年の間に総計およそ6000万人がヨーロッパを去ったと考えられている。

力の追求 下

p32 メートルはフランス大革命の産物であり、パリから派遣された科学的調査隊が北極と南極を結んだ線に沿って地球の円周を測定しようとした。もちろん、彼らは実際に極地に行ったわけではなく、ただダンケルクからバルセロナまでの距離を測定して、それを引き延ばしただけだったが。案に違わず、この線はパリを通っていた。地球の円周の1000万分の1が1メートルとなった。地球全体に対する計測が完全に正確ではなかったことを後世の科学者たちが発見したものの、この単位は定着した。大陸の大部分でメートル法が採用されたのは、19世紀後半が鉄道建設の時代であり、当時鉄道会社が標準的な距離測定法を必要としていたという事実から生じた様々な結果の一つであった。

*地球の円周は40,000㎞です。どう考えても説明が間違ってる。正確には赤道から北極までの1000万分の1。

p39 1903年、50万人を超える人々が最初のツールド・フランスが走り抜けるのを見るためにフランスの町々に集まった。主催者たちは1871年にドイツに併合されたアルザス=ロレーヌを通過するようにコースを設定し、彼らの愛国心を喧伝したのである。自転車は、とりわけ女性解放の媒体としても重要であった。オーストリアのフェミニスト、ローザ・マイレーダー(1858-1938)は、自転車は女性を解放するためにフェミニスト達が払った努力のすべてを合わせた以上のことを成し遂げたと明言している。自転車は彼女たちを同伴者なしで外出することを許し、非実用的な膨れ上がった衣服から足の分かれたスカートである「合理的ドレス」に着替えるように求め、行動的かつ健康的でスポーティーなイメージを付与し、そうしたイメージは社会的同権を要求する彼女たちの支えとなった。

p135 ダーフィト・フリードリヒ・シュトラウス(1808-74)「イエスの生涯ー批判的考察」は近代的な文献学のテキスト批判の手法を用いて、福音書の中の奇跡の要素を想像上のものとして切り捨て、歴史的存在としてのイエスに関する確実な証拠が実際にはいかに少ないのかを明らかにした。

p157 フロラ・トリスタン(フランス人)工業化の悲惨や圧迫をもたらすイギリス風の未来を望んでいるのか確信が持てなかった。「ロンドンはローマになるだろう。しかし、間違いなくアテネにはならないだろう。アテネになる定めはパリのために取っておかれている」


イエス・キリストは実在したのか? The life and times of Jesus of Nazareth

新約聖書以外で最古の最も信頼できるイエスの足跡に関する記述は、一世紀のユダヤ人歴史家フラウィウス・ヨセフス(紀元100年没)、94年に書いたとされる彼の『ユダヤ古代誌』にローマのユダヤ総督フェストゥスの死後、アナヌスというなの極悪非道な大祭司が「メシアと人の言うイエスの弟ヤコブ」を不当に糾弾して、違法行為の罪で石打の刑に処したというさりげない記述が見られ、その一節は、新総督アルビヌスがようやくエルサレムに着任した後のアナヌスに関連した出来事へと続いている。

初期キリスト教徒はイエスの生涯に無関心だった。
初期の文書はイエスの誕生や幼少期の物語には少しも触れていない。紀元50年頃に編集された「Q資料」には、イエスが「洗礼者ヨハネ」から洗礼を受ける前に起こったことについての記述は皆無である。新約聖書の大半を占めるパウロの書簡はイエスの十字架刑と復活以外の彼の人生での出来事については何の見解も示していない。だが、イエスの死後、人間としての彼への関心が高まるにつれて、イエスの幼少時代の空白を埋めることと、とくにナザレ生誕の問題を取り上げる必要が出てきた。なぜなら、イエスを誹謗するユダヤ人たちから、彼がナザレ生まれならメシアであるはずがないと中傷されたからである。少なくとも予言とは一致しない。そこでイエスがダビデ王と同じ町で生まれたこと、にするために、彼の両親をベツレヘムにゆかせることにしたのだ。
ルカが目を付けたのは住民登録である。ルカによれば、「その頃、皇帝アウグストゥスから全領土の住民に登録せよとの勅令が出た。これは、キリニウスがシリア州の総督であった時に行われた最初の住民登録である。人々はみな、登録するために各々の自分の町へ旅立った。ヨセフもまた、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った」と書いた上で、読者が大事な点を見逃さないように「ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので」(「ルカ」2章1-4節)と付け加えている。ルカの書いている話の中で正しいのは一つだけだ。ユダヤが公式にローマの一州になったのはヘロデ大王の死後10年目の紀元6年で、この年にシリア州総督キリニウスがルカの言うような「ローマ全領土」ではなく、ユダヤ、サマリア、イドマヤの全住民と土地、奴隷のすべてについて登録を行わせたことである。これにはイエスの家族が住んでいたガリラヤ地方は含まれていない。ルカのもう一つの間違いは、キリニウスの行った住民登録年代である紀元6年をイエスの誕生年としていることである。多くの学者たちは、イエスの誕生は「マタイによる福音書」に記されている紀元前4年頃としている。だが住民登録の唯一の目的は課税台帳をつくるためであり、ローマ帝国の法律では、住民の生まれた場所ではなく、居住地の資産をもとに税額を決めていた。

「ルカによる福音書」の読者は古代世界の多くの人がそうであったように、神話と現実を厳密に区別せず、この2つは彼らの宗教的体験の中で緊密に絡み合っていた。つまり彼らにとっては実際に何が起こったかということよりも、それが何を意味するかということの方に関心があったのである。ルカによるキリニウスの住民登録の話も、マタイによるヘロデの男児抹殺の話も、我々が今日考えているような「歴史」として読まれることを意図して書かれたものではなかった。ましてやもし自分の息子たちが殺害されるという忘れがたい出来事なら、きっと覚えているに違いない彼らの同時代人に「事実」として読まれることを前提としてはいなかったであろう。マタイにとって、イエスがベツレヘムで生まれたことが必要であったのと同じ理由で、エジプトから出てくる必要があったのだ。マタイは、イスラエルの再興という、単純だが、最も重要なメシア的預言を成就することなしに死んだ素朴な無学者が本当に「油を注がれた者」なのかどうかというイエスの中傷者たちからの異議申し立てに答えるためにも、自分と同時代のユダヤ人のために祖先が残した様々な預言を読み解き、イエスをその昔の王や預言者の子孫として位置づけなくてはなからなかった。

処女降誕伝承とイエスの家族

イエスに兄弟が居たことは、彼の母マリアがカトリックの教義では永遠の処女とされているにもかかわらず、事実上、議論の余地はない。イエスの死後、初期のキリスト教会の最重要リーダーになるイエスの弟ヤコブについては、ヨセフスさえも言及している。イエスには少なくとも、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダという4人の兄弟と福音書では触れられているが名前も数もわからない姉妹もいる大家族の一員だったと考えてはいけない理由は少しもない。イエスの父ヨセフについては、幼少期の物語に登場した後は福音書からすぐに消してしまって、ヨセフはイエスがまだ子供の頃死んだというのが大方の意見が一致するところである。マタイとルカの幼少期物語以外には、新約聖書のどこにも処女降誕を思わせる記述はない。

福音書の記述が信じられるものであるとすれば、アンティパスは自分の腹違いの兄弟の妻ヘロディアスとの結婚をヨハネが避難したことに腹を立てて彼を牢に入れた。ずるがしこいヘロディアスはヨハネを牢に入れたことくらいでは満足せず、彼を殺す計略を立てた。サロメは母親に「何をお願いしましょうか?」と相談した。「洗礼者ヨハネの首を」とヘロディアスは答えたという。残念ながらこの福音書の記述は信用できない。ヘロディアスの最初の夫をフィリポとしているがこれは間違いだ。またヨハネが処刑された場所はマカイロス要塞なのに、ディベリアスにあるアンティパスの宮殿とごっちゃにしている。福音書の物語全体が、アハブ王の妻イゼベルと預言者エリアとのいざこざを描いた聖書の物語を意図的に反映させ、奇想を凝らした民話に仕立て上げているように読める。

厄介だったヨハネの存在

マルコが言うように、ヨハネによる洗礼が罪の赦しのためであったとすれば、イエスがそれを受けたことは彼の罪がヨハネによって浄化される必要があったことを示唆する。イエスはヨハネの他の弟子の一人と同じように、彼の運動に参加を認めてもらおうとしたことになるのは確かだ。ヨハネは人気があり、大変尊敬され、至る所で認められていた祭司であり、預言者だった。彼の名声はあまりに大きかったため、無視することはできず、彼がイエスに洗礼を授けたこともよく知られていて隠すわけにはいかない。その物語はどうしても入れなくてはならないが、それは改ざんして、差支えの無い話にする必要があった。イエスが上位で、ヨハネが下位に、役割を逆転させればいいわけだ。そういうわけで、ヨハネの役割は段々退行していって、最初に書かれた「マルコによる福音書」ではヨハネは預言者で、イエスの教師として紹介されているが、最後に書かれた「ヨハネによる福音書」ではこの洗礼者はイエスの神性を認める以外には何の役割もはたしていないように書かれている。


21世紀の資本

p6 リカード、希少性の原理。マルクス、無限蓄財の原理。
リカードの場合は地主、マルクスなら工業資本家ーが算出と所得のますます大きな割合を懐に入れると信じていた。
人口と産出が安定成長に入ると、土地は他の財に比べてますます希少になる。地価は継続的に上がり、地主たちはますます国民所得の受け取り比率が増え、社会均衡が揺らいでしまう。
この陰気な予測は結局間違っていた。地代は確かに長期にわたって高止まりしたけれど、最終的には国民所得に占める農業比率が下がるにつれて、農地の価値は他の携帯に比べて着実に下がっていった。1810年代のリカードにはその後生じる技術進歩や工業発展の重要性など思いもよらなかった。人類が食料調達の必要性から完全に解放されるなどとは、想像だにしなかったのだ。
しかし、希少性の原理を無視するのは間違いだ。リカードのモデルにおける農地価格を、世界大首都の都市不動産価格と置き換えたり、原油価格と置き換えたありすれば良い。

p11 マルクスの暗い予言は、リカードのものと同じく実現はしなかった。19世紀最後の1/3で、賃金がやっと上がり始めた。労働者の購買力改善が至る所に広がった。そしてこれは状況を激変させてしまった。とはいえ、極端な格差は縮まらなかったし、ある意味では第一次世界大戦まで拡大を続けた面もあったのだが。

p15 クズネッツ曲線-冷戦さなかの良い報せ
実を言うと、1913年から1948年にかけての米国の所得が大幅に圧縮されたのは、ほとんど偶然の産物だというのをクズネッツ自身も良く知っていた。これは大恐慌と第二次世界大戦が引き起こした複数のショックにより生じたものがほとんどであり、自然または自動的なプロセスによるものはほとんどなかったのだ。

p34 経済学という学問分野は、純粋理論的でしばしばきわめてイデオロギー偏向を伴った憶測だのに対するガキっぽい情熱を克服できておらず、そのために歴史研究や他の社会科学との共同作業が犠牲になっている。経済学者たちはあまりにしばしば、自分たちの内輪でしか興味を持たれないようなどうでも良い数学問題ばかり没頭している。この数学への偏執狂ぶりは、化学っぽく見せるにはお手軽な方法だが、それをいいことに、私たちの住む世界が投げかけるはるかに複雑な問題には答えずに済ませているのだ。
経済学者なんて、どんなことについてもほとんど何も知らないというのが事実なのだ。

p46. 国民所得=国内純生産(GDP-資本の減価償却)+外国からの純収入
国内純生産はGDPの約9割、国民所得は国内生産と1-2%しか乖離していない。フランスはすべてカリフォルニアの年金基金や中国銀行に買われてしまっているしつこい妄想があるが、そんなことはないのだ。
国民所得=資本所得+労働所得

p60. 国民所得と資本を計測しようと思う初の試みは1700年ころ、イギリスとフランスで、イングランドではウィリアム・ベティ(1664年)とグレゴリー・キング(1669年)、フランスではピエール・ル・パサン・ボワギルベール卿(1695年)、セバスティアン・ル・プレストル・ド・ヴォーバン(1707年)の研究だ。当時の農業社会で圧倒的に重要な富の源だった土地の総価値を計算し、土地の価値を農業産出と土地代の水準と関連付けることだった。

p138 公的債務で得をするのは誰か? マルクスをはじめとする19世紀の社会主義者たちが公的債務をとても警戒していた理由が分かる。かれらは-かなりの洞察力で-公的債務が民間資本の手駒だと見ていたのだ。
1815-1914年にかけてインフレは事実上ゼロで、国債の利率は概ね4-5%だった。これは経済成長率よりはるかに高かった。裕福な人にとって、公債への投資は実に良い商売になる。

p144 ルノーの工場は、事業主ルイ・ルノーが1944年9月に利敵協力の疑いで逮捕された後、懲罰的に接収された。1945年1月、臨時政府によって工場は国有化された。

p152 ドイツの資本/国民所得がイギリス・フランスの500,600%にくらべ,400%の理由
ドイツ対フランス・イギリスの違いの大部分は、住宅ストックの価値の差ではなく、企業資本の価値の差せいだ。民間財産の総額を計るのに時価総額ではなく簿価(企業の投資累積額から企業の負債を差し引いたもの)を使うとドイツのパラドックスは無くなる。ドイツの民間財産はたちまちフランスやイギリスの水準に上昇する。このややこしさはただの会計上の問題に見えるかもしれないが実はむしろきわめて政治的な問題なのだ。ここではドイツ企業の市場価格の低さは「ライン型資本主義」、あるいは「利害関係者モデル」と呼ばれる特徴の反映らしいと述べるにとどめよう。

p154 資本/所得比率の落ち込みは二度の世界大戦による物理的な破壊だけではごく一部しか説明できない。イギリスでは物理的破壊の規模はそれほど甚大ではなかった。第一次世界大戦の被害はわずかで、第二次世界大戦でもドイツの爆撃による物理的破壊は国民所得の10%にも満たない。それでも国民資本は国民所得4年分(物理的破壊による損失の40倍)、つまり、フランスとドイツと同じくらい減少している。2回の戦争が財政と政治に与えた打撃の方が実際の戦闘より大きな破壊的影響を資本にもたらした。ひとつは外国ポートフォリオの崩壊と、当時の特徴でもあった貯蓄率の低さで、もう一つは企業の混合所有と規制という新たな戦後の政治的背景の中で生じた資産価格の低さだ。
外国資産の損失、イギリスにおいては第一次世界大戦直前に国民所得2年分だった準外国資本が1950年にはマイナス水準まで落ち込んだ。

p162 米国の資本は20世紀の始まりからほとんど横ばいを実現したようだ。あまりに安定しているので米国の教科書、ポール・サミュエルソン「経済学」などでは、資本/所得比率、資本/産出比率の安定が不変法則のように扱われる場合もあるほどだ。

p173 資本主義の第二基本法則 β=s/g
資本/所得比率β、貯蓄率s、成長率g

p199 2010年代前半、日本の純外国資産は、合計で国民所得の約70%、ドイツは約50%に達している。これらの総額はたしかに第一次世界大戦直前のイギリスとフランスの純外国資産、イギリスが国民所得およそ2年分、フランスは1年分超には遠く及ばない。

p255 労働所得分布の上位10%が通常は全労働所得の25-30%を稼いでいるのに対し、資本所得分布の上位10%は、常にすべての富の50%以上(社会によっては90%)を所有している。

p308 米国における格差拡大が金融不安の一因となったのはほぼ間違いない。理由は簡単。米国での格差拡大がもたらした結果の一つとして、下層、中流階級の実質購買力は低迷し、おかげでどうしても質素な世帯が借金する場合が増えたからだ。特に規制緩和され、金持ちがシステムに注入した預金で高収益を上げようとする恥知らずな銀行や金融仲介業者が、ますます甘い条件で融資するのだからなおさらだ。

p330 トップ1%が総所得に占めるシェア
1910-1940年 18%前後。戦後1970-80年代の7%をボトムに現在9%
アメリカは18%
p332 トップ0.1%が総所得に占めるシェア
日本は2.5%アメリカ7-8%

p342 トップ百分位が国民所得に占めるシェアは、納税申告書によると20%以上になる。でもこれらの国の家計調査で申告されているトップ所得は概ね平均所得の4,5倍でしかない。つまり本当の金持ちなどいないことになる。だから家計調査を信じるならトップ百分位のシェア5%以下と言うことだ。この事実を見るとどうも調査データはあまり信用できない。多くの国際機関、特に世界銀行、や政府が格差の評価を利用する唯一の情報源は家計調査だが、これは明らかに富の分配に対して偏った誤解を招きかねないもので、間違った安心感を与えてしまう。

p351 どんな時代のどんな社会でも、人口の貧しい下半分は、実質的に何も所有していない。大体、国府の5%程度。これに対し、富の階層トップ十分位は所有可能なものの大半を所有している。大体国富の60%以上。人口の残りの人々、今の仕分けで言うと中間の40%が国富の35%を所有する。

p438 民主主義の敵、不労所得生活者
21世紀には最終的に相続資本分布が19世紀と同じくらい不平等にならないという保証はどこにもない。ベル・エポック期と同じくらい極端の富の集中に回帰するのを妨げるような、不可避の力など存在しない。特に成長が遅くなり資本収益率が増大した場合はなおさらだ。たとえばそれは、国家間の税率引き下げ競争が激化すれば起こりえることだ。もしこれが起これば、大きな政治的混乱を招くはずだ。私たちの民主主義社会は能力主義的な世界観、少なくても能力主義的希望に基づいている。それは格差が血縁関係やレントではなく能力や努力に基づいた社会を信じているという意味だ。

p462 フランスで2006年にアルセロールがラクシュミ・ミッタルに買収されたとき、フランスのマスコミは、このインドの億万長者の行為は言語道断と報じた。2012年の秋にミッタルがフロランジュの製鉄所に十分な投資をしなかったと非難されたとき、フランスのマスコミは改めて怒ってみせた。インドでは、ミッタルに向けられた敵意の少なくとも一部はかれの肌の色のせいと考えられている。それが一因ではなかったと誰が断言できるだろう?たしかにミッタルのやり方は乱暴だし、その贅沢な暮らしぶりは不届きとみなされている。フランスのマスコミは、ロンドンにミッタルが所有する豪華な邸宅に腹を立て、「フロランジュへの投資の3倍の価値」とこぞって報じた。だがパリ郊外の高級住宅地、ヌイイ=シュル=セーヌの邸宅だとか、地元出身の、アルノー・ラガルデール、特に実績、人徳、社会的効用などで高名とはとても言えない若き相続人。フランス政府はほぼ同時期に、世界の航空業界を率いるEADS株のらがるでーるの持ち分と引き換えに10億ユーロの供与を決定、のこととなるとなぜか憤りは控えめになる。

p589 ユーロ圏の債務のあるべき姿を決めるのが予算議会なら、明らかにこの議会体に対して責任を負うヨーロッパ財務大臣が居なければならず、その大臣はユーロ圏予算と年次財政赤字を提案するのが仕事になる。既存の国家元首や財務大臣たちによる欧州評議会にはこの予算体の仕事はできない。彼らの会合は秘密だし、公開の一般討論は無いし、当の参加者たちですら必ずしも何が決まったのか確信できていなさそうなのに、勝ち誇った深夜のコミュニケで、ヨーロッパが救われたと宣言して会合を終えるのが常なのだから。キプロスの税金に関する決定はこの典型だ。全員一致で承認されたくせに、誰も公開の場でその責任を引き受けようとはしなかった。この種の議事は1815年のウィーン会議にはふさわしいが、21世紀のヨーロッパではお呼びでない。


サカナとヤクザ

p108 発電所の一帯には漁業権が設定されていない。電力会社は発電所の建設と同時に、近隣の漁師に補償金を払い、かわりに漁師は漁業権を放棄するからだ。漁業権が宙に浮いた状態でも、穀長違反といった漁業調整規則違反にはなる。しかし、その他の漁業関連法案を厳守している限り誰が何をとっても密漁にはならない。

p148 漁業権と漁業組合について解説したい。漁業権は世界中に日本にしかない独自の法律だからである。諸外国ではそれぞれの漁船に操業許可が与えられ、街の前浜で獲れる海産物を住民が独占するという概念は無い。文献では漁業権をさかのぼると、大宝律令に行き着くという。船の櫂の立つところを基準とし、そのエリアに面している集落が定着性の動植物-昆布やワカメといった海藻類、ウニ、アワビ、サザエなど貝類、入り江に入り込むアジやイワシなどを独占的に漁獲できる権利を指している。歴代、漁業権は村の有力者に与えられ、網元や庄屋が独占していた。
明治8年、政府は日本の海を官有化しようと試みるも、各地の強硬な反対にあってとん挫した。諸外国の法律を参考にしようとしたが、前述したように漁業権は日本独特の概念であり、該当する法律がなかった。そのため政府は漁師町の慣習・掟を丹念に調べて明文化し、明治38年、ようやく日本初の漁業法が完成した。敗戦後、GHQは農地改革に準じた改革を漁業にも当てはめようとした。ところが長年漁業権が慣習として定着していたため、各地の上位階層が占有していた既得権を解放することはできても、日本独自のシステム撤廃することができなかった。漁業の民主化を目的とした昭和漁業法が公布されたのは、昭和24年12月15日である。漁業権を引き継ぐ受け皿として生まれたのが今の漁業協同組合で、都道府県知事から与えられた漁業権を一括管理する。恩恵にあずかれるのは、ここに加入した組合員だけだ。


オスマン帝国の崩壊

p383 「サイクス=ピコ協定」については様々な誤解がある。100年後の現在でも、まだ、この協定が現代の中東の国境線を決定したと信じている人がたくさんいる。だが、実際はサイクスとピコが線引きした地図は今日の中東の国境とは全く違う。この協定が策定していたのは、シリアとメソポタミアで英・仏が「直接であろう間接であろうと、自国の思い通りに管理もしくは支配できる」植民地支配県の確立できる領域を定義したものである。たとえば、フランスが要求している「ブルーエリア」は北はアレクサンドレッタ湾を囲むメルスィンとアダナから、南は現代のシリアとレバノン沿岸の古代港湾都市ティレまでの東地中海沿岸地帯、および、現代のトルコ共和国に入っている北は、スィワス、東はディヤルバクルとマールディンまでのアナトリア東部が入り、英国が承認を要求した「レッドエリア」はイラクのバスラ州とバグダート州である。「ブルーエリア」と「レッドエリア」の間の広大な土地は、「ゾーンA」シリア内陸部のアレッポ、ホムス、ハマ、ダマスカス、イラク北部のモスルはフランス、「ゾーンB」イラクからアラビア半島北部の砂漠地帯からシナイ半島のエジプトの境界線までは英国の関節支配下に置くとされている。この2つのゾーンは「独立したアラブの首長の宗主権下のアラブ連合諸国に組み入れられるとされているが、この方式ではマクマホンの太守フサインとの約束と矛盾する。英・仏が合意できなかったエリアはパレスチナだった。しかもロシアの野心も交渉をややこしくさせかねなかった。そこでサイクスとピコはパレスチナを「ブラウンエリア」と呼んで国際管理下に置き、ロシアと「ほかの連合国およびメッカの太守の代理人」との交渉によって最終的に決定することを提案した。サイクス=ピコ協定の中で太守フサインについて言及されているのはこの部分だけである。


東大なんか入らなきゃよかった

p34 3種類の東大生ー第2のタイプ「秀才型」 *第1「天才型」、3「要領型」
僕の感覚としては、東大生の半数以上がここに属している。このタイプは、先人によって敷かれているレールを速く走るのは得意だが、自分で未開の土地を開拓して新規にレールを敷くというようなことは苦手だ。そして、彼らは、自分たちが苦手なことは極力やろうとしない。秀才型がしばしば「頭が固くて融通が利ない」と言われるのは、既存のレースから頑として外れようとしないからだ。これに主に以下の2つの理由がある。
1つめに、「正解がないこと」への対応力が弱いということ。東大生は、東大に受験するまで、義務教育で9年、高校で3年、「明確な答えがあるテスト」を説き続けてきた。東大入試にしたって、問題のほとんどに教科書的な決まった解法があり、過去問をやりこんでその解法パターンを丸暗記すればパスできる。2つ目の理由が、東大生は失敗して人から批判されることを極度に恐れるということだ。

p52 教員教務逆評定、300円。大仏・仏・鬼・大鬼。


エネルギー400年史

p239 「夏がない年1815年、インドネシアのタンボラ火山が噴火、火山灰は世界中を覆って陽は遮られ、北米やヨーロッパの高緯度地域では、7月になっても凍てついた大地が解けることは無かった。穀物は壊滅的な打撃を受けた。この年、ヨーロッパでは20万人もの餓死者が出ている。

p254 1958年ペンシルベニア石油会社はコネチカット州ニューヘイブンのセネカ石油会社に吸収され、銀行家のジェームズ・タウンゼントと仲間のニューヘイブンの投資家が経営権を握り、共同経営者として地元のエドウィン・L・ドレークが迎えられて社長に社長に選出された。ニューヘイブンのホテル「トンチン」、二人ともホテル暮らしをし、1854年、ドレークは妻を亡くし翌年、幼い息子を連れてこのホテルに移ってきた。

p374 歴史家のルーディ・ヴォルティによると、1900年、アメリカでは4192台の乗用車が生産され、そのうちの1681台は蒸気自動車、1575台は電気自動車で、内燃機関を用いた自動車は936台にすぎなかったという。

p408 Socal(スタンダードオイルカリフォルニア)がサウジアラビアにアメリカのカネで支払おうとしたその時、送金計画に待ったがかかる。1933年3月にアメリカ大統領に就任したフランクリン・ルーズベルトは、第一弾の施策として金本位制からの脱却を目指し、金貨や地金と交換できる兌換証券の回収を図っていたのだ。このときSocalはロンドンを介して契約条項を果たした。自社の銀行経由でイギリスの王立造幣局から35000ポンド相当のソブリン金貨を引き出したのだ。1994年Casoc(カリフォルニア・アラビアン・スタンダード・オイル・カンパニー)は社名をアラビアン・アメリカン・オイル・カンパニー(アラムコ)に変更した。

p460 民生用原子炉の開発
1953年7月、AECはリッコーヴァーと彼の原子炉開発チームに対し、民生用碍子炉の開発プログラムを命じた。リッコーヴァーはこのとき、燃料に関する重大な決定を下していた。金属ウランではなく、高温で焼き固めた酸化ウランのペレットに燃料を変えていたのである。燃料ペレットに替えることで原子炉の建造は複雑さを増すが、リッコーヴァーは核拡散のリスクを減らす目的でこの決定を下したという。濃縮ウランは容易に原子爆弾に加工できる。だが、燃料ペレットに加工した酸化ウランの場合、融点は摂氏2865度に高まるので再処理してウラン金属に転換するには高い技術が要求される。

p498 「優生学」と「人口爆発」という悪夢 ハリソン・ブラウンと彼の見解を支持する新マルサス主義者にとって、世界を脅かすのは自分以外のほかの人間の存在だった。「人類の未来への課題」でブラウンは次のように記している。「人種という種が将来的に退化」するのを避けるため、人口過剰に対する自然選択を踏まえた上で、「個人の交配」をお阻む必要があると説いた。その個人とは「社会にとって明らかに有害な欠損をまぎれもなく有し、しかもその欠損が遺伝性だと判明した場合である。」

2013年に「絶望を売る商人ー暴走する環境保護主義者、似非科学者の犯罪、そしてアンチ・ヒューマニズムを奉じる死のカルト集団」を書いた航空宇宙額のロバート・ズブリン、あるいは2009年の論文「人口爆弾に関する戦後の知的根源」を書いたピエール・デロシュールとクリスティーン・ホフバウアーなどがいる。トーマス・マルサスは、18世紀のイギリスの古典派経済学者で、彼自身、人間の排除についてものおじするようなタイプではなく、むしろ誰憚ることなく提唱していた。 貧者には清潔さを推奨するのではなく、それに反する習慣を督励すべきだ。年においては通りをさらに狭溢なものにし、ますます大勢の人間を家の中に押し込め、疫病が流行るように努めるべきである。地方にあっては村の周囲によどんだ水たまりを設け、ぬかるみに覆われ、健全とは程遠い土地に住むように督励しなくてはならない。しかし、わけても肝要な点は、どれほど破滅的な悪疫であろうと、特効薬は断固として拒むことである。慈善者は特定の病を根絶やしにする並外れた企てを通じて、人類に奉仕していると考えるが、彼らは甚だしい勘違いをしているのだ。

p517 遺伝学者のハーマンマラーは、人為的な突然変異を発見したと発表、キイロショウジョウバエにX線を照射することで突然変異の発生率が高まる事実を初めて実証した。1946年マラーはこの業績によってノーベル生理学・医学賞を受賞している。マラーは偶像破壊主義者であり、優生学に深い興味を示していた。優生学的な改善は無階級社会において唯一倫理にかなうーアメリカの優生学運動は人種差別とエリート主義に基づくと非難-と考え、19933年から37年、ソ連にわたって遺伝学の研究を行っている。しかし、ソ連国内でルイセンコ主義が高まり、政治的に危険な立場に置かれるようになるとスペイン内戦の国際旅団に志願することで辛くも難を逃れた。マラーは、自身が唱えた自発的な「精子選択」(マラーは精子バンクを提唱していた)によって人間は完璧な存在に慣れると信じていた。また遺伝子の研究を通じ、変異という現象は無作為に発生したいていの場合、有害な影響をもたらすことを知っていた。
*トロフィム・デニソヴィチ・ルイセンコはソ連の生物学者で獲得形質の遺伝という似非科学を提唱した。スターリンの庇護のもと、ソ連の著名な遺伝学者の多くを追放した。

p531 世界の総発電能力2500万ギガワットのうち太陽光発電はわずか305ギガワットで1%にさえ遠く及ばない。ヨーロッパのようにこの技術を積極的に推進している地域でさえ、電力需要の平均4%を賄っているに過ぎない。


裏切られた自由

p83 1938年からヨーロッパで戦いの始まった直後(1939年9月)までは、ルーズベルトは参戦を考えてはいなかったと思う。彼が干渉主義的な政治手法を取ったのは、ニューディール政策の失敗を国民の目からそらすためだったのだろう。権力者がよく使う、昔ながらの手法である。外国からの侵略の危機を訴え、パワーポリティックスに参画したかった。つまりマキャベリズムなのである。

p567 1943年ルーズベルトは改めて無条件降伏を表明したのである。スターリンは無条件降伏要求に抗議した。スターリン元帥は、戦争手段としてみた場合、ドイツの課す条件を定義しない無条件降伏要求の方針が適当であるか否かについて問うている。無条件降伏要求は条件をあいまいにするものであり、それがドイツ国民を一つにしてしまう逆効果になりかねない。降伏条件を明らかにしておけば、仮にその条件がどれほど厳しい物であっても、ドイツ国民は、何を覚悟しなくてはならないかをはっきりと認識できる。スターリン元帥は、その方がドイツの降伏を早めるのではないかとの意見である。
スターリンは、ヒトラーおよびナチスと一般国民との間に違いがあるとした。ドイツ軍部の間にも前者との溝があるとしていた。こうした溝にくさびを打ち込む、つまり支配するものと、されるものを離反させる機会を見逃していない。しかしその機会は、ルーズベルトとチャーチル(の無条件降伏要求)によって失われてしまった。無条件降伏要求は無条件の抵抗を生む。反ヒトラー戦力の意志を削ぐ。その結果、この戦争は長引くことになろう。

下p188 ドイツは1939年9月にポーランドに侵攻した。ドイツはポーランド外務省から多くの文書を押収し、アメリカの関与を示すものを公開した。ウィリアム・C・ブリット駐仏大使が、ルーズベルトの名代として、ポーランドおよびフランスの官僚たちに対して工作を仕掛けていたことを示す文書であった。


指名される技術

セミの寿命が素数である理由
 日本のセミは地中で7年地中で7年、幼虫として生き、そして羽化するために地上に出てきて、交尾して死にます。つまり寿命は7年です。一方アメリカのセミは11年から13年、地域によっては17年ゼミもいる。セミの周期というのはどういうわけかすべて素数なのが特徴です(数学の世界では有名な話)。なぜ素数なのか?いや、なぜこんな話にここで突然触れるのか?これが自然界が作った、出会いたくない相手と出会わないための技だからです。地上で天敵と遭遇する確率を極限まで低くするためには、寿命は大きい素数であった方が良い。出会いたくない敵と次に地上で遭遇する期間が指数的に長くなる。自然界は、こうやってトラブルを回避してきたわけです。

世の中には「カリスマ」と呼ばれる経営者が何人もいます。彼らと面会していて共通していること、それは来客の対応をしている時には相手に時間を独占させる、ということです。仕事ができない経営者は、来客中でも時間を気にしたり、秘書からのメモにわざとらしく目をやったり、忙しげなフリをして応接室を突然離れたり、とにかく落ち着かない。「ごめんなさい、ドタバタしてて」と謝りながら、結局、来客の面会という貴重なチャンスを無駄にしている。なので、仕事ができない経営者はすぐにわかるものです。
 それに対して、ホンモノは実にゆったりとしています。相手の話にしっかりと耳を傾け、そして考えをしっかり伝える。あたかも「僕との面会がそんなに楽しいのか?」と錯覚すら与えるのです。しかし大物ですからヒマなはずがない。客との会話に集中し、それ以外のことをシャットアウトしているだけの話です。ニセモノは、他にもあれこれやりたいことがあるからじたばたする。そして見苦しい。だから結局、相手の心をつかめないのでしょう。ホンモノは、しっかりと集中し、その日の内に話の決着をつける。相手をその気にさせるのも抜群にうまいのです。
 つまりプロ中のプロとは、一番大切なことを見失わない。その一点において、集中力がすごい。ダメな営業マンやキャバ嬢のようにギリギリになるまで、とか、めんどくさいから、とかそういう刹那的な理由で、自分のゴールを変えない。だから、もしかしたらプロとは、自分の願望を実現するためのシナリオをすでに持っているのではないだろうか?ブレずにそれをひたすら遂行する人のことを言うんじゃないか?そんな気さえするのです。

指名される技術 六本木ホステスから盗んだ、稼ぐための仕事術

アルティメット出版による

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メディア論―人間の拡張の諸相

表音アルファベットは独特の技術である。象形文字や音節文字など、色々の種類の文字があったけれども、意味論的に無意味な文字が意味論的に無意味な音声に対応するように用いられる表音アルファベットはただ一つしかない。視覚の世界と聴覚の世界の、この厳しい分割と並行は、文化の問題として言えば、粗雑で容赦がなかった。表音文字で書かれた言葉は、象形文字や中国の表意文字のような形式では確保されていた意味と近くの世界を犠牲にする。しかしながら、こういった文化的に豊かな文字の形式は、部族の言葉からなる呪術的に不連続で伝統的な世界から、冷たく画一的な視覚メディアの世界に、突然に転移する手段を提供しなかった。中国社会は幾世紀にもわたって表意文字を使用してきたが、その家族および部族の継ぎ目のない網の目が脅威にさらされることがなかった。
したがって表音アルファベットだけが「文明人」-書かれた法典の前に平等な個々の人-を生み出す手段となった技術である。そう主張することができる。個人と個人の分離、空間と時間の連続、法律の画一、こういうものが文字文化を持った文明社会の主要な特徴である。インドや中国のような部族の文化は、その知覚や表現の広範さと微妙さの点で、西欧文化よりはるかに優れているのかも知れない。けれどもわれわれはここで価値の問題にかかわっているのではなく、社会の形態にかかわっているのである。部族の文化では個人とか個々の市民とかの可能性は考えられない。
幾世紀にもわたる表音文字文化の時代を通じて、われわれは論理と理性のしるしとして推論の連鎖を好んできた。中国の文字はこれと対照的で、表意文字一つ一つに存在と理性についての直観全体が賦与され、視覚的な連鎖に心的な努力と組織のしるしとして役割をあまり与えない。
いかなる連続、自然的あるいは論理的連続にも、因果の関係は示されていないのだということを18世紀に証明したのはデイヴィッド・ヒュームであった。連続は単に付加であるにすぎず、因果ではない。イマニュエル・カントに言わせると、ヒュームの議論は「わたくしを独断のまどろみから目覚めさせた」というのだ。しかしながら、連続を論理と見るのが西欧の偏見であって、その隠された原因がすべてに浸透するアルファベットの技術にあるということに、ヒュームとカントも気づいていなかった。

「コミュニケーション」という用語ははじめ道路や橋、海路、河川、運河などと関連して広義の用法を持っていたが、のちに電気の時代には情報の移動を意味するように変わってきた。たぶん、電気の時代の性格を規定するのにこれ以上ないほど適切な方法は、まず「コミュニケーション(伝達)としてのトランスポーテンション(輸送)」という観念の生じてきたことを研究し、つぎにその観念が輸送から電気による伝達の意味に変わるのを研究することであろう。英語のmetaphorすなわち「暗喩」ということばは、ギリシャ語のmetaに、「向こうまで運ぶ」あるいは「輸送する」の意のphereinがついてできたものである。

失業対策委員会のメンバーである経済学者と話す機会があった時、私は新聞を読むことは一種の有休雇用と思わないかと尋ねてみた。案の定、彼はいかにも腑に落ちないという風だった。しかしながら、広告をほかのプログラムと結びつけるあらゆるメディアは、一種の「有給学習」である。やがて将来、子供は学習することによってお金を支払われることになろうが、そのとき教育者は、センセイショナルな新聞が有給学習の先駆者であったことを認識するであろう。この事実にもっと早く気づくことができなかったのは、一つには、機械と産業を中心にした世界では、情報の処理と伝達は主要事業にならなかったためだ。しかし電気を中心にする世界では、容易にそれは支配的事業となり、富の手段となる。

19世紀末の絵画と聞けばすぐに思い出される印象主義の世界は、スーラの点画主義、モネやルノワールの分光の世界に、その極致を見出した。スーラの点描画法は、電信によって画像を送る現在の技法に近似しており、また走査線によってつくられるテレビ映像やモザイクの形態に近いものである。すべてこういったものは、のちの電気の諸形態を先取りしたものであった。なぜならおびただしい数のイエス=ノーの点と線を持つデジタル・コンピューターと同じように、これらの技法はどんな事物であれ、その対象となるものの輪郭を、おぶただしい数の点を使って撫でるように触れていくからである。

サルヴァドール・ダリは人々の熱狂を引き起こすのに、ただサハラやアルプスを背景にして、たんすやグランド・ピアノを背景とまったく関係のないそれ独自の空間に置いて見せさえすればよかった。事物を印刷術で特色である画一的で連続的な空間から解き放つというそれだけのことで、われわれは現代芸術と現代詩を手中にしたのである。その解放によってどれだけの大騒動がもちあがったかを考えてみれば、印刷術による心理的圧迫がどれほど大きかったかを推し量ることができよう。


ウンベルトエーコの世界文明講義

P94.キッチュの真正なモデルはボルディーニである。
ピエロマンゾーニ 芸術家の糞
偽ディオニュシオス・ホ・アレオパギテース

醜いものが美術史に登場するのは、キリスト教ありきのことであると、ヘーゲルが私たちに思い出させてくれる。理由はこうである。「ギリシア的な美の様式では、磔刑のキリストを表現することはできない。茨の冠をかぶり、十字架を背負って、体刑の場所まで自らの体を引きずり歩くキリストを表現することはできないのだ。そこで苦しみに満ちた、醜いキリストが登場するのである。」さらにヘーゲルはこうも言っている。「神と対立する敵たちは、彼を断罪し、愚弄し、拷問し、十字架にかける、徹底的に邪悪な者として表現されている。内的な邪悪さや神に対する敵意の表現は、醜さや、無作法、蛮行、怒り、また外見の歪みとして外部に現れる。」。つなづね極端なニーチェは「キリスト教が世界を醜く、邪悪にしようと決断したことで、実際に世界が醜く邪悪になった」とまで言い放った。

教皇ヨハネ・パウロ二世が、回勅「信仰と理性」(1998年9月14日)でこう断言していた。
近代哲学はその探求を存在に向けることを忘れ、自らの研究を人間の知識に集中した。人間の心理を知る能力に働きかけるのではなく、限界や条件付けを強調することの方を好んだのだ。そこからさまざまな形の不可知論や相対主義が生まれ、哲学的探究を、総体的な懐疑主義の流砂のなかで迷子にしてしまった。さらにラッツィンガー(枢機卿)は2003年の説法でこう話した。「なに一つ確固としたものを認めず、各人の自我と欲求だけを唯一の尺度とする相対主義の専制政治ができあがろうとしている。しかし私たちにはもう一つの尺度がある、しれは神の子、すなわち真実のひとである。」ここでは真理の二つの概念が矛盾し合っている。ひとつは、発言の意味論的属性であり、もうひとつは、神性の属性である。これはカトリックの聖典、少なくとも私たちが翻訳を通して知っているもの、においてすでにどちらも真理の概念として現れているという事実による。真実をなにかと、ものごとの状態のあり方の間の一致として用いる時、(「本当に言う」という意味で「あなたたちに真実のことを言う」)と真理を神性に固有のものの意味で用いる時、(「私は道であり、真理であり、いのちである」)がわかるのである。これがもとで多くのカトリック教会の神父たちは、今日ラッツィンガーが相対主義と定義するところの立場を取った。なぜならそれは、救済のメッセージという、この名にふさわしい唯一の真実にさえ関心を払っていれば、世界に対する主張が実際の状況と一致していなくても心配することはないという立場だったからである。聖アウグスティヌスは、地球が球形か平らかという議論に際し、球形の方に傾いていたようだが、それが事実かどうか知ることは魂を救うのに役に立たないことを思い出し、したがって実際どの理論も同じことだと判断した。

不誠実の最も素晴らしい描写は、ジャン=ポール・サルトルの「存在と無」(1943年)のなかにある。ある女性が男性の家に行く場面で、女性は男性が自分を手に入れたいと望んでいることを知っている。男性のアパートに入った時点で自分の運命は決まることを彼女は理解しているはずである。<中略>この一節は少し男性主義的なところがあるかもしれない。しかし、サルトルの外見を思い出してみると、むしろサルトルが哀れに思えてくる。相手の方は一体どんな女性だったのだろうか。

他人の陰謀に思いを巡らせればめぐらすほど、自分の理解の無さを正当化するためにますます陰謀にのめり込み、他の陰謀に釣り合うだけの自分の陰謀を考え出すことになる。陰謀が本当の陰謀であるならば、秘められたものでなければならない。内容を知ることで欲求不満が解消される類の秘密は確かに存在する。その場合、秘密が救いをもたらしてくれるか、あるいては秘密を知っていること自体が救いを意味するかのどちらかだ。そんなに輝かしい秘密など存在するのだろうか。もちろん存在する。ただし、その秘密を知ることはあり得ない。暴かれた暁にはがっかりするしかないのだから。アッリエがローマ帝政期を騒がせた神秘にまつわる熱狂について聞かせてくれたのではなかったか。

カール・ポパーは1940年代の時点で「開かれた社会とその敵」にこう書いていた。社会における陰謀説とは、ある思い込みから成っている。それはある社会的現象を説明するためには、そのような現象の実現に関心を持ち、それを企て、促進するために結束した個人や団体をあぶりだせばいいという思い込みである。


監獄の誕生 原題「監視すること、および処罰すること」

二つの構成要素、司法権が秘密裏に行う調査のそれ、をそなえた機構によって真実を生み出させることが目標とされるのである。つまり、自白を行う、必要な場合には苦痛を受ける身体こそが、これら二つの機構の装置を確実にするのであって、だからこそ、我々は古典主義時代の処罰制度をすみずみまで考察し直さない限りは拷問に対しる根本的批判は、ごくわずか行っただけに終わるだろう。「忍耐強く抵抗する」場合には、それに打ち勝ち、白状すれば負けることになる。裁判官の方でも、拷問を貸すことは危険を冒すことになる。しかもそれは容疑者が死ぬ事態に直面する懸念だけに止まらない。彼は自分の集めたいくつかの証拠という賭け金を危険にさらすのである。規則に基づいて被告人が「忍耐強く抵抗し」白状しない場合にやむを得ず職を辞す定めになっているのだから。そうなると新体系を課せられた者が買ったことになる。そうした事態が生じるのを避けるために「証拠の留保を伴う」拷問を加える習慣が生まれたのであって、それは重い事件に用いられたのだった。

身体刑の儀式では中心人物は民衆なのであって、現実に直接に彼らが現場に居合わせることが儀式の仕上げに要請される。罪人に猛威を振るう権力の姿を見物することで恐怖の効果を生じさせるためにも、見せしめということを狙ったのであった。立会人であることは人々が所有もし請求もする権利であって、密かに行われる身体刑は特権的なそれだとされ、人々はその刑は完全に厳格に行われたのではないかと怪しむ。レスコンバの女房が絞首刑に処される際、気を利かして顔を隠してやった。群衆はひどく不平を述べ立て、これはレスコンバの女房とはちがうと言い出す始末であった。

今日のように拘禁が死刑と軽度の刑罰との、処罰の全中間領域を覆いつくすことができるという観念は当時の改革者たちには即座に考えつきえない概念であった。瞬く間に監禁が懲罰の本質的形態となった。ナポレオン帝政政府は、刑罰と行政と地理に関するすべての階層順位に応じて、現実に具体化することを直ちに決定したのである。各治安裁判所と結びついた、町村警察の留置室が、各軍には留置場が、どの県にも懲治が設けられ、重罪を宣言された者や1年以上の刑に処せられた有罪者を収容するいくつかの中央監獄が置かれ、若干の港に徒刑囚監獄が設置された。かつての処刑台では受刑者の体が、儀式ばった調子で明示される君主権力のさらし者にされていたし、処罰の舞台の上で懲罰の表象が社会の構成員全体に常時示される恐れがあったが、そうした事態に変わって現れたのが、国家の管理装置の総体そのものに組み込まれる、閉鎖的で複合的で階層化された大いなる構造である。保護をする壁ではもはやなく、威光によって権力と富を誇示する壁ではもはやなく、19世紀に物質的であり象徴的でもある単なる形象となるだろう。早くも総督政府時代(1799~1804年)内務大臣は、今後活用される見込みのある各種の監獄について調査を依頼されていた。数年後には国費の見込みが建てられて、社会秩序を守る新しい城塞は、自らが体現し奉仕する権力の充足のために建設された。ナポレオン帝政はそれらを実はもう一つ別の戦い(対外戦争を指す)のために利用した。

ベンサムが一つの技術的計画として記述していておいた事柄を、ユーリウスのほうは一つの歴史過程の完成として読み取っていたわけである。現代社会は見世物の社会ではなく監視の社会である。我々がそう思うよりもはるかに、我々はギリシア的ではない。我々の居場所は、円形劇場の階段座席でも舞台の上でもなく、一望監視のしかけの中であり、しかも我々がその歯車の一つであるがゆえに、我々自身が導くその仕掛けの権力効果によって、我々は攻囲されたままである。歴史の神話学におけるナポレオンという人物の重要性は、多分その起源の一つをこの点に持つに違いない。この人物こそは、統治権の君主的で祭式本位な行使と、際限のない規律・訓練の階層秩序的で常設的な行使との、接合戦に位置するからである。


グーテンベルグの銀河系

P94 現実の構成要素の中に線形的性質や均質性を見出したことが、表音文字の新秩序の下でギリシャ人が行った「発見」であり
また彼らの感覚生活における変化であった。ギリシャ人たちはこうした視覚による認識という新しい知覚形式を芸術に表現したのだった。ローマ人たちは線形成と均質とを市民生活、および軍事活動の分野にまで押し広げた。そこから生まれたのがアーチ建築に見られる自分の視点を中心にしたアーチ型の世界、囲われた空間、もしくは視覚的な空間だった。ローマ人たちはギリシャ人の発見に何かを加えたというわけではなかった。彼らは非部族化と視覚化という同じ体験をしていたのであって、線形成を帝国という形で、均質性を市民や彫像や本の大量生産という形で拡大したのであった。仮にローマ人が今日の世界を訪れたとすれば、おそらくアメリカ合衆国をいちばん居心地よく思うであろうし、それに対しギリシャ人なら西欧社会にある「後進地域」でまだ口語文化の残る場所、アイルランドや南北戦争以前の米国南部のような場所を好んだことであろう。

デジデリウス・エラスムス,ウィリアム・アイヴィンズ「版画と視覚型コミュニケーション」、ピエトロ・アレティーノ最初のルポタージュ屋、最初のジャーナリスト。

活版印刷、人類初の大量生産。写本文化にはない著者を生み出した。

ナショナリズムと印刷、印刷の発見の影響は、16~17世紀の野蛮な宗教戦争の中に明らかに現れていた。権力をコミュニケーション産業へ使用することによって、各民族語の成立、ナショナリズムの勃興、革命、そして20世紀における新型の野蛮な暴力の行使が促進された。印刷技術が作業と生産の方法に応用されるまでナショナリズムは、その十全な幅広い発展を見ることはなかったのである。


金持ち課税

民主主義国は不平等が大きくなると富裕層に課税する。
第一の理由は、最上位層の所得や富の総額がそれ以外の社会と比較して大きくなれば、有権者は負のインセンティブ効果が大きくなりすぎない範囲で富裕層への課税を重くすることが自分たちの利益に適うと考える、ということである。支払い能力主義に賛同している有権者も、この選択を好ましいと思うかもしれない。第二の理由は、人々が結果の不平等が機械の不平等から生じていると考えているからである。第3の理由は、不平等の影響が政治体制に及ぶことを恐れるからである。

擁護すべき貧乏人と抑制すべき金持ちが存在する場合には、最大の悪がすでに行われているのである。法のあらゆる力が発揮されるのは、中程度の階級に対してだけである。つまり法は金持ちの財宝に対しても貧乏人の窮乏に対しても同じように無力なのである。前者は法をくぐりぬけ、後者は法から見落とされる。前者は法の網を破り、後者は法をすり抜けてしまう。 by ジャン=ジャック・ルソー
出エジプト記 ここでは神の前では全員が平等だと考えられている。「あなたたちの命を贖うために主への献納物としての支払う額は銀は半シュケルである。豊かな者がそれ以上支払うことも、貧しいものがそれ以下支払うことも禁じる」。市民の平等な扱いということでは、全員が同じ率で払う税も考えられる。「フラットタックス」運動を支持した初期の知識人が考えていたのがまさにこれだ。ロバート・ホールとアルヴィン・ラブッシュカが1981年に次のように述べている。「思い出してほしい。ごく最近まで、公正とは法の下での平等な扱いを意味していた。公正を同一ということに置き換えて、富裕層に多く支払わせるというのは現代の発明であって、彼等は税制度を利用して所得を再配分し、全員を平等にするべきだと信じているのである」

不平等(貧富格差拡大)、民主化(0.1%が50%以上の富を持つ)ことが所得税の累進課税に寄与したか?
いないな、戦争のための大規模動員。

第一次大戦に参加して大規模動員した10国と、中立を保つか、参加は下が大規模動員をしなかった7国について、1900年から1930年までの最高税率に関する入手可能な情報を示したものだ。戦争のための大規模動員をしたとする条件は、参戦国であり、かつ、総人口の少なくとも2%を軍に動員したことである。動員国では、戦争に伴って富裕層課税に向けた大きな動き(平均最高税率50%)が起こっている。非動員国でも最高税率は上がっている(20%+)が、上がり幅はずっと小さい。

1941年7月、合衆国の第二次世界大戦への参加が未決問題だった時に、ギャラップ社は全米の成人人口から調査対象を抽出し、次のような質問をした。-「国防費支払いの一助とするため、政府は所得税を引き上げざるを得なくなると思われます。もしあなたが決定者だとしたら、4人家族で所得がXドルの典型的な家族に、どれくらいの所得税の支払いを求めますか」
この調査ではスプリット・バロット法のアンケートを用いて、年間1000ドルから100,000ドルまで8つの所得層について望ましいと思われる税率を聞き出している。社会経済地位(SES)の異なる集団の回答者のデータを表した。すべての所得層が富裕層課税の強化を指示するようになりうる。

我々は奇妙な現実と直面する。相続税は徴収が容易だが、どの国を見ても、これが歳入の約10%を超えたことは一度もない。過去数十年でも、合衆国の連邦遺産税および贈与税の収益は、連邦歳入の約1%を占めているだけなのである。

戦時利得は「富の徴兵=富裕層課税」すれば良い。

1909年1月、イギリス、労働は、4つの原則が税制度の指針となるべきだとした。

1.課税では、支払い能力と国家が個人に与える保護および利益とが釣り合っているべきである。
2.個人が自らの身体的必要および基本的必要を満たすための手段を侵害する課税は実施するべきではない。
3.課税は共同利益、すなわち富の不労増加分すべての確保を目的とするべきである。
4.したがって、税は不労所得に課されるべきであり、また、莫大な富の私的保有防止を意図的に目指すべきである。

鉄道と近代的大規模軍

過去2世紀にわたる工業化社会に戻ってみよう。軍事テクノロジーの、ひいては動員の変化が同様の社会変化につながった可能性はあるのだろうか。この疑問に答えるには19世紀初頭のヨーロッパで戦争がどのように戦われていたかを考える必要がある。戦いは中世から大きく進化し、十分な訓練を受けた国家軍が遂行するようになった。軍の構成は大半が歩兵で、火器を使用していた。しかし、それ以外のことではそれほど大きな変化はなかった。軍はまだ徒歩で戦場へと行進していた。食料はすべて、兵士とともに運ぶか、現地で略奪するか、大型馬車を使って後方から供給していた。供給の問題は任意の時点のある地点で維持可能な軍の規模に上限を課していた。ナポレオンにしてもなお、古代から軍を制約してきたのと同じ兵站上の困難には縛られていた。腹が減っては戦はできぬとわかっていても、この制約を満たす方法は、よほど効果的な略奪か、嫌になるほど遅い後方からの物資提供しかなかったのである。
兵站問題の解決策の端緒が開かれるのは、ようやくナポレオンの死から4年が過ぎてからだった。すなわち、蒸気機関で動く車を供えた鉄路である。鉄道の登場は、電信の発明と併せて欧米の、そしてその他の社会を根本的に変えた。鉄道の登場によって、戦争の規模は劇的な拡大が可能となった。鉄道は人間をすばやく運べるだけでなく、食料となる物資も運ぶことができた。最初の旅客列車は1820年代に走ったが、これはまだきわめて原始的な輸送システムだった。それから数十年かけてようやくレール、機関車、列車の設計にイノベーションが起こり、大人数の部隊を遠く離れたところまで運べる鉄道になっていった。鉄道を軍事面で初めて大規模に利用したのはナポレオンの甥にあたるナポレオン3世で、1859年のイタリア遠征でのことだった。鉄道はもちろんアメリカの南北戦争(1861~1865年)でも盛んに利用された。この戦争は多くの面で、来るべきヨーロッパの紛争の破壊性を先取りするものだった。また先に指摘したように、富裕層課税のための補償論が主張され始めるのもこの戦争である。

大規模軍の終焉

19世紀の技術革新は大規模軍を可能にすることに寄与した。20世紀の技術革新は、大規模軍を線上で望ましいものでなくすることに寄与した。大規模軍の時代は、特定の技術状態の存在に依存していた。この状態では、人員を大量に輸送し、適切な供給を維持することが可能だったが、爆発力の精確な遠隔送達はまだ実現していなかった。20世紀を通じてこの状況は変化した。遠隔地からの爆発力の送達が現実のものとなり、時とともに、それがどんどん精確になっていった。今日では、先進的な兵器システムを有する国は、誤差数十センチという精確さで爆発物を送達することができる。こうした展開が大規模軍の終焉を告げたことはほぼ間違いなく、それとともに、富の徴兵を含めた補償論の可能性も潰えてしまった。
ここまでの主張に反対して破壊的な空軍力は第二次世界大戦からあったし、第二次世界大戦は間違いなく大規模動員の戦争だったとする考えもあるだろう。ここで往々にして見落とされがちなのは、空爆が時代とともにどれほど正確になったのか、約70年前にはどれほど不正確だったのかということだ。空中から送達される弾頭の正確さを判断する最も一般的な基準は、平均誤差半径だ。任意の危機の平均誤差半径とは、標的を中心として弾頭が円内に着弾する確率が50%になる円の半径を言う。1944年、当時の最新テクノロジーであるノルデン爆撃照準器を使った合衆国のB-17の乗組員は300mの平均半径誤差で従来型の爆弾を送達することができた。これは市民に大惨事をもたらすには十分だったかもしれないが、軍事面ないし産業面の特定の標的に命中させられるほど精確ではなかった。時代をヴェトナム戦争まで早送りしてみよう。これはほとんどが従来型の、誘導装置のない爆弾で戦われた戦争だったが、同時に合衆国がレーザー誘導爆弾を初めて使用した戦争でもあった。レーザー誘導装置を備えたBOLT-177爆弾を使って1968年に遂行された攻撃では、23メートルの平均誤差半径が達成された。合衆国によるレーザー誘導爆弾の導入で最も興味深い要素の一つは、これがすぐさまソ連の軍事計画担当者の思考に影響したことだ。ソ連軍は北ヴェトナムからの報告を通して、レーザー誘導爆弾がどれほど効果的かを知った。大規模な装甲部隊で大陸を推し渡るという考えに立脚してヨーロッパでの軍事戦略を立てていたソ連軍にとって、これは深刻な問題だったのである。
精密誘導兵器の発達とは別に列強がもはや大規模動員の戦争を戦わなくなった明白な理由がもう一つある。1945年以後、列強同士が戦わなくなったことだ。今日では、列強の軍が展開するのは反乱軍との戦いがほとんどで、これには大規模軍はあまり効果がない。2000年前の漢王朝は、そうした状況では大規模軍によるものから資本集約的な形態の戦争に切り替える方が理に適っていることに気が付いた。ここ数十年の合衆国も同じ結論に到達していると思われる。

戦後コンセンサスはあったのか

累進課税の主張者が富裕層課税のための強力な補償論を主張できたのは、間違いなく戦後の文脈があったからだ。その中心にあったのは戦争中に犠牲を払ったものは補償されるべきであり、戦争から利益を得たものは課税されるべきだという考えかただった。

イギリスをはじめとする戦勝国の状況を考えてみよう。イギリスではドイツの降伏から2か月後に総選挙が実施され、労働党が下院で大勝利を収めた。これが福祉国家イギリスの確立に道を開いたことはよく知られている。労働党の勝利は、高所得と莫大な富への重課税を含めたイギリスの諸政策を固めることに寄与した。周知のように1945年の選挙では、戦争終結時のウィンストン・チャーチルの個人的な人気にもかかわらず、労働党が地滑り的勝利を収めた。

次にフランスをはじめとする被占領国の状況を考えてみよう。フランスのような国では占領軍との協力が広範囲に行われていたため、補償論は戦ったものを認定することよりも、不公正な利益を得たものから資源を搾り出すことの必要性に重点が置かれた。評議会のプログラムは、とりわけ戦時利得を対象とした累進税の創設を求めていた。フランスの暫定政府は、戦争中に発生した「違法な」利益全てに課税すると発表した。これには闇市場からの利益のほか、敵軍との商取引があった場合には、その利益もすべて含まれた。そこでの論理は明確な補償論だった。占領下で国民が貧しくなったのに一部のものは豊かになった。フランス政府は一連の重要産業の国有化を実施した。ルノーの国有化には、占領期に同社がドイツ国防軍のために車両を生産していたことも与っていた。

第三の例としてドイツのような敗戦国の状況を考えてみよう。この場合、補償論の問題は、勝者をどう認定するかということでもなければ、敵による統治の存在から利益を得た者にどのような制裁措置を取るかということでもなかった。戦争で損害を被った者が強く感じていたのは、自分たちは戦争に犠牲になったのに、敗戦の最中にあってなお利益を得た者がいるということだった。1945年から長い年月をかけて個人にどう補償するのか、敗戦の負担をどう公平化するのかについての考えがまとまっていった。こうして1952年、ようやく一連の「負担調整」法が成立した。このときの法律には、幸運だった者から不運だった者への大幅な富の再配分が含まれていた。これは実物資産に50%の税をかけ、30年かけて支払わせるというもので、結果として事実上の資産税となった。

最後にスウェーデンのような戦争に加わらなかった国の状況を考えてみよう。スウェーデンは交戦国の市民が払ったような犠牲を目にすることはなかったが、それでも戦争によって経済全般がが混乱したことで経済が深刻な打撃を受けた。またスウェーデン政府はうまく中立を維持できるかどうかわからなかったことから、大規模軍の動員も行っている。このような文脈の中で、スウェーデン社会民主労働党は、ヨーロッパのほかの国の左翼政党と同様に補償論を用いて再配分的な経済政策への指示を築こうとした。

要約すれば様々な国が様々な状況にあった1945年には、集団的な負担分配をめぐる議論に大きく影響していたということである。犠牲を払った者に保証し、利益の多い立場にあった者に課税するという最配分的な施策が含まれていたのだ。戦後補償を巡るこうした議論は、所得税や相続税の最高限界率はどれほどであるべきかという問いに直接焦点を当てないものが多かった。戦時中に最高税率が上がっていたために、それが新たな現状法制となっていたのだ。一度現状化したものを覆すのは難しい。

1952年、ギャラップ社は2097人のサンプルに対して、賛成、反対、意見表明無しの3択で回答を求めた。

裕福な人々の多くは現在、所得の90%もの連邦所得税を払っています。連邦議会では、連邦政府が戦時を除いて誰の所得にも25%を超える課税ができない法律を成立させようとしていますが、あなたはそれに賛成ですか、反対ですか?

僅差の51%で所得税制限の支持派が多数派となった。1952年という早い段階で、これほど劇的な所得税政策の再方向転換をアメリカ国民の過半数が支持するということが、本当にありうるのだろうか。

成長への危惧が税の引き下げにつながったのか

富裕層への税を重くしすぎると彼らの活動が縮小して投資が減るだろう、そうなれば誰もが困ることになる。累進課税が成長に与える影響についての批判は5世紀前から存在していた。サッチャー時代のイギリスのマニフェストは、課税による高コストをことさら強調していた。合衆国1980年の共和党の綱領は「税率の引き下げは、経済成長と生産高と所得の増加を生み出し、それが最終的に歳入の増加をもたらすだろう」

グローバリゼーションが富裕層課税を不可能にしたのか

法人は確かにそうだが、個人所得の課税はどうだろうか? 高所得者ではない個人の税率にグローばりぜーしょな影響するというのはあまりありそうもない話だ。ではなぜ高所得者は影響を受けるのだろう。高い個人所得は資本からの利益によるものかもしれないし、労働による利益を通してのものかもしれないという事実だ。資本所得の場合であれば、金融のグローバル化によって個人が簡単に富を国外に移せるようになったかどうかだ。資本規制の多い国では所得税の最高税率も高いかというと、事実はそうなっていない。法定税率を実効税率に置き換えても、また所得税を再考相続税率におきかえても全く同じ結論に到達する。資本移動は法人所得税カットへと各国を誘導したかもしれないが、それを個人所得や相続への課税に持ち込むまでには至らなかったようだ。

累進課税は公正か?

レーガンとサッチャーによる「我々は勤労と責任、成功に報いるために、すべての水準で所得税を削減する」。1980年アメリカ共和党の綱領「削減の根拠は、個人が自ら稼いだものを保持し、使用する権利にある」。富裕層への課税を重くするべきだと結論付けている人は多い。事実、年間所得が25万ドルを超える人の税を上げるべきだと思うか、という問いに明確に表れてくる。
キャメロン・バラード=ローザおよびルーシー・マーティンとの共同研究で典型的なアメリカ人2500人を対象とするフィールド調査を行った。

年間Xドルの所得のある家庭が合衆国国内で支払う税を考えてください。以下のリストから年間Xドルの所得のある家庭が支払う限界税率としてあなたが望ましいと思うものを選んでください。
年間所得 10k、35k、85k、175k、375k 税率 0%、5%、…、80%
全ての回答者に37万5000ドル(375k)を超える区分について望ましい税率を答えるように求めた。望ましい税率の平均は33%だ。現在の合衆国で実際支払う限界税率は39.6%だからそれより低いことになる。この調査からはっきりわかるのは、アメリカ人が最高税率の大幅な引き上げをのぞんでいるという考えはほとんど支持できないということだ。


良き社会のための経済学

よく耳にする「バイ・アメリカン」や「バイ・フレンチ」の類のキャッチフレーズも、絆の弱体化に対する不安の表れだろう。だが、絆が弱まることにはメリットもある。まず、贈与経済では依存関係が生まれやすい。社会学者ピエール・ブルデューは、与える者と与えられる者との間に上下関係が生まれる可能性を指摘する。そのような関係には「打算の無い寛容の装いの下に隠された暴力」が存在するという。一般的に言えば、社会のきずなには多くの美点があるにしても、息苦しさや束縛につながることもある。

最後通牒ゲーム プレーヤー1が10ユーロの配分を任され、自分とプレーヤー2の取り分を提案する。ここまでは独裁者ゲームと非常によく似ている。しかし、この先が違う。分配の最終決定はプレーヤー2がプレーヤー1の提案を受け入れるかどうかにかかっているのである。プレーヤー1の提案を2が拒絶したら、どちらのプレーヤーも何ももらえない。実際にこのゲームをやってみると、半々に分けるという提案は必ず受け入れられる。一方、プレーヤー1が9ユーロで2が1ユーロという提案はまず拒絶される。8ユーロと2ユーロの組み合わせもしばしば拒絶される。プレーヤー2にとっては1ユーロか2ユーロでもゼロよりましであるにもかかわらず、拒絶するのである。

心理学の分野で開発されたゲームでは、ばれる恐れがない場合には人はあっさりとインチキをすることが確かめられた。1~10ユーロが等しい確率で当たるくじを引いてもらう。被験者は当たった金額を実験者に申告すると、申告通りの金額をもらえる。被験者がみな正直者で、かつサンプル数が十分に大きければ、おおむね10%が1ユーロと申告し、10%が2ユーロという具合になるはずだ。ところが実験では高い金額になるほど出現頻度が本来以上に多くなったのである。だが話はここで終わらない。二回目の実験では、同じゲームをするのだが、その前に実験者が被験者に対し「モーセの十戒」または大学の倫理規則を読み上げる。すると、被験者のインチキが1回目より大幅に減った。インチキがいかによからぬことかが強調され、記憶に焼き付けられたのだと考えられる。この実験で、完全に合理的なホモ・エコノミクスという古典的な概念は破られたといってよかろう。

公務員は「国家に奉仕する」のではない。そもそも「国家に奉仕する」という的外れな表現は、公職の目的を完全に取り違えていた。公務員は「市民に奉仕する」のである。

議員の数も多すぎる。アメリカの上院は非常に活発に活動しているが、議員数は100名である。一方、アメリカの上院に相当するフランスの元老院は、人口がアメリカの1/5にもかかわらず、348名もいる。下院に相当する国民議会は577名。国民一人当たりの議員数で見ると、アメリカはフランスの1/10である。個人的には、フランスの議員数を減らす代わりに、専門知識を備えたスタッフを増やすのが良いと考えている。

大多数の経済学者は、グローバルなレベルでのカーボン・プライシングを提言している。そのための方法で意見が分かれるにしても、それは価格付けの原則と比べれば副次的な問題にすぎない。多くの社会運動団体(たとえば環境運動家の二コラ・ユロ)、NGO,シンクタンクなども意見を共にしている。たとえばIMFのクリスティーヌ・ラガルド専務理事と世界銀行のジム・ヨン・キム総裁は、2015年10月8日に次のような共同声明を出した。
「よりクリーンな未来を目指すためには、政府が行動を起こすとともに、民間部門に適切なインセンティブを設けることが必要である。その柱となるのが、強力な公共政策の下でのカーボン・プライシングだ。燃料、電力を始め、炭素を排出する産業活動に対して、現在より高水準の炭素価格を設定するなら、クリーンな燃料の活用、省エネルギー、クリーン技術への投資を促すことができよう。炭素税、排出権取引など価格付けメカニズムを導入する一方で非効率な補助金を廃止すれば、企業も世帯も、地球温暖化との戦いにおいて長期的に何に投資すべきなのか、明確に判断できるようになる」
どの国も、どの産業も、どの企業も世帯も、炭素を排出したら同じ価格を払う-これこそ、最高にシンプルな方法ではないだろうか。だがこれまでのところ、世界は明らかに複雑なやり方の方が好きらしい。

フランスの失業問題 CDD(有期雇用契約)とCDI(無期雇用契約) ILO定義で290万人、10.6%(2015年)
失業補償310億ユーロ、消極政策(失業保険)がGDP比1.41%、積極政策(職業訓練、補助金付き雇用)が0.87%。これに雇用主負担軽減措置やCICE(雇用促進税額控除、企業の競争力を高めるために支払い報酬額に応じて税額控除を適用する措置)を加えれば、GDP比3.5~4%となる。

雇用の保護を定めた法規と職場のストレスは正の相関関係があるという。雇用が硬直的なうえに新規雇用機会が少ないとなれば、雇用者と被雇用者の関係は様々な形で悪化する。

企業が直接的な解雇コストを負担しないフランスの現在の仕組みは、この他にも見えない重大な影響を引き起こしている。経済活動の変動が大きい業界ほど得をする仕組みになっている。こうした業界は構造的に頻繁に解雇せざるを得ないので、結局は失業保険のコストをごく一部しか負担しないことになり、他部門が払い込んだ保険料を食いつぶす形になる。このような仕組みで割を食うのは、雇用が比較的安定していて解雇が滅多にない業界である。

雇う側と雇われる側の共謀 この「労使の共謀」ではまず辞職つまり自主退職を「解雇」とする。自発的に辞めたら失業保険は受け取れないからだ。解雇扱いにすることによって雇用主も退職者も得をする。2008年に「合意による労働契約の解消」が導入されて、この種の共謀が事実上合法化され、もはや労使で解雇を偽装する必要もなくなった。

同じヨーロッパの国同士で殺し合う戦争に疲れた欧州大陸では、新しいヨーロッパの建設が人々の希望の星となった。人の行き来やモノやサービスの貿易や、資本取引の自由を保障して、保護主義を未来永劫追放しよう。市場開放などの改革を通じて経済を近代化する困難な仕事を第三者機関、つまり欧州委員会(EC)にやらせようという意図である。統一通貨ユーロは希望そのものだった。経済が好調な国から不調な国へ自動的に移転を行う財政同盟が存在しない。さらに、文化や言語の違いから、労働者の移動可能性が限られている。したがって雇用機会に関する限り、地域的なショックをユーロ圏全体で吸収する余地は小さい。現時点でヨーロッパ各国間の労働者の移動は、アメリカの州間移動の1/3にとどまっている。連邦制をとる国では財政移転と労働者の移動性の二要素がショックの安定化装置となるのだが、ヨーロッパではそのどちらも機能していないのである。しかも通貨統合の結果、貿易収支が赤字に陥った国にとって国際競争力回復の手段である為替切り下げの可能性も、排除されている。

競争不在のデメリットを示す面白い例を挙げよう(不利益を被った世帯にとっては少しも面白くないかもしれないが)。フランスでは1973年に制定されたロワイエ法および1996年に制定されたラファラン法により大規模小売店舗の出店が厳しく規制されており、売り場面積300㎡以上の店舗は当局の出店許可を得なければならない。この法律の目的はスーパーマーケットの市場支配力を弱め、街の小さな店を保護することだったと思われるが、実際には法案成立と同時に既存の大型スーパーチェーンの株価が跳ね上がった。誰もがこれで既存店はこの先競争から守られ、しかもすでに大型店舗で営業している以上、規模のメリットが活かせると正しく判断したからである。実際にこの法律のせいでその後10年間、ハイパーマーケットは出店できなかった。さらにラファラン法と同じ年にギャラン法(流通関係の正義と公平に関する法律)が制定され、サプライヤーから得た値引きを売値に転嫁することが禁じられた。その結果、大型店で小売価格が押し上げられたことは言うまでもない。私自身は大都市に住んでいるので近くにたくさん店があり、値上げされれば別の店で買うことができた。だが都市部の住人はごく一部に過ぎず、フランスの規制当局は他の大勢の消費者の犠牲を強いたと言わざるを得ない。

政府には未来に大ブレークするものを当てる能力など備わっていない。そこでアメリカやイギリスなどでは政府が特定の産業の振興に影響を及ぼすべきではないとされている。つまり勝ち馬を当てようとするな、ということだうまく行ってもまぐれ当たりに過ぎず、悪くすれば利益団体を喜ばせるだけになりかねない。この主張の根拠となっているのが、政府主導の壮大なプロジェクトの大失敗である。その代表格が超音速旅客機コンコルドだ。また膨大な公的資金を投じて生き残ってきたフランスのブル社は、国家助成を得てIBMに拮抗するスーパーコンピューターを開発するという。また一時国有化され、その後民営化された者の事業の相次ぐ分離など経営が一向に安定しないテクニカラー(旧社名トムソン)の例もある。きわめて示唆的な例として2005年に発足した産業革新局が挙げられる。インターネットのためのマルチメディア検索エンジン開発プロジェクト「Quaero(クエロ)がそうだ。このプロジェクトには、フランスからトムソン、ドイツからドイツ・テレコムなどが参加し、既にフランス政府から9900万ユーロの資金が投じられている。一体フランス政府は、スタート時点からすでにグーグルに気の遠くなるほど遅れを取っているというのに、本気でクエロがグーグルを追い越せると信じているのだろうか。


マーケット感覚を身につけよう ちきりん

「読む能力」に関して、今、重要になりつつあるのは、「何を読むか」を判断する力です。昔の学生は、読むべきものを自分で選ぶ必要はありませんでした。誰でも簡単に手に入るようになっている情報、すなわち、書籍化されている情報は出版社なり教育機関なりが「読むべき価値のある文章」として選別したものだけだったからです。ところが今は情報が溢れかえっており、その質も大きくばらついています。「本に書いてあるのだから正しいのだろう」などと思っていては、知らず知らずのうちに偏った考えを刷り込まれてしまいます。そんな環境を生きるこれからの人に必要なのは、「何を読むべきか自分で考え選択する力」です。

秋葉原のオタクカルチャーや食に関しては東京は世界レベルの競争力を持っています。ところが「アジアにおける国際的な金融センターになる」という目標や「アジアのハブ都市になる」といった関西経済圏のスローガンは全く成功しないまま立ち消えになっています。

マーケット感覚を身につけよう—「これから何が売れるのか?」わかる人になる5つの方法

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モルガン家 下

ラモントは、イタリアの起こしたエチオピア戦争をアメリカの西部開拓にたとえて次のように記した。「首領(ムッソリーニ)がアフリカの新しい帝国の発展について語っているが、今後のエチオピアには、農業・経済開発の仕事が残されている。広大で肥沃な土地が、ほとんど人の住まない未開墾のままである。今後、その土地は、イタリア移民の勤勉にして賢明な工作に任されることになるが、約半世紀以上も前に、広大なアメリカ西部の資源がアメリカ移民の手で開発されたのと事情は全く同じである」

リビア、ケルキラ島、エチオピア、スペインの各地でイタリアが次々と暴虐の限りを尽くした後では、このようにムッソリーニの指南役を買って出ることは、ひどくお門違いと思われる。

モルガン家(下) 金融帝国の盛衰 (日経ビジネス人文庫)

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資本主義の思想史

ヘルベルト・マルクーゼの洞察「市場はあなたが本来必要としていないものを買わせようとする人々で満ち満ちており、その結果あなたは時間と快楽、そして創造性を犠牲にしているのだという認識だ。一方、フリードリッヒ・ハイエクは「市場は他の形では伝えられない情報を流すことで個人の多種多様な活動を調整し、目的が全く相反する人同士であっても共通する手段に注目すれば互いに協力し合うことも可能であり、同意の必要性を最小限に抑えることができる、という洞察である。

ヴォルテール 近代ヨーロッパの知識人が資本主義をどのように考えていたのかという研究は、ヴォルテールから始める必要がある。これは特に彼が「知識人」の役割を作り出すことに貢献したからに他ならない。独立した著述家、あるいは「世論」という現象が存在するようになったのである。フランスの蔵相ジャック・ネッカーは世論を「財力、警察、軍隊を持たない見えざる権力」と呼んだ。世論の形成に献身した独立の文筆家としての知識人の 興隆は18世紀に同時進行した2つの展開によって可能となった。一つは文筆家の経済的基盤ががパトロンによる庇護から市場に移ったこと。もう一つは統治者である王に直接訴えるのではなく、知識を与えられた公衆に依拠した新しい政治形態の成長である。

エドマンド・バーク 賃金を労使間の交渉ではなく、治安判事に設定させるのは農業経済についての重大な決定を知識も関心もないような者の手に委ねることに等しい。政治家が、食糧価格を下げるように政府の介入を求める都市住民の声に耳を傾けるのはばかげている。農業は商業の共通原則、すなわち関係者すべてが最も高い利潤をめざすという原則にしたがって動かなければならない。

ヘーゲル ヨーロッパのドイツ語圏の大半がナポレオンに征服され、多くの従属国がフランスの庇護の下に生まれた。そこでは「ナポレオン法典」が採用されたが、これは史上初めて宗教や出自にかかわらず人は法の下で平等であるとうたったものである。しばしば歴史的にみられるところであるが、外国に征服されるという脅威は国を守るための近代化を促進させることになるのだ。

シュンペーター 知識人集団は…批判で生計を立てており、その地位はすべて、批判の鋭さに依存している」。資本主義に対する反感は、また、教育ある男女が周期的に過剰生産されることによっても助長される。

ドイツやオーストリアでは、ユダヤ人は資本主義の代表者としてみなされていた。それは国民の多くの階級が伝統的に商業を嫌っていたため、より高く評価される職業から実際に排除されていたユダヤ人が、それらにたやすく参入することができたからであった。ドイツにおいて、反ユダヤ主義や反資本主義が、この商業活動への軽蔑という同じ根源から生まれてきたという事実は、現在までそこで何が起こってきたかを理解するうえで極めて重要な点であり、外国の観察者にはほとんど認識されていないことなのである。

ハイエクによればファシズムとナチズムは、資本主義の発展過程で社会的に損失を受けた者たちが、市場で否定された報酬を力ずくと手前勝手なイデオロギー理論によって取り戻そうとする絶望的な試みなのだ。

近代の資本主義社会は戦争のような国家の危機の時期を除いては、「目的の一致」というものがない点が特徴だと考えていた。計画経済は様々な財の正確な相対的価値についての社会的コンセンサスを必要とするが、これは自由社会では不可能だからである。自由社会の利点は必要な同意が最低限で済むということである。これならば自由社会での個人の選択と多様性と両立できる。

ギュスターヴ・ル・ボンの著書「群集心理ー人心の研究」、1895年にフランスで刊行され、すぐに世界各国で翻訳された同書もまた多くの点で、階層の解体や、「群衆の神権」が「王の神権」に取って代わることに関する、きわめて保守的なエリート主義者の嘆きを表していた。関心を集めたのは非合理性の原因が群衆の心理にあると分析した点である。ル・ボンは意識的な行為にはるかに重要な影響を及ぼすのは意図的な動機ではなく、「概して遺伝の影響によって形作られた無意識の基盤」だと説いた。個人が群衆になるとそのような影響が強まり非合理性が幅を利かせるようになる。さらに群衆の一員になるという事実だけで、人間は文明の階段を何段も下ってしまう。孤立している間は教養ある人物だったとしても、群衆に加わると野蛮人、つまり本能のままに動く生き物になるのだ。ル・ボンは大衆の手綱を握る可能性を提示した。大衆の見方は自分たちの利益、ことによるといかなる真剣な考えも反映してはいない。理に適っていることを訴えても意味はない。必要となる条件は、劇のように抗しがたく衝撃的なイメージ、「人心を満たし、それをつかんで離さない」ような「絶対的でゆるぎない単純な」イメージである。

資本主義の思想史: 市場をめぐる近代ヨーロッパ300年の知の系譜

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戦略の世界史

1848年のドイツでの革命のためにマルクスが抱いていた戦略は「急進化したフランス革命」という表現に要約された。『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』自体が、1789年革命との比較に基づいた著作だった。マルクスは1789年革命よりも前に築かれた理論的構成概念にもとらわれていた。この概念は最初に試す機会において、政治の実践にはあまり役立たないことが明らかになった。マルクスの理論は、プロレタリアートに対してその真の利益と歴史的役割について説くうえで、他の者たちよりも優位に立ち、凌ぎつづけるという説得力のあるナラティブを提示した。だが1848年には、数が少なく政治的に未熟なプロレタリアートがより広い層の一階級に過ぎず、何らかの形で進歩するには連携の必要があると考えるようになると、この理論は破たんした。マルクスの概念には4つの基本的な問題があった。

第一に、階級というものは、単なる社会的あるいは経済的区分ではなく、その構成員に快く受け入れられるだけのアイデンティティでなければならなかった。プロレタリアートはそれ自体が階級であるというだけでなく、政治上の一勢力という自覚を持った自分たちのための階級である必要があった。
第二に、一つの階級として意識を高めるには、対立する国や宗教の主張を覆す必要があったが、多くの労働者にとって社会主義者、愛国者、キリスト教徒であることは矛盾ではなかった。
第三に、「共産党宣言」で主張された階級の二極化と異なり、1848年の階級構造は極めて複雑だった。歴史的には消滅したとみなされうるが、当時ははっきりと存在していたグループがあった。こうした状況において、様々な政治構造や結末がもたらされる可能性が生じていた。マルクスは「小工業者や小商人、金利生活者、手工業者、農民、これらすべての階級はプロレタリアートに転落する」と考えていた。しかし、これらのグループは必ずしも都市部の労働者階級と同一視されるものではなく、それぞれに固有の利害があった。
第四に、最大の混乱は、「共産党宣言」が、プロレタリア革命の前に必ずブルジョワ革命が起きることを前提としている点にあった。ブルジョワ革命は、プロレタリアートの発展と、工業化社会で主導権を握ることへのプロレタリアートの意識を促す条件を整えるだろう。だが、その実現には時間がかかる。ブルジョワには、その企業家的創造性を通じて既存の秩序を転覆したり、回避したりすることが可能だった。やがて政治情勢が追いつき、この活力に満ちた階級の居場所ができる。そうなれば民主主義の拡大という形でプロレタリアートも恩恵を受ける。しかし、もし理論が正しいのだとすれば、ブルジョワ革命がもたらすのは労働者階級の漸進的な発展ではなく、一層の搾取と窮乏化であった。

フランスの社会学者 ガブリエル・タルドは1890年代に起きたドレフュス事件(ユダヤ系フランス軍大尉アルフレド・ドレフュスがドイツのスパイだったとの容疑で有罪になったことを巡る議論)を振り返り、個人が結集しなくても総意は形成されると気づいた。ここから、公衆を「精神的な集合体であり、物理的に隔たりあった個人が、心理的なつながりだけで結合した存在」とするタルドの考えが生まれた。したがってタルドは「現代は群衆の時代だと説く健筆家ル・ボン博士」に賛同できなかった。現代は「公衆あるいは公衆たちの時代である。この差はきわめて大きい」。個人は一つの群衆にしか属せないが、多くの公衆の一員となることができる。群衆は興奮しやすい場合があるが、公衆においてはより冷静な意見が交わされ、群衆ほど感情的にならない、とタルドはといた。ロバート・E・パークは同質で単純で衝撃的で、出来事を認識すると感情的に反応する群衆と、異質で批判的で事実に向き合い、複雑さを快く受け入れる、より称賛に値する公衆とに二分するこの考え方を発展させた。秩序だった進歩的社会は「異なる意見を持つ個人で構成されるからこそ、慎重さと合理的な思案に従う」公衆に依存する。ひとたび公衆が批判的でなくなれば、あらゆる感情が同一の方向に揺れ動くようになり群衆同然になってしまう。

ゲイリー・ハメル 不運にもハメルが一推し企業として挙げたのはエンロンだった。「リーディング・ザ・レボリューション」の第二版刊行に際しては、エンロンに関する記述が削除された。

戦略の世界史(上) 戦争・政治・ビジネス (日経ビジネス人文庫)

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世界経済大いなる収斂

グローバリゼーションを4つの局面に分ける。
【フェーズ1:人類が地球上に広く拡散する(紀元前20万~約1万年】食料を人のいるところに移動させるより、人を食料のある所に移動させるほうが簡単だったため、生産と消費は空間的に結合していた。
【フェーズ2:グローバル経済がローカル化する(紀元前1万年~紀元1820年】農業革命が始まって食料の生産が人のいるところで行われるようになった。都市が勃興し、古代文明が生まれた。集積地の間で貿易が行われるようになったが、国内の値段は主に地域の需要と供給の状況で決まり、国際的な需給環境は関係しなかった。
【フェーズ3:ローカル経済がグローバル化する(1820~1990年頃】蒸気革命と産業革命は人類の環境全般、特に距離との関係が完全に変わった。輸送が発達すると遠く離れたところで作られたものを消費することが経済的に見合うようになった。その結果、生産パターンがシフトする。それぞれの国が「いちばん得意なことをして、それ以外のことは輸入する」ようになると国際貿易の量が飛躍的に増えた。生産は国際的に分散していたにもかかわらず、先進国の向上にミクロの集積を築いた。過去に例を見ない所得格差へとつながっていく。
【フェーズ4:工場がグローバル化する(1990年~現在】ICT革命と第二のアンバンドリング(グローバル・バリューチェーン革命)は、グローバルな知識の分布に偏りを固定化させていた制約を小さくした。北が脱工業化する一方で南の一部での国で工業化が進んだ。

考古学的な根拠が示すように前回の最温暖期にある一つの集団がアフリカを出た。およそ125,000年前のことだ。この集団はエジプトルートを通って、肥沃な三日月地帯に入った。
ヴィンセント・マコーレイがミトコンドリアDNAから得た証拠を使って、非アフリカ系の人類はすべて、55,000~85,000年ほど前、別の気温上昇期に紅海ルートでアフリカを出た小さな集団と関係していることを証明した。
40,000年前に人類がアフリカ、アジア、オーストラリアに継続して存在していたと考えられる。北ヨーロッパは35,000年前に事だった。15,000年前にアメリカ、12,000年前にパトゴニアに到達していた。

ホモサピエンス登場後の気候変動(今日との気温差、摂氏)
一番高い所で+5、寒いところで-10だが、今以上の水準は、13万年前~約11.5万年前と13000年前というわずかな期間しかない。
出所:J.Jouzel et al.,”Orbital and Millennial Antarctic Climate Variability over the Past 800,000 Years,” Science 317, no. 5839(2007):793-797. 南極ドームC氷床コア記録による。

アジアの勃興(紀元前10000~紀元前200年) 大勢の人が物理的に集中したことで同じ発明から受けられる人が増えて、イノベーションの見返りが大きくなった。
第二段階:ユーラシアの統合(紀元前200年~紀元1350年) シルクロード。
第三段階:ヨーロッパの勃興(1350~1820年) パックス・モンゴリカの下で貿易が盛んになったが、同時に意図しない効果ももたらした。黒死病(腺ペスト)のグローバリゼーションである。1350年以降の大流行はすさまじく社会を一変させることになった。黒死病はシルクロードを介して東から西へ広がり、1347年にヨーロッパに到達した。わずか3年でヨーロッパの全人口の1/4~1/2が黒死病で命を落とした。人口が激減したヨーロッパ社会は進歩したが、イスラム世界は逆に後退したのである。西ヨーロッパ諸国は封建領主の支配のもとで勢力が均衡し停滞していたが、イスラム文明は都市を中心に反映していたからだとされる。黒死病の打撃は都市部のほうが大きかった。スティーブン・ブロードベリーは「大いなる分岐を検証する」で、黒死病のもたらすインパクトがヨーロッパとイスラム世界で異なるものとなったのは、農業の種類、女性の初婚年齢、労働供給の柔軟性、国家組織の性質によるものととしている。

分水嶺となった二つ目の出来事は15世紀に訪れた。イスラム世界の細分化、明王朝による政策的な鎖国体制、コンスタンティノープルの陥落(オスマン帝国が拡大してヨーロッパとの貿易ルートが断たれた)によって、シルクロードが遮断されたのだ。鄭和のアフリカ航海など、中国の前進がヨーロッパに伝わらなくなった。

クルーグマン=ヴェナブルズ 距離が持つ2つの側面。モノを移動させる容易さ、「貿易の自由度」。アイデアを移動させる容易さ、「知識のスピルオーバーの自由度」、貿易が自由化されると産業は一つの地域に集積するようになる。たとえば国内輸送がしやすくなると経済活動は都市部に集積する傾向がある。知識のスピルオーバーの自由化をすると、産業は分散していく。

グローバル・バリューチェーンが構築されていると、売り上げと規模の問題が決める。オフショア施設をつくる多国籍企業はすでにグローバルな競争力を持っているので、グローバル・バリューチェーンのなかにいる企業にとって、需要と市場規模は重要な要因でなくなる。発展途上国が国際サプライチェーンに加わると、他国の産業基盤にタダ乗りできるようになる。そのため、すべての工程で競争力を身につけなくても、一つの工程だけで競争力を得られるようになる。

世界経済 大いなる収斂 ITがもたらす新次元のグローバリゼーション

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カジノ産業の本質

イギリスでは馬に賭ける場合、10%の税金を賭け金にかけるか配当金にかけるかを選べる(賭けた馬が買った場合)。この場合、期待資産の観点から見れば、賭け金に課税した方が間違いなくいい。しかし、実際には、賭け金の規模が増すにつれ、配当金に課税する方を選択する傾向が強くなる。これはつまり、賭け金の規模が増すにつれ、ギャンブルの消費価値が高まるということだ。

パリ・ミュチュエル税ーパリ・ミュチュエル方式、手数料などを差し引いた全賭け金を勝者に分配する。

カジノの拡大が犯罪率の上昇を招いたと示した論文もある。しかし、この主張が正しいと言えるのは、カジノ所在地の人口のみをもとにして犯罪率を算出した時、すなわち、観光客の数を考慮しなかった時だけだ。観光客の数を考慮した実証研究では、カジノと犯罪のあいだの関連性は弱い、もしくはないという結果が出た(リース、2010年など)。

資産は盗まれても存在がなくなるわけではない。テレビはある家から別の家に移動しても、それまで同様のエンターテインメント源であり続ける。新たにサービスを受ける者が泥棒であれ、盗品ディーラーであれ、これは変わらない。(ランズバーグ、1993年、97-98)
とはいえ窃盗にまつわる社会的コストも2つ存在する。まず第一に犯罪被害者に”精神的コスト”をもたらす可能性がある。これは奪われた資産の汽船的価値とは無関係である。第二に、窃盗があると、不本意な資産の移動を防ぐための行動が生まれる。限られた資産を窃盗を防ぐために使い、錠や防犯ベルなどを購入する。物品税もわかりやすい例だ。こういった税金は資産の移動であり、その価値は費用対効果分析には属さない(ランズバーグ、1993年、96)。しかし、税金は社会的コストをもたらす。相互に利益のある自発的な取引の数を減らし、消費者と生産者の剰余金を減らす原因となる。資源が政府による税金徴収に回されることになる。会計士や弁護士を雇って税の負担を減らしたい避けたりするために資産を使うようになるのだ。窃盗や税金による不本意な資産の移動について理解すると、自発的な資産の移動は社会的コストにならないということがはっきりわかる。しかし、ギャンブル研究では通常、自発的な資産移動の金額も、ギャンブルによる社会的コストの一部とみなされる。病的ギャンブラーが社会にもたらす、いわゆる旧サイコス自摸その一例だ。富を生み出すことも破壊することもなく、再配分しているだけだというのに、である。

設問2「一日にギャンブルで使用した最大金額は?」 ギャンブルをしたことがない、1ドル未満、1~10ドル、10~100ドル、…、10,000ドル以上」

以上のようなギャンブルに関する金銭面のスクリーニング調査の方法にはいくつか問題がある。まず回答者がギャンブルで失った金額の計算方法を理解していたかどうかが不明確だ。ブラッチィンスキら(2006年 127)は「ギャンブルの支出額をどのように計算するかを明示しない限り、回答者はそれぞれの方法で計算する」と述べている。その弊害は「それぞれの方法で導かれた支出額は信頼性が低い。よってギャンブルをテーマとする論文に記されたギャンブル支出額には、深刻な偏りがあるのではないかという疑問が生じる。

うん、間違いない。情報源の質が悪すぎる。競馬でもパチンコでも「俺はトータルで若干勝っている」という奴ばかりだ。それは間違ってる、おそらく引き算ができないんだ。

カジノ産業の本質 社会経済的コストと可能性の分析

ひまわり堂書店 東京本店による

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同和と暴力団 一ノ宮美成

不動産業「広洋」の岸広文。86年7月、東京地検特捜部が摘発した平和相互銀行の不正融資事件で、特別背任の共犯としても逮捕されている。平和相銀の関連会社「太平洋クラブ」所有の神戸市内の山林、いわゆる風岩の土地を60億円で購入したのだが、その際、兵庫県の同建協加盟業者「サン・グリーン」とともに同行から96億円、さらに20億円の追加融資を受けた。その追加融資分は、同行の伊坂重昭・前監査役と共謀し、手に入れた不正融資だった。

同和と暴力団 公金をしゃぶり尽くした日本の闇人脈 (宝島SUGOI文庫)

HK market ROADによる

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戦争請負会社 P・W・シンガー

シエラレオネ政府援軍の正体、南アフリカ エグゼクティブ・アウトカムズ、1995年、反乱軍を討伐。
クロアチア人がバルカン半島の均衡をいともたやすく変えたことができた理由は? ミリタリー・プロフェッショナル・リソーシズ・インコーポレーテッド(MPRI)の果たした役割の詳細。LLLの傘下。
コソボ問題の人道支援、軍を使いたくない米国は、テキサス州土木建設会社、ブラウン&ルート・サービシズ。ディック・チェイニーが会長だったことも。ハリバートン傘下。

1993年アンゴラ、南アフリカ エグゼクティブ・アウトカムズ、再訓練と空襲でUNITA(アンゴラ全面独立民族同盟)司令部を奇襲爆撃、IDAS(International Defence and Security)社、アンゴラ政府の持つダイヤモンド鉱山を防衛。空中偵察と情報収集(エアスキャン社)、地雷除去(ロンコ社とDSL社)

コンゴ モブツ政権(ジオリンク社) vs カビラ新政府(ベクテル

英国国防省 2001年「保証制予備役」制度、海軍の航空機支援部隊、陸軍の戦車輸送部隊、空軍の対艦給油飛行隊などで、1998年コソボ紛争、2001年アフガンなどで活躍。

米国 1994~2002年までに、米国国防総省は、米国に本拠地を持つ企業と3000件を超える契約を結んだ。契約金額は3000億ドルを超えると推定されている。糧食業務と言ったマイナーなものだけでなく、警備、軍事的助言、訓練、兵站支援、隊内治安維持、専門技術、情報収集など。

ロシアの原子力潜水艦クルスクが爆発した時、最初の目撃者は民間の請負査察船、エアスキャン社。

貿易は、汝自らの武器による保護とその恩恵の下に運営かつ維持されなければならない・・・貿易は戦争失くして維持することはできないし、戦争は貿易なしに行うことはできない。 ヤン・コーエン(オランダ東インド会社総督)

フランス王は歩兵部隊の大部分をスイス兵に頼っていた。スイス軍団はナポレオン戦争(1803~1815、イタリア遠征を含めれば1796年から。1803、イギリスのフランスへの宣戦布告))の直後までフランス軍に勤めた。今日でさえ、スイス人傭兵の伝統が残っている。ローマ法王の近衛軍はスイス人で1502年に教皇ユリウス二世の軍隊を補充するために雇われた軍団が進化したものである。

変化の最終的な曲がり角はナポレオン戦争、18世紀の終わりに始まった。1700年代を通して傭兵軍は存在したものの、この時期に王たちの戦争はついに国民の戦争に進化した。初期のころは個々の戦闘技術の方が人数よりも重要だったけれども、戦争の水準が上がり始め、戦場で規模の有利さという新しい考えを利用しだした。根本的な原因は火器の技術的開発が続き、必要な訓練の期間が大幅に減ったことである。クロスボウや初期の短銃は何年もの習得準備が必要だったが、マスケット銃だとかなり短い訓練期間で誰でも有能な銃士になれた。

なぜ安全保障が民営化されたか?

冷戦の終結、軍隊の削減と国家の消滅によって、公開市場に元兵士が溢れた。国家の軍隊は1989年に比べて700万人もの兵士を削減した。旧共産圏は特に。米国人は冷戦時のピークに比べ1/3ほど減っていて、英国陸軍は過去二世紀で数では最も少なくなっている。南アのアパルトヘイト政権の終焉と近隣国家が同時に改革を行った結果、軍事構造に同様の変化が起きた。削減が大きいのは後方支援の領域である。たとえば米国陸軍装備研究所だけで60%削減、しかし、軍事的展開の頻度は予想よりはるかに高くなり、米国が冷戦後の新しい介入を支援する能力にほころびが生じている。この綻びこそ、数十億ドルの兵站外注部門の始まりとなった。

軍縮が意味したのは訓練された人員が世界市場にあふれるだけでなく、大量の在庫兵器が公開市場に出回った。

サイドライン社は、シオラレオネのカバー大統領のクーデター勢力撲滅努力への助言、カマジョール民兵軍団の再建、300トン以上の兵器の空輸について、1000万ドル以上の契約をしたと報道された。この度の融資家はラケシュ・サクセナで、元タイの銀行家である。当時、サクセナはBCCI銀行詐欺事件で演じた役割のため自宅軟禁され(報道によれば、タイ国立銀行から1億ドル搾取したかどとか)、カナダから国外追放されるのを待っていた。サクセナはアフリカに事業上の権益をいくつか有していて、コノ地方のダイアモンド採掘権と引き換えにカバーを支援する交渉をしたいと望んでいた。

MPRI社は、少なくとも2002年までは、戦争犯罪法廷で名が出たことがない民営軍事請負業で唯一の企業。


ゆるく考えよう

能力のない人へのアドバイス
1)情報をため込み、安易に周囲に開示しない
2)仕事のスピードが遅いなら長時間働く
3)論理性も議論の構築力もないなら、「合成の誤謬だな」とか「前提条件がぶれていますね」といったわけのわからないコメントをしておけば、相手は当然意味がわからないため、論理的に反撃することができません。
4)不安の時は自己啓発本を読むか、もしくは、買い増しましょう。

なるべく「モノを考えない性格の人」とつきあうようにしています。「おれのこと?」と驚く友人が何人もいそうですが、これはもちろん悪口ではありません。楽観的でなんでも前向きに考えて、失敗しても大笑いして済ませることのできる人たちと一緒にいると、「こんなに大変なことでも、こういうふうに受け止めればいいのだ」と学ぶことができます。

ゆるく考えよう 人生を100倍ラクにする思考法 (文庫ぎんが堂)

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国際紛争を読み解く5つの視座 篠田英朗

20世紀に見られた経済格差の縮小は、多くの先進国で導入された著しい累進課税などの政策によって例外的に回避された現象でしかなかった、とピケティは指摘した。「経済成長に伴って経済格差は縮小する」と論じてノーベル経済学賞を受賞したサイモン・クズネッツ(1901~1985)に対する対抗理論を提示したとして、ピケティの議論は学術的評価を受けた。

20世紀はなぜ例外だったのだろうか。第一に二度の世界大戦が「総力戦」を交戦主要国に課した結果、資金調達と大衆動員の必要性に迫られた各国政府は、富裕層への課税をためらわず、社会保障を含めた社会資本の整備に邁進した。これは自由主義の原則に従った資本主義だけでは危機対応ができないという認識に基づいた、大きな政治的修正であったと言える。第二に世界大戦は19世紀資本主義によって蓄積した英米を中心とする富裕国層に対して、新興国が自らを持たざる国と表現しながら試みた挑戦としての性格を持っていた。資本主義の陥穽が生み出した世界恐慌が、世界大戦の構造的要因となったことが広く認識された。第3に19世紀以来、組織化された共産主義運動が世界各国において現実の力となっていた。先進国政府はあからさまに富裕層だけを優遇する政策は取れず、共産主義運動に対抗するためにも市場に対する国家介入をためらわず、資本主義が生み出す階級的な社会格差の是正に努めた。

「銃・病原菌・鉄ー13000年にわたる人類史の謎」ジャレド・ダイアモンドによれば、アフリカに文明が発達しなかったのは南北に大陸が伸びていたことが大きな要因であるという。なぜならユーラシア大陸では、同じ気候の下にあることなる文明圏の間で農業技術などの伝播が容易に進められ、相互影響の結果としての技術革新が次々と生まれることになったのに対して、アフリカ大陸は全く逆の条件下にあったからである。

国際紛争を読み解く五つの視座 現代世界の「戦争の構造」 (講談社選書メチエ)

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ケインズ説得論集


レーニンはこう語ったと伝えられている。資本主義を破壊する最善の方法は通貨を堕落させること。政府はインフレを継続することで、密かに気付かれることなく、国民の富のうちかなりの部分を吸収できる。この方法を使えば、国民の富を没収できるだけでなく、恣意的に没収できる。その過程で、多くの国民は貧しくなるが、一部の国民は逆に豊かになる。

保守党の政策 「
電話や電気の普及を急いではいけない。金利が上昇する。
道路や住宅の建設を急いではいけない。雇用の機会を使い果たし、後に必要になった時に身動きが取れなくなる。
全員に職をあたえようとしてはいけない。インフレを引き起こすことになる。
投資してはいけない。採算がとれるかどうか、どうすれば分かるというのか。
どんな行動もとってはいけない。他の行動がとれなくなる。
安全第一だ。100万の失業者の生活を支える政策はもう8年続けているが、悲惨な状況になっていない。この政策を変えるリスクを取る必要がなぜあるのか。
できないことを約束してはいけない。だから我々は何も約束しない。

不況と衰退のスローガンである。 1929年5月

ケインズ 説得論集 (日経ビジネス人文庫)

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「国家主権」という思想 篠田英朗

主権国家は、主権国家として認められていなければ主権国家として存在しえない。主権国家は国家主権を認める国際社会の中においてのみ存在する。
主権国家から成る国際社会と、国家以外の複数の主体が形成する広域社会は異なっている。

ラサ・オッペンハイム 1905年 国際法概説書
主権国家は排他的な国際的人格であり、国際法の主体である。国家の存立には、人民、国土、政府、そして主権という4つの要件が必要であった。もし国家が十分主権を書いているならば、それは不十分主権国家であり、不完全な国際的人格だと理解される。

アンドリュージャクソン 1832年、国民主義者の立場から、各州は実質的にもはや主権者ではない。州市民の忠誠は合衆国政府に移行した。
1861年南部諸国 アメリカ連合国大統領 ジェファーソン・デイヴィス 人民が主権を行使できる唯一の政治共同体は州であり、主権は分割されない。

デイヴィット・ヒル
フランス革命で単に君主から人民に移行しただけの絶対主権は、人権の否定につながった。それはアメリカ革命の生家の対極位置するものであった。たとえ民主主義であっても、帝国主義的で反立憲主義的なものになりうる。ナポレオンが体現した絶対的民主主義は人間に信頼を置くものだったが。合衆国で開花したワシントンの民主主義は原則に信頼を置くものであった。

アメリカ人は人類歴史上初めて、法の支配への同意が主権の放棄ではないことを示した人民である。

ソ連の考え方によれば、世界には「プロレタリアート民主国家」と「資本主義・帝国主義」国家が存在していた。「主権の制限」は「共通利益」や「共通善」などと同様に「最強の帝国主義諸大国の欲深い目的」の一環でしかない。対してソ連の主権は、社会主義的理想のもとに国益と国際協力が融合している新しい主権概念である。アメリカの「絶対的・無制約主権の概念」は社会主義諸国の一体性の対極にあるものだ。

1970年代から80年代に焦点を当て、主権概念をめぐる新しい動向に注目する。主権制限論の消滅と主権概念の形式化という現象は受け継がれ、国債立憲主義と呼ぶものが現れてくる。国家擬人説に基づいて国際社会と国内社会を単純に比較する習慣的思考法は、減退するのである。かわって国際社会でも国内社会でも共有される価値規範を強調する見方が隆盛する。1972年にイギリスは3度目の申請がようやく受理されてヨーロッパ共同体(EC)へ加入をはたした。その時主権の問題は議論されたが、主流派の論者たちは実利的目的のために主権を行使すること、あるいは「経済的主権の制限」を受け入れることを提唱していた。

「国家主権」という思想: 国際立憲主義への軌跡

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イーロン・マスク 未来を創る男 アシュリー・バンス

脳の中には普通ならば、目から入ってきた視覚情報の処理にしか使われない部分があるが、その部分が思考プロセスに使われているような感じかな。とにかく、視覚情報を処理する機能の大部分が物事を思考する過程に使われていた。

スペースXの社員には略語を使いたがる傾向があるようです。略語の過剰な使用は、コミュニケーションの邪魔になります。本当に大切なのは、会社が成長する中でも充実したコミュニケーションを維持することだと思っています。

BMWはフロントガラスも内装もバックミラーも作っていなかったんです。大手が今も手放してない部分は、内燃機関の研究、車の販売、マーケティング、最終組み立て工程だけでした。

イーロン・マスク 未来を創る男

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資本主義・社会主義・民主主義 シュンペーター

マルクスは予言者であった。彼の偉業の本性を理解するためには、マルクスの生きた時代の背景の中にそれを浮かび上がらせてみなければならない。当時は、ブルジョア意識の最頂期であり、ブルジョア文明の最低期であった。それはまた機械的唯物主義の時代であり、新しい芸術や新しい生活様式が胎内に宿っているとの兆候がまだその影を見せず、そのうえ胸の悪くなるような陳腐さのなかに時間が浪費されていたような文化的環境の時代であった。真の意味での信仰は、社会のあらゆる階級から急速に失われ、それとともにただ一条の光明すら労働者の視界から消え去っており、その一方知識人はミルの「論理学」や「救貧法」に対して満足の意を公言していた時代であった。

このとき、社会主義の現世の楽園を約束するマルクスの託宣は、幾百万の人々の心にとって、新しい一条の光明と新しい人生の意義とをもたらした。これら幾百万の人々のほとんど全部が、その託宣を真の意味において理解しかつ評価しえなかったのは大したことではない。それはあらゆる託宣の運命である。重要なのはその託宣が当時の人々の実証的な精神に受け入れられやすいような形で形成され伝達されたことであるーその実証的な精神は疑いもなく本質的にブルジョア的であった。したがってマルクス主義は本質的にブルジョア精神の所産であるということには何らの逆説も存在しない。一方においては、不運な大衆の自慰的態度たる、邪険にされ・不当に取り扱われたとの感情を比類なき力で定型化することにより、他方においてはまた、かような罪悪からの社会主義的救済が合理的検証に耐えうる確実性を有するものであることを宣言することにより、なされたのである。

完全競争とは、あらゆる産業への自由な参加を意味する。それが資源の最適配分の、したがってまた生産量増大の条件であるというのは、その一般理論の内部では全く正当である。

社会主義は作用しうるか、もちろん作用しうる。我々はもっぱら次の2つの型の社会のみを考察の対象として取り上げるのであるから、その他のものについては単に付随的に言及するにとどめる。その2つの型の社会を我々は「商業」社会と「社会主義」社会と呼ぶ。商業社会とは、その制度的類型を規定するのに次の2つの要素を上げれば足りるような社会を言う。すなわち、生産手段の私的所有と生産過程の私的契約による規制とがこれである。しかしかのような社会は、原則として純粋にブルジョア的な社会ではない。というのは、産業ブルジョアジーや商業ブルジョアジーは一般に非ブルジョアジー階層との共棲なしには生きていけないからである。さらにまた、商業社会は資本主義社会とも同一ではない。商業社会の一つの特殊な場合たる資本主義社会は、以上の他になお信用創造ー、それは現代経済生活の極めて多くの顕著な特徴を説明するものであって、現実には銀行信用、すなわち、その目的のために作り出された貨幣(手形や当座預金)によって企業者に融資することーという新しい現象が付加された場合にのみ十分に規定されうるものである。けれども、本来は社会主義に対応するはずの商業社会も、実際にはむしろ資本主義の一特殊形態として現れるのが常であるから、読者が資本主義と社会主義という伝統的な退避に執着したとしても、大して違いは生じないであろう。我々の言う社会主義社会とは、生産手段に対する支配、または生産自体に対する支配が中央当局に委ねられているーあるいは、社会の経済的な事柄が原理上私的領域にではなく公共的領域に属しているーような制度的類型に他ならない。社会主義とは万人のためのパンを意味するというようなおめでたいものは別としても、最もだと思われうる多くの仕方があるーのだから、必ずしも我々の定義が最上のものであるというわけではない。

国家という概念は封建社会の論議にも社会主義社会の論議にも立ち入ることを許さるべきではない。なぜならば、国家の意義の大部分は私的領域と公共的領域との間の分割線をひくことから生ずるのであるが、かような分割線は封建社会にも社会主義社会にも見られず、またみられるはずもないからである。このゆえに私は、自分の社会主義の定義に国家の概念を用いなかったのである。もちろん、社会主義は国家の行為によってもたらせうるものではあろう。けれどもそのことは、この行為を通じて国家がーマルクスによって指摘され、レーニンによって繰り返された如くー死滅すると言い切ることを、いささかも妨げるものではない。

日経BPクラシックス 資本主義、社会主義、民主主義 1
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99%の会社はいらない 堀江貴文

古いやり方やシステムをそのまま使い続け、新しい仕組みやシステムを導入することに抵抗を感じる人が多いのだ。
 もしそれを導入しようものなら、初めてのことを覚えるのが面倒くさいのか、「その新しいシステムを使って、いままで使っていたシステムをどう再現するか」ということを考えはじめたりする。新しいシステムをそのまま使うのではなく、いままでの自分たちの形に合わせたものにしていく。これだと新しいシステムの良い部分までも捨ててしまうことになりかねないし、意味がない。

ハンコ以外にも日本企業は、古い体質を変えられないことが多い。
 たとえば、手書きの領収証もそうだろう。どこでも買える同じような領収証に手書きで金額などを書き、ハンコを押す。会社では印字タイプのものではなく、その手書きが一番だとも言われる。
 でも、冷静に考えてみて欲しい。
 どこでも買えるような領収証の紙に、簡単に複製できる捺印、バイトが書いた手書き文字。そんな領収証など、正直、いくらでも偽造ができてしまうのではないか? それであれば、プリンターで印字したものの方がよっぽど信頼性が高いはず。
 もちろん、海外では偽造できてしまう手書きの領収証は認めてもらえず、プリンターで印字された明細書でないと認められなかったりする。
 このようなことは、日本が「ハンコさえあればOK」という謎の文化を持っているからだろう。

99%の会社はいらない (ベスト新書)

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損する結婚儲かる結婚 藤沢数希

原題でもいくつかの地域で母系制社会が残っている。中国の少数民族モソ人の社会では、男性はカネや権力より、ルックスや才能で選ばれるそうだ。子育てが、母親とその親族で行われるから、父親は子育ての能力より、遺伝的な資質で選ばれるのだろう。このような性淘汰が行われるので、モソ人はみなびっくりするような美形揃いだという。モソ人の社会では遺伝子の論理による、子どもの虐待などということは決して起こらないし、女性におかしな社会規範(浮気防止の貞操観念)が押し付けられることもないのだ。このように素晴らしい母系制社会が、なぜ現代では少数派になってしまったのだろうか。理由はもちろん戦争である。戦争で武器を持って戦うのは男だ。父系制社会では、集団の中の男はリーダーである父親の血縁者で固められている。父親と子供やその兄弟たちは血を分けた存在であり、命を懸けて自分たちの集団のために戦うのだ。相手の集団の男たちを皆殺しにしたら、新しい女が手に入る。それは遺伝子の論理からも正しいことで、戦うモチベーションが非常に高い。一方で、母系制社会では、武器を持って戦う男は、その辺をフラフラしているヒモ亭主だ。男にとっては、集団の他の男との血縁関係も明らかではない。子供は自分の子供かもしれないし、僧ではないかもしれない。こうした母系制社会の男が命を懸けて、集団のために戦うことは無い。どちらが勝つのかは火を見るより明らかだ。こうした部族同士の殺し合いが絶えなかった人間の歴史では、どう考えても母系制社会は滅ぼされるか、父系制社会にシフトする必要に迫られるのだ。だから現代でも母系制社会が残っているのは、山岳地帯や熱帯雨林の中など、主流派の人類に見つからなかった辺境の地の少数民族ばかりになっているのだ。

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銃・病原菌・鉄ー13000年にわたる人類史の謎

家畜化できている動物はどれも似たものだが、家畜化できていない動物はいずれもそれぞれに家畜化できないものである。この文章をどこかで目にしたような気がしても、それは錯覚ではない。文豪トルストイの小説『アンナ・カレーニナ』の有名な書き出し部分、「幸福な家庭はどれも似たようなものだが、不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである」をちょっと変えたものだからだ。

正確な理解はどれも似たようなものだが、不理解はいずれもそれぞれに不理解なものである。

エジプト、中国、そしてイースター島の例を除いて、歴史上、文字は、シュメール文字かマヤ文字から派生的に改良されたか、これらの文字の使用に刺激され考案されたものと思われる。文字を発明した社会がほんのわずかしか存在しないという事実は、文字システムをゼロから編み出すことの難しさを示唆している。シュメール人は少なくとも数百年、おそらくは数千年をかけて文字システムを完成させている。そして文字の発達にはいくつかの社会的要素が不可欠であった。文字が使用されるようになるには、その社会にとって文字が有用でなければならない。文字の読み書きを専門とする人々(書記)を食べさせていけるだけの生産性のある社会でなければならない。

新しい技術のおかげで、より高速でより強力な、そしてより巨大な装置が可能になり、その使い道が見つかったとしても、社会がその技術を受け入れるという保証はない。1971年、合衆国連邦議会は超音速旅客機の開発予算を否決している。世界はいまだにキー配列を効率化したタイプライターを受け入れていない。イギリスでは電機が登場した後も長い間街路照明にガス灯が使われていた。

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日本迷走の原点 バブル 永野健二

日本は明治以来、資本主義と日本文化の間で、巧みにバランスを取り、修正する仕組みを作ってきた。資本主義には優勝劣敗の冷徹な論理が働く。封建社会を抜け出したばかりの日本にこの仕組みを埋め込んで競争力を高めていく一方で、いかに社会的な摩擦を減らしていくか。渋沢資本主義 「義理合一」と「論語とソロバン」。戦後の混乱期を経て、日本に新しい渋沢資本主義が誕生する。その主役は、興銀、大蔵省、新日鐵だった。

三光汽船 ジャパンライン買占め事件
三光汽船 河本敏夫(後の通産大臣)
ジャパンライン 土屋研一

外航海運の船腹量の90%が6つの企業グループ(日本郵船、大阪商船三井船舶、ジャパンライン、川崎汽船、山下新日本汽船、昭和海運)に再編、集約体制に参加した企業だけ計画造船の割り当てや日本開発銀行融資の利子補給を認めるという、究極的なカルテル型産業政策だった。シナリオを描いたのは興銀である。

この海運集約体制に真向から刃向かったのが三光汽船、
日本船籍の船には日本人船員を載せることが全日本海員組合との交渉で義務付けられていた。三光汽船はパナマ・リベリア籍の便宜置籍船を作り外国人中心の運航体制。
時価発行増資と第三者割当、浮動株を抑えて増資を繰り返し、73年3月には新日鉄を超えた。株式市場や株価に一切関心を示さずに、興銀を中心とした長期借り入れで経営をまわしてきた新日鐵が三光汽船に逆転された。当時の三光汽船の浮動株比率3.7%。

ジャパンライン買占めの仲裁

興銀->中山素平->児玉誉士夫
そごう社長水島廣雄 興銀出身、学者でもある一方で、児玉という闇の世界の人脈にも通じていた。

滝井繁男 弁護士->最高裁判事、尾上縫事件で興銀の責任を追及、グレーゾーン金利廃止。


金融史から読み解く世界史 金本位制、金属主義2

石と金属の性質の違い。貨幣商品説から離れ始める金本位制。

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異教徒イルミナティの街ローマ、ベルニーニの追跡

ローマ行きを控えて。[amazonjs asin=”B00JGI56YC” locale=”JP” title=”天使と悪魔(上中下合本版) (角川文庫)”]の舞台としてのローマをうがった見方で見学してみたい。何しろ、[amazonjs asin=”4309205496″ locale=”JP” title=”神曲【完全版】”]ダンテによる歪んだヨーロッパ中心のキリスト教観に辟易として途中で読むのを止めたほどなので、ローマンカトリックの中心地で不埒なイルミナティ、ベルニーニがはびこっているとはなかなか滑稽ではないか。それを見たい。

時間が余ったらベルニーニのWikiでも眺めながら斜めにローマを眺めていこう。
ja.wikipedia.org/wiki/ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ

サンタ・マリア・デル・ポポロ教会、カペラキージ(礼拝堂) 建築を担当したのはラファエロ、内装美術品はすべてジャンロレンツォ・ベルニーニ(イルミナティ):

頭上にはドーム状の丸天井がきらめき、輝く星と7つの惑星が描かれている。その下には12宮の星座ー天文学に起源をもつ素朴な異教のシンボルがある。壁の遥か下方へ視線を移すと、地上の式をかたどった装飾が見えた。礼拝堂の両端に見事な対称をなして高さ10フィートの大理石のピラミッドがひとつずつ置かれている。床からふたりを見上げてあざ笑っていたのは骸骨の図案だったー大理石のモザイクで精巧に描かれた飛ぶ死神だ。ベルニーニ「ハバククと天使」

サンピエトロ広場 ベルニーニ:

広場に埋め込まれた大理石のブロック、オベリスクの根本、楕円形のブロックに渦巻く風邪の図柄が彫られている。直径が約3フィートの楕円形で、西風の神ゼピュロスが彫刻されている。

サンピエトロ大聖堂 ミケランジェロ:黄金の櫃、聖ペテロの骨。よくある勘違いです。あれは聖骨箱ではありません、中に入っているのはパリウムー新しく選ばれた枢機卿に教皇が授ける帯状の織物です。本当の墓はここより二層下がった地下にあります。

サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会コルナロ礼拝堂、ベルニーニの著名な彫刻「聖女テレサの法悦」:

公開後いくらもたたないうちにヴァチカンから別の血へ移されたという。性的表現がヴァチカンにはあからさますぎるとしてこれを拒絶した。そしてローマの果てのあまり知られていない礼拝堂に追いやった。ラングどんの目を引いたのは、「そこへ移されたのは作者の提案による」という。

ナヴォーナ広場「四大河の噴水」:

中央、サンタニェーゼ・イン・アゴーネ教会の正面に、ベルニーニは代表作の一つとなる彫刻を制作した。ナイル川、ガンジス川、ドナウ川、ラプラタ川を賛美するものだ。

ベルニーニの噴水、オベスリク、異教的な噴水の中に紛れ込ませようとして、ベルニーニはあえて異教における天使の象徴を選んだのだ。シロハトがその天使だ。ローマの全景が眼前に広がっている。すばらしい眺望だ。左手にサンピエトロ広場、右手にサンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア教会、正面にはかなたにポポロ広場。真下にあるのは4つのオベリスクで形作られた巨大な十字

サンタンジェロ城がヴァチカンによって、霊廟や要塞、教皇に避難場所、教会に仇なす者の牢獄として使われ、いまは博物館になっていることをラングドンは知っていた。どうやらほかにも利用者がいたらしい。イルミナティだ。薄気味悪いものの、なぜか納得がいく。この城はヴァチカンの所有だが使われたことは少ない。また、ベルニーニが何年もかけておびただしい数の修繕を行っている。頂上の天使も周囲の五芒星形の敷地もベルニーニがてがけたとみてまず間違いない

マタイ伝16章18節「我この岩の上にわが教会を建てん」


プラトン「国家」~13/13 ハイデガーの存在と時間

家具について、<実相>(イデア)はということになると二つあるだけだろう-寝椅子のそれが一つと、机のそれが一つ。今二つの家具のそれぞれを作る職人が、その<実相>(イデア)に目を向けて、それを見つめながら一方は寝椅子を作り、他方は机を作るのであってそれらの製品を我々が使うのである。

それぞれの種類の手仕事職人が作る限りのものをすべて何でも作るような職人のことだ。すべての家具だけでなく、大地から生じる植物のすべてを、動物のすべてを、自分自身、大地、天空、神々とすべての天体と地下の冥界にある一切のものを作る。むずかしい仕方ではないよ。鏡を手に取ってあらゆる方向にぐるりと回してみる気になりさえすればよい。

そう見える所の(写像)を、しかし本当にあるのではないものを。

では寝椅子づくりの職人の場合はどうだろう。ついさっき君は、こう言っていたのではなかったかね?彼は<実相>を-これをわれわれはまさに寝椅子であるところのものと言うわけだが、その実相を-作るのではなくて、ある特定の寝椅子を作るのである、と。

後のハイデガー存在と時間より、本質存在と事実存在 「デアル」と「ガアル」である

では手綱や馬術がどのようなものでなければならぬかを、画家は知っているだろうか?それとも実は制作者である鍛冶屋や革職人でさえ知らないのであって、そのことの知識を持っているのはそれらを使うすべを心得ている人、すなわち馬に乗る人だけではないだろうか?それぞれのものについて、今挙げたような3つの技術があるのではないかね-すなわち、使うための技術、作るための技術、真似るための技術。

こうしていまやわれわれは正当な理由をもって作家(詩人)をとらえ、彼を画家の片割れと規定することができるだろう。なぜなら真理と比べれば低劣なものを作り出すという点でも画家に似ているし、また魂の同じく低劣な部分と関係を持ち、最善の部分とは関係を持たないという点においても、彼は画家とそっくりだからだ

ホメロスを断罪するなれば、ルネサンスの始祖「ダンテ」も相当に罪深い。それに続いた美術・芸術など、ヨーロッパ中心のキリスト教観という虚構を現代に引き継いで作り出した。
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滅ぼしたり損なったりするものはすべて悪いものであり、保全し益する者は善いものだということだ。

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後の市場原理、メンデルの優勢の法則である。


プラトン「国家」~12/13 独裁の発生源は民主制

民主制のもとでは、他のどの国よりも最も多種多様な人間たちが生まれてくることだろう。様々な国制の中でも一番美しい国制かもしれないね。この国制を最も美しい国制であると判定する人々も、さぞ多いことだろう。この国は、その放任性のゆえに、あらゆる種類の国制を内に持っている。たとえ君に支配する能力が十分にあっても、支配者とならなければならない何らの矯正もなく、さりとてまた君が望まないならば、支配を受けなければならないという強制もない。

とくにずば抜けた素質を持つものでもない限り、早く子供の時から立派で美しいことの中で遊び、すべて立派で美しい仕事で励むのでなければ、けっして優れた人物とは、なれないだろう。すべてこうした配慮をこの国制はなんとまあ高邁(こうまい)なおおらかさで、足下に踏みにじってくれる。国事に乗り出して政治活動をする者が、どのような仕事と行き方をしていた人であろうと、そんなことはいっこうに気にも留められず、ただ大衆に好意を持っていると言いさえすれば、それだけで尊敬されるお国柄なのだ。

若い時から訓練すれば取り除くことのできるような欲望、何一つ為になることがなく、場合によっては害をなすことさえあるような欲望、これらすべての欲望を<不必要な欲望>であるという。われわれが雄蜂と呼んでいた人間とは、そのような快楽と欲望に満たされていて<不必要な欲望>に支配されている人間のことを言っていたわけだね?他方、<必要な欲望>に支配されている人が、けちで寡頭制的な人間に他ならないわけだね?

雄蜂は名もなき民、寡頭制的な人間とは、必要なもの=エネルギーを供給したロックフェラーである。

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寡頭制から民主制が生じてくる過程と民主制から僭主独裁制が生じてくる過程とはある意味で同じ仕方によると言えないだろうか?たぶん、民主制のもとにある国で、こんなふうに言われているのを聞くことだろう-この自由こそは、民主制国家が持っている最も良きものであって、まさにそれゆえに、生まれついての自由な人間が住むに値するのはただのこの国だけである。そのようなことへのあくなき欲求と、他のすべてへの無関心が、ここでもこの国制を変化させ、先制独裁制の必要を準備する。民主制の国家が自由を渇望した挙句、たまたまたちのよくない酌人たちを指導者に得て、そのために必要以上に混じりけのない強い自由の酒に酔わされるとき、国の支配の任にある人々はあまりおとなしくなくて、自由をふんだんに提供してくれないような場合、国民は彼ら支配者をけしからぬ連中だ、寡頭制的な奴だと非難して迫害するだろう。

このような国家においては必然的に自由の風潮は隅々にまでいきわたって、その極限に至らざるを得ない。このような状態の中では、先生は生徒を恐れてご機嫌を取り、生徒は先生を軽蔑し、個人的な養育掛りの者に対しても同様の態度をとる。一般に、若者たちは年長者と対等に振る舞って、言葉においても行為においても年長者と張り合い、他方、年長者たちは若者たちに自分を合わせて、面白くない人間だとか権威主義者だとか思われないために、若者たちを真似て機知や冗談でいっぱいの人間となる。買われてきた奴隷たちが、男でも女でも、買った方の主人に少しも劣らず自由であるという状態のうちに達成されるだろう。

僭主独裁制が成立するのは民主制以外のほかのどのような国制からでもないということだ。すなわち、思うに、最高度の自由からは、最も野蛮な最高度の隷属が生まれてくるのだ。民主制の国家を3つの構成集団に分けてみることにしよう。雄蜂族、尊敬されず、支配の役職から遠ざけられているから、鍛えられていないし、勢力も強くはならない。けれども民主制のもとでは、国の先頭に立つ指導者層は、少数の例外を除けばまさにこの種族であると言って良いのだ。

安倍さん?麻生さん?ブッシュJr?

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もう一つの階層が、つねに大衆から区別される。すべての者が金を儲けることにつとめるとしたら、生まれつき最もきちんとした性格の人々が最も金持ちになるだろう。雄蜂どもにとってそこは最も沢山の蜜があって、蜜を取るための最もふんだんな供給源となるわけだ。しかしこの階層の者は、蜜の分け前にあずかるのでなければ、あまりたびたび集まろうとはしないものですよ。だから現にいつも分け前にあずかっているのだ。先頭に立つ指導者たちが、もてる人たちから財産を取り上げて民衆に分配しながらも、なお大部分を自分で着服できるその範囲内でね。

最後に民衆が無知ゆえに中傷家たちにだまされて彼らに危害を加えようとするのを見ると、本当に寡頭制的な人間になってしまうのだ。民衆の習わしとして、いつも誰か一人の人間を特別に自分たちの先頭に押し立てて、その人間を養い育てて大きく成長させるのではないかね。すなわち、僭主が生まれる時はいつもそういう民衆指導者を根として芽生えてくるのであって、他の所からではないのだ。民衆の指導者となったものが何でもよく言うことを聞く群衆をしっかりと掌握したうえで、同胞の血を流すことを差し控えることなく、よくやる手口で不正な罪を着せては法廷に引き出して殺し、こうして一人の人間の生命を消し去り、その穢れた口と舌で同族の血を味わい、さらに人を追放したり死刑にしたりしながら、負債の切り捨てや土地の再分配のことをほのめかすとするならば、このような人間はその次には敵対者たちによって殺されるか、それとも僭主となって人間から狼に変身するか、このどちらの途を選ばなければならない運命にあるのではないだろうか?

僭主となった当初、誰にでも微笑みかけて、負債から自由にしてやり、周囲の者たちに土地を分配してやるなどして、情深く穏やかな人間であるという様子を見せるのではないかね。いったん外なる敵たちとの関係において、あるものとは和解し、あるものは滅ぼしてその方への気遣いから解放されてしまうと、まず第一に彼のすることはたえず何らかの戦争を引き起こすということなのだ。民衆を指導者を必要とする状態に置くためにね。


プラトン「国家」~11/13寡頭制から民主制へ

言論の修練にあずかる期間としては、持続的かつ集中的にそれに専念して他のことは一切行わず、修練するとするならば5年間。その期間が終わった後で、戦争に関する事柄の統率などの若いものに適した役職を義務として課さなければならないことになるからだ。そうした実際の業務の中でさらにもう一度、あらゆる方向への誘惑に対して確固として自己の分を守り続けるか、それとも動揺して脇へそれることがあるだろうかということを、試さなければならない。15年間。そして50歳になったらば、あらゆる点で最も優秀であった者たちを最後の目標へ導いていかなければならない。魂の眼光を上方に向け、すべてのものに光を与えているかのものを、直接しっかり注視させるということだ。そして彼らがそのようにして善そのものを見て取ったならば、その善を模型(模範)として用いながら、各人が順番に国家と個々人と自分自身とを秩序付ける仕事のうちに、残りの生涯を課すように強制しなければならない。彼らは大部分の期間は哲学することに過ごしながら、しかし順番が来たならば各人が交代に国の政治の仕事に苦労をささげ、国家のために支配の人につかなければならないのだ。

自分に代わる国家の守護者を後に残したならば、彼らは<幸福者の島>へと去ってそこに住まうことになる。国家は彼らのために、公の行事として、記念碑を立て犠牲をささげる儀式を行うことになろう。ピュティア(デルポイ)の神託がよしとされるなら神霊(ダイモーン)として祀り、そうでなければ、祝福された(エウダイモーン)神的な人々として讃えながら。

後の国家元首の「任期」である。

彼らのうちで哲学においても戦争に臨んでも最も優れている人々が王となること。支配者たちはその任に着くと、兵士たちを我々が先に述べたような住居へ連れて行って住まわせるのであるが、そこには誰にも何一つ私有されるものは無く、それはみなの者に共同の住居であるということ。彼らは誰も、こんにち一般の人々が所有しているようなものを何一つ所有してはならず、いわば戦争の専門競技者であり国の守り手であるから、他の人々から守護の任務に対する報酬として、仕事に必要なだけの糧を1年分受け取り、自分自身と他の国民の面倒を見ることに専念しなければならない。

4種類の国制、僕が言おうとしている国制は一般に通用している名称を持ったものばかりだからね。すなわち、まず、多くの人々から賞賛されているところの、かのクレタおよびスパルタふうの国制(名誉支配制ティーモクラティアー)がある。それから、二番目の国制で第二番目に賞賛されているもの寡頭制(オリガルキアー、財産の評価を基準とする有産階級による支配制))と呼ばれている国制があり、これは実は多くの悪をはらんでいる国制だ。それから、その敵対者であり、それに続いて生じてくる民主制。そしてこれらすべての国制にたちまさる高貴な僭主独裁制。これが第4番目にあって、国家の病として最たるものだ。世襲王権性だとか金で買われる王制だとか、またこれに類するさまざまの国制だとか言ったものは、いま挙げたものの中間的なところに位置づけられるものだろう。

あなたの言われる寡頭制とはどのような制度のことでしょうか?

財産の評価に基づく国制だ、つまり、金持ちが支配し、貧乏人は支配にあずかることのできない国制のことだ。各人が持っている、。彼ら自身もその妻たちも、法に従わずにね。

デュポン家のGM売却と譲渡益課税非課税。あるいはマイクロソフトの初の配当とブッシュ減税などがこれに当たる。

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寡頭制から民主制への変化は、およそ次のような仕方で起こるのではないだろうか。寡頭制国家の支配者たちがその任にあるのは、多くの富を所有しているおかげなのであるから、彼らは若者たちのうちに放埒な人間が出てきても、これを法によって取り締まって、自分の財産を浪費して失うことができないように禁止することを欲しない。というのは、この支配者たちには、そういう者たちの財産を買い取ったり、それを担保に金を貸したりすることによってもっと富を増やし、もっと尊重されるようになろうという気があるからだ。

金を儲けている者たちは、身をかがめて仕事に熱中し、そうした貧乏人たちのことは目にも入らぬふりをして、その他の人々のうちに言うことを聞くものがあれば、そのつど金銭の毒針を差し込んで傷つけ、そして親金の何倍もの利息を取り立てては、雄蜂と乞食を国のなかにますます生み増やしていくのだ。支配者たちは支配される者たちを、国の中にいま言ったような状態に置いているのだ。

痩せて日焼けした貧乏人が、戦闘に際して、日陰で育ち贅肉をたくさんつけた金持ちの側に配置された時、貧乏人は金持ちがすっかり息切れして、なすすべもなく困り果てているのを目にするだろう。-このような場合、彼は、そんな連中が金持ちで居るのは自分たち貧乏人が臆病だからだ、というように考えるとは思わないかね? そして自分たちだけで集まるときに「あの連中は我々の思いのままになるぞ。何の力もないのだから」ということを、お互いに口から口へと伝え広めていくとは思わないかね?

貧しい人々が戦いに勝って相手側の人々のうちのあるものは殺し、あるものは追放し、そして残りの人々を平等に国制と支配に参与させるようになった時、民主制というものが生まれるのだ。そして大ていの場合、その国における役職はくじで決められることになる。

2200年後のフランス革命である。


プラトン「国家」~10/13排他的な哲学者、学問の最高位

最も重要な学問について、

1位:数と計算
2位:幾何 (数は幾何よりも抽象概念だから上位、指で示した1は、何指で示そうが、1は1という抽象性を持っている)

3番目の学科としては天文学をそれと定めることにしようか? 平面の次に、もうすでに円運動のうちにある立体を取り上げたからだ。立体をそれだけで取りあげる前にね。しかし順序としては2次元の次には3次元を取り上げるのが正しい。そしてこれは、立方体の次元や一般に深さを分け持つものについて考えられるものであるはずだ。

しかしそうした事柄はソクラテス、まだ完全に発見されたと言えないように思えますが。

次には深さを持った次元の研究が来るのが順序なのに、その探求の仕方の現状がおかしなものなので、それを飛び越してしまって、幾何の次に天文学を上げたのだ。これは深さを持ったものの運動にかかわるものなのにね。

当時、天文学に必要な数学以上に天文学が進んでいたようだが、2300年後の理論物理学とゲージ理論の時間差である。

どうも君は、上方の事柄について学ぶということがどういうことかをしごくおおらかな解釈で自分の心の中に受け取っているようだね。きっと君は誰かが上を仰ぎながら天井に多彩の模様を眺めて、何かを学び知るような場合でも、その人は目によってではなく、知性によって観ているのだと考えるのだろうからね。僕としては目に見えない実在にかかわるような学問でない限り、魂の視線を上に向けさせる学科としては他に何も認めることはできない。

天文学は空を見上げているだけのバカだと嫌味を言っている。

天空にあるあの多彩な模様(星)は、それが目に見える領域にちりばめられた飾りであるからには、このような目に見えるもののうちでは確かに最も美しく、最も正確ではあるけれども、しかし真実のそれと比べるならば、はるかに及ばないものと考えなければならないということだ。真実のそれとはすなわち、真に実在する速さと遅さが、真実の数とすべての真実の形のうちに相互の関係において運行し、その運行のうちに内在するものを運ぶところの、その運動のことであって、これらこそはただ理性(ロゴス)と思考によってとらえられるだけであり、視覚によってはとらえられないものなのだ。

ちょうど幾何学を研究する場合と同じようにして、<問題>を用いることによって天文学を追求し、天空に見えるものにかかずらうのは止めることになるだろう-もしわれわれが本当の意味で天文学研究に参与することによって、魂の内に本来備わっている知の機能を無用の状態から救って役に立つものにしようとするのならば」

これが実現するのは1900年後、コペルニクスの天文学まで待たなければならない。従来、実験実証によって証明してきた理論物理学は発展しすぎて、宇宙の始まりまで論じていることから、プラトンの言う、視覚によってとらえられないただのロゴスと思考によってとらえられるだけの領域に到達している

18歳当時の私もプラトンのような考えで、数学と理論物理学こそが学問であり、「目に見えない実在にかかわるような学問でない限り、魂の視線を上に向けさせる学科としては他に何も認めることはできない。」というのに激しく同意していたw まぁ、俺も若かった。許してくれや。

数学の中では数論、これが数学の中の哲学、役立たず君。数論のために代数学をはじめとする数学だけではなく、解析や幾何などあらゆる分野を総動員するが、数論によるほかの数学分野の貢献は難しい。そして数学の中でも、統計や金融工学は、言わずもがな、プラトンのいう所の天文学扱いだw ましてや他の学問は言語道断。経済学や心理学など二流の学問として嘲笑の対象であった。そして私が不思議だったのは医療や法律などという「もはや学問ですらない実学」に優秀な学生たちが向かっていることだった。私の友人で法学部なのに、選択科目で取ってる数学に対する質問が、本質的で鋭かったので、「なんで法学部なんかに行ったの?」と思わず聞いてしまったほどだ。いわゆる数学科のエリートコースである灘・数学オリンピック組が、医学部や法学部に流れるというのは、もはや怪奇現象w 現在では合格者最高点が公表されているので、世間の認識では全学部最高得点者が、最難関の医学部以外の法学部や理学部に流れているように見えている。今は大人になったので、その優秀な学生たちが、医学部や法学部に進むのは大いに結構だが、彼等には早くダブルメジャー・トリプルメジャーを認める方向で変わってほしいとは思う。

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しかし、心理学や法学をバカにしていたことよりも、コンピュータをバカにしていたことが、もはやトラウマ的後悔(数学を専攻したことは後悔してない)となっている。「子どもがYoutubeばかり見ていて困ったもんだ」と嘆く親御さんに対しても、「しかしYoutubeを否定されるのはいかがなものかと。世界最高峰の機械学習のテクノロジーを使ったあなたへのお薦めはあなどれません! アマゾンは世界中のあらゆる本を読んだことがある先生。教科書を読んだり学校で学ぶのは過去の学問、将来の産業は大人たちがバカにしている遊びから生まれる。」とまで言ってしまうほどのトラウマだw

しかし言い訳なんだが25年前の「情報処理」の授業つまんなかったねぇ…。相対論の授業も、お世辞にも面白いものではなかったので、私が個人的に背景を知っていたから面白く解釈できただけか。25年前の情報処理の授業では、機械学習だ、ビットコインで使用される楕円関数とは…みたいのは無理だろうが、俺なら少なくともプログラミングは無しで、フォン・ノイマン型コンピューターとは何か? チューリング・テスト、インターネットの成り立ちくらいで設計したがなぁ…。情報処理の授業でそういうこと言ってた? 俺が聞く耳持たなかっただけ??

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算数や幾何をはじめとして、哲学的問答法を学ぶために必ず前もって履修されなければならないところの、すべての予備教育に属する事柄は、彼らの少年時代にこれを課すようにしなければならない。ただし、それらを教えるにあたっては、けっして学習を強制するようなやり方をしてはいけないけれども。自由な人間たるべき者は、およそいかなる学科を学ぶにあたっても、奴隷状態に置いて学ぶというようなことは、あってはならないからだ。事実、これが身体の苦労ならたとえ無理に強いられた苦労であっても、なんら身体に悪い影響を与えるようなことはないけれども、しかし魂の場合は、無理に強いられた学習というものは、何一つ魂の中に残りはしないからね。

後に各国憲法上で採用された「学問の自由」である。


プラトン「国家」~9/13 マキャベリ以前の君主論

哲学者たちが国々において王となって統治するのでない限り、あるいは現在王と呼ばれ、権力者と呼ばれている人たちが真実にかつ十分に哲学するのでない限り、すなわち、政治的権力と哲学的精神とが一体化されて、多くの人々の素質が、現在のようにこの2つのどちらかの方向に別々に進むのを強制的に禁止されるのでない限り、国々にとって不幸の止むときは無いし、人類にとっても同様だ。

最も優秀なるものを哲学者と呼ぶか、それを導き出すスキームである憲法であるかが違うだけで、2300年後のヒトラー、最良の憲法と国家形式は、民族共同体の最良の頭脳を持った人物を、最も自然に確実に、指導的重要性と指導的影響力をもった地位につけるものである。 我が闘争より

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<知識>のほうは<あるもの>を対象としてそれにかかわる-すなわち、<あるもの>がどのようにあるかを知るのが、<知識>の本性だろうね。他方、<思わく>のはたらきは、われわれの主張では、思わくすることなのだね? はたしてその対象は<知識>が知るところのものと同じだろうか?つまり、<知られるもの>と<思わくされるもの>とは同じものであろうか? それともそういうことは不可能であろうか?

同一であることは、ありえないことになります。

では<あるもの>が<知られるもの>だとすれば<思わくされるもの>は、<あるもの>とは別の何かだということになるだろうね? かといって<あらぬもの>を思わくするということになるだろうか?それともありもしないようなものは、それを思わくすることすら不可能だろうか? 思わくする人は、その<思わく>を何かに差し向けるのではないかね?それとも、思わくはしているが何も思わくしていないというようなことが可能なのだろうか?すると<思わく>は、この両者の外にあるものだろうか?明確さにおいて<知>を超えるものであったり、あるいは不明さの点で<無知を超えるものであったりするだろうか? 思わくは知と比べれば暗く、無知と比べれば明るいもの、両方の極のうちに位置づけられるのだね。思わくは両者の中間的なものだということになるだろう。もし「同時にありかつあらぬ」と言ってもよいようなものが何かあるとわかれば、そのようなものは、純粋に<あるもの>と完全に<あらぬもの>との中間に位置づけられる。<知識>と<無知>とのやはり中間に現れるようなものだろうと。われわれに残されている仕事は、あるとあらぬの両方を分け持つ者、純粋にどちらとも正しくは呼べないようなものを、発見することだろう。

600年後のナーガールジュナの中観、「空」である。

ある人の欲望が、ものを学ぶことや、すべてそれに類する事柄へ向かってもっぱら流れている場合には、思うに、その人の欲望は、魂が純粋にそれ自身だけで楽しむような快楽にかかわることになり、肉体的な快楽については、その流れが枯れることになるだろう。ひいては、そのような人は節度ある人間であって、けっして金銭を愛し求める人間ではないだろう。なぜなら余人はいざ知らずそのような人だけは、人々が熱心にお金を求め散在することによって獲得しようと願うさまざまのものに対して、まったく関心がないはずだから」

100年前に遠い地にてシッタールタが、悟りを開くものは金銭に触れるな、んー、シッタールタと言ってることは、ここだけではなく沢山ある。まあ、いいか。

哲学を志して、若い時に教養の仕上げのつもりでそれに触れた上で足を洗うということをせずに、必要以上に長い間哲学に時を過ごした人たちは、その大多数が、よしまったくの碌でなしとまでは言わぬとしても、正常な人間からほど遠いものになってしまう。最も優秀だと思われていた人たちでさえも、あなたが賞揚するこの仕事のおかげで、国家社会に役立たない人間となってしまうことだけは確かなのだ。

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ここが「ソクラテスの弁明」で言及されていたソクラテスの罪。若者たちを堕落させたもの。それは「哲学」という不毛の学問であったことが、この部分で分かる。しかし、当時から哲学は役立たずと言われていたのか。高校から大学に行くにつれ、化学が物理に、物理が数学に、数学は哲学へなんていうものだから、不完全性定理のことも頭の片隅におきながら哲学も少しかじってみたが、「不毛な屁理屈」としか思えなかった。そんな私も学問の最高峰である数学と理論物理学が、今となっては、”必要以上に長い間費やしてはいけない学問”になってしまったのではないだろうかと思っている。大統一理論もリーマン予想も、世界中で10人くらいの人しか証明の正しさを理解できないだろうし、最高峰故に陥ってしまった数学の哲学化か。

教育と無教育ということに関連してわれわれ人間の本性を、次のような状態に似ているものと考えてくれた前。地下にある洞窟状の住まいの中にいる人間たちを思い描いてもらおう。光明のある方に向かって長い奥行きを持った入口が洞窟の幅いっぱいに開いている。人間たちはこの住まいの中で子供の時からずっと手足も首もしばられたままでいるので、そこから動くこともできないし、また前の方ばかり見ていることになって、縛めのために頭を後ろへめぐらすことはできない。人たちは洞窟の一部に火の光で投影される影しか見ることができない。

彼の一人が、あるとき縛めを解かれたとしよう。そして急に立ち上がって首をめぐらすようにと、また歩いて火の光の方を仰ぎ見るようにと、強制されるとしよう。そういったことをするのは、彼にとって、どれもこれも苦痛であろうし、以前には影だけを見ていたものの実物を見ようとしても目がくらんでよく見定めることができないだろう。そのとき、ある人が彼に向かって「お前が以前に見ていたのは、愚にもつかぬものだった。しかしいまは、お前は以前よりも実物に近づいて、もっと実在性があるものの方へ向かっているのだから、前よりも正しく、物を見ているのだ」と説明するとしたら、彼は一体何と言うと思うかね?彼は困惑して、以前見ていたもの「影」のほうが、今指し示されているものよりも真実性があると、そう考えるだろうとは思わないかね?

真実を観たがらないのは古今東西変わらない人間の性質か。影ばかり見ていると実体より影が真実性を帯びてくると。日経新聞は補完的に読むしかないな。日経新聞を中心に世の中見てたら影が実体になってしまうよw

その国において支配者となるべき人たちが、支配権力を積極的に求めることの最も少ない人間であるような国家、そういう国家こそが最もよく内部的な構想の最も少ない状態で、治まるのであり、これと反対の人間を支配者として持った国家はその反対であるというのが動かぬ必然なのだ。

真の意味の富者とはすなわち、黄金に富むものの事ではなくて、幸福な人間が持たねばならぬ富-思慮あるすぐれた生-を豊かに所有する者のことだ。これに反して、自分自身の良きものを欠いている飢えて貧しい人々が、よきものを公の場からひったくってこなければならぬという下心のもとに公共の仕事に赴くならば、善い政治の行われる国家は実現不可能となる。そうすると、国を守る役に、どのような人々がいるだろうか?それはただ国がそれによって最もよく治まるような事柄について、最も多くの知恵を持つ人々、しかも政治的生活にまさる善き生活と他の名誉とをもっているような人々だけではあるまいか。

これ、まだ見ぬ将来、しかし近い将来到来するであろう「発行者なき暗号通貨」の時代?


プラトン「国家」~8/13 マルクスと選民思想

これらの女たちのすべては、これらの男たちすべての共有であり、誰か一人の女が一人の男と私的に同棲することは、いかなる者もこれをしてはならないこと。さらに子供たちもまた共有されるべきであり、親が自分の子を知ることも、子が親を知ることも許されない。妻女も子供も共有であることが、もし可能でさえあれば最大の善であることを否定するような異論は起こらないであろう。

支配者たちがその名に値するものであるべきならば、そしてその補助者たちも同様とすれば、後者は命じられた事柄を進んで実行し、前者は、あるいは自ら法に従いながら、あるいは我々が彼らに一任した事柄については法の精神にのっとりながら命令を下すことだろう。それでは立法者としての君は、男たちを選び出したのと同じようにして、できるだけこれと同じ素質の女たちを選び出して、彼等に引き渡すだろう。そしてこれらの男女は家も食事も共同で、私的には誰もその種のものを所有していないのだから、みなが同じところで一緒に暮らすことになり、思うに、あの自然から与えられた必然性に導かれて、やがて互いに結ばれるにいたるだろう。

どうすれば最もためになる結婚となるだろうか? 僕は君の家に猟犬や血統の良い鳥がたくさんいるのを見ているからだが、そうした動物たちの結婚と子供作りのことに、何か注意してみたことがあるかね? その動物たちはみな血統の良いものばかりだと言っても、そのなかでも特に優秀なのがいくらかいて、それとわかってくるのではないかね。では君は全部に同じように子を産ませるかね、それともできるだけ最も優秀なのから子を作るように心がけるかね。

最も優れた男たちは、最も優れた女たちと、できるだけしばしば交わらなければならないし、最も劣った男たちと最も劣った女たちはその逆でなければならない。また一方から生まれた子供たちは育て、他方の子供たちは育ててはならない。

2100年後から始まるダーレーアラビアン・バイアリーターク・ゴドルフィンアラビアンのサラブレッドである。馬だけではなく、動植物には適用されている。小さな範囲で人間に対して試みた例はあるが、現在、成功した事例はない。これ、現在否定されている考えなのかなー? 

というのは多様性の強さ。大学や企業のリクルーティングにおいて、多様性を重視する傾向にある。一次元的な優劣による判断は難しいという結論なのだろうか。

シンガポールの政府主催合コンは
「男たちを選び出したのと同じようにして、できるだけこれと同じ素質の女たちを選び出して、彼等に引き渡すだろう。」
と同じことをやってる?

楽しみと苦しみが共にされて、できる限りすべての国民が損失に関して同じことを等しく喜び、同じことを等しく悲しむような場合、この苦楽の共有は国を結合させるのではないかね? これに反して、そのような苦楽が個人的なものになって、国ないしは国民に起っている同じ状態に対して、ある人々はそれを非常に悲しみ、ある人々はそれを非常に喜ぶような場合、この苦楽の私有化は、国を分裂させるのではないかね? それは国の中で、「私のもの」とか「私のでないもの」とかいった言葉が、同じ時に一緒に口にされないような場合ではなかろうか。

この人たちは家も土地もどんな持ち物も、いっさい自分だけのものとして私有してはならない。国を守る仕事の報酬としてのほかの人々から暮らしの糧を受け取って、みなで共通に消費しなければならない。もし彼らが真の意味での守護者であろうとするならば。

後のマルクスである。より明確に所有を否定している。


プラトン「国家」~7/13 国家の上位概念、ユーロ誕生

われわれが設立したような国家のほかに、国家と呼ぶに値するものが何かあると思っているとはね。

おや、では何と呼ぶべきなのですか?

他の国々のためには、もっと大きな呼び名が必要だ。なぜなら、そのひとつひとつがそれ自身、たくさんの国々なのであって、けっして一つの国家ではないのだから。いかなる場合でも二つの互いに敵対する国が、そこにある。すなわち、貧乏な人々の国と金持ちの人々の国とがそれであり、さらにそのそれぞれのうちに、きわめてたくさんの国が含まれているのだ。もし君がそれらを全体として単一の国家のつもりで相手にするなら、たくさんの国々を相手にするつもりで、一方の側の人々の財貨と権力、あるいは身柄そのものを、他方の人々に与えるというやり方を取れば、君はつねにたくさんの味方と少数の敵をもつことになるだろう。

200年後の秦帝国、始皇帝と朝廷である。400年後のローマ帝国とジュリアス・シーザー。2400年後のEUである

国家の全体も自然に一つの国となって、けっして多くの国に分裂することのないようにしなければならないのだ。あれやこれやと大変なことをたくさん彼らに命じているわけではなく、たった一つの大きなことを、大きさというより十分なことを守りさえすれば。

教育と養育のことだ。事実もし彼らがよく教育されて適正を知る人間となるならば、これらすべてのことや、さらには妻女の所有とか、結婚や子供を作ることといったような、我々がさしあたって省略して語らずにいる問題をも、容易に理解するだろう-これらすべては諺に言われるように、できるだけ「友のものは皆のもの」としなければならないとね。

後のマルクスである。所有と家族は社会的に何の合理性もない、というようなことはこの後も繰り返し出てくるので、都度、抜き出していく。

市場や都市や港に関する諸規定、あるいはその他これに類するいっさいのことなど-こういったことについて、我々はあえて何らかの立法を行うべきだろうか?立派で優れた人たちに、いちいち指図するには及ばないでしょう。そうしたことのうち、規定される必要のあるかぎりの法律の内容は、そのほとんどを彼らはきっと容易に自分で見出すでしょうからね。

後の資本主義、市場原理と自由競争である。

不節制な病人たちの生涯の過ごし方たるや、まことにご愛嬌ものだ。なぜって治療を受けながら何一つ効果を上げるわけでもなく、ただますます病気を複雑に大きくしていくだけで、それでいていつも、誰かある薬をすすめてくれる人があると、その薬で健康になれるだろうと期待し続けているのだからね。

後の米国、国民皆保険制度を認めない世論である。

単純にして適正な欲望、知性と正しい思惑に助けられ、思惟によって導かれる欲望はと言えば、君はそれを少数の、最も優れた素質と最も優れた教育を与えられた人々の中にしか、見出さないだろう。多数のつまらぬ人がいだく欲望が、それよりも数の少ない、より優れた人々の欲望と思慮の制御のもとに支配されているのを、君は目にするのではないかね。

プロレタリアートとブルジョワジー、消費する民と投資する資本家である。

各人は国におけるさまざまの仕事のうちで、その人の生まれつきが本来それに最も適しているような仕事を、一人が一人ずつ行わなければならないということ。そして、自分の事だけをして余計なことに手出しをしないことが正義なのだ。

後のホッブス、個人主義である。

女子も男子も同じ目的のために使おうとするなら、女たちにも同じことを教えなければならないわけだ。女子にも二つの術、音楽・文芸と体育、を課するほか、戦争に関する事柄も習わせ、そして男子と同じように扱わなければならないことになる。

2300年後の婦人参政権である。プラトン自身も他の箇所では「女は劣っている」とか書いていたので、すぐに理解されなかったのは無理もない。

あらゆることにおいて女性は男性に、ずっとひけをとると言って差し支えないでしょう。たしかに、色々の仕事にかけて、女が男よりも優れている例は数多くあります。しかし全体として見れば、あなたの言われる通りでしょう。

ね?


プラトン「国家」~6/13 ムハンマド、後退は死

もし人がハデスの国(冥界)の存在を信じ、しかもそこにはいろいろと恐ろしいことがあると信じているとしたら、死を恐れない人間、戦いにおいては敗北や隷属よりも死を選ぶような人間になると思うかね?

いいえ、けっして。

するとどうやら、われわれはそうした物語についても、それを語ろうと試みる人たちを監督して、ハデスの国でのことをそう一概に悪く言わずにむしろ讃えるように要請しなければならないだろう。彼らが現在語っている事柄は、真実の事でもないし、やがて戦士となるべき人々にとって有益なことでもないのだから。

1000年後の「ムハンマドとジハードの戦士たち」である。

名のある立派な人物たちが悲しんだり嘆いたりするくだりも、我々は削除すべきだろうか。立派な人物というものは、自分の友である立派な人物にとって死ぬことが恐ろしいことだとは、けっして考えないだろうと我々は主張する。そのような立派な人物こそはとりわけ、よく生きるために自分自身だけで事足りる人であって、他の誰よりも格段に、自分以外のものを必要とすることが最も少ないのである

ベルセルク第7巻、グリフィス、「オレの采配で命を落とした仲間たちに何ら責任を感じていないよ。なぜならそれはあいつらが自分自身で選んだ戦いなのだろうから。このオレがそうである様にね。でももしあいつら死者たちのためにオレに何かしてやれることがあるとしたら、それは勝つこと。あいつらが命を懸けてまでしがみついたオレの夢を成し遂げるために勝ち続けることだ。俺の夢は仲間の屍の上に立つことでしか実現できない、しょせん血塗られた夢だ。そのことで後悔や後ろめたさはない。だが…何百何千の命を懸けながら自分だけは汚れずにいられるほど…それほど俺の欲しいものはたやすく手に入るものではないんだ。」

ベルセルク第6巻、グリフィス、「私にとって友とは、決して人の夢にすがったりしない…誰にも強いられることもなく、自分の生きる理由は自らが定め進んでいく者…そしてその夢を踏みにじる者があれば全身全霊をかけて立ち向かう…たとえそれがこの私自身であったとしても…私にとって友とは、そんな…対等の者だと思っています。」

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語り方の2つの種類といったのは、正しい吟唱のための語りはほとんど同じ調べを取り、単一の音調のうちになされることになるのではないかね。ではもう一人のほうの語り方は、まったく反対に、ありとあらゆる音調とリズムを必要とするのではないだろうか?なにしろこの語り方は、ありとあらゆる形の変化抑揚を持っているのだから。我々の国家にはこれらすべてのものを受け入れるべきだろうか。それとも混合されないどちらか一方だけにすべきだろうか?

優れた人物の真似を行う、混合されない様式を受け入れるべきです。

しかしね、アデイマントス、混合された様式だって確かに楽しいものだし、さらにずっと、子どもたちや、その養育係の者たちにとって、そして大多数の大衆にとって一番楽しいのは君が選んだのと反対の方の様式なのだよ

後のスティーブ・ジョブズ 神のプレゼンテーション、田中角栄、ヒトラー「歴史を変えるのは書かれた言葉ではなく、話された言葉による」、わが闘争より
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プラトン「国家」~5/13 戦争の必然と一神教

国家というものがなぜ生じてくるかと言えば、我々が一人一人では自給自足できず、多くのものに不足しているからなのだ。

必要のうち第一で最大の者は、生きて存在するための食糧の備え(供給)だ、第二は住居、第三は衣服類のそれだ。どのようにすれば国家はそれだけのものを供給するに足るだけのものとなるだろうか。農夫が1人、大工が1人、織物工が1人いることになるのではないかね?

農夫は一人で4人分の食糧を供給しー、それとも他の人々のことはかまわずに、食糧の1/4を1/4の時間で自分だけのために作り…

一人が一つの仕事だけする場合がうまく行くだろう。

国家そのものを、輸入品の必要が全くないような地域に建設するということは、ほとんど不可能である。そこで貿易商もまた、必要だということになる。知能的な事柄にかけては共同者としての値打ちがあまりないけれども、力仕事のためには十分なだけの体の強さを持っていうような人々、賃銭取りも国家の成員として補充されるべき人々であるようだ。

我々が最初に語っていたもの-家や衣服や履物-にしても、もはや必要最小限にとどめるべきではなく、絵画や刺繍を始めなければならないし、金や象牙や全てその類のものを手に入れなければならなくなる。国家をもっと大きくしなければならない。先の健康な国家ではもう十分ではなくなって、今やこの国はもはや必要のために国々の中に存在するのではないような様々なものを、数・量ともにいっぱい詰め込まなければならないからだ。領土にしても、先にはその時の住民たちを養うのに充分であったのが、いまではとても充分ではなくなって、小さすぎるものとなるだろう。戦争というものが悪い結果をもたらすか、善い結果をもたらすかについては、まだ言明を差し控えることにして、さしあたって我々としては、これだけのことを言うにとどめることにしよう。我々はさらに戦争の起源となるものを発見した。

戦争の技術よりも靴づくりの技術の方により多くの気を配らねばならぬということがあるだろうか?
いいえ、けっして。
そうすると、国の守護者の果たすべき仕事は何よりも重要である明けに、他の様々の仕事から最も完全に解放されていなければならないだろうし、最大限の技術と配慮を必要とするだろう。

後の「フランスとシャルル・ドゴール」であるw パリ陥落したにも関わらず、何にも早く核開発既得権。

何にもまして国防、守護者は最も優秀でなくてはならず、そのためには教育が必要。

次のことを簡単に見逃してよいものだろうか、行き当たりばったりの者どもがこしらえ上げた物語を子供たちが聞いて、成人したならば必ず持ってもらいたいと我々が思うような考えとは、多くの場合制反対の考えを彼らがその魂の中に取り入れるのを?

ヘシオドスとホメロスが我々に語った物語。クロノスがどのようにしてウゥラノスに復讐したか、クロノスがやったこと、息子から受けた仕打ちの話など、たとえ本当の事であったとしても、思慮の定まらぬ赤い人達に向けて、そう軽々しく語られるべきではないと思う。

キマシタ。「多神教批判の前哨戦」のギリシャ神話批判です。不道徳な神々、ウラヌス、クロノス、ゼウスの親殺し、子殺し、オイディプスと近親相姦など、スキャンダラスで奔放なギリシャ神話上の”神々”は神として適切か? 僕はギリシャ神話批判はしないがね、ダンテ「神曲」に対してはプラトンと同意見だ。ギリシャ神話と聖書とローマ史をごちゃごちゃにして、面白おかしく、「作りごとの物語」で仕立て、ヨーロッパ中心のキリスト教観という虚構を作り出した張本人だ
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いやしくも神であるからには、真に善きものであるはずであり、有害なものではないはずだ。何らかの悪の原因であるということもない。ホメロスであれ他の詩人であれ、

ゼウスの宮の床には2つのツボが置かれてある。その一つには善き運命が、もう一つのには悪い運命が満たされて、ゼウスが両方の運命を混ぜ合わせて与える人は-時には不幸に会い、ときに幸せに会う しかし混ぜ合わせずに一方だけをそのまま与えられる者は-つらく厳しい飢えに駆られて、尊い大地を追われさまよう またゼウスは我々に 善きものをも悪しきものをも施し与える

というようなことも容認してはならない。

神とは魔法使いのようなものであって、あるときにはいろいろと多くの形へと実際に変身して自分自身の姿を変え、またあるときにはわれわれ欺いて、自分についてただそのように見せかけることにより、そのときそのときで、故意にさまざまの違った姿で現れることができるものだと思うかね? それとも神は単一な性格のものであって、自分自身の姿から抜け出すというようなことは到底あり得ないと思うかね?

ちょっとすぐには答えられませんが

では、もし何かが自分自身の姿か抜け出すとすれば、自分が自分で変わるか、他のものによって変えられるか、このどちらかでならないのではないか? まず、他のものによって動かされ変容させられるということの方だが、これは、最も優れた状態にあるものには最も起りえない。また、最も勇気があり最も思慮ある魂ほど、外部からの影響によって乱されたり変容を受けたりすることが、最も少ないのではないかね? 生まれつきにせよ、技術によるものにせよ、あるいはその両方によるものにせよ、すべてすぐれた状態にあるものは、他のものによる変化を受け付けることが最も少ないということになる。神及び神に属するものは、あらゆる点で最も優れた状態にあるはずだ。この観点から考える限り、神がいろいろと多くの姿を取るということは、もっともありえないことになるだろう。

神は自分で自分を変化させたり変様させたりするのだろうか?その場合は神はより優れたもの、より美しい者へと自分を変えるのだろうか、それとも自分より劣ったもの、より醜いものへと変えるのだろうか?

自分より劣ったものへでなければなりません。神が美しさや優れてあることにおいて不完全なところがあるとは我々には決して言えないでしょうから。

そうだとすればアデイマントス、神々であれ、人間たちであれ、みずからすすんで自分をなんらかの点で劣ったものにしようとするものが誰かいると思うかね? 神が自分を変様させようと望むこともありえないことになる。

偽りというものは、神々からだけでなく人間たちからも憎まれるものだ。神にとって偽りは役に立つのだろうか? 創作のための偽りということは、神の内にはありえないわけだ。神的なものは、どのような観点から見ても偽りとは一切無縁であることになる。したがって神とは全き意味において、行為においても言葉においても単一にして真実なものであり、自ら実際に変身することもなければ、現においても夢においても、幻影によっても言葉によっても兆を送ることによっても-他のものを欺くということもないのだ。

われわれはホメロスを多くの点で賞賛するものではあるが、しかしゼウスが「偽りの」夢をアガメムノンに送る件は、賞賛しないであろう。

とこんな感じで、多神教から一神教へのソクラテス的論理が紹介されている。私は神学の専門ではないので、これだけで一神教の論理整合性を主張するにはおそらく不十分であろうが、その原型を認めることができる。また同時に上記文章中の

現においても夢においても、幻影によっても言葉によっても兆を送ることによっても-他のものを欺くということもない

後の宗教の基本、ユダヤ・キリスト・イスラームだけでなく仏教においても言われた「偶像崇拝の禁止」につながっていく。プラトンやソクラテスが、一神教や偶像崇拝の禁止を言ったのではない。だが、歴史的に後に出てきた概念につながる発言があったことが面白いではないか。もちろん、プラトンは「マルクスの資本論」と同じことを言ってるのではない。だが、それを彷彿とさせることを言っているのだ! もうちょっと待ってね、出てくるから。


プラトン「国家」~4/13 キリストの磔、そしてロスチャイルドとモルガン

さて、不正な人間をこのように想定したうえで、その横に今度は正しい人間を-単純で、気高くて、アイキュロスの言い方を借りれば「善き人と思われることではなく、善き人であることを望む」ような人間を議論の中で置いてみましょう。正しい人間からはこの「思われる」を取り去らなければなりません。もしも正しい人間だと思われようものなら、名誉や褒美が彼に与えられることになるでしょう。そうすると、彼が正しい人であるのは「正義」そのもののためなのか、そういった褒美や名誉のためなのか、はっきりしなくなるからです。こうして一切のものをはぎとって裸にし、ただ正義だけを残してやって先に想定した人間と正反対の状態に置かねばなりません。すなわち、何一つ不正を働かないのに、不正であるという最大の評判を受けさせるのです

この直後のソクラテスがまさにそうなるだが、(具体的に知りたい人はの「ソクラテスの弁明」へ)
その400年後の「イエス・キリストの犠牲」が必要悪であったと予言しているのである。

正義だけを残して、不正であるという最大の馮がんを受けたものは、磔にされる、とまで言っているので、まさにキリストの処刑の予言とも思えるのだが、予言というオカルトめいた表現は不適切かもしれない。哲学する=真理の探究、一つの真実に対して無数に存在しうる偽り。真理に言及すれば、一つの真実、それが繰り返される確率が高くなり、将来予想が当たったと拡大解釈ができるわけだ。だが、誰も将来を予測することはできない。市場競争の世界でも、成功した者が正確に将来を見通せていたわけではなく、誠実な対応=真理の追求、それが結果的に将来予想が当たったように見えるだけだ。

そういう意味ではこれは、後の「キリストの犠牲」に留まらず、後の「信仰・学問・言論・表現の自由が憲法上で保障されている」ことに、うすーーーく、つながっている。

不正な人間こそは、真実に即してことを行い、人の評判のために生きるのではない以上、不正と思われることをではなく、不正であることを望んでいる。彼はまず、正しい人間だと思われているがゆえに、その国の支配権力を手に入れるだろう。どこからでも好きなところから妻をもらい、誰であれ好きなものの所へ子どもたちを縁付けるだろう。誰とでも望むがままの相手と組んで仕事をしたり、交際したりするだろう。そして、不正を働くことを何ら気にしないから、そういうことをすべて、自分の儲けのために利用して利益を収めるだろう。さらに私的にせよ公的にせよ争いごとをのぞんでは、敵方に勝って多くを獲得し、より多くを獲得すればこそ金持ちとなって、友には恩恵を施し敵には害を与え、神々には物惜しみせず豪勢に数々の生贄を供え、捧げものを奉納するだろう。

国の支配権力を手に入れる=「我に通貨発行権を与えよ。さすれば法など誰が決めようがどうでもよい」 マイヤー・ロスチャイルド

仮想通貨は少なくとも、さらに10倍は上がる根拠

後の「ジョン・ピアモント・モルガンとベルサイユ条約」である。後の「人類史上最大の富の独占者ジョン・ロックフェラー」であるとも言える。これが資本主義批判、すなわち、私が「これが後のマルクスである」と言うことへの伏線である。だが、もっとマルクスに近い表現にまで、ソクラテス・プラトンが迫っているので、ここでは、資本主義批判に留めておこう。

ただここで、馬鹿と天才は紙一重ではないが、究極の不正と正義も紙一重である。詐欺師と言えるレベルの不正は語るに値せず、不正も極めれば歴史に名を残す。私は、モルガンとロックフェラーを悪者扱いするつもりはないが、プラトンの言うところの正義ではなく、不正な人間だと言っているのだ。


プラトン「国家」~3/13 スターリンと大英帝国

指輪の玉受けを自分の方に、手の内側へまわしてみたのです。するとたちまち彼の姿は目に見えなくなって、彼等はギュゲスがどこかへ行ってしまったかのように涸れについて話しているではありませんか。玉受けをまわして内側に向ければ姿が見えなくなるし、外側に向けると、見えるようになるのです。ギュゲスはこれを知ると、さっそく王のもとへ報告に行く使者の一人に自分が加わるように取り計らい、そこへ行ってまず王の妃と通じたのち、妃と共謀して王を襲い、殺してしまいました。そしてこのようにして王権をわがものとしたのです。

後の「ポール・バーホーベン、インビジブル、姿は見えないが、殺意は見える」である。
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人は言うでしょう、このことこそは何人も自発的に正しい人間である者はなく、強制されてやむを得ずそうなっているのだということの動かぬ証拠ではないか。つまり、正義とは当人にとって個人的には善いものではない、と考えられているのだ。すべての人間は不正の方が個人的には正義よりもずっと得になると考えているからに他ならない。

後の「オリバー・ストーン、ナチュラル・ボーン・キラーズ」である。

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もし極度に不正な人間であるべきならば、色々の不正事を企てるにあたって誤ることなく、人目をくらますようでなければなりません。発見して捕らえられるような者は、へまな奴だと考えるべきです。なぜならば不正の極致とは実際には正しい人間ではないのに、正しい人間だと思われることなのですから。彼は最大の悪事を働きながら、正義にかけては最大の評判を自分のために確保できる人であると考えなければなりません。

後の「スターリン、一人殺せば殺人だが、百万人の死は統計上の数値に過ぎない」である、と書こうとしたが、独裁者とも言われている面もあるので…

後の「日の沈まぬ大英帝国による世界、植民地支配」であるw この方が良いかな。

大英帝国というのならば、地図を塗り替えた男、ジュリアス・シーザーでもチンギスハンでもナポレオンでも同じだろ、ってのがあるかもしれないけど、大英帝国のアジア支配は現代で、その支配冷めやらぬ現在でも未だに反発が少ない(少ないだけでかなりあるけどさ)のが、よりリアリティが感じられるからだ。香港が中国返還を恐れ、未だに選挙制度が非民主的なのだが、それは中国が新たにやったことではなく、イギリスが香港に対して行った愚民化政策の継続なのである。イギリスの最大の罪はイスラエルとパレスチナ問題だと個人的には思うが、アジア的な視点でも、アヘン戦争、日本だったら武器商人グラバーの暗躍、インドネシアから見ればカリマンタン=ボルネオの北半分の領有権をマレーシアが主張しているのは、イギリスとマレーシアの策謀に過ぎない。

我々アジアから見ると反発は薄くなるが、当の大陸ヨーロッパから見ればヒトラーは、著書「わが闘争」の中で

わが闘争 下 国家社会主義運動 6/7~ヨーロッパ外交政策
https://ichizoku.net/my-ideology/20130620/european-foreign-policy/

「今日のヨーロッパの勢力関係を冷静に吟味してみると、次のような帰結に達する。つまり、300年この方わが大陸の歴史は、ヨーロッパ各国の勢力関係を均衡させ、相互に牽制させるといった方法によって、自己の巨大な世界政策的目標にとって必要な後方守備を安全にしようとするイギリスの企てにより決定的に支配されていた。

と憎々しげに書いている。ドイツにとってはドーバー海峡、地中海を持っている国にとってもジブラルタルとスエズ運河とイスラエル、さらにヨーロッパ外でも、アングロ・イラニアンとホルムズ海峡、マレーシアとマラッカ海峡、シンガポール、香港など、すべての要所をイギリスが抑えてる。

ここで大英帝国の強さの根源、日本において希薄な意識は、ロジスティクス(兵站)の重要性だ。やれ核武装だ、ゼロ戦と戦艦ヤマトはすごかっただの、上杉謙信戦闘力100だの表現が多い。イギリスの強さは兵器の強さではなく兵站だ。日本の歴史だって同様の事がたくさんある。強調して触れられてるのは、信長の桶狭間、石山本願寺、ロジェストウェンスキー航海、ハワイ・サイパンをはじめとする太平洋群島列島、まぁ挙げればきりなくあるが。B29と核兵器も大きいよ、それは否定しないよ。でも、もっとくだらない次元で良い。日本のゲームは兵站を意識してない。信長の野望では、どんな大軍でも瞬間移動できたり、ドラクエでは食料も確保せずに無限に歩き回れる。

話がそれすぎた…ごめん。


プラトン「国家」~2/13 年収1ドルCEOジョブズと租税回避

正しさ、正義、ということですが、果たしてそれは、本当のことを言う正直な態度の事であり、誰かから何かを預かった場合にそれを返すことであると全く無条件に言い切ってよいものでしょうか。それとも、ほかならぬそういう態度でも、時と場合によっては、正しかったり正しくなかったりすることもありうる、と言わねばならないでしょうか。

誰かから金をあずかっても、その返還と受領が害になるような場合、しかも返す人と受け取る人が友であるような場合には、それを返すことは「借りたものを返す」ということにはならぬと、そういうわけだね? シモニデスは正義とは何かということを、それぞれの相手にふさわしいものを返し与えるのが正しい、ということらしいが、ただこのふさわしいもののことを借りているものという言葉で表現したのだから。

シモニデス、医術と呼ばれているものは、何に対して、どのような借りているものを、すなわち、本来それにふさわしいものとして何を、与える技術の事なのでしょうか?

友と敵に対して、利益と害悪を与える技術だということになります。

してみるとあるものの有能な守り手は、そのものの有能な盗み手でもあるわけだ。

よく判断を誤り、実際には良い人間でないのにそう思ったり、あるいはその反対だったりすることがしばしばあるのではないか?

多くの人たちにとって、彼らが人間の判断を誤る限り、友に対しては害を与え-その相手は実際には悪い人間-、敵に対しては益をなすーその相手は実際には良い人間なのだからね-のが正義である、ということになるだろう。

トラシュマコス「もし正義とは何かを本当に知りたいのなら、質問する方ばかりに回って、人が答えたことをひっくり返しては得意になるというようなことは、やめるがいい。答えるように問うほうがやさしいことは百も承知のくせに!」

後の「裁判制度」である。法を定めたとしても、それを杓子定規に適用し、正義と不正を判断するのが難しい。当時から裁判制度はあり、それによりソクラテスは処刑されるのだが。

優れた人たちが支配者の地位につくことを承知するのは、金のためでも名誉のためでもないのだ。なぜなら、支配の仕事のための報酬をあからさまに要求することによって、金で雇われた者と呼ばれることも、役職を利用して密かに自らの手を汚すことによって盗人になることもともに彼らの欲するとことではないからね。もし、支配者となることを彼らに招致させようとするならば、強制と罰とが彼らに課せられなければならない。強制されるのを待たずに進んで支配者の地位につこうとするのはみっとももないことだと一般に考えられているのも、おそらくは、こういうところから由来しているのだろうね。罰の最大なるものは何かといえば、もし自分が支配することを拒んだ場合、自分より劣った人間に支配されるということだ。立派な人物たちが支配者になる時には、こういう罰が怖いからこそ、自分が支配者になるのだと僕は思う。

Forbes The World’s Billionaires
https://www.forbes.com/billionaires/list/#version:static

後の「1ドルCEO、スティーブジョブズ」である。ビリオネアは、相続で得たロレアルのリリアンばあちゃん(最近死んでそのまた娘の新しいリリアンばあちゃんになったが)を除き、生涯現役だ。誰もが持ちえぬその富を、もっとも効率よく配分する、それが彼らの責任なのである。

人に不正を加えることは利(善)、自分が不正を受けることは害(悪)であるが、ただどちらかといえば、自分が不正を受けることによって被る害の方が、人に不正を加えることによって得る善(利)よりも大きい。そこで人間たちがお互いに不正を加えたり受けたりし合って、その両方を経験してみると、一方を避け他方を得るだけの力のない連中は、不正を加えること儲けることもないようにお互いに契約を結んでおくのが、得策であると考えるようになる。このことからして、人々は法律を制定し、お互いの間の契約を結ぶということを始めた。そして法の命ずる事柄を『合法的』であり『正しいこと』であると呼ぶようになった。これがすなわち、正義なるものの起源でありその本性である。つまり正義とは、不正を働きながら罰を受けないという最善の事と、不正な仕打ちを受けながら仕返しをする能力がないという最悪の事との中間的な妥協なのである

後の「米国超大手グローバル企業の租税回避」である。合法的な節税であるw