イスラエルといい、ヘブライ(ヘブル)ともいう。またユダヤという言い方もある。これらは同じ意味なのか、違うのか。イスラエル、ヘブライ(ヘブル)、ユダヤのうち、ヘブルが、もしハビルという言葉に関連を持ちうるなら一番古くからある言葉だろう。しかしハビルは古代文書に出てくる場合は民族名を意味していない。セム系の言葉は、母音無しで書かれている場合が多いので、ハビルともアビルとも時代により国より、エジプト、アッシリアその他でみんな発音が違う。またヘブルは英語式発音で、旧約聖書の発音は胆振である。ハビルの定義は非常に難しいが、農耕民の側に立って、これと特別な契約を結んでいるある種の牧畜民、すなわち社会単位となっている集団を意味している。民族名でも部族名でもないことは明らかでこれは中東に広く存在した。
またイスラエルの意味となると少々問題がある。エルは神の意味で、神と争ったヤコブのニックネームとしてこの名は創世記に出てくる(創世記32章24節以下)「お前は神と争ったから、名をイスラエルにしなさい」とヤコブが神から言われるくだりがあるが、これは一種の言葉遊びで、元来は「神は支配する」の意味であろうという。このヤコブの12人の息子たちが、後のイスラエル12部族の先祖になった-というのは伝承にすぎないのだが、この12部族は一種の宗教連合体だったろうと考えられている。つまり中心となる一つの聖所があって、自治体の各部族が底に精神的支柱を求めて連合した政治体制。ギリシアの都市国家がそれぞれ独立していながら、宗教連合を形成していたのと同じである。こういう宗教連合体がイスラエルにもあったというのも一つの仮説だが、このヤコブの12子に基づく宗教連合体制という意味で、イスラエルという言葉を使うと、これが民族名または国家名になる。ところがこのイスラエル12部族が分裂して北10部族と南2部族に分かれてしまった。南の2部族はベニヤミン族とユダ族だが、ユダ族が大きかったのでこれをユダと呼び、北の10部族をイスラエルと呼ぶようになった。現代ではイスラエルというとイスラエル共和国のことだ。イスラエル人はイスラエル共和国と呼ばれるのを嫌い、イスラエル、あるいはイスラエル国だというが、むろん昔のイスラエルとは意味が違う。
では「ユダヤ」とはどういう意味なのだろうか。南のユダ族の住む地はユダイアとなり、さらにその地に住む人を意味するときはユーダイオスとなる。これがユダヤ人という言葉の意味で、直訳すれば「ユダの地に住む人」であろう。しかし、現在ではユダヤ人というと、だいたいヘブライ、イスラエル、ユダヤを一緒にした意味で使っている。ただその場合、ユダヤ民族というものがあるのかということになるが、歴史的には現代の民族主義や民族国家を意味する「民族」というかたちではなかったと見るのが正しい。というのは、この「民族」という概念は決して古いものではないからである。ヘブライというのが民族の概念ではないように、ユダヤというのも民族の概念ではなかった。前に「イスラエル」という言葉を使ったといって、プロ・アラブの日本人から抗議された事があり、「イスラエル」ではなく「パレスチナ」といえというのだが、こういう短絡は困ったものである。「パレスチナ」とは元来「ペリシテ人の地」の意味でペリシテはアラブに関係なく、旧約聖書に登場するギリシア系の一民族を示す言葉だということをその人は知らないらしい。パレスチナという言葉も時代によって意味が違うのである。


消えたイスラエル人のナゾ
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外部からの侵入に対して、士師(シヨフテイム)という一時的指導者が決起し、部族を統合してこれを指揮して対抗する時代が続いた。これは一過性の侵入には対抗できるが、腰をすえた侵略には対抗できない。それが王政へ移行した大きな理由であり、この侵入者は、南部の海岸に定着した「海の民」ペリシテ人であり、これがパレスチナという言葉の起源となった。旧約聖書に、最初に登場する王はサウル(サムエル記上8章以下)であって王政が布かれたのは、紀元前1020年とされている。だが、サウルを王と呼んでいるのは後代の資料で、古い資料はナギドと呼んでいる。司(つかさ)あるいはリーダーといった意味で、王(メレク)ではない。したがってその性格は士師から王への移行期を示しているという。彼は自らの官僚をもたず、その権限も明確でなかった。サウルの次がダビデ、そして、その次がソロモンで、官僚機構はダビデのときはじめてやや形をなし、ソロモンのときに完成した。こうして1つのイスラエル国家が形成され、その版図はダビデの時に最大となった。またソロモンは商業王として莫大な富を蓄積した。だがこの統一国家も、紀元前922年に北と南に分裂する。これからが分裂時代で、北のイスラエル王国は紀元前722年/1年にアッシリアに滅ぼされ、こうして北10部族は歴史から消えてしまう。そのときは生き残った南のユダ王国も、紀元前587/6年のエルサレム陥落とともに終わりもつげた。