孔子が最も具体的に偉いところは「子は怪・力・乱・神を語らず」に要約されると教えていただいた。紀元前500年という孔子の時代に「怪・力・乱・神を語らず」と言えるのは、大変な理性だからです。そういうと各宗派の人に怒られるかもしれませんが、釈迦、キリスト、マホメットなど宗教はみな教祖のオカルト的伝説で人心を収攬していく。キリスト教の中でもカトリックはキリストは神の子として処女懐妊をしたと信ずる。どの宗教も「怪・力・乱・神」を話して布教するわけです。今の新興宗教も同じです。
魑魅魍魎や百鬼夜行の世界は存在するかもしれないが、明瞭な日常生活の中で説明できるものではない。したがって理性の対象にはならない、と学問上の理性の枠組みをきちんと整える。学問とは理性で証明し、かつ理性で反駁できるもの以外はないというわけです。孔子の死後、儒教は何度も仏教の影響を受けるが、宗教にならず、啓蒙の学問、人倫の道として発達し定着するのも、こうした理性が働いていたからです
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カーネギーは大金持ちになって、これ以上お金を儲けても仕方がないと思ったのかどうか、慈善事業を始めたら、金儲けに努力していたときより、ずっと品性の卑しい人間と多く会わなければならなくなったと述懐しているんです。商売の場合は、お互いに信用し合い、契約書を取り交わし、守らなければ社会的なペナルティーを受ける。ところが慈善事業を行う人は自分の正義感ばかりが先走りして、他人がそれに従うのが当然だと思うから品性が卑しくなることがある。


昔、内藤湖南という教育学者が居た。日本では一般にそれほど高く評価されなかったが、中国本土では大変な人気だった。彼は中国人とウマが合った。それである人が「なぜ、あなただけがシナ人と上手くいくのか」と湖南に尋ねたことがある。これに対し湖南は次のように答えたという。「シナ人は世界で一番メンツを重んずる民族です。だから一人一人のシナ人に対して、あるいは歴史・文化に対して、彼らのメンツを重んずる姿勢で臨んでいる。こちらが向こうのメンツを尊重すれば、向こうも同じ態度で臨んでくれます。」 自分自身を賢者ぶらない。そして相手のメンツ、自尊心に対して正当な値打ちよりも少し高いぐらいの支払をする。それが相手の才能を引き出す一つの鍵であろう。このことを孔子は二回繰り返して言っている。
儒教は宗教である。なんて言っても日本人にはピンと来ないだろう。宗教とは死んだ人間を取り扱う方法である。日本人には頑なにこう思い込んでいる人が多い。厳密に言うと仏教もキリスト教も、死人を取り扱う教えなどではない。マクス・ヴェーバーは、宗教とはエトス(Ethos)つまり、行動様式のことである、としている。手っ取り早く言うと、思想と行動のことである。広く宗教を定義すると、イデオロギーなどもまた宗教の一種だと看做されることになる。「マルクス主義は宗教である」なんてよく言われる。
「日本に宗教はない」なんて言うと唖然とする人が多い。日本に宗教がない、なんてなにごとか。むしろ多すぎて困るほどではないのか。新興宗教の繁盛ぶりを見ろ。なんて言われてしまう。日本にだって仏教もあればキリスト教もあるだろう。しかも、日本と中国やそのほかのアジア諸国、中近東諸国やアフリカ諸国、欧米諸国などと違う点は。宗教を異にすると行動様式ががらりと違ってくる。習慣、風俗みんな違うのだ。日本ならどうか。仏教徒とキリスト教徒。いくら行動様式を見つめたところで、さっぱり区別がつくまい。日本には宗教の違いに基づく行動様式の相違はないのである。すなわちヴェーバーの定義を使えば日本には宗教がないことになる。
武士道は情緒規範
「論語」、儒学は、応神天皇の頃に王仁(わに)によってもたらされた。それ以降はあくまでも教養書として愛読されてきましたが、徳川幕府に入って学問の中心、あるいは国教のようなものとして重視されることになる。それを進めたのが徳川家康です。家康は天下を統一したものの、それまでの武士道は情緒規範で非常に不安定だと感じていましたので、論理性があって一般規範として使える儒教を採り入れた。武士道が情緒規範であることを示す例はいくらもありますが、ここでは2つだけ挙げておきます。
明智光秀の謀反。だいたい光秀の軍隊はいってしまえば織田信長の軍隊を借りているようなものですが、「敵は本能寺にあり」などと言って、主君の信長を殺してしまう。これを見ていたキリスト教の宣教師が驚いて、兵隊は信長と光秀のいずれに従うのか、と聞くのですが、彼らはその質問の意味がわからなくて困ってしまったらしい。彼らには論理などなく、光秀が言えば「光秀様のために・・・」とまことに情緒的に動いてしまう。大阪夏の陣、冬の陣の時もそうです。真田幸村は「秀頼公、戦闘に出てください」と言う。つまり秀頼が先陣に立てば、太閤恩顧の諸大名は銃を向ける気がしなくなるだろう、と幸村は考えた。すでに徳川方についた以上、諸大名は秀頼を打つのに加勢しているはずなのに、秀頼の姿を見たらビヘイビア・パターンが変わるかもしれない・・・。それほど、武士道といっても不安定なものでした。
「古武士」ほどえげつない存在は考えられない。主人だろうが恩人だろうが、負けがこんでくると、すぐに殺す。勝頼だって誰だって、敗死した戦国武将はたいがい家来に殺されている。「古武士」は旧主の首を持って敵に降参して引き立てられる。その場、その時の情緒に基礎を置く限り、規範といったところでどうしてもこうなる。まことに不安定この上なし。家康は当然にもこれでは幕藩体制が長持ちしないと見た。それで「そもそも支配階級の倫理を教えている」儒教を導入し、幕藩体制の安定化を図ろうとした。都合の悪い部分を切り捨てたのは言うまでもありません。ところが、明治維新とともに国教であったはずの儒教が消えてなくなる。これは世界史に例を見ない実に珍しいことです。フランスはカトリックの国ですが、何回革命をやってもカトリックが国境であるのは変わらない。最近ではイランのホメイニ師。彼は国王による近代化がイスラム教の教義と違うといって、自らが革命を起こしている。このようにどこのくにでもそれまで国教であったものが革命とともに雲散霧消するということはない。
中国社会の特殊な存在としての父系集団、宗族と言われるものを挙げることができる。この宗族は、日本人が大家族制度と読んでいるものとはスケールが違う。たとえば、陳、林などという名の宗族(血縁集団)があるとしてそれは何百人、何千人、何万人という規模にのぼる。宗族の長は、場合によってはメンバーの処刑もできた。つまり司法権を持っていたということですが、これだけでなく、現在の例で言えば、民事訴訟の調停、治安維持、奨学資金、社会保障、生活保護などにいたるまで、実に幅広い分野をカバーしていたのです。このため、中央政府がやることは、治水、大きな裁判、国防などに限られており、それだけに役員の数がべらぼうに少なかった。省といえば小さくても日本かヨーロッパの大国くらいはあるのですが、役人の数はせいぜい数百人か数千人。科挙の合格者が一期で数百人。これからもわかるように役人などの特権階級は人数が少ないだけに信じられないくらいの特権を持っていたのです。特権階級の規範が普通の人と同じではとても国を治めることなどできなかったことでしょう。この点でも特権階級に「道」を説く儒教が、社会的に必要とされたといえます。

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山本 七平

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