洪水の後残されたノアの子供たち、セムの末裔がアブラム。

アブラムの放浪 (12-1~9)
ヤハウェがアブラムに言われた、「さあ、君の国、君の親族、君の父の家を離れて、私が君に示す国へ行きなさい。私は君を一つの大きな民にしよう。私は君を祝福し、君の名前を高めよう。君自身が祝福の基になれ。私は君を祝福する者を祝福する。君を呪う者を私は呪う。地の全ての種族は君によって祝福されるだろう。」

アダム->ノア->アブラムと旧約聖書の主人公が移行している。神の啓示ですかな。

ハガル (16)
アブラムの妻サライには子がなかった。サライにはエジプト女の侍女があり、その名をハガルといった。サライがアブラムに言うには「ねえ、ヤハウェは私が子供を産むことを止めていられるのです。だから私の侍女の所にお入りなさい。私は多分彼女によって子を得ることができるでしょう。」 アブラムはサライの言葉に従った。ハガルは自分が身ごもったのを見て、その女主人を見下げるようになった。サライはアブラムに言った、「私の受けた侮辱を何とかしてください。私は私の侍女をあなたの懐に与えたのに、あの女は自分が身ごもったのを知って私を見下げるのです。ヤハウェが私とあなたの間をお裁きに下さるように。」 アブラムはサライに言った。「御覧、君の侍女は君の手中にあるのだ。君のしたいようにしたらいい。」そこでサライはハガルをいじめたので、ハガルはサライのもとから逃げていった。ヤハウェの使いがハガルに言った。「君の女主人の所へお帰り、その手の下に身を低くしなさい。私は君の子孫を数えられないほど多く殖やそう。見よ、君は身ごもっている。君は男の子を生むだろう。その名をイシマエルと名付けるがよい。」
この話の背景をなす法習慣はヌジのテキストで明らかにされたホリ人の間のそれである。それによると妻に子なき場合、妻は夫に側妻を与えねばならないが、生まれた子に対する全ての法的権利は妻が持つという。

あてがい か・・・。サライは強い女性だなぁ。
現代の女性でも、子供がいると偉そうになり、子供が居ない人を見下す人がいらっしゃいますね。

アブラハムとの契約 (17)
アブラムが99歳の時、ヤハウェがアブラムに現れて次のように言われた。「良いか、君に対する私の契約というのは、君の多くの民の父となるということだ。今後君の名をアブアムと呼ぶのはもう止めて、アブラハムと呼ぶことにしなさい。というのは、私は君を多く(ハモーン)の民の父(アブ)とするからだ。私は君の子孫を大いに増し加え、君をもろもろの民にまで発展させる。もろもろの王が君から出で来るであろう。君が今やどっているカナンの全地を、永遠の所有として与える、私は彼らの神たらんとするのである。君たちが守るべき私の契約は次の通りだ。君たち全ての男はみな割礼を受くべきことである。君たちはその陽の肉を切るべきである。君たちの中の男は生後8日に割礼を受けることを代々の定めとする。家で生まれた奴隷も君の裔ではない全ての外国人から金で買われてきた奴隷も同じである。君の妻のサライの名はサライと呼ばずに、サラというべきである。私は彼女を祝し、彼女から一人の子を君に授ける。」
アブラハムは平伏し、かつ笑ってひそかに考えた、「100歳の人間に果たして子供が生まれるだろうか。また90歳のサラが子供を産むだろうか。」 アブラハムはそこで神に申し上げた。「どうかイシマエルがあなたの御前に生き続けますように。」 神が言われるのに、「いや、君の妻のサラが君に子を産むのだ。君はその名をイサクと名付けよ。」
イサクの子ら (25-19~34)
アブラハムはイサクを生んだ。イサクは40歳の時アラム人ラバンの妹リベカを妻に娶った。彼女が石女であったから、ヤハウェに懇願した。ヤハウェはイサクの願いを聞かれたのでリベカは身ごもった。彼女は月満ちて子を生んだ。見るとその胎には双子があった。最初に出てきたものは赤く全身皮の衣をまとっているごとくであった。そこでその名をエサウと名付けた。その後でその弟が出て来たが、その手はエサウの踵(アーケーブ)をつかんでいた。そこでその名をヤコブと名付けた。

エサウの誕生だが獣人の誕生を思わせる不気味な表現だと思うのだが、エサウを獣人として描いている絵画は見受けられない。ヤコブは母リベカの言いつけ通り、父イサクを出し抜き、エサウのフリをして、長子の権利、神の祝福を奪った。
Rubens_Reconciliation_of_Jacob_and_Esau.jpg
ヤコブの子ら (29-31~30-24)
ヤコブの妻、ラバンの息女 姉のレアとの間の子、ルベン、シメオン、レビ、ユダ。イカサル、ゼブロン、娘ディナ。
ラバンの息女 妹のラケルの侍女 ビルハとの間の子、ダン、ナフタリ
レアの侍女 ガド、アセル
息女ラケル 石女 ヨセフ
何でしょう? 旧約聖書の系譜、主人公の流れはアブラハム以降、本妻は石女で子供ができず、ツライ時代を過ごすが、神が胎を開き、高齢出産し、次の啓示を受ける人を産んでいく、という流れのようだな。アブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフで創世記の最後の主人公となる。

ディナの物語 (34)
レアがヤコブに生んだ娘のディナがその地の娘たちを見ようと思って出かけて行った。するとその地の君侯であるヒビ人ハモルの子シケムが彼女を見て、彼女を捕らえ、これと寝て辱めた。そしてその心に深くヤコブの娘ディナを思い、この娘を愛し、ねんごろにその娘に語った。ヤコブはシケムが自分の息女のディナを汚したことを聞いていた。ヤコブの子らは野から帰ってきて、この出来事を聞き、激怒し激昂した。というのはシケムがヤコブの娘と寝るなどという醜行をイスラエルの中に為したからである。彼らは言った、「そんなことは許せないことだ。」
 ハモルは彼らに語っていった。「私の息子シケムはあなた方の息女さんを深く思っています。我々は婚姻関係を結び、あなた方の娘たちを私たちに与え、私たちの娘らをあなた方が娶ってください。そしてあなた方は私たちと一緒に住みなさるがよい。私たちはこの土地をあなた方の前に提供しますから、この土地でご自由になさってここに定着してください。」 ヤコブの子らはシケムとその父ハモルに答えた。すなわち奸計をもって語って言った。「割礼を受けていない男に我々の娘を与えるなどということは我々にはできません。それは我々には恥辱ですからね。ただ次の条件であなた方に同意しましょう。それはあなた方が我々と同じように男はみな割礼を受けるという条件です。」 ハモルとその子シケムは町の人々に語って言った。「この人たちは穏やかな人たちだから、我々と一緒にこの地に住まわせ、この地で自由にさせたい。この地は広くて彼らを入れることができる。そうすれば彼らの群も財産も、すべての家畜もみな我らの物でなるのだ。」 その町の門から出る者はみなハモルとその子シケムの言うことを聞き入れ、その町の門から出るすべての男子はその陽の肉に割礼を受けた。3日目にちょうど彼らが傷の痛みを覚える頃、ヤコブの二人の息子、ディナの兄であるシメオンとレビは各々刀を執り、難なくその町に侵入して、すべての男子を殺した。そしてハモルとシケムをも剣の刃にかけて殺し、ディナをシケムの家から連れ出した。ヤコブの子らは妹を汚したその町を掠奪した。羊・山羊・牛・驢馬および町にある、また野にある全てのものを彼らは奪った。その全財産を小さな子供らと妻たちを虜にし、家にある全てのものを掠奪したのである。ヤコブはシメオンとレビに言った、「お前たちは私をこの地の住民であるカナン人やペリジ人に憎ませ、私を不幸に陥れる。我々はこんな少人数だというのに。彼らは一緒になって私を撃ち、私も私の族も滅ぼされてしまうだろう。 しかし彼らは答えて言った。「だってあの男が我々の妹を遊女のように扱うのを許しておけるものですか。」

極めて原始だな、モスリムとかインドネシアの論理と同じだ。