日本銀行は「日本銀行条例」に基づいて当初30年間の営業年限が与えられ、それが1910年にさらに30年延長されたのでしたが、営業年限が満了する1942年に「日本銀行法」が制定され、日本銀行は新しい組織に生まれ変わりました。その前年には太平洋戦争が勃発していましたから、「日本銀行法」の制定にあたっても、国家統制的な色彩が強く出されることになりました。「国家経済総力の適切なる発揮を図る為、国家の政策に即し通貨の調節、金融の調整及信用制度の保持育成に任ずる」(日本銀行法第一条)、「専ら国家の目的の達成を使命として運営せらる」(第二条)。
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日本銀行は創立当初においては、1880年に設立された横浜正金銀行と同様に、株式会社としての組織でしたが、「日本銀行法」ではそうした株式会社組織を廃止して国家的色彩の強い特殊法人とされました。日本銀行の出資者には議決権はありませんし、株式会社の株主総会に相当する制度もありません。大蔵大臣は「日本銀行の目的達成上特に必要ありと認むるときは日本銀行に対し必要なる業務の施行を命じうる」とされるなど、政府の日本銀行に対する監督権はそれ以前と比べて著しく強化されたのです。1949年、日本銀行の政策決定を民主的なものにしようとの意図から、民間各界の代表等から構成される「政策委員会」が日本銀行の最高意思決定機関として設立されました。こうした「政策委員会」の設立など一部の改正を除くと、戦時中の立法である「日本銀行法」は今日に至るまで大筋としてそのまま残されている。戦後40年以上が経過し、日本経済は自由な市場経済に立脚しためざましい発展を遂げました。今日における日本銀行の使命は「国家目的の達成」ではなく、通貨価値の安定を維持することによって日本経済の健全な発展を図ることにあります
日本銀行の当座預金として積み立てられている準備預金の変動要因
市中金融機関と企業・家庭等との間で現金通貨の流入・流出がありますと各金融機関の準備預金残高の増加・減少をもたらします。
政府と企業・家庭等との間での財政資金の支払い・受け取りは、日本銀行にある政府預金と市中金融機関の準備預金との間での振替により、それぞれ準備預金の増加・減少をもたらします。外国為替市場での介入も市中金融機関の準備預金を変動させます。
日本銀行が市中金融機関に対して貸し出しの実行・回収や有価証券の買い入れ・売却などの形で信用の給与・吸収を行いますと、市中金融機関の準備預金は増加・減少します。
資金需給
準備預金の増加(減少)=①日本銀行券の環収(増発)+②財政資金の支払い(受取)+③日本銀行の信用供与(吸収)
ハイパワード・マネーと短期金利
短期金融市場金利、日本ではコール・手形レート、アメリカではフェデラル・ファンド市場の金利です。ハイパワード・マネーは、市中金融機関の保有している準備預金ないしは手持ち現金通貨と企業・家庭などが保有している現金通貨の合計を指します。
ハイパワード・マネーの需要と供給
①市中金融機関の準備預金(および現金通貨)+②企業・家庭が保有する現金通貨=
③中央銀行の信用供与-④中央銀行にある政府預金
公開市場操作
中央銀行がオープン市場で買い入れ・売却を行うことによって、市中金融機関の保有する準備預金の増減をもたらす操作のこと。公開市場操作を金融政策の第三の手段として取り上げることには多少の違和感があります。日本銀行の信用調節手段の中でオープン市場を対象とするものは、①政府短期証券の売りオペ、②CDの買いオペ、③長期国債の現先買いオペとなりますが、それらは必ずしも日本銀行にとって主たる信用調節手段とはいえないからです。日本銀行が実際に行っている金融市場の調節を見ると、これらのオープン市場での調節手段よりも、インターバンク市場であるコール・手形市場を対象とした手形オペの方が主流と言うべきでしょう。したがって、日本銀行にとっての金融政策の第三の手段は、公開市場操作ではなく、インターバンク市場操作であるというのが適切なのです。金融論の標準的な教科書が、金融政策の三つの手段の一つとして常に公開市場操作を掲げているのは、多分にアメリカやイギリスの金融調節方式を鵜呑みにしたことによるものと言えそうです。アメリカやイギリスでは、オープン市場として発達したTB市場が存在し、連邦準備制度やイングランド銀行の信用調節手段として、TB市場でのオペレーションが重要な役割を果たしているからです。
日本銀行が直接的にコントロールしているコール・手形レートの変動はその他の短期金融市場の金利に素早く伝わっていきます。国内のインターバンク市場とオープン市場との間での金利裁定は、①CD(譲渡性預金)市場の創設、②1978年秋頃から段階的に実施された都市銀行による債券現先取引の自由化、③1980年以降における証券会社のコール市場への参入、などによって次第に活発化しています。海外市場との間での金利裁定は①1979年における非居住者による現先市場への参入、②1980年の新しい外国為替法への移行や円転規制の撤廃などにより急速に活発化しています。
コール手形市場はかつては短期金融市場の中で圧倒的な存在でしたが、昭和50年代以降、様々なオープン市場が発達し短期金融市場の規模が拡大する中で、コール・手形市場のウエートが低下しています。ウェートは1976年の79%から1988年の33%へと低下しています。コール手形レートが次第に周辺のオープン市場金利の影響を受けやすくなっているのです。
今や日銀の操作目標でも無くなったな・・・

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東洋経済新報社

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