軍需会社と反プロイセンの気分
普通の小人物にとって、元来ベルリンに本社を持っている軍需会社は、ベルリンと同一であり、ベルリン自体がプロイセンと同じであることを意味したからである。この軍需会社と称する強奪財団を組織しているものはベルリン人でもプロイセン人でもなく、しかもドイツ人でさえなかったが、このことが当人各自にはほとんどわかっていなかった。ユダヤ人は既にその頃、自分が軍需会社という仮面のもとに、ドイツ民族に対して組織した恥ずべき略奪行為が抵抗を招くだろう、むしろ招くに違いない、ということがわからないほどバカではなかった。バイエルンはプロイセンに対して、プロイセンはバイエルンに対して争っておればよい。やればやるだけよいのだ! 両者のこの上もなく激しい闘争がユダヤ人のためには最も安全な平和を意味した。一般の注意はそれによって完全に国際的な民族なウジを忘れてしまったように思えた -そしてその上思慮ある分子、こういう分子がバイエルンにもたくさん居たのだが-が、見通しや内省や自制をするよう注意し、それによって強烈な闘争を和らげるように迫る危険が現れるように思えると、ベルリンのユダヤ人は新たに挑発を押し出し、その結果を待っていさえすればよかった。ユダヤ人が当時個々のドイツ種族をたえず没頭させ、注意をそらさせて、その間にますます徹底的に巻き上げるためにしたことは巧妙な狡猾な演技であった。
>ポルシェは気に入られていたはずだから、この叩かれているのはヘンシェル社かな?
国際的ユダヤ人クルト・アイスナーが、バイエルンをプロイセンと争わせる先手となり始めた。よりによって、インチキ新聞記者として絶えずドイツ中をあちこちと走り回っていたこの近東人が、バイエルンの利益を守るために最も不適任であることや、だがまさしくこの男にはバイエルンが、どうでもよいところだったぐらいのことは、わかりきっていたのである。


 バイエルンの小邦分立主義者クルト・アイスナーはバイエルンにおける革命的高まりに対して、ドイツの他の地方に反対する全ての意識的な要点を与えることによって彼はバイエルンの視点から少しも行動せず、ただユダヤ主義の代理人としてのみ行動したのである。彼はバイエルン民衆に存在する本能と嫌悪を利用し、それを手段としてドイツをよりたやすく打ち砕くことができたのである。だが崩壊したドイツ国はやすやすとボルシェヴィズムの餌食になるところだった。
彼が用いた戦術は彼の死後もはじめのうちは継続された。いつもドイツの個々の連邦や王侯たち残虐この上ない嘲笑をあびせかけていたマルクシズムは、「独立社会党」としていまや突然王家や個々の連邦に最も強い根を持っている感情と本能に訴えたのである。進出してきた開放進駐軍に対する「バイエルン労働者の闘争」として表された。宣伝によってまず第一に「プロイセン軍国主義」に対する「バイエルン労働者の闘争」として表された。こうしたことからのみ、人々はまたまたなぜミュンヘンではドイツのほかの地方と全く異なって、評議会共和国の打倒が大衆の自覚にならず、むしろ今までより以上のプロイセンに対する立腹と不機嫌さに導いたのかも、理解できるであろう。ボルシェヴィキの扇動者たちが評議会共和国を除外することは「軍国主義的」、「反プロイセン的」な考えを持つバイエルン民衆に対して、「プロイセン的=軍国主義的」勝利になるのだとわからせた技術は十分に実を結んだ
現代の日本でも、愛国的=軍国主義的の図式で、自国の利益追求を妨害する傾向があるのは当時のバイエルンと同じである。
ユダヤ人はユダヤ人に対する集中突撃を阻止するために、公衆の注意を他の問題に働かせる唯一の可能性は、ローマ教皇全権論の問題を提出し、それからおきるカトリシズムとプロテスタンティズムの相互の抗争を強く持ち出すことであった。まさしくこの問題をわが民族の中に投げ入れた人々が、いかに罪があるかは、決して償うことができないほどである。カトリックとプロテスタントはお互いに喜ばしき戦争をする。そしてアーリア人種と全キリスト教の仇敵はくすくす笑うのだ。
昔からある宗教上の我々の対立の内部で、ある宗派の本質特性に打ち勝つことはドイツでは必然的に両宗派間の殲滅戦に導くからである。この点で我々の状態は、フランスやスペインあるいはイタリアとは全く比較することができない。たとえばこの3国のどこにおいても、教権主義、ローマ教皇全権論に対する闘争を、この企てによって、フランス、スペイン、イタリアの民族自体が分裂するというような危険をおかさないで、宣伝することができる。だがドイツではこれができない。ここではプロテスタントもそういう企てに確かに関与するだろうからである。よそでは自分の教皇へ加えられる政治的干渉に対してただカトリックだけが行うだろう防衛が、ただちにカトリシズムに対するプロテスタンディズムの攻撃の性格を持つのである。
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宗教改革、ルター・プロテスタント発祥の地、ドイツゆえの理由なんだろうが、わが闘争のこの記述だけでは、なぜドイツだけが、ローマ教皇全権論が殲滅戦につながるのか理解できない。
連邦国家か単一国家か?
連邦国家とは、主権国家の連合と理解している。すなわち主権国家が自由意志からその主権の力で結合し、その際を主権国家の至上権のうち共通の連邦国家の存在を可能にし、また保証する部分を全体に譲渡するものである。この理論的定式は実際には今日地上にある連邦国家には完全に一つも該当しない。アメリカ合衆国の場合が最も該当しない。アメリカ合衆国では、各州のほとんど大部分が本来主権なるものが一般に話題になりえず、多くのものは時が経つにつれて始めて連邦の全領域の中に、いわば書き込まれたのである。それゆえアメリカ合衆国の各州は、行政技術の根拠から形成された大小色々に定規で区切られた地域であり、各州は昔から独自の国家としての主権を主有していなかったし、また全く持つこともできなかったことがむしろ問題なのである。各州が合衆国を形成したのではなく、合衆国がまずそういう諸州の大部分を形成したからである
ドイツについてもまた当てはまらない。ドイツでは疑いもなくまず個々の連邦国家が、しかも国家として成立し、そこからドイツ帝国が形成されたものであるとしても、だ。ドイツ帝国の形成は、各国家の自由意志とか、同じような協力という基礎から生じたものではなく、それらの中にある一つの国家、すなわちプロイセンのヘゲモニーの成果によって生じたものなのである。ドイツの各連邦国家の中でかつて最も小さかったものと、もっと大きなもの、あるいはそのうえ最大のものとの大きさの相違は、ドイツ帝国の建設、連邦国家の形成に対する業績も同じでないし、その関与も一様でないことを実証している。旧ドイツ帝国の憲法は、連邦会議において同等の代表を許容せず、大きさや事実上の重要さや、同様にドイツ帝国形成の際の個々の国々の業績に応じて格差をつけた限りにおいて、前に述べられたすべてに少なくとも部分的に順応したものであった。
理論的認識が豊富にあるからといって、指導者としての特性、指導者としての資質が有能であるという特性的証拠であると見ようとするのはまったく誤りであろう。偉大な理論家が偉大な組織者であるのは、ごく稀な場合だけである。理論家や計画者の偉大さはまず第一に抽象的に正しい法則の認識と確認にあるのであり、一方組織者は、まず第一に心理家であらねばならないからだ。彼は人間をあるがままに受け取らねばならない。それゆえ彼は人間を知らねばならない。彼は人間を過大評価してもいけないが、また大衆の中に居る人間を過小評価してもいけない。偉大な理論家が、偉大な指導者であることはもっと稀である。むしろ扇動者のほうが指導者に向いているだろう。ある問題について学問的にのみ研究している多くの者は、好んで聴こうとしないが、しかしそれは理解しうるのである。ある理念を大衆に伝達する能力を示す扇動者は、しかも彼が単なるデマゴーグにすぎないとしても、常に心理研究家であらねばならない。指導者であるということは大衆を動かしうるということだからである。
【軍需産業】
2012.01.30|武器輸出3原則を緩和
2011.06.23: 米ロッキード:F35、防衛省要望の納期に自信
2010.11.02: 米国、サウジに600億ドルの兵器売却へ
2010.02.23: Air Show 戦闘機の祭典
2010.02.18: ロシアの軍需産業 ~軍事国家の下の軍需産業 
2010.02.16: 台湾への武器売却、やめなければ関与した米企業に制裁=中国 
2010.02.05: ロシアの軍需産業 -軍事大国はどこへ行くか- 
2009.03.27: 私の株式営業 ~Fiat Moneyの裏打ち