わが闘争 上 民族主義的世界観 7/7 ~賛同しかねる民族規定

程度がまったく同じではない2つの生物を交配すれば、すべて結果は両方の親の程度の中間となって現れる。子供は両親の人種的に低いほうよりは、より高いかも知れぬが、しかしより高いほうの親ほど高くはならない。その結果として、彼はこのより高い方との闘争の中でやがてはまけるだろう。より強いものは支配すべきであり、より弱いものと結合して、そのために自分の優れた点を犠牲にしてはならない。種族の純血への衝動の結果は、ただ単に個々の種族を外部から鋭く区画するだけでなく、自分自身の内部でのその種族の一様な本質性を保つことでもある。自然はより弱い個々の生物が、より強いものと結合するのさえ望まなかったが、同じようにより高等な人種がより劣等な人種と混血してしまうのは、それ以上に望まないのである。
 歴史的経験はこのことについて無数の例を示している。アーリア人種がより劣等な民族と混血した場合、その結果として必ず文化の担い手であることを止めてしまったということを示している。その住民の大部分が、劣等な有色民族とはほとんど混血したことのないゲルマン的要素から成り立っている北アメリカは、主にロマン民族の移住民が幾度となく広い範囲にわたって原住民と混血した中央アメリカや南アメリカと比べて、別種の人間性と文化を持っている。この一つの例でさえも、人種混血の影響を極めて明白に認識させるのだ。アメリカ大陸の、人種的に純粋で、混血されることなくすんだゲルマン人は、その大陸の支配者にまでなった。彼らは、自分もまた血の冒涜の犠牲となって倒れない限り、支配者であり続けるだろう。
民族や人種の規定、しかもその優劣を・・・となるとかなり難しいこととは思うが、優劣がはっきりしているなら優と交配したほうがいいよな。
数十年も経ぬ中に、東部アジアの全部の国が、その基礎は結局、我々の場合と同様なヘレニズム精神とゲルマンの技術であるような文化を自分たちの国に固有のものだと呼ぶようになるだろう。ただ、外面的形式だけがアジア的存在様式の特徴を実につけるだろう。日本は多くの人々が思っているように、自分の文化にヨーロッパの技術を付け加えたのではなく、ヨーロッパの科学と技術が日本の特性によって装飾されたのだ。実際生活の基礎は、日本文化が生活の色彩を限定しているにしても、もはや特に日本的な文化ではないのであって、それはヨーロッパやアメリカの、したがってアーリア民族の強力な科学・技術的労作なのである。
 今日以後、かりにヨーロッパとアメリカが滅亡したとして、すべてアーリア人の影響がそれ以上日本に及ばなくなったとしよう。その場合、短期間はなお今日の日本の科学と技術の上昇は続くことができるに違いない。しかしわずかな年月で、はやくも泉は水がかれてしまい、日本的特性は強まっていくだろうが、現在の文化は硬直し、70年前にアーリア文化の大波によって破られた眠りに再び落ちていくだろう。文化領域の最初の発展に動因と素材を与えた、外からの影響が後になって欠けてしまう場合にのみ、一民族に現れうる。ある民族が文化を他人種から本質的な基礎材料として、うけとり、同化し、加工しても、それから先、外からの影響が絶えてしまうと、またしても降下するということが確実であるとすれば、このような人種は、おそらく「文化支持的」と呼ばれうるが、けっして「文化創造的」と呼ばれることはできない。この観点から個々の民族を検討するならば、存在するのはほとんど例外なしに、本来の文化創造的民族ではなく、ほとんど常に文化支持的な民族ばかりであるという事実が明らかになる。
ヒトラーにとって被差別対象の我々がこの文章を読むと、嫌悪感を抱くであろうが、アーリア人を日本人と置き換えたら、日本の民はどんな印象を受けるのだろうか? 彼の言うところのユダヤ人を自国民に置き換えるとマハティールの「マレー・ジレンマ」と同じ理由で発禁本になるだろう。
共同体の生存のために自分の生命をささげることはあらゆる犠牲的精神の中でも最高のものである。ただこれだけが、人間の手が築いたものを再び人間の手で破壊させたり、あるいは自然によって全滅したりすることを阻止する。まさしくわがドイツ語は、この意味での行為をみごとに表す言葉、義務の遂行、つまり自己自身を満足させるのではなく公衆に奉仕する行為、を所有している。そのような行為が出てくるところの根本的な志操を、我々はエゴイズムや私利と区別して、理想主義と名づける。我々はその言葉によって、ただ個人が全体社会に対する、彼の同胞に対する犠牲能力を理解するのである。
ヒトラーの差別的民族主義やユダヤ人に対する異様な嫌悪は、日本人の我々には理解が難しい。ヒトラーが繰り返し主張している、「祖国への誇り、国民的情熱、種の自己保存欲求、血の冒涜の犠牲」 というこれらの言葉が何を意味しているのか、日本人の感性に訴える絵を私は発見したので載せておこう。
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臭気漂う南蛮人が、いたいけな我が大和撫子の純血を汚しておるぞ。ゴリラのような異邦人に一般女性が犯されるようなことが頻発しない日本は平和かもしれないが、もし全土広域・歴史的にも継続的にこういうことが起こっていたらどうだ? 嫌悪感がこみ上げてくるだろう?
ユダヤ人が闘争において、彼らの隣人から強奪する場合において、団結しているという事実から彼らにある種の典型的な犠牲心が存在するのだと推論しようとするのは、根本的な誤りである。この場合でもユダヤ人を導くものは、個人のあからさまなエゴイズム以外の何者でもないのだ。したがって、ユダヤ人の国家も領域的に限られていない。なにしろ国家組織を一定の空間でもって理解するのは、つねに国家的人種という理想主義的な志操、特に労働という概念の正しい把握を前提にしなければならぬからである。この態度の欠如する程度に応じて、空間的に限られている国家を形成しようとする試みばかりか、保持しようとする試みさえもだめになる。だがそれとともに文化を成立させうる唯一の基礎もなくなってしまう。
したがってユダヤ民族はあらゆる外見上での知性的特性を持っているにもかかわらず、なお真の文化、特に自身の文化を持っていない。なぜならば、ユダヤ人が今日見せかけの文化において持っているものは、他の民族のものであったが彼らの手によってほとんどもうだめにされてしまった文化財なのである。人類文化の問題に対するその態度についてユダヤ主義の批判をする際に、注意を怠ってならないことは、けっしてユダヤ人の芸術など存在しなかったということ、だから今日でも存在していないこと、とりわけ、あらゆる芸術の中でも女王の位を占める二分野である建築と音楽はユダヤ人全体に何の独創も負うことはできないということである。
ユダヤ人は遊牧民ではない、ユダヤ人は寄生虫。
多分、アーリア人種も最初は遊牧民であり、時代の流れとともに定住するようになっただろう。だからこそ、かれらは決してユダヤ人などではなかったのだ!否、ユダヤ人は遊牧民ではない。なにしろ遊牧民でも「労働」という概念に対して一定の態度を持っていたのであり、この態度は後の発展のための基礎として、発展に対する必然的で精神的な前提条件が存在している限りで役立ちえた。遊牧民は彼らの存在様式の全体にわたってアーリア民族とはおそらく無関係であるように見えるとしても、だが性のあわぬものではないだろう。これに反して、ユダヤ人にはおよそそうした態度は存在していないのであり、それゆえかれらは遊牧民でもなく、つねに他民族の体内に住む寄生虫にすぎない。しかも彼らがしばしば今まで住んでいた生活圏を放棄してきたことは、彼らの意図によるものではなく、追い出された結果であり、彼らは時々悪用した母体民族によって追い出しを受けた。ユダヤ人はあらゆる時代を通じて他民族の国家の中に生活して、そこで自分自身の国家を形成していたが、この国家はもちろん外面的な事情がその本質をすっかり暴いて見せなかった間は「宗教共同体」の名称の元に仮装して行動するのが常であった。だが一度自分を守る覆いがなくても済ませるほどに十分に強くなったと信じたならば、いよいよそのヴェールを落として、急に非常に多数の人々が以前には信じもまた見ようとも欲しなかったもの、つまりユダヤ人になったのである。
民衆の心を獲得することは、自分の目標に対して積極的な闘争を指導してゆくことと並んで、この目標の敵対者を絶滅させる場合にのみ成功できる。民衆はどんな時代でも敵に対する容赦のない攻撃を加えることの中に自分の正義の証明を見出し、逆に他者の絶滅を断念することは、たとえそれを自分が正しくないことの証拠と感じはしないにしても、自分の正義についての不確実さを感じ取る。大衆は本能のかたまりに過ぎず、彼らの感情は敵同士であることを望んでいると主張している人々の間のお互いの握手を理解しはしない。彼らが望んでいることは、より強力なものの勝利とより弱いものの絶滅あるいは弱いものの無条件の隷属である。わが国の大衆の国民化は、わが民族の魂をとらえるためにあらゆる積極的な闘争を行うことによって、国際主義的な大衆の毒殺者を根絶することができてはじめて成功するだろう。
ユダヤ人の新聞で非難されず、したがって中傷や誹謗を受けないものは尊敬すべきドイツ人ではなく、ほんものの国家社会主義者でもない。我々の主義の価値、我々の信念の公明さ、我々の意欲の力を測る最上の測定器は、わが民族の不倶戴天の敵の側から我々に示される敵意である。朝、ユダヤ人の新聞を読んで、その中で自己が中傷されている記事を見出さないものは、前の日を有効に利用しなかったのである
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