最近、友人に子供が生まれたことを祝して、約2年間非公開だったこの記事をアップしよう。
いやいや、ご出産、おめでとうございます。
彼は娘さんらしいです。
うらやましがる人続出の「自分が父親になるのが楽しみな理由」と題された写真
http://labaq.com/archives/51646605.html
あえて上記のWebで紹介されている写真を載せはしないが、文字で書けば父と娘の微笑ましい写真である。
そして、昨今、近隣の男友達が、娘びいきな発言が目立つ。
「娘が欲しい」「娘は可愛い」「娘が将来嫁に行くことは考えたくない」等々。
女系家族に育ったせいか、いわゆる女性=娘プレミアムが無いのかもしれないが、私の考えでは子供に性別は関係ない
対抗して載せるならば、これだ。題して「親子対決
単にオセロをして遊んでいる写真だ。しかし、これには背景がある。
息子が父に言った 「僕は家族でも、学校でもオセロで負けたことがない。だからお父さんと勝負しようと思って、今日はオセ
ロを持ってきた。子供相手だからといってわざと負けるのは無し。本気で勝負してくれないと僕はやりたくない。」
男性読者諸君に改めて問いたいが、こういうのを親父冥利に尽きるというのではないだろうか?
泣きながら転がっていただけの赤子が成長して、この私に挑戦している。まー、父である私が家族に入っていないのは何故かと
いう根本的な疑問はさておき、不敗伝説のラスボスとして、私を置いてくれているのも父として誇りに思えないか?
父は言った「わかった。貴様の挑戦、この俺が全身全霊をもって迎え討とうぞ。」


oyako.jpg
この勝負、残念ながら父の勝利であった。負けた息子は「やっぱ、父ちゃん頭良いな」と言ったものの、初めての敗北にかなり
の衝撃を受けていたという。
父親になるのが楽しみな理由、親になる意義を改めて考える。結論から言えば
>この勝負、残念ながら父の勝利であった。
に凝縮されている。良い年のとり方をできるのではないかと思えてくる。まだそれを認識している年齢ではないが、人は必ず
老い衰える。自らの老いと衰え、そして時代が変わったという、自らの”負け”を、子供の成長という喜びで帳消しにしながら
認めることができる
。それがなければ、自分よりも後輩の若者に対し、
「俺は、お前が産まれる前から株をやってるんだ。この俺に対して、意見する気か? えぇん?」
という頭の固い頑固親父いっちょあがりだ。経験がないゆえに、斬新な疑問や意見、そして経験があるゆえに偏狭な視点しか
持てなくなるというのはよくあること。ケツの青い若造なりの主張は、時に革新的なポテンシャルを秘めていて、それを自分の
負けを認めたくないがばかりに拒絶するのではなく、貪欲に我が物にしようする姿勢の方が得るものが大きい。私の経験により
私の価値観でしかない世界は成長に限界があり、若い無垢な斬新な意見がそこに市場拡大をもたらすと考えられるようになる
ことが、子供を持つことで自分に得られるリターンなのではないかと思う。もちろん、真の賢人は子供など居なくとも、自らの
弱さを知り、負けを認めながらも貪欲にその領域を拡大していくのだろうが。
子供の才能や優劣は問題にならない。どんな子供でも、そしてどんなに才能に恵まれた親でも、例外なく子供の成長力以上に
親が成長することはない。わずか2年で、地を這う泣き虫が、立ち上がり、言葉を発するようになる。この成長に勝てる親は居
ない。成長だけではない、記憶、身長、腕力、思考能力においても子供に抜かれる日が来る。そして、そんな日が来て欲しいと
願うのが親心。いつまでも自分を超えられない子供を期待する親は居ないだろう。全ての子供は、負けと時代の変革を認めると
いうことを親に教えてくれているということだ。
そう遠くない将来、息子に負ける時が来る。いや、すでに息子に負けている能力もある。自信過剰な男であっても負けること
を喜べる。そして、この私がもっと負け、息子が自分を踏み越えていくことを期待する。これこそが父親になるのが楽しみな理
由なのではないかと思う。
【一族家のお家騒動】
2011.11.14: ギリシャ神話と親子対決
2011.10.06: 一族家の食卓
2011.02.10: 母がシンガポールに遊びに来ました
2010.05.24: 親父に対する息子の愛
2009.09.17: 名前をカタカナや漢字で書いてはならない 
2009.05.08: 私はカネ目当てじゃない ~怒りの代償 
2009.04.09: 金(カネ)の重み 
2009.02.13: 女系家族の掟 
2008.07.09: 妹が見た悪夢 
2008.03.17: 一族家における投資教育 ~貯金と金利