「勉強してたのか?いい子だね。偉いね。」こんな台詞を誰しも一度は耳にしたことがあろう。
さぞかし、平和な環境であることがうかがい知れよう。
世の中には、そんな平和ボケした台詞を言えない家庭もある
私は、相手である子供が、小学校入学前の年齢であったとしても、学業・数学・株式・博打に
ついて話す時は、真剣に話す。子供だからといって、手を抜いたり、どうせ理解できんだろと
茶化しながら話したりはしない。会話に笑顔はないかもしれないが、そこには魂と気迫がある。
「子供でもわかるように話さないと。全然わかってないと思うよ。」こういう意見もあろう。
5歳の子供にマルコフ過程を理解させようと思って話しているのではない。
言葉なんかで何かを伝えようとしているわけではない。気迫だよ気迫。学問の迫力、智に対する
欲望は、たとえ内容が理解できなくとも、語気と気迫を通じて必ず伝わる。
学業は良い子の遊びじゃねぇんだよ。やるんだったら真剣にな。」と言って、じっと子供の目を
見つめた俺の迫力に気おされ、母親は心配そうに主張した。
「うちの子は…、普通でいいんです。落ちこぼれたり、学校の勉強が全然わからないのは少し
気の毒に思うけど、何も最高学府を目指したり、必死にやらなくても良いんです!」
なんだと? 誰も「勉強しろ」だの「最高学府を目指せ」だの言った覚えはない。
何をびびってるんだ? 勉強した挙句、俺みたいになってしまうことを恐れているのか?
「勉強しろ」などと言われなくとも、学校から帰ってきたら、まず机に向かう我が子の姿に恐怖心
を覚えているのか?
一度たりとも、真剣に学業に取り組んだことがない者には、小さな小さな我が子が、自らの意思
で学問を追及するその姿が脅威に映るか?
智に対する興味・好奇心、言い換えるならば渇望とも言える強い欲を母親ごときが止められると
思っているのか?
学問の探求と倫理観には何の関係もない。例えば、核分裂を発電に用い、国民の皆様の生活
向上に貢献しようとする者も居れば、兵器に用い、戦争という大量殺人を引き起こすこともできる。
この世で大きな規模を持つ国家、もとい企業でもいい。その活動の全てを包み隠さず国民もしく
は社員に公開できるなんてことがあるわけなかろう。道徳教育だと? 何をもって悪とし、善とする
か定義できるのか?
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