自分のアタマで考えよう 2/4 ~結論を出す、それは決断と責任なのだ

情報ではなく「意思決定のプロセス」が必要
「超重要プロジェクト」の検討会議が、今日も日本中で行われているでしょう。日本のスタッフは有能でよく働くので、情報はいくらでも集まります。完璧に分析された調査レポートができあがります。しかし、何も決まりません。十分すぎる情報があるのになぜなにも決まらないのでしょう? 理由は、「誰も考えていないから」です。みんな「情報を集めて分析する」作業に熱中しています。しかし意思決定のためには「どうやって結論を出すべきなのか」を先に考えることが必要なのにそのための思考を怠っているのです。プロジェクトリーダーの企画室長が指揮を取ったのは「各部門への調査作業の割り振り」にすぎません。各メンバーはそれに応じて情報を収集し、分析し、レポートにまとめ上げました。しかし、技術や米国の情報、法務や財務の分析、顧客に関する情報がばらばらに集まっても意思決定はできません。必要なのは、「どの情報がどうであればわが社はこのビジネスに進出する。どの情報がどうであれば、進出すべきで無い」という意思決定のための思考プロセスなのに、それが存在していないからです。
私たちが何かを決めるときには「情報」とは別に「意思決定のプロセス」が必要です。たとえば、ある洋服を買おうと思ったけれど価格を見て買うのをやめたとしましょう。その意思決定ができるのは、「その洋服の価格」という情報を集めたからではなく、「この質、このタイプの服に関しては、1万円以下で無いと私は買わない!」という意思決定プロセスを自分の中に持っているからです。この思考プロセスに”洋服の値段”という情報を放り込み、「これは買う、あれは買わない」と決めているのです。意思決定のプロセスを持たないまま、どれほど多くの洋服の価格情報を集めても特定の洋服を買うべきか買わないべきか、決められません。先ほどの社長直轄プロジェクトも同じです。彼らは情報ばかり集めていて、「どういう情報があれば、どんな結論を出すべきなのか?」という意思決定プロセスについて何も考えてきませんでした。だから情報が集まっても何一つ決まらないのです。

日本の企業で行われている会議の99%がこのパターンだよねw ちきりんは、厳しく「何も考えてない=意思決定のプロセスが無いから結論が出せない」と指摘している。しかし、私の見方(言い方)では少し異なる。日本人全般で見れば、確かに論理的に考えるのが苦手な民族であるのは間違いないが、優秀なビジネスマンたちは、何も考えていないわけではない。


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いわゆるサラリーマンの世界では、それが役員であろうが、彼らが最も嫌うのは「決断と責任」である。なぜか? 自らが主体的にした“決断”が失敗すると”責任”を取らされる。それが成功した時に得られるリターンとバランスしていないからである。失敗を恐れる国民性、他人の足を引っ張る国民性、そして、莫大な報酬を嫌う国民性と税制になっているからである。株式投資であろうが、事業プロジェクトであろうが、デリバティブの商品開発だろうが、成功したりヒット商品が生まれるよりは、失敗することのほうが多くて当たり前の世界である。その成功の確率は50%なんていうものではなく、1/10、1/100というものなのである。米国企業のCEOが莫大な報酬を得ているのは彼らが不当な背任行為をしているわけではなく、「決断の結果取らされる責任に対する正統な対価」なのである。
株価を短期的に見る(2年未満)と、米国株式市場は、決算情報などのニュースが瞬く間に織り込まれるので、Jump-Diffusion=離散的に振る舞い、非幾何ブラウン運動的に振舞うと私は書いている。しかし、長期的(20年以上)な株価の集合で見れば、米国の一流企業(トップ30)は、爆発的成長と右肩上がりの銘柄ばかりである。これらトップ企業の陰で、M&Aで飲み込まれたり、倒産したり、儲からないで低空飛行を続けている銘柄が、死ぬほど存在している。一方の日本は、ブーンピケンズもびっくりの資本関係も無いのに親会社のようなに振舞う”ケイレツ”という支配構造が存在し、従来、M&Aで飲み込まれる対象が、独立した会社として、共存し続けているのである。この視点では米国企業は幾何ブラウン的な株価であり、日本企業は非幾何ブラウン的な株価なのである。1人の勝者が、1000人の敗者を引っ張るのが幾何ブラウンであり、資本主義の本質なのだが、日本は世界で唯一、みんな仲良く共存という不思議な経済発展をしているのである。そして、それは日本株式市場の株価にも繁栄されている特殊な市場である。
日本の役員、ビジネスマンが何も考えていないわけではない。決断と責任、M&A、株式投資、資本主義というものに不向きな国民性と税制は、日本の土壌・長い歴史によって形成された文化なので、経営陣を刷新したところで、それは変わるものではない。日本で最もワークしているリスクテイクが、官僚制という制度で、決断は官僚、責任は選挙屋が取るという分離体制である。滑稽なのは報酬体系で、責任を取らない官僚は、給与と天下りによる複数回の退職金というフィックスドインカムリターン、一方、責任を取る選挙屋は、企業献金から怪しげな政治資金の私的流用など、非給与所得的なエクイティリターンを取得している。

第2章 「なぜ?」「だからなんなの?」と問うこと
情報を見たときにまず考えるべきことは、「なぜ」と「だからなんなの?」のふたつです。特に数字の情報を見た時は必ずこのふたつを考えます。「なぜ?」とは数字の背景を探る問いです。数字は何かの現象や活動の結果なので、すべての数字には理由があります。もう一つの「だからなんなの?」は、「過去の結果がこの数字に表れているのだとしたら、次は何が起こるのか?それにたいして自分はどうすべきなのか?」と、データの先を考える問いです。

私も非常に重要なことだと思うのですが、「なぜ?」と問うと「怒っている」とか「厳しい」という反応が返ってきます。この辺りが日本の民族性が非論理的でアジア的な反応の典型なのですけどもね。ビジネスの場では、原因の追究と改善に対しては比較的寛容ですが、教育方針となると、「厳しすぎる」との意見もある。
誕生日プレゼント、何をもらった? それがいかに魅力的なおもちゃなのか説明して
これが 「”なぜ”そのプレゼントを選んだのか?」 という問いである。たかがおもちゃを買ってもらったくらいで、そこまで厳しくその理由を追求するのか? という意見がある。
成績とテストの点数は聞いていない。教科書を読み、授業を受けた後に、一番面白いと思ったところは何か? まず、それを説明し、さらにその点について、今、お前が何を見ているのか? 何を考え、何をしたのか? さらに、これから何をしようとしているのか 聞いているのだ。
これが 「テストの点数? ”だからなんなの?”」という問いである。普通の高校生や大学生にとっては、かなり厳しい問いであるが、幼少の頃から投資一族として教育を受けていれば、単なる日常会話なのである。
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