1995年、ロングタームのデリバティブ残高は6500億ドル程度だった。その後二年間で倍増し、1兆2500億ドルという
途方もない数値となる。ロングターム(に限らずどこでも)の開示の不透明さを考えればデリバティブ・リスクを取引ごと
に評価するのは無理な相談だ。しかも多くはヘッジ目的で互いに相殺しあうポジションをとっているので、実質的な
エクスポージャーを計算するもの無理
だった。ただひとつ言えるのは、それがものすごいペースで拡大しているらし
いということだけで、同じ現象がウォール街の津々浦々で起きていた。
だねぇ。わかるよ・・・。デリバティブの取引”量”の定義が実に難しい
例えば、先物1枚とButterfly Spreadを比較した場合、Notionalで比較すればButterflyは4倍となる。
最大損失でやると・・・、先物が無限大となってしまい、先物1枚と先物2枚の区別もつかなくなる。
Deltaという主観的な手法で測れば、Deep OutのPutは何枚売ったって、リスクがないことになる。
ましてや、株と金利(債券)が混合している場合、さて、その取引量はどのように規定すべきか?
Notionalが同じならば、一般に、株のデリバティブはかなり大きなリスク量を持っていることになるだろう。
一般にトレーディングの世界では取引量を示すのに使うのは年間のPL BudgetとRisk Limitくらいだろうが、
これまたよくわからない、別な言葉でいうなれば、主観的に決まる数値に過ぎない。
1997年末、ロングタームの古巣のソロモン・ブラザーズは、モーザー事件(米国債の入札で、落札上限を超えたシェ
アを得るために財務省に虚偽の申請を行った)を皮切りに、メリウェザー、ローゼンフェルド、ハガニ、ホーキンス、ヒ
リブランド脱退と続いた騒動以来、どうしても失地を回復し切れなかった。投資銀行業務の確立を図ったもののこれ
が収益源になることはついになかった。ここに来て、アービトラージ・グループもロングタームと同じ圧力(スプレッドの
縮小と投資機会の減少)を受けていた。1997年早々、経営陣は大規模な資本注入が必要だという見解を固めた。
バークシャー・ハサウェイを通じたソロモンの筆頭株主ウォーレン・バフェットにとって、左前の会社に追い銭を投じること
は体質的に受け入れられなかった。ソロモンCEOのデリック・モーンは、資本注入がだめなら身売りしかないという立場を
明らかにした。でも誰に? モーンはチェースに打診したが、きっぱりはねつけられた。次にトラベラーズ会長サンフォード・I・
ワイルと昼食を共にする。保険会社トラベラーズは、傘下にスミスバーニー証券を持っている。ワイルはアービトラージ
については、変動性が高すぎると見て嫌っていたが、一流の投資銀行を設立するのが夢だった。ワイルが、ソロモンと
トラベラーズが合併するなら、ワイル自身が責任者の椅子に就かなくてはならないと主張した。バフェットにとって、新会
社のトップが誰になるかは問題ではなかった。ソロモンが売れればそれでいい。ワイルは株式交換で90億ドルを提示し、
かくしてオマハの賢人は、めずらしく手を焼いた投資先から開放された。いつも通り如才なさを発揮して、ワイルを指し
て株主価値を構築する”天才”だと持ち上げる
。ワイルの部下は、ボスが落ち目の銀行に大金を支払うのを見て、仰天
した。特にソロモンといえば、収益の柱はアービトラージで、ワイル会長はアービトラージが大嫌いだ。社内の冷やかし
屋が笑いをこらえつついった。「90億ドル支払って、”この者は偉大な投資家なり”って書いてある紙切れをウォーレ
ン・バフェットからもらったわけだ。今それを握り締めて、みんなに見せて回っているところさ。
キャンディ売り場の子供
と同じだね。」
キタか賢人バフェット。
10月、マートンとショールズがノーベル経済学賞を受賞した。「1987年の暴落について、どれくらい責任があるとお考え
ですか?」呆気に取られたノーベル経済学者は、口から泡を飛ばさんばかりの勢いで答えた。「ゼロ。責任など全く感じ
ません。ダイナマイトを発明したノーベルに、第一次大戦の責任を感じるかどうか聞くのと同じです。」なおも突っ込ま
れ、ショールズは自分の理論に基づいて取引したトレーダーたちが、つまりダイナミックヘッジの結果、下落局面に売り
が殺到して、下げを加速したことを認めたものの、犯人はおなじみのスケープゴ
ート、”流動性”の欠如であるとした

ウォールストリートジャーナル紙はこの受賞で、同紙が拠り所とする信念に折り紙がついたと見た。
「スウェーデン王立アカデミーは、次の見解を明らかにした。市場は機能する。」
信条を表明するには間の悪い時期だ
った。アジア全域で、為替と株の市場が崩壊しかけている。震源はタイを皮切りに、マレーシア、インドネシアと移動し
た。10月1日の一日だけで、インドネシア・ルピアが6.5%、マレーシア・リンギットが4.5%、フィリピン・ペソが2.2%下落
する。二日後、ルピーがさらに8.5%下落。10月下旬になると、アジア全域で企業のデフォルトが相次ぎ、景気後退懸念
をあおった。投機筋が次に矛先を向けたのが香港ドルだ。香港政庁は、まだ英国の統治下にあったが、報復として、翌
日物金利をなんと300%に引き上げた。香港株式市場は一週間で23%下落した。この頃になると米国の投資家もアジア
危機を引き金に世界不況に突入するシナリオに身震いして、全面退却を始めた。夏の間に8300ドル台に乗せたダウは、
10月ほぼ一本調子で下げ続ける。10月27日、アジア発の震撼がついに米国に上陸した。まず香港が下げて始まり、6%
下落。続いて米国が眠りから覚め、ニューヨーク証券取引所は激しい売りを浴びた。パニックを回避しようと取引停止措
置が二度発動されたが、焼け石に水。下落相場に備える保険を提供していたオプションの売り手は、10年前のブラックマ
ンデーの時もそうだったが、泡を食って売りに走った。連鎖的な売りが、マートンがモデルで描いたダイナミック・ヘッジが、
この日の下げを加速する。ダウは554ポイントと過去最大の下げ幅を記録し、率では7%下落した。ロングタームは今回も
弾をかわした。ボラティリティが高まったのを見て、沈静化に向かう方向で、つまり株価の変動性が低下する方向で、デリ
バティブの巨大のポジションを取り始めた。ソロモンでは10月に入る前に同じポジションを取って1億1千万ドルを失った。
UBSはやはり株式のボラティリティに賭けていて、デリバティブ部門で巨額の損失が発生したという噂がウォール街を駆
け巡る。1997年のUBSの損失は6億4千4百万ドルに達していた。
特に痛かったのが日本の転換社債取引
で、これにかけてはロングタームが一枚上手だった。CEOのカビアラベッタは、
ここに至ってようやく、お気に入りのトレーダーが銀行をつぶしかけていることを悟る。11月、ゴールドスタインは解雇され
た。続く12月、ライバル、スイス銀行との合併に踏み切った。
マリンズはこの年を振り返って、トラブルを回避できただけでも上出来だったと見ていた。「われわれはアジア危機に事
前に対応していました。言い換えればそのための戦略を組んでいました」。しかし教授たちは誰の目にも明らかなアジア
危機の教訓を見落としていた。いったん危機が始まると、市場と市場の相関性がいつもより密接になり、一見何の関連も
ない分野の資産が同時に上昇し、同時に下落する。じきクリスマスを迎えるある日、はるか遠い国の話と思えるニュース
がほとんど誰も気づかないうちに伝えられた。格付け会社のスタンダード&プアーズが、ロシア債の格付を引き下げた。
【金融工学理論の実践】
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2010.09.15: 株メール Q7.株価のマルコフ性
2010.07.01: 数学を使わないデリバティブ講座 ~リスク中立
2010.01.25: 50% Knock-In PutのPremiumって実現できるの?@最終章 LVの要請
2009.11.10: 為替オプションの基本勝ちパターン? プッ
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