私が始めてWorst Optionに出会ったのは2004年。
もちろん理論上定義できるが、そんなバカなオプションは誰もやらないだろうと思っていた。
3銘柄の2年のPut、計算結果に思わず目を疑った。こんなバリューあるのか?
3つもあればどれかは下がるか…とも思えるが、あまりにも凄まじいValueとGreekはVanillaに帰着させて連想するといういつもの手法が通じなかった。
なんでも香港の投資家がWorst Putを売りたがっているという。
彼らの基本的な考えは、日本のVolatilityは高い、またここから日本は持ち直すだろう。その過程においては全ての株が上がる。75%StrikeのWorst Fwdと95%のDigitalを買う、というのが具体的に上がって来たDerivative投資戦略。
これすなわち、25%割引で株を買い、あまったプレミアムでDigital Callを買い年率30-40%のハイパフォーマンスを楽しむというなかなか小粋な投資。結果として2004-5年のJapan Recoveryで日経平均が10000-11000円をうろうろしていた間も凄まじいReturnを上げた。最近の新聞記事に見られる日本離れとは全く逆の状況で当時は日本株がとてもアツく、日本国内に弱気論が渦巻く中、海外の誰もが経済回復を信じていた時代だった。
日経225の100%Strike 60%KI Putを売ってわずかなPremiumで満足している投資家達よ。ツメの垢をせんじて飲め。
この投資家の叡智に惚れ、香港に対して興味を持ち、好きになった。このオプションとの出会いが、きっかけで香港に居るといっても過言ではない。