カテゴリー: 読書

溶ける 大王製紙前会長 井川意高の懺悔録 1/4~疑惑の数学的センス

マリーナ・ベイ・サンズは単なるリゾートホテルではない。このホテルの中にあるカジノでは、ギャンブラーたちが大金を手にするべく、日夜しのぎを削っていた。なぜ私がこのゴージャスなホテルで20億円分ものチップを積んで勝負に挑まなければならなかったのか、それには理由がある。10年5月以来、私は大王製紙社長としてグループ企業から巨額の資金を借り入れる裏技を常態化させていた。その大半は、すでにマカオのカジノ「ギャラクシー」や「ウィン・マカオ」で失ってしまっている。11年5月の時点で、グループ企業から借り入れたカネの総額は実に50億円を超えていた
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バカラで5時間かけて勝負した結果、500万円が1000万円に膨らんだ。ならば10時間かければ1000万円を2000万円にまで増やせるはずだ。運とツキさえ回ってくれば、500万円を5億円に増やすことだってできる。現に150万円を4時間半で22億円にしたことだってあるじゃないか。目の前にある20億円を30億円、40億円にまで増やし、今までの借金をすべて取り返すことだってできるはずだ-」
運と偶然性のみが支配するバカラの勝負に、私は全生命をかけて挑んだ。目の前に積まれた20億円によって、カジノ史上誰も成功させたことがない奇跡を呼び起こすのだ。そして私は伝説を作る。目の前で開きかけた地獄の釜を、わが強運によって轟音高らかに閉じてみせる。だがひとたび開いてしまった地獄の釜の蓋は、二度と閉じることはなかった。48時間の死闘が終わったとき、私は煮えたぎる溶鉱炉のごとき奈落で溶解していた。

確かに伝説の男にはなりましたけどね…。カジノ史上誰も成功させたことがない奇跡は来ないんですwだってご自身で書いている通り、20億円の勝ちを手に入れるまで100億円かかったでしょ?


エンロン内部告発者 3/6~会計士と評価方法

アーサー・アンダーセンは1913年「真っ当に考え、率直に話す」をモットーに、監査法人を設立した。大恐慌の間、同社は企業幹部のためではなく、株主のための監査で名を上げていった。アーサー・アンダーセンの監査と言えば、非の打ち所のない財務諸表の代名詞になった。しかしやがてその評判は大きく変質していった。例えば1950年代に、同社のあるエンジニアは重要な発見をした。コンピュータを使って簿記を自動化したのである。同社はこの方法を顧客にも教えるようになった。この結果、同社はコンサルティング業に傾倒した。80年代の競争激化のなか、監査料金は下がっていき、アンダーセンは新たな収益源を探していた。同社のパートナーたちは、コンサルティング業務を監査業務に接木する必要に迫られていた。1990年代、これは非常に素晴らしいアイデアに思われた。実際、監査の売上は横這いだったが、コンサルティングは急発展していた。問題は、コンサルティング部門が売上の大半を担うにつれて、分け前を監査部門に分配するのをしぶり始めたことだった。かつて業界のトップだったアンダーセンは、この頃には5位にまで低落していた。コンサルティングが発展するにつれて、監査員には仕事を取ってくることや、なりふり構わず顧客を維持する重圧が強まった。これ以上業界での地位を落とすわけには行かなかった。経費節約のため、56歳での早期退職も実施した。これは若手の勇み立った、しかし実質的な仕事の技量には欠ける若手監査員が増えていくことを意味していた。1990年代初頭、スティーブ・サメックという世間ずれした叩き上げの監査員が担当していたクライアントのボストン・チキンが倒産したにもかかわらず社内で権勢を誇るようになった。彼は社内公演でマーケティングの力を力説した。マーケティングは古めかしい監査などよりもずっと楽しくて儲かる。監査など退屈だし、いずれにせよ、これでは食っていけない。今やアンダーセンの暗黙の新たなモットーは、「やっちまえ」、つまり顧客の望みどおりにしろ、だった。
アンダーセンはもともとインターノースの監査法人だったが、大手好みのケン・レイは、合併に当たってこれを変える必要を感じなかった。生まれたての会社にとって、アンダーセンの監査を受けることは箔付けになった。アンダーセンは80年代はヒューストンで最大の監査法人であり、ベンゾイルやテネコなどの一流クライアントを抱える石油業界の御用達監査法人だった。その監査は、一応は厳格と言われていたが、その実、不況時に必要に迫られると、創造性を発揮してクライアントを延命させていた。エンロンの規模とプレステージが成長するにしたがって、両者の力関係は変わり、より共生的になっていった。例えば、アウトソースされたエンロンの社内監査チームはアンダーセンが引き取った。エンロンのヒューストン本社に開いたアンダーセン分室は、他の支社並みの規模になった。両者間のキャリアルートはすっかり確立し、プレッシャーがきつく給料の安いアンダーセンから、プレッシャーはさらにきついが自由と高給の得られるエンロンへと、人は続々と移っていった(リック・コージーやシェロン・ワトキンスは、このルートをたどた数百人のごく一例に過ぎない)


ハイデガーの思想 1/4~理解するために

「存在と時間」でハイデガーが何を言おうとしていたのか、未だ理解できずw まぁ予想通りだが、何冊か買ったので、何度か読んで理解を深めていこう。
噛み合わない論争
ハイデガーの著作や講義を丹念に読んでいる人たちは、一様にその思想によって震撼され、その崇拝者ないしは信者になり、ハイデガーの言うことを一言一句ありがたがって、それを口まねすることしかしない。こうした人たちにとっては、ハイデガーのナチス加担もそれなりに考えのあってのことか、少なくとも時局のしからしめる不本意な出来事で、その思想の本質には関わりない、免責されてしかるべきだ、ということになる。一方、ハイデガーの批判者は、ほとんどその著作を読んでいない。多少は読んだというかもしれないが、おそらくそれは、読まないで済ます理由を探すために読むといった読み方であろう。当然この人たちにとっては、ハイデガーのナチス加担は、その著作がいかに読むに値しないかを示す絶好の材料でしかない。ほら、やっぱり、というわけで、事実の摘発だけに奔走することになる。どちらもどちらなのである。信奉者たちのようにあからさまな事実に目を閉ざすのも問題だが、その思想を無視して事実の暴露だけに専念する批判も、それでは有名人のスキャンダルの暴露と変わりはない。
> ハイデガーの批判者ではないが、俺の読み方はまさに「読まないで済ます理由を探すために読むといった読み方」だw


グッドウィルで380億円を稼いだ男 3/3~ソチ人工島計画

クリスタルは昭和49年に林純一が設立した株式会社綜合サービスを前身とする会社で平成15年には主に人材派遣や業務請負等を行っていた200社の純粋持ち株会社だった。林は一代でクリスタルを売上高5000億円を超える企業へ発展させた。この売上高は平成18年時点で上場していた主要人材派遣会社と比べても圧倒的に大きなもので、株式会社パソナ、テンプスタッフ、そしてグッドウィルグループもすべて売上高は2000億円クラスでクリスタルの半分でしかなかった。しかし、一方で上場もしていなく、日本人材派遣協会や日本生産技能労務協会というような業界団体に加盟すらしていないという謎めいた部分も多かったため、周囲からは疑惑の目で見られていた。一代でここまで事業を拡大した林がクリスタルの売却を決意したのは、健康上の理由からだった。三和銀行を平成11年に退職した茶床信輝は、同行の先輩から相談を受けて、クリスタルの林純一オーナーから事業再構築の依頼を受けていた。茶床は当初人材派遣というクリスタルの本業に関係の無い子会社の売却を進めようとしたが、思うように進まなかった。
その後、クリスタルの子会社の株式会社コラボレートが偽装請負で行政処分を受けてしまった。大阪労働局はコラボレートが偽装請負を行ったことを理由に平成18年10月3日に労働者派遣事業停止命令および労働者派遣事業改善命令を出した。偽装請負とは契約上こそ請負という形をとっているが、その実態は労働者派遣であり、労働基準法に抵触する行為のことを言う。特に当時は製造業で多用されていた。そのため林は平成18年10月上旬に茶床を滋賀の自宅に呼んで「クリスタルを売ってしまおうと思うんや。ただしデューデリはなしや」と言った。林は一代で築いたクリスタルという会社に人一倍思いいれも強く、求心力を持って会社を引っ張っていた自分が、クリスタル株を売却することを役員や社員に知られてしまったら、彼らがクリスタルを辞めてしまって、会社が空中分解してしまうことになるのではないかと恐れていた。
クリスタルは当時連結で1000億円前後の純資産があり、売却金額もそれに見合ったものになる。デューデリができない、ということは本来ありえないことだ。そのような中で、茶床が頼ったのが中澤だった。売上高3000億円以上のみ上場の人材関連の会社といえば、クリスタルくらいしかないと思ったが、社会的評判が悪すぎる上に、デューデリできないとなれば無理だろうと思っていた。それでも、社名を伏せて知人の新生銀行の行員に検討可能か聞いてみたが、やはりデューデリなしでは不可能ということだった。中澤は私以外にも必死に出資者を探していたが、デューデリできないということでかなり難航しているようだった。
投資家が決まらない中で、中澤が頼ったのが緋田将士だった。中澤は知人の海老根淳司を介して、平成18年5月ごろに知り合っていた。その当時、緋田は国際空手道連盟極真会館松井派の館長である松井章圭と一緒にM・A・コーポレーションと言う会社を経営していた。
「グッドウィル・グループとかに買い取りを持ちかけられませんか」
「松井館長は折口会長と親しいですから、松井館長から話をしてもらいましょう」
「緋田さんにも分け前を渡しますから」
「当然、松井館長にも分け前を差し上げることになると思いますが、いいですか」
「ええ、それで結構です」
松井と緋田とグッドウィル・グループとの会議の際、グッドウィル・グループサイドらは、折口の他には、常務取締役管理本部長の金崎明、執行役員広報IR部長の大迫一生、法務部長で弁護士の資格を保有していた鎌田智が同席した。この場でグッドウィル・グループへ伝えられた内容は、クリスタルの発行済株式総数の約9割を中澤が取得することで話を進めていて、その約半数を600億円でグッドウィル・グループが取得しないか、というようなものだった。出席していた全てのグッドウィル関係者にとって、顔にこそ出さなかったが、この提案は非常に衝撃的なものだった。グッドウィルにとってクリスタル買収は悲願であった。折口会長はクリスタル子会社のシーテックの買収を試みたが林オーナーに会うことすらかなわなかった。しかも45%で600億円ということは、逆算した企業価値は100%で1330億円ということになり、この金額は想定していたクリスタルの時価総額4500億円の1/3にも満たない好条件だった。グッドウィルグループはクリスタルの価値を当期純利益200億円の30倍の6000億円からコラボレートの偽装請負によるディスカウント分を1500億円と社内的に見積もって差し引き約4500億円と見込んでいた。そのため折口は勢い取引への熱意を露にしながら、「最低でもクリスタル株の51%、できたら67%を取得したい」と松井に伝えた。
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そしてその日のうちに中澤がグッドウィル・グループへ行って具体的なミーティングをすることになった。中澤はその席でクリスタル株の構成と林の希望を伝え、折口と次のように交渉した。
「林さんは、同業他社へは売却したくないという意向を持っていますので、御社が表に出ないスキームが必要になります。そのために、コリンシアンパートナーズが出資しているコリンシアン弐号というファンドが、林さんから買い取ります。御社はもう一つ別のファンドに出資して、その別のファンドがコリンシアン弐号に出資して、コリンシアン弐号から組合財産の分配としてクリスタル株とバンテクノ株を取得すると言うスキームでいかがですか
「弊社としてはスキームにこだわるつもりはありません」
中澤はグッドウィル・グループからの出資金883億円の中から500億円を使ってクリスタルの株式51,825株を取得した。グッドウィルグループは883億円を出資し、クリスタル株38,190株を取得した。残った現金383億円とクリスタル株13,635株は、この取引を仲介した中澤と松井、そして緋田の3人で山分けされた。しかし中澤の怖いもの知らずの本領は、この松井と緋田との利益分配に発揮された。グッドウィル・グループからの出資が871億円で、林からのクリスタル株の購入代金が600億円で、差し引き271億円の現金と13,635株のクリスタル株がコリンシアン弐号には残っていると説明した。ここで林が600億円と言ったのは当初グッドウィル・グループへの仲介を依頼したときの金額が600億円だったからだ。また、クリスタルとバンテクノ株の67%で計算したため、その計算による合計金額が871億円となっていた。そのためグッドウィル・グループがみずほ銀行へ依頼していた融資金額も871億円だった。しかし、グッドウィルグループがバンテクノが保有していたクリスタル株5500株を取得するためには、バンテクノ株の全株を取得する必要があり、それを前提に出資金額を計算しなおすと、合計金額が883億円となった。
中澤が配分を受ける予定を指定分から7.5%分、松井と緋田は7.25%分を合計した22%分を271億円でグッドウィル・グループに売却したことを前提に、中澤分92億4000万円、松井及び緋田の分は89億3000万円とした。海老根淳司に対する手数料を18億2000万円とし、10億円を中澤が負担し、8億2000万円を緋田が負担することとしたため、中澤の取り分が82億4000万円で、緋田81億1000万円となった。
「(中澤)先生、分配はいつになりますか」
「コリンシアン弐号の決算期までは組合財産を分配することはできません。そこで松井さんには89億3000万円を、緋田さんには81億1000万円をコリンシアン弐号から貸付、コリンシアン弐号の決算期に貸付金を分配金と相殺することにしたいと思いますが、それでよろしいですか。それからコリンシアン弐号から松井さんと緋田さんに貸し付ける方法ですが、松井さんと緋田さんにそれぞれファンドを準備してもらって、それらのファンドにコリンシアン弐号から送金すると言うことにしたいと思うのですが、よろしいですか」
決算期まで分配することができないと言うことは無く、また貸付先をファンド名義にすると組合に出資していることになっている松井と緋田の名義と異なってしまうために相殺の手続きも面倒になる。私の見立てでは中澤がいたずらにスキームをややこしくしたものと思われる。これらは実際にコリンシアン弐号に残っていた現金383億円との差額112億円について、松井や緋田に悟られないようにするためのものだったに違いない。しかし緋田はこのことに感づき中澤と交渉し、分配される現金を33億7000万円増額させており、クリスタル株も720株増加させている。また、このころには中澤と緋田の間で海老根に対する手数料は無しとすることの合意ができていた。
澤田が中澤に持ち込んだのは、2014年ソチ冬季オリンピックに合わせてロシアのソチ市に人工島を作るというものだった。この計画に合わせるように平成19年中は低迷し、平成20年1月17日に最安値19円をつけた東邦グローバルアソシエイツ(当時の商号:千年の杜)の株価は、その後同月21日以降、急騰し始め、最高500円を超え、約25倍にまでなってしまった。ロシア内の登記簿謄本によれば東邦グローバルアソシエイツはホマル社の授権資本における持分の80%を取得している。東邦グローバルアソシエイツにホマル社を紹介したのは、レオニード・モストボイと山本丈夫という人物だった。一方、中澤にこの件を持ち込んだのは澤田であり、澤田に話を持ち込んだのは駒栄と紙屋だったと私は効いていた。平成19年、2014年ソチオリンピック協力委員会が設立され、久間章生元防衛大臣が委員長に就任し、ホテルニューオータニで団結式が行われた。ソチ人工島計画事件に関し、風説の流布の疑いがあり、これに久間元防衛大臣が関与していたのではないかというものだったが、そもそもソチ人工島計画は詳しく記載したように実際に進めていたのだから、風説の流布になるようなものではなかった。
> なんかこのプレスリリース読んだことあるような気がするわw
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エンロン内部告発者 2/6~集まるスタッフたち

マークレベッカは、1982年にファースト・シティを退社、その破綻を予期していた。同行が潰れたときには、彼女はすでにコンチネンタル・リソーシズの経理副部長になっており、この会社がヒューストン天然ガスに買収された。彼女はここでウィングと出会った。二人の間に何があったのかはともかく-二人は関係を否定していたが信じる者は少なかった。マークはすべてから教訓を学び取り、自己防衛の術も身につけ、時間を見つけて社費でハーバードのMBAを取った。ウィングが勢いを失うと、それに代わってレイや他の幹部とのパイプを強化した。彼女は人の話を熱心に聞き、社交に努め、矯正した歯、話し方教室、ブロンドのタテガミの威力を行使した。「驚いたわ」と彼女はのちに語っている。「ちょっと同情を示しただけで、男たちがどんなに簡単に自分をさらけ出して大きな秘密を話してくれるかは
マーク・レベッカ
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ジェフ・スキリングはガスバンクというシンプルなアイデアをエンロンに持ち込んだ。天然ガスの採掘や売買は、規制緩和がもたらした価格の不安定さのお陰で信用を失っており、これがまた業界を脅かす理由の一つだった。スキリングはこれを逆転する方法を考え出した。ちょうど銀行が預金者を束ねるように、エンロンがガスのサプライヤーである採掘会社を束ねる。そしてエンロンは、預金者に融資する銀行のように、ガスの買い手に売るのである。エンロンは売買の両方からサヤを取る。これは良いアイデアだったがリスクを伴っていた。しっかりした商売をするにはエンロンは単なるブローカーでいるわけにはいかなかった。ガスを供給するにはまず所有しなければならなかったし、買い手には一定の安定価格を保証しなければならなかった。つまりエンロンの市場に関する知識と支配力は絶対的なものでなければならないのである。エンロンはすでにガスの供給源となる石油やガスの事業部門を持っていた。そして競争相手もいなかった。ガスは石油のように魅力的な事業ではなかったからである。
1989年には、ルイジアナのアルミ精錬業者が、エンロンのガス運搬料金が高すぎると交渉を蹴った。しかしこの商談は、結局は実った。顧客はエンロンに固定価格を支払い、エンロンは顧客の近くのガス採掘会社から変動価格でガスを買い付けて、供給することにしたのである。これによってルイジアナの会社は望みどおりの料金でガスを手に入れることができ、エンロンは相反するニーズを持つ顧客を組み合わせることで商談をまとめた。これはのちに、最初の天然ガスのスワップ契約として知られるようになった。そしてエンロンはガスのトレーディング・ビジネスへの進出を急ぎ、大手の一社になった。1990年、ガスのトレーディング人気に目をつけて、ニューヨーク・マーカンタイル取引所(ナイメックス)はガスの先物市場を開いた。つまり将来のある時点にある価格でガスを売買する権利を取引できるようになったのである。エンロンは市場を牛耳っていたので、価格の決定権も握っていた。ナイメックスの先物は当初18ヶ月物が最長だったが、エンロンはもっと長期の先物を売ることができた。そして先物取引に参加するためにガスの現物を売買する必要はなかった。業界内外の金融トレーダーが目をつけて、ちょっとした先物の値動きに乗じてサヤ取りをするようになったからである。


クオ・ワディス(下) 6/6~リギイ族の巨人

果たしてもう長く待つことはなかった。突然真鍮のラッパの鋭い音が響くと、それを合図に皇帝のポディウムの正面に格子が開いて、ベスティアリウス(猛獣使)の叫びの中をアレナに向って怪物のようなゲルマニアの水牛が頭の上に女の裸体を乗せて現れた。「リギア。リギア。」とヴィニキウスは叫んだ。そうしてその瞬間にペトロニウスが頭にトガを被せてくれたことさえ感じなかった。死か痛みに眼が覆われたような気がしたのである。見ようともしないし見えなくもあった。口はただ気が違ったように「信じています。信じています。信じています。」と繰り返した。
ふと円形競技場は静まった。アウグスタニが一人の人のように席から立ち上がったのは、アレナに何か並外れたことが起こったからである。というのは慎ましやかに死を覚悟していたこのリギイ族の男は、荒々しい獣の角にかかっている自分の王女を見ると激しい火で燃えるように奮い立ち、背を曲げたと思うと荒れ狂う野獣のほうへ斜めになったまま走り出した。みんなの胸から短い驚きの叫びが発し、やがて重々しい静けさが続いた。すると瞬く間にリギイ族の男は荒れ狂う牛に飛びかかってその角を掴んだ。「御覧」とペトロニウスは叫んで、ヴィニキウスの頭からトガをひったくった。ヴィニキウスは立ち上がり、麻布のように青い顔を後ろに反らせて、ガラスのような意識のない眼でアレナを眺め始めた。全ての人の胸は息を止めた。人々は自分の眼を信じようとしなかった。ローマがローマになって以来これに似たものを見たことが無い。
リギイ族の男が荒々しい野獣の角を捉まえていた。その足は踝の上まで砂の中に沈み、背中は張り切った弓のように曲がり、頭は肩の間に隠れ、腕の筋肉は盛り上がって、その厭力のために皮がほとんどはじけそうになったが、牛をその場所に押し付けていた。人も獣もそのまま動かずいたので、見ている人々にはヘルクレスやテセウスの働きを現す書か、石に刻んだ群像を見ている気がした。しかしその一見平静な中に、互いに戦っている2つの力の恐ろしい緊張を知る事ができた。水牛も人間も同様に足を砂の中に没し、その黒い毛のふさふさした体は曲がって巨大な球に似ていた。どっちが早く力が尽き、どっちが先に倒れるか、これこそ、格闘を愛好する見物人にとってはこの瞬間に、自分自身の運命よりもローマ全体よりもローマの世界支配よりも重大な意義を持つ問いであった。皇帝自身もやはり立ち上がった。「このクロトン殺しには我々が選んでやった水牛を殺させたいものだ」


グッドウィルで380億円を稼いだ男 2/3~香港での監禁、強盗

2008年9月5日
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「チャカ出せ、チャカ」中澤の盟友である澤田三帆子が、男4人を引き連れて香港にあった中澤所有の高級マンション「ザ・アーチ」31階の、私が住んでいた部屋に突然入ってきた。私と中澤の10年以上の友好関係が終わった瞬間だった。思い返せばその日から遡ること1週間前ごろから異変はあった。8月下旬頃からそのマンションで暮らしていたが、中澤と連絡しようと思っても連絡が取れなかったのである。そのころ電話をしてきたのは、黒木正博だった。慶應義塾大学での私の先輩で、中澤が経営権を取得した東邦グローバルアソシエイツ株式会社の元オーナーで、ベンチャーの旗手として注目された。その黒木とは電話で
「鬼頭ちゃん、いまどこにいるの」「香港ですよ」「それならいいんだけど、キョクシンが鬼頭ちゃんをさらうって言ってるんだよ」 キョクシンと言われて空手の極真かと思ったが山口組の極心連合会のことだった。
比嘉と電話で「ちょっとおかしいんですよ。秋月(幸治)さんが5人も連れてきたんですけど弁護士の先生と四方啓二さんという人しか名刺出さないんですよ。なんか見るからに怪しいんですよ、ビジネスマンという感じではないですよ
帰国することになっていたその日に急襲された。
澤田「鬼頭さん、あんたもワルだね、どこに金隠しんてんの」
鬼頭「どこにも隠してないです」
山本丈夫「じゃ、どうしてコリンシアンの金がなくなっちゃってるの」
山本は、背はそれほど高くはないが、筋肉質でオールバックの見た目はいかつい感じの人だった。中澤からの依頼で来たと言っていた四方は、私が不正を働いていると言う先入観を持ってきたようだが、私の説明に不自然な点が無く、肩透かしを食ったかのようだった。四方は空手をやっているとのことで、背も高くがっしりしたタイプだった。四方の説明によると他の2名は香港人で1人は弁護士、もう1人はセキュリティだと言っていた。香港人の1人はどうみてもヒットマンのような人間で、黒を基調とした身なりで全身を固め、大きな黒いサングラスをかけ、まるで映画に出てきそうな格好をしていた。
「あんた状況が分かっているの? 中澤に東邦を返しなさいよ」澤田が威勢よく声をあげた。とても女とは思えない。いつでも「極道の妻たち」に出演できそうだ。
> リアル「極道の妻たち」、妻では済まないです。「女極道」、おっかない女性も数多くいらっしゃるようですねw
マルサの関心ごとは約180億円の金の流れとグッドウィル・プレミア株の扱いだった。コリンシアンパートナーズは、この約180億円を原資に様々な投資事業を行った。コリンシアンパートナーズが行った投資は、大きく分けると、上場会社への投資と、未上場会社への投資の2つがあった。まず、上場企業への投資は単純に大口投資家からまとめて株式を購入し、その株を即日ヘッジファンドへ売却して利鞘を取る取引や、黒木正博案件のトランスデジタルやオックスホールディングスへの投融資のように3ヶ月くらいで1割の利益を確保する純投資と、東邦グローバルアソシエイツやビービーネットのように経営権を取得する2通りの形態で行われていた。経営権を取得するといっても明確な出口戦略があるわけでもなかったので、多額の資金を得た中澤が、自分の知人や私が紹介した知人を取締役に据えて、オーナーとして振舞うことを楽しむために投資したようなものだった。
だから、経営権を取得した会社の商号も、中澤が経営してきた会計事務所や監査法人にちなんだ名称に変更しようとした。千年の杜は東邦会計事務所にちなんで、東邦グローバルアソシエイツに、ビービーネットはユニバーサル監査法人にちなんで、ユニバーサル○○に変更予定だったがその前に資金が枯渇してしまった。未上場企業への投資は元シティバンクのプライベートバンカーだった竹山(仮名)という中澤の知人から持ち込まれたサイバーブレッドへの投資が起点となり、その子会社への投融資を中心に、その投融資の合計金額は20億円弱となったが、これもことごとく失敗した。サイバーブレッドは平成16年3月に設立させ、インターネット上でのファンクラブ運営などのWebエンタテインメントコンテンツ供給サービス、口コミマーケティング、フリーペーパー作成など総合的なプロモーション事業を手掛けていた会社だった。ベンチャーキャピタルの出資を受けるなどして資金基盤の充実を図りながら業容を短期間で急速に拡大させ、22億円の売上高の計上するまでになっていたが、オーナーの伊藤和訓に問題があり、上場できずにいるとの事だった。竹山は、この伊藤の株式の購入を斡旋しにきたのだった。中澤は興味を示したようで、手付金3億円を支払ったがすぐに循環取引が発覚し、サイバーブレッドは平成19年7月に破産となった。
「澤田三帆子がすごい話持ってきたで」と中澤が言った。表紙には山田洋行と日本ミライズの対立の記事が載っていた。この対立は軍需専門商社の山田洋行元専務の宮崎元伸が部下40数人を引き抜いて同業の日本ミライズを設立し、航空自衛隊時期輸送機(CX)のエンジン製造会社であったゼネラルエレクトリック(GE)と代理店契約を結んでしまったために起こったものだった。
「澤田が駒栄さんという人を紹介してくれたんや。駒栄さんは衆議院の久間先生の私設秘書をしているからこの話はカタいで」 翌日中澤と会談場所のグルジア大使館が入っているビルの1階に行くとすでに横田(東邦グローバルアソシエイツ)が来ていた。その後、澤田と駒栄博志と紙屋道雄が入ってきた。グルジア大使館の中には大沢という50代後半の紳士風の風貌だが話す内容は頗る大きかった人物がいた。
「グルジア(georgia)を英語読みするとジョージアって言うんですよ。ユダヤ人と非常に関係が深いんですよ。そして、私の古くからの友人にプライベートジェットで世界中を飛び回って投資しているジョージというユダヤ人がいるんですが、ジョージは1兆円くらいのファンドを持っていて、ユダヤ人つながりでGEとも非常に仲良くしているから代理店の件もジョージに頼めば簡単ですよ」
この件は、結局、「ジョージに契約成立前に1億円支払って欲しい」と澤田が中澤に依頼したものの、そのことを聞いた私が「千年は上場会社だから契約が成立したら、仲介手数料として支払うことはできると思いますが、ただGEと仲良しだと言っているジョージに、1億円も支払うことができるわけないじゃないですか」と言ったことで、中澤も思いとどまって、そのまま立ち消えとなった。駒栄は、平成15年の福岡県の若宮町長汚職事件で、公共工事受注の賄賂を渡した容疑で逮捕され、実刑判決を受けていた。紙屋も丸石自転車を巡る架空増資事件で、電磁的公正証書原本不実記録、同共用容疑での逮捕歴があった。
> 紙屋さん、有名ですねw で、大澤さんって誰? 笑っちゃうくらい詐欺のレベルが低いw プライベートジェットと1兆円のファンドとユダヤって何だ? この次元の詐欺師は、俺には近寄ってこないよ。
【メンヘラ・破壊的な女】
2014.06.06 別海から来た女 木嶋佳苗悪魔祓いの百日裁判
2013.11.22 バンファイパヤナーク観測計画 3/11 ~水上マーケットとハーレムナイトinバンコク
2013.08.19 ハプスブルク家の悲劇 4/8 ~正妻ステファニーvs愛人マリー
2013.07.08 春のタイ 後編 ソンクランのはしご 4/8 ~水をかけられない女inパタヤ
2013.05.15 春のタイ 前編 ソンクラン前 5/9 ~シラチャのネーさんの謀略
2013.02.21 タイ全土落下傘計画 9/17 ~シラチャのアツい夜
2012.07.19 この前の土日、プールサイドで超アグレッシブな女の子とイチャイチャしちゃった
2012.02.09|東電OL殺人事件 1/2 ~その人
2011.08.09: 金賢姫全告白 いま、女として4/6 ~軍事訓練
2011.06.08: 歴史を騒がせた悪女たち5/7 ~ロシアより愛を込めて
2011.03.11: 永田洋子追悼記念 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程
2010.10.28: 破壊工作 金賢姫Forcus
2010.03.18: 海外のヤンデレ ヤンデレの研究 
2009.08.31: Madoff’s Other Secret 愛、金、バーニー そして わ・た・し
2009.07.06: 職業Investment Banker? 男と女のM&Aで100mil
2009.05.08: 私はカネ目当てじゃない ~怒りの代償
2008.05.08: サロメ





エンロン内部告発者 1/6~ガスビジネス

エキゾ予想。日本における電力自由化、電力の市場化は、日本に第二のエンロンを生むきっかけになるだろう。というわけで、今は亡きエンロンを振り返ることにしましょう。
ガス事業はかつてはかつては石油事業の継子だった。オイルマンたちは当初、天然ガスは石油を得るために廃棄しなければならない厄介者と見なしていた。天然ガスが急にもてはやされるようになったのは、二度の大戦の間だった。連邦政府は天然ガス業界の発展を公益を考えた。クリーンな燃料であり、増大する輸入石油への依存を低下させるからだ。当初、ガス市場は他の規制公益事業と変わるところがなかった。採掘業者は州間パイプライン業者に天然ガスを適正価格で販売し、それをパイプライン会社が各地域の配ガス会社に適正価格で転売する。パイプライン会社にとってはうまみのある安定した事業で、年間収入は確定的だった
ガス輸送を値付けするのは簡単だが、しかしガス田を見つけるのは簡単ではなかった。試掘は今も昔も酷く金がかかり、成功率も低かったので採掘業者のその損失をついぞ適切に埋められなかった。やがて採掘業者はガス田の開発をやめてしまい、すると市場は停滞し、学校や病院などではガス不足をきたすようになった。1970年代には、政策決定者達はガス市場の分割に躍起になった。競争原理による市場の活性化を図るためである。これは基本的に、ガス開発と売買の方法を一から作り直すことを意味していた。ここにケン・レイがいた。政府ではなく市場がガスの値段を決定すれば機会が開け、誰にとっても大きなメリットがあると、彼は信じていた。
ケン・レイ
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1984年には、規制緩和されたガス市場は乱戦に陥っていた。当時コースタル・コーポレーションという名の石油とガスのコングロマリットを率いていたオスカー・ワイアットは、人望の厚かったロバート・へリングを亡くして混乱に陥っていたヒューストン天然ガス(HNG)に13億ドルの買収攻勢をかけた。HNGはワイアットに4200万ドル払って買収を退けたが、取締役会は危うく会社を失いかけた老社長に不満を持った。規制緩和がもたらした新たな経営環境では、またぞろ買収攻勢をかけられる恐れがあった。それだけに彼らは若くてアグレッシブな、会社を守れるリーダーシップを求めていた。そこでケン・レイに白羽の矢が立った。トランスコ社がワイアットの買収を交わす際に、八面六臂の活躍を見せたからである。


クオ・ワディス(下) 5/6~囚われのリギア

> クリスト教徒が幽閉されていた「臭い窟」
エスクィリヌスの牢獄は、火災を阻止するために家々の穴蔵を利用して急に作ったもので、なるほどカピトリウムの横にある古いトゥリアヌム程恐ろしくは無かったが、その代わり百倍も厳重に警備されていた。ヴィニキウスもはやはりリギアを救い出せるかどうかという希望を失っていた。今となってはクリストにしかそれができない。若いトリブヌスは既にただ、牢獄で一目会いたいということしか考えていなかった。「臭い窟」の監督の声が聞こえた。「今日は死体はいくつある。」牢番は答えた「123人だな。しかし朝までにはもっと出る。あすこの陰では何人か死にかけて咽喉を鳴らしている。」そういって牢番は、女どもが少しでも長く死んだ子供を手元においてできるだけ「臭い窟」にやるまいと隠すことに苦情を言い始めた。このままでもやりきれないここの空気が一層臭くなるから、まず臭いで死体を嗅ぎ分けなければならない。「死体をすぐに運び出さなければいけない。疫病は一番死体から染つる。さもないと死んじまうよ、お前達も囚人も。」
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ヴィニキウスにも現実感が戻ってきて、地下坑の中を見回し始めたが、いくら眼で探してもリギアが見つからず、その生きている間にあの人を見ることは全くできないのではないかと考えた。突然身震いをしたのは、格子の挟まった壁の穴の下にウルススの巨大な姿を見たような気がしたからである。そこでその瞬間にカンテラを吹き消してこれに近づき、こう訊いた。「ウルスス、お前か」巨人は顔を向けて、「誰です。」「私がわからないか。」と若者は訊いた。「カンテラをお消しになったのですもの、どうしてわかりましょう。」しかしヴィニキウスはその時、壁の傍らに外套を敷いて臥せているリギアを見定めたのでもう一言も言わずその傍らに跪いた。ヴィニキウスは跪きながら涙越しにリギアを見詰めた。暗かったけれども見分けることのできたリギアの顔はアラパステルのように青く思われ、腕は痩せ細っていた。「マルクス、私は病気です。アレナの丘かこの牢獄か、私は死ななければなりません。けれどもその前に一度お会いできるように祈っていました。こうして来てくだすった。クリストが届けてくだすった。私はあなたの妻です。」


グッドウィルで380億円を稼いだ男 1/3~国税局強制捜査

中澤秀夫の所得税法違反で一斉査察なんですが、いまどちらですか?」 まずい、私がいたマンションはマルサが狙っている中澤が経営するコリンシアンパートナーズ株式会社が事務所を構えていたマンションと同じマンションだった。コリンシアンパートナーズの事務所は1801号室。私の部屋は1601号室で、部屋の作りも同じだった。
「いまマカオに来ているんですよ」口から嘘が突いて出た。「それは困りましたね、いつ戻られますか」
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ほっとしたのもつかの間、落ち着くまもなくピンポンと呼び鈴が鳴る。マルサだと思い、確認のため覗き窓から覗いてみる。やはりマルサと思われる見知らぬ男の人が2,3人通路をウロウロしている。早く立ち去ってくれることを願うばかりだった。幸い3,4回呼び鈴が鳴るがその後は止まった。ガサの場合、マルサがいきなり踏み込んでいく強制捜査を行うためには捜索する場所および押収するものを明示した裁判官による捜査差押許可状が必要となる。1601号室にまさか私が住んでいるとも思っていなかったので事前準備がなされていなかったらしい。
マルサは当然コリンシアンパートナーズの元代表取締役であった私の海外渡航に関しても事前に調査済みだったが、東京国税局を管轄している財務省とパスポートを管轄している外務省では担当が違うため、マルサがリアルタイムに出入国を知る事ができるわけも無く、私がマカオにいることを前提に交渉を進めなければならなかった。ただ、その後私が初めて東京国税局へ行った時には、東京国税局は海外渡航の最新履歴を照会済みで、この日、私が日本にいたことは判明していた
> 国税は最高権力を持っていますから、縦割り行政の縄張りすらも乗り越えてしまうのですね。くわばらくわばら。


クオ・ワディス(下) 4/6~十字架にかけられるクリスト教徒

> 宙釣りの刑
観物はクリスト教徒同士の格闘から始まるはずとなり、その目的でクリスト教徒は格闘士の装をして、職業的な格闘士が攻撃及び防御に使うあらゆる武器を与えられた。ところがここに失望が起こった。クリスト教徒は砂の上に鎌や刺叉や槍や剣を投げ捨てるとただちに互いに抱き合い、苦悩としに対して忍耐するように励ましあった。あるものはクリスト教徒の卑屈と怯懦を非難し、或るものはクリスト教徒がわざと打ち合いを欲しないのは民衆に対する憎しみのためで雄々しい光景が普段与える喜びを自分達から奪うためだと断言した。到頭皇帝の命令によって本物の格闘士をこれに放ち、跪いている武器の無い人々を瞬く間に切り倒させた。
さて死体を片付け観物は闘技を止めて、皇帝自身の考案による成る神話的な場面の展開に変じた。そこに人々はヘラクレスがオイテの山で生き生きとした火で焼け死ぬところを見た。ヴィニキウスはそのヘラクレス役にウルススが回されるかもしれないと考えて身震いしたが、見たところ順番はまだこのリギアの忠実な僕に来てないで、薪の山では誰か別のヴィニキウスが全く知らないクリスト教徒が焼かれていた。その代わり次の場面では皇帝の命令でその上演に列席するのを逃げられなかったキロンは自分の知っている人々を見ることになった。上演されたのはダイダロスとイカロスの死であった。ダイダロスの役を勤めたのはエウリキウス即ち前にキロンに魚のしるしを教えたあの老人だった。イカロスの役を勤めたのはクァルトゥスであった。二人とも巧妙な機械仕掛けによって上に釣り上げられ、非常な高さから突然アレナに突き落とされたが、その際若いクァルトゥスは皇帝のポディウムのすぐ傍らに落ちたので、その血が外側の装飾ばかりでなく赤い布をかけた欄干にもしぶきかかった。キロンは眼を瞑っていたのでその墜落は見ず、ただ体の重々しい音を聞いただけであるが、やがて自分のすぐ傍らの血を見るともう少しで再び気絶しそうになった。


徹底抗戦 4/4~ガバナンス体制

宮内氏らによる「お金の横領」が発覚したのである。
そもそも私は宮内氏を全面的に信頼していた。宮内氏を信頼していたからこそ「ライブドアの配当比率を上げると堀江が一番配当金を受け取ってしまうことになるから、配当をしてはいけない」という彼の意見に従ったわけだし、増資をして私の持ち株比率を下げたり、株式交換による企業買収を進めて私のオーナーとしての権利をドンドン縮小することにも従ったのである。たしかに2004年頃、宮内氏と中村氏は、フェラーリを現金で買っていた。「中村さんすごいね!」と私が言うと「ストックオプションを行使して買ったんですよ」と言っていたし、宮内氏も、彼が中心になって設立した「ゼネラルコンサルティングファーム」という税理・会計事務所からの収入や、元々彼が持っていた税理士事務所からの収入でフェラーリを買ったのだと思っていた。
でもそれは違ったようだ。ライブドアが人材派遣会社トラインを株式交換で買収した際、ライブドアの新株が45000株発行されたのだが、この新株は投資ファンドを通じて野口氏が香港に作ったペーパーカンパニー「パシフィック・スマート。インベストメント(PSI)」の口座に移された。PSIは、後に新株を市場で売却し、2億6000万円以上の売却益を得ていたのだが、この売却益の何割かが宮内氏らが香港に作った「パイオニア・トップ・インベストメント(PTI)」という会社に振り込まれていたのである。その振り込まれたお金がフェラーリの費用になっていた。野口氏への報酬数千万円も現金でデリバリーされたと言う。似たようなお金の流れは他にもあった。ライブドアによるバリュークリックジャパン(後のライブドアマーケティング)の買収発表の直前、バリュークリックジャパン株が野口氏の会社で大量購入され、株価が高騰した直後に売却されていた。これ以外にも不自然なことは山ほどあった。彼らがこのようなことをした理由が私には未だに分からない。ライブドアの上場によって私の保有資産が大幅に増えた(私の保有株の価値が高騰したから。当たり前だが、株価が上がってもそれを売却しなければお金を得られないのに)ことを彼らは羨ましいと思っていたのだろうか?

孤高の創業者社長。ポルシェ欲しかったんだろw 小金手に入れて、まずポルシェ買うって発想が貧しくて嫌だねぇ


クオ・ワディス(下) 3/6~大火のスケープゴート

> 猛獣、犬に食われるクリスト教徒
さてプラエフェクトゥスは合図をした。するとさっき格闘士を死の場に呼び出したカロンのなりをしている同じ老人がゆっくりとした足取りでアレナを横切り、重苦しい沈黙の中で又三度槌で扉を叩いた。円形競技場全体に呟きが起こった。「クリスト教徒だ。クリスト教徒だ。」鉄の格子が上がって、真っ暗な入り口からマスティゴフォルスの例の「砂場へ」という叫びが聞こえ、一瞬間にアレナには毛皮に覆われたシルヴァヌス(森の精)のような人の群が入ってきた。そのすべてのものは幾らか速く熱を帯びたように走ってきたが、円形の中心まで来ると、列んで躓き手を上に挙げた。民衆はそれが憐れみを乞うしるしだと考えたので、こんな卑怯な態度に憤激して足踏みを始め、口笛を吹き、空になった酒器や噛った後の骨を投げて、「獣を出せ、獣を出せ。」と怒鳴った。すると突然思いもかけないことが起こった。見ると毛皮を着た群の間から歌を歌う声が揚がり、まさにその時ローマの円形競技場で始めて聞く歌が鳴り響いた。「クリストゥス レグナト(クリストは支配し給う)」
そこで驚きが群集を襲った。罪人がヴェラリウムの方に目を挙げて、歌を歌っているのである。そこに見られる顔は青ざめてはいたが、霊感に充たされたようであった。この人々は憐みを求めているのではなく、円形競技場の民衆も元老院議員も皇帝も目に入らない風をしているのだと分かった。「クリストゥス レグナト」という声がますます高くなると、座席では遥か上のほうの見物人の列の間まで、何事が起こったのか、又死ぬはずになっているこれらの人々の口に王として讃えられる「クリスト」とは何者であるかと言う問いを抱くものがでてきた。その時新しい格子が開いて、アレナには荒々しく走って吠える一群の犬が出てきた


徹底抗戦 3/4~拘置所の暮らし

検察庁ではクレジットカードやら携帯電話を押収され、そのまま逮捕。拘置所へと護送されることになった。拘置所に連れて行かれる間も同じような状況だった。でも不思議と冷静。拘置所では人定質問され、尻の穴を見せて部屋に送られる。刑務官が気を使ってくれて、官本という備え付けの本を三冊ほど入れておいてくれた。そのうちの一冊は「小説日本興業銀行」(高杉良著/講談社)。これがその後、拘置所内での高杉良の著書を読者するきっかけになった。もう一冊は、なぜかマンガ「難波金融伝ミナミの帝王」(郷力也・画、天王寺大・作/日本文芸者)。興奮してなかなか寝付けなかったので本があって助かった。次の日の朝。噂のくさい飯が登場した。最初の日だけはあの麦飯の臭いが鼻についた。でもすぐになれた。おいしい。

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神経太いなぁ。江副さんは、カンカン踊りに衝撃を受けていたようだが・・・。
2015.04.01 リクルート事件・江副浩正の真実 3/5~検察の横暴
ホリエモンは江副さんの本も読んだというようなことを言っていたので、知っていたのかもしれないが、知っていたとしても、男の人の前で全裸になったことないなぁ。あ、忘れていただけだった、あるわ。でも相手も全裸だったからなぁ。相手が服来てて、全裸で四つんばいか。「尻の穴を見せて」とたった七文字でさらっと流せないわ。臭い飯って麦飯か、麦飯なら、俺も大丈夫そうだ。今現在、実家は麦飯が混ざった飯が出てきているw


クオ・ワディス(下) 2/6~キリスト教徒処刑。猛獣の餌@コロセウム

アフリカではティゲリヌスの要求によって、その地方の住民全体が参加しなければならない大掛かりな狩が行われた。アジアから象と虎、ナイル河から鰐や河馬、アトラス山脈から獅子、ピレネ山脈から狼と熊、ヒベルニア(今のアイルランド)から猛犬、エピルスからはモロッソイ犬、ゲルマニアからは水牛と巨大で獰猛な野牛が送られた。収監された人の数が多いので、今度の競技は大きさの面でも今まで見られた全ての競技を凌ぐ筈であった。皇帝は火災の思い出を血の中に浸しローマを血で充たそうと望んでいたのであるから、流血も今までこれ以上華々しいものは提供されたことはない。陽気になってきた民衆は、ヴィギリア(夜警)やプラエトリア兵の手筈をしてクリスト教徒を狩り出した。それが困難な仕事でなかったと言うのは、クリスト教徒の大群が尚庭園の中で他の民衆と一緒に宿営していて、公然と自分達の信仰を告白していたからである。包囲されると跪いて歌を歌いながら反抗せずに捕縛した。民衆にはクリスト教徒の落着きの源がわからないので、それを頑迷と考え罪悪を固執するものと見た。
そこで民衆はプラエトリア兵の手からクリスト教徒を奪って自分たちの手で八つ裂きにしそうな形勢になった。女の髪を捉まえて牢獄まで引き摺ったり、子供の頭の敷石に打ちつけたりした。夜になると、人々の雷のような唸声が聞かれ、それが全市に響き渡った。方々の牢獄は何千という人で満ち溢れたが、それでも毎日民衆とプラエトリア兵は新しい犠牲を引っ張ってきた。憐憫の念は消えてしまった。人間が言葉を忘れ、物凄い狂乱の中にただ「クリスト教徒を獅子に食わせろ」という一つの叫びしかおぼえていない有様であった。


クオ・ワディス(下) 1/6~ローマの大火を見ながら歌を歌うネロ

ティゲリヌスはプラエトリア兵の全部隊を集めてから、近付いてくる皇帝に矢継ぎ早に飛脚を送り、火災がますます激しくなっているから観物の豪華さは申し分ないと報告した。しかしネロは、滅びていく都の光景を堪能するために夜になってから来たいと思っていた。その目的からアクァアルバナ(水道の名)の附近で泊まり、テントに悲劇役者のアリトゥルスを招き入れ、その助けを借りて姿や顔や目付を整え、それに応ずる動作を学び、これと激しく意見を交わして「おお、神聖なる町よ、イダ(トロヤの南方の山)よりも強固と見ゆるに。」という言葉の所で、両手を上に差し伸べたものか、それとも片手に琴を取ってその手を脇に垂れ、もう一つの手だけ挙げたものかと議論した。しかもこの問題がこの瞬間にあらゆるほかのことよりも重要だと考えていた。結局、薄暮に発足したが、尚ペトロニウスの意見を徴して、災害に捧げられる詩句の中に神々に対する非難の語をいくつ加えるか、それとも芸術の立場から考えてそういう言葉はこういう祖国を失った人の口にひとりでに出てこなければならないものかを語った。
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クオ・ワディス(中) 2/2~ローマの大火

プラエトル軍の主力は兵営に待機して都内を警戒しその秩序を保っていた。それが通り過ぎると列になったネロの虎と獅子が見えた。ネロはディオニュソスを真似る気になると直ぐこれを旅行の車につけるためである。奴隷や少年の品の良い一隊が続き、最後に皇帝自身が近づいたことは遠くから民衆の叫声で知られた。その群集の中には、一生に一度は皇帝を見たいと思っている使徒のペテロも居た。その供をしたのは厚いヴェールに顔を隠しているリギアと、慎みのない厚顔ましい群衆の真中でこの少女のために最も確かな保護をするだけの力を持つウルススとである。
そこへ皇帝がやって来た。皇帝は黄金の金具のあるイドゥマヤ(パレスチナの南部死海の西に当る山地)産の白馬6頭に牽かせたテントの格好の車に乗っていた。テントの格好をしていると云っても、その車は両側がわざと開いて、群衆に皇帝が見えるようにしてあった。そこには幾人が乗れる場所があったが、ネロは人の注意が主として自分に集まるようにしたかったので、都内を通る時は一人だけで乗り、ただ足下に奇形の異人を二人置いた。着物は白いトゥニカに紫水晶色のトガを重ね、トガはその顔に青みがかった光を投げていた。頭には月桂冠を戴いた。ネアポリスに出掛けた頃から見ると著しく肥った。顔が幅が広くなり下顎は二重になって垂れているために、元来鼻に近すぎる唇は今では鼻の孔のすぐ下についているように見えた。太い顎はいつものように絹の布で巻き、それを絶えず直している白い脂ぎった手には、関節のところに赤みがかった毛が生えて、まるで血のしみのようになっていたが、そえをエピトラル(毛を抜く人)に抜かせなかったのは、そうすると指が慄えて琴が弾けなくなると言われたからである。顔にはいつものように涯しのない虚栄心と疲労や退屈と一緒になって現れていた。一般に言うとその顔は恐ろしいと同時に道化じみていた。


リクルート事件・江副浩正の真実 5/5~国税との攻防

私の父親は株の売買をやっていて、高校教師だったのに毎晩飲んで帰ってきていた。当時は高度経済成長期でほとんどの株式が値上がりしていた。そして父親は株式を私に生前贈与してくれていて、私は社会人になってからその株の売却益を元に株の売買を始めた。のちのことだが、リクルート本体でも日興証券から山路正徳を迎え、グループの企業年金の自主運用と余資を運用し、値上がりしそうな株を買い、値下がりしそうな株を信用売りしていた。このような取引を裁定取引(アービトラージュ)という。理屈の上では利益が上がるように見えるが、ニューヨーク株式市場のダウ平均株価(わずか30銘柄の工業株によって構成されている)が上昇すれば、値上がりしそうな株も値下がりしそうな株もそれに連動して値上がりする。ダウ平均が下がれば連動して値下がりするため、必ずしも利益が得られるわけではない。ただ、いくつかの銘柄を長期間売りと買いを建てていれば、長期的には利ざやが取れるケースが多い。私は、私個人の株売買の利ざやで、私のスキー、ゴルフ、そして家族連れの海外旅行の費用、さらにグループ企業の損失の穴埋めもしていた。立花証券の石井久さんから「兜町では”売り”が悪いこととされるんですよ。私も業界紙に”売り”と書いて同業者から批判されたことがあります」と言われた事があったが確かに証券市場にはそのような風潮があるようだ。私自身もかつて足踏みミシンのシンガーミシンが日本から撤退したので、同じ足踏みミシンメーカーであるリッカーの株を売り、電動ミシンのJUKIの株を買ったのだが、リッカー株の売却だけが朝日に報道されたということがあった。

まず空売りと言わず、信用売りと言っているのは、アマなのに感心な正しい言葉遣いだ。ただ、この戦略は単なるロング・ショートでアービトラージュとは言わない。ついた先生が悪かったのかな。それから社長として社員教育のためによくない発言、
「理屈の上では利益が上がるように見える」と「長期的には利ざやが取れるケースが多い」
は卓越した売買のセンスと実績を持つ江副さんのみが許される結果論です。


クオ・ワディス(中) 1/2~クリスト教の斬新さ

キロンはもうすっかり安心したので立ち上り、壁にかかっているランプを一つ取った。ところがその際、頭巾が頭から外れて、光がキロンの顔に真正面からあたると、グラウクスは腰掛から飛び上がって速やかに近寄り、その前に立ち止まって訊いた。『私を覚えてないか、ケファス。』その声には何か非常に恐ろしいものが籠っていたので、居合わせた人々はみんなぞっとした。キロンは、ランプを持ちあげたが、その瞬間にこれに地面に落とし、やがて身を二つに折って溜息をついた。「私ではない…私ではない…御免なさい」しかしグラウクスは長老たちの方を向いて云った。『これが私と家族を売って破滅させた男です…』この男の話はあらゆるクリスト教徒にもヴィニキウスにも知れていた。ただヴィニキウスは包帯をされた時痛みのために絶えず失神していてグラウクスという名前を聞かなかったので、そのグラウクスが誰だか推測できずにいた。しかしウルススにとっては、グラウクスの言葉と結びついて、その瞬間暗闇の中で電光のように速やかであった。それがキロンだとわかると、一っ飛びにその前に出て腕を捕まえ、後ろに廻し、こう叫んだ。「これが私にグラウクスを殺せとそそのかした男です」「ごめんなさい」キロンは歎いた。「お返しします」と叫んで、顔をヴィニキウスのほうに向け「助けてください。ご信頼申し上げておりました。私を守ってください。…お手紙は…持ってまいります。どうぞ、どうぞ…」


リクルート事件・江副浩正の真実 4/5~日本は共産主義か?

アメリカの裁判は戦いの文化だが、日本の裁判は謝罪の文化だよ。認めて謝れば情状が酌量される。弁護士の先生は真実に反する調書に署名をするなと言っているだろうが、その姿勢を貫くとかえってまずい結果になる。僕を弁護士と思い、僕の言うことを信じてくれよ」
総理公邸訪問の経緯
中曽根総理はご自信の発案で臨教審を設けて、教育改革に取り組んでいた。臨教審のテーマは「学歴社会の是正」だった。私は公邸訪問の1ヵ月半前、臨教審第四支部会に講師として招かれ「学歴と雇用」のテーマで、日本生産性本部の『学歴別生涯賃金表』を元に次のような要旨の話をしている。
大学の生涯賃金と高卒の生涯賃金の差は、日本生産性本部の調査では、大卒を100とすると高卒は81で、学歴による所得格差は諸外国に比べて格段に小さい。また、大学進学率が高くなったことで、大卒は高卒よりも就職が難しくなっていて、警察官や消防士などに、大卒が就職するようになった。大卒で大蔵次官になった人と、高卒で税務署に生涯努めた人の生涯賃金の差は2倍半ほど。民間でも高卒の銀行員と大卒で頭取になった人との生涯賃金の差は4~6倍ほどで欧米と比べてきわめて差が少ない
大企業はどの大学・高校にも就職の門戸を開いている。とくに関西の住友銀行、三和銀行、松下電器、三洋電機、シャープなどでは高校卒業の役員も多い。諸外国に比べて、日本は是正すべき学歴による差別は無く、これ以上均一性を求める必要はないと思う。差別があるとすれば中央官庁のキャリア組とノンキャリア組との仕事や職務権限の差別である。”学歴社会の是正”より”大学改革”が、今日の産業界、ひいては社会の要請だと思う。
私が「学歴社会の是正」の議論に否定的な話をしたためか「江副さんの話がウチの部会でも話題になりました。同じ趣旨の話で結構です。第二部会でも話してもらえませんか」と言われ、翌2月27日、私は第二部会でも同様の話をした。そのすぐあとの総理秘書官からの電話であった。

頭取と一兵卒で6倍か。ほんと、一生ヒラでも大差ない共産社会だなw さすがに今は10倍以上はつけたかな?


クオ・ワディス(上) 3/3~オストリアムヌ、キリスト教徒の会合にて

平地には間もなくおびただしい数の群衆が集まった。角燈は目の届くかぎりまたたき会っていたが、そこへ来た者の多くはともしびをすっかり消していた。頭をあらわに見せている者はごくわずかで、すっぽり頭巾をかぶっている。終わりまでこのままだとすると、この群衆と暗さではリギアを見分けることはできそうもない。そう思うと若い貴族は気が気でなかった。しかし突然、地下墓地のすぐ近くに小高く積み上げた幾本かの樹脂のたいまつに火がともされて、あたりは前よりも明るくなった。群衆は何か不思議な聖歌を歌い始めた。歌声ははじめは低かったが、そのうちしだいに高くなっていった。ウィニキウスはいままで一度もこのような歌を聞いたことが無かった。墓地に来る途中で一緒になった人々がめいめい口ずさんでいた歌を聞いた時既にウィニキウスの心を打ったあの憧れが、今聞くこの聖歌の中にも響いていた。ただそれは前よりも遥かに力強く、はっきりしていて、あたり一面がこの人々ともに憧れはじめたかと思われるほど大きな、感動的な響きとなった。空に向けられた人々の顔はあたかも遥か高みの何者かを認めているようであり、両手はあたかもその何者かの降臨を求めているかのようであった。ウィニキウスは小アジアでも、エジプトでも、このローマでも、趣きの違う多くの神殿を見、多くの信仰を知り、多くの歌を聞いたが、歌によって神を呼び求める人々、それもある決まった儀式としてでなく、子供が父や母に対して抱くような純粋な憧れかrあ、心をむなしくして紙を呼び求める人々を見るのがこれがはじめてであった。


リクルート事件・江副浩正の真実 3/5~検察の横暴

カンカン踊り
拘置所の建物に入ると、関所のようなところがあった。そこで財布、鍵、時計などの所持品は、「領置する」(拘置所で預かる)と取り上げられた。丸裸にされて、10人ほどの看守が見ているところを歩かされた。その後、四つんばいの姿勢にされた。そして突然肛門にガラスの棒を突っ込まれて、棒を前後に動かされた。大変な不快感と痛み。大勢の看守が見ている中、言葉にできない屈辱感。私は人権侵害だと思った。後に弁護士に聞いたところ、「それは俗に”カンカン踊り”と呼ばれていて、昔から行われている拘置所に入る際の”儀式”なんですよ。私の依頼人でも、『先生、頑張ってきますよ』と言って逮捕された人が”カンカン踊り”でショックを受けて、その後接見に行くと別人のように落ち込んでいることがあります。表向きは痔の検査と説明されていますが、昔から人道上問題があると言われていて、弁護士会でも問題にしているところです」と言われた。
『刑事裁判の光と陰』の裏表紙には「日本の刑事裁判の有罪率は99.86%に達する。まさしくジャパン・アズ・ナンバーワンであり、我が国刑事司法の光である。しかし、死刑囚の再審無罪の事例にも見られるように刑事司法には陰の部分も存在している。そしてその多くは十分に社会に報道されていない。本書は元裁判官と弁護士による、刑事裁判に潜む陰の部分に光を当てた現状報告書である」と書かれている。本文では4つのケースを紹介しているが、そのなかでとくに私の印象に残っているのが特捜事件の「芸大バイオリン事件」で「壁に向って長いこと立たされた」「大声で怒鳴られたり、人格を侮辱する発言を受けた」「椅子を突然足で蹴り付けられ、椅子から床に落ちて尻餅をつかされた」など、取り調べの様子が事細かに書かれている。
この事件は著名なバイオリニストで東京藝術大学教授の海野義雄氏が芸大でバイオリンを購入するにあたっての鑑定で、演奏家としてバイオリンの名器ガダニーニを弾き、購入決定後に楽器商から時価80万円相当の弓一本を謝礼として受け取ったことと、芸大生のバイオリン購入に際し、演奏した謝礼として楽器商から100万円受け取ったことが「賄賂」とされたもので、当時朝日新聞で大きく報道されて事件になったものである。ガダニーニは良いもので1億円以上する名器である。バイオリンは手作りで250年ほど前に作られたもの。その間の保存状態、誰が演奏したのかによって価値が変わる。そしてその価値は、演奏してみなければ分からない。文部省は芸大に第一級の演奏家を教授として招聘することを特例として認めている。海野氏が演奏家として演奏し鑑定したのであれば無罪、芸大教授の地位を利用して演奏し鑑定料を受取ったのであれば有罪というケースであった。このような事件では本人の”賄賂性の認識”が有・無罪の決め手になる。そのため検察側は海野氏が受取ったものが謝礼であったと認識していたことを調書で明らかにしなければならない。このため強引な取調べが行われたのだろう。


クオ・ワディス(上) 2/3~リギアの失踪

リギアの考えはこうであった。私がどこにいるかということはアウルス一家には決して知らせない。ポンポニアにすら知らせない。ただ、逃げるのはウィニキウスの家へ行ってからではなく、途中からにする。ウィニキウスは酒に酔って、夕方奴隷を迎えに寄こすとはっきり言った。おそらくウィニキウスは自分一人にしろ、ペトロニウスと二人でにしろ、とにかくあの宴会の前に皇帝に会って、私を明日の夕方引き渡すという約束を得たものと思われる。ウィニキウスは今日は忘れていても明日は迎えをよこすだろう。しかしウルススが救ってくれる。ウルススが来て、食堂から連れ出したように、私を籠から出して、人々の中へ連れ去ってくれるだろう。ウルススに手向かいのできる者は一人も居ないはずだ。ゆうべ食堂で戦ったあの恐ろしい剣闘士だとってウルススには歯が立たないだろう。しかし事によるとウィニキウスは大勢の奴隷を送ってよこすかもしれないから、ウルススをすぐにリヌス司教様のところへ遣って相談させ、助けを求めさせよう。司教様は私を憐れんで、私をウィニキウスの手にお渡しにならず、ウルススと一緒に私を救えとキリスト教徒たちにお命じになるだろう。キリスト教徒たちは私を奪って連れ去ってくれる。その後はウルススがうまく私を都から連れ出して、どこかローマの権力の及ばない場所に隠してくれるだろう。


リクルート事件・江副浩正の真実 2/5~メディアの罪

宗像検事は40~50枚ほどの証取法に関する調書を書いて持ってきていた。読むと私が5社から株を買い戻して譲受人に売却したと書かれている。コスモスの株式公開の幹事会社である大和証券の山中一郎専務から「公開直前になると創業者は自分の株を知人や友人に譲りたくなるものです。ですが、それは禁じられていますので止めてください」と言われていた。案の定、公開近くなってコスモスの役員や幹部、友人や外部の有力者にコスモス株を持ってもらいたくなった。幹部社員も株を持てば業績と株価を上げるよう頑張るだろう。有力者が株主なればコスモスの社格も上がる。そんな気持ちを抱くようになった。だが、山中専務に釘を刺されていて、私のコスモス株を譲渡するわけには行かない。そこで、公開1年10ヶ月前の昭和59年12月の増資の時、1株2500円でコスモスの増資を受けてもらった会社のうち、親しい友人が経営する会社5社にお願いして、コスモスの幹部社員や外部の有力者に1株3500円で株式を譲渡してもらった。それらの会社から譲受人への譲渡だから私は仲介者にすぎない。5社と譲受人との間で売買約定書が結ばれ、有価証券取引税も納付している。資金が私の口座を通っているわけでもない。そのことを話、これは事実に反していますので署名はできません」と私が署名を拒否すると宗像検事はそれまでとは一転、語調を強めた。「そうですか。せっかく使った調書に署名してもらえないのは残念ですね。検察庁に来てもらうとマスコミに囲まれて気の毒だと思い、リクルートの施設に来ているのに。そういう態度だと、本庁にきてもらうことになるよ。それでもいいの」
未公開株の取得は”値上がり確実、濡れ手に粟”と新聞に書いてありますよ
「株式は値上がりすることもあれば、値下がりすることもある性格のものです」
「じゃあ、あなたは値下がりすると思ってコスモス株を持ってもらったと言うの!」
「いえ、コスモスは第二次オイルショックが収まり地価が下落した時期にマンション用地を取得しているため業績が今後向上していく、だから株価も値上がりしていくと思っていました」
「そうでしょう。相手に利益を得てもらおうという気持ちがあなたにはあったでしょう」
「それはありましたが、株の譲受人に何か便宜を図ってもらおうとの気持ちはありませんでした」
「すぐ売れば利益が得られたじゃないですか」
「『すぐ売ってください』と言って持っていただいたものではありません。私も友人のオーナー社長に株を持たないかと言われ、7,8社の株式を公開前に買って、今も持っています」
「あなたはお金持ちだから売らなくても良かったでしょう。ファーストファイナンス(以下FF)から資金を借りて買った人の中にはすぐ売った人も居ますよ」
株価は動くもので証券市場の動向によって公開日の初値が払込価格を大幅に上回ることもあれば下回るケースもある。例えば平成19年10月5日の日経金融新聞には「IPO『全敗』9月、全銘柄公募価格割れ」と報じられている。だが当時は払込価格より初値が高いケースがほとんどだった。また、株の譲渡元の5社と譲受人との間で売買約定書が交わされているものの、多くのケースでFFが購入資金を融資している。銀行より1%高い7%の金利を受取っていたとはいえ、そのことが印象を悪くしていた
「FFはあなたの財布でしょう。だから、あなたの売買ということになるんですよ」
FFの資本金は500億円で、リクルートの資本金より大きい。当初は小林宏が社長だったが、FFの株式公開に向けて自身は副社長になり、東洋信託銀行から白熊衛氏を社長に迎えていた。
「FFは私の財布ではありません。押収された資料には、株式公開に向けてFFが日本証券業協会に提出する資料が大量に入っていたはずです」
「えっ、そうなの?こちらは手が足りなくて、押収した資料全部に目を通せてないからなぁ」
FFを私の個人会社と思い、小林を私の指示で私のお金の出し入れをしている人物と思っていたようで、宗像検事は拍子抜けした様子だった。


クオ・ワディス(上) 1/3~恋焦がれる青年貴族

ペトロニウス「いったいその女は砂の上に何を書いたのかね。アモルの名ではないのか。アモルの矢のささった心臓ではないのか。それともそれを見ればサテュロスどもがそのニンフの耳にもういろんな秘密をささやいたことがわかる何かのしるしではないのか。まさかそのしるしを見なかったわけではあるまいな。」
ウィキニウス「そのしるしはよく見ておきました。ギリシアでもローマでも、娘たちが口にはしたくない告白をよく砂の上に書くことぐらいは、わたしにだって、わかっていますからね・・・。」
ペトロニウス「さっき言ったのと違うものだとすれば、俺には見当もつかないな」
ウィキニウス「魚です」
> ローマから見た新興宗教としてのキリスト教観を知りたいと思って読んでみた。クオ・ヴァディスの物語の骨子に焦点が当たっていないため多少抜粋が読みにくいと思われるが、キリスト教勃興時の様子を記述した部分だけを抜き出していると思ってくれて良い。ローマの宮廷内のアグリッピナの謀略という週刊誌的ゴシップを期待してこの本を買ったのだが、残念ながらアグリッピナは既に死んでいるところから物語は始まる。
登場人物
ウィニキウス:主人公。リギアに恋する青年
ペトロニウス:ウィキニウスの叔父。ネロの側近
リギア:リギ族の女。無用の人質としてローマにいるキリスト教徒。
アウルス・プラウティウス:リギアの養父。元将軍。
ポンポニア・グラエキナ:リギアの養母。キリスト教徒。
リギア・イメージ図
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私が好きなElizaveta Boyarskayaですが、ロシア・ポーランド系。リギアが、スラブ系ポーランドのリギ(ルギイ)族ってーとこんな感じの顔してたんでしょうかね?


リクルート事件・江副浩正の真実 1/5~NTTと政界とのつながり

本書は私が書いたものであるから、私にとって都合のよいように書いて言うところも少なくない。本件がもし検察側から「リクルート事件・検察の真実」として書かれれば、別の内容の読みものになるであろうこともお断りしたい。
衆議院証人喚問
「ロッキード事件では『記憶にございません』と言って偽証罪で逮捕された人もいます。今回のケースの証取法違反は最高刑が1年、偽証罪が10年と、偽証の方が罪は重い。偽証は絶対にしないでください。しかし、クレイ社のスパコンの購入の件を、『NTTが買い、リクルートへ転売した、単なる”素通し”だった』と証言されると日米貿易摩擦が再燃するので、ご配慮いただきたいと、NTTの弁護士から申し入れがありました。」と弁護士から言われた。リクルートはクレイ社製のスーパーコンピューターを、日本クレイからでは直接ではなくNTT経由で購入していた。それは次のような事情からだった。
当時、都市銀行各行は第3次オンラインシステムの開発中で、コンピューターの大量需要があった。開発用の大型汎用機はシステム開発が完了すれば不要になる。この事業はそのようなニーズに応えるものだった。同時にニューヨークと東京の昼と夜の時差を利用しようと、未使用となっていたニュージャージーの穀物倉庫の跡を借りてインテリジェントビルに改装し、KDDの回線を利用し、日本企業と接続してサービスを提供した。その頃ニューヨークのスタッフから「ボーイング社が自社の計算センターを別会社として独立させ、そこではクレイ社のスパコンを飛行機や自動車の風洞実験用に他社に転貸している」というレポートが届き、「我々もメニューにスパコンを加えよう」ということになった。さっそく富士通、NEC、クレイ社に見積もりを取ったところ、先発のクレイ社のスパコンに比べるといずれもソフトの面では劣っていたが、価格帯性能の面では富士通のVPシリーズが優れていた。最終的にリクルートは富士通のスパコンVP400一号機の導入を決めた。ところがここでクレイ社のオーティス社長がNTTを通じて巻き返しを図ってきた。


キャノンとカネボウ

毎年、年が明けると紡績メーカーは中卒女子の採用活動に入ります。当時中学生の高校進学率は全国で90%を超えていましたので、安い労働力の中卒者は「金の卵」と言われ、各社は懸命に充員活動を展開しました。カネボウ彦根工場の充員は基盤の一つが北海道でしたので、私は充員で真冬の北海道に何度泣く出張しました。本人は居ませんでしたが母親に向かってこう言いました。「娘をカネボウに出すんや。わかっとるな」 その言葉は有無を言わせない強圧的な、まさに命令でした。そんな人買いがこの日本に存在していることに驚くと同時に、その片棒を担いでいる自分にがっかりしたのを覚えています。
総合商社の時代
当時の繊維業界を語るには、商社の存在は避けて通れません。1970年代から80年代は商社の全盛期で、重厚長大産業のビジネスには必ず彼らが介在していました。特に「十大商社」と呼ばれた総合商社は繊維業から起業したところも多く、繊維のビジネスには欠かせない存在でした。当時の十大商社とは、三井物産、三菱商事、伊藤忠商事、丸紅、住友商事、日商岩井、トーメン、日綿実業、兼松江商、安宅産業です。商社にはそれぞれ得意分野があり、カネボウは繊維の貿易を通して十大商社全てと取引がありました。商社は単に繊維の売り買いに介在するだけでなく、取引の過程で発生する金融面も負担するなど、繊維業界には欠かせない機能を果たしていました。原料のワタから製品になるまで長期間必要な繊維産業は、誰かが金融負担の役割をしないと立ち行かなかったからです。
繊維の商取引では、ワタ⇒糸⇒生地⇒染色⇒加工⇒縫製⇒製品という工程を経る中で、色々な「テクニック」が可能になります。例えば「ワタ」を売って「糸」で買い戻したり、「生地」を売って「製品」で買い戻したりする時に価格を勝手に設定するのです。こうした益出しの価格操作は、一歩間違えると粉飾決算の温床となってしまいますが、歴史の長い業界なので生き抜くすべの一つとなっていました。
> 素直な告白、粉飾の手口の公開、よろしいこころがけで…。


ドナービジネス

92年4月にはフィリピンで安値に臓器移植を受けられると、患者3人に斡旋を持ちかけ、5000万円を集めた横浜氏の病院事務長が姿を暗まし、神奈川県警が詐欺師容疑で捜査している。さらに「バブルの崩壊で事業に失敗した面々が、一攫千金を狙って臓器売買に乗り出したケースが多く、詐欺まがいの事業内容やいいかげんな手術で感染症や拒絶反応を起こして生命を失った例もあった」のである。99年には商工ローン最大手「日栄」の社員が融資先や、その連帯保証人に対し「腎臓や目玉を売って金を作れ」と脅迫まがいの発言をして話題になったが、威圧や無理強いをして借金のカタに腎臓や角膜を提供させる暴力団系臓器ブローカーも登場した。
フィリピンの生体腎移植の最大の特徴は、ドナーの多くがマニラ市の南約25kmにあるニュー・ビリビッド刑務所に収容されている受刑者である点だろう。この刑務所は「モンテンルパ刑務所」とも呼ばれ、第二次大戦後は旧日本陸軍の山下奉文大将をはじめ、数多くの日本人が戦犯として収容されていたことでも知られており、処刑上の跡地には日本式の霊園も設けられている。500ヘクタール以上もある広大な敷地を持つ刑務所内には病院や学校、工場などが併設され、約8000人の男性受刑者が収容されている。
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「空気」の研究 4/4~虚構の支配機構

「空気の研究」から「水=通常性の研究」まで、臨在感的把握とか、空気の醸成とか「父と子」の隠し合いの倫理とか、一教師・オール3生徒の一君万民方式とかそれを支える情況倫理と固定倫理とか、実にさまざまなことを述べてきた。では以上に共通する内容を一言で述べれば、それは何なのか。言うまでもなく、それは「虚構の世界」「虚構の中に真実を求める社会」であり、それが体制となった「虚構の支配機構」だということである。虚構の存在しない社会は存在しないし、人間を動かすものが虚構であること、否、虚構だけであることも否定できない。したがってそこに「何かの力」が作用して当然である。
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それは演劇や葬儀を例に取れば、誰にでも自明のことであろう。舞台とは周囲を完全に遮断することによって成立する一つの世界、一つの状況論理の場の設定であり、その設定の下に人々は演技し、それが演技であることを、演出者と観客の間で隠すことによって一つの真実が表現されている。端的に言えば女形は男性であるという「事実」を大声で指摘し続ける者は、そこに存在してはならぬ「非演劇人・非観客」であり、そういう者が存在すれば、それが表現している真実が崩れてしまう世界だる。だが「演技者は観客のために隠し、観客は演技者のために隠す」で構成される世界、その情況論理がが設定されている劇場という小世界内に、その対象を臨在感的に把握している観客との間で”空気”を醸成し、全体空気拘束主義的に人々に別世界に移すというその世界が、人に影響を与え、その人たちを動かす「力」になることは否定できない。


ロビイスト アメリカ政治を動かすもの 4/4~最も成功したジャパン・ロビー

投入した費用、ロビイストの数、そして活動規模からして、外国企業によるロビー史上最大の作戦。米企業以外の企業の中で、最も高額で攻撃的なロビイングだ。日本がその政治的影響力を行使した、唯一の劇的な実力行使と、米マスコミが競って報じたジャパン・ロビーがある。この日本企業とは東芝のことである。東芝機械ココム違反事件をめぐる議会の制裁内容を骨抜きにすべく、1987年~2年間にわたって展開した東芝ロビーの猛攻は、ワシントン政官界を震え上がらせた。
この事件の発端は1982年12月から東芝機械が和光交易を通して、ココム違反の品目である9軸同時制御のNC工作機械4台をソ連に不正に輸出したことに始まる。この結果、ソ連はノルウェーからのコンピュータを組み合わせ、潜水艦のスクリュー音を低下させるのに成功したというもの。事件が発覚し、全米から制裁の声が上がった。東芝制裁条項を議会に働きかけたのは、ジェイク・ガーン上院議員(共和党、ユタ)であった。黒子役はビル・トリプレット上院外交委員会専門スタッフたちだ。トリプレットは依然米国ホンダのワシントン事務所長を務めていた弁護士だったが、一転して日本叩きの急先鋒に浮上した。ガーン議員の選挙区は、全米トップを誇る銅生産州だ。彼は外国銅生産に対する米政府援助を中止させている。同様にミンク生産が全米三位の州であることから、ソ連からの輸入禁止を呼び掛けたりしている。


ロビイスト アメリカ政治を動かすもの 3/4~軍産複合体の影

金権選挙を支えるPAC 米国政治はPACに牛耳られている
政治家の悩みは選挙に金がかかり過ぎることである。だから政治献金はロビイングの有力な武器になる。そこで調べたら、1990年選挙で一番政治献金額が増加した政治活動委員会(PAC)は、保険業界であった。前年比94万ドル増の450万ドルもの大金を議員たちに配ったことになる。なぜか。保険業界は80億ドルの負担増の税金問題を抱え、軽減措置を求めるロビイングの必要に迫られていたからだ。実際税制を担当する下院歳入委員会所属の13議員にそれぞれ5万ドル以上の献金を行っている。
そもそもPACは連邦議会選挙や大統領選挙運動を取り締まる「連邦選挙キャンペーン法(EECA)」にもとづく産物である。1971年に制定された連邦選挙キャンペーン法は、企業や労働組合による選挙キャンペーン用の寄付集め組織の、結成・運営を許可した。ただし、政府と契約関係にある企業とか団体にはPAC設立を禁止した。1974年になって法律改正が実施された。企業のPAC結成許可条件を緩和したのである。しかし、ウォーターゲート事件の結果、政治浄化の潮流が表面化して、政治献金のルール自体には厳格な規制が要求された。たとえば、PACによる寄付は、寄付の総額に制限を設けられていないが、予備選・本選挙通して1人当たり5000ドルが上限と決められている。政党に対しては15,000ドルが上限と規定された。


「空気」の研究 3/4~天皇の次の絶対者は憲法

そういう行為は誰がやったのか質問しても、全員が「父は子のために隠し、子は父のために隠し」で、「知りません」「存じません」「記憶にありません」で絶対に本人が出て来ないのが普通だからである。子が、すなわち下部組織内の人間が事実を口にすれば、それは「真実・正義」のなきもの、いわば不徳義の嘘つきとして、追放され処罰されるに決まっており、例を挙げろといえば、いくらでもある。

オリンパス事件かーw


ロビイスト アメリカ政治を動かすもの 2/4~ロビー活動の法的根拠

憲法で保証されたロビー
合衆国憲法には「国民の政府に対して請願する権利」が明文化され、そのための行為が保証されている。「ロビー」とは、この法的根拠をよりどころにした活動といえる。憲法修正第1条は「議会は国民が平和裡に集会し、そして不公平を取り除くために政府に請願を行う権利をはく奪するような法律を制定してはならない」と回りくどい語調だが明確にロビイングの正当性を記してある。一般にロビーと言った場合、厳密な意味では「立法府である議会に対して他の人々あるいは団体を代表して、特定な目的に向けて報酬を得て、議員との直接の接触により影響を及ぼそうと働き掛けること」と解釈されている。一方広義のロビーは、立法府のみならず、行政府に対する国民からのあらゆる陳情や圧力、請願を行うことも範囲に含まれる。
戦後間もなく「連邦ロビイング規制法」が制定された。1946年に誕生したこの法律は、ロビイングの不正を阻止するために、ロビイストの行動を監視する。また彼らのロビー活動の内容を、国民に公開することを基本としている。この法律の規定によって先述の狭義のロビイストに該当する者は、上院下院それぞれの事務局長あてに登録する義務が生じている。届け出は年4回必要である。第303条が「金銭の管理」「寄付の明細書」の条項である。合計額が10ドルを超える全ての支出について、明細を記載した受療署名のある伝票を取得し、保管する義務を謳っている。報酬または何らかの対価を得て、議会による立法の可決または否決に影響を与えようとする目的の行為に従事する人物は、その目的を達成するに際し、何らかの行動を取るに先立ち、下院事務総長ならびに上院事務総長に登録し、氏名と事務所の住所、雇用主の氏名と住所、誰の利益のために活動するのか、雇用期間、報酬としての支払いを受けおよび受領すべき金額、報酬の支払いを行う人物、経費として支払いを受けるべき金額ならびに経費について、宣誓の上、文書で届けなければならない
ロビイスト産業の花形スターを当地では「スーパー・ロビイスト」と呼んでいる。スーパー・ロビイストの一人、エディ・マーイがなぜそう呼ばれるのかを紹介しよう。ロビイストの世界では、彼らの実力は一流顧客の有無からも察しが付く。その点彼が主宰するエディ・マーイ社というコンサルティング会社の顧客リストを見れば、実力のほどは納得できる。全米建設業協会、スタンダード石油、G・D・サール社(大手医薬品)など政治に直結した建設・石油・医薬品業界が経済界側のクライアントである。それに加えて、共和党全国委員会、上院共和党、下院共和党、そして共和党州知事会と、共和党のオール政治マシーンが顧客なのだ。もちろん1988年のブッシュ共和党大統領選挙対策本部も有力な顧客であった。彼が単なるロビイストでないのは、議員たち自身が彼の顧客んなっていることだ。通常ならば民間団体がロビイストに接触を依頼する先方の議員たちが彼の顧客なのだから、こんな強力なコネクションは無い。


ロビイスト アメリカ政治を動かすもの 1/4~全米ライフル協会

大統領の弟はロビイスト
ジミー・カーター元大統領の現職時代、実弟のビリー・カーターが、こともあろうにリビア政府のロビイストとして雇われている事実が暴露された事件を思い出す。リビアはテロリスト支援国として、アメリカと敵対関係にあった。ジョージア州で、ガソリンスタンドを経営していたビリー・カーターが、リビアから石油輸入促進の仲介料として1980年に22万ドルを受け取っていたことが事件発覚のきっかけとなった。産油国であるリビア政府は、石油の買い手を探しており、米大統領の弟をロビイストを雇うことによって、敵対国への売り込みを図ったのであった。
レーガン前政権が「ロビイスト政権」と酷評されていたことは、日本にはあまり伝わっていない。それは2期8年と政権が長期化したことにも一因としている。政権中枢の逸材が大挙して野に下り、ロビイストに転身し、古巣のホワイトハウスとのコネを売り物に商売大繁盛といった、元政府高官ロビイストの黄金時代を築き上げた。ロビイスト業界の御三家とは、「元政府高官」「元議員」「弁護士」である。レーガン政権とのコネクションが武器だけに、一時はレーガン人気に便乗して飛ぶ鳥を落とす勢いだった。しかし一歩間違えると政府倫理法に触れることになる。政府倫理法とは、政府高官が公職を退いてから1年以内に、古巣の同僚などとその職場と利害関係の生じる討議を行うことを禁止した法律である。官庁と天下り先の癒着関係を回避するのがそもそもの目的である。
アメリカ市民が所有している鉄砲類の数は6000万丁を超え、このままだと2000年までに1億丁に達するとの予測すら存在する。毎年1万人以上殺し続ける拳銃の野放し状態が、今まで一向に解決の目処が立たなかったのはなぜか。その答えは全米ライフル協会(NRA)と製造業者の、猛烈な鉄砲類規制反対ロビイングの成果である。1968年は、マーチン・ルーサー・キング牧師、続いてロバート・ケネディ大統領候補が相次いで暗殺された年である。前年の1967年には、全米の州議会や地方議会合計で100以上の銃砲取締法案が上程されていた。アメリカにとって拳銃規制問題は古くて新しい、最大の国内シングル・イシューの典型である。アメリカには日本人には理解しにくい”フロンティア精神”とか銃砲保持の慣習が建国以前から存在していた。したがって、武器所有の権利は、憲法修正第2条で保証されているのである。この憲法の条文をタテに、幾回となく規制法案は葬り去られてきた。


「空気」の研究 2/4~日本が自由でない理由

西南戦争は、近代日本が行った最初の近代的であり、また官軍・賊軍と言う明確な概念がはじめて現実に出てきた戦争である。「世論」の動向が重要な問題だった最初の戦争であり、従ってこれに乗じてマスコミが本格的に活動し出し、政府のマスコミ利用も始まった戦争である。元来日本の農民は、戦争は武士のやることで自分たちは無関係の態度(日清戦争時にすらこれがあった)だったのだが、農民徴募の兵士を使う官軍側は、この無関心層を、戦争に「心理的参加」させる必要があった。従って、戦意高揚記事が必要とされ、そのため官軍=正義・仁愛軍、賊軍=不義・残虐人間集団の図式化を行い、また後の「皇軍大奮闘」的記事のはしりも、官軍は博愛者により敵味方を問わず負傷者を救う正義の軍の宣伝も始まった。いわば日中国交回復に至るまでの戦争記事の原型すなわち「空気醸成法」の基本は全てこの時に揃っているのである。

現在では反省しすぎて、とにかく政府批判すれば錦の旗状態である。


日本は世界5位の農業大国 嘘だらけの食糧自給率

農水省によれば「国内で供給される食料のうち、国産でどの程度賄えているか」を示す指標だという。これには重量や品目別、飼料ベースなど様々あるが、「食料・農業・農村基本法」によってその向上が定められている指標は二つ。「カロリーベース」と「生産額ベース」の自給率である。毎日のように連呼される「自給率41%」はカロリーベースの数字だ。これは国民1人一日あたりの国産供給カロリーを、一人一日あたりの全供給カロリーで割って算出する。
(国産+輸出)供給カロリー ÷ (国産+輸入-輸出)供給カロリー
ここで注意すべきは、分母となる供給カロリーは、我々が実際に摂取しているカロリーではないという点だ。厚生労働省の調査(2005年)による摂取カロリーは1904キロカロリー。これに対して流通に出回った食品の供給カロリーは2573キロカロリーもある。それではその差700キロカロリー弱、供給カロリーの1/4以上はどこに消えたのか。それは毎日大量に処分されるコンビニ食品工場での廃棄分や、ファストフード店、ファミリーレストラン、一般家庭での食べ残しなどである。誰にも胃袋にも納まらなかった食料、つまり誰にも供給されなかったカロリー分も、分母に入れて計算されているのだ。その量はと言えば1900万トン。日本の農産物輸入量5450万トンの1/3近く、世界の食糧援助量約600万トンの3倍以上に及ぶ。また過小評価される以前に、分子の国産供給カロリーには、全国に200万戸以上もある農産物をほとんど販売していない自給的な農家や副業的な農家、土地持ち非農家が生産する大量のコメや野菜は含まれていない。そう世帯の5%を占める自家消費だけでなく、多くはご近所、知人、親戚など何倍もの世帯へのおすそ分けに回っている。プロの農家が作る農産物でも、価格下落や規格外を理由に畑で廃棄されているものが2~3割はある。それも分子には含まれていない。
ご参考までに現在の農水省のページより、食料自給率の定義
http://www.maff.go.jp/j/zyukyu/zikyu_ritu/011.html


「空気」の研究 1/4~空気読めの空気って何?

「道徳教育」について意見を聞かれた。「道徳教育はどのような点から始めたらよいのでしょう」と言った。
「それは簡単なことでしょう。まず、日本の道徳は差別の道徳である、という現実の説明からはじめればよいと思います。と私は答えた。ところがこの返事がまことに意外であったらしく、相手はあきれたように私を見て言った。
「そ、そそ、そんなこと言ったら大変なことになります」
「どうしてですか。私は何も”差別せよ”と主張しているのではなく、ただ”差別の道徳である”という事実を事実として子供に伝えることが第一だといっただけです。」
「そうはおっしゃっても、それはまあ理屈で、現場の空気としましては、でも・・・で、どんな事実がありますか」
簡単な事例を挙げた。三菱重工爆破事件、道路に重傷者が倒れていても人々は黙って傍観している。ただ所々に人が固まってかいがいしく介抱している例もあったが、調べてみると、これが全部その人の属する会社の同僚、いわば「知人」である。ここに、知人・非知人に対する明確な「差別の道徳」をその人は見た。
「そんなこと絶対にいえませんよ、第一、差別の道徳なんて」
「ではあなたは、三菱重工の事件のような場合、どうします」
「ウーン、そう言われるとこまるなあ、何も言えなくなるなあ」
「なぜ困るのですか、なぜ言えなくなるのですか。何も困ることはないでしょう。それをそのまま言えば良いはずです。みなそうしているし、自分もそうすると思う。ただし私はそれを絶対言葉にしない。日本の道徳は現に自分が行っていることの軌範を言葉にすることを禁じており、それを口にすれば例えそれが事実でも、”口にしたということが不道徳行為”と見なされる。これが日本の道徳である。大人たちは皆こうしています。だから、それが正しいと思う人は、そうしなさい、と言えばよいでしょう」
「とってもとっても第一、編集部が受け付けませんよ」
どうしてですか、言論は自由でしょ
「いや、そう言われても、第一うちの編集部は、そんな話を持ち出せる空気じゃありません」
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大変に面白いと思ったのは編集員が再三口にした「空気」という言葉であった。彼は何やらわからぬ「空気」に、自らの意思決定を拘束されている。彼が結論を採用する場合も、それは論理的結果ではなく、「空気」に適合してるからである。以前から私はこの「空気」という言葉が少々気にはなっていた。この言葉は一つの絶対の権威の如くに至る所に顔を出して、驚くべき力を振るっているのに気づく。「当時の空気では・・・」「あの頃の社会全般の空気を知らずに批判されても・・・」 至る所で人々は何かの最終的決定者は「人でなく空気」である、と言っている

1983年の本だが、現在の日本も「空気読め」とか言うが、その空気って何だ? まさに日本人の非論理性を象徴するような言葉で、これを肯定するから責任が不明確化し、なんだかよくわからない状態になるのである。


稼ぐ人はなぜ、長財布を使うのか?

すいませ~ん。またイタ本です。本を書かないかと頼まれていまして、そのネタとして使えるかなーと思って買ってみたのですが、やっぱり愚にもつかないイタ本でした。作為的にネタを探そうと思って本を選ぶと、やっぱりダメですね。

お金を大事に扱う人は、人も大事に扱います。情報やモノも大事に扱います。自分の会社で扱っている商品やサービスも大事に扱う。これが結局、巡り巡ってまたお金という形で戻ってくるのではないか、

はい、私もそう思いますね。


海道の社会史 4/4~ミンダナオ以南スルー諸島

南ミンダナオ圏は決して一様ではない。生態系としてはっきりと2つの土地に分かれる。コタバトはミンダナオ第一大河プランギの河口に位置し、多くの支流を集めるその沖積平野は農業地区であり、水田稲、陸稲、バナナ、キャッサバ、野菜類がよく栽培されている。海岸部は衰退したマングローブ汽水帯で、ムスリムの漁民が多い。これに対してスルー群島の多くの島々には珊瑚礁が発達し、農地はあまり見られない。わずかに栽培されているのは、キャッサバ、バナナその他の果樹、マニラ麻などである。スルーでは農耕生産が珊瑚礁という地質に制約されきわめて貧しいのだが、海の生産は豊かである。この海域はフィリピン群島でよく知られた漁場であり、スルー海、モロ湾はカツオ、マグロが豊富である。こうした回遊魚漁業の基地は、今日、サンボアンガである。そこにはヨーロッパ系、日系の缶詰工場が設けられ、魚の腸や骨を利用したドッグフードも生産されてヨーロッパに輸出されている。サンボアンガの魚市場でマグロを眼にすることはない。マグロ漁獲のすべてが缶詰工場に買われるからである。回遊魚の加工だけでなく、スルーは、マルク圏と同じような特殊海産物の産地だった。
ミンダナオは北海道と似たところがある。両者ともに国内植民地だった。ミンダナオは最後まで抵抗を続け、その領有は19世紀末まで決まらなかった。ミンダナオとスルーは東南アジアで最後まで植民地主義国による領有が決まらなかった土地である。こうした植民地主義による領有未決定とそこがムスリムの居住地であったことがからまって、ミンダナオは後々まで特殊視されてしまう。米西戦争に勝ったアメリカ合衆国は、1898年スペインから群島を譲り受けるが、この領土にはミンダナオやスルーが含まれていなかったので、あらためて条約を結ばなければなかった。アメリカは1929年の世界恐慌を境として、フィリピンの砂糖や移民労働者の流入を阻止するために、フィリピン独立を深刻に考えるようになる。フィリピンの側における独立運動の圧力とあいまって、この配慮が米国議会における1934年のフィリピン独立法案となった。ところがミンダナオだけは異教徒の土地だから、永久にアメリカの一州とすべきだというような声がかなりあった。事実、独立の約束を交わした後だったにもかかわらず、アメリカに亡命したユダヤ移民の処置に困ったルーズベルト大統領は、ミンダナオにユダヤ国家を建設する案などを考えている。そんなふうに独立すべきフィリピンからミンダナオだけもぎとられては困るので、独立準備国家ともいえるコモンウェルスの初代大統領ケソンは、ミンダナオのフィリピン化を進めなければならなくなる。

ミンダナオの歴史、面白いですねぇ…。


海道の社会史 3/4~西洋列強の到来

16世紀、ポルトガル人を先頭として西洋がマルク圏に侵入した時、彼らが水夫として使ったのは、パプア人が多かったといわれる。その多くは奴隷だったろう。17世紀初め、オランダがマルク圏の支配を決めてアンボンを根拠地とした時、そこには奴隷住民がいた。オランダは奴隷を解放して新しくバルガー(Burger)なる身分を制定した。市民という意味である。西洋社会のようにブルジョアジーが市民になったのではなく、ここでは奴隷が市民に昇格したのである。そのオランダも東インド本拠地では、前述したように都市建設のために多数の奴隷を使ったし、バリ農民の奴隷をインド洋のフランス軍に売ったりしている。
南ミンダナオ圏 取り残された島々 セレベス海を囲む島々
今日、フィリピン共和国になっている島々は、文化史的にみると全東南アジアの中できわめて特殊な位置にある。紀元前後から東南アジア全域は、ヒンドゥー教、仏教などインド・サンスクリット系文化の洗礼を受ける。インド文化の流入は、軍事的遠征によるものではなく、長期に渡って浸み透ってくるというものだった。タイ語、マラヤ語、インドネシア語などにサンスクリットからの借用語が極めて多いことはこのことを示している。ところがタガログ語を中心とするフィリピン諸島の言語には、まったくないわけではないが、サンスクリットからの借用が極めて少ない。ボルネオの東側、ウジュンパンダンの対岸にサマリンダという港がある。この内陸のクタイという土地で、西暦四世紀のものと推定されるムーラヴァルコン王の墓碑が発掘された。この名はサンスクリット系のものである。おそらくジャワ方面から流入したにちがいないサンスクリット文化は、マカッサル海峡をここまでは北上していた。しかし、ここでぷっつりと消息を絶ってしまって、フィリピン方面へ進んだ形跡が無い。なぜフィリピンだけ、西洋到来以前に外交文化の影響を受けなかったのか、適切な解釈はないようである

不思議の国フィリピン。なるほど、仏教・サンスクリット文化到来の影響が無いんだ…。「東アジア・東南アジア圏にまで拡散したサンスクリット文化は、フィリピンにだけ到達しなかった」これ気に入った。今後フィリピンを語る際、多用する。


海道の社会史 2/4~権力の発生

「王は神なり」という権威付けの論理は、もともとインド系の思想であって、それがジャワなどを典型として、東南アジア社会にも流入している。だがここでは事態が逆だ。権威は民衆の側にある。民衆の従ってきた慣習法のほうが常に強かった。村落国家の王は、神性もっとも薄き王だった。その意味では非インド的である。民衆が即位文書を朗読し、王-実際には村長、郡長に当る-がこれを承諾するという儀式は、つい最近まで行われてきた。そして時代を経るにつれて、即位文書に慣習法の規定が組み込まれ、精密になっていった。それは村落憲法へと昇格していったのである。王の義務はますます重くなり、その不履行には罰則さえ定められた。
実際に慣習法を成文化した村落憲法によって、追放されたり殺された王、女王があちこちにあった。ボネ王国では、6世王と8世王が16世紀と18世紀に殺され、11世、16世女王、19世王、27世女王が王位を追われている。他の国も同様である。民衆の権利はかくまでに強かった。昔、日本にも天皇機関説があった。南スラウェシの王たちは、言葉の純粋な意味において約束による機関にすぎなかった。だがそれでは慣習法社会の民衆は、なぜ天孫を王として迎えねばならなかったのだろう。
定着農耕と権力の関係である。インド、中国を考えればわかるが、一般的に定着農耕社会は強大な権力を生む。その土地が広大であれば権力はますます強大になり、しばしば大帝国、大王国が生まれる。定着農耕は焼畑農耕より2~3割生産性が高く、その分だけ余剰を生む。しかも先祖代々営々として築き上げてきた田畑だから、農民は夜逃げするわけにはいかない。統治者にとってこれほど都合のいいことは無い。逃げようの無い農民が高い生産力を持っているのだから、しぼりあげるのは容易である。
南スラウェシの社会史を考える時、一つ不思議でならないのは、どうしてルウで歴史が生まれたのかという問題である。この問題を考えるきっかけになったのは鉄である。ブトン島の東南端にはトゥカン・ブシ列島が連なり、その最南端のビンノコ島には鍛冶屋の集落があることなどを聞き込んだ。典型的な隆起珊瑚島で鉄鋼も無いのに山刀を打つ鍛冶屋の長屋がある。スラウェシ島からテルナテ島をつなぐあたりに、西からバンガイ、スラという小群島が並び、後者の一つがスラベシ島である。スラは”島”、ベシ(今日の発音ではブシ)は”鉄”である。トゥカン・ブシのブシも、スラベシのベシも、セレベスのベスもスラウェシのウェシもすべて鉄だった。バンガイ島やスラベシ島で昔、鉄を産したのか、調べはまだついてないが、ルウ地方の奥地にはたしかに鉄鋼山があった。

武器(鉄器)は文明なり か。


海道の社会史 1/4~ジャワ以西の地、スラウェシ

インドネシアでは、1945年から49年までつづいた独立戦争期にオランダ側についた地方があっただけでなく、独立後もジャカルタ共和国政権に叛旗をひるがえした分離独立運動が各地に起こって、最終的には60年代まで続いた。その最終的鎮圧は、島々の国家への統合と権力の中央集中を意味した。分離独立運動は、植民地主義時代にも中央権力が統合支配しきれなかった自立的気風の強い土地で起っている。この分離独立運動を旧植民地支配者はかなり露骨に利用しようとしたから、いまや中央権力の座を占めた民族主義者たちは、一層鎮圧に努めねばならなかった。南スラウェシでもこうした分離運動があった。南ミンダナオでは、ムスリムとマニラ政権との間に70年代に内戦が戦われている。こうした屈折した経過さえなければ、南スラウェシも南ミンダナオも、植民地主義への抵抗者として発掘され、隠れた英雄のように、むしろ賞賛を受けていただろう。しかし彼らは植民地主義への抵抗者であるばかりでなく、独立国中央権力に対する反逆者でもあった。彼らはネーション・ステートに対しても抵抗したのである。インドネシアの一史家は、「地方史は、国家史の立場と必ずしも一致しないので、その研究は極めて難しい」と告白している。歴史研究には多かれ少なかれ中央権力の座から眺めるという中央主義史観がまつわりつくけど、新興独立国ではまさに国家統合の複雑さのために、辺境や田舎は、いっそう見えにくくなる。そういう困難があるのにさらでだに、私たちの日本では、単一民族論の迷信が強く、権力の集中と統合の度合いが高いので、東南アジアにおける田舎の自主性が見落とされてしまう。つまり、あちらにもこちらにも事情を素直に認識できない難しさがある。

日本の地方都市の中央政権への強い依存は、中央集権化、強い安定中央政権が優れている証拠だ。こういう地方の中央集権からの独立が、アジアの動乱の引き金になるだろう。


大阪学

信号が青になった時はほとんどの車は停止線を超えている。この見切り発車(フライング)は、大阪が青に変わる平均4.92秒前で、各国の都市の中で断トツの世界一と、「地域文化特性と運動行動」(「国際交通安全学会誌」5巻4号、6巻増刊号、昭和54・5年)で測定されている。2位は東京で1.84秒前、ロンドンは実に0.37秒にすぎない。今度は歩行者になる。歩く速度だが、大阪は秒速1.60メートル(時速5.76km)で、これも調査した限りではやはり世界一だった。2位は東京で1.56メートル(時速5.62km)、日本で一番遅い都市は鹿児島で1.33メートル(4.79km)。パリは1.46メートル(5.26km)、マニラは1.24メートル(4.46km)だった
> これ本当かな。時速5.7km歩行って、ほとんど競歩だろw ちょっとこの本は全体的に信用できないデータが多い。
日本中のエスカレーターの速度は1分に30メートルと決まっている。が、大阪人は遅いと思う。エスカレーターで歩いたり走ったりする人が、大阪は日本一多い。エスカレーターで多く歩く、時に歩くを合わせると大阪は35%だが東京は25.2%で、一番低いのは鹿児島で16.2%である。
> 遅いエスカレーターイライラする。シンガポールのBugis駅、Exit A方面にある短いエスカレーター、遅すぎてイライラする。


偽りの明治維新 会津戊辰戦争の真実

サブタイトルが重要で、会津藩に焦点を当てた本です。ちょっと残念です。
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幕府の長州攻めは失敗した。これを見たイギリスは幕府を見限り、薩摩、長州に舵を切った。イギリスの武器商人トーマス・グラバーは、いまやもう一人の薩摩、長州藩の軍事参謀であった。グラバーは、18,19歳のころ、上海に渡り、安政6年(1859)9月に長崎にやってきた。このとき21歳である。居留先はジャーディン・マセソン商会の長崎代理人であるケネス・マッケンジーのところだった。そこで修業し、やがて独立した。最初の仕事は日本茶の輸出だった。それから艦船や銃器の販売を始めた。いまや日本の未来を左右する政商であった。
幕府は押される一方である。倒幕の危機が迫っていた。御三家、親藩、どこも我関せずである。会津、桑名(三重県)だけが骨身を削って頑張っていたが、全てが限界に近かった。幕府の中で一人、この事態に歯ぎしりをしている男がいた。勘定奉行小栗上野介である。小栗はフランス公使のレオン・ロッシュの協力を得て、幕府の再建に取り組んでいた。軍備の強化と横須賀製鉄所の建設が当面の目標だった。財源はフランスの経済顧問クーレとの間で締結した3500万フランの借款契約だった。イギリスのオリエンタルバンクが中に入り、取引が成立した。ドルに換算すると約600万ドルである。軍艦、大砲、小銃などの整備購入に250万ドル、横須賀製鉄所に250万ドルを予定した。他に外国人の技術者の給与に10万ドルを割いた。借入金の返済は生糸や鉱山の開発などで資金を生み、そこから返済を考えた。


消された一家

あまりにも凄惨な事件の調書や証言に基づいている本なので、内容を書くのが憚られるほどです。6年にもわたって、事件として発覚せず、7人もの人間が殺された。時間が経過しているため、物証に乏しく、裁判の証言が多いが、私は当事者の証言に触れずに、この本の内容を抜き出そうと思う

捜査は難航した。二人が名前を含めて完全黙秘を続けたからである。しかし、福岡県警はまず、恭子の供述によって3カ所のアジトを突き止めた。1つ目は、小倉北区内にある「マンションM」にある3階の部屋。1階にはカラオケスナックがあり、事務所と住居の賃貸が半々くらいの、何の変哲も無いマンションだ。捜査員が部屋に入ると家財道具はなく、ゴミ袋や折り畳んだカーペットが置かれており、引っ越した直後のようだった。障子で仕切った二つの和室(共に6畳前後)、台所、洗面所、浴室、トイレというごく質素な間取りだが、尋常ではない、さまざまな細工が施されていた。玄関のドアスコープには内側から鍋敷きが掛けられ、新聞受けにも内側から段ボール紙が貼られている。全ての窓に遮光カーテンが、玄関には足元まであるアコーディオンカーテンが下げられており、玄関ドアのチェーンは、ほとんどドアが開かないほど短くしている。訪れた者も室内を覗けない。ドアチェーンを短くして外すのに時間がかかるようにしているのは、誰かが逃亡するのを防ぐためだろうか。そして、あらゆる窓やドアに、多数の南京錠やシリンダー錠が取り付けられていた。和室と台所の間のガラス戸には和室側から、台所から洗面所に通じるドアには台所側から、洗面所からトイレや浴室に通じるドアには洗面所側から、施錠できるようになっていた。つまり、他の場所から和室には複数の鍵をあけないとは入れないのである。その和室はというと、子供用具も含めいろんな物が残されていて、家庭的な生活があったと感じさせられる場所だった。また、その施設方法からは、浴室かトイレに誰かを閉じ込めていたことも推測できた。トイレには細工が見当たらなかったが、浴室内の小窓には黒いビニールが貼られていた。薄汚れた青いタイルの洗い場は、幅93cm、奥行き146cmと非常に狭く、タイルには張り直された痕跡があり、表面は目地がそげ落ちるほど擦り減っていた。強力洗剤で何度も磨き洗いをしたようだった。浴槽も手狭でやはり磨かれたらしく、銀色のアルミの表面はピカピカに光っていた。
2つ目のアジトは、そこから歩いて15分ほどの閑静な住宅街にある「ワンルームマンションV」だった。捜査員が室内に入ると「勝手に外出しません」「もう逃げません」などと血で書かれた紙が押入れの引き戸に貼られていた。3つ目は小倉北区内にあるアパートの1階の部屋。捜査員が入ると4人の男の子(うち二人が双子)がパジャマ姿でテレビを観ており、捜査員が名前を尋ねるとしっかりとした口調で答えた(後に偽名であると判明)。年齢は5歳、6歳、6歳、9歳。この子たちは児童相談所に緊急保護された。それまでほとんど外出せずひっそりと室内に閉じこもり、小学校にも通っていなかったという。3つのアジトの家宅捜査で押収した資料から、県警は両容疑者の身元を割り出した。それを追求したところ、ようやく二人は本名や年齢などを認めた。捜査が進むにつれ、二人の背景も浮かび上がってきた。高校時代の同窓生で内縁の夫婦関係にあり、約10年前の詐欺事件で指名手配を受け逃亡していた(すでに時効成立)。またDNA鑑定で、アジトにいた子供のうち5歳と9歳の男の子が、二人の息子である子とも判明した。
家宅捜査では浴室のタイルや配管などを押収し、マンション周辺の下水道に溜まった泥まで採取した。1万点を超す押収・採取物の科学鑑定(血液のルミノール反応など)を進め、骨が投げ捨てられたという大分県の海のフェリー航路を中心に海底捜索も行った。しかし、是が非でも欲しい有力物証はやはり発見されず、結局17歳の少女の、何年も前の記憶を頼りに立件するしかなかった。
純子への初めての暴力は車の中だった。純子は次第に自分が悪いという心理状態に陥っていったという。これは典型的なバタードウーマン(DVの被害女性)の心理状態である。夫や恋人との二人だけの閉ざされた世界で、「おまえが悪い。だから俺はこんなことをするんだ」と暴力を振るわれていると、大概の女性は自己を非難する思考を植えつけられる。自尊心が壊され、「殴られて当然な自分」という自己イメージを抱くようになるのだ。

家庭における奥さんの独裁者的支配も、夫側の「俺が悪い。だから奥さんは傍若無人な振る舞いをするんだ」という心理により発生し、増長していく。莫大な費用のかかる結婚式に始まり(あんなもんを積極的にやりたがる男は一人も居ないだろう?)、日頃の無駄遣いと浪費を執拗に追及されお小遣い制度になり、女の大仕事、出産を期に、男の地位をますます蔑むようになり、男の退職後は存在の意味が無い粗大ゴミと見なすようになる。全ての家庭がそうではないと思うが、よく聞く典型的な恐妻家は、男(夫側)の自己否定と罪悪感を長年にわたって植えつけられたことにより発生する。

私はこれまで起こったことは全て、他人のせいにしてきました。私自身は手を下さないのです。なぜなら決断をすると責任を取らされます。仮に計画がうまくいっても、成功というのは長続きするものではありません。私の人生のポリシーに「自分が責任が取らされる」というのはないのです。(中略) 私は提案と助言だけをして、旨味を食い尽くしてきました。責任を問われる事態になっても私は決断をしていないので責任を取らされないですし、もし取らされそうになったらトンズラすればよいのです。常に展開に応じて起承転結を考えていました。「人を使うことで責任を取らなくて良い」ので、一石二鳥なんです。

株式投資や企業経営に向かない典型的な社会の負け組発言だな。使われる側が責任を取らなくて良いのが、この世であり、実際の判決だ。まさに支配される者の特権なのダッ


突然、僕は殺人犯にされた

1999年、夏。僕が東京都足立区で10年以上前に起った殺人事件の犯人ではないかと、疑いがもたれているとマネージャーから聞いた。
本の表紙の顔写真はテレビで見たことがあるAという人物だった。「まさか、本当にあんなことは書いてないだろう」 見逃さないようにゆっくりとページをめくると、文面には刑期を終えた犯人のその後の消息に触れ「犯人の一人は出所後、お笑いコンビを組み、芸能界デビューしたという」といった内容が書かれていた。半信半疑のつもりで読んでいたのに、本当にこんなことが書いてあるなんて…。本にはお笑いコンビの名前はおろか、取材をした経緯や情報元も一切無い。存在を証明する証拠が何一つ記載されていなかった。こんなことが書いてあれば、その「お笑いコンビ」が誰なのか、気になる読者も当然出てくるはずだ。僕は1999年からネット上で殺人事件の共犯者にされ、デタラメな情報が書き込まれている。この本を読んで「お笑いコンビ」の殺人犯が気になった人はマスコミが取り上げなければ、ネットで検索する。そうすれば、僕の名前がヒットしてしまう。これは被害妄想ではない、明らかな風評被害だ。本の発行日を見ると「2005年1月21日」とあった。沈静化した噂がなぜ再燃したのか、これでやっと謎が解けた。「あいつら、遊びじゃなかった…。本気で殺人犯だと思い込んでいる…」


電通とリクルート

> 著者の経歴は、博報堂。あっ、この本、失敗くさいな、と読む前に思う。本屋でそのくらい確認しろ?
「クリスマス・エクスプレス」が、遠距離恋愛カップルのクリスマス移動需要をどれだけ拡大したかはわからない。それよりも大きな影響は、若い男女全般に及んだはずである。「クリスマスに好きな人と一緒に過ごす自分」という姿に、多くの若い女性が納得してしまったのである。この納得がもたらした影響は計り知れない。「クリスマスエクスプレス」は新幹線の定義を書き換えただけではない。キリスト教のイベントのはずの「クリスマス」の日本的定義を作ってしまったともいえるのだ。
> クリスマスの日本的定義、気持ち悪いくらい独特で、いいですねっ!
1945年12月1日に、商業放送の設立認可趣意書が逓信院に提出された。商業放送への熱は、GHQが消極的だったこともありいったん冷めてしまうものの、48年には関連法案も提出されて、機運は再び盛り上がっていく。そして1949年1月に再度出願された時の設立発起人代表が吉田秀男である。吉田はその2年前に電通社長に就任するとともに、商業放送開始に向けて粘り強い活動を続けていた。この時の発起人には、三越、東宝、日本電気、東京芝浦電気などのトップが名を連ねている。そして民放ラジオは1951年、テレビは1953年にスタートを切った。このとき民放テレビの実現を推し進めて、第一号となる日本テレビの開局を実現したのが当時読売新聞社主だった正力松太郎である。
> 戦後のどさくさ、ここで動くのが基本ですよね。


レアメタル・レアアースがわかる

レアメタルとはどんな金属か
鉄、銅、亜鉛、アルミニウムといった我々の周りに多く見られる金属は「ベースメタル」と呼ばれます。これに対して、レアメタルは希少な金属のことですが、実際には量の少ないものばかりではありません。チタンやマンガンのように、銅よりも自然界での存在量がはるかに多いものもあります。どういう金属がレアメタルかという明確な基準はありませんが、一般に①存在量が少ない、②産出地が特定国に偏在している、③鉱石の採掘や鉱石から単体金属分離抽出することが容易でない、など供給面に制約があることに加えて、④工業利用に有用な金属を指します。なお、金や銀等の貴金属も希少な存在で、工業利用もされていますが、古くから発見され利用されてきたことから通常レアメタルには含みません。
経済産業省の工業審議会レアメタル総合対策特別小委員会において、現在工業用需要があり、今後も需要があるものと、今後の技術革新に伴い新たな工業用需要が予測されるものに限定し31鉱種(ただしレアアース(希土類)は17鉱種を総括して1鉱種)をレアメタルと定義しています。レアメタルの用途としては、大きく分けて
1.構造材への添加(特殊鋼。耐食性、耐熱性、耐摩耗性、高張力などを引き出す)
2.電子材料・磁性材料(半導体、発光ダイオード、電池、永久磁石、磁器記憶素子、超伝導)
3.機能性材料(光学ガラス、ニューガラス、ニューセラミックス、形状記憶合金、蛍光体、触媒)
の3つに、分類されます。
レアメタルの市場規模
日本は国内にレアメタル資源を持たず、ほとんどすべてのレアメタルを鉱石、化合物、地金等のかたりで海外から輸入しています。したがって輸入金額がおおむね国内市場規模と同じと見て大きな間違いはないでしょう。2008年のレアメタル関連品目の輸入は貴金属をのぞいたベースでは2.3兆円です。2003年から2007年にかけて急増し、数量が増えたというよりは主にこの間の金属価格急騰を反映したものです。09年は逆に大きく落ち込みましたが、リーマンショック後の金属価格急落と需要の減退によるものです。このようにレアメタルの輸入金額(イコール市場規模)は世界景気や金属価格市況によって大きな影響を受けます。
一括りにレアメタルと行ってもプラチナやパラジウムのように文字通り極めて希少なものから、最も存在量の多いチタンまで、その差は実に40万倍もあります。地殻中の存在量が最も多い金属はアルミニウムで、鉄がこれに続きます。ベースメタルでも銅、鉛、亜鉛、錫などはチタンやマンガンに比べて春かに少ない量しか存在しません。チタンの存在量は銅の80倍もあります。ただ確認されている埋蔵量で比較すると銅の8割程度しかありません。つまり地殻中の存在量が多いが、経済的に採取可能な鉱石としてそれほど多くないということです。加えて自然界でチタンは酸素と強く結びついた化合物として存在し、純度の高いチタンを分離精製することが困難であったことからレアメタルに位置づけられています。


実務家ケインズ 3/3~経済学者としての一面

貨幣経済学 マネタリーな経済学
『雇用、利子および貨幣の一般理論』という表題がいみじくも示唆しているように『一般理論』、ひいてはいわゆる「ケインズ経済学」は、すぐれて貨幣的(マネタリー)な経済学という性格を持っている。マネタリーという言い方は多義的で曖昧ではあるが、ここではとりあえず、理論体系全体の中で貨幣が圧倒的ないし本質的な重要性を賦与されているという程の意味で用いることとしたい。そして、このようなマネタリーの経済学の形成にはほかならぬ実務家としてのケインズの経歴が深く関わっているように思われるのである。ケインズは1906年インド省に入り、当初3ヶ月ほど陸軍局に勤務したあと、もっぱら歳入・統計・通商局で過ごしたわけであるが、そこで彼は日常の仕事を通じて、インド経済に関する豊富な情報、統計資料に接する機会に恵まれ、またヴェテランの金融局長ライオネル・エイブラハムズらから、インドの通貨ルピーの問題について、多くを学んだようである。いずれにせよ、インド省勤務はごく短期に終わったが、ケインズが通貨、金融あるいは経済の問題に「実地に」携わってゆく端緒を与えたものとしてきわめて重要である。
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1908年半ばには、ケインズはインド省を辞して、ケンブリッジの経済学講師に就任し、第一大戦勃発までの数年間交尾を続けるのであるが、その講義科目がモグリッジによって整理され、『全集』第12巻に載せられているので次に掲げよう。
貨幣、信用および物価
株式取引所とマネーマーケット
貨幣の理論
企業金融と株式取引所
通貨と銀行
インドの通貨と金融
マネー・マーケットと外国為替
経済学原理
インドの貨幣問題
今ひとつ注目しなければならないのは、株式取引所とか短期金融市場(マネー・マーケット)とかあるいは具体的なインドの問題とか、実際の制度や仕組み、あるいは運営等に関する深い理解無しには論じ得ないテーマが多いことで、実践的経済学者としてのケインズの姿勢というか学風のようなものが、早くも、『一般理論』に先立つこと20年以上も前の、この時点で確立しつつあることを示唆するものと言えよう。「インドにおける最近の経済事情」と題する処女論文を『エコノミック・ジャーナル』に寄せて、主として通貨管理制度の問題を扱い、それが事実上、学会、論壇へのデヴュー作となった。『インドの通貨と金融』が公刊される直前にケインズは「インドの金融・通貨に関する王立委員会」の委員として、そこで金為替本位制の提唱や「国家銀行(ステイト・バンク、中央銀行)」設立構想の推進など、積極的な役割を演じていく。


ネロ 暴君誕生の条件 3/3~属州と辺境の戦雲

ローマの大火
当時のローマの道幅は5~6メートルしかなく、おまけに両側から増築された部分が道の上まで突き出し家並みは乱れており、消火は困難を極めた。みんな身の安全を計り、足弱の者たちをかばいながらも慌てふためいて互いに邪魔をし合っていた。人は押し合い圧し合いして地面に倒れる。火焔の中から救い出すことのできなかった身内をいとおしがって自ら命を断つものもある。もはや誰一人として火を消し止めようとはしなかった。それどころか奇怪なことに消そうとすると、多くの人が脅し妨げた。なかにはおおぴらに松明を投げながら「その筋の命令でやっているだ」と叫んでいる者も居た。ちょうどこのとき、ネロはアンティウムに滞在したが、知らせを受けてローマに帰ってきた頃には、パラティン丘とマエケナス庭園を結ぶ回廊宮殿に、今にも延焼しようとしていた。火を消し止めることができたのは、パラティン丘がカエサル家の建物を含めてすべて灰塵に帰した後であった。出火後6日目にやっと火はエスクィリヌス丘の麓で止まった。
ネロが行った大火後の応急措置と復興施策は行き届いたものだったが、忌まわしい噂をかき消すことはできなかった。ネロは都が燃え盛っている最中に館の内の舞台に立ち、眼前の火焔を見ながら、これを大昔の不幸になぞらえて「トロイの陥落」と歌っていたというのである。「ネロは新しい都を建て直し、それに自分の名前をつけようという野心を日ごろから抱いて」ローマを焼いたという一層聞き捨てならない噂も流れ、人々に信じられていた。スエトニウスによると、あの奇怪な放火団はネロの奴隷達だったので執政官も阻止する勇気がなかったという。しかし新都建設事業のためならば、何もローマを焼き払うという高価な犠牲を払わなくても可能なことであり、彼が苦にしていたというスラム街や曲がりくねった狭い街路を一掃するには、より有効適切な方法があったはずである。大火後の首都が面目一新したことは、ネロの年来の構想をある程度実現したことになるが、それが放火の動機であったとは考えられない。それでは奇怪な放火団は一体何者か? その正体を突き止める決め手は無いがただの火事泥棒ではないらしい。ブリタニクス-アグリッピナ-オクタヴィア派の残党、さてはシラヌス、スラ、プラウトゥスなどにつらなる人々のいずれか、あるいはそのすべてであっても良いだろう。ネロにこめられたつのる怨みが紅蓮の焔となてローマを焼き尽くし、その罪責を市民の悲嘆と苦悩のさなかに、ホメロス気取りで歌うヘボ詩人になすりつけたのではあるまいか。