カテゴリー: 読書

田中角栄 人を動かすスピーチ術

「オレの演説は年寄りにも、おっかさんにも、青年にも、だれにでもわかるようにできている」
田中角栄元首相はよくそう豪語し、自分のスピーチに絶対の自信を示していた。
新潟には雪があるッ。雪は水ッ。私の言いたいのはね、水ッ。水はそれだけ大事なんだ。生活の基本になる大事な
ことだということなんです。みなさんッ、雪は資源です。いや、財源ということなんだッ。」
(昭和55年、越山会総決起大会で)
「田中は政治家でなくて、土方だと言われる。ナニをぬかすかだッ。でもこういわれるとここ(地元・新潟県)の人は怒る
わねェ。そうでしょ、みなさん!(拍手) 田中は入広瀬(北魚沼郡)の村長と組んで、ここばかり公共投資すると言われた。
ナニをほざくか、こう言いたいよなァ。当たり前のことだッ。東京には水がない。その水をこっちがくれてやっている。
そういうところに公共投資をしてナニが悪いッ。(大拍手)
みなさんッ、この百年は太平洋側の百年だった。しかし、これからの百年は日本海側の百年だ。どんどん生活は良くなる。
私はねェ、新潟県に20ヵ所のダムを持ってきている。なぜだか、わかりますか。これからは関東が水不足になるか
らであります。しかし、こっちには雪があるわねェ。雪は水なり、水は力なりであります。(昭和51年、立会演説会で)
雪の大地の民に夢を与えるスピーチですね。この時代から水資源に注目していたあたり、先見の明あり。
みなさんッ。評判が悪くても、自民党がずっとやっているのはなぜか。まァ、酒グセは悪いが、働き者だから亭主を
替えないと思うおっかさんの気持ちと同じだねェ(爆笑)
吉田(茂)さんはバカヤロー解散で有名だが、いつもニガ虫を噛み潰したような人だった。しかし憎まれる奴はや
がて世に出るなァ(と、自分をナットクさせているふう)。吉田さんは佐藤(栄作)さんよりも、池田(勇人)さんのほうを
かわいがっていた。このォ、人間は自分より美男子でない、頭のワルイのがかわいいんです。佐藤さんと一緒に
写真を撮ると、見劣りがする。ケムタイわけです。諸君もそうだろう(爆笑)。
そうなんです。
ある女性が言いました。「エエブイは何が嫌って、男優がブサイクで汚い。」
私が答えて言いました。「それは理由があります。お客様は殿方です。お客様に優越感を持って頂くように、
製作側が意図しているのです。」
東京都は日本人の顔なんです。田舎ほど自民党の勢力が強い。日本人の中で、一番、親から面倒を見てもらって、
東京などで良い職場につき、車、テレビ、いいマンションに恵まれている人が自民党に一番投票しないッ。そんな
バカなことがあるかッ(笑)。
社会的恩恵を一番受けている人が、自民党に反対するのは間違っています。この会場にも新聞記者がいるが、大学
でて新聞記者にでもなると、すぐ自民党はいかんと、こうなる(笑)。体制に反対の声をあげんと、おかしいのではない
かと思っとる!これは錯覚だねェ。油だらけになって、朝から晩まで働いている諸君は、自民党に入れてくれるんだ。
何が大学かと言いたいよ(爆笑)」昭和56年東京都議選応援演説で
みなさんッ。田中は土方政治家で、新幹線なんか国費の乱費だ、それより世界の平和のためにカネを出すべきだ、
なんて批判する奴もいる。バカヤローと答えたいねェ。そうでしょ。政治というものは、まずメシが食えない、子供を
大学にやれない、という悲しい状態から抜け出すことを先決に考えなければいかんのだ。現実を踏まえるもので
あります!みなさんの農村を回ってみなさい。住む家よりもデカイ小屋を建て、農機具をしまっておる。これを見ると、
田中の政治も悪くなかったなァと、こう思うのであります(拍手)」

田中角栄の人を動かすスピーチ術 (講談社プラスアルファ文庫) 田中角栄の人を動かすスピーチ術 (講談社プラスアルファ文庫)
小林 吉弥

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【資源獲得競争】
2010.07.30: 闇権力の執行人 ~外交の重要性
2010.06.01: インド対パキスタン ~インドの核開発
2010.03.02: テロ・マネー ~血に染まったダイヤモンド
2009.12.04: アジア情勢を読む地図2
2009.06.26: プーチンのロシア2
2009.03.13: 裏支配
2009.01.29: 意外に重要、イランという国
2008.11.11: ユダヤが解ると世界が見えてくる
2008.10.15: 製造業至上主義的産業構造分析
2008.09.08: いい女発見!
2008.06.19: 原油先物の取引高
2008.04.29: 世界の食糧自給率



初等ヤクザの犯罪学教室 ~犯罪の認知と条件

贈り物の正しい差し上げ方
百貨店の取引口座というものは一種の利権でありまして、そうそう簡単に手に入るものではない。なにしろ店内に商品が並び
さえすれば、ネームバリューと便利さからお客がどんどん買っていってくれるのです。K君が8年前に目をつけたのがこの利権で
ありました。K君は当時、金融商品や故買品を取り扱うかなりダーティな、いわゆるバッタ屋でありました。もちろんその頃は大
した金などなくて、懲役覚悟でヤマを踏む、一介のブラックバイヤーだったわけであります。しかし、年に似ず、変に肝の座った
ところがあり、人当たりも良かった。成功する素質はかなりのものを持っていました。そんなある日、K君がふらりと私の事務所
に現れて、こんなことを尋ねたことがあります。
「ねぇ、浅田さん、ワイロっていうのはいったいどこまでが犯罪で、どこまでそうじゃないんだろうね
「それは金額じゃないね。相手による
「相手?」
「そうさ。刑法でいう贈賄罪は『公務員受託贈収賄』といって、公務員とか訴訟の仲裁人とか社会に対して公平でならなければ
ならない人を金であやつった場合にのみ成立する
ものなんだ」
「え? じゃあふつうの会社の場合はどうなんだ」
「営利目的の会社の場合、社会に対して必ずしも公平である必要はないし、第一接待とワイロの境界をどこで引く?そんなこと
できるわけないだろう?」
「じゃあ、相手方の担当者にワイロを贈っても犯罪じゃないわけだ」
「そういうことになるな。ただし経理上の監査とか、株主総会とかの場合についてはダメ。商法に規定がある。あとはワイロ工作
によって会社に実質的な損失を与えた場合は背任罪ということもあるし、金を渡したんだからこうしろと脅せば恐喝だ」
「なるほど。会社に損させずに、スマートにやれば良いわけか。」
「そうそう。法に触れないんだから、バレても君には関係ない。相手がクビになるだけさ」
K君はまず、これと決めた百貨店の人事情報を出入り業者から入手する。実質的決裁権をもっている担当者をひとりだけ選び
出すのであります。念のためにと言って複数の人間を狙うのはタブーだそうです。次にターゲットと接触する。人を介しても良い
し、いきなり名刺を差し出してもかまわないが、最善の方法はバーゲン会場専門の「企画屋」と呼ばれるセールス・プロモータ
ー、つまり口座貸し専門の出入業者を通じてとりあえず一度、損得抜きの商売をする。酒席を設けるのも良いが、近頃はゴルフ
というたいへん便利なものがある。そして帰りに一杯やってすっかり意気投合したところに「いや本当に楽しかった。あ、それか
らつまらないものですが、お車代に」と言って酔ったふりをしながらかねて用意のあった封筒をポケットにねじ込むわけです。
ところがこれは小手調べ。封筒の中には本当にお車代程度の3万円とか5万円というお金しか入っていない。いわゆる誘い水
であります。大して面識もないうちに大金を差し出すというのは愚の骨頂で、相手も警戒するし下心も見えすぎる。「過分なお車
代」によってなによりもまず相手にある期待感を抱かせることが肝心なのであります。実はこの「ある期待感を抱かせる」
ということこそ、ワイロの極意でありまして、その状態を維持させたまま商談を持ちかけ、こちら側の営業態勢や商品内容を詳
細に説明する。
相手は必ず真剣に聞きます。そしてタイミングを見計らって「実弾」を手渡す。K君はワイロの隠語である「実弾」という言葉は使
わず「実包」といいました。
社会的地位の上がった泥棒
かつて泥棒は破廉恥罪などと呼ばれてまして、よほど名の知れた大物でもない限り犯罪者たちからは疎んぜられてきました。
その根拠は甚だ曖昧ではありますが、たぶん「命がけではない」とか「生活のために他人の財物を奪う」といった軽さが、彼らを
低級な犯罪者に位置づけたのでしょう。泥棒がそのように肩身の狭い思いをしたのは一昔前の話で、檻の中で彼らをかばい立
てする気遣いなど、近頃では全くなくなった。
今や彼らは房の中でも実に堂々と幅をきかせていてこれはどこのおアニイさんかなと思っているとつまらぬ万引き常習者だった
りする。この現象はどこの留置場でももはや一般的であります。いったいどうしたわけで泥棒の社会的地位がかくも向上したかと
考えますと、どうやら年間20数万人という検挙人数がものをいっているらしい。逮捕される頭数がほかの犯罪者に比べて多いの
は昔も今も同じなのですが、民主的な戦後教育を受けた犯罪者が大多数を占めるようになって、場所柄も関係なく多数派こそが
メジャーであるという社会通念が生まれた
。それともう一つは、欧米流の合理主義が古来の犯罪通念を駆逐して私利を図ること
は決して破廉恥ではないという考え方が支配的になったからでしょう。
完全犯罪を実行できる環境と条件
犯罪捜査には法用語で言うところの属地主義という原則があります。例え被害者が日本人といえども、発生現場が外国であれば
日本側の捜査権は及ばない。警察との戦いは一口に言って証拠の奪い合いであります。私が「知人を殺す」という犯罪計画を立
てるとしたら、やはり実行場所はアメリカを選びます。誰でも考えつく国は治安の悪い東南アジアのどこか
でしょう。しかし法治国
家としてあるレベルに達していない国は実は犯罪者にとってもリスクが大きいのです。つまりこちらがどんなに周到な計画を立て
ても、その後の展開が読めない。たとえば警官同士の撃ち合いが日常茶飯事などという未成熟な国では、捜査活動に一貫性が
無いから完全犯罪そのものが計画してできるものではない。しかも外交的には日本と対等の国でなければ、いつなんどき属地
主義の法原則を破って日本の警察が捜査に介入してくるかもしれない。
では次に先進国における警察力、つまり敵の実力を比較してみます。以下は1985年における各国の殺人事犯の認知件数と
その検挙率です。
イギリス 1819件 79.1%
西ドイツ 2796件 95%
フランス 2497件 84%
米国 18980件 72%
日本  1847件 96.1%
一見しておわかりの通り、米国はまさしく殺人天国なのであります。なんと1年間にわが国の10倍以上の殺人事件が発覚し、
そのうち5300件が犯人不明というわけです。
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初等ヤクザの犯罪学教室 ~銀行強盗成功のための傾向と対策

銀行強盗成功のための傾向と対策
襲撃しやすい銀行というのは、もちろん町なかの雑多な商業地域などにある銀行であります。人通りが少ないからと言って場末
の銀行を狙うのは愚の骨頂で、犯行後、幹線道路を非常線で遮断されてしまえば、もうお手上げであります。「木は森に隠せ」と
いう西洋のことわざどおりに、終始、人混みにまぎれて行動することこそ銀行強盗の鉄則なのであります。では、渋谷や新宿などの
盛り場の銀行がいいかというと、これもあまり感心しない。行員や客の数が多く、設備が整っていることもさることながら、たいて
いは警察や交番との距離が近いからであります。犯罪現場を目撃したことのある方はおわかりでしょうが、交通事故だろうが殺人
事件だろうが、いの一番に駆けつけてくるのはたいがい近所の交番のお巡りさんです。小さな交番のお巡りさんは、いったんパトロ
ールに出れば少なくとも5分以上は戻ってきませんから、彼らが出払ったのを見届けてからすぐそばの銀行に飛び込めば良い。
気の利いた共犯者に依頼して、町外れで軽い接触事故を起こすとか、とるに足らぬ揉め事を起こさせて一瞬交番をカラにする、
などというのもかなり名案
です。
捜査の足並みを揃わせない方法とは?
近所の警察署の所轄図を十分に頭に入れておき、犯行後はすみやかに他の所轄へ逃げ込む、ということであります。日本の
警察機構はいわゆる自治体警察でありまして、例えば警視庁と神奈川県警はまったく別会社と考えてよい。他の区域に越境して勝
手に捜査をすすめることは機構上できない
のであります。少々古い話になりますがかの「かい人21面相」などはこうした警察のウィー
クポイントをよく心得ていて、重要な行動に出る時は必ず大阪府警と兵庫県警の所轄を股にかけています。兵庫でさらった人質は
大阪で解放する、という具合です。これをやられるとわが国の警察は必ず指揮権が混乱し、捜査行動が遅滞します。昭和63年の
夏に川崎市郊外の横浜銀行稲田堤支店で起きた800万円強奪事件であります。この事件は手がかりさえ掴めぬまま迷宮入りとな
りました。この成功の第一の理由は川崎市稲田堤という場所が、東京と稲城市までわずか数百メートルしかなく、犯人はそのことを
知ってか知らずか事件直後まっしぐらに所管外へ逃亡したに違いないからであります。現場は神奈川県警玉警察署の所轄。5-600
メートルも走れば警視庁玉中央警察署の所管であります。多摩署->神奈川県警->警視庁->多摩中央署という手順を踏んで多摩
警察署が緊急配備に付くまでには、物理的に最低10分のタイムポケットが生まれます。その10分間は犯人してみれば無人の荒
野を行くようなもので、50ccのバイクさえあれば悠々と多摩中央署の所管内さえ通り抜けて、さらに別の管内に逃亡することもで
きるわけです。
そう。国境が歪んでいるように、所轄境もまた歪んでいる・・・
2010.02.15: 通信隊 それは陸のOff-Shore 
目標金額はせいぜい1000万円にしよう
犯行の日時でありますが、これは統計的に月末の閉店間際というのが常識になっています。理由は簡単で、この時期が最も店
頭に現金が集まっているからでしょう。統計的にこの日時が最も危険であるということは当の銀行が一番よく知っていておのずか
ら心構えが違います。たとえば私のように見るからに疑わしい面構えの男がこの日時に入店しただけで、案内係は大変険しい目
つきをします。心外なことではあります。敵の意表をついた、月中のお昼時をお勧めします。手練なれた案内係が食事に出ていて
交代要員の女子工員がフロアに出ている時間などがかなり狙い時だと思います。
さて、目標金額についてでありますが、獲物は1円でも多い方が良いに決まっています。しかし、何千万円もボストンバッグに詰め
させるためには行員一人を血祭りにあげなければならないと思ってください。これは銀行員が勇敢なのではない。もともとが全員け
ちなのであります。もしお友達に銀行員がいらっしゃるのなら、その男が学生時代にどんな性格だったか、よく思い出してください。
そもそも銀行員になろうなどという輩は他人のためには舌も出さないようなケチばかりであります。カウンター越しにどおんとひとり
撃ち殺せば、まあそれなりの札束はつまれるでしょうが、強盗は有期刑ですが、強盗殺人となりますと無期懲役が普通、まかり間違
えば死刑にもなりかねません。仮に成功しても後々仲間からは気味悪がられておいしい話にも混ぜてもらえなくなります。そこで私
が銀行強盗の目標金額として適当と思うのはせいぜい1000万円であります。その理由は二つあります。一つは窓口とその周辺で
手早く集めることのできる上限であること。もう一つは男の手で鷲掴みできる限界であるということです。お金というのは物理的に
紙の束でありまして、数がまとまれば非常に重たいものであります。1000万円と簡単に言いますが、いざ持って逃げるとなると広
辞苑一冊抱えて走るようなものでまったく容易なことではありません。せっかく奪取した札束を捨てて逃げるマヌケな強盗がよくおり
ますが、あれは別に気が弱いわけではない。普段持ちつけていないものですから、金の重みを知らなかっただけ
のことであります。
ましてやそれ以上の金額になりますと、手廻しよく車を待機させてでも居ない限りまず逃走不可能と考えていい。仮に間違って銀
行が1億円の札束を差し出しても、その中から1000万円をつかみだして逃げるくらいの配慮が無くてはいけません。
これもそうだな。金(カネ)ってのは重いんだよ。持ってみればわかる。運んでみるともっとわかる。
2009.04.09: 金(カネ)の重み  
これが中国元だったとしてみよう。金額等価で、重みは日本円の約8倍だ・・・。高額紙幣が100元札だからなぁ。
それを運ぶのだよ・・・、国境を越えて・・・、重いぞぉ・・・
2008.10.30: RMB(中国元)の売り l
逆に金を軽くする方法。今となっては難しいワリコー、ワリトー、ワリチョーなどのマネロン必須アイテムであった割引金融債。
こいつは良い。証書一枚で相当な金額になる。持ち運びにも保管にも適した超高額紙幣(証書は札よりはかなり大きいが)
であった。
2008.03.18: 一族家における投資教育~税金と名義
【金と金融の意義】
2010.09.28: 世界四大宗教の経済学 ~キリスト教とお金
2010.08.16: 株メール Q2.企業業績とは何か?
2010.07.09: 資本主義はお嫌いですか ~大ペテン師 ジョン・ロウ
2010.04.22: 東証アローヘッド導入のインパクト
2010.02.09: デリバティブ理論講座のお題
2009.12.30: 金融vs国家 ~金・金融の意義
2009.10.22: お金と人の行動の法則
2009.08.28: インド独立史 ~ガンディー登場
2009.04.09: 金(カネ)の重み
2008.10.10: あなたが信じているのはお金だけなの?
2008.07.18: Olympic記念通貨に見る投資可能性
2008.02.20: アジア通貨 ~HKD 通貨発行差益(シニョレッジ)  


初等ヤクザの犯罪学教室 ~割に合わない犯罪

最も割に合わない犯罪とは、「酔っ払い運転」であります。たいていの皆さんが「なあんだ」と思われたことでしょう。そうです。
そのように皆さんが、ということは社会全体が軽んじているからこそ、この犯罪は恐ろしいのです。呼気の中にアルコールが多
少にかかわらず検出される状態で自身事故を起こしたとします。お巡りさんは有無をいわさずあなたに手錠をかけてしまうの
です
。酒酔い運転とは検問に引っかかった時の同交法上の故障であって、あなたは事故を起こした瞬間から「業務上過失
致死傷」という刑法犯
になってしまうわけなのです。刑法犯であるからには、お巡りさんは現行犯逮捕の規定に従ってあなた
に手錠をかけ、所轄警察に連行しなければなりません。
酔っ払い運転は日常生活に起こりうる最もハイリスクな犯罪であります。酒を飲んで事故を起こせば、必ず身柄は拘束され
ます。どこの警察署の留置所にも、一晩に一人か二晩に一人、ことに休日前の夜には必ず、この哀れな犯罪者が放り込ま
れてきます。一夜明けて顔を合わせてみれば、彼が業務上過失致死傷の容疑で逮捕されたのだということはすぐにわかります。
というのは、彼らは一様に同房の留置人たちをなんだか別世界の生物でも見るような目で見る。つまり「俺はおまえらとは違う
んだ。ただの酔っ払い運転でたまたま捕まっただけなんだ」というような顔をしているのです。まさか自分が刑法犯として裁判にか
けられ、懲役にいくなどとは思っていない。早く家族が迎えに来ないかなァなどと呑気なことを考え、頭の中で慰謝料の計算な
どをしている
。たいていおせっかいな古株の留置人がにじりよって語りかけます。初めは知らんふりで聞き流している本人の顔が
自体の真相を聞き及ぶにつれ次第に青ざめていきます。同房の留置人たちは笑いを噛み殺しながら「目の前が真っ暗になる
瞬間」の人間の表情を克明に観察することができるわけなのです。
社会一般では、法律で禁じられている麻薬、大麻、覚醒剤の3者を混同して考えがちですが、これらは元来まったく違うもので
あります。麻薬とはアヘン、ヘロインなどのアルカロイド系薬物の総称であります。これは鎮痛剤としての医薬効果の大きなれっ
きとした医薬品なのです。極めて即効性があり、投与方法が簡単であることから、事故などの激痛をとりあえず止めるためには
書くことができないものであります。したがって世界各国の軍隊の衛生兵は必ずすぐ使用できる状態で麻薬を携行しています。
いわゆるモルヒネであります。大麻は広義で麻薬の一種ではありますが、いくら常用しても麻薬のように禁断症状あらわれること
はありません
。ただひたすら陶酔し、ハッピーになるだけですからその効果は麻薬よりもむしろアルコールに近いと言えます。私見を
申しますと、大麻を法規制する根拠は甚だあやふやであります。吸引に伴う幻覚症状が凶悪犯罪を引き起こすと当局は説明
していますが、そんな実例は聞いたことが無い。ただ、快楽を追及するのは人間の本能でありますから、より以上の快楽を覚醒剤
や麻薬に求めようとするのは彼らのお定まりのコースでありまして、どうやら「大麻取締法」には覚醒剤や麻薬の水際防止的な意
味が含まれていると思われます。
「大麻取締法」で利益を上げたのは誰か?
大麻と言うからには原材料は麻であります。これはもともとが繊維原料でわが国では身にまとう布の代表でありました。麻は繊維が
太く通気性に優れているので、高温多湿の我が国の気候には最も適した繊維と言えます。しかもクワ科の1年生草木でありますか
ら土地を選ばず、あっというまに成長する。生産性が極めて高いのであります。ところがこの麻が絹と比肩するほどの高級品になって
しまった。庶民の着物であった麻がなんでこんなに出世してしまったかというと、ほかならぬ「大麻取締法」のおかげであります。大麻
の麻酔成分は樹脂中に含まれるカンナビールという物質でありますが、この成分は厳密には麻の全品種の腺毛内じゃら分泌されま
す。したがって「大麻取締法」の施行と同時に麻の栽培は徹底的に規制されたのであります。それによって生産農家がどのくらいの
打撃を受けたか、そして麻製品を輸入することになった商社がどのくらい利益を得たか知りませんが、ともかく見渡す限りの麻畑は姿
を消し、私たち庶民はあの快適な麻布の着心地を味わえなくなってしまったのは事実です。
覚醒剤 俗にグラム1年と申しまして、覚醒剤の使用、所持、売買に手を染めますと1グラムについて懲役1年の刑が宣告される
といわれます。覚醒剤に対してこのような量刑が課せられる理由は2つあります。一つは暴力団の資金源であるからです。一般
覚醒剤と呼ばれるものは、アンフェタミン、メト・アンフェタミン(ヒロポン)という化学薬品の総称であります。なにしろ化学薬品な
のですから製造コストは馬鹿みたいに安い
。その馬鹿みたいに安いものが法で規制されて、リスクに応じた高値がつくわけで
すから法的リスクそのものが商売であるヤクザが、これに手を出さぬわけはありません。終戦直後のように町の薬屋さんで覚醒
剤をどんどん売ってしまえば、当局が莫大な費用をかけるまでもなくこの問題は解決してしまうわけです。ついでにこれを専売に
して「健康のために打ちすぎに注意しましょう」などとパッケージに印刷すれば良い
。ところがこの名案が実行できないわけが
第二の理由なのです。覚醒剤を連用すると精神分裂症に酷似した症状が現れるということであります。つまり幻覚や被害妄想と
いった症状が一過性ではありますが歴然と現れる。ただし、覚醒剤の連用と幻覚症状については異論があります。それは精神
状態に影響を及ぼすのは覚醒剤そのものではなく流通段階でたびたび混入される雑物のせいであるとする説です。この説の真
偽については明らかではありませんが、実際、密売人たちの手から手へ移るたびに、正体不明のさまざまな粉末が混入されてもと
の一袋が二袋、四袋と化けてしまうのは事実であります。この作業には、塩、砂糖はもちろんのこと、味の素、太田胃酸などがよく
使われます。

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【民の欲と国家】
2010.10.14: 道路の権力1
2010.08.24: 中国の家計に約117兆円の隠れ収入、GDPの3割
2010.07.05: 警視庁ウラ金担当
2010.05.20: 秘録 華人財閥 ~独占権、その大いなる可能性
2009.12.29: 何のために生きるのか?ふと考えるときがある
2009.10.07: 物欲の定義
2009.08.20: インド旅行 招かれざる観光客
2009.08.14: インド独立史 ~東インド会社時代
2009.05.07: 幸福感と欲の関係
2009.05.04: 民族浄化を裁く 旧ユーゴ戦犯法廷の現場から
2009.04.15: 貯蓄率にみる人々の自信度合い
2009.01.07: ユーゴスラヴィア現代史 ~国家崩壊への道
2008.09.24: 俺の欲しいもの
2008.09.23: 被支配階級の特権
2008.07.18: Olympic記念通貨に見る投資可能性


知られざる技術大国イスラエルの頭脳

「これがルールだから、そうしろ」と言われても、すぐに「はい」と従ってはいけない。「ルールは
人間が作ったものなのだから、もし少しでも疑問があるなら、なぜそうなのか、必ず答えを得る
ように
」と教えられるのだ。ユダヤ教では常に「クエスチョン、クエスチョン、クエスチョン」で「
対的価値を疑え
」と奨励している。それがユダヤ人の普通の勉強の仕方だ。
またユダヤ教では、グループで行動するのではなく、自分独自の考えを持つようにと教えられる。
物心ついた頃からずっと、他人がやっていることを見たら、それとは違うことをするように言われ
続けて育つのである。
私が受けてきた教育と同じだ。私の父と母は、日本人。育ちも日本であったがな。
暗号というのは極めて戦略的な技術で、軍事技術のソフト面でのキー・テクノロジーでもあるの
だが、数学的な面から言えばアルゴリズムそのものであって、ネットセキュリティの「ファイア
ウォール」などはいかに優れた演算処理プログラムを開発できるかに全てがかかっていると
言ってもいい。業界標準となったチェックポイント社の「Firewall-1」は、まさにイスラエルが誇る
優れた数学的才能の賜物と言えるだろう。暗号と言えば、米国はテロ組織や麻薬取引グルー
プの通信に悪用されるのを防ぐため、高度な暗号技術の輸出を厳しく規制してきたが、それを
昨年末緩和した。このまま輸出規制が続けば、イスラエルのように優れた暗号技術を持ち、
なおかつ暗号輸出の自由な国が暗号の世界標準を握ってしまうことを恐れた
からだ。
もともとイスラエルは天然資源に恵まれないうえ、人口が少なく、国内市場の規模が小さい。
量産志向の組立加工型産業んい取り組むのは不向きである。その点、数学なら設備投資に
必要なのはペンと紙だけ。工場も要らないし、工作機械も不要だし、従業員を雇う必要もない。
ただ、独創的で優秀な頭脳がありさえすればいいのだ。イスラエルでは情報通信やソフトウェ
アのような頭脳集約型のハイテク産業が大きく開花したのは、ペンと紙と頭だけでいくらでも
勝負できる数学の世界こそがその土台だったからだ。
建国前にできていた科学技術の土台
ハイテク国家への道筋を考える場合、1948年の建国以前にこの国の科学技術の土台が出来
上がっていたことだ。建国後、完全なゼロ状態からスタートしたわけではないのである。
たとえば農業研究は、1870年のミクベ・イスラエル学校の設立に始まり、1921年にはテルアビ
ブに農業試験場が創設され、今日の農業研究機関へと発展した。医学・公衆衛生の分野では
第一次世界大戦以前にヘブライ衛生拠点が設立され、その後1920年半ば、ヘブライ大学に微
生物学研究所、生化学、細菌学、衛生学の各部門が設置され、研究が進んだ。これが有名な
ハダッサ医療センターの土台になった。また工業研究の分野では、1930年代に死海ラボラトリ
ーが先駆的な役割を果たしたほか、テクニオン・イスラエル工科大学(1924年創設)、ダニエル
・シフ研究センター(1948年創設)などで基礎的な科学技術の研究が始まっていた。つまり、建
国時にはこの国の科学技術の下部構造はほぼ出来上がっており、その上に国家的に重要な
研究が優先的に積み上げられ、それを土台に諸産業が段階的に開発されていったのである。
その意味で、シオニズムの建国運動は3つの段階に分けて考えることができる。第一段階は
農業による国の基礎作り、第二段階は国防力強化による安全保障の確立、そして第三段階
が今日のハイテク産業を中心とした国家の確立
である。
第一段階 農業による国の基礎作り
「アシュケナージ」と「セファルディ」、イスラエルへの移民は、ドイツ、東欧、ロシア系のアシュ
ケナージとポルトガル、スペイン、北アフリカ、地中海沿岸、中東、南米系のセファルディという
二つのグループに大別できる。両者の違いは歴然としている。シオニズムを通じて建国に馳せ
参じ、独立戦争を戦ったのはその多くがアシュケナージだった。彼らは、ロシアの農奴やヨー
ロッパのゲットー出身者が多い。貧困の時代が長かったせいか、進歩的思想、社会主義的傾
向が強かった。ユダヤ教への帰依も純粋で、イスラエル政界の主流は圧倒的にアシュケナー
ジが占めている。これに対してセファルディは、宗教的に言うと、アシュケナージほど敬虔では
ない。現実主義的で商人が多い。医者や哲学者なども少なくないが、ビジネス・エリートの多く
はセファルディの系列と考えていい。こうしたグループの性格の違いから建国後、キブツ(集団農
場)の運営を担ったのは社会主義的な傾向の強いアシュケナージだった。またイスラエルが長
く社会主義的な色合いの濃い政策を続けたのは、キブツに象徴されるように彼らが政界をリード
してきたからだ。今ではキブツの収入の半分以上は工業製品になっているが、かつては農園で
オレンジを栽培するなど、完全に農業中心だった。農業こそが国の基礎であり、その育成はユ
ダヤ人国家建設の最重要課題
だった。だから建国からしばらくは、人も技術もお金も農業分野
に集中的に投下された。それを象徴するのが砂漠の緑化事業である。緑化システムを開発した
結果、耕作地は110万エーカーとなり、灌漑地も60万エーカーに増えた。砂漠緑化のための灌漑
システムや土壌改良の技術においても世界のパイオニアと言われるようになった。搾乳量世界
位置を誇る乳牛種や最上質のトマトなども開発されている。輸出総額に占める農業の割合は1950
念の60%から現在では3%程度に落ちているが、輸出額そのものを見れば当時の2000万ドルから
現在では約8億ドルへと拡大している。砂漠をオレンジ畑に変えた奇跡の結果である。
第二段階 国防力強化による安全保障の確立
迫害の歴史が、彼らに強烈な恐怖を蘇らせ、自ら迫害者となってパレスチナ人を難民へと追いや
ったことは、悲しい歴史の皮肉というしかないが、以後、イスラエルにとって「国防力強化による
安全保障の確立」は国家的大命題
になった。イスラエルの場合、文民統制(シビリアンコントロー
ル)が完全に失われた軍事独裁政権というわけではないから、厳密に兵営国家というわけではな
いかもしれないが、少なくとも財政事情や米ソの緊張緩和などを背景に軍縮政策が始まった80年
代半ばまでは、その色合いが濃かった。
戦車メルカバ、戦闘機クフィル、対艦ミサイル・ガブリエル、軽機関銃ウジなど、世界的に有名な
兵器も少なくない。イスラエル製の兵器は世界中に輸出されており、同国は世界有数の武器輸出
国でもあるのだ。イスラエルの軍事技術の特徴の一つは「改良」である。それを象徴しているのが
戦闘機クフィルと言えるだろう。その生い立ちは実に数奇で、武器禁輸で困ったイスラエルがフラン
スの戦闘機ミラージュ5(サンク)の設計図を盗み出し、勝手にコピーしたものだと言われている。
ミラージュにアメリカ製の強力なエンジンを搭載したのがクフィルだというのだが、真偽のほどはわ
からない。
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宗教から読む国際政治 ~アメリカ・ユダヤ人社会

ニューヨークのダイヤモンド通り
ロックフェラーセンターの超高層ビルを間近に望むニューヨーク・マンハッタンの47丁目。五番街と六番街に
挟まれた数百メートルの区間は「ダイヤモンド・ストリート」の愛称で知られる。通りの両側には宝石店や関連
のオフィスが所狭しと立ち並ぶ。その中のあまり目立たないビルの10階に、ニューヨーク随一のダイヤモンド
取引所「ダイヤモンド・ディーラーズ・クラブ(DDC)」はあった。関係者以外立ち入り禁止、厳重に警備された
フロアは黒い帽子に黒い背広、口ひげをはやしたユダヤ人ブローカーであふれんばかり。宝石を机に載せ、
低い声で世界各地から来た買い付け業者と商談を進める。ニューヨークは、テルアビブ、アントワープと並ぶ
世界の三大ダイヤモンドセンターのひとつ
。「そのビジネスを事実上取り仕切っているのはユダヤ人」といわれ
る。ダイヤのカッティングから研磨、売買まで大半の業者がユダヤ系で占められている。この賑やかな通りの
活気が一時的に途絶えたことがあった。1991年初めの湾岸戦争の時だ。「イスラエルの経済活動がイラクの
攻撃で麻痺するとテルアビブとつながりの深いニューヨークのダイヤモンド・ビジネスも打撃を受けたとDDCの
エグゼクティブ・ディレクター、マイケル・シェインバーグ氏は振り返る。第二次大戦の前後、欧州で迫害を受け
たユダヤ人は大挙して米国に逃れた。その際、財産を携帯に便利なダイヤに替えて持ち込んだことが米国の
ユダヤ人のダイヤモンド・ビジネスの事始めだ。
世界最大のユダヤ人社会
米国内にはざっと600万人のユダヤ系米国人がいるとされる。イスラエル一国の人口が500万人だから、それ
を上回る、世界最大のユダヤ人社会
だ。米国の全人口から見れば2.4%に過ぎないが、各分野での活躍の度
合いや政治経済への影響力は人口比をはるかにしのぐ。連邦下院では低位数435人のうち約40人がユダヤ
系議員。定数100人の上院にも10人弱の議員を送り込んでいる。結束力と資金力をもとに、米国のユダヤ人
団体は世界各地のユダヤ人の利害にも目を光らせている。
ワシントン最強のロビイスト
数あるユダヤ系組織の中でも、米議会に最も影響力があり、「全米ライフル協会と並ぶワシントンで最強のロ
ビイスト」(米議会関係者)といわれるのが、「米国イスラエル広報委員会(AIPAC)」
だ。反名誉棄損同盟(ADL)
と異なり、AIPACはロビイストとして登録しており、「米国とイスラエルの緊密な関係のためのロビー活動」を
展開している。
陰り始めた影響力 タブーを打ち破ったブッシュ政権
1991年9月12日、ワシントンの米議会に1200人のユダヤ人活動家が押しかけた。「イスラエルに対する100
億ドルの融資保証は欠かせません。ぜひともご支持を」。彼らはユダヤ系組織の指示に基づき、それぞれの
地元選出の議員にこう要請して回った。これに対しブッシュ大統領は「中東和平会議でアラブ側を刺激する
ことになる」などの理由で、議会に120日間の審議凍結を求めた。シャミル・イスラエル首相(当時)は猛反発、
米国のユダヤ系組織もイスラエルを支持するよう議会に働きかけたが、結局政府の議会工作に勝つことは
できなかった。
「親イスラエル・ロビーの力が弱まり、大統領が権力を回復したことを示す事件として歴史に記録されるだろう
」--。国益評議会のボーエン氏は満足そうに語る。
当時テレビカメラを通じ次々と家庭に届けられたイスラエル兵によるパレスチナ人殺傷の生々しい映像は米
国民に少なからぬショックを与えた。
「米国経済が問題抱えているのに、イスラエルへの援助はイスラエル国民一人当たり年間1000ドル近くにも
のぼる」と強調するブッシュ大統領の訴えは一定の共感を集めた。ブッシュ大統領は歴代大統領の中でも
ユダヤ票への関心が薄いほうだといわれる。88年の大統領選挙では、ユダヤ票の7割が民主党のデュカキス
候補に流れ、ブッシュ陣営は3割前後しか獲得できなかった。もともとユダヤ系の指示は少ないのだからイス
ラエルに対する政策で多少の反発を招いても、再選を賭けた92年秋の大統領選挙への影響はあまりない、
と踏んだ模様だ。
ユダヤ教の宗教指導者にも、法律による戒律の強制に反対する意見がある。キリスト教でいえば、プロテスタ
ントに相当する「ユダヤ教改革派」のラビ、ウリ・レゲブ師は「4000年前に書かれたもの(旧約聖書などユダヤ教
の教典)に、いまそのまま従う必要はない。宗教解釈の多様性を認めることこそユダヤ教を強化する道である。」
【治外法権領域】
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宗教から読む国際政治 ~各地での変貌

イデオロギー崩壊で目覚め
ペレストロイカや教会の華やかな魅力はきっかけに過ぎない。ブームの最大の原因は何よりも共産主義
思想の後退、そして崩壊にある。イデオロギーを強制されてきた国民の心の中にポッカリと空洞ができ、
そこに新たに宗教的関心が生まれたか、あるいは根強く残っていた信仰心が表に出るようになった
のだ。
「党は共産主義は天国を作ると宗教的なことを言っていた。だが、それは嘘だった。つまり共産主義という
宗教がなくなったのだ」
そう。民は常に心の支えを必要としている。それこそが宗教の本質であり、民は、神の存在や経典を求め
ているのではない。
ロシア教会自身も1989年から「信者と教会の利益を守るために」(ある正教会修道院の聖職者)ロシア最高
会議に複数の議員を送り込んでいる。彼らはキリスト教系政党との連係プレーで、これまで教会の監視役
だった国家保安委員会(KGB)系の宗教問題評議会を廃止に追い込み、新しく最高会議内に「良心と信教の
自由委員会」を結成した。
政府の宗教弾圧策で、教会がほぼ全滅した国もある。アルバニアがその典型的なケースといえよう。
1991年12月、アルバニアの首都ティラナで2000人を超える群集が、以前は労働党本部にあったホールに
押しかけた。この国でおなじみのパンを求める行列でも、政治改革を叫ぶデモの一団でもない。彼らが見た
ものは「キリスト」と題された米社製作の宗教映画。アルバニアでは67年以来、ホッジャ労働党第一書記の
独裁体制の下で宗教に関わる活動が一切禁止された。2000人もの市民が集まったのは宗教映画の物珍
しさであり、元来の娯楽の乏しさも相まって異例の熱烈歓迎ムードが生まれた。「キリストがあらゆる問題に
答えを与えてくれる。アメリカはアルバニアに神の祝福が与えられんことを願う。」アメリカは、上映に先立っ
て下院議員が演説、上映後には参観者全員にボールペンが配られた。プロテスタントの布教を足がかりに
してバルカンの最貧国に接近する米国の姿が垣間見える。
イスラム教とユダヤ教 中東の宗教と政治
社会を支配するイスラム教
エジプトの憲法は、イスラムを国教とし、「イスラム法典は立法の主要な源泉の一つ」と定め、「イスラムの精
神」を「国家が寄って立つ基盤の一つ」であると規定する。エジプトは近代におけるイスラム原理主義の発祥
の地でもある。憲法のイスラム尊重の条項は、イスラム教に基づく政治を求める勢力への配慮である。同時
にエジプト憲法は、国民の一割前後がコプト教というキリスト教の一派を信仰していることを考慮し、信教の
自由を保障している。さらに「エジプトは民主主義、社会主義の体制を持つ」として宗教が支配する政治体制
はとらないと受け取れる条文もある。この聖と俗に関する相反する原則は現実の政治においては、ナセル、
サダト、ムバラクの三代の指導者の間、一貫して世俗権力が宗教権威を従属させる形で適用されてきたと
いえる。政府はイスラム原理主義にきわめて強い取り締まり姿勢で臨んでいる。
アルジェリア政変の衝撃
1992年12月、人民議会選挙第一回投票で、イスラム原理主義政党、イスラム救国戦線(FIS)が大勝利を収め
たのを契機に、アルジェリアで政変が起きた。宗教に基づいた政治を求める勢力と、政教分離を守ろうとする
勢力の闘いが、全面対決に入ったのだ。その衝撃はイスラム教圏の国々を揺さぶった。イランを除けば、イス
ラム教諸国、なかでもアラブ・中東諸国はどこも主要な反体制勢力としてイスラム原理主義グループを抱える

からだ。イスラム教圏、とりわけアラブ諸国の人々は自分が何者であるかということを考える時に、まず「私は
モスリムである」あるいは「自分が属する部族の一員である」と考える人が多いように見える。真っ先に「私は
これこれの国の国民である」と自分を規定する人は少ない
。突きつけた言い方をすれば、国家が求める生き方
よりもイスラム教が求める生き方、または部族の一員として求められる生き方(それを大枠で規定するのはイ
スラムの教えである)を選好する傾向があるといえる。だから生活の不満が膨らみ国から受ける恩恵が感じら
れなくなると原理主義組織のスローガンが説得力をもって耳に入りやすくなるのである。そしていまのアラブ・
中東諸国はどこも、社会や経済の運営に不安を抱えている。だからこそ、アルジェリアで原理主義がどれだけ
人々の支持を得るか、そして政教分離の政府が原理主義勢力に打ち勝つことができるのか、そこをアラブ・中
東諸国の指導者は注視している。
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宗教から読む国際政治 ~ソビエト・ロシア

半世紀にわたる東西冷戦の終結によって世界はいま、権力と価値観のある種の空白期に入って
いる。この間隙を埋めるかのように、世界各地で宗教が政治、社会の表舞台に登場してきたので
ある。旧ソ連・東欧諸国ではロシア正教やイスラム教、カトリックなどが一斉に復活、中東諸国で
はアルジェリア、トルコを中心にイスラム原理主義運動が新たな高まりを見せている。
新たな地域ブロック、ゾーンを形成
ポスト冷戦時代の新たな国家間のブロック、またはゾーンの形成が宗教を媒介にして進みつつある
この数年の間に最も変化の激しかった、欧州大陸から中東諸国に及ぶ地域を俯瞰してみると、そこ
にカトリック・プロテスタント圏(西欧諸国を中心にバルト三国、ポーランド、ハンガリー、チェコストバキ
ア、クロアチア、スロベニア)、ロシア正教を中心とした正教圏(ロシア、ベラルーシ、グルジア、モルド
バ、ルーマニア、ブルガリア、セルビア、ギリシャ)、イスラム教圏(中東諸国、旧ソ連イスラム系国家、
パキスタン、アフガニスタン)という宗教の違いをベースとした3つのゾーンが形成されつつあることが
指摘できる。旧ソ連・東欧社会主義国の中でも、歴史的にカトリックやプロテスタントの影響が強かっ
たバルト三国やポーランド、ハンガリー、チェコストバキアが同じ宗教圏である欧州共同体(EC)との関
係を急速に深めている。一方、旧ソ連邦から独立したイスラム系五カ国(アゼルバイジャン、トルクメニ
スタン、ウズベキスタン、タジキスタン、キルギスタン)は1992年2月、同じイスラム系国家のイラン、パ
キスタン、トルコで構成する経済協力機構に加盟した(カザフスタンはオブザーバー参加)。イスラム教
という共通の絆を土台に政治・経済関係を強めていていこうというねらいからである。
ロシア正教ブーム 赤の広場に教会を再建
モスクワ中心部、赤の広場入り口。「宗教は徹底的につぶさねばならない」といったソ連建国の父レー
ニン
が眠るレーニン廟(びょう)からさほど離れていない一角に1991年5月、木造の小ぶりなお堂が忽然
と姿を現した。このお堂はかつて赤の広場入り口にあった聖カザン寺院復興、1612年に建てられたこ
の寺院は1936年、宗教弾圧政策の真っ只中、スターリンによって取り壊された。メーデーの「市民パレ
ードの邪魔になるから」というのがその名目だった。
ソビエト政権の弾圧
1905年の第一次革命後、ロシア正教会内部でも体制的な性格を少しでも排除しようと革命の気運が
高まる。1917年ロシア革命の年には実に約200年ぶりに総主教座が復活し、チーホンがその座につ
いた。だが、新たに政権を握ったポリシェビキの目には教会は旧体制の手本としてしか映らなかった。
弾圧が始まった。それはまた無神論を掲げる共産主義社会の建設の重要な一環でもあった。
新政権は翌1918年、教会と国家の分離を決め、教会財産を没収した。1922年、ソ連が大飢饉に襲わ
れると、レーニンは教会の貴金属などを国家に供出させた。
1929年には各地に宗教問題評議会がつくられ、教会は当局に登録を義務付けられた。これを拒んだ教
会は次々と閉鎖され、倉庫や博物館に姿を変えた。
1940年には、1917年に163人いた主教は4人に、革命前51,105人いた司祭は数百人に、帝政ロシア時
代54,174の数を誇った教会は1000足らずまで減ってしまった。第二次大戦の独ソ戦の際、ヒトラーがこ
の弾圧をとらえ、「キリスト教の解放戦争」を宣伝した時はスターリンも一時的な協会保護に動かざるをえ
なかった
。スターリン批判を行ったフルシチョフも宗教弾圧には積極的な姿勢を見せた。ある時フルシチョ
フは訪れたウクライナの共産党大会でこう演説している。「われわれはあと数年のうちに『最後の信者』と
いう珍しい人間を見ることができるだろう」---。
宗教復活のきっかけはよく知られるようにゴルバチョフ政権のペレストロイカである。ゴルバチョフは教会
活動により大きな自由を与えられることの見返りに、自らが推進する改革路線への信者支持を取り付け
ようとしていた。

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破壊工作 金賢姫Forcus

なぜ、金賢姫と金勝一は、あるいはこの事件のシナリオを書いたものは破壊工作の旅の第一歩としてブ
ダペストを選んだのだろうか。なぜ第一歩をウィーンもしくはベオグラードにしなかったのだろうか、その二
つは東と西の接点の都市(1987年当時)、ブダペストより行動の自由を保証されていた。
「オーストリアはもちろんのこと、ユーゴラスビアも”自分”が東の世界に属しているとは全然思っていない、
日本のパスポートなら出入国審査はきわめて簡単で、あれこれ言われたことがない。」
ハンガリーと韓国の国交樹立。逆に、ハンガリーと北朝鮮との関係の”冷却化”だ。しかも、あまり知られて
いないと思うけど、ブダペストはアメリカ(CIA)の東欧工作の拠点なんだよ。つまり、私はこう言いたいんだ。
映画や芝居では”背景”が役者以上にことの本質を饒舌に語るときがあるじゃないかと。
他方、平壌からずっと金賢姫たちに同行していた、北朝鮮の外交官パスポートを持つ「崔課長」と「崔指導
員」もまた、同日同時刻、国際列車でウィーンへと発っている。要するに、彼ら、北朝鮮の破壊工作グルー
プはブダペストで二手に分かれてウィーンをめざしたことになる。さて、金賢姫と金勝一はハンガリーとオー
ストリアの国境を越えてほどなく、それまで使っていた北朝鮮のパスポートをブダペスト駐在工作員に渡し
代わりに日本人名の偽造パスポートを受け取っていた
という。つまり、ここで「蜂谷真由美」、「蜂谷眞一」
にすり替わったのである。
金賢姫は「ブダペスト西駅に立ち寄ったこと」を伏せ、あまつさえ偽証している。金賢姫はもしかしたら、ここ
へ二人の「崔」以外の者と会うために来たのではないだろうか。”西の都市”から来たものと会うために。そ
れを韓国の国家安全企画部も知っていたのではないだろうか? ”西の都市”から来た者-金賢姫も韓国の
国家安全企画部も、ともに口を閉ざし、目をそらさざるを得ない者。
日本人・蜂谷眞一として振るまっていた金勝一は、長期間、海外工作に携わってきた当年70歳の北韓労働
党中央委員会調査部所属特殊工作員であり、平壌市もらんぼん区域に、妻と七人の子女が暮らしており、
とりわけ、日本語、中国語、英語、ロシア語などの四カ国語に精通し、なおエレクトロニクス技術部門の専門
知識を備えた精鋭工作員です。
日本人・蜂谷真由美として振るまっていた当年26歳の金賢姫は平壌市東大院区域東新洞所在の北韓外交
部に勤めていた父・金元錫(58歳)の一男二女中の長女であり、平壌下新人民学校と中新中学校を終えて、
金日成総合大学予科一年を終了し、平壌外国語大学日本語科二年に在学中だった1980年2月に、容貌と
才能・出身成分(階級)など全てが優れていたので、北韓労働党中央委員会調査部所属工作員に選抜され
1980年4月から、平壌の竜城区域に設けられたスパイ養成期間・金星政治軍事大学に1年間、密封・収容さ
れて、政治思想理論および、格闘術・射撃術・行軍など軍事訓練を受けました

>やっぱ長女なんだね、金賢姫~♪
二人が組み合わせれたのは84年の7月だったという。二人が父娘として外国で行動したのは、87年11月大
韓機爆破工作の旅が初めてではない。84年8月15日から、バンコク、ウィーン、コペンハーゲン、フランクフル
ト、ジュネーブ、パリ、香港、マカオなど「現地適応訓練」のために巡り歩いたという。
ウィーンのオーストリア内務省警備局、シュルツ局長「二人がここでどんなパスポートを使ったのか、色々調
べたが、見当がつかなかった。しかし、彼らはハンガリーからこの国へ入国している」
- そう断言している根拠は?
「我々は当然、国境の出入国管理事務所などを調べた。」
しかし、オーストラリアへの入国にはビザ(査証)も入国カードも不要で、パスポートにスタンプすら押さない。
また、出入国管理事務所はパスポート・データを記録していない・・・オーストリアはパスポートをすり替えるの
に”絶好の国”
と言ったらいいだろうか。金賢姫たちはその点を利用したのだ。
改竄された証拠写真
kimhyonhi.png
同型機のファインダーを覗き、同じ身長の者に彼女と全く同じ位置に立ってもらう。さて、その画面は、
韓国の国家安全企画部が公表しているスナップより”ひとまわり大きくなった”のだ。国家安全企画部はこの
“広がって写っていた部分”を切り捨てたのである。彼らは何を意図してそうしたのだろうか。いや「重要な証
拠物件に手を加えている」こと自体すでにおかしなことではないか?
二人の「蜂谷」は1987年11月28日、イラク航空226便でベオグラードからバグダットへ向かった。同日、大韓
航空858便に乗り込み、翌29日、アブダビで爆薬を残して同機を降りたという。そこから逃亡が始まった・・・
ロイヤル・ヨルダン航空603便に乗り換えてアンマンへ飛び、アンマンからはアリタリア航空719便を使って
ローマへ抜ける。そして30日前記したオーストリア航空276便でウィーンへ帰還し、Novotelに落ち着く-
二人の蜂谷はそんな計画を立てていたのだ。しかし、二人はつまづいた。「アブダビ」でつまづいて、バハレ
ーンへ。そしてバハレーン・ムハラク国際空港での惨劇へとのめりこむ。計画外のことだった、予期しないこ
とだった、と金賢姫は供述した。だが、本当に「予期しないことだった」のだろうか?
彼女が服毒をはかった直後に運び込まれたサルマニア病院の急患部長、ドクター・ヤコビアンは、こう語って
いる。「彼女は運び込まれた時-血圧、体温、顔色がすでに正常で、医学的にはきわめて安定した状態にあ
った。毒物を飲んだ形跡は認められなかった」
(青酸カリの平均的致死量は50-60ミリグラム。金賢姫が所持
していたというアンプル(直径0.44cm、ながさ2.22cm)には大体200ミリグラム入る。この量を飲めば「死は瞬
間的に訪れる」と昭和大学薬学部教授は指摘する。さらにガス化したものを吸うと、”効果”ははるかに大き
い。
「空港近くの消防署の車でここへ運び込まれたとき、既に男性(金勝一)の心電図は活動を停止していた。一
方、女性(金賢姫)のそれは異常が認められなかった」と答えた。
金賢姫は毒を飲んでいない。にもかかわらず、なぜ苦悶していたのだろうか。彼女は本当に自殺しようしたの
だろうか? また誰も「金勝一が毒を飲む一瞬」を見ていない。
>やりおったか・・・金賢姫・・・
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2008.05.09: LiuとTurandot
2008.05.08: サロメ





破壊工作 大韓航空機「爆破」事件

北朝鮮から来たスパイ
87年11月29日午後、バグダット発・ソウル行きの大韓航空(KE)858便が115人の乗員・乗客もろとも忽然
と消えた
。インド大陸を横切り、しばらくしての出来事だった。同機は前後の長さ41メートル、主翼の両端
の長さ40メートルのボーイング707である。それから二日後。12月1日の朝(現地時間)、ペルシャ湾のほ
ぼ中央南部に位置する島国バハレーンのムハラク国際空港で二人の東洋人男女が服毒自殺をはかっ
た。彼らは、「蜂谷真一」、「蜂谷真由美」という日本の偽造パスポートを持っていた。
二人とも、消えた大韓機の乗客だった。が、バグダットを出発して約二時間後の中継空港アブダビで同機
を降り、バハレーンへ”逃亡”した といわれる。そしておいつめられたはての自殺劇。
これが後の数ヶ月にわたって、あるいはソウルにおける金賢姫裁判までなら、約1年半にわたって延々と
繰り広げられた大韓機騒動、「真由美事件」の幕開けである。
>真由美ちゃんは・・・、まぁいいだろ。有名人だから。Wikiでも見てくれ。
蜂谷眞一(日本人)
 パスポートを偽造された蜂谷真一さんは東京都渋谷区恵比寿一丁目の松月荘にすむ。世田谷のF計
算センターに運転手として勤務していた。「宮本明」なる人物にパスポートを預けたことがあるという。
戦前・戦中、中国各地を転戦。陸軍の通信兵だった。
1983年、84年、宮本明とバンコクに旅行したという。
李恩恵
 金賢姫の教育係で、日本語や日本の生活習慣を教えたとされる。
宮本明
 李京雨、高明充、李幸雨などの名前も使用していた。済州道北済州群の出身。独立後の23,4歳のころ
から民族愛国青年団の金陵里支部長として活動していた筋金入りの活動家。
金勝一(蜂谷眞一)
 1918年大韓民国以下未詳地域で姓名未詳父母の息子として出生し渡日、日本地域で不特定労働を
しながら、電気通信系の中学校過程を卒業し、年度未詳の頃勧告に帰国して居住、1948年姓名未詳の
妻とともに越北し6.25動乱(1950~1953年の朝鮮戦争)のさい、北傀群が配送すると技術演習生を引率
して中国・天津に避難、休戦後帰還して電気通信技術分野で活動中、1954年中央党調査部工作員に
選抜され、南韓および日本の熊本などの地に浸透、対南工作活動を行い・・・
村田良平外務事務次官
 当時、アラブ首長国連邦の大使、バハレーンも兼括していた。
三谷忠志
 戦前・大阪外国語大学を卒業。一時インドネシアにあったオランダ国立東インド熱帯農業研究所に勤務
したが、「軍籍を持たない諜報員」となり、東南アジアでの日本軍侵攻作戦に従事。戦後、いったん日本
へ戻ったものの、再びタイへ出国した。香港などの武器商人とのコネクションを持ち、ミャンマーとタイの
国境地帯を支配しているカレン族への武器調達役をはたしたようです。
宮本明が身銭を切って蜂谷さんをバンコクとマニラに連れ出した目的
韓国国家安全企画部のまとめた「大韓航空858便爆破事件捜査報告書」より
犯人・金勝一は、日本人蜂谷眞一に成りすまして1984年9月21日、短信金浦空港を通ってソウルに潜
入し、9月26日までの6日間、ソウルのプレジデントホテルに泊まった。1984年の9月といえば、ホンモノ
の蜂谷さんがバンコク・マニラに居た時期と重なる。万が一、偽造パスポートが疑われて日本に問い合
わされても、ホンモノの蜂谷さんも出国しているのですぐにはばれにくい。要するに金勝一の行動をより
安全なものにするため、本物を外国に連れ出した。
消えたKE858機
P151 航空地図
yangon.png
ヤンゴンの航空管制塔から次のような連絡を受けました。KE858は12時23分にTANEKに到着する。
ヤンゴンは、TOLISでは交信したが、URDISでは何も言ってこないと答えました
一方、韓国政府は88年1月
858便とラングーン(ヤンゴン)航空管制塔の最終更新はビルマのアンダマン海上空で爆破されたと断定
している。最終交信ポイントはURDIS。爆破の場所はURDISとTAVOYの間だという
飛行機は37000フィートの上空を飛んでいた。速度は1分間に14.8km。仮に何らかのアクシデントが起き
たとしよう。すると一分間に1800から2000フィート降下する。つまり時間で言うと約16分間。距離にして
220~240km飛ぶことができる。アクシデントがURDIS周辺で起こったのなら、TAVOYあるいはTAVOY
の先の山の中という可能性だって考えられる。
韓国は、ヤンゴンの南東沖約300キロの海上で”KAL”と名前の書いてある救命ボートを回収した。と
発表している。東経97度15分だという。URDISとTAVOYのほぼ中間である。
カレン族から「事件直後、山の中だという情報が流れた。」
しかし、ヤンゴン情報などによると、「山中墜落」はありえないという結論になる。
大韓機の消失点を知るのに、他にどんな手がかりがあるのだろうか? あらためて韓国国家安全企画部
の捜査報告書と金賢姫の陳述書を読み直す。
「搭乗20分前、金先生(金勝一)がラジオの作動スイッチを固定時間の9時間後にセットした。飛行機は
バグダッドを28日23時35分に出発した。KE858便がアブダビを離陸したのは3時40分。858便が飛べた
時間は5時間25分、TANEKとバンコクの間で破壊しようとしていたことになる。”本当の最終交信ポイン
トの一件を無視して山の中を、タイとミャンマーの間の国境地帯を捜索した答えは、あらかじめ墜落場所
を知っていたからです。
858便を破壊した爆破物とその特性 韓国国家安全企画部の捜査結果資料より
コンポジションC4
 TNTの1.34倍の高性能爆薬。可塑性に富み形状の変異が容易。白色無臭、探知犬による検索も容易
でない。非金属性物質であり、X線透視による検索も不可能。ナショナル・パナソニックRF082FM-AMクォ
ーツ時計ラジオの機能を最小限に縮小し、その隙間に350グラムを詰め込んだ。
液体爆薬PLX(Picatinny Liquid Explosive)
 安定性に優れ、取り扱い容易。淡黄色液体なので、ボトルに入れて酒に見せかけるのが容易。テロ用
に多く使用。その700ccをボトルに入れて酒に見せかけ、C4と同時にしかけた。
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2009.06.10: 所得税不服申し立て成功 油断も隙もありゃしねぇ
2009.05.15: 納税通知書が来た
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2009.05.13: 所得控除
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2009.01.27: Globalに通ずる現地化度Check試験設問
2008.10.09: 海外駐在員のための証拠金取引
2008.10.08: 証拠金取引の効用



トップレフト ウォール街の鷲を撃て

「その記者には全面否定しておいた。しかしとにかく、諸君らには万全の注意を払ってもらわ
なきゃ困る。噂が立っただけでアービトラージャーどもが動き出し、『標的』の株価が上がって
買収も糞もなくなるのは専門家のきみらが一番よく知っているはずだ。」
アービトラージャー(裁定取引トレーダー)とは、買収計画発表後の株価上昇を狙って、買収の
標的になりそうな企業の株式を買い集める者をいう。80年代にはアイバン・ボウスキーという
後にインサイダー取引で逮捕された男がこの分野で活躍した。ウォール街で最も成功したア
ービトラージャーは「究極のトレーダー」ロバート・ルービンである。ルービンは名門投資銀行
ゴールドマン・サックスで10年間にわたって同行のアービトラージ部門を率い、社内では常に
M&A部門に告ぐ利益を上げた。その後ゴールドマンの共同会長を経て、1995年クリントン政権
の財務長官に就任。FRB(Federal Reserve Board、米連邦準備制度理事会)のグリーンスパン
議長とコンビで米国を史上空前の好景気に導いた。
すっごい実名報道。
買収の標的になりそうな企業の株式を買い集める行為をアービトラージと言ったら間違いだが
買収の標的になりそうな段階で買いに走るのは、確かに”アービトラージャー”であることが
多い
だろうな。
「アメリカの投資銀行のやり方は、弱い者を見つけたら徹底的に搾り取る。法律に触れさえしな
ければ何をやってもいいというのが彼らの流儀で、日本人と違って道徳観という歯止めがない。
事情を知らない奴は徹底的にカモる。それがアングロサクソン流だ。アメリカの企業や投資家だ
って彼らにはずいぶん酷い目に遭わされている。南カリフォルニアのオレンジ郡が良い例だ。」
「あの事件を引き起こしたのはメリルリンチのセールスマンでしたっけ?」
「オレンジ郡の財務官が、インバース・フローターという商品をメリルリンチのセールスマンから
買って17億ドルの損失を出した事件だ。インバース・フローターはロケット・サイエンティストが
非常に高度なコンピュータ・モデルを使って設計した商品で、偏微分方程式を使わないと値段
が決められない
。その財務官は自分は米国最大の投資家の一人だと豪語していたそうだけど
パソコンもろくに触ったことがない69歳の老人がそんな代物を理解できるはずがない。」
>高度なコンピュータ・モデルを使って
>偏微分方程式を使わないと値段が決められない。
間違っちゃいない。確かに間違ったことを言ってるわけではないのだが言葉尻が気になるな。
「コンピュータとモデルと偏微分方程式は値段を想像する際の助けとなる」程度だな。
じーっとそればかり見ていると、UnderlyingのBehaviorとDerivativeの条件だけで、モデル無
しでもPriceがボワーっと想像できるようになってくる
という意味では間違ってるかな。やっぱり。
で、素人はコンピュータを使おうが偏微分方程式を使って出てくる数値見てPriceするなんて、
絶対無理。
>パソコンもろくに触ったことがない69歳の老人がそんな代物を理解できるはずがない。
バフェットはGSやGEのワラント+優先株のPriceする時に、パソコンで計算したとは思ってな
い。もちろん、それは私の想像に過ぎないがね。インバースフローターとワラントを一緒にする
なという金利デリバティブ従事者諸君の怒りが聞こえてきそうだが。
金融街シティのリバプール・ストリート駅近く。堂々と聳える茶色の13階建てのビルは欧州復
興開発銀行(European Bank for Reconstruction & Development,略称EBRD)ロンドン本部だ。
この国際金融機関はフランスの天才ジャック・アタリがミッテラン前大統領に進言し、ヨーロッパ
と旧ソ連圏を結びつける目的で1991年に設立された。昨年1997年末の加盟国数は60ヵ国。
職員数804名。最大の出資国は米国で、日本は英・独・仏と並ぶ第二位の出資国として17億
350万ECU(エキュー、約2500億円)を出資応募している。
LTCMの話も実名で出てくるんだなぁ。
ところでこのトップレフトで扱ってる題材は、トルコ・トミタ自動車に対する1億5千万ドルのシンジ
ケート・ローンをどうするか?って話。
ちっちぇー。LTCMも同列に書かれたら怒っちゃうと思うぞ。
100-200億円のファイナンス。それって小さくはないだろうけど、大きいとは思えないな。本では
さぞかし超ビッグディールみたいに書いているけど、通常業務なのではないかな?
トルコリラの世界だと大きそうだが、バルジにおいて、それがそれほど大きなウェートを占めると
は考えにくいがなぁ。

トップ・レフト ウォール街の鷲を撃て (角川文庫) トップ・レフト ウォール街の鷲を撃て (角川文庫)
黒木 亮

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【アービトラージとは、裁定取引とは】
2010.08.26: 株メール Q4.複数上場の場合の株価と為替の連動性
2010.05.13: 中国株先物の裁定可能性の検討
2010.01.08: 50% Knock-In PutのPremiumって実現できるの?@理想的な世界にて 
2009.12.14: HとAどっち? 
2009.12.11: Early RedemptionとCouponの関係 
2009.10.06: Black-Scholesは間違っている2 
2009.07.28: Exotic Parity2 
2009.03.18: 歯磨き粉の買い物と債券Arbitrage 
2009.02.27: VolatilityとCredit Spreadの関係 
2008.10.14: 日経225オプションの誤発注 
2008.02.12: アジア通貨を考える ~アジア最大の中国(CNY)  
2009.01.26: Exotic Parity
2007.12.14: 久々のお買い物 C 5.875 FEB 2033


道路の権力2

刺殺された民主党の石井紘基議員
石井議員は国会議員に許された国政調査権を行使して事前に調査した上で、官僚機構の急所が会計
検査院になると見抜き、こう質問していた

「会計検査院が調べなければいけない団体はいくつあるのですか」
じつに単純な質問のように見える。ふつう会計検査院が税金の無駄遣いを指摘したりする対象は建設
省や厚生省などの役所と思われている。他にも国家が資本金の二分の一以上を出資している特殊法
人も検査の対象である。日本道路公団や住宅・都市整備公団などの公団、住宅金融公庫などの公庫
年金福祉事業団などの事業団、電源開発株式会社などの特殊会社・・・・
石井さんの質問に対し会計検査院は日本道路公団や住宅都市整備公団(のちの都市基盤整備公団)
など特殊法人の名と数を列挙した。これらは訊くまでもなくすでに明らかだった。問題はこの先である。
特殊法人が出資している株式会社は幾つあるのか。会計検査院は公的機関を検査対象としている。

たがって特殊法人の紐付きであろうと民会企業の装いをこらして市場社会に紛れ込んでしまえば、追跡
調査の対象にならないのである。石井議員は、これらの法人がどのくらいあるのかその実数を調べてあ
った。なんと合計3000団体もあるのだ。それに対し会計監査院は、それぞれ3と19という数値しか示さな
い。

「必要に応じて検査を行うというものでございまして、それぞれの数につきましてはわたしどもでは現在
把握しておりません。」
石井議員は語気を荒げた。
「会計検査院が検査しなければならない団体がどこだかわからないというのは何ですか!」
国鉄がJRとして民営化されたとき税金で大幅な債務カットをした先例が自分たちにも適用されてしかる
べきと信じているのだ。だが国鉄と日本道路公団はあまりにも違う。国鉄には明治時代以来の基幹産
業としての歴史と伝統がある。国鉄も八幡製作所と同様に日本の近代化に大きな役割を果たした。国
鉄は単なる運輸業ではなく、先端技術産業でもあり防衛産業でもあった。物資を大量に輸送する高速
鉄道はさまざまな先端技術の集積だった。鉄は国家なり、であればまた国鉄もしかりであった。敗戦に
より外地の満鉄などから引き上げてきた職員も国鉄が引き受けた。戦後の出発点で国鉄の職員は60
万人にも膨らんでいた。そういう歴史を引きずった上に赤字路線を政治路線としてつくらされた。70年代
まで運賃も国会で決めていたので経営の都合で変更しにくかった。国鉄を民営化する際に債務カットが
行われたのはこうした歴史を背負っていたからだった。内部改革派が生まれたのも当然であった。
 ところが日本道路公団はたかだか50年ほどの歴史しかない。首都高速の開業は東京オリンピックを
2年後に控えた1962年だ。東名高速が全通して名神高速と合わせて東京・神戸間が高速道路で結ば
れたのがようやく1969年である。同時に急激なモータリゼーションの波が日本列島を覆った。小さな公
団の企業規模は急拡大した。斜陽産業の鉄道に対して、高速道路に関わる公団はいわばバブル企業
なのだ。
本当に債務超過か
余剰金のマイナスが6000億円になっているから債務超過だというが政府出資金の二兆円は民営化ス
タート時には国による100%出資の特殊会社となるのでそのまま資本金と解釈するのが常識であり、
6000億円が二兆円に食い込んだところでそれは一部資本欠損にすぎず、債務超過ではない。余剰金
のマイナスが二兆円を越えてようやく債務超過といえる。
道路四公団には年額二兆六千億円の収入がある。40兆円の債務は保有・債務返済機構が持ち、5つ
の民営化会社はキャッシュフローに応じてリース債務総額を再配分すればよい。投資総額や不動産評
価額などを算定して債務超過か否か、という計算をしてもあまり意味がないのである。資産の価値とは
その資産を取得するために費用がいくらかかったかではなく、資産がどれだけの収益をもたらすかで決
まる。
私小説の現実感覚は社会や国家に対して現実というばからの凄みを利かせるというふうにはならず、
拡がりを持たない。日本には国家や社会に恐れを感じさせるようなどすのきいたリアリズムは育たなか
った。作家が狭い世界にとどまっても、なんら関係なく都市はさらに求心力を増すし産業化は進んでいく
わけでそれにより構成される世界はよりとらえがたくなるばかりであった。言論の表現者がリアリズムを
理解しなかったのは致命的だった。「日本の知識人の教養に軍事知識という課目がなかった」ことが大
きかった。軍事費は国家予算のかなりの部分を占めているのだから、納税者であれば関心を持つのが
あたりまえだが「軍事という具体性の中から内外を見ようとしなかった」のである。「明治・大正のインテリ
が軍事を別世界のことだと思い込んできたのが昭和になって軍部の独走を招いた。軍事知識を現代なら
ば「肥大化した官僚システム」と置き換えてよい。あの時代においては軍部こそが最大の官僚機構であ
ったのだ。特務機関が大陸で謀略事件を起こすが、それは官僚機構の制御機能が低下した現象の一つ
ともいえた。チェックできない機密費が増えていった。ここまで述べれば察しの良い読者は理解してくれる。
道路公団はかなり前に独走を始めていたのだ。予算なら国会の審議の対象だが、国営企業の財務の実
態は把握できなかった。
本書のテーマである道路公団民営化がたんなる一特殊法人の改革にとどまらないことを確認しておきた
い。道路はバラマキ政治の中心に位置していた。それゆえ、道路公団の改革は日本の政治的メカニズム
の根幹を揺るがすものであった。予算を使った利益分配政治には、おのずと限界がある。そこで財政投融
資という仕組みを利用して、公共投資を拡大するメカニズムが作られた。若き日の田中角栄の天才的着想

であったといってよい。まだ30歳代であった角栄は、1956年から57年にかけて道路公団の発足に関わり、
郵政大臣となって特定郵便局倍増を宣言する。郵便局が集めた金を特殊法人に流し、公共事業に使おう
という目論見であった。このバラマキ政治の限界と悪弊を察知し、特定郵便局->財政投融資->特殊法人
というメカニズムの抜本的改革を図ったのが小泉純一郎であった。
【フィクサー・陰の存在】
2010.07.27: 闇権力の執行人 ~逮捕と疑惑闇権力の執行人 ~逮捕と疑惑 
2010.04.08: 野中広務 差別と権力 ~伝説の男
2010.03.03: テロ・マネー ~暗躍する死の商人
2010.01.26: 黒幕―昭和闇の支配者
2009.12.21: 君は日本国憲法を読んだことがあるのかね
2009.12.17: 俺の恋のライバルはツワモノ揃い
2009.07.17: 秘史「乗っ取り屋」暗黒の経済戦争
2009.03.23: 闇将軍
2009.03.13: 裏支配
2008.07.08: Richest Hedge Fund Managers


道路の権力1

道路特定財源(国が三兆五千億円、地方が二兆三千億円)が五兆八千億円もある。ガソリン税
(揮発油税)などを中心とした目的税で道路以外には使ってはならぬとの金城湯池、これを高齢
化対策や環境対策を振り向ければどれほど国民のためになるか、小泉首相は一般財源化を総
裁選の事実上の公約にしているのだ。高速道路だけでなく一般国道のほか地方単独事業の道
路でも道路特定財源は核になる。それでも足りず一般財源も投入され地方債も発行されてきた。
これで年額12兆円ある道路予算がはじき出される。日本の25倍の広大な国土を有するアメリカ
の道路予算とほぼ同額に当たる
のだから異常である。
9342キロという旗
税金投入ゼロで30年返済の対極は、税金投入3000億円で50年返済というケースで、この場合な
ら9342キロは全部できるがその投資可能額は20兆6000億円と算定されている。この20兆6000
億円という数字が国交省や道路公団、道路族議員たちにとって9342キロを実現するための決定
的な指標とされた。あくまでも国交省が計算した数値である。
スパウザ小田原で消えた455億円
雇用能力開発機構が作った豪華リゾート施設。
人口が2006年を境に減少に向かうのに交通需要は2030年をピークを迎えるという推計はおかしい
と僕は指摘した。需要予測を多めに見積もることにより高速道路の建設を促進するねらいが込めら
れているからだ。交通需要推計値の参考資料として、本州四国連絡橋、東京湾アクアラインの事
例を用いてケーススタディを試みたい、両ケースについての交通需要推計値と実績値をご用意願い
たい、と僕は前もって国交省に要求しておいた。
 しかし、提出されたのはアクアラインのケースのみで、本四連絡橋については何故か1997年のデ
ータであった。いわゆる使用前、使用後のケースを検証することで需要予測がいかに甘い見積もり
になりやすいのか、それを確認するためにやるのだから、当初の予測値を提出してもらわないと議
論にならない。本四公団の需要予測の一番古いものは79年、つぎが83年、85年、87年、88年・・・
10回目は現在進められており、平成九年度の償却計画は実績との乖離が生じていることから、償
還計画の変更作業中」とのことである。日本以外で需要予測が10回も変更される国があるだろう
か。いや日本のどんな企業であっても需要予測を10回も変えはしない。なぜならその前にすでに倒
産してしまうからである。本四の需要予測で2001年時点の瀬戸大橋は一日平均で43800台であっ
た。では実績値はどうか。14400台でしかない。1/3である。
行政コスト計算書に認知されたファミリー企業は、すでに示した日本道路公団84社のほか、首都高
速公団12社、阪神高速公団25社の合計121社とされている。これらは公団との出資関係や取引額
で決められたもので、通常の民間企業の連結財務諸表で子会社・関連会社と認定されるものでしか
ない。だが僕があらためて調査したファミリー企業はこうした概念だけではとらえられない。なぜなら
ば公団が出資していなくてもファミリー企業が別の子会社を作っていたり。その子会社がさらに別の
ファミリー企業に出資していたり、ファミリー企業同士の株式の持ち合いや、互いの丸投げによるもた
れ合いなど連結財務諸表にはおさまらない形で繁殖しているからだ。天下りに関して言えば、日本
道路公団からじつに708社2519人もの膨大な数のOBがファミリー企業に生息している。
 たとえば、日本道路公団に運転手を派遣している日本道路サービスと日本道路興運の二つのよく
似たファミリー企業のうち、日本道路サービスは行政コスト計算書ではファミリー企業、日本道路興運
はファミリー企業にあてはまらない。日本道路サービスの売上は103億円だが、料金収受やサービス
エリアの売店のほかに道路公団に運転手を派遣する業務で28億円も稼いでいる。道路公団本社の
社員食堂までやっている。売上高67億円の日本道路興運も同様にさまざまな業務を受注している。
受注の運転手派遣の19億円なのでファミリー企業に分類されていなかったのだ。この運転手派遣は
道路公団やファミリー企業のずぶずぶの高コスト体質を反映した典型的なケースといえる。
「北朝鮮と戦っているようなものですよ」
道路関係四公団民営化推進委員会が置かれた立場、そこでの戦いの実情について僕はこう説明す
ることにした。道路公団を民営化しようとすればおのずと、官僚「独裁国家」が支配する統制経済との
対決になるのだから。道路公団は特殊法人で、わかりやすく言えば社会主義国にみられる特権をもっ
た閉鎖的で非効率な組織、不正の温床でもあった国営企業のことである。
 霞ヶ関は1府12省庁で構成されているが、そのひとつひとつが版図拡大を目論んでいるのだ。予算
(税金)の分捕りは売上であり、特殊法人・許可法人のほか公益法人(社団・財団法人)をたくみに設立
していかに天下り先のポストを余計に作るか、彼らの業績はそれらの高によって評価される。
 道路公団・国土交通省とは別にもう一つ、北朝鮮なるものが存在する。デマゴギーによる妨害である。
民営化委員会は第一回委員会で議事の公開を決定した。役所の審議会はほとんど御用委員会で、そ
の度合いは密閉度に比例していた。言論表現の自由のない北朝鮮では、拉致された人物の墓が一度
に洪水で流されたり、9月の海水浴場で死んだり、心臓病や交通事故や一家三人が石炭ガス中毒で死
亡するなど突発的な死因が多い。こうした怪しい事実を検証できないだけでなく拉致の責任者とされる
人物が既に処刑されたり服役したりしている、と発表されるデマが白昼、公然と流されるのが北朝鮮型
の社会である。

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【民の欲と国家】
2010.08.24: 中国の家計に約117兆円の隠れ収入、GDPの3割
2010.07.05: 警視庁ウラ金担当
2010.05.20: 秘録 華人財閥 ~独占権、その大いなる可能性
2009.12.29: 何のために生きるのか?ふと考えるときがある
2009.10.07: 物欲の定義
2009.08.20: インド旅行 招かれざる観光客
2009.08.14: インド独立史 ~東インド会社時代
2009.05.07: 幸福感と欲の関係
2009.05.04: 民族浄化を裁く 旧ユーゴ戦犯法廷の現場から
2009.04.15: 貯蓄率にみる人々の自信度合い
2009.01.07: ユーゴスラヴィア現代史 ~国家崩壊への道
2008.09.24: 俺の欲しいもの
2008.09.23: 被支配階級の特権
2008.07.18: Olympic記念通貨に見る投資可能性



マネー・ロンダリング入門 ~バチカンの役割

稀代の怪人 リーチョ・ジェッリ
60年代のイタリアは左翼政党が勢力を伸ばし、共産主義政権誕生の危機に晒されていた。ジェッリは、退役した高級将校
を通じて軍の上層部に食い込み極右勢力の大同団結を旗印に組織を拡大した。NATOの一員であるイタリアの共産化に備
え、軍部によるクーデターを準備していたCIAの積極的な支援があった
とされる。ジェッリは冷戦時代の最大のフィクサーの
一人で、僅か10年あまりでネットワークを世界に拡大させ、アルゼンチン、ブラジル、パラグアイ、ボリビア、コロンビア、ベ
ネズエラ、ニカラグアなど中南米諸国の軍事整形と手を結んだ。
バチカンの投資家
1929年バチカンは独裁者ムッソリーニとの間でラテラノ条約を結び、主権国家としての地位とイタリアに対する免税特権を手
に入れた
。このとき、ムッソリーニはバチカン市国以外の領土を放棄する代償として7億5000万リラ、現在の時価に換算して
約1000億円を支払うことに合意した。この補償金がその後の”バチカン株式会社”の資本金となった。当時の教皇ピオ11世
は、財産管理局を新設し、ベルナルディーノ・ノガーラというユダヤ人にその管理を任せた。ノガーラの投資家としたの手腕は
目を見張るものがあった。大株主となった企業には教皇の親族を経営陣に送り込み、損害を被りそうになるとムッソリーニに
高値で買い取らせ、イタリアの敗北を予想するや資産を金塊に替えて巨額の利益を得た。ゼネラル・モータース、シェル、ガ
ルフ石油、IBMなどの大株主となった。また不動産投資にも積極的で、シャンゼリゼの1ブロックを所有し、世界一の高さを
誇ったモントリオールの証券取引所タワーやワシントンの名門ウォーターゲートホテルもバチカンがオーナーであった。1958
年ノガーラが死んだ時、バチカンは少なく見積もっても10億ドル以上の資産を保有し、そこから毎年4000万ドルの利益を得
ていた。1960年代、バチカン銀行は保有する株式の配当課税で問題を抱えていた。ラテラノ条約によってバチカンへの課税
は免除されていたが、イタリア政府はこれを不公平として最高30%の配当課税を課すと通告してきたからだ。バチカン銀行総
裁としてのマーチンクスの初仕事は、イタリア企業の株式を秘密裏に売却することであった。バチカンが株を売るという噂が
流れただけで株式市場は暴落し、巨額の損失を被る恐れがあった。この時に助力を申し出たのがシンドナで、バチカンの保
有株を言い値で引き取ることで教皇庁幹部から絶大な信頼を得ることになる。しかしシンドナにはもう一つの顔があった。こ
のシチリア出身の銀行家はニューヨークのマフィア、ガンビーノ家のために麻薬資金の洗浄を行っていたのだ。このマネーロ
ンダリングはジェッリがコカインの生産地である中南米にネットワークを広げるにつれてより大規模なものになっていく。
ジェッリは軍事政権や反共組織のために武器調達を請け負う”死の商人”であった。
バチカンがこのような犯罪行為に手を貸すことになった背景には、冷戦時代の世界情勢がある。当時、カトリック教会の最大
の敵はマルクス・レーニン主義であり、バチカンのお膝元であるイタリアですら共産化の脅威に晒されていた。そのためバチ
カンはマネーロンダリングで得たり利益で反共組織や反共団体を秘密裏に支援していたのである。軍事政権による人権抑
圧に苦しむ中南米を中心に、先進的なカトリック神父が「解放の神学」を唱え、反政府運動を展開した。だがバチカンはこう
した運動をレーニン革命主義として否定するばかりか、軍事政権に武器の購入資金を与えていた
。バチカンは、CIAやマフィ
アと「反共」の理念で完全に一致していたのである。
銀行とは概念にすぎない アガ・ハサン・アベディ 
BCCI(Bank of Credit and Commerce International) 世界最大の武器商社
アベディの事業は、麻薬マフィアのマネーロンダリングにとどまらなかった。1979年に起こった3つの出来事が、BCCIにさら
なる事業拡大の機会を提供した。イランでイスラム革命が起こり、翌80年にイラン・イラク戦争が勃発した。4月にはアベディ
の宿敵であるプット元首相が処刑され、BCCIはパキスタンで大手を振って事業展開できるようになった。そして12月イスラ
ムの反政府勢力を制圧するためにソ連がアフガニスタンに侵攻した。イラン革命によって中東のパワーバランスは複雑化し、
イラン・イラク戦争では、欧米やアラブ諸国はさまざな思惑から双方を支援し、武器を供与した。ムジャヒディンの基地はパキ
スタン・アフガニスタン国境のカイバル峠に近いペシャワール近辺に設営され、そこにCIAが大量の武器弾薬を運び込んだ
のである。BCCIはこうした秘密取引の資金決済を独占し、やがて武器の運搬にまでかかわるようになる。BCCIは銀行とい
うよりも、世界最大の武器商社となった。アメリカのレーガン政権はソビエトを「悪の帝国」と名指しし、アフガニスタンのイス
ラム勢力を支援していたが、それを表に出すことはできなかった。そこでCIAは、BCCIの隠れみのとして武器の供与を行っ
た。アフガンゲリラは阿片の原料となるケシを栽培し、その資金で武器を購入していたが、ホワイトハウスはアメリカやヨー
ロッパにその麻薬が持ち込まれることすらも黙認していたのである。このとき、CIAの指導によってソビエト軍と戦ったムジャ
ヒディン一人が、若き日のオサマ・ビンラディンである。BCCIは銀行でありながらも、さながら超国家のごとき存在であった。
パキスタンやアフリカのいくつかの国の中央銀行は、BCCIからの融資が無ければドルの外貨準備高を維持できなかった。
BCCIは中央銀行の銀行だったのだ。欧米をはじめ世界中の国々がこの犯罪銀行を必要としていたことも指摘しておく必要
がある。

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マネー・ロンダリング入門 ~海外送金

海外送金でマネーは動かない
コルレス銀行を利用してどのように外貨送金が行われるかを見てみよう。あなたはやまと銀行の支店の窓口に行って、口
座にある1000ドルの外貨預金をハワイのアロハ銀行に送金するよう依頼した。するとやまと銀行は、あなたからの送金依
頼をSWIFTという銀行間の国際通信ネットワークを使ってコルレス先のヤンキー銀行と送金先のアロハ銀行に伝える。そ
の指示を受けたヤンキー銀行は米連邦準備制度理事会(FRB)が運営する決済システム「フェドワイヤー」を通じてやまと銀
行のコルレス口座から引き落とした1000ドルをアロハ銀行に振り替える
。ついでアロハ銀行はその1000ドルを指定の口座
に入金し、決済を完結させるのである。これを「日本からアメリカに資金を送る」と表現するが、実際にはドルは最初からア
メリカにあってどこにも動いていないのである。
国家の介入
コルレス口座の治外法権は国際金融の基礎をなすもので、これまでそれは神聖不可侵と考えられていた。だが金融租界
であるはずのコルレス口座も、コルレス銀行を管轄する国家の権力から完全に自由であることはできない。そのことを示し
たのが今回の金融制裁で、9.11同時多発テロ以降、テロ資金の追及を最優先とするアメリカ政府は、愛国者法によって、
不正使用されているコルレス口座に介入する方途を得たのである。ここまで来てようやく、なぜアメリカが北朝鮮の資金を
凍結することができたか謎が解けた。コルレス銀行は民間銀行でありながらも、米ドルの決済にあたって、海外の金融機
関にとってはあたかも中央銀行のように機能する
。アメリカ政府は自国の金融機関に対し、「コレスポンデント口座を開設・
維持・管理・運営することを禁じる」と命じるだけで世界中全てのドル預金を差し押さえることができるのだ。全世界のドル
建て外貨準備高の総計は3兆4000億ドルと言われる。これらは日本や中国など世界各国の中央銀行が保有していること
になっているが、この膨大な資金も全てニューヨークのコルレス銀行に預けられている。ドルは唯一のグローバルカレンシ
ーとして全世界で流通しており、一見アメリカ政府の手を離れているかのように見える。だがアメリカは、コルレス制度を通
じて自国の通貨を支配しているのである

不幸の象徴
通貨の偽造はババ抜きと同じゲームである。偽札を手にした者は、一刻も早くそれを他のプレイヤーに押し付けなくてはな
らない。これは北朝鮮の偽の100ドル札を受け入れたバンコ・デルタ・アジアにとっても同じだ。もっとも簡単なのは、ドル紙
幣で預金を引き出す顧客に渡してしまうことだ。マカオには次々と米系の大型カジノがオープンしており、香港ドルや人民
元のほか大量の米ドルが流通している。北朝鮮がマネーロンダリングの拠点としてマカオを選んだ理由のひとつはここに
ある。だが、この方法はいずれ行き詰る。大金を手にした顧客のためにカジノは小切手を発行しており、一般の旅行者には
秘密裏にドル紙幣を持ち出す理由は無い。必然的に偽100ドル札は域内で循環することになり、北朝鮮の偽札を大量に受
け入れてそれを支店窓口で払い出せばいずれマカオのドル紙幣のほとんどが偽札になってしまうだろう。それを避けるには
マカオの外に偽札を運ぶ必要がある。仮にマカオの銀行が偽札を受け入れたとしてもそれを国際金融ネットワークに乗せる
ためには、他の金融機関による検査を通過させなくてはならないのだ。そこで北朝鮮は、外交貢納や外交官特権を利用し
てロシアや東ヨーロッパの大使館・領事館に偽札を運び込み、反体制派の政治組織や地元犯罪組織を通じて、イギリスを
初めとするヨーロッパ諸国で換金を試みたとされている。こうした偽札は両替商などを通じて薄く広くばらまかれたのである。
だがこれは犯罪ビジネスとしてあまりに効率が悪いのではないだろうか。北朝鮮が完璧な偽100ドル札をつくっているのな
ら、外貨不足は即座に解消され、麻薬ビジネスに手を染める必要も無ければ、金融制裁解除を求めて核実験を強行する
理由も無いからだ。一般に、偽札づくりは割に合わない犯罪とされている。そのことはドル紙幣の偽造が北朝鮮政府の”独
占事業”で、他の独裁国家やテロリスト、民間の犯罪者が誰も参入しようとしないことからわかる。麻薬や武器売買によって
本物のドル紙幣を手に入れるほうがずっと簡単だからだ。
送金情報は盗まれている
SWIFTに膨大な送金情報が記録されていることはごく一部の金融関係者しか知らなかった。ホワイトハウスは、CIAに命じ
て秘密裏に送金情報を入手しようと画策したが米財務省がこれに反対し「第二のテロ攻撃を防ぐための緊急かつ一時的
な措置」としてSWIFTに情報提供を申し入れた。SWIFTの取締役には米系金融機関の関係者も多く、同時多発テロ直後の
異常な雰囲気の中で、この要請を拒否する選択肢は与えられていなかった。はじめてSWIFTのデータを目にした捜査当局
は自分たちがとてつもない宝の山を掘り当てたことに気づいた。送金情報の解析によって、たとえば、サウジアラビアや
UAEからアメリカ国内のイスラム系モスクへの資金の流れが簡単に抽出できるのだ。2003年8月、タイの古都アユタヤで一
人のインドネシア人が逮捕された。男は6階建ての高級マンションの最上階角部屋に、中国系マレーシア人の妻と二人で
暮らしていた。アルカイダともつながりのあるイスラム系テロ組織ジェマー・イスラミアの最高幹部で死者190名の大惨事を
招いた2002年のバリ島爆弾テロ事件の首謀者とされる。米政府の発表によれば、SWIFTデータからアルカイダ関係者と頻
繁に資金のやり取りのある人物がタイにいることが判明し、それが逮捕につながったという。ニューヨークタイムズの報道に
よれば、ホワイトハウスがSWIFTの送金情報を入手し始めたのは2001年9月11日の同時多発テロ直後である。それ以降、
海外の金融機関に対して発動された金融制裁は以下の通りだ。
2003年11月 メイフラワー・バンク(ミャンマー)、アジア・ウエルス・バンク(ミャンマー)
2004年5月 コマーシャルバンク(シリア)、シリアン・レバニーズ・コマーシャルバンク(シリア)
2004年8月 ファースト・マーチャント・バンク(キプロス)、インフォバンク(ベラルーシ)
2005年4月 マルチバンク(ラトビア)、VEFバンク(ラトビア)
2005年9月 バンコ・デルタ・アジア(マカオ)
2006年9月 サデラト銀行 (イラン)
コルレス口座に対する金融制裁は伝家の宝刀である。コルレス銀行はその性格上特定取引のみを選別することができな
い。制裁が発動されると、その口座にあるすべてのドル資金が凍結されてしまうのだ。アメリカの金融当局は、その後に、
金融機関から自主的に提供された取引書類をもとに犯罪と関わり無い一般顧客の資金を解除していくことになる。この手
続きには時間がかかるので、いったん金融制裁を受ければ、資金は容易には戻ってこないだろう。だがこれはアメリカが
“宝刀”を簡単に抜けない理由ともなる。預金がいつ差し押さえられるかわからないような通貨を誰も持とうと思わないだろ
う。過度の制裁は、ドルの信認を脅かすのである。
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マネー・ロンダリング入門 ~実際に起きた事件

カシオ詐欺事件 3000万ドル流出
ジョセフ・ロバート・ケルソー
1兆ドルを動かし、1000トンのロシア金塊を運用する男と呼ばれていた。その経歴は数奇を極めており、26歳の時イラク
にハープーンミサイル(艦対艦ミサイル)を売却した疑いで米司法当局に拘束されCIAの極秘任務だと証言した。その4年
後、中央アメリカ・コスタリカの偽ドル札とドラッグ疑惑にかかわったとして執行猶予を取り消された際には、連邦関税局
の覆面調査だと抗弁した。結局、ケルソーは2年の収監を宣告されるのだが、関税局は彼が情報提供者であった事実を
認めている。このときのケルソーの調査資料は、イラン・コントラ事件(レーガン政権時代、ニカラグアの共産主義政権転覆
を目的に、イランに武器を売却した資金で同国の反共組織コントラを援助した米軍の秘密工作)の主役オリバー・ノース中
佐が関税局に圧力をかけ押収している。刑期を終えたケルソーは、33歳で情報機関から国際金融の世界に身を転じる。
その後は映画会社MGM買収やロシアの金塊、ザイール政府発行のプロミサリーノート(約束手形)、ギリシア正教会の土
地開発事業などさまざまな経済事件に顔を出し、詐欺師・妄想狂と謗られる一方で、金融界の”闇の王”(タイクーン)と呼
ばれてもいた。 「オブザーバー」紙は、そのケルソーがスペイン・カナリア諸島の開発事業に関連してカシオの資金2500万
ドルを運用していると報じた
のだ。
長谷川充之、新潟の裕福な美容室チェーンの息子で、高校卒業後美容師の修行のためにアメリカにわたるが、いつのま
にか「国際ビジネスコンサルタント」を名乗るようになる。
セオドール・T、ニューヨーク在住の日本人で、その正体は謎に包まれているが、金融ブローカーとしてアメリカで大きな成
功を手にしたことは間違いない。事件当時はタイムズスクエアの中心にある超高級アパートメントに暮らし、ハドソン湾に
浮かべた大型ヨットでパーティーを開き、フロリダに別荘を所有していた。米国版「エスクァイア」誌に”7億ドルの債券を動
かす男”として紹介されたこともあるという。カシオをめぐる巨額の金融詐欺事件は、96年暮れにセオドール・Tと長谷川が
知り合ったことから幕を開けた。
香港マネーロンダリング事件
梶山進は指定暴力団・山口組の二児団体五菱会の組長側近で、大規模な闇金融組織を統轄し、「ヤミ金の帝王」と呼ば
れた。2003年8月に逮捕され、出資法・組織犯罪防止法違反で懲役6年6ヶ月の実刑判決を下されている。
2003年2月17日、日本橋茅場町の日本証券代行本社を一人の男が訪れた。男は対応に出た社員にパスポートを見せ、
鞄から割引債の分厚い束を取り出した。これがヤミ金融グループによるマネーロンダリング事件の発端であった。
梶山が保有していた約100億円の割引債は日本国内の資金である。それが香港の金融機関の口座に移されているの
だから、どこかで国内から海外への資金移動が起きているはずだが、この取引では金融機関もその事実を金融当局に
報告していない。なぜこんな不思議なことが起こるのだろう。一見するとS&C東京支店からクレディスイス香港に送金した
際に、資金が国内から海外へ移転しているように見える。だが委託関係を見れば明らかなように、S&C東京支店に入金
されたのはクレディスイス香港の資金である。となると、その後の取引はクレディスイス内での資金の振り替えに過ぎな
い。これをコレスポンデント関係という。トリックは仲介者である山根が割引債を日本証券代行に入庫したところに隠されて
いる
。株式や債券などの有価証券の管理代行は、一般には信託銀行で行われている。アメリカの金融機関が日本国債
を購入した場合、国債の束を航空便で郵送するわけではない。日本の信託銀行に口座を持っていれば、そこに購入した
国債を入庫すれば良いだけだ。国債そのものは日本にあるにもかかわらず、この手続きで所有者は日本人から外国人
に移る
。信託銀行が非居住者の個人・法人口座に債券を入庫すればその時点で資産が国外に移転したことが認識でき
るから、ここまでは何の問題も無い。ところがこきゃkが割引金融債を信託銀行に持ち込むと話がややこしくなる。日本で
はずっと、信託銀行への有価証券の持込は野放しのままだった。特に割引債は匿名で取引されるため、信託銀行はそ
の所有者が日本人か外国人か判断できず、言われるままに海外の口座に入庫していた。その結果、日本から一歩も外
に出ることなく、いくらでも海外送金できたのである。この方法はあまりに露骨なため、90年代後半には入庫時の本人確
認が行われることになったが、もともと無記名である以上、金融機関はそれが真の所有者かどうか判断することができな
い。そのうえ今回のように国内の金融機関(S&C東京支店)が間に入るといったい誰と取引しているのかまったくわからな
くなる。その結果、実は海外取引なのに国内取引として扱われるという奇妙な現象が起きるのである。
この事件では、割引債を利用したマネーロンダリング以外に、海外のカジノを資金の隠匿に使ったことがわかっている。
カジノはハイローラーと呼ばれる得意客の便宜を図るため、世界各国の銀行に専用の貸金庫を用意している。例えば、
ラスベガス最大のカジノMGMミラージュの貸金庫は新生銀行にあり
、ここに米ドル現金を預けておくと、その金額が顧客
の口座にカウントされ、わざわざ現金を持ち込むことなく、ゲームに参加できる。梶山は両替商などで米ドル札を購入し、
総額400万ドルの現金をいくつかのカジノの貸し金庫に預けていた。割引債が金融機関の保護預かりとなり、券面を出す
ことができないなど規制が厳しくなったための苦肉の策だが、ラスベガスは犯罪資金の流入を監視しており、貸金庫に預
けた梶山の資金もネバダ州賭博規制委員会によって凍結され、その後米政府に没収されている。割引債などを使って香
港に送金された資金は、複数回に分けてチューリッヒのクレディスイス本店に送金された。その総額は51億円で、スイス
で凍結されたためその存在が明らかになった。これとは別に、シンガポールの金融機関に送金された53億円があるが、
現地の金融当局の協力が得られず、資金ルートの追及を断念するほか無かった

金融取引がどれほど高度化しても、それが国内で行われている限り、国家は法によって一定のルールを強制し、司法・
行政権力を行使して違反者を処罰することができる。日本の金融機関は税務当局の調査に協力する義務を負い、犯罪
捜査においても裁判所の命令で顧客情報が開示されるから、理屈の上では金融機関を通したどのような取引も解明可
能だ
。それに対して、日本人が海外の金融機関を利用する場合、日本の居住者に対しては所得への課税権が残るもの
の、海外の銀行や証券会社には日本国の司法・行政権は及ばない。これはトラブルが生じても日本の金融当局の保護
が受けられないということでもあり、これまでは各国の金融事情に通じた専門家のみが海外の金融取引を行ってきた。
ところが海外のプライベートバンクが日本人の行員を雇用し、日本人顧客に金融サービスを提供するようになると、こうし
たすみわけは崩れてしまう。マネーはグローバルな金融市場を自由に行き来するが、それを管理するのは「国家」という
地理的な枠組みでしかない。プライベートバンクは市場と国家のこの制度的な矛盾を利用し、国内の法制度に穴を穿ち、
司法行政権の及ばない擬似的なタックスヘイヴンを作り出していく。
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世界四大宗教の経済学 ~イスラム教と仏教

イスラム教とお金
「あなたには名誉を。私には利益を」
ぞっとする考え方である。わたしたちが真顔でこのようなことを言ったら軽蔑されて人間性を疑われるだろ
う。彼らはもとより生産に従事しないのだからいつか食料や物資が尽きてしまう。そのときはどうするか。
他部族を襲って盗むのである
。必要な物資ばかりでなく、他部族の女子を盗むことも普通だった。また、ま
るでスリリングなレクリエーションのように馬にまたがって他部族の人間を殺戮することも異常なことでは
なかった。そのためにも、アラブ人は速く走れる馬を育てたのだった。他部族を急襲して盗むのは正当な
経済行為だとみなされラジーアと呼ばれた。アラブの伝統の中に暴力と盗みが含まれているのだ。わたし
たちが子供の時に呼んだ盗賊アリババの物語はアラブ人の伝統を伝えていたわけだ。
1990年にイラクはクウェートに侵攻し、これを阻止するために赴いたアメリカの軍隊と戦争になった。いわゆ
る湾岸戦争である。しかし、イラクが他国に「侵攻」したと考えるのはキリスト教が根底にある現代先進諸国
的な見方
なのだ。イラクは経済的に窮し、クウェートの石油を手に入れようとした。これは伝統的なラジーア
なのである
。国家的規模に拡大されたラジーアである。だからイラクには悪いことをしたという自覚がない。
 古代においてもアラブ人は乏しくなる前に働いて稼ぐということをしないできた。汗水たらして働くことは奴
隷がすること、侮辱される行為とされているからである。そこには、できるだけ働かずにお金を得ることのほ
うが偉いという価値観がある。このような地であったアラビア半島の西に紀元七世紀、突如としてイスラム教
という独自な宗教が生まれた。宗教の倫理というものは一般に人間の素朴な暴力性を抑制する働きをする
ものだ。しかし、イスラム教は異なっていた。かえってアラブ人たちの暴力性に宗教という根拠を与えたので
ある。イスラム教の創始者であるムハンマド自身が伝統のラジーア、つまり略奪を頻繁に行ったし、軍事力
によって強引な布教をした。そして神の言葉だとされるコーランには、勇んで戦いに赴く姿勢をことさらに賞
揚する文章が数多く記されたのである。
仏教とお金
悟りを求める人々にブッダは戒律を与えた。経済に直接関係するものは「金銀を持たない」である。貨幣に
触れてはならないというのである。当然ながら一切の商業・生産活動も禁じられた。何かを所有するという
こと自体を捨てるのは悟りの道の一つだった。持ってよいものはたった6つ。3枚の衣、食器としての鉢、坐
具、虫を殺すことなく水を飲むための漉水嚢(ろくすいのう)だけである。食物をたくわえておくのも禁止
だっ
た。歌舞音曲を見聞きするのが禁じられたばかりでなく、雑談も戒められた。話すのは修行に関することの
みとされ、後は瞑想と沈黙が薦められた。つまり、あらゆる退路を断って何の憂いも心にかける事柄もなく
悟りへの到達のためにひたすら励むよう配慮されたのである。
布施は公共事業の代替
執着から離れる生き方を行くのだから、自己の所有という概念からも離れなければならない。したがって自
分の働きで得た財であっても、財を自分のものとして独占所有するのではなく、分かち与えるべきだとされ
た。この分かち与えが布施である。ブッダの死後に教団は在家信者から布施によって大きくなった。紀元前
三世紀のアショーカ王は仏教を信じ、多くの寺院を建立したばかりでなく、港湾や橋の建設、土木事業、病
院建設、薬草の輸送などで有名になった。国家行政という概念のない古代にあって、仏教の布施はいわゆ
る公共事業の代替となったのである。
戒律の誤解
ブッダの死後約百年たった紀元前4世紀頃に戒律の改革案が出されるようになった。まずは飲酒である。
ブッダは飲酒を厳禁としたのだが、ヤシの果汁を発酵させたものならば酒ではないので飲んでもいいので
はないかという改革案が若い修行者から出されたのである。他には、塩の貯蔵。必需品でありながらも塩
は手に入りにくかったからである。また、正午を少し過ぎても食事できるようにしよう、もらってきたものを余
らせないためにも食事は一日二度してもいいのではないかという案もあった。そして大きな問題となったの
は金銀の布施を受け取るべきかどうかということだった。貨幣経済に移行しつつあったので、金銀の布施に
出す在家信者が出てきたのである。ブッダは金銀に触れることを禁じていたのに、なぜ金銀の布施の扱い
に困ったかというと塔や建物の維持に貨幣が必要になっていたからだった。
 ブッダは自分が死んでも供養などしてはならないと告げてあったが、弟子たちはこの言葉を守らなかった

そしてブッダの遺骨を納めた塔を建てた。その周囲にも供養塔が建てられた。教団が盛んになったので僧
院も必要になった。こういう建物の維持費用として貨幣が必要になっていたのである。
呪術信仰と融合した日本仏教
今の日本の仏教は葬式仏教だと批判されている。仏教そのものを伝えようとしている僧侶も居るには居る
が、大半の寺院や僧侶は葬式や法事などの行事を中心に非課税の商売をしている。僧侶が葬式などにた
ずさわるのは、本来の仏教ではなく、古くからの呪術信仰から来ている。僧侶の祈祷に効験があると信じら
れているのである。これは今に始まったわけではなく、日本に仏教が伝来した時からそうだった。
僧侶は金銭に関わることの多くに首を突っ込み、賭博も寺で行われた。賭博は禁止だったのに寺院内はい
わば治外法権の場とされていたからだった。博打の手数料を今でも寺銭と呼ぶ理由がここにあるのだ。そう
いった臨時収入の他に、確かな定期収入が寺院にはあった。農業と信仰心を結びつけた金融業である。農
民はその年の最初の収穫物となる初穂を寺に奉納する。すると寺側では翌年に種籾としてこれを農民に貸
し出し、利息をつけた分多く翌年の初穂を奉納させるのである。この利息は50%である。
著者はシオニストかな??
なーんか総じてそんな感じで書いとったわ。
【治外法権領域】
2010.07.29: 闇権力の執行人 ~対検察
2010.02.22: マラッカ(マレーシア)旅行 ~マレー鉄道編
2010.02.15: 通信隊 それは陸のOff-Shore 
2010.01.28: 無法地帯は違法地帯。合法的な無法地帯とは? 
2010.01.14: 転がる香港に苔は生えない 
2008.09.19: 大使館のあり方 
2009.08.17: インド旅行 前哨戦 Visaの取得 
2008.04.15: 国境 ~統治権の狭間 
2008.01.12: Macau for Family ~香港に住む男のための同伴者と行くマカオツアー


世界四大宗教の経済学 ~キリスト教とお金

お金と偶像神の古い関係
お金を最高の価値としてはならない、すなわち偶像神としてはいけないという思想はユダヤ教の聖書から
発せられていたものだったが、キリスト教においてさらに強調されることになった。「貪欲は偶像崇拝と同じ
ことです」ここで述べられている貪欲とは、お金がもっともっと欲しいという熱望するあくなき執着と欲望を意
味している。お金が万能の力を持っていると信じられている
わけだ。それは宗教ではなく一種の現世的価
値観のように思われているだろうが、お金の万能性や力を「信じて」いるということはやはり一種の信仰な
のである。お金という存在が簡単に偶像神になるというのは比喩でもないし、単に人間の心理が勝手に生
む幻影でもない。そもそもお金そのものがその発生からして偶像神と関わりあるものなのだ。マネーという
英語での呼び名がその一端をはっきりと語っている。マネー(MONEY)の語源を探ると行きつく先は女神モ
ネタである。モネタは古代ローマ神話の女神ユノの別名である。ユノはローマの守護神であり、豊穣の女神
でもある。大地からの収穫の豊穣を司るばかりか人間の豊穣にも関わる。つまり、結婚、出産、母性の女
神でもあるのだ。6月の花嫁をジューンブライドというがこのジューンはユノの名前から来ている。この女神
ユノはモネタというな目でお金の豊かさにも関わるのである。
日本神道のアマテラスオオミカミは太陽のことであるから、神道は典型的な古代の偶像神信仰である。自
然物に限らず、ヴィーナス像のような彫像も偶像神となりえる。もちろん、お金も偶像神となりえる。現代の
銀行が、古代ローマや古代ギリシアの神殿に似たような建造物になっているのはデザイン的な理由でも
ないし偶然でもない。古代はモネタの神殿で鋳造された貨幣が地中海世界に流通していた
のである。そ
の伝統を汲んでいるかのようにニューヨーク証券取引所はもちろん、日本銀行の場合はその地方支店ま
でもが、柱など古代のギリシア神殿を模倣する建物になっている。
イエズスが生きていた約2000年前、ローマ帝国の貨幣にはローマ皇帝の肖像と「崇拝すべき神の崇拝す
べき子」という賛美の銘が彫られていた。なぜならば、皇帝は生き神であるとされていたからだ。かつては
貨幣にはギリシア神話に出てくる女神やそれにまつわる動物などが刻印されるのがふつうだった。しかし
いやましに強大になって広大な領土を持つようになったローマの皇帝たちは、自分が神であるとうぬぼれ
るほど傲慢になっていたのだった。数十年前からローマの属領地になってしまっていたパレスチナに住む
ユダヤ人にとって、「皇帝は神の子」と刻まれた貨幣を使わなければならないことはあまりにも屈辱的なこ
とだった。真の神はユダヤ教のヤハウェ以外のどんな存在であってもならなかったからだ。
キリスト教では「お金を自分の神とするな」と教えている。「人は誰も二人の主人に兼ね仕えることはできな
い。あなたがた神とマンモンに兼ね仕えることはできない」マンモンとは古代ギリシア語の方言のアラム語
で「富」という意味だがここでは現代の私たちが手にしているお金という意味で使われている。
「お金を神とすることなんてありえない」とふつうは思われるかもしれない。しかし現実にはお金の奴隷とな
っている人は少なくない。
お金さえあれば何事も何とかなると安易に考えるのはまさにお金に神のごとき万
能性を認めて排危する姿勢なのだ。お金があれば多くの望みがかなうとするのは現代人ばかりではない。
イエズスが生まれた2000年前もそうだったし、さらに古代においても人間はお金に心奪われてきた。
偶像を横文字にするとidolになる。アイドルタレントのアイドルである。アイドルタレントはまさしく偶像である
からアイドルに憧れる若者はそのアイドルの真似をしたり、アイドルの好む物を自らも好む。そういうふうに
偶像は崇拝する者の生き方や価値観を縛る力を持つ
。そして崇拝者はいつか自分も偶像のようになりたい
と思うのだ。けれども偶像の正体は仮像や物に過ぎないものであるため、崇拝者はいつのまにかに同じ物
のようになってしまうのである。すなわち、自由のない物質のような存在に堕してしまうのだ。お金を偶像と
してしまうのも結果は同じである。お金は生活の上では大切なものだけれど、もっとも大切なものだと考え
てしまうと、自分の夫がたんなる給料運搬人に見えてくる。医者、弁護士、パイロットといった高収入の男
性とお見合いするパーティなるものがいくつもあるが、そこに参加する女性たちは当然ながら相手の人間
性や愛といったことについては無関心である。男性はお金を媒介する便利なものとしてしか見られていない
のだ。そのことに気付かない男性の方もかなり鈍感だろう。とにかくお金を偶像としている生き方をする人が
愛、信、正しさ、自由という倫理を大切だとする神をも同時に信じることができないのはあたりまえだろう。
そのことをイエズスは「神とマンモンとに兼ね仕えることはできない」という表現で言ったのだ。
経済社会に生きている以上、金銭は扱わなければならない。だから所有から離れるのではなく、所有の欲
から離れるのである。
プロテスタントと資本主義 反カトリックの潮流
現代の資本主義は、さかのぼれば、中世キリスト教のプロテスタント的禁欲主義から生まれたという説が
ある。この説はマックス・ヴァーバー「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」1905年から来たもの
だ。ヴェーバーの説によれば「キリスト教プロテスタントの中でも特にカルヴァン派とその流れにあるピュー
リタンたちが禁欲的に働くことによって資本主義の土台が形成された」というのだ。ルターのプロテスタント
思想には多くの領主や権力者が賛同した。その理由は単純な信仰心からではなかった。倫理や精神面で
人々が国を超えた国際組織であるカトリック教会に向いているよりも、領地ごとのプロテスタント教会で統率
するほうが管理しやすくなるからだった。自分が救われるかどうかは現世での行いに反映されている。ふだ
んの節約と禁欲や勤勉の態度からも救われるかどうかの一端がわかるという。こういう教えを聞いた人々
は不安と恐怖を抱くことになり、救われることを自分に確かめるために積極的に禁欲的な生活を送って勤勉
にいそしむしかなかった。けれどもヴェーバーの説はどうも強引すぎる。なぜならば資本主義は必ずしもカル
ヴァン派とその流れを汲む信者のみによって促進されてきたわけではないからだ。
【金と金融の意義】
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2008.10.10: あなたが信じているのはお金だけなの?
2008.07.18: Olympic記念通貨に見る投資可能性
2008.02.20: アジア通貨 ~HKD 通貨発行差益(シニョレッジ)


世界四大宗教の経済学 ~ユダヤ批判

お金に対する鋭い警句
ユダヤ人は金儲けの秘密を知っていると思われている。しかし実際は何か秘密めいたものがどこかに隠されているわけではない。
お金に関する彼らの知恵はみな聖書を源にしているだけである。とはいっても聖書の中にお金に関する章が特別にもうけられて
いるわけではない。生き方について述べられている言葉の随所に金銭への態度、金銭の扱い方がさまざまな角度から言及され
ている
のである。聖書の中のシラ書、金儲けの方法論でもないし、単なる処世訓でもない。人間とお金の関わりを鋭い目で見る
洞察や警句となっている。意外にも、お金自体が礼賛されることはない。むしろお金がいかに人間の心を揺らし、人を動かす力を
持っているかが次のように語られている。
あなたは財産を頼りにせず、「これだけあれば足りる」とは言うな。欲と力が心を邪欲に従わせるのをゆするな。
 金を好む人は罪を避けられず、金儲けに走りまわる人は、そのために悪事を行う。黄金のいけにえになった人は多く、その滅び
は目に見えていた。金は愚か者には罠であり、思慮亡き人はそれにかかる。
ユダヤ人がお金を恨んだ時代
収税吏は罪人、紀元前63年からユダヤ人はお金を憎むようになった。というのも、その年、ローマ人がユダ国とサマリア地方を支
配し、ローマのデナリウス硬貨を流通さえ始めたからだった。そしてユダヤ人は3つの税を納めなけばならなくなった。ローマ皇帝
への税、ユダ国の税、エルサレムの神殿税の三種である。この経済状況はユダヤ庶民の生活を圧迫した。そのため税を納めるた
めに休みなく働かなければならなくなった。安息日を守らないということはユダヤ教伝統の律法を破ることであり、律法を破る者は
罪人として差別され、ユダヤ社会の中ではまともに交際してもらえなくなることだった。税へのそういう恨みのほかに、デナリウス硬
貨にローマ皇帝の肖像が刻まれている
ことがユダヤ人の神経を逆撫でした。なぜならば、神格化したものを彫るのは明らかに神
の言葉、中でも最重要である十戒に反することだからだ。十戒の第二版にはこうある。
「刻んだ像をつくってはならぬ。どんな像を
つくってはならぬ。その像の前にひれ伏してはならぬ。それらを礼拝してはならぬ。」
神は霊であり、形ある存在では無いとした
宗教はユダヤ教だけだった。ユダヤ人たちは自分たちの信じる神が他国の偶像神などとはまったく異なるものであり、真の神であ
ると信じていた。そういう彼らがローマへの税を納めるときは、かならずデナリウス硬貨をつかわなければならないのだから、いや
ましに嫌悪はつのった。
貨幣はたんに流通と交換の手段となるものではない。その意匠には、何を信じるのか、何を権威と認めるのかというメッセージが強
く打ち出されるのである。貨幣存在の第一義は経済では無い
ということだ。
利息についての聖書の言葉
聖書のレビ記、申命記にも「利子をつけて彼らに貸してはならぬ」と神が命じている。しかし、紀元前15世紀頃の神からの命令であっ
たこれらの文章の前後を読むと条件がつけられていることがわかる。例えば、ここに引用した最初の文章にある「彼ら」とは、貧窮
している者のことなのだ。直前の文章は次のようになっている。
「お前の兄弟が貧窮に陥り、その人がそばで手を震わしているなら、おまえは彼を支えよ。他国人または同居者として、彼をともに
生活させよ。こういう人々かr、利子を取ってもならず、労働を強いてもならぬ。」ここで兄弟と呼ばれているのは血を分けた兄弟に限
らず、同じ神を信じる同胞のことだ。次にこう書かれている。
「兄弟ではなく、他国人からなら利子を取っても良い」
つまり貧しくない者、他の神を信じている他国人ならば、利息を取ることは原則的には禁じられていないわけだ。しかしながら、他の
箇所では「他国を虐げてはならない、自分たちの同胞と同じように接するように」という言葉がある。それが利息にまで及ぶことなの
かどうかは判然としていない。ユダヤ人にとっても同様で、はたして貸金の利息を取ることが良いことかどうかについて、古代からず
っと研究され続けてきているのだ。
ユダヤ人は本当に高利貸しか?
ユダヤ人は昔から高利貸しだといわれている。ヨーロッパから中東にかけて根強いこの噂には一面の真実が含まれているが、その
イメージを拡大したものの一つは、なんといっても有名なシェイクスピアの戯曲「ヴェニスの商人」だろう。この戯曲には金銭の賃貸の
契約を利用して私的な恨みを晴らそうとするユダヤ人貸金業シャイロックが出てくるのだ。
シェイクスピアの偏見
この戯曲で特徴的なのはユダヤ人が徹底的に悪者にされていることだ。その理由は単純でユダヤ人商人シャイロックが利息を取っ
て金を貸しているという一点である。シェイクスピアがイギリスでこの戯曲を書き、上演されたのが1598年頃だった。その少し前、
1594~98年イギリスは未曾有の不況であり、多くの人々がお金に苦しんでいた。そういうときだから金貸しで儲けていたユダヤ
人をこらしめるようなこの戯曲に人気が出たのである。もっとも当時のイギリス人の多くは本物のユダヤ人を見ていない。シェイ
クスピアでさえ、ユダヤ人を見たこともない。というのは、イギリスでユダヤ人はこぞって300年前の1290年に国外追放されてい
からだ。つまり、シェイクスピアが「ヴェニスの商人」を書いた頃にイギリスにユダヤ人は一人もいなかったということだ。つまり
作者のシェイクスピアはこの戯曲を16-17世紀当時のユダヤ人に対する偏見を土台にして書いたのだろう。昔から伝え聞く、悪評
や噂の実体を見るようだったため、多くの人々がこの戯曲をおもしろがったわけである。
ユダヤ系マルクスの資本論
共産主義革命の理論書となった大著「資本論」を書いたことでカール・マルクス(1818~1883)という名前は世界的に有名になった。
あの印象的な髭もじゃの風貌も広く知られている。しかし、マルクスがドイツ人だったことを知っている人でも、ユダヤ教のラビ(律
法学者)の家系に生まれたことを知らない人は多いだろう。ユダヤ人家系ではあるが、マルクスの父親はキリスト教プロテスタント
に改宗した弁護士だった。母親はドイツ系ユダヤ人の特殊な人口言語であったイディッシュを話していたからユダヤ色のかなり
濃い環境に育ったというべきだろう。マルクスは長じて無神論者になり、博士号を取得したのちは反体制的な新聞の編集者になっ
た。その後、危険人物視されたためにイギリスに渡り、大英帝国博物館にこもるようにしてドイツ語で「資本論」を書いた。マルクス
は何をどのように考えて資本と労働の関係について分厚い本など書いたのだろうか。彼の主張の本筋はこうだ。人間と世界を変え
るのは宗教ではなく、「お金の扱い方、欲望の秩序が人間と世界を変える。」
というのだ。マルクスにとって、宗教は経済闘争の副産
物でしかなかった。社会の経済的秩序がどうあるかによって、宗教に変化が起きるとした。そして、「経済のあり方が歴史を形成す
るのだ」という。よって経済闘争のない秩序、私的所有のない秩序を確立することによって、社会的不平等はなくなり、新しい世界が
生まれるという。その変革をもたらすのが共産主義革命なのである。マルクスの理論によれば資本主義の発達した国でこそ共産主
義革命が生まれるはずだったが、実際そうはならなかった。そしてまた、彼の嫌っていたユダヤ人インテリ層が共産主義革命に多く
関わったのである。もちろんプロレタリアと呼ばれた労働者層も革命に積極的に参加した。しかし彼らは「資本論」を読んで理解し
たうえで革命に賛同したわけではなかった。多くの者は働きづめの自分たちは資本家からごっそり搾取されているという怒り、本当
はもっと多くの賃金をもらえるはずだという利得の欲望から行動したのだった。そのために何十万人と言う人が革命の嵐の中で死
んだのである。
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世界四大宗教の経済学 ~ユダヤ教とお金

信仰に関する事柄だけを述べるのが宗教ではない。どんな宗教にも必ず生活のための知恵が含まれている。古代にあっては、
まさに宗教こそが尊ぶべき知恵であった。そうした宗教に含まれているのは、「お金をどう扱うか」、あるいは「お金に対してどう
いう態度を取るべきか」という知恵
である。お金についての知恵や教えは人間の考え方、ふるまい方に影響をもたらす。その
人の発言や行動を通じて、さらに経済社会にははっきりとした影響をもたらす。つまり、宗教がお金についてどのようなことを教え
るかということで、人間社会の倫理が変わってくるともいえるだろう。
 古代から現代まで、歴史に深い影響を与えている、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、仏教の世界四大宗教に加え、ジャイナ
教、儒教、ギリシャ古代宗教にも触れている。
ユダヤ教発生のあらまし
紀元前2000年頃、中東の名もなき遊牧民の部族長であったアブラハムというヘブライ人が、神から「カナンへ行け」と命じられ
て現在のパレスチナに向かったのが啓示宗教の明確な始まりである。その後、カナンに住んだアブラハムの子孫の一部が飢
饉や天災のためにエジプトに移住した。しかし、彼らヘブライ人の人口が増えてきて敵対するのではないかと恐れたエジプトの
王はヘブライ人たちに重労働を課した。そのときにヘブライ人を救い、カナンへと導いたのがモーゼだった。モーゼは神から幾
度も語りかけられ、神の名が明かされた。それはJHWH(かつて在り、今在り、未来にも在る者という意味。ヤハウェと読む)だっ
た。モーゼとヘブライの民は神から十戒をさずかった。しかしヘブライ人はしばしば他国の宗教の神を拝んだりした。そのうち
彼らは宗教国家イスラエルを建て、国王をも擁立した。有名な国王としては、二代目ダビデと三代目のソロモンが広く知られて
いる。イスラエル国内のエルサレムに神殿が建てられ、宗教儀式も華麗に執り行われた。だが、信仰は揺らぎその罰である
かのように他国に侵攻されてしまった。そして紀元前60年頃には、イスラエルはローマ帝国の領土になった。侵攻するローマ
との戦いの中で主に生き残ったのがイスラエルのユダ地方にすむ部族だったので、彼らはローマ人からユダヤ人と呼ばれ、そ
の宗教が「ユダヤ教」と呼ばれることになった。ユダヤ人の中からイエズスという男が出てきて十字架刑で死んだ。するとイエ
ズスこそが救世主であり、神だったのではないかというキリスト教の信仰が生まれた。そしてキリスト教徒の数が広がる勢いだ
ったのでユダヤ教徒たちは自分たちの歴史と言葉を編纂した。これが聖書である。現代日本において旧約聖書と呼ばれている
ものである。国家を失ったユダヤ人は国籍をも失い、いつも外国の居留する民とし
ての歴史が始まった。それは1948年の
イスラエル建国まで続いたのである。
ユダヤ教とお金
ユダヤ教のその経済を簡単の紹介する場合でも、ユダヤ教徒につけられた名称をまずは説明しておかなければならない。そ
れは「ヘブライ人」「イスラエル人」「ユダヤ人」、この3つの名称がみなユダヤ教徒を指すものだということだ。この3つの名称は
人種のことではなく、歴史の時代に沿って名づけられた
ものである。
 ヘブライ人とは「川の向こうを行く人」という意味がある。紀元前十数世紀の遊牧民が流浪していく様子を誰かが見て呼んだ
名称である。だからヘブライ人と記されているとき、多くの場合は古代の遊牧民のことを指す。
 イスラエルとは「神は強し」という意味だが、これはヘブライ人たちが紀元前11世紀頃に建てた国の名前である。イスラエル人
とはしかし、血統の純粋なヘブライ人たちの集合ではない。当時すでに雑婚が行われていたユダヤ人とは紀元前60年頃にローマ
帝国がイスラエルを占領して領地とし、そのユダ地方に住んでいた人々を呼んだときの名称である。それから、彼らユダヤ教徒は
ユダヤ人と一般に呼ばれるようになった。現代ではユダヤ人とはユダヤ教を信じる人のこととされる。白人もいるし黒人もいる。
民族の名称でもないし、人種の名称でもない。
お金を取られたら取り返すユダヤ人
ユダヤ人は金持ちだとか、金銭に執着しているという風説がいまだに根強く残っているが、こういう風説は長い間かかって醸成され
たデマにすぎない。しかしながら、彼らの歴史と神の言葉を記している聖書がお金に対して多く語っているのは事実である。ユダヤ
人は聖典である聖書を神からの言葉と信じるから、神が語るようにお金に対して自分の態度を決定しているのである。
「タルムード」の知恵をエッセンスの形で紹介しているラビ・M・トケイヤーは、著書「ユダヤ5000年の知恵」の中で、ユダヤ人の性
格と金銭感覚についてこう書いている。「長い間、ユダヤ人は迫害され、殺されてきた歴史を持っているが、憎しみを語った文学書
や文献は一つも存在していない。というのはユダヤ人は激しい憎しみを抱けない人間だからである。したがって、シャイロックが憎
しみにかられて「もしあなたがお金を返さないなら、1ポンドの肉を、とくに心臓を切り取って返せ」と言ったという話(シェイクスピア
作「ベニスの商人」)は、まったく架空のものであって現実のユダヤ人には起こりえないことである。シェイクスピアはキリスト教徒で
あるから、これはキリスト教徒の考え方を示しているのであって、ユダヤ人とはまったく関係がない。ユダヤ人はお金を取られても絶
対それを罰しようとはしない。あくまでもユダヤ人は相手を罰することよりも、お金を取り返すことに関心がある。だからお金のかわ
りに自動車をとったり、時計を取ったりするけどもまさか腕や心臓などをとってもそれは使い物にならないことはよくわかっているは
ずだ。」

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混沌 新・金融腐食列島

つまんねー話!!金融小説・経済小説を次々に発行って言うから読んだのに・・・
銀行再編成時代の話なんだが・・・、まず内容が金融小説ではない。かなりテクニカルな合併もあったのでそのスキ
ームなどをドキュメントタッチで詳細に記述するのは、そこそこ面白いと思うのだが、そういう記述は一切無い!!
では、何が書いてあるのか。
人事ですよ、人事。そんなの銀行じゃなくたって同じなんだよね。全然面白くない。
経営陣の保身:合併後、自分は格下げ??
セクショナリズム:たすき掛け人事、大手行意識による優越感と地銀意識による僻み根性。
メンツ:A銀行頭取と会うのは、B銀行の常務が対等とかさ。どーでも良い!!
ただ、ある意味本当のことを書いているのだろうなと思うのは、合併騒動の後ろで何を考えていたかと言うとそういう
ことだというのは納得できるがねぇ・・・、そこむしろ面白くない部分なんだから小説化する時は略すべきじゃないか?
保身とメンツの調整役で、アライアンスのプロって言われてもなぁ。どう思うよ?
経営陣と一人ひとりの行員のせこさ、人間としての小ささをずーっと書いてるって感じだな。
私利私欲・物欲に走る人間は、政治とか経営とかしちゃいかんよ。
見栄をはるのも、経済人としての感覚を疑うね。
そんなこと言ったら大企業は、ほとんど駄目ってことになると思うが。
所詮、民の話か・・・まったく面白くねぇぞ、これ。
ノックの音が聞こえ、中年の女性行員がアイスコーヒーを運んできた。制服が痛々しいほど似合ってなかった。
マジで笑える。居た居た。そんなヤツ!
大物フィクサー児玉由紀夫の台詞
おまえたちはアライアンスなんて気取った言い方をしとるが、合併とか提携なんていうのはトップが学校が一緒だとか
お互いに貸したり借りたりしてる仲とかで決まることが少なくない。
中央朝日は当然国産のFUJIのシステムを主張しているが、芙蓉はIBMの方が優れていると強調して譲らない
わけだ。
あったねぇ。そんなこと。でもよー、IBMは外資だから実名かい!!そこら辺が日本”村意識”だよ。高杉君。

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ローマ人の物語 すべての道はローマに通ず

街道
道路が国土の動脈であることは、今日ならば誰もが知っている。だが、2300年の昔、それをわかってい
たのはローマ人だけであった。人間が集まって棲むところ、必ず道がつくられる。だからローマにも、紀
元前8世紀前半の建国当初から道はあった。それらの街道は塩を運ぶためにつくられたものであれば、
塩の道(ヴィア・サラーリア)と呼ばれ、ローマ人の祖先の地であるラティーナ地方と結んでいる街道なら
ば、ラティーナに向かう道という意味で、ヴィア・ラティーナと呼ばれた。それが、前四世紀後半に入ると
一変するのである。アッピア街道の開通した前312年を機に、これ以後のローマ街道は、単なる行政道
路ではなく、政戦略上の、つまりは政治、軍事、行政上の必要から敷設されて行くことになる。ローマ人
はこのことを完璧に意識していた。この時期以降につくられていくローマ街道は、もはやどこそこへ向かう
道を意味する名称では呼ばれず、敷設させた人物の名でもって呼ばれる
のが通例になる。どこそこへ
通う道という意味の名称を与えたのでは、道をそれ以上伸ばす時に都合が悪い。アッピウスが敷設させた
ならばアッピア街道と名づければ伸縮も自在になる
ではないか。街道は、味方の連絡や移動に便利にな
ったということは敵の情報収集や移動にも便利になったということである。実際これより数十年後には
ピュロスに、100年後にはハンニバルに、自分たちが敷説した街道を攻め上ってこられてローマ人は心臓
も止まる思いをするのだ。それゆえ防禦を最大目標とする民族は、道路工事の技術の有る無しに関わら
ず、平坦で便利な街道の敷設に熱心でない。ローマ人は宗教から政治システムから対外関係から道路
にいたるまで、本当の意味で開放的な民族ではなかったか。
市民権
キヴィタスというラテン語に由来する英語のシチズンシップを、英和辞典では次のように日本語訳している。
市民。国民の身分。公民権。市民権。国籍。
伊和辞典だとチタディナンツァの日本語訳
市民権。国籍。公民の地位ないし身分、とあって、同じようなものだ。
ところが、意味を探るために国語辞典を引くと、市民権を次のように解釈している。
市民としての権利、公権、人権、民権。市民としての行動、思想、財産の自由が公的に保証され、居住する
国・地方自治体の政治に参加することのできる権利。ならば市民はどう説明しているかというと、次のようだ。
市に住む人、都市の住民。西欧で、国政に参与できる資格・地位をもつ国民、公民。
手近にある時点からの引用にすぎないにしても、日本での、市民並びに市民権に対する解釈は興味深い。
まず、市民権の項に、国籍という意味が見あたらない。第二に市民であることによって得られる権利は列挙
してあっても義務にはふれていない。
だが、ローマ市民権なるものをここではっきり定義しておかないと、それを与えるか与えないかで差別をつけ
た、古代のローマ人の考え方が理解できないことになる。これを理解するには、辞典の説明に加えて、ロー
マ市民権の有無によって生ずる、具体的な権利と義務
を列挙していくのも一法かと思う。
権利
1.不動産・動産を問わず、すべての私有財産の保証。そして、それらの売買の自由。
2.選挙権と被選挙権を有するから、国政に参加する権利。
3.法に則った裁判を受ける権利とともに、それによって死刑を宣告されてもローマではこれだけでは充分
でなく、市民集会に訴え出る権利、つまり控訴権を有した。これは事実上、ローマ市民権所有者を大変
稀なものにしたのである。
4.独立していて自由な身分を持つ、一人前の男であるという証拠。
ローマでは、市民権を有し、社会生活上の重要な核と考えられていた家族の一員であってはじめて、一
人前の人間と考えられていたのである。
義務
1. 16歳から45歳まで現役で、それ以後も60歳までは予備役として、軍務につく義務があった。
市民のもう一つの義務である納税の代わりでもある。間接税がもっぱらであった古代の税制では、直接税
は軍役で払うのが普通だった。それゆえに軍務は、別名「血の税」と呼ばれた。
金を払って軍務をまぬがれるやり方は、法によって許されなかったというよりも、不名誉なことと考えられて
いた。経済的な代替行為は、市民権をもたないために軍務につく義務のない非市民かローマ人の中でも、
裕福で子のない女にのみ課された税であった。

ローマ人の物語 (1) ― ローマは一日にして成らず(上)    新潮文庫 ローマ人の物語 (1) ― ローマは一日にして成らず(上) 新潮文庫
塩野 七生

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【国民意識と愛国心】
2010.07.13: 日本帰国 第一幕 靖国参拝
2010.05.25: 靖国で泣け
2009.08.21: インド独立史 ~ナショナリズムの確立
2009.08.19: インド旅行 文明という環境汚染
2009.07.20: タイ旅行 国土がある、通貨がある、言語がある
2009.01.23: ドイツからのお手紙 銘柄選定における国民性
2009.01.07: ユーゴスラヴィア現代史 ~国家崩壊への道 
2009.01.06: ユーゴスラヴィア現代史 ~Titoという男 
2009.01.05: ユーゴスラヴィア現代史
2008.12.08: アラブとイスラエル―パレスチナ問題の構図
2008.10.22: 香港とシンガポールの違い
2008.08.22: Olympicと国家


ローマ人の物語 ローマは一日して成らず

ローマ誕生
ローマ人は昔から、紀元前753年にローマを建国したのはロムルスであり、そのロムルスはトロイから逃れてきた
アイネイアスの子孫にあたると信じてきた。ところが、ギリシアと交流しはじめるようになると、ギリシア人はロ
ーマ人にトロイの陥落は紀元前13世紀頃の出来事であることを告げたらしい。伝承伝説の世界では、合理的である
よりは荒唐無稽であったほうが喜ばれる。適度に400年を消化した後に、伝説は一人の王女の登場を迎えた。アル
バロンガの王の娘であった彼女に、軍神マルスが一目ぼれし、双児が生まれた。ロムルスとレムスと名づけられた。
ロムルスはパラティーノの丘に、レムスはアヴェンティーノの丘にと、それぞれ
勢力基盤を置くことに決めた。
勢力圏の境界を示すためにロムルスが掘った溝をレムスが飛び越え、ロムルスがレムスを殺した。建設者ロムルス
の名をとって名づけられたといわれるローマはこうして誕生した。前753年4月のこととされている。
エトルリア人
エトルリア人の文字はまだ完全には解読されていない。それゆえに長く、謎の民族と言われてきた。エトルリア人と
いう意味でエトルスクというが、これも固有の一民族を指しているのかはっきりしていない。古代でも、現代のトス
カナとウンブリアとラツィオの北部を合わせた地方に住んで人々を総称して、エトルスク、つまりエトルリア人と呼
んでいたらしい。イタリア中部には、鉱山が多く分布していた。この地方に住みついたエトルリア人は、天然の恵み
を活用、優秀な技術者になった。古代のエトルリアは、12の都市国家の連邦制をとっていた。連邦制はとっても、各
都市国家には独立の傾向が強く、常に共同歩調をとるのは宗教上のことぐらいで、政治や経済や軍事では一致した
行動を取るのが不得手だった。ティレニア海の制海権をめぐって、カルタゴやギリシアとしのぎをけずったこともあ
る。紀元前八世紀から前六世紀にかけてのエトルリアの勢力はローマなど寄せつけないくらいに強かった。
生まれたばかりのローマがエトルリアと南伊のギリシアの二大勢力の谷間に温存されたのは当時のエトルリア人とギ
リシア人がローマの独立を尊重してくれたからではない。当時のローマには、自分たちの勢力圏に加えたいと思わせる
だけの魅力がまったく無かったからである。
共和制ローマ
エトルリア人の流出によって低下したローマの経済力の回復を、プブリコラは、オスティアの塩田でとれる塩の販売を
個人から国家に移すことで解決しようとした。塩は、流通貨幣を持たない当時のローマでは、他国からの物産の輸入に
通貨の代わりをしている。プブリコラは生活必需品の第一である塩の国有化というよりも、通貨の国有化を考えたので
ある。何よりも国庫収入の確保が先決だった。だが、これだけならば、輸入代金に値上げされた塩を使うしかなくなっ
た商人たちの通商業への意欲の減少につながり、経済力の回復どころではなくなる。それでプブリコラは、彼らに課せ
られていた間接税を軽減した。間接税の減少分が帳消しになるだけでなく、ローマはエトルリア人に頼らなくても、
農牧国家に逆戻りする危険から脱出できたのである。
われわれは、富を追及する。だがこれも、可能性を保持するためであって、愚かにも自慢するためではない。アテネで
は、貧しいことは恥ではない。だが、貧しさから脱出しようと努めないことは、恥とされる。われわれは私的な利益を
尊重するが、それは公的利益への関心を高めるためである
。なぜなら、指摘利益追求を目的として行われた事業で発揮
された能力は、公的な事業でも応用可能であると思っているからだ。ここでアテネでは、政治に無関心な市民は静かさ
を愛するものとは思われず、市民としての意味を持たない人間とされるのである。
紀元前367年、ローマ史上画期的な法律とされる「リキニウス法」が成立した。6人の軍事担当官が廃止され、再び二人
の執政官制度にもどすことが決まった。今後とも、ローマは寡頭政体、つまり少数指導体制で行くことを明らかにした
のである。ついで、共和国政府のすべての要職を平民出身者にも解放することが決まった。役職を貴族別平民別と分け
ていたならば、まずもって機会の均等に反する。差別を廃する目的でなされたことが、反対に差別を定着させる結果に
なる。重要な公職を経験した者は、貴族・平民の別なく、元老院の議席を取得する権利を持つと決められたのである。
フランス革命の洗礼を受けた現代の歴史学者たちの中でも少なくない数の人々は、この「元老院開放」の決議を批
判的に書くのが普通になっている。護民官(平民出のみなれる役職だった)まで骨抜きにされて体制側に組み込まれた
とし、民主制を実現したアテネ人に対して、それをできなかったローマ人の政治意識の低さの例証である、とする。
だが、私にはそうは思えない。経験と能力に優れそれでいて選挙の洗礼をうけないですむ人々で構成される機関は、
共和政体では不可欠な機関と思うからである。1年ごとに選挙によって代わる執行機関をささえていくには、選挙
から自由でいられるがために、長期的な視野に立って一貫した政策を考えることのできる人々が不可欠
だ。
田中美知太郎先生は、プラトンのポリテイアを『国家』と訳された。そしてギリシア語のポリテイアとはポリス(都市国
家・市民国家)のあり方、組織・制度の意味である、と言われているから『国家』とは正しい訳語なのである。このポリテ
イアを古代ローマ人は『Res Publica』(レスプブリカ)と訳していた。イタリア語のレパブリカ、英語ではリパブリックの
語源となるこのラテン語は共同体とか公共を意味し、ひいては君主制以外の政体をとる国家を意味したから、『レス・プ
ブリカ』も正しい訳語なのである。だが、この「レス・プブリカ」は日本では共和とか、共和国と訳され、それが定着し
て今日至っている。「レス・プブリカ」の日本語訳は「国家」としたほうが適切であったし、もしも国家という訳語が
心情に会わないというならば、せめて、「公益」とか「国益」と訳すべき
ではなかったか。公共の利益を重視が大切こ
の上も無いことである点では誰もが一致する。ところがどうやってそれを実現していくかとなると共に和するどころの
話ではなくなるのだ。それは歴史が証明している。
【民族意識系】
2010.08.02: 日本帰国 最終幕 どうでも良い細かい気付き
2010.02.19: マラッカ(マレーシア)旅行 ~KL、マラッカ観光編
2009.08.20: インド旅行 招かれざる観光客
2009.08.14: インド独立史 ~東インド会社時代
2009.07.22: タイ旅行 農業と宗教vs金融と資本主義
2009.07.21: タイ旅行 究極の製造業である農業
2009.07.08: 世界一レベルの低いDerivatives Investorが生まれた理由
2009.07.07: 世界一レベルの低いDerivatives Investor
2009.05.04: 民族浄化を裁く 旧ユーゴ戦犯法廷の現場から
2009.02.04: 新たなる発見@日本
2008.10.21: 東インド会社とアジアの海2 
2008.06.20: 美の基準 ~民族を超えたArbitrage
2008.05.13: 語録 ~中国のお友達


闇先案内人

葛原が”逃し屋”の仕事を始めたのは5年前だった。初めは、自分自身の高飛びのための情報収集がきっかけだった。
高飛びを考えるものの多くは、とりあえずの脱出しか希望しないことが多い。もちろんそれはせっぱつまっていて、生きのびる
ことに夢中で、将来に考えが及ばないせいである。だが、香港や台湾、フィリピン、あるいは欧米などに脱出したとしても、
そこに骨を埋める覚悟が無ければ、高飛びは一瞬の成果でしかない
。孤独に耐えかねたり、生活資金が底を尽き、日本
に舞い戻れば、友人や縁者を頼り、結局追っ手につかまることになる。追っ手というのは警察だけではない。逃がし屋に莫
大な報酬を払ってまで国外逃亡をしようとする人間は、たいてい生命の危険にもさらされている。
骨を埋める覚悟? 孤独? 生活資金? ここだったらそんな心配はいらねーんだわ。
禁酒法の弊害、それは警察官の腐敗を生み出したことにありました。警官の誰もが禁酒法をまちがっている、と思っていた
からです。自分がそれを悪と感じていないがためにギャングたちの行為を見過ごすことになった。たとえ法律がどうあろうと警官
がそれを認めなければ、法の執行などできない。そしてこの悪法は、現代に至るまで、アメリカの警察組織に禍痕を残した。
犯罪者から金をうけとる、という行為の大いなる前例を作ってしまったからです。
好ましくない事例と前例。新しい道への突破口にはなりうる。
愛国心。難しい言葉です。言葉には、それを口にした瞬間、犠牲を強いてしまうものがある。たとえばこの愛国心。大切な言
葉だし、なくてはならないものなのに、なぜかこの言葉が人の口から発せられる時には、苦しみを伴う行為がそこにある。
愛国心。合理的でない考え方なのかもしれませんね。
国防と外交のために情報を集めたり、あるいはもっと積極的な活動をおこなう公的な機関は、日本以外にならどこの国にもあ
。警察には荷が重い事案です。しかし他に、これを扱うべき機関がない以上、警察がやらざるをえない。これを教訓に新たな
機関がもうけられることなどありえない。マスコミは反対するでしょうし、国民の大部分は、今ですらそうした治安情報機関を、
陰険で秘密主義のうちに税金を無駄遣いするところだと思っていますからね。

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2009.01.27: Globalに通ずる現地化度Check試験設問
2008.10.09: 海外駐在員のための証拠金取引
2008.10.08: 証拠金取引の効用


女女格差2

子供と女性の人生 P182 グラフ
P182.jpg
一昔前であれば女性の人生は結婚を契機に変わることが多かった。しかし、現代では妊娠・出産を契機に女性の
人生が大きく変わる
と見なしたほうが良い。「結婚は永久就職」「腰掛け勤め」「寿退社」「花嫁修業」などの言葉は
まだ残っているが、使用頻度の低下していることがそれを物語っている。
再就職と両立の違いは、出産・子育て期間中退職するかどうかが異なる。
女性の理想、専業主婦希望、しかし夢かわなず・・・
両立志望、しかし夢かなわず・・・
流れ着いた先は再就職コースか非婚と。うーん、なんかかなりリアルなデータですな・・・これ・・・。
妊娠中絶数および不妊手術数 P185 グラフ
P185.jpg
これ、どう読めばいいのでしょうか?
草食化が原因。つまり賢い殿方が増えて、後先考えない交渉はしないという・・・最近の若者は賢いという結論でOK?
女性の年齢階級別学歴別有業率 P212 グラフ
M字型カーブ
P212.jpg
大学・大学院卒は、緩やかに有業率が落ちていくものの、一度落ちた有業率は元に戻らない
なぜか? キャリア志向だから一度、辞めると再就職が難しい。それから、本人の所得は、夫の所得と正の相関がある
から、再就職しなくても食っていける人が多いからだろう。しかし、惜しい話だ。
総合職か一般職か P225 グラフ
P225.jpg
コース別人事と学歴
女性の高卒・短大卒の大半は一般職と見なせる。大卒の女性に関してはレベルが普通の大学の卒業生は一般職
にレベルの高い大学の卒業生は総合職に、というのが一般的な認識である。出身大学で区別すると国公立大卒が
総合職に、私立大学が一般職に、と大まかに区分しているが、やや単純すぎる解釈とみなせる。私立大学の中で
も優秀な女性は総合職に就いていること、一方名門の私大出であっても、最初から一般希望者がかなり存在して
いる、ということなので、それほど単純な区分ではないのである。蛇足になるかもしれないが、東大卒では一般職
がゼロであったことを付記しておこう。
一般職・・・金融業独特の職種のようですなぁ・・・。あれ要らないよなぁ・・・無駄の極みだよ・・・
制服まであるのが笑える。
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女女格差

男女間収入格差と支出格差 39ページグラフ
p39.jpg
女性の回想を議論する際には色々なアプローチがある。社会学者が具体的に数量化する時に、どのような
方法を取っているのか、簡単に述べておこう。
1.地位借用モデル 夫の学歴、職業、収入、そして夫婦で共有する資産を用いる方法で、基本的には夫の
状況で代表させる。
2.地位独立モデル 妻の学歴、職業、収入、そして、夫婦の共有資産を用いる。
3.地位分有モデル 夫と妻の教育・職業、収入の両者の平均、夫婦の共有資産を用いる。
4.地位優越モデル 夫と妻を比較して学歴、職業、収入において優位のある人で代表させる。
階層は5段階で、既婚女性が自己申告した階層を被説明変数とする。4つのモデルのうち、もっとも説明力が
弱いのは2の独立モデルである。すなわち、妻のステイタスを用いて、階層を説明することは不可能であるこ
とを意味しており、我々の直観に合致する。
残念だなぁ。自立した女性が如何に少ないかということを証明しているわけですね。
共学化と女子の名門校進出 
女子学生が名門校・難関校への進学比率を高めている事実を確認しておこう。日本の大学入試の最難関校
は東京大学なので、東大を調べることによって、それを象徴的に認識しておこう。
ページ92 グラフ
p92.jpg
女性の希望する結婚相手として、一言述べておく必要がある。一昔前では「三高」というのが、女性から見た
理想の男性像であった。身長、学歴、収入の3つが高い男性を望んでいた。最近になって「3C」という言葉が
流行になった。Comfortable(快適な)、Communicative(通じ合える)、Cooperative(協力的)の三頭文字である。
前者では見栄えや実入りが中心であるが、後者では相手の男性とうまく生活できることにウエイトが高い。で
も、両者とも経済力が重要であることを示しているので、男性P1の収入はいつの時代でも価値がある。
シンガポールの3C、Car、Condominiam、Credit Card。これに比べたら上品でいいですね。
結婚までの交際 P138 グラフ
p138.jpg
この調査では恋人と友人の定義が定かではないので、厳格なことは問わない。この図で驚くべきことは、男女
ともに交際相手無しと回答している未婚者が50%前後存在していることである。男女交際が自由になり、性行動
にも自由度が高くなった現代において、4割強の若者が異性と無縁の世界に生きているのは少し悲しい現実の
ように映る。
私の主観で、このグラフを見て面白いと思って注目するのは、比率の違いである。
男性と女性の数は大体等しい。日本では重婚は認められていないから未婚者の数も大体等しいはずである。
婚約者・恋人・友人のいずれにおいても女性が多いのは何故か?
仮説1:女性が虚栄心から嘘をついていることが多い。
仮説2:男が二人以上の女性に手を出しているケースが多い。
仮説3:”若者”と書いてあるので、母集団が若者に限定されており、年の差カップルは往々にして男が年上。
この仮説の方が悲しい現実だと思わないか??

女女格差 女女格差
橘木 俊詔

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燃えよ剣

飲み会の場で、「司馬遼太郎の歴史観について」というお題で4人中、私を除く3人全員でアツク議論していたことがあ
りました。
「不勉強なもので、話についていけず、今日は申し訳ありませんでした。私、個人的には、デリバティブや博打の話は人より
も得意だと思うのですが・・・、歴史も、車も、シンガポールのナイトスポットも、な~~~んにも語ることができません
ホントすいません。新撰組って名前しか知りません。酒飲み友達との高尚な歴史談義についていけず死にそうな顔をしてい
たら、友人の一人=文学少年な彼氏が、「読めよ」と快く貸してくれました。
そして、この本を読んだ理由はもう一つあります。以前から何度か当ブログに登場している文学少年な彼氏は、私とインド
の歴史について話していた時に、インドの歴史上の人物の名前をスラスラと数人挙げました。その記憶力の源泉は小説だ
と聞いていたからです。
「恥ずかしながら私は、マハトマ・ガンジー以外の人物を空で言うことができません。」
文学少年な彼曰く「俺は小説で読んでいるからなぁ。勉強熱心というわけではなくて漫画読むのと一緒だよ。でも小説化
した歴史を読むと登場人物に思い入れができるから、名前を覚えやすいのだよ
。」
攘夷、攘夷、ジョーイって何だっけ? 尊王攘夷論って社会の教科書に書いてあったような気がするけど、尊王と攘夷は
違うことのように書いてあるな・・・。
いい年して恥ずかしいことだと自認はしておりますが、私はこのレベルからのスタートなんです!! 
もっとも歳三が同村の女と情交りたくないのは理由があった。土百姓の女には、なんの情欲もおこらなかったのだ。
(女は身分だ)と考えていた。美醜ではない。それが歳三の信仰のようなものであった。自分より分際の高い女に対しては
慄えるような魅惑を感じた
。こういう性欲の型をもった男も少なかろう。
そんなことはありません。土方先生、いや、司馬先生の歴史観に、同意です。
でも、私がこう思っているなんて口が裂けても女性には言えないのです。
大政奉還 おーっ、これは覚えているぞ。小学校の時に習った気がする。意味分かってなかったが。
京都の幕兵、会津、桑名の兵に不穏の動きがあると知るや、慶喜はこれを避けるため、自分は京都からさっさと大阪城へ
引き上げてしまった。それまで「家康以来の英傑」といわれ、「慶喜あるかぎり幕府はなおつづくかもしれぬ」と薩長側がその
才腕を恐れていた徳川慶喜の変貌が、このときからはじまる。恭順、つまり時勢からの徹底的逃避が最後の将軍慶喜の
これ以後の人生であった。余談だが、慶喜はこの後、場所を転々としつつ逃避専一の生活を続け、彼がふたたび天皇に
ごあいさつとして拝謁したのは、なんと30年後の明治31年5月2日であった。かれは自分の居城であった旧江戸城に
「同候」し、天皇、皇后に拝謁した。明治天皇はかれに銀の花瓶一対と紅白のチリメン、銀杯一個を下賜された。政権を
返上して30年ぶりでもらった返礼というのは、たったこれだけであった。推して、慶喜の悲劇的半生を知るべきだろう。
小佐野賢治が言った「花瓶なんてもの必要ない」
甲鉄艦、旧幕府が米国に注文し、できたときは幕府瓦解の直後であり、米国側はこれを横浜港に浮かべ、
国際法の慣例により内乱が収まるまで走砲に渡せないと、どちらにも渡さなかった
「おおげさにいえば、あおのときあの甲鉄艦さえ手に入っておれば、北海道防衛はあの一艦で間に合うほどのものです」
とかつて榎本は北海道への航海中、歳三に語ったことがある。この艦はアメリカの南北戦争の最中に北軍の注文で建造
されたもので一艦をもって南軍艦隊を破りうるといわれたほどのものであった。が、できあがったときには南軍政府が降伏し
戦争が終わっていた。おりから幕府の軍艦買付け役人が渡米してこの新造艦を港内で見、ぜひゆずって欲しいということ
で話がついた。ところが横浜に入った時は、幕府がなくなっている。宿命的な軍艦と言っていい。
「来たよ」
「なにが来ました?」
お雪はかがんで長靴の片方をとりあげ、歳三に穿たしめようとした。
「敵がさ」
お雪は、息をとめた。が、その頭上で歳三が、手を嗅いだ。
「おぬしの匂いが残っている」
「ばか」




この前、飲みの席でのことだ・・・
私は歴史とか弱くてね・・・燃えよ剣も最近読んだばかりで・・・、ひじかたさいぞうの・・・
「ホントに読んだのですか? トシ、トシって近藤が呼んでいたでしょう?」
「・・・」
アルツ!! アルツのせいだ!! トシゾウだよトシゾウ!! 今思い出したよボケが。

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【フィクション系読み物】
2010.03.12: 探偵ガリレオ 東野圭吾
2009.11.23: 沈まぬ太陽
2009.10.16: 華麗なる投資一族 明るい家族計画
2009.10.09: 華麗なる一族 困った女と良い女
2008.08.27: 3人の文学少女
2008.08.20: 久しぶりに小説を
2008.05.08: サロメ
2008.05.07: 魂を賭けよう
2008.05.05: 懐かしの民明書房刊


香港領事

鈴木宗雄の外務省叩きの本を読んだばかりで、これを読むと、極めて冷めた目で読むことになります。
そんなバイアスがかかったものの感想として、読んでいただければ幸いです。
時は昭和38年、1963年の話なのでかなり古い。まだ日本円が固定相場制だった頃の話だ。
香港の第一印象は正直いって幻滅だった。これが何で”東洋の真珠”なのか疑いたくなる。なんて汚
くてゴチャゴチャした街なんだろうというものだった。まず匂いが鼻を刺す。干魚、鳥小屋の糞、ニンニク、
汐風、そして香水など色んな匂いのカクテル
だ。
幻滅するかどうかは主観だが、確かに香港ってなんか臭うんだよな。
香港とは一体どんな所だったのか概説しておこう。
香港は99ヵ年の租借条約による英国植民地だと思い込んでいる向きが多いが、それは誤りで、 29平方
マイルの香港島と対岸の3.75平方マイルの九龍市は実は英国の永久領土
なのである。香港は1842年
の阿片戦争の結果の南京条約で、九龍市は1860年のアロウ号事件で、それぞれ清国が英国に割譲し
た領土である。その他の九龍半島、新界地、そして235の付属島嶼が1898年7月1日の99ヵ年租借条約
で英国の植民地となった租借地
なのだ。位置は東京の南西約3000キロにあるフリーポートで、買物天国
グルメの楽園、1年の2/3は夏というモンスーン吹く亜熱帯。人口は364万2500人(中国人98%)。空の玄
関は新界地にある啓徳空港だけ。当時、海底トンネルはまだ一本もなく、香港島への交通はスターフェリ
ー(人間用)とカーフェリー。北の国境は九広鉄道の終点羅湖。その向こうが中国領の深圳で、当時はま
だ見渡す限りの水田地帯で水牛の姿が見られた。
うーん、古い。人口も少ない。
九龍城に潜入
警察庁出向の香港領事の大事な任務の一つは、麻薬密輸に関する情報を収集し、警察庁に通報するこ
とである。そもそも香港が99ヵ年租借の植民地となった発端は阿片戦争だった。香港といえば麻薬犯罪
の代名詞のようなもの。着任の前々年である昭和38年1年間の香港の麻薬押収量は、ヘロイン112.68
キロ、生阿片709.72キロ、精製阿片37.18キロ、モルヒネ155.73キロという桁違いの麻薬王国なのだ。
香港警察は1年間で11箇所の麻薬密造所を手入れし、年鑑1300件を検挙し、タイラム麻薬刑務所には
昭和39年で652名の麻薬犯人が服役しているが香港の麻薬犯罪は一向に減少しない。それはヘロイン
一包、0.2~0.3グラムが1.5~2香港ドル(90~120円)という廉さであることと英政庁にとって条約上治外
法権で手を出せない旧清国領土の九龍城という無法地帯
があって、根絶できないのだ。私は九龍城に
3回立ち入った。そこは東洋のカスパとよばれた犯罪の素であった。広さは日比谷公園の約半分の7万
6千平方メートル。外側はワンチャイ地区のぐらいの汚さだったが、奥に入るにつれ昼なお暗い。狭い迷
路で、下はどろどろ、ベトベト、食べ物の滓や排泄物が散乱し、みるからに病気持ちのような売春婦が
屯し、キセルで麻薬吸引している中毒患者が薄暗い土間にしゃがみこみ、悪臭が漂っている。麻薬は
ラオスの魔の三角地帯で栽培され、バンコック、マカオで精製され、香港に密輸される。
1966年頃、集中豪雨による大水害があるか思うと今度は異常渇水と英中関係悪化に伴う中国本土から
の送水停止
による4日に4時間の給水制限という地獄のような生活不便、九龍暴動、「血債」要求闘争、
外出禁止令に国境地帯での英中銃撃戦、そしてヴェトナム戦争と文化大革命の影響を受けた紅衛兵デ
モ、ゼネスト、暴動、爆弾闘争、さらには抜き打ちのポンドの平価切り下げなど、英国の香港統治を根底
からゆるがすような危急存亡の政情不安、経済パニックが次々と起こった。特に1967年の香港はさなが
ら危機の見本市展示場の観を呈したのだった。だが治安状態を意外と良かった。殺人は日本を100とす
ると31%、強盗が44%、恐喝は8%といった具合で、英国の香港統治は麻薬の密輸などは別として治安面
では厳正に行われていた。
マカオの惨劇
事件の発端は、タイパ島での北京系学校の無許可改築工事をタカ派のセルヴェイラ総督代理が腹を立
てて中止を命じたことだった。永年前任者ドス・サントス総督の宥和政策になじんできた北京系住民は、
まさかこんなことで咎めたてされようとは夢にも思っていなかったので、中国大陸にたれこめる文化大革
命の「造反有理」の暗雲に勇気付けられ、12月3日マカオ市内で政庁に対して講義でもを行った。それな
のにセルヴェイラ総督代理は装甲車と軍隊を出動させ、最近本国からきたばかりの不慣れなポルトガル
兵士は、興奮してデモ隊に向かって発砲してしまったのである。この過剰警備によりふだんはのどかな
マカオの町は阿鼻叫喚の修羅の巷と化し、没義道な銃火を浴びてデモ隊の半数は街路の石畳になぎ
倒され、死者8名、負傷者123名を出す惨事となった。マカオは英国が武力で奪った香港と違い、当時か
らすると約400年前ポルトガル艦隊司令長官レオネル・デ・ソウサが海賊退治の功により明王から褒美
として割譲をうけた純然たるポルトガル領のプロヴィンス(海外州)
である。
その後、ポルトガル側は中国側の要求を全面的に受諾し、カルヴァーリョ総督は勝ち誇って歓声を上げ
る数千の北京系住民の中を徒歩で歩かされて降伏文書に署名させられるという屈辱的な儀式を強いら
れるのである。事件責任者のセルヴェイラ大佐とフィゲレド警察長官は国外に逃亡した。こうして400年
に及ぶポルトガルのマカオ支配は実質的には終わり、実権は何賢(ホーイン)ら中共系住民指導者の手
に写った。1979年、西欧諸国のうち中国と国交の無い唯一の国だったポルトガルも北京を承認し、中華
人民共和国と国交を樹立した119番目の国となった。
中途半端なマカオのこの不思議な国際政治上の位置づけはマカオ事件から10年後の1987年に行われ
た中国とポルトガルの外交交渉の結果、「1999年に正式返還する」という共同声明で一応落ち着いて、
爾後は領有権はポルトガルにあるが、実効的支配権は中国にあり、その運用は中国共産党上層部、軍
部、官僚の賄賂などのブラックマネーをマカオ・マフィアの何賢(ホーイン)がカジノでマネー・ロンダリング
をして一定の手数料をとるという東洋のラスベガスの役割
を果たしてきた。
1967年香港暴動 第七艦隊も出撃
香港政庁は、公共事業関連労働組合の反英ゼネスト参加者全員1万2000名を事前に警告した通りに解
雇し、ストを煽った北京系三紙を発禁処分にし、責任者を逮捕した上、軍警協力してヘリコプターまで動
因して文革派の拠点つぶしを開始し、実に1272箇所の強制捜査を敢行した。面白いのは12000名を解雇
した直後、悔い改めた者は再採用すると布告して、大多数を復職させたが、この辺が英国の植民地統治
のうまさななのだ。さらに英国政府はシンガポールから英海軍のコマンド空母「ブルワーク」(27300トン、
ヘリ20機、コマンド部隊900名搭載)と地中海から正規空母「ハーミス」(27500トン)と補助艦艇5隻の艦隊
を香港に回航し、さらにオーストラリア海軍の巡洋艦までやってきてヴィクトリア湾内に停泊するなど、断
じて一歩も引かない固い決意を表明した。アメリカ第七艦隊も空母「コンステレイション」や旗艦のミサイル
重巡洋艦「オクラホマ・シティ」を入港させて、友邦英国を支援する断乎たる姿勢を示し、公然とR&R (休暇
上陸)を続けて英政庁を応援した。いざ危急存亡の事態になった時のアングロサクソンの国際的団結力の
固さを見せつけられた思いだった。
「香港は天国だ。難をいえば家賃が高いことだ」という先輩たちの言葉も逆さになった。家賃が下がり始め
たのである。月額1080香港ドルで2年契約したばかりのコートウォールのフラットは850香港ドルになった。
香港進出の日本企業各社はパニック状態といって過言でなかった。人民解放軍や紅衛兵がきたら略奪さ
れるかもしれない厖大な在庫商品をどうする? こういう騒ぎの中、伊藤忠の鶴屋支店長は「私は対応方
針、もう決めてあるから騒がないの」とニコニコしている。
「香港の伊藤忠の全資産を資産目録にして中国語で二通、書類をつくってあってね、社員たちには略奪に
あっても財産守ろうとして抵抗してはいけない。彼らのしたい放題させておけといいつけてあるんです。怪
我をしたり殺されたりしたらいけないからね。それで進駐してきた人民解放軍の一番偉い奴のところに面
会しに行って、二通りの書類にお確かめの上署名してくださいという。司令官の署名さえもらったら、あと
は5年後、10年後、騒ぎが鎮まったところで北京と返還なり、損害賠償の交渉をするんです。」
後年米側が公表したヴェトナム戦争の総決算はそれがいかに悲惨で莫大なエネルギーの浪費であった
かを如実に物語っている。
1961年以降の戦死傷者数 <米軍> 戦死56,096名、<南越>戦死160,375名、<北越>戦死911,499名
投下爆弾量(1965~72年) 755万トン (第二次大戦 206万トン、太平洋戦争16万トン、朝鮮戦争63万トン)
米空軍機(被撃墜) 有翼機3695機、ヘリ4783機、(地上撃破) 有翼機2048機、ヘリ202機
米軍戦費 一次大戦(1年半)260億ドル、第二次大戦(3年8ヶ月)3410億ドル、朝鮮戦争(3年)170億ドル
ヴェトナム戦争(7年)1332億ドル(日本の当時の国家予算1790億ドル)

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宮崎勤事件 塗りつぶされたシナリオ

警察は保険金殺人の線を追っていた
事件当初はむしろ、4つの事件を同一犯の仕業だと考えていた捜査員は少なかったと言っていい。埼玉県警の狭山、飯能、川越各署、そして警視庁の深川署と所轄署がバラバラなうえ、かなり広域にわたっていたことで、警察署間の横の連
絡が不十分であったことが影響しなかったといえば、嘘になる。
被害者の周辺捜査にかなり時間を割かれたことは確かだ。被害者や遺族の名誉のために詳しいことは言えないが、被害
者や兄弟などの中に、放浪癖や素行不良といった側面が見られたことに加え、家庭内のトラブルや周辺との人間関係な
どに問題がなきにもあらずだった。保険金殺人の線を追って、連日、被害者周辺の人物を取り調べていた署もあった。
彼の逮捕は、八王子事件でたまたま被害者の父親に見つかり、怒りの鉄拳を見舞われ、散々説教された挙句、通報で
駆けつけた八王子署員に引き渡されただけであり、言わば偶然の逮捕に過ぎなかった。別の言い方をすれば宮崎被告が
逮捕後の取調べで、一連の犯行を自供したからこそ、事件は解決するに至った。
逮捕当初は物証も少なく、供述も曖昧だったので、取調べや捜査の時間を稼がなければならなかった。それにはマスコミ
や世論を巻き込んで、「宮崎は怪しからん奴。あの残虐な犯行は許せない」と思わせることが第一と考えた。その第一弾
は、被害者に同情する世論を利用した被害者の神聖化だ。逮捕後におマスコミ向けに配布することが多い被疑者写真
をこの事件に限ってなかなか出さず、代わりに学校関係者らに密かに働きかけて、マスコミから要請があったら、高校時代の
写真を流すように手配
した。その写真というのが、いかにも真面目で神経質かつ理屈っぽそうな感じがするもの。その後、
マスコミを焦らしに焦らした末に、現在の色白でニヤけた、いかにもオタクっぽい写真を出したんで、人々はその”使用前 
使用後”のような違いに驚き、ショックを受けて、誰もが宮崎のことを危ない奴と思ったはずだ。そして最後が宮崎の部屋の
写真なんだ。日頃の交流を通じて、マスコミの幹部たち、特に現場を指揮するデスクやキャップクラスの思考回路は十分に
把握していたつもりだ。新しモノ好き、さらに自分たちが経験した時代感覚にマッチした”わかりやすい事件”を好む傾向を
持っていることを熟知していた。こうしたマスコミに対する分析と対策はデスク、記者、カメラマン・・・、と担当別、年代別に詳
細に行われていた。例えば、デスククラスの場合、年代別に見ると何と言ってもフロイトだし、数々の古典的な映画や芝居、
小説だろう。宮崎の部屋を見て、彼らが真っ先に連想したのは「胎内回帰願望」という言葉だったに違いない。そして虚構
の世界に逃避した挙句、虚構と現実の境目がわからなくなり、倒錯していく男・・・という筋書きは、映画や小説で何度と
無く使われてきた”お馴染みの題材”である。何とわかりやすい犯人像、そして絵に描いたようなストーリーだろう。でも誰も
そのわかりやすさに疑問を抱かない。だからこそ、それが大事なんだ。
宮崎被告は75年4月、町立五日市中学に進学したが、中学時代も相変わらず”独りぼっち”だったようである。
「中学時代は男同士で女の子のことを『あの子は可愛い』とか『俺の好みだ』などと言うでしょう。宮崎とはそんな話をしたこ
とがなかったし、少々エッチな話をしても全く乗ってこない」
「将棋は結構強かったけど、たまに負けると顔を歪めるようにして、ものすごく悔しがったのを覚えている。書店に行って、将
棋の本をどっさり買い込み、腕を磨いてから必ず、再挑戦してくるなど負けず嫌いだった。」
「トランプが好きでよく一緒に遊んだが、負けず嫌いで自分が勝つことしか考えない。夢中になるあまり、目が据わってゲー
ムを楽しむことができないんだ。」
誰の話? 俺? 違うか・・・
捜査本部は宮崎被告の部屋から段ボール箱で140箱分、計5793本のビデオテープを押収。とにかく、ビデオに何が
映っているかを確認するため、ビデオの再生見分を行ったが、これが述べ74人の捜査員と50台のビデオデッキを投入し
たにもかかわらず、何と二週間もかかってしまったのだ。だが、そうした捜査員の努力が実って、再生見分を始めて、5日
後に、宮崎被告が被害者の遺体を撮影した問題の箇所が、21分30秒間移っていることを突き止めた。
モノホンのビデオマニアからの批判
「宮崎は我々が言う”完録マニア”。つまり人気番組を一本だけでは済まず、初回から最終回まですべて録画して集め
ないと気が済まないタイプ。それしか自慢できるものが無くて、いわば子供っぽいんだよ。」
「宮崎の部屋にあった4台のビデオデッキと大型のテレビモニターは新しいもので、古くからのビデオファンでないことは一目
瞭然だったし、本格的にビデオのダビングを刷るなら、誰もがつないだデッキやモニターを切り替えるセレクターを使うのに、
彼は持っていなかった。中途半端なビデオファンとの印象を持った」
「通しか知らないような作品を並べて、『俺はこんなものまで持っている』と自慢したいのだろうが、知識の浅さがモロに出て
いて滑稽だ。例えば≪少年ジェット役の土屋健がCMに出て『ウーヤーター』とやっていた≫と解説しているが、CMに出て
いたのは劇作家の鴻上尚史だそ。『大鉄人17』で≪佐藤ルミ役は、島田歌穂≫なんて大嘘を平気で書いている。この
手のミスはマニアとしては失格で、知ったかぶりもいい加減にしろと言いたい。」
悪魔のアナグラム
88年12月15日には、真理ちゃん宅に≪魔が居るわ≫と書いた葉書を郵送。
88年12月20日には絵梨香ちゃん宅にも≪絵梨香、かぜ、せき、のど、楽、死≫と記した葉書を送っている。
89年2月6日、真理ちゃん宅に遺骨入りの段ボール箱を置き、その段ボールの中に「真理」「遺骨」「焼」「証明」「鑑
定」の5つの言葉を書いた紙片を入れた。
「魔が居るわ」は、「入間川」をもじったものだ。
宮崎が被害者宅に送った紙片や手紙を分析した結果、実はそれらが暗号というか、パズルになっていることがわかった。
文字を並べ替えて違う意味の言葉にできるアナグラムというワード・パズルの一種でこれがまた、非常に精巧にできている。
「真理」「遺骨」「焼」「証明」「鑑定」をローマ字に直すとと「MARI、IKOTSU、YAKU、SHOUMEI、KANNTE
I」となる。それを並べ替えると「T MIYASAKI、HAKOTSUME、IENI、OKURU」となり、「T宮崎 箱詰め
家に送る」と読めると言うのである。また「焼」を「YAKI」と解釈すると、「MIYASAKI TSUTOMU HAKONI
IRE KIE」で、さらに「MIYASAKI TSUTOMU KIREINI HAKOE」とも読めると言う。最初は誰もが
“単なる偶然”だと思ったし、これだと「MIYAZAKI」を「MIYASAKI」に置き換えないと成立しないので首を捻る
人もいた。でも専門家に聞くと27文字のローマ字を任意で並べ替えて、宮崎勤のフルネームが出てくる確率は1兆分の
1以下だそうで、これは「当たりだ」と大騒ぎになったんだ。

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証券検査官Ⅱ インサイダー

早朝の兜町の裏通りは、濡れて黒ずんだアスファルトに水溜りを抱え、ダークスーツの一行の影を映している。緊張した
面持ちの12人の男たちが、村岡証券本店の社員通用口に詰め寄っていく。「金融監督庁検査部です!長官命令で立ち入
り検査に参りました。ドアを至急開けなければ、検査妨害と見なされる恐れがあります!」全国一斉に踏み込まなければ
ならない。検査着手の情報が電話で他店に洩れ、不正の証拠隠滅の時間を稼がせないようにするためだ。全国の検査
官の時計は正確な時報に合わせられている。金融監督庁は独自の地方組織を持たないので、遠隔地を担当するのは
大蔵省の各地方財務局となる。大蔵省からの分離以前と変わらない連携だ。
この本の筆者は大蔵省出身だから、自分自身を美化したいという意図を感じるぞ。
なんだか、国家権力振りかざす金融庁と、それにひれ伏す証券会社みたいな書き方してるなぁ~おい~!
ここで、俺が知ってる限りの話だが、面白い話をしよう。金融庁の監査が入る前に思わず吹きだす社内メールが来た
ことがあったぞ。細かい内容は忘れたが、「金融庁の職員に対し、きちんと対応すること。決して馬鹿にしないこと」
書いてあった。つまり、監査を受ける側の証券会社側の社員が金融庁職員に対し、「貴様ら証券業務のかけらもわか
ってねぇな。それで監査だと?チャンチャラおかしいわ。ボケがぁ!」という態度を取る者が後を絶たない
ゆえの注意メー
ルだったわけだ。それが俺の知ってる現実。間違ってるかな?
住民台帳制度と国民保険・年金制度が、個人の顔写真を持たないことと、公文書が住所に届くだけで信用する本人確認
の抜け道を調べ上げ、それらの盲点を複合的に突いていた。孤独な浮浪者・佐伯高志の死をひとり見届けると、直也は、
彼の国民健康保険証を手に入れて身分証明証として用い、薫証券赤坂支店と白百合銀行赤坂支店に佐伯名義の口座
を作った
。そればかりではない。佐伯に成りすますときは、長髪のウィッグに濃いサングラスと白い杖で容姿を変え、弱視
者を装うことで、素顔を晒すことなく、油断を誘う一方、詮索を阻む。佐伯名義のアパート賃貸契約時にも、「インターナショ
ナル・セツルメント・ファンド」という福祉関係の私設基金の代表者であると信じ込ませていた。
怖いわー。日本の身分証明って顔写真無いのあるからねぇ・・・。
「社内不倫ということですが、それぐらいの男じゃないと、営業なんかできませんからね。どっちが大切なんですか、営業
第三課長と女子社員一人と?」
圧倒的に女の方が多いんだ。管理する立場の営業部長が、それじゃ困るんだよ。社内不倫で潰れていった男を見たの
は一度や二度じゃない。成績が悪いと女が逃げるんだ。そういう男は不祥事を起こしやすい。これでも支店長経験者なん
だぞ。営業の第一線の辛さも厳しさも、それだけに生臭いとも、肌で知っているよ。」
営業の現場はねぇ、確かに元気の良い可愛い女の人多いよなぁ。俺も横浜の支店に研修に行ったなぁ。
可愛いあの子も、まだ務めてるとしたらかなりな熟練だが、果たして元気かなぁ?
個人と集団の力を比べたら、個人なんか勝てるわけ無いんだよ。集団の移行に逆らうやつは、昔から潰されると決まって
いる。たとえば、ソクラテスもイエスも殺されたわけだろ。孔子は長い放浪の果てに、任官の望みが潰えて死に、釈尊は弟
子を殺されて、乞食のような生活を送った。知っているか、釈尊は地べたで死んだんだぜ。釈迦族の王子だったら、華の天
蓋の下で死ねたのにな!
こういう人たちだわ、紀元前5世紀の都市国家アテナイでソクラテスを殺したのは。全盛期のアテナイでは貨幣経済が発達
し、植民地活動が行われ、ソフィストたちが裕福な青年たちに、弱い議論を強く見せかける術を、多額の謝礼をもらって教え
た。ソフィストの一人と思われたソクラテスは、道徳の根源を「ダイモニオンの声=内なる神」に求め、当時の驕った相対主
義の論破に挑んだ。それが反感を買い、異なる神を導入した罪で死刑を宣告されたのよ。
LDC(低開発国)アンタイドの場合は、円借款の供与条件は3種類ある。アンタイド、LDCアンタイド、タイド。アンタイドはどの
国の企業でも入札に参加できる。タイドは日本企業のみ。それを前提として供与をプレッジ(表明)して、イクスチェンジ・ノー
ト(交換公文)を締結する。欧米各国は自由競争の建前から、円借款のアンタイド比率の低さを批判する。本音は自国企業
が入札から締め出せれているからに過ぎない。タイドでは現地企業も除外されて、被供与国が難色を示す。だから円借款
はLDCアンタイドが多い。欧米にはタイドじゃないと言えて競争相手が現地企業だけなら、日本企業の落札は容易である。

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【楽しいオフィス】
2010.06.21: 上司に恵まれている男
2010.05.06: とても難しいImplied Volatilityの計算
2009.08.13: 食べ物の恨み ~兄弟愛の根源
2009.07.09: お昼休みの一時 ~Pietrasanta
2009.06.18: ケチたる所以
2009.06.12: 殿方に問う なぜ給湯室を利用しないの?
2009.05.22: 豹柄
2009.04.23: ウキウキする新人
2009.03.31: 新社会人の平均家賃額
2009.03.06: 電話におけるSpell確認方法
2008.08.28: Elevator Algorithm
2008.07.31: 体感時間 時差と経度
2008.06.13: 腐れ社員の功罪
2008.05.28: 腐れ社員の告白
2008.02.21: 頭良さそうな顔してる




闇権力の執行人 ~外交の重要性

アフリカ外交が重要な理由
アフリカ大陸には56の国がある。そのなかの48カ国がブラックアフリカと呼ばれる国々だが、文化面、スポーツ面での能力が
きわめて高い。今は国内が混乱しているために貧困に喘いでいるが、いずれ政治が安定してくれば大きな力を発揮するだろう。
また、原油や鉄鉱石といった天然資源も豊富なので、飛躍するための材料は揃っている。アフリカは無限の可能性を秘めた
地域だ。中国や韓国、その他の東南アジアの諸国に対して、日本は、拭いきれない「負の遺産」がある。先の戦争で残した
禍根はおいそれとは消えないだろう。もちろん、これから国同士の関係はどんどん良くなっていくとは思うが、どこかに拭いきれ
ない「しこり」のようなものを残してしまう。いっぽうで、欧米の国々はアフリカに対して「負の遺産」を持っている。かつて植民地
政策でアフリカを蹂躙した歴史は、日本が東南アジアに持つ「負の遺産」同様に重い意味を持っている。日本はアフリカに対
する植民地支配や戦争による「負の遺産」がないからアフリカの人々はわだかまりなく感謝してくれる。
北方領土返還に際し、外務省が犯した6つの過失
外務省幹部による「日本政府が四島一括返還に政策変換する」という内容のリークだ。二島先行方式による段階的な
解決策はとらず、四島が日本に帰属することを一括して確認することを目指す
ということは、2001年森・プーチン両首脳
による「イルクーツク声明」の路線から日本政府が離れると言うメッセージにほかならない。
2004年9月2日に行われた小泉総理による船上からの北方領土視察だ。現職総理として初めて海上保安庁の巡視
船から北方領土を視察したこの日は、「日本がソ連に対して無条件降伏文書にサインした日」だ。旧ソ連時代、スターリ
ン首相が全国民に向けてラジオ演説を行った。内容は「我々は40年前に日本から屈辱を受けた。今日その屈辱を晴ら
すことができた」というものだ。そのような日に日本の総理大臣が北方領土を視察すれば、ロシアの人たちの目にはどううつ
るのか。
同11月14日、ラブロフ外相が「日ソ共同宣言において、我々は日本に対して2つの南の島々を与え、それで終止符を
打つことに合意した。さまざまな要因でそれはその時実現されなかった。」この時のシグナルを解釈すると「日本が要求する
四島返還に応じることはできない。しかし、日ソ共同宣言で約束した二島引渡は最低限実行する。つまり『二島+アルフ
ァ』で平和条約交渉
ができないかというものだった。ところが、小泉総理からこの件に関するメッセージは何も出なかった。総
理を支えるべき外務官僚がプーチン大統領のシグナルを受け取ることができなかったからだ。そればかりか「愛知万博では
シベリアのマンモスが話題になっています。大統領もそのとき日本に来てくれませんか」などというピントの外れた発言をさせて
いる。
2005年2月7日、外務省には、北方領土の日にもなっているこの日にプーチン大統領の訪日を実現し、北方領土問
題を劇的に動かすと言う戦略があった。東京で開かれた北方領土返還要求全国大会とは別に、全国的な国民集会を
静岡県の下田で開こうとしていた。「島を返せ」といっている大会が開かれている最中に、ロシアの大統領がのこのこ出か
けていくとでも思ったのだろうか。ところで小泉総理は日ロ修好150周年の記念日である2月7日の全国大会を欠席した。
同2月10日、小泉総理は雪祭りイベントに出席した。領土問題という国家の最重要課題が絡んだ全国大会を、小泉総理は風
邪を理由に欠席した。ところがその3日後、酷寒厳寒の地・札幌に飛び、日が暮れた後、ライトアップされた雪像を堪能したと
いうわけだ。これをロシア側がどう見るだろうか。風邪の治りが早かったなどという説明が通用するとでもいうのか。
同5月9日、モスクワで開かれた「対独戦勝60周年式典」への対応だ。ロシアでは第二次世界大戦末期にドイツが連
合軍に対して降伏文章に調印した翌日の5月9日を戦勝記念日としてきた。この式典には日本を始め、アメリカ、ドイツ
フランス、中国、イタリアなど50カ国以上の首脳とアナン国連事務総長らが出席。当初、小泉総理はこの式典への参
加を見合わせる予定だった
のだが、各国首相が一堂に会する場に日本だけ参加しないとは、いったいどういう神経なのか。
その後、事態を重く見て参加することになるのだが、すべてロシアは見ている。日本がなぜバタバタしているのかを、つぶさに
分析しているはずだ。結局、こうした失態の積み重ねが国益を損なう大きな失敗となって返ってくるのだ。
【資源獲得競争】
2010.06.01: インド対パキスタン ~インドの核開発
2010.03.02: テロ・マネー ~血に染まったダイヤモンド
2009.12.04: アジア情勢を読む地図2
2009.06.26: プーチンのロシア2
2009.03.13: 裏支配
2009.01.29: 意外に重要、イランという国
2008.11.11: ユダヤが解ると世界が見えてくる
2008.10.15: 製造業至上主義的産業構造分析
2008.09.08: いい女発見!
2008.06.19: 原油先物の取引高
2008.04.29: 世界の食糧自給率


闇権力の執行人 ~対検察

検察が描くシナリオ
日歯連事件についての検察の不可解な捜査がある。「一億円献金隠しで政治資金規正法違反の罪を問われた派閥の会
計責任者は、橋本龍太郎氏から『はいこれ。日歯からです。』と小切手を渡されたと説明している」ことを根拠にして橋本総
理を一方的に悪いと決め付けていることだ。私が問題にしているのは会計責任者の滝川氏が、拘置所の独房の中という特
殊な状況の中で行った供述がすべて正しいとどうしていえるのかということだ。普通の神経を持った人間ならおかしくなって当
然の状況であることは437日間も勾留されていた私が一番よく知っている
。外に出るために誰もが検察のシナリオに迎合し
てしまうのだ。夏は40度近くにもなる拘置所の独房は、風もろくに入ってこない4畳の密室だ。私もその圧迫感に、当初は
精神に異常をきたすのではないかと思った。こんな状況で朝から晩まで取り調べられれば、一日も早く外に出たいと思い、検
察の狙っているシナリオ通りに供述してしまうのが普通だ。これに耐えるためには超人的な精神力が必要になる。自分が捕ま
って初めて知ったことだが、検事調書というものは裁判で万能の力を持つ。だから検事は全力をあげて自分たちに都合のいい
調書を作り、それにサインさせようとする。滝川氏もまた、その検察のシナリオに沿った供述を強要されただけだ。そんな供述を
根拠にして捜査が進む恐ろしさは、私は身に沁みて経験している。
三井物産ディーゼル発電施設疑惑
択捉、国後、色丹の各島に日本が供与したディーゼル発電施設を私が無理やり造らせたというものだった。しかも、80億円
で正式に受注した三井物産との間で密約を交わし、口利きの見返りとしてリベートを受け取ったと言うのだ。このプロジェクト
は、1998年4月の橋本・エリツィンの日露首脳会談で決まった。私が関与する余地などまったくなかった。一時期検察は
私が自民党の総務局長だった時期に、私の口利きで三井物産が党に献金したという話を作ろうとした。これも根拠がない。
そもそも自民党は大手総合商社から長年にわたって政治献金を受けている。もちろん三井物産も例外ではない。それぞれ
の企業の献金額は毎年決まっており、1994年から三井物産と三菱商事は8600万円、住友商事、丸紅、伊藤忠は
6500万円だ。疑惑をもたれた時期、私は自民党の総務局長で党の要職についているのだから何かあるだろうというわけだ。
しかし、総務局長は選挙対策を担当するポストであって、政治献金の窓口は経理局長である。私と三井物産は金銭的な
付き合いが一切ないうえに、党内のポストから考えても私と三井物産のつながりはなかった。しかも、このディーゼル発電プロ
ジェクトが始まる前も後も、まったく同額の政治献金がなされているので、「この政治献金は便宜を図ってもらった見返りだ」
というのはどう考えても無理がある。
国策捜査を阻止するために
国策捜査というと官邸から特別な指示が出て検察が動くと考えがちだが、じつはそうではない。もちろん、官邸を含めたあらゆ
る組織は、それぞれ思惑を持って動いている。そして、現実には新聞記者などを通じて自分たちの考えを相互に伝達しようと
するのだ。また、そこには検察が世論や政治の動きに過敏になっているという事情も関係している。世論や政治の動きに過敏
になっている原因は、捜査能力が低下しているからだ。操作能力が高ければ、なにも世論に迎合して流れを作る必要などな
い。しかもポピュリズムを前面に押し出す小泉政権になって、世論の意向=官邸の意向になってしまったので、よりいっそう世
論を気にするようになった
のである。私へのさまざまな圧力が頂点に達したころ、最後に検察の背中を押したのは官邸だった。
小泉政権の官房長官だった福田康夫氏は、担当記者を集めて行うオフレコの懇談会、通称「記者懇」で「鈴木宗男の捜査
はドンドンやったほうがいいな」「鈴木宗男が逮捕されても政権に影響はない」などと発言し、新聞各紙は間髪入れずこれに
同調した。この発言をきっかけにして、検察は動きを急速に早めた。検察といえども行政機関の一つだ。官房長官は事実上、
政権のナンバー2だ。その人が懇談で発するメッセージを検察が「鈴木宗男を逮捕しろという官邸のシグナル」と受け止めるの
は当然だ。こうして権力を背景に、特定の意図=「鈴木宗男の逮捕ありき」を持った捜査-国策捜査が始まったのだ。
司法記者クラブに所属する特装担当記者が検察から情報を手に入れるのは、ジャーナリストとして当然の行為だろう。いっぽ
う疑惑の渦中にある鈴木宗男に取材するのも至極まっとうなことである。ところが、私から聞いた話を一行も書かず、それを検
察に伝える記者が非常に多く居たのである。私の話を伝え、その見返りに、検察から別の情報を耳打ちさせる - こうした
一種の交換条件が成立していたことは容易に想像が付く。これでは捜査機関の手足に過ぎないではないか。これは個々の
取材記者に帰する問題ではなく、記者クラブ制度を含むシステムに根本的な原因がある

私は一つの考えを持っている。それは検察とメディアを切り離すことである。そのためには、まずメディアの側は記者クラブ制度
を手放すことだ。取材するスペースを与えられ、さまざまな便宜を受けると言うことは、いつの間にか権力の手先になることを
意味する。また検察に対しては捜査員の陣容を大きくするために予算を手厚くすべきだと考えている。30人の特装検事で
できることには限界があるし、無理にやろうとするからメディアを手足に使ってしまうのだ。メディアを捜査機関の下請けにする
ことを即刻やめなければならない。
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闇権力の執行人 ~外務省とスキャンダル

武装ゲリラとノンキャリア
1999年8月、中央アジアのキルギス共和国で、イスラム武装勢力に日本人技師4人が拉致されるという事件が起きた。
2ヵ月後の10月25日に人質は無事解放されたが、私は小渕内閣の官房副長官として、事件の舞台裏をつぶさに知る立
場にあった。当時注目されていたのは、人質解放のために身代金が支払われたのではないか、という点だった。政府は身代金
支払いを否定していたが、現実には300万ドルを支払っていた
のだ。しかし、その金はゲリラには渡っていない。そもそも政府
は支払う必要の無い金を出していたのだが、それだけではなく。じつは外務官僚がその金の一部を使い込んでいた、という疑
いがあるのだ。では、300万ドルはどこに消えたか。2005年3月にキルギス共和国で政変があった。アカエフ大統領はロシ
アに亡命し、その後、アカエフ大統領の不正蓄財が次々と明らかになっていった。1990年にアカエフが初代大統領に就任
したとき、外務省は「民主化の優等生」「中央アジアのスイス」とキルギス共和国を宣伝した。そして円借款と無償援助で約
350億円ものODAを出してきたのだが、その金がアカエフ大統領の不正蓄財につながった。人質解放のための身代金300
万ドルもアカエフ大統領とその周辺が着服したと私は見ている。05年3月に起きたキルギスにおけるクーデターに対して、ロシ
ア政府はいち早く「キルギス内政に干渉しない」という声明を発表して静観した。ところが日本だけは異様な対応をして国際
社会から疑問の声を投げかけられた。というのもキルギスの独裁者と非難されようになったアカエフ大統領がロシアに逃げ出す
直前に、日本の角崎利夫大使だけが大統領の山荘に出向いて30分間会談していたからだ。角崎氏はカザフスタン大使
兼キルギス大使で普段はカザフスタンのアスタナに駐在しているが、このときはなぜかキルギスに出張していた。海外でクーデタ
ーがあった場合、大使が動くと言うことはその国に対する姿勢を示す。だからどの国も大使の動きには慎重になる。角崎大使
がアカエフ大統領に会った理由は2つ考えられる。一つは外務省ならびに角崎氏が国際常識を知らなかったから。もう一つは
大統領に会わなければならない理由があったから
。前者の理由ではないはずだ。外務官僚はいくらなんでもそれほどレベルが
低くはない。ということは、何らかの理由で大統領に会わなければならなかったわけだ。その理由は何か。ODAの不正蓄財や
人質事件での身代金にかかわる話をしたのか。角崎大使はこの疑問に答える義務があるだろう。
「スクール」が隠すスキャンダル
外務省にはいわゆる学閥と言うものは存在しない。その代わり、専攻した語学による「スクール」というグループが存在する
スクールには、アメリカンスクール、ロシアンスクール、チャイナスクールなどがあり、それぞれ所属する部署の壁を越えて結束し
ているのだ。外務省には学閥は無いとしたが、じつは例外がふたつだけある。一つは「如水会」という一橋大学グループだ。
そしてもう一つの学閥は創価大学閥である。より正確に言うと、このグループは創価大学出身者だけでなく、創価学会員も
含まれている。榎泰邦中インド大使が外務省内の創価学会員組織「大鳳会」の頂点に君臨している。外務省の大きな
問題点は語学スクールの存在から生まれている。スキャンダルなど何か問題が起きた時に、それぞれのスクール内でかばい
合ってしまい、「人事は公明正大」「信賞必罰」とならない仕組みになっているわけだ。
 1997年2月ある週刊誌が「外務省高官の『二億円』着服疑惑の特集記事を大きく報じた。外務省の若手課長の中
でもエース格で、将来事務次官候補とみられている総合外交政策局のS課長が外務省の外交機密費を着服した、とい
うものだった。この疑惑がその後、2001年外務省要人外国訪問支援室・松尾克俊室長による外交機密費流用事件を
引き起こし、外務省を大きく揺るがすことになるとは、誰も考えていなかった。ここで明らかにしよう。S課長とは杉山晋輔中東
アフリカ局参事官(現同局審議官)である。1953年生まれ、早稲田大学在学中に外交官試験に合格し、1977年に
外務省に入省後、駐米大使館一等書記官、経済局国際エネルギー課企画官、事務次官秘書官を経て現職についてい
る。キャリア官僚である杉山氏が外務省機密費を私的に流用していたと言われる時期は1993年8月から1995年1月
までの1年6ヶ月の間だった。当時の事務次官は斉藤邦彦元駐米大使。「外務省のドン」として今も絶大な権力を振るっ
ている人物である。杉山氏は斉藤次官に寵愛され、東大出身者が主流の外務官僚に会って「私立大学出身者初の事務
次官」
という見方も出てきた。また早稲田大学出身の小渕総理が早大出身者を重用したことや、杉山氏の父親が国際法
の権威である杉山茂雄元法政大学教授だったことも省内の力関係に大きく影響していたと考えられる。
 外務省機密費とは、正式には報償費と呼ばれる予算で、主として外交工作や情報収集活動のために使われる。予算規
模は毎年50億円以上で、財政会計法上の特例措置として会計検査院の検査がなく、請求書や領収書の提出義務も
ない。名目さえ立てば使いたい放題の資金だ。1997年度の予算は約56億円で内訳は出先の在外公館への割当が約
36億5000万円、本省分が約19億2000万円だった。このカネを使う時は、在外公館では大使決済、本省は課長枠
局長枠などが決められていて杉山氏は事務次官枠で引き出していた。外交機密日は外交を円滑に進める上で必要だと思
っている。しかし、だからこそカネを使う側の外務官僚には高いモラルが求められる。
あれ? 外務省には学閥がねぇって言ってなかったか?? モロに学閥のような・・・。
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闇権力の執行人 ~逮捕と疑惑

メディアバッシング
私を取り巻く環境が一変したきっかけは、いわゆる「NGO問題」だった。私の圧力で2002年1月に行われたアフガン復興支
援東京会議に二つのNGO(非政府組織)が参加できなくなったと言う具枠だった。この2つのNGOは大西健丞氏がそれぞ
れ代表・常務理事を務める「ジャパン・プラットフォーム」と「ピースウィンズ・ジャパン」だ。NGOに対する費用は「草の根無償資
金」という予算が充てられる。しかし、これはおかしな話だ。「草の根無償資金」は「海外でかかる費用に対する予算」という条
件がついていたからである。その資金を国内で開催されるアフガン復興支援NGO国際会議に使うと言うのでは本来の趣旨に
反してしま
う。予算の流用になる。状況によっては背任で告発されるかもしれない。外務省は頭を抱えたようだ。外務省は、
すでに大西氏をはじめ、この会議に出席する予定のNGOに対して予算支出を約束していたからだ。私の指摘で約束を反故
にすると外務省は大西氏から文句をつけられることになる。ここで外務省が考えたのは、「鈴木宗男が反対しているから予算か
らカネを出せなくなった」という筋書きにして、「鈴木宗男vs大西健丞」という対立の図式をつくることだった。
外交の世界にNGOはなくてはならない存在だ。なぜなら政府や民間から独立した組織でなければ、複雑に絡み合った利害
関係のなかで有効な支援活動ができないことがあるからだ。カネの問題は重要かつデリケートである。カネは出すが口は出さな
いということはありえない。とくに政府は甘い組織ではない。カネを出すことを通じて、徐々にNGOを支配していこうとする。日本
の場合は外務省や財務省といった行政機関が絡み、一部のNGOはいわば「政府丸抱え」の状態にあるため、自由な活動が
制限されている。このようなNGOは「Non-Governmental-Organization」の態をなしていないのである。
ムネオハウスの真実
ムナオハウスの疑惑とは、北方領土に建設する「友好の家」というプレハブは北海道道東の業者を指名するように私が圧力を
かけた
というものだった。北方四島のロシア人が「ムネオハウス」などという英語名をつけるはずがない。かなり以前の話だが、
「現地には『ムネオハウス』と呼ばれる建物があり、鈴木氏の名前はかなり浸透している」という文脈で日本の新聞記者が命名
したわけだ。当時のモスクワは経済破綻の影響で北方四島に対して経済的なサポートが全くできない状況だった。地震を含め
た災害支援はおろか、日々の生活必需品すら満足に用意できなかった。「友好の家」の建物は、ビザなし訪問で滞在する日
本人が宿泊するための施設だった。しかし、あえて飯場のようなプレハブにした。北方四島についての日本の公式的な立場は、
「ロシアが不法占拠している」ということになる。したがって、基礎工事のある建築物を造ってしまうとロシアの不法占拠を助長す
ることになりかねない。いつでも撤収できるものにするというのが建前だ。ところが、日本のプレハブはかなり頑丈にできているので
ロシアの住宅などよりもよほどしっかりしている。しかし、「友好の家」は原則としてロシア人は使えないことになっている。日本から
ビザなし訪問団が訪れた時の宿泊施設という名目があるためだ。一方で、「友好の家」にはもう一つの目的があった。「北方領
土が日本に返還されると、こんな素晴らしい建物がたくさん建ちます」という地元の方々へのアナウンス効果を狙っていた。日本
基準では飯場でも、北方四島では最高の建造物だ。しかし当時そんな戦略で「友好の家」を建てているのだとロシア側に知
れたら、「ならばいりません」と門を閉められてしまう。人知れず、徐々に依存させていくというのが日本の国家戦略だった。使え
ないが、立派な建物を見ていると、早く島が日本に返還されて、このような施設を使いたいと言う気持ちがロシア人の間で広が
るという計算もあった。事実、そのような声も出てきた。
 三井物産ディーゼル発電疑惑や、「ムネオハウス」疑惑で指摘された北方領土への支援事業に対する費用は、「ロシア支援
委員会」の予算から出されていた。成り立ちは1993年、渡辺美智雄外相とコズィレフ・ロシア外相との日露外相会談での
合意だった。支援委員会は国際機関だが、委員にロシア側の人間は入っておらず、実質的には外務省欧亜局ロシア支援室
が実権を握っていた。支援委員会が使う金は全額日本政府が拠出し、100億円の予算がつくこともあった。予算は倉井高
志氏が室長の時にもっとも膨れ上がった。国後島の発電所の件では、倉井氏から「私のほうでゼーマ南クリル地区長(国後・
択捉の責任者)に根回ししておきました。ゼーマから『発電所を作ってください』といわせますので、鈴木大臣、受けてください」
支援事業でこんなことをいわれたのは初めてだったので驚いた。現地からの要望ではなく、倉井氏の意思が強く働いていたのだ。
「友好の家」の建設については、おかしなことがあった。支援室権限で日揮という会社に内密で発注を決めていたのだ。この会
社は外務省OBが天下りしている会社だった。そもそも外務省と根室市・北方領土隣接地域との間で、支援事業については
地元業者を使うという取り決めしていた。そのために「友好の家」は地元の犬飼工務店と渡辺建設工業が手がけることに決ま
ったのだ
。しかし、それは形ばかりのものだった。「友好の家」を建てる資材を地元の業者はすぐに用意できない。そこで、日揮に
やらせるように事前に仕組んでいたのである。こうした「丸投げ」は国内の公共事業なら違法だが、支援委員会には国内法が
適用されない。法の隙間を十分認識し
た上で倉井氏は仕事を進めたはずだ。このことが発覚した後も、倉井氏は日揮にきち
んとした処分をしなかった。倉井氏と日揮との間にどんな密約があったかはわからないが、彼は支援委員会を間違いなく私物
化していた。
北方領土への訪問は「ビザなし交流」という特殊な形態をとっている。パスポートやビザを持って訪れるということは、そこが外国
であることを認めることになるから日本は呑めない。妥協の産物として生まれたのが、この形態だった。しかし、そこで渡航用に
顔写真を貼ったパスポート代わりの「身分証明書」やビザ代わりの「挿入紙」というものを作った。日本側の理解ではパスポー
トやビザではないが、ロシア側の理解ではそれがパスポート・ビザに当たるという形を整えた。また、税関の記録をロシアから求め
られ提出すると、ロシアの管轄に服してしまうので、日本としては受け入れられない。そこで、税関の記録と全く同じものを「携
行品リスト」として自主的にこちら側から提出することにした。
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闇権力の執行人 ~外交官特権

不正蓄財組織「ルーブル委員会」
大使館員は外交特権を利用して免税で高級車を安く買い、しばらくしてモスクワ駐在のアフリカや中東の外交官に売って
大量のルーブルを作る。ソ連では車は貴重品だったことから、中古車でも買値以上の値段で売ることができた。しかし、ル
ーブルはドル、クローナ、円などの外貨に交換できない。そこで、売却代金はルーブル委員会に集められ、闇レートによって
取引され、クローナに換えられる。大使館員の給料はクローナで支給されていた関係で全員ストックホルムの銀行に口座を
持っていた。そして、ルーブル委員会の手を経て、このストックホルムの口座に車の売却代金がクローナで振り込まれるという
わけだ。最大の問題点は、そこに集められた金が元を正すと旧ソ連時代の秘密警察KGB(国家保安委員会)の資金だ
ったということだ。第一の流れはKGBがモスクワでばらまくルーブルで、旧ソ連時代KGBは友好国であるアフリカや中近東の
外交官に資金援助するため、秘密裏に工作資金から大量のルーブルを渡していました。当時、ルーブルは厳重に国家管
理されていたため、金の受け渡しは基本的に外交特権のあるモスクワの日本大使館内で行われていた。第二の流れは、
KGBが外貨を入手するために西側で調達する闇ルーブルで、その舞台となったのがウィーンにあるシュテファン寺院の横に
ある銀行である。この銀行ではルーブル以外に旧東ドイツのマルクも扱っており、ここで売られていたルーブルは市価の1/4
~1/5だったのでアフリカや中東の外交官はここで安いルーブルに換えて外交行嚢に入れ、外交特権を使ってモスクワに密
した。この安いルーブルを使ってモスクワで車を買い、その車を西側に持ち出して売り飛ばして利益を懐に入れるという手
口である。このときにモスクワで車を売っていたのが日本の外交官で、日本の大使館はアフリカの外交官に免税で安く買っ
た車を売ることでルーブルを手に入れるが、この時のレートは公定レートのおよそ1/2から1/3。アフリカの外交官より儲け
は少ないが、外交官同士の取引なら不正はばれないだろうという安心感でやっていたようだ。
ここでなぜクローナなのかという疑問が生まれる。実は北欧は物価が高いために、日本に給料の申請をするときに水増しで
きる
という事情がある。しかもスウェーデンの消費税は28%である。本省から消費税込みの支給を受けるが、外交官特権
があるから非課税になり、28%はそっくり利益になるというわけだ。ところがある時期からクローナは「うま味」がなくなってきた
ようで、今は舞台をドイツのデュッセルドルフに代えている。デュッセルドルフに移したのはEUの共通通貨ユーロがスタートし
たためだろう。ユーロを使っていないスウェーデンより全般的に物価高になり、「うま味」が生まれたということに違いない。
うーん、セコイ! でも役所だけじゃなくて、世間によくいるな。こういう典型的な雇われ人。
住宅手当は290万円
2005年度の公使クラスの月額住居手当限度額は、ロシア114万455円、中国113万8500円である。平均的な
給料が1~3万円という国でなぜ110万円以上の家賃が必要なのか。在外職員に支払う年間の住居手当の予算は81
億5000万円で一人当たりの平均支給額は約290万円にものぼる。さらに驚くべきことに全ての手当てが非課税という。
問題の住居手当はもちろんのこと、在勤基本手当、子女教育手当、館長代理手当、特殊言語手当、研修員手当・・・
外務官僚が「在外公館に2-3年勤務すれば家が建つ」といわれるのはここにカラクリがあるのだ。
月20万円++だろ? シンガポールだとそれほど罪じゃないな。ま、もっと高いところだと思うがね。
在外公館派遣制度という究極の無駄
外務省の外郭団体、社団法人・国際交流サービス協会が行っている「外務省在外公館派遣員制度」、いわゆる「派遣員」
制度だ。月給でだいたい40万円くらいだという。ではこれに応募した人たちは実際にどんな仕事をするのか。要するに「汚い
仕事」である。「在外公館に出張等で来るお客様の側面支援。会議・市内視察等への随行、案内、アレンジ等が含まれま
す」というのが曲者で、買い物の案内や夜の接待に付き合うのも重要な仕事になる。
日本の闇権力は、国民の目から完全に隠されている。選挙という国民の審判がなされない人々によって形成されているから
だ。政治家ならば「闇権力」を執行し、国益を損なったという烙印を押されれば、選挙の洗礼を受けて表舞台から引きずり下
ろされる。しかしいま日本を支配している「闇権力の執行人」は決して責任を問われることがない。そこでは官僚が大きな役
割を果たしている。日本の社会が抱えるさまざまな問題の本質はこの一点に尽きるといっても過言ではないだろう。

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ドイツの傑作兵器・駄作兵器 ~開発体制

究極の兵器 世界制覇の野望をいだく ドイツの原子爆弾研究
自然界に存在する放射性元素のひとつであるウランをピッチブレンド(瀝青ウラン鉱)の中から発見したのは、ドイツ人のクラプロ
ートという人物で時は1789年のことだった
。時は移り第二次欧州大戦直前の1938年になってウラン235の核分裂を発見し
たのはドイツ物理学会のリーダーでありカイザー・ヴィルヘルム研究所の理事で、後にノーベル賞を受賞するオットーハーン博
士と同じ著名な物理学者フリードリッヒ・シュトラスマン博士だった。大戦2年目、ドイツ軍がロシアの冬将軍にてこずり始めた
1941年になると、兵器局は原子炉の建造によってウラン爆弾の製造が可能ではないかと考え始め、各種の実験を進めること
となった。だが原子炉があったとしてもその先には未知の実験領域があり、その実現は遥か彼方のことと思われていたのであ
る。他方、実験用の原子炉についてドイツの科学者たちは、占領地ノルウェーのリュウカンで合成アンモニア製造の過程から生
産される重水が入手可能だったため、重水を中性子の減速材として用いる原子炉建造を考えた
のである。この間、5つ以上の
研究組織で、それぞれが異なる理論と方式によって原子炉プロジェクトが進展していた。だが、それぞれの組織は秘密の壁に
阻まれて進展状況や結果を知ることができず統一した研究がなされなかった。まもなく原子力研究はハイゼンベルグの
率いるヴィルヘルム・カイザー研究所と陸軍兵器局に所属する研究所に集約されていき、ハイゼンベルグは原子力開発組織
の中でもっとも指導的な役割を果たした。実験計画ではハイゼンベルグと数名の科学者が開発の方向性を決定していたが、
そのテンポは非常にゆっくりとしたものだった。これは科学者たちがヒトラーがたくらむ世界制覇の夢の実現へ、未知の恐るべ
きテクノロジーと兵器をもって手を貸すことに科学者の両親としてのためらいがあったからだといわれている。
恐るべき神経ガス ドイツの化学・生物兵器
ドイツが初めて化学戦を戦ったのは第一次大戦中の1915年2月のことで、ポーランド戦場のロシア軍に対して、15センチ砲弾に
仕込んだキシリル臭化物(窒息性の塩素ガス)を使用した時とされる。だが、厳寒のポーランドの戦場では砲弾内の塩素ガスの固
体粒子が凍結してしまうという問題に直面し、効果をあげることはできなかった。ついで、西部戦線ベルギー西北部の有名なイーブ
ルの戦場では、塩素ガスとマスタード・ガス(イペリット・ガスともいい、油性の液体で肺の損傷と失明や死を招く)が用いられた。しか
し毒ガス散布との連携作戦がうまく行かず戦術的には失敗とみなされ、ドイツは化学戦でさまざまな課題を残すこととなった。信頼
すべきデータによれば一次対戦中の戦死者8,555,290人で、負傷者21,199,467人とされ両軍の毒ガス使用量は125,000トンだっ
た。また毒ガスによる死者は91,198人で重傷者は1,205,655人であり、毒ガスによる死者は1.07%、負傷者は5.69%だった。この
データが示すとおり化学戦の開発には膨大な費用がかかり、かつ毒ガスは決定的な兵器とは言い難く、毒ガス兵器の価値はむし
ろ心理的な面にある
のだと一次大戦後、英国の調査報告書は結論づけていた。
 1930年代半ばのドイツは人口が増大し、国民の食糧供給が最重要事となり、増産のための農業用殺虫剤や除草剤の需要が
高まり、効果的な農薬の研究が行われた
。その家庭でジメチル・アミド・フォスフォロ・シアン化物が発見され、さらに研究を進める
とこれが強烈な神経ガスとなることが分かった。のちにこれはタブン(燐とエステルの化合物)となり、専用の生産工場が設けられ
た。この工場は現在のポーランドのブロツワウ付近にあって、ドイツは敗戦時までに生産された1500トンというタブンをソ連軍の
占領前に処分した。だが、後になって工場設備はそっくりソ連に運び去られている。各種の毒ガスは大別して5つに分けられる。
1.臭素ガスは刺激が強烈だが致死性は低い。
2.窒息性ガスは塩素、ホスゲンなどで肺の組織を破壊する。
3.人体の酸素吸収を妨害するアルシン、塩化シアンなどの細胞を破壊するガス。
4.マスタード・ガスのように皮膚に危険な外傷を負わせる糜爛性ガス。
5.肺と呼吸器系を侵す神経ガス、タブン、サリン、ソマン。ソマンは1-2分で昏睡、そして死に至る強烈なガスだった。
実際、ドイツでは1930年代に生物兵器の知識自体は十分蓄積していたが、使用にあたって自らの防御体制が確立できなかった
ことと、陸続きの大陸国家間で生物兵器の使用は双方にとって極めて危険で使用したさまざまなバクテリアがドイツに再び戻らな
いという保証が無かったことである。
役立たなかった秘密兵器
ドイツの兵器研究が広範囲に、そして優れた成果を上げたことはまぎれも無い事実である。だが大戦末期の秘密兵器と呼ばれ
るものがなぜ有効な兵器となりえなかったのか
、その原因について、戦後の英国のCIOS(英国知的情報委員会)の技術調
査報告書と英国の調査団だったサイモン大佐の報告書中に多くのヒントが見られる。秘密兵器の多くは無責任な発明者が組織生
産と実用面を考えずに開発を行ったもので権力闘争を兵器の保有競争に置き換えたナチ党幹部たちの下心
ある支援が無かった
ならば、このような兵器の開発が行われることはなかったであろうと述べている。陸軍は新対戦車砲を、空軍は対空砲を、海軍も
艦載対空砲をそれぞれに連携も無く3つの異なるソースから、3つの同じような兵器が多数の技術者を投入して異なるコンセプト
で開発され、3箇所に同じ設備が導入されて生産される結果となった。これがもっとも大きな原因であるが、ドイツの戦略に大き
な混乱を与えたのはほかならぬヒトラーの方針
だった。まず1940年の初期電撃戦の成功により、ヒトラーが防御用兵器は不要
だという方策を策定し、さらに向こう一年以内に実用化できる保証の無い兵器の研究・開発を中止するように命令したのである。
この命令により1941年から有効ないくつもの研究と開発が中止され特に後になって深刻な影響を受けたのがレーダー研究であ
った。指令からわずか2年後の1943年後半になると連合軍の空の優位は動かし難い事実となり、ヒトラーは自らの指令を忘れた
かのように、科学者たちを召集し、ドイツは電子戦面で技術的に連合国に迅速に追いつく必要があると述べて、資金が豊富に投
入され、挙句に研究所の活動を監視する委員会まで設置された。ドイツが失った2年間の研究ブランクは大きく、レーダー・テクノ
ロジーの優位を取り返すことはできなかった。
【軍事・軍隊・国防】
2010.06.11: インド対パキスタン ~両国の核兵器開発とこれから
2010.02.23: Air Show 戦闘機の祭典
2010.02.18: ロシアの軍需産業 ~軍事国家の下の軍需産業 
2010.02.16: 台湾への武器売却、やめなければ関与した米企業に制裁=中国 
2010.02.05: ロシアの軍需産業 -軍事大国はどこへ行くか- 
2009.12.21: 君は日本国憲法を読んだことがあるのかね 
2009.11.05: 核拡散 ~新時代の核兵器のあり方
2009.05.19: 俺の欲しい車 
2009.03.27: 私の株式営業 ~Fiat Moneyの裏打ち 
2008.12.09: アラブとイスラエル パレスチナ問題の構図2


ドイツの傑作兵器・駄作兵器

宇宙時代の扉を開いたV2ロケット
1944年9月8日の夕刻6時30分頃、ロンドン郊外チズウィック・ステブレー街の静かな住宅街に、突然雷鳴のような音
が轟いて、6戸ばかりの住宅が倒壊し3名が死亡、6名が負傷した。これはV2ロケットがが初めてロンドンを攻撃した時の
様子である。ロケット研究がベルサイユ条約の禁止条項になかったために、その開発ストーリーはかなり遡ることになる。
1927年に宇宙旅行境界(VfR)が設立されて小型ロケットの研究が始まり、1931年までに液体燃料小型ロケット
を飛翔させるまでになった。発射部隊はグルッペ・ノルト(北方部隊)とグルッペ・サド(南方部隊)の二つが編成され、北
方部隊は1944年9月8日にロンドンに初発射を行い、南方部隊もフランスとベルギーの連合軍をターゲットとしたが、パ
リに向けたV2は到達しなかった。V2は1359発が発射され、うち57発がロンドンへ落下し、27発がノーウイックへ達し
た。死者合計2754人で負傷者は6523人だった。
駄作兵器シリーズ
風と音の威力
 圧搾空気の塊を噴射する「風力砲」、炭塵爆発で人工的に旋風を発生させる「旋風砲」、音波を放射する「音波砲」
Ba349ナッタァー
 有人対空砲 発射台から打ち上げ実用上昇高度は16000メートル、パイロットは目標敵機に24基のR4Mロケット
 弾をいっせいに発射するが、ロケットの射程は短く70-100メートル
だった。ロケットで上昇する急加速度と急激な気圧
 の変化に起因する人体への影響の克服研究がなされず、また敗戦間際となりパイロットの訓練計画もままならず、発射
 場が限定されることや、ロケットの動力は一回限りの作動であり、かつ機は高速すぎて制御や機動性が悪く、さらに短時
 間での迎撃では会敵する機会が極めて少ない
といった点があげられていた。
ナイキミサイルの出発点 対空誘導弾C2ヴァッサーファール
 戦争が長引いてヒトラーの防御兵器不要論は消え、連合軍爆撃機はしだいに高々度を飛行するようになり、ドイツ爆撃
 の脅威が増し、現実に従来型高射砲の射程の限界を超えるようになっていった。ヴァッサーファールは理論としては完成し
 自動計算機と自動追尾装置による誘導がすでに実験されていて、今日のミサイル発展への揺藍期であった点にむしろ注
 目すべきだろう。だが、大戦末期になって膨大な資材を必要とする発射基地の建設は行われなかったが、もし発射基地の
 建設が開始されたとしても連合軍の航空偵察の眼により発見されて空からの攻撃により、早期に破壊されてしまったことで
 あろう

爆撃機を二機つないだハインケルHe111Z1
28トンの重量に耐えられる積貨量を持つ輸送手段は無く、出撃のチャンスはなかった
鼠という名の超重戦車 180トン戦車モイゼ
 1944年に188トンと言う空前絶後な戦車が製作されたが、このような巨大な戦車の出現は”大きな兵器が好き”という
 ヒトラーの好みから生まれたとされるがその背景にはもう少し奥行きがあった。100トン戦車の設計を国民者フォルクスワーゲ
 ンが生みの親として知られ、また兵器局の戦車委員長でもあったフェリディナルド・ポルシェ博士に命じたのが1942年3月
 21日で、以降プロジェクトはポルシェ・モイゼと呼ばれることとなった。速度が落ちても重装甲、強装備とするようヒトラーは念
 を押している。
Uボートの元になった潜水戦車 タオホパンツァー
 1941年、ドイツ軍はいっせいにロシアの国境を越えて大草原に進撃を開始した。バルバロッサ(赤髭)作戦の開始である。
 ポーランドのブレスト・リトブスク北西にあるブーグ川の渡河に成功。戦車が一両、また一両と河中に突入して姿を消し、後の
 水面上には鉄パイプを突出させてエンジンの排気の泡を残して水中を行く。やがて対岸につぎつぎと戦車が姿を現し、周囲の
 将兵が驚く中を全身から河水を滴らせながら黒い怪物のように斜面を駆け上り、砲口のゴムの防水蓋を吹き飛ばし前面の
 操縦用観測窓を開く。80両の潜水戦車はミンスクとスモレンスクめざして進撃していった。英本土上陸”あしか作戦”用に
 用意されたものであったが、ドイツ空軍は英本土上空の制空権を取ることができず、あしか作戦は無期延期
となってしまった。
変り種戦闘車両 爆薬運搬車から対空戦車まで
第二次大戦中にドイツが生産(1938~45年)した装甲戦闘車両の総数は89,254両であるが、回転砲台を搭載した
純戦車は26,925両で全体の30%に過ぎない。これは大戦に途中で参加した米国のM4シャーマン戦車の単一車種
48,000両にも及ばず、旧ソビエト一国でも戦闘車両は125,000両といわれ、さらに英国の生産分も加えた膨大な戦闘
車両群を相手に、ドイツ戦車は質と戦術をもって善戦敢闘したといわねばならない。
一方、戦車の車台を用いた箱型の装甲砲塔に戦車砲を搭載した生産の容易な突撃砲と駆逐戦車が15,670両で
17.6%、同じく戦車の車台に火砲を搭載した自走砲、そして制空権を連合軍に握られてしまい、空からの脅威に対抗する
ため、対空砲を搭載した対空戦車などが4,954両で5.6%であり、戦車と戦車の車台を用いた改造車の合計は62.6%
だった。残りは偵察用の装甲車4525両、半装軌装甲兵員輸送車と爆薬運搬車は35,277両である。純粋な戦車も
1~6号戦車とその派生型が多種多岐に渉っていて、M4シャーマン戦車一種で戦った米国と好対照をなす
ものであるが、そう
した多くの派生型や試作車両の一部には今日見ても驚くほどの斬新性や先見性を持ったものも多かった。
海戦兵器
第一次大戦以降、英海軍に対して劣勢なドイツ海軍がとった戦略は、Uボートによる英国補給線を絶つ、いわゆる通商破壊戦
だった。一方第二次大戦でドイツが就航させたUボートは1150隻でうち781隻を喪失し、215隻はドイツ敗戦時に自沈、
154隻は連合軍に降伏した。そして戦闘全期間中、大西洋、カリブ海などで2603隻、1357万トンを撃沈したこのUボート
の戦いは1936年~41年の高潮期、1942-43年の最盛期、1944-45年の退潮期とに分けることができるだろう。
大戦前半の高潮期に活躍したUボートも1942年の後半に入るとレーダーの発達により夜間浮上中の潜水艦多数が撃沈
される状況
となり、水中速力の増大と潜行時間を伸ばすことにより攻撃と脱出の機会が付与できるとしてヴァルター教授が提案
して検討された。

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資本主義はお嫌いですか ~貧しい国々が豊かな国々に貸している

貧しい国々が豊かな国々に貸している
開発途上国の成長が、世界的な低金利やバブルの発生に結びついたとする発想を、2005年に先鋭な形で提示したのが、
減連銀議長のベン・バーナンキである。彼の論点を要約するとこうだ。GDP比で6%台に上ったアメリカの経常収支赤字、つ
まりアメリカによる対外資本輸入は、その当時重大な問題とみなされていた。しかるに、一方で経常収支赤字(対外資本輸
入)を持つ国があれば、他方には必ず経常収支黒字(資本輸出)を持つ国が居る。それではアメリカの経常収支赤字の増加
に見合って、経常収支黒字を増やしている国はどこか。統計を見回すと、新興国、とくにアジアの新興国が大幅に経常収支
黒字を増やしていることが判明する。このいびつな構造は豊かな国々の側の事情によって、つまり豊かな国々が過剰な支
出をして、それをファイナンスするために借り入れまで必要な状態に陥ったのか、それとも貧しい国々の側の事情によって、
つまり貧しい国々が、国内投資をファイナンスしてもまだ余るほどの国内貯蓄をするようになったために対外資本輸出を行っ
ているのか。この点を確認するためには世界金利の変化を見ればよい、とバーナンキは言う。なぜなら豊かな国々の借り入
れの増加が、グローバル・インバランスの原因である場合には、国際資本市場で資金供給が逼迫するだろうから、それを反
映して、世界金利は上昇するだろう。他方で、貧しい国々の貸し出し上昇がグローバル・インバランスの原因である場合には、
国際資本市場で資金供給は緩慢になるだろうから、金利は低下するだろう。しかるに、近年の世界金利は低下傾向にある。
これは新興国、開発途上国側の過剰貯蓄がグローバル・インバランスの原因である事実を示唆する
。そうバーナンキは指摘
する。
アジア通貨危機後に資金が逆流
世界経済は、なぜ貯蓄過剰の状態に陥ったのか。この点については豊かな国々と貧しい国々との間の経常収支パターンの
変化が起こったのが1997年であるという事実が鍵になる。1997年に何が起こったのかといえば、すぐに思い浮かぶのがアジ
ア通貨危機である。この危機をきっかけにして、アジアの新興国は資本輸入に依存した経済発展を嫌い、むしろ国内投資を
抑制してまでも国内貯蓄の余剰を創出して、それを海外に輸出するようになった。その資本がますますアメリカに向かうように
なった結果、アメリカの計上収支赤字が膨張した。グローバル・インバランス発生のメカニズムをバーナンキはそのように推測
する。
なぜ新興国で投資対象が不足するのか
グリーンスパン前連銀議長はこの問題について次のように述べている。
「開発途上国の家計や企業は、先進国に比べて所得が低いにもかかわらず、所得のうち貯蓄に回す割合が高い、先進国で
は、たいてい担保を裏づけとして貸し付ける膨大な金融ネットワークのおかげで、家計や企業のうちのかなりの部分が、現在
の所得を大幅に上回る支出が可能になっている。途上国ではこうした金融ネットワークが圧倒的に不足しており、所得を上回
って支出するように誘導されることが無い。さらに、大半の途上国はいまだ生活するのがやっとの状態にあるため、万が一の
場合に備える必要がある。家計は頼れるものを求めているが、政府のセーフティ・ネットが十分に整備されていない国が多い
ため、家計が身を守る唯一の方法が貯蓄になる
。」
「IMFによれば、1980年代、90年代の名目GDPに対する貯蓄比率は、先進国が21~22%で、開発途上国では23~24%だった。
開発途上国は過去5年間、先進国の2倍のスピードで成長した。貯蓄比率は中国が牽引役となり、2001年の24%から2006年
には32%に上昇した。貯蓄比率が高まったのは、文化が保守的で消費が出遅れたうえ、貯蓄の伸びに投資が追いつかなかっ
たからである。先進国の貯蓄比率は2002年以降20%を下回っている。
IMFの調査報告をもとにして、新興国の経常収支のパターンを、地域別に観察してみることにしよう。これまでは貯蓄過剰の状
態にあるのは、アジアの新興国であるとして議論を進めてきたが、現在はラテンアメリカの新興国の経常収支も黒字なのであ
る。経常収支の黒字がどのような形で資本収支の赤字(つまり資本輸出)に実現しているかを確認するとアジアの場合には、
外貨準備の増加が顕著に見られる。為替レートの急激な自国通貨高が生まれないように行っている為替介入がアジア新興国
の資本輸出の重要な部分を構成するわけである。アジアばかりか、ラテンアメリカまでもが近年はむしろ、国外に資本を輸出す
るような行動をとっている中で、現在でも一つの地域だけは例外的に、経常収支の赤字を記録し、国外から資本を輸入し続けて
いる。この地域だけは経済学の教科書どおりに、資本輸入に依存した成長戦略を選択しているわけである。その地域とはヨーロ
ッパの新興国、つまり東欧である。直接投資のフローについてはアジア新興国も受け入れ側に回っている。もちろんこの点では
東欧も同様である。しかし、対内直接投資のGDPに対する比率を見ると、東欧は4-5%であるのに対し、アジアは2%ぐらいに過ぎ
ない。東欧の資本輸入で際立っているのが、株式投資以外、つまり借り入れである。東欧の政府はEUへの加盟を視野に入れて
為替介入をさほどしていないため、外貨準備も小さい。
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資本主義はお嫌いですか ~大ペテン師 ジョン・ロウ

「市場」において、企業家は確率予想のできない危険、すなわち「不確実性」の領域に踏み込むことによってのみ「利潤」
が得られる。なぜなら、事業に関わる危険が、確率予想のできる「リスク」だけであるならば、事業についての収入と生産
費の期待値を上回り、平均的には「利潤」がその事業に見込まれるという場合には、企業間の熾烈な競争が継続するだ
ろう。その結果、収入の期待値は生産費の期待値にまで下がって、平均的には「利潤」は消滅せざるをえないのである。
それに対して、危険についての確率予想のできない「不確実性」の領域に踏み込むなら、企業家は時に「利潤」を得られ
る。なぜなら、「不確実性」の領域では「利潤」についての確率予想は成り立たないから、いかに強力な競争の力をもって
しても「利潤」がゼロまで下がるとは断言できないからだ。経済学者ナイトはあくまでも自分の直感に過ぎないと断った上
で、「企業家は平均的には利潤を得る代わりに損失を被っている」という推測を述べるのである。彼がそう主張する理由は
単純明快だ。「企業家とは、本来、自惚れの強い人間がなる職業だから」
今回のサブプライム危機に際して、日本の経験を欧米の政治家に教訓として伝えたらどうかという意見があるが、その
ようなことはまだ実行されていない。当然である。日本の場合、もともとそれほど大変ではない問題を、政府と金融機関
が隠蔽に走ったために大変な問題にしてしまったのである。その「経験」を欧米の政治家に伝授するなど、恥ずかしくて
とてもできたものではなかろう。今回の場合、シティグループ、メリルリンチ、UBSなど欧米の金融機関のトップは、サブ
プライム関係の損失の責任を取って退任している。その後を継いだ経営者は、前任者の作った損失を引き継いではたま
らないので、前任者の判断で生まれたバランスシートの損失を積極的に公表する。それで損害の規模がわかり、増資
など何らかの手段が取れる
のだ。これに対して、バブル崩壊後の日本では、金融機関トップの交代がなかなか行われず
組織ぐるみで損失が隠蔽された。欧米で確立している「株主重視」の経営基準が、日本ではその当時確立していなかった
ために、経営者の失敗に甘い判断が日本では取られたのだ。
フランス王立銀行総裁にして「大ペテン師」
ミシシッピー・バブル
の舞台になったのは1716年フランスで設立されたミシシッピー会社である。この会社は当初、アメリカ
にある仏領「ルイジアナ」の通商権と開発権を与えられて設立されたが、やがて様々な事業を統合し、今日までも比較する
もののない史上最大の企業に成長する。この会社の実質的支配権を握っていたのがスコットランド人のジョン・ロウである。
2008年6月のフィナンシャルタイムズ紙にジュームズ・マクドナルドという評論家が面白い論説を載せている。サブプライム
は1719年にフランスが発明した」というのである。与信審査もろくにしない、本来価値の低い住宅ローンであるサブプライム
を、トリプルAの証券に仕立て上げるアメリカの金融機関の手法が、無価値な証券を人気のある証券に転換する錬金術を
初めて開発したということではミシシッピー会社がそのさきがけだという主張である。ここで無価値な債券というのはずばり
フランス国債である。ルイ14世が乱費をしたせいで、1714年の公債残高は国民生産の100%を超えていたのである。1715年
ルイ14世の死後、政府は800万ルーブルの借り入れをするために3200万ルーブルの額面の手形を発行しなければならな
かった事実も、それを裏書する。それを人気の証券に転換する。人気の証券とは、ミシシッピー会社の株式であった。人気
株を大量に発行して事業券の買収を繰り返し、やがては中国・インド・アフリカ貿易の権利も買い占めた。煙草の専売権、
貨幣鋳造権、さらにジョン・ロウは、フランス国債残高の全てをミシシッピー会社が買収するという壮大な計画まで発表して
いた
。ミシシッピー会社とはフランスという強大な帝国そのものをM&Aによって丸ごと乗っ取るプロジェクトの「コードネーム」
だった考えていただければ話が早い。一般大衆はミシシッピー会社の株を買い、ミシシッピー会社はそれで得た金を使って
フランス国債を買う。人々が望むならば、フランス国債を使って直接、ミシシッピー株を買うことも認められた。なるほど、この
ほうが手っ取り早い。
強国フランスの買収という気宇壮大な計画を打ち出すことのほかに、ミシシッピー株を人気株にするための絶対の切り札が
ロウにはもう一枚あった。彼はバンク・ロワイヤル(王立銀行)という彼自ら創設した当時のフランスの中央銀行の総裁でもあ
ったので、紙幣の発行を意のままにできたのである。王立銀行総裁としてのロウは、緩和的な金融政策を実行した。つまり
紙幣をどんどん発行して、自分が支配人であるミシシッピー会社の株式が市場で順調に消化されることを援護したのである。
ロウの壮大な計画もミシシッピー・バブルの崩壊とともに崩れ去る。当時の通商はリスクの割りに利益の少ない事業だったし
ロウが残高を全て買い取ると発表したフランス国債は、所詮ジャンク・ボンド以下だった。
金融システムの発展を生かすインセンティブを
問題の根本は金融機関の報酬体系がアップサイドに感応的である一方で、ダウンサイドに対して非感応な点にある。そのために
リスク・テーキングが過剰になされるのである。報酬体系の改め方として、ある金融機関のファンドマネージャーが基準金利を上回
る利益を上げた場合にはその成果に対する報酬をすぐに現金で渡す代わりに、その金融機関の株式の形で渡し、さらにその株式
は金融機関が設ける基金に委託されて一定期間はファンドマネージャー本人による株式の売却が不可能なようにする。そうすれば
もしそのファンドマネージャーの取ったテールリスクが実現して、金融機関が損失を被った場合、その金融機関の株価は下落し、
ファンドマネージャーが自動的に制裁を受ける。
経済学への教訓 価格シグナルは信頼できない
時価会計についての議論は経済学における革命といってよいかもしれない。なぜならこれまでは価格のシグナルに対する信頼が、
経済学にとって、いわば中核的な思想だったからである。その信頼に基づいて時価会計の提唱もなされてきた。もちろん、資産の
時価がファンダメンタルズをそのまま反映したものなら、そのシグナルを送ることは、金融取引を正常にする効果を持つだろう。だが
ファンダメンタルズがどのような値をとるかは誰にもわからず、時価はむしろ、ファンダメンタルズではなくその時点での流動性を反映
したものとなるので、そのようなシグナルの発信は流動性のスパイラルを生む危険性があるわけである。流動性、つまりその経済の
投資意欲に応じて決まる価格シグナルの場合、経済における主体間の行動の調整に役立つものの、その調整の仕方は過度に積
極的、もしくは過度に消極的に傾く傾向がある。なぜならば一部のものが積極的に動く状態では、その積極性が価格シグナルを通
じて他の者にも伝播されるからである。資産価格は、ファンダメンタルズなどという、誰も見たことも触ったこともないものに煩わされず
に、勝手に一人歩きをする
。つまり、資産価格の上昇する局面では、資産価格の上昇がバランスシートの改善や証拠金の減少を通
じて、市場の流動性の拡大を生み、それがさらに資産価格上昇につながる。他方で、資産価格の下落する局面では、資産価格の下
落がバランスシートの悪化や証拠金の増加を通じて、市場の流動性の縮小を生み、それがさらに資産価格の下落につながる。要す
るに上がる時も下がる時も、資産価格はファンダメンタルズとは関わり無く変動するわけである。

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2010.04.22: 東証アローヘッド導入のインパクト
2010.02.09: デリバティブ理論講座のお題
2009.12.30: 金融vs国家 ~金・金融の意義
2009.10.22: お金と人の行動の法則
2009.08.28: インド独立史 ~ガンディー登場
2009.04.09: 金(カネ)の重み
2008.10.10: あなたが信じているのはお金だけなの?
2008.07.18: Olympic記念通貨に見る投資可能性
2008.02.20: アジア通貨 ~HKD 通貨発行差益(シニョレッジ)


警視庁ウラ金担当

黒木昭雄氏:元警視庁警察官だったジャーナリストで、警察を愛するが故に、その腐敗を嘆きつつ追求している。徹底
追求に及び腰な私に彼が言った。
「現場で本当に汗水たらしてがんばっている警察官がバカを見ないように組織を変えて行こうじゃありませんか。僕らが
やらなきゃ警視庁は中から変わりませんよ」私はこの一言で意を強くした。
機動隊の部隊出勤などに対して国から機動隊本人に支払われる旅費を、隊員がその根拠法令をまったく知らないことに
乗じて、警備部が隊員には何も知らせずに隊員の名前で請求受領し、組織でプール
しており、その手法を継続させるた
めに発足したプロジェクトチームに私が入ったということなのだ。最初に専従のプロジェクトチームが必要な理由を警備第
一課長や警備部長に説明するための資料があった。そしてこれを読んだだけで、警備部にはカネがあるという噂がなぜ
警視庁内で囁かれているのか、そして極秘にプロジェクトチームを作る必要があるのかという疑問が氷解したと同時に、
15年間会計処理のさまざまな裏技に携わってきた私でも驚愕する事実を知ってしまったのである。
大蔵省が現在開発中の国費会計システム(通称アダムス)が1998年度から運用開始となり、それに伴って国の債務の
支払方法が、従来の小切手に替わって債権者の口座に振り込む方法となるから、機動隊旅費についても隊員個人の
口座に直接振り込まれるようになることが判明した。この制度が始まることは、警備部にとって大きな問題である。
第一に、個人の口座に毎月2万円から5万円の旅費が振り込まれるからには、事前に隊員にその金は旅費であるという
説明をせざるを得ず、説明如何によっては、隊員に、今まではどうなっていたんだという疑念を抱かせる恐れがあること。
第二に、集中再配分方式とは言いながらも、現状では隊員に還元している金額は総額の1~3割であり、残りはいわゆる
運営資金として警備部がさまざまな用途に使用しているのが現実であることから、個人口座振込後は、この運営資金が
調達できなくなることである。
この制度は国費全体に関わる大蔵省の方針であるから、機動隊旅費だけが例外となることは考えられず、早急に前期二
つの問題点をクリアーするため、これに専従してあたるプロジェクトチームの結成が必要である。
捜査に使われない捜査費
まず、その月が終わってから、その月の捜査費使いきり計画を立てる。署内の協力者により集まった居酒屋や喫茶店など
の領収書からシナリオを組み立てるのである。警察の伝家の宝刀である「捜査上の秘密」を振りかざせるから、このシナリオ
そのものについては監査検査やましてや情報公開などまったく怖くはない
。ただし、書類上のミスは追求される恐れがある
から油断はできない。
領収書の住所・氏名、情報提供者本人の領収書を捜査員に書かせるわけだが、領収書に使う架空の住所・氏名の選定が
ある。ひとつは、基本的には手持ちの印鑑がある姓でなければならないということである。警察署の各課に限らず、捜査費
を扱う全ての部署には何故か数百本という数の印鑑が保管されている。転勤や退職をした人が置いていったものや、必要
に迫られて購入したものなどがたまったものだと思われるが、いずれにしても領収書には当然印鑑が必要だから、姓は何
でも良いというわけではない。ふたつめはまったくデタラメな住所・氏名は使えないということである。6丁目までしかない街
なのに7丁目などと書いてしまうとたまたま監査員がその町にすんでいてうそが発覚してしまうなどの危険があるからであ
る。この二つの問題をクリアーして、信憑性に疑問を抱かせない領収書を偽造するために使われるもっともポピュラーなもの
が電話帳である。
ウラ金になった捜査費は拳銃の購入代金としても使われる。ここで言っているのは、押収するための拳銃を暴力団員など
から買うということであり、警察官が所持している正規の拳銃の意味ではもちろんない。捜査費は本来情報料だから、暴力
団員からの拳銃密売情報に捜査費を払って取引現場をおさえて摘発できたとしたら立派な捜査費の使途と言うことができ
るが、それは所詮ドラマの世界の話であり、現実には実績のノルマを課せられた捜査員が、子飼いのスパイなどに「○○駅
のコインロッカーに一丁頼む」などと声をかけ、あたかも密告があったかのような演出でコインロッカーにガサを入れて摘発

となる。これがいわゆる「首無し銃」と呼ばれるもので、ブツだけあってその背後にいる人間の顔はわからないということだ。
資金前渡
官庁における公費の支出手続きは、相手の債務の履行を確認してから請求書を徴して支払いをするという原則で安易な前
払い支出を防ぎ、出納機関という独立の部署から末端の債権者に直接金を振り込むという原則で現金が動くという危険を防
いでいるが、この例外が資金前渡である。この制度は、主に相手方の都合で即時決済を必要とする場合の支払方法である。
事務用品一つ買う場合であっても原則どおり契約手続きによらねばならない。領収書を支払い担当部署に提出しなければな
らない。そしてその際現金が余った場合は支払い担当部署に返さなければならない。外務省の外交機密費には、この領収
書による清算を必要としない。現実における資金前渡の運用は、機密費的な使われ方が件数でも金額でも最も大きな割合
を占めており、特に外交・防衛・公安・捜査を担う組織ではこれが顕著である。

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【民の欲と国家】
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2009.12.29: 何のために生きるのか?ふと考えるときがある
2009.10.07: 物欲の定義
2009.08.20: インド旅行 招かれざる観光客
2009.08.14: インド独立史 ~東インド会社時代
2009.05.07: 幸福感と欲の関係
2009.05.04: 民族浄化を裁く 旧ユーゴ戦犯法廷の現場から
2009.04.15: 貯蓄率にみる人々の自信度合い
2009.01.07: ユーゴスラヴィア現代史 ~国家崩壊への道
2008.09.24: 俺の欲しいもの
2008.09.23: 被支配階級の特権
2008.07.18: Olympic記念通貨に見る投資可能性


政商 昭和闇の支配者 ~国際興業社主

おれにゃあ品とか社会的道徳とかいっさい関係ねぇ
田中角栄は小佐野賢治に頭を下げて
「頼む、日本電建を再建できるのはあんたしかいない。あの会社をそっくり引き受けてもらいたい。」
日本電建労組は田中角栄の刎頚の友、入内島金一社長に退陣要求を突きつけていた。赤坂の山王ホテルで、小佐野はま
ず話を聞こうと労組幹部をあつめた。経営者側から出席したのは小佐野ただ一人である。労組からは18人が出席した。
組幹部たちが一室に入るとすでに小佐野が正面の席にすわっていた
。背広は着ていなかった。白いワイシャツ、ノーネク
タイであった。小佐野が切り出した。
「組合が社長に辞めろ、というのは常識外だ。しかし、まあ、とりあえず話を聞こうじゃないか。」
労組委員から事情が話された。小佐野はそのたびに「ふむふむ」とうなずいたり、「そりゃわかるが無理だな」という。話をした
相手に対し、大きな体をやや斜めに向けている。答えるとき、相手の目を見ない。口数は少ない。そんな小佐野がふいにこう
いった。
いっとくがね。おれにゃあ、品とか道徳とか社会的善悪とかいっさい関係ねぇ
ぞっとするような迫力があった。そうして始めから決めていたように突然こう宣言した。
「よしわかった。社長を辞めさせる。一時金も全額だそう。ただし、条件がひとつある。本部専従の組合執行委員は全員一人
ずつ、私に最敬礼して、会長ありがとうございます、とお礼を言え。それがいやなら会社を潰す。もともとボロ会社なんだ。田
中が泣きついてきたから、手を貸してやったまでだ。いつ辞めたっていいんだ。会社の一つや二つ、私には関係ない。」
小佐野は日本電建の経営に本格的に乗り出すや、それまでの会社経営の要職にいた役員40-50人の首を1年もたたぬうちに
あっという間に切った。それらの役員たちに代わって、遠方の支店長を本社の役職につけた。本社の役職についた者はほぼ
全員小佐野信奉者となった。労働組合に対しても小佐野はアメとムチを使った。組合員などは地方の支店長などに大抜擢し
た。地方に行かせる前に自宅に呼び、大盤ぶるまいし、洗脳した。こういうものたちは小佐野のすごさを地方の社員に自然に
PRして歩く
ので一石二鳥だった。小佐野はさらに田中角栄によって3つに分裂していた組合の統一を命じた。このときも小佐
野は組合執行部を脅した。「組合同士でもめたら会社を潰す」
現場を離れてはものは見えない。
国際興業の始業時間は8時45分である。小佐野は朝の8時にはかならず会社に来ていた。高給取りであればあるほど、それに
見合うだけ働けというのが小佐野の鉄則なのである。
一般の社員は決められた時間に来て、決められた時間に帰ればいい。うちは今日は専務に会いたいと思ったら朝早い時間に
くれば会える
ような体制になっている。」
国際興業は上場会社ではない。あくまでも小佐野個人がオーナーである。つまり誰にも文句を言われる筋合いはないのである。
小佐野の印鑑へのこだわりは国際興業が大きくなっても続いた。小佐野の側近だった一人も語る。
「小佐野社長はどんな小さな書類、どんな細かい伝票にいたるまで、すべて自分が印鑑を押していた。小切手類の1枚でも、自
分が納得しないものは出さない
。机の引き出しに印鑑類をしまい、鍵をかけている。我々は社長がいない時には決済ができない。
ふつうは、会社がおおきくなるにつれ、社員などは他人に管理させるものですよ。ところが小佐野社長は他人に任せない。これ
は徹底していた。私はこの男は只者じゃない、というよりも、すごく用心深い男だという気持ちの方が強かった」
 小佐野は暇な時間ができると国際興業の役員たちを呼んで花札のオイチョカブを楽しんだ。彼が博打に熱中したのはなにより
気が紛れるからである。小佐野は趣味をほとんど持たない。小佐野は役員たちを無理矢理誘って、花札を始める。ダメだとは言わ
せない。そして負けのカネは負けとしてその場で現金で取る
。その場でなければ、つぎの給料から差し引く。これが小佐野の手
なのである。彼は常々言っていた。「カネを持たすとロクなことがない」
小佐野の賭博好きは徹底していた。小佐野はラスベガスにある古代ローマ風の建物で有名なカジノホテル「シーザースパレス」
に40人ほど取り巻きをつれて一大博打旅行に行った。その40人の中には自民党代議士であった浜田幸一や関東大組織のヤクザ
の幹部がいた。かれらは小佐野のツケでコインに替えて博打に興じた。結局このとき小佐野一行は「シーザースパレス」に借りを
つくって帰国した。カジノホテルの支配人ワインバーガーはわざわざ日本にまで取り立てにやってきた。小佐野と交渉したが、小佐
野はのらりくらりと逃げた。博打のカネだから証文でもとってない限りいくらでも逃げられる。小佐野は「明日来い」といって要領よく
逃げた。が最終的には払うことになった。いざ支払う段になって小佐野は値切った。
その後、ワインバーガーは、ツケで遊ぶのは日本人が多いというのでわざわざ日本に取立て会社をつくった。その代表に奥田
喜久丸という東宝のプロデューサーを据えた。
が、その会社は、のちに外為法違反であげられてしまう。なお昭和55年、浜田幸一代議士のラスベガス賭博事件が発覚した。
浜田が負けた150万ドルの穴埋めはロッキード社からのカネであったという疑惑が持たれた。
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政商 昭和闇の支配者 ~企業買収

堤康次郎との山梨交通紛争勃発
昭和34年(1959年)、小佐野は40万株の山梨交通の株式を買い集めた。小佐野の役員就任は1960年の5月の株主総
会で決定することが申し合わされた。ところが不思議な事件が起こった。山梨交通、二代目の河西坊ちゃん社長の姿
が掻き消えていたのである。河西は、恐るべき人物のところへ助けを求めて走っていった
のである。なんと西武の堤康
次郎であった。小佐野が恩人と仰ぐ「強盗慶太」と「ピストル堤」は伊豆箱根の観光事業をめぐり「箱根山合戦」と呼ばれ
るすさまじい戦いを展開している真っ最中であった。堤にも断れない理由がある。河西の父親である初代山梨交通社長の
河西豊太郎に恩があった。河西豊太郎は東武鉄道の根津嘉一郎の大番頭をつとめ、政財界に顔が広かった。武蔵野鉄
道創業に向けての悪戦苦闘を支えたのが根津であり、根津と堤のパイプ役となったのが河西豊太郎だったのである。河
西社長が堤のもとに走ったのも、父親が死ぬとき、「困ったことがあったら堤君に頼め」と遺言していたからである。堤はさ
っそく行動を起こした。まず「駿河観光」という会社を資本金2億円で設立した。が、これは実体のないペーパーカンパニー
であった。駿河観光と山梨交通を合併させようというのである。さらに河西一族と河西系役員はひそかに山交株を買い占め
始めた。その資金は堤が出した。昭和35年に入ると4月はじめから山交株が急上昇し始めた。1株50円であった株価がなん
と200円を突破し、300円に近づこうという勢いにまでなった。小佐野はなにがどうなっているのかまったくわからなかった。
自分では買占めなどやっていないのに、株価が急上昇している。
「山交株は河西一派が買い占めています。」
「何のためだ!」
「会長を追い出すためです」
「誰か金を出しているやつがいるのか」
「はい、西武の堤康次郎です」
「なんだと!」小佐野は我が耳を疑った。
「そんなことはありえない。俺は堤さんとは付き合いがあるんだ。山交に俺が関係していることも知っている。
堤さんが、俺がやっていることに手を出してくることはありえん!」
小佐野対堤のすさまじい株争奪戦となった。山交株は暴騰につぐ暴騰を続けた。ピーク時には850円までいった。小佐野が
3割、河西派が3割、西武側が3割で、河西は5月8日役員会で堤康次郎がつくった駿河観光との合併を持ち出し、一気に議
決してしまった。これを5月23日の株主総会で議決し、一挙に小佐野を葬り去ろうという作戦であった。
「謀略だ!役員にすら資産内容を知らされていない会社と合併して、俺の持ち株の比率を下げようという陰謀だ!」
小佐野は甲府地裁へ先の役員会での議決無効を提出した。同時に駿河観光との合併の案件を総会に上程せぬよう仮処分
の申請をした。小佐野は委任状を手に一族郎党を引き連れ会場の山梨県民会館に乗り込んだ。小佐野は「異議あり!」を連発
したが議長の河西俊夫は馬耳東風。それにくわえて前列にずらりとならぶ河西が頼んだ強面の総会屋たちが「進行!進行!」と
小佐野の叫びをかき消した
。駿河観光との合併は9月20日に実施することがあっけなく決議された。小佐野はむろん黙って
はいなかった。甲府地裁に「山梨交通株主総会決議執行停止の仮処分」を紳士した。6月28日、判決は総会決議の執行停
止を認めた。小佐野の主張が全面的に受け入れられたのである。
ついに陰の主役、堤康次郎が表舞台に登場してきたのは7月26日のことであった。「私も小佐野君も持ち株を河西君に譲ると
いうことにする。お互いに武器を捨てるということだ。」これには小佐野が怒った。7月27日に、堤は小佐野にそれまでとは違
った提案をした。
「小佐野君、わしの全株を君に渡そうじゃないか。そのかわりといってはなんだが、きみ、京浜急行の株を持っているね。
あれと交換してくれないか。」
堤は山梨には何の未練もない。ましてや山梨交通は万年赤字会社のようなもので、自分が経営に乗り出したところで、20年は
黒字に転換できないと考えはじめていた。小佐野は堤の申し出を即座に受けた。河西俊夫は堤が全株を小佐野に譲ったこと
を知り、東京の堤のもとに駆け込んだ。「どういうことですか!」が堤の言葉は恩人の息子に対する言葉とは思えぬほど、冷た
いものであった。「きみは事業には向かないから美術館の館長でもやったらどうだろうか」最後の土壇場で堤は河西を裏切った
のである。翌36年、河西は全株を手放し、社長を辞任した。
横井から株を巻きあげていただきたい
小佐野と横井、児玉の3人は、「富士屋ホテル事件」につづき、「西武鉄道買占め事件」でも奇妙な絡み合いを見せる。この事件
の発端は、横井が1969年から西武鉄道の株を買占めにかかったことに始まる。当時の西武鉄道の社長は康次郎の大番頭で
あった小島正治郎である。堤清二と堤義明はともに副社長であった。まだ西武グループのうち鉄道グループを義明、流通グルー
プを清二と分割統治することは決められていなかった。そこで内紛好きの横井が清二と義明の異母兄弟間に必ず近いうちに骨
肉の凄まじい争いが起きると予測し、約180万株買い占めた
。そして何故か義明のところではなく清二のところにでかけ、買取を
要求した。
横井は当時400円前後だった株を3,4倍もふっかけ、「大阪の仲間もおたくの株を買い漁っている」とグループ買いをほのめかした。
清二は横井の態度にさすが頭に血を上らせた。横井を張り倒してやろうかというくらいに怒ったという。横井は交渉決裂後もい
っこうに怯むことはなかった。持ち前の粘り強さで異常なほどの執念をみせて買い進んだ。執念深い横井は昭和46年の5月まで
に360万株も買い集めてしまった。あわてたのは西武側である。なにしろ360万株といえば、国土計画、安田信託、三井信託に
次ぐ、第4位の大株主に躍り出ることになる。もし横井が個人名義にでもすれば、個人筆頭株主横井秀樹という名が出てしまう

社長の小島ですら132万株しかもっていない。うろたえた西武幹部が小佐野のところに駆け込み訴えた。
「横井のことだ、株を持っているのをいいことにこれからどんな難癖をつけてくるかわからない。富士屋ホテルのときのように、
横井からなんとか株を巻きあげていただきたい。」
小佐野は東急だけでなく西武の堤義明とも深いつながりがあった。「それでは児玉さんに頼んでみましょう」
西武側は社長の児島正治郎、専務の宮内厳、岡野関治の3人の幹部で堤義明、清二は出席しなかった。立会人として、小佐野
児玉が出席した。360万株を横井が西武側に渡した。その代金の25億円は、横井の要求によって、そのうちの元で15億円を
現金、後の10億が小切手で支払われた。じつは小佐野は堤義明に借りがあった。小佐野が4千坪もの土地を芝の増上寺から買
った。そのとき、増上寺の檀徒総代の一人である堤義明の世話になっている。藤田観光の故小川栄一会長が『民族と政治』(昭和
51年4月号)で、その件について触れている。「たまたま児玉誉士夫氏が小佐野賢治氏の代理として私を訪問され、(中略)買い
取ることを申し出たので(中略)プリンスホテルの所有者である西武鉄道を通じて取引するべきことを要求したところ、すべての
話がまとまって、増上寺は西武鉄道に売却し、西武鉄道が小佐野賢治氏に転売する手段が成功し、同時にまもなく一切の立ち
退きも完了した。」
【株にまつわる事件】
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2009.11.13: 7736企業乗っ取り 300億円強奪を示す財務諸表
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2008.02.02: 信用取引 証券会社の儲けと投資家(顧客)のうまみ
2008.01.28: ソシエテ・ジェネラルの大損



政商 昭和闇の支配者 ~結婚生活

上級華族のお嬢さんとしか結婚したくないんです
小佐野は1950年、結婚した。相手は旧伯爵家の堀田英子であった。「田舎の貧乏百姓のせがれのわたしは、華族のお
嬢さんとしか結婚したくないんです。その辺のお嬢さんでは、いやなんです。それも普通の華族ではなく、上級華族でなければ
嫌なんです
。それでいて美人でなければいやなんです。」
華族にも上から、公、候、伯、子、男の5つの位があった。小佐野は伯爵以上の位のお嬢さんを望んだのである。堀田英子
はのちに「学習院戦後最高の美女」といわれるほど美しかった。英子は上野毛の小佐野邸に行ってみたいと言い出した。
自分が嫁いでいく家である。それに富豪の家はどんなものだろうという興味もあった。英子はいってみた。確かに立派な家だっ
た。玄関で声をかけた。小佐野がもっそり出てきた。その姿--英子は、内心で驚いた。<お金持ちだって言うのに・・・>
小佐野は木賃宿で着るようなよれよれの絣のような着物をいかにもだるそうに羽織っている
のだった。英子は富豪ということと目
の前の小佐野の姿の落差にとまどっていた。小佐野はカネは儲けていても、趣味や生活ぶりについてはまったく無頓着であった。
「刺身なんて薄く切ってちょうどいい」
結婚してからさらに英子は驚いた。家には花瓶が一つもない。小佐野はパーティーなどで花束を持ち帰ってきても、バケツに投げ
込んでおくだけである。「花瓶を買っても良いかしら」と小佐野に言っても小佐野はとりあわぬ。「そんなもの買う必要はない」
仕方なく英子は実家から大きな花瓶を持ってきて玄関に置くしかなかった。小佐野としては、いかに家庭の中のことだといえ、い
や、かえってそれだけに、無駄なカネは使いたくなかった。英子は料理が得意だった。ある日、小佐野においしい刺身を食べさせ
ようと思い、食卓に盛って小佐野の帰りを待った。帰ってきた小佐野が食卓につくと刺身を見るなり英子に言った。
「どうしてこんなに分厚く切るんだ。刺身なんていうのは薄く切ってちょうどいい。こんなに分厚く切っちゃ、カネなんか貯まらないよ」
外においてケチというばかりでなく、家庭にあってもケチを通していた。猛烈な守銭奴である。小佐野は家計についてもいっさい英
子には任せず、自分で仕切った。英子には、小遣いをほとんど出さなかった

ちょっと・・・これ・・・どこの家庭の話??
なんかかなり近い話を聞いたことがあるような気がする。
おさけん~♪ もし同い年だったら俺と仲良くなれそうだな。これを読む限りではよぉ。
引き裂かれた夫婦の信頼関係
小佐野は妻にカネを渡さないため、英子は小遣いに不自由をした。小佐野は英子にカネのないのを知っていて、夜寝る前にカネ
を抜かれないようにそっと自分の財布の中身を数えて寝ていた
と言われる。
あっ、あれ? これも似たような話が・・・
2008.07.09: 妹が見た悪夢
彼女はカネのために結婚したのに、カネが使えないことで、夫を憎みはじめたとさえ言われている。なぜ英子と小佐野の間
がこのように冷え切ってしまったのか。それにはわけがあった。英子の弟、正治の引き起こした事件であった。ロッキード事件
の後。小佐野は上野毛の自宅にこもり、一歩も外に出なかった。ストレスもたまる。もともと猜疑心は強いのだがそれに輪をか
けて疑い深くなった。ねたみ嫉妬も異常なほどであった。そんな小佐野を尻目に英子の実弟である正治はとんでもないことを
吹いて回っていた。「小佐野が死んだら俺が社長になるんだ。死ねば財産の大半は姉が受け継ぐけれでもどうせ女だから俺
にその大半は回ってくる」そういっては小佐野の名を借りて銀行に金を駆りまくっていた。小佐野の禿頭からは湯気どころか
火が吹き出そうだったという。

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政商 昭和闇の支配者 ~叩き上げ人生

田中角栄と刎頚の友とまでいわれたいわゆる政商である国際興業グループのオーナーであった小佐野賢治
1941年、太平洋戦争のはじまる年に第一自動車商会を創立するやそれから軍に食い込み、左官待遇で軍需省の民
間嘱託となった
。戦争の拡大に合わせ儲けていった。
1945年、8月の敗戦と同時に進駐軍が入ってくるや、米軍の指定商となった。軍にかわって米軍に食い込み、稼ぎまくる。
日本とアメリカの蜜月時代にピタリと歩調を合わせている。以後ハワイ、ロサンゼルス、サンフランシスコのホテルを買収
するなどして、アメリカを背景に儲けていく。
1950年、朝鮮戦争が勃発した。朝鮮半島に進出し、米軍基地内でバスを運行させた。
1965年、ベトナム戦争が全面拡大した。国際興業は、南ベトナム最大の米軍基地、ロンビン基地内で、米軍将兵輸
送用バスの貸付と、バスの修理事業を始めた。
幻の千円札で買った3つのホテル
千円札は昭和25年(1950年)に初めて発行されたことになっている。表には聖徳太子の肖像が刷り込まれ、裏には法
隆寺の夢殿が刷り込まれている。その千円札が日本発の千円札-と、日本人の誰もが、今はそう信じている。ところが実は
それ以前に千円札は存在したのである。その「幻の千円札」はごく一部の者たちの間で流通し、わずか半年の後に姿を消す

表には日本武尊(やまとたけるのみこと)の肖像画、左に武部神社の風景が刷り込まれている。裏には風景などの絵は無く
大きく右側に「千」、左側に「圓」と刷られている。正式名称を「日本銀行兌換券甲千円券」、通称「日本武尊千円券」と
いう。が、幻の千円札は縦が10センチ、横が17.2センチと片手で持つというよりは両手で持たねばならないような大判の
ものであった。この千円札は終戦直後の昭和20年8月17日に発行された。新円きりかえ前の昭和20年の銀行員の初
任給が80円、巡査の初任給が60円の時代である。いかに超高額紙幣であるかがわかる。昭和16年、日本銀行が大
蔵省印刷局に発注した。総印刷製造高は81億円分で、発行日は昭和17年4月16日とされたが、実際に流布したの
は昭和20年8月17日~翌21年3月2日までであった。発行日と流通を開始した時期に約3年間のブランクがあるのは
昭和17年5月1日付けで、日本銀行法が公布されたためである。この法律は札と金が交換できる兌換券の発行を禁ず
るというものである
。既に印刷済みの千円札は兌換券であるため、日銀法の公布前に発行してしまおうという手続きが踏
まれたのであった。超高額の千円札は、非常時の緊急準備として製造された。敗戦に及んで膨大に膨れ上がった臨時軍
事費の未払いや、恩給の支払いに当てられた。そのほかには使われることが無かった。
小佐野はその千円札をホテルの買収に当てたのである。
「千円札に関して、小佐野はこれらのホテル(熱海、強羅、山中湖)に払ったという以外には、なにもいってません。そのほか
にそれらは古い札でかなり汚れていたという証言があります。長い間流通していなかったように思われます。このお金がどこに
預けられていたかを明らかにし、銀行がその千円札の番号を知っていたかどうかを知るために、横浜地方検察庁渉外部の
蓑山保男が調査しようとしています。彼は政府の印刷局を調べ、また、満州の関東軍に対して千円札が発行されたかどう
を調べようともしていました。小佐野は終戦後に陸軍省あるいは参謀本部に商品を納めてこのお金を手に入れたとみられ
ています。」
結局、裁判でも千円札については米軍将校が加わっていることから不起訴となっている。そのため小佐野裁判で表面化し
なかったのである。いずれにせよ、小佐野は誰もが手にできるわけではない千円札を大量に持っていたことは事実である。
1947年、小佐野は横浜刑務所に入れられた。小佐野の塀の中の姿を当時の仲間が語る。
「小佐野は、年が若いのに頭が禿げていたので、おれたちは、彼のことをオジサン、オジサンと読んでいた。本来、学歴も無く、
教育らしい教育を受けていないのだから、いわゆる通称モタ工場といって、紙張り、袋張りの工場に回されるところだ。が、
IQテストで案外良い結果だったらしく、普通なら中学卒くらいの学歴がないと回されない印刷工場に配属された。しかし、
漢字がよくわかるわけでもないので、印刷では文選とか植字とか技術のいる仕事をさせるわけにはいかない。解版といって、
刷り終わった版をばらす仕事をやらされたり、工場の中をホウキを持って掃除したりしていた。やつの唯一の取り柄はもともと
育ちの悪い男なので物事にこだわらないことだ。刑務所の酷い食事にもあまりぐちをこぼさないでいた
。が、何気ない風で自
分がいかに金持ちかということをそれとなく人に分からせるような話をする。
田中角栄は1948年第二次吉田内閣発足で法務政務次官に就任。がその年、いわゆる炭管事件で逮捕。東京高検
に出頭。史上初の社会党内閣である片山哲内閣が、社会主義政策として石炭を国家管理下に置こうと炭鉱国家管理
法案を閣議に提出した。業者たちは黒いダイヤと呼ばれた金のタマゴを社会主義者たちに渡すまいと田中角栄に陳情した。
田中は業者から100万円を受け取った。田中土建工業専務の入内島金一を介して政界にカネをばらまかせた。それが罪
に問われたのである。ところが小菅刑務所に入っていた12月23日に衆院が解散されてしまった。田中は獄中から立候補
た。昭和24年1月13日保釈。総選挙で二位当選、昭和26年炭管事件控訴審判決で無罪となる。
【角栄伝説】
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深夜特急2 マレー半島・シンガポール

どうやら彼はアメリカ人のようだった。私とそう変わらない年齢だと思えるのに、眉間には深い皺が走っている。私は陽と風と
雨に長い間さらされてきたらしい彼の顔を見ているうちに、唐突に彼がベトナムからの帰還兵であるように思えてきた。船乗
りが陸に上がったとか、ヒッピーが流れついたとか考えるより、ベトナムでの休暇のたびにバンコクの女の元へ通っていたが
、やがて子供が生まれてしまい、除隊後もアメリカではなくタイに居ついてしまったと考えるほうが彼のどこか人生を投げたよ
うな雰囲気
に合っているような気がした。
この宿には3人の年配の男のほかに6人の若者がいた。ひとりは帳簿づけのような仕事をしているのだが、ほかの連中は、
ちょっとした走りづかいや掃除をするだけで、日がな一日ぶらぶらしている。することといえば、昼寝かマレー風のハサミ将棋
くらいしかない
。よく観察してみるとヒモに違いなかった。深夜に客が途絶えると、それまで外にいた若い衆はそれぞれ自分
の女の部屋に入っていく。女の仕事部屋が彼らの巣でもあるらしかった。ウィークエンドは書き入れ時で、客も夜遅くまで
いるし、場合によっては泊まりということもある。運悪くいつまでたっても女の部屋にもぐりこめないヒモたちは、部屋の前の
廊下のハンモックまがいのベッドを組み立て、そこに寝なくてはならないのだ。自分の女が別の男と一緒に寝ている前で、
いったい眠ることなどできるのだろうか・・・。
居るよね・・・アジアって。そういう何してるか良くわからない人・・・。
そこはアラブ・ストリートという名にふさわしく、通りには金色屋根のモスクが建ち、またインドから中近東にかけての雰囲気を
持つ店が並んでいる。それらの店が扱っている品物はほとんどが布地か衣料品で、しかもとてつもなく安かった。タイよりも
マレーシアよりも香港と比べてさえ安い
。値段を訊ねると、ワイシャツが300円、白い無地のTシャツが180円という答
えが返ってきた。
シンガポールは大きく変貌を遂げようとダイナミックに動いている都市だった。到るところで古い建物が壊され、新しく高層
ビルディングが作られている。すでに完成している建物には高級輸入品店やレストランが入り、辺りにきらびやかさをふりま
いている。しかし物にほとんど興味のない私にとっては、フランスやイタリアの洋服や革製品がいくら安くても関係なかった。
そうなんだ。偉くなったもんよのぅ。シンガポールも。
<そうだ、シンガポールは香港ではなかったのだ> 気がついたあることとは、言葉にすればそのような陳腐な表現にならざる
をえないものだった。シンガポールは香港とは違う。私はそれに気づいたことで初めて、なぜシンガポールが自分にとって退
屈でつまらないのかの原因がわかったように思えた。私はこのシンガポールに香港のコピーを求めていたらしいのだ。香港が
あまりにもすばらしく、一日として心が震えない日はなかったほど興奮し続けていたため、その熱狂の日々をもう一度味わ
いたいものと思い込んでしまった。しかし、私がシンガポールにもう一つの香港を求めていたとすれば、たとえそれがどれほ
ど魅力的な街であったとしても本物以上のものを見出せるはずがなかった。
シンガポールばかりではない。タイやマレーシアのどんな街にいても、無意識のうちに香港を探し求めていた。そして、違う、
違うと思っていたのだ。これらの国が中国の文化に深く影響されていたということも、街には華僑が多かったということも、私
にそのような錯覚をもたらす大きな原因であっただろう。しかし、当然のことながら、シンガポールはシンガポールであって香
港ではなく、東南アジアの他のどんな街にしても香港ではありえない
のだ。
物ってふえますよね。もちろん家事とかそういうことがあって、一瞬にして消えてしまうでしょうけど、そういうことがない限り、
人の関係とか、物とかが増えていくにしたがって不自由になっていきますよね。僕はそういう風に物をふやして、関係をふ
やして、そして不自由になって、安定した感じで生きていくようにはなりたくないと思うんですよね。
物は、きちんと、捨てれば増えません。

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深夜特急1 香港・マカオ

もうキャット・ストリート(ラスカー・ロウ、またの名を泥棒街)などどうでもよくなってしまった。香港は、おそらくあらゆる通りが
キャット・ストリートのようなものなのだろう。あらゆるところに店があり、品物があって、人がいる。そのとてつもない氾濫が、
見ているだけの者も興奮させてしまうほどのエネルギーを発散している
のだ。<香港って街は、なんて刺激的なんだ> 私
は九龍に戻るフェリーの上で、歩きつかれた脚を投げ出しながら、胸のウチで何度もそう呟いていた。
う~む、良い表現だ。俺の香港の第一印象もこんな感じだった。
右手を後ろに隠すようにして戻ってくる。そして恥ずかしそうに右手を突き出すと、「スイクァ」と言った。彼女の手には西瓜
が一切れあった。みんなが食べろ食べろと勧めるので、ひとりだけだったがありがたくご馳走になることにした。
これもわかる。日本語と中国語の同音同義。日本人なら誰しも嬉しくなる瞬間だ。
マカオ、香港から連絡線で2時間半、水中翼船ならその半分でしかないが、その二つの都市は明らかに異なる国に属
している。香港から船に乗る時は出国カードに記入しなければならず、マカオの桟橋に降り立てば入国カードを提出し
なければならない。しかし同時にその二つがどれほど密接に結びついているかは、入国の手続きをひとつするだけでわか
ってくる。桟橋で簡単に発給してくれる観光ビザは25パタカであると共に25香港ドルでもあるのだ。つまり、マカオの通
貨であるパタカは、香港のドルに連動しほとんど等価なのだ。マカオの市中では香港のドルがそのまま使用できるという。
もっとも両者は等価ではあっても対等ではなくその力関係は香港ドルがマカオで流通しているのに対し、パタカが香港で
は使えないところにはっきり現われている。
時代が違うね~。今は40分で着く。ビザも必要だったんだ・・・。当時はポルトガル領だったのかな?
今となっては、二つの都市は属している国は中国で同じだが、行政が異なるだけ。
パタカと香港ドルは等価ではなく、1MOP=0.97HKDの固定である
賽の踊り
大小の勝負のアヤはゾロ目にあるのだ。大小におけるゾロ目は、ルーレット言えば0や00に相当する。象牙の球が0や
00に落ちれば赤黒どちらに張っていても親に取られてしまう。大小のゾロ目もそれとまったく同じで、合計数がいくつであ
っても大小に賭けられた金はディーラーに没収
されてしまう。私がカジノ側の人間だとすれば、そのゾロ目を最も有効に利
用したいと考えるだろう。ゾロ目が出る時に大と小に大きく賭けられていればいるほど、カジノにとってはありがたい。ディー
ラーはゾロ目を思うところで出せるのだ。場の雰囲気を煽り、客を興奮させ、大と小に賭け金が集中するようにしてゾロ目
を出す
。私はこの推測に誤りがあるとは思えなかった。
沢木君、残念ですが、誤りです。
このような事象がなぜ起こるかは、ディーラーの”腕”によってではなく、民の振る舞いそのものによるものです
民は全てを失うまで賭け金を大きくする傾向がある。必然の偶然性によって大きくなったに過ぎない富に、不合理な理由
をつけて正当化し、自らに才能があると思い込むものなのである。大大大大大と出てるから、次も大、次こそは小などと
いう宗教じみた不合理な理由で偶然を神格化し、調子に乗って大きく張っていく。そして、ついに訪れた必然のゾロ目が
出たら、カジノ側のイカサマを疑い始める
。これは大衆ギャンブルだけでなく、株でもKnock-In Put Shortでも言える民
のBehaviorなのです。
ダイスという単語の綴りが不意に曖昧になってきた。DICEだと思うのだが、確信が持てない。バックの中に放り込んでおい
た辞書を取り出し、調べてみた。綴りはやはりDICEだった。しかし意外だったのはそれが複数形で、賽の単数はDIE
であると記されていたことだった。DIE、つまり死だ。賽と死がまったく同じ綴りを持っていることに驚かされた。辞書にはこ
んな例文も載っていた。賽は投げられた。ルビコン河を前にしての、ジュリアス・シーザーの有名な台詞である。それを英語
にすると次のようになるという。The die is cast.
だが、この文章をじっと見つめていると、投げられたのは賽ではなく、死であったかのように思えてくる。
沢木 国境線というのは厳密に引かれているもののようでいて、ひどく杜撰なところがあるものだからね。
山口 そう。戦後の日本人にとっては、海岸線が即国境だったわけで、沢木さんや私は明治このかた、一番コンパクトで
国境のはっきりした日本で育った世代でしょ。だから、戦前世代と違って、国境なんて杜撰なものなんだという常識に欠
けるところがある(笑)

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インド対パキスタン ~両国の核兵器開発とこれから

純度3%に濃縮されたウラン燃料を使って発電したり、実験や核兵器製造の原料となるプルトニウムを生産するた
めの原子炉で燃やした後の使用済み核燃料の組成は、ウラン238が95%、ウラン235が1%、プルトニウム1%、核分
裂性廃棄物3%
となる。プルトニウムは自然界には存在せず、以上のようにウランを燃焼させることによってのみ得
られる。原子力発電所での燃焼の場合、軽水炉型と黒鉛減速型の二つのタイプの発電炉があり、現在世界の主
流となっている。軽水炉型での発電後に生成される1%プルトニウムの組成は、プルトニウム239が58%、これに対
し、黒鉛減速型では90%とかなり純度が高い
。このプルトニウム239はプルトニウム型原爆の材料として使われる
ことから、黒鉛減速型発電炉は軽水炉型に比べて核兵器開発に限りなく近いところに位置するものと見られる。
核兵器疑惑を受けて締結された94年の「米朝枠組み合意」で、北朝鮮の黒鉛減速型発電炉を廃棄する代わりに
韓国と日本が軽水炉型2基を新規に建設することにしたのは、以上の理由からだった。
インドもパキスタンも発表された核爆発装置の破壊力の数値と実際に地震波でモニターされた数値とのあまりの
開きはどう説明すればよいのだろうか。地下核実験を行う場合、地中深くに大きな穴を掘り、実験用原爆をセット
して起爆の信管につながる装置を地上に連結したうえで、穴そのものは分厚いコンクリートの蓋で厳重に密閉さ
れる。これは爆発によって物凄いエネルギーが地上に噴出し、有害な放射性物質が空中に吹き上げられるのを
防ぐためだ。インドもパキスタンも発表された破壊力数値より実際のモニターされた数値の方が大幅に低かた
ということは、セットされた爆発装置(インドは3つ、パキスタンは5つ)が全て予定通り爆発しなかった可能性が高
いと考えられる。複雑な構造を持った現代タイプの核兵器は通常、①概念設計、②概念設計に基づいて作った
部品をテストする部品群テスト、③テストで不具合を直した上での本格設計、④開発、⑤爆発実験、⑥生産、
⑦配備、の7つのプロセスを経て初めて正真正銘の核保有国となる。問題は、今後インドが「生産」「配備」とい
う「核兵器保有国」のプロセス完結まで進むかどうか
に移ってくる。
パキスタンを通じ、イスラムへの波及の可能性は薄い。リビア、イランといった中東のイスラム国家が核保有を
虎視眈々とうかがっていることから、同じイスラム国家のパキスタンが今回獲得した核兵器技術を流すのではな
いかと懸念されている。いわゆる「イスラムの核」だ。パキスタンはインドと同様これまで一度も核兵器技術を海
外に輸出した疑惑を引き起こしたことは無い。「イスラム世界の中でも穏健派を代表していく。イスラム原理主義
などの急進派とは一線を画している」。これはイスラムの穏健派にとどまることで、日本や米国、さらにはサウジ
アラビアなどのイスラム穏健諸国からの経済支援を獲得できるという冷静な計算があるからだ。
95年9月には米上院外交委員会中東南アジア小委でロビン・ラフェル国務次官補が証言し、「米政府は対パキ
スタン政策について議会と次のことで合意したことを明らかにした。
1.パキスタンは米国にとって、不安定なイスラム圏の中にあって穏健で民主的なイスラム国家、国際テロ対策を
支援している国家、世界のPKO活動で米国のパートナー国家、麻薬取引と民族紛争の脅威に直面している国
家、建設的協力的関係を維持していく。
2.核開発を凍結させ地域の緊張を高めることは避ける観点からF-16の供与と政府間の軍事支援再開は慎む。
3.パキスタンが支払った金も装備品も両方渡さないという不公正な態度を取り続けることはしない。
これを受けて、米国は対パキスタン武器禁輸を5年ぶりに一次解除することを決定し、F-16戦闘機の本体を除く
艦対艦ミサイル、空対空ミサイルなど総計3億6800万ドル分の武器がパキスタンに売却された
。凍結されてい
るF-16戦闘機28機については、第三国(フィリピン、タイ、台湾は除かれる見込み)に売却し、その代金をパキス
タンに返還するとクリントン大統領は表明した。
レス・アスピン米国防長官は、核戦力見直し作業をリードしていたが、米国内のタカ派の猛烈な反対にあって
挫折した。アスピン長官が推進した劇的核削減案実現の障害になったのは、皮肉にも唯一の被爆国、日本の
存在だった。米国による核の傘の提供だ。日米安保条約に基づいて米国は日本に対し、核を含むあらゆる攻
撃に対する防衛を約束している
。「米国は日本などの同盟国に核の傘を提供しているのだから米本土を守るに
足るだけの核では不足する」というのが核兵器の劇的削減を回避する論理であり、口実をひとつでもあった。
筆者がインド・パキスタンを訪れて「核実験をしないよう」求めたところ、異口同音に「米国の核の傘に守られて
いる日本が、我々にそんなことを言えた義理か」
と反撃された。96年の中国による駆け込み核実験を日本が
唯一の被爆国の立場から厳しく非難した時、中仏両国から同じ反論を受けて、返す言葉を見つけられなかった。
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インド対パキスタン ~パキスタンの核開発

「パキスタン原爆の父」アブドル・カディール・カーン博士
1936年、インド中部のボパールにイスラム教徒の子として生まれ、パキスタン独立の後、52年にカラチに移住。ベル
ギーのルーベン大学で博士号を受けたあと、濃縮ウラン製造技術では世界的に有名なURENCO社(英、独、蘭3カ国
合併)の系列会社、FDO社(オランダのアムステルダム)に冶金学専門家として72年4月に就職
した。ここでの勤務を
通じてカーン博士は、濃縮ウラン型原爆の製造に必要な高度なウラン濃縮技術を身につけた。
インドが98年の核実験再開まで一貫して「核兵器製造能力は保有しているがそれは万一の場合の選択肢であって、
現実には核兵器を保有していない」とするオプション・オープン政策
を堅持してきたのと同様、パキスタンもまた今回
の核実験実施までは「核兵器製造能力はあるが、実際には持っていない」とする政策を堅持してきた。パキスタン
が「経済援助」と「事実上の核抑止」を両立させる「あいまい戦略」をとり続けることができた最大の理由は、米国が
パキスタンの核兵器開発を知っていながら、これを事実上黙認してきたためだ。米国が早い段階でパキスタンの核
兵器開発を知っていたという証拠は二つある。74年9月にCIAは「核兵器の将来の見通し」と題した報告書を発表し
(これは74年5月のインドによる初の核実験を受けて、急遽まとめられたもの)、「パキスタンが核兵器開発を完了する
には少なくとも10年かかるが、外国の支援を得ればもっと早くできるだろう」と指摘したことが第一。第二はフランス
国営原子力関連メーカー、SGNがパキスタン政府との間で契約したプルトニウム濃縮のための再処理施設(イスラマ
バード南西180kmの砂漠の町、チャシュマに建設を予定していた)建設プロジェクトについてフランス政府に圧力をか
けて78年6月に破棄させていたことだ。これは当時のジミー・カーター政権がパキスタンの核兵器開発疑惑をはっき
り認識していたことによる。ところが79年12月に事態は一変する。ソ連軍が突如としてアフガニスタンに侵攻したた
めだ。米ソ緊張緩和の最中に起きたソ連の軍事行動は、米国を驚愕させるとともに、アフガニスタンがソ連によるイ
ンド洋進出の回廊にあたるところから、米国は一気に緊張の度を深めた。アフガニスタンの隣国パキスタンはまさに、
このソ連によるインド洋なんかを阻止しうる格好の地理的位置にあるため、米国は急遽、膨大な量の軍事・経済支
援をパキスタンに注ぎ込み、パキスタンをソ連のインド洋進出を阻む防壁として利用した
のだ。こうしてそれまで神経
を尖らせていた「パキスタンの核開発疑惑」は、脇に押しやられ、カーン博士は心置きなく核兵器開発に専念。87年
にはウラン型の原爆の最初の構成要素が完成した。しかし、89年に入ってソ連軍がアフガニスタンから完全撤退す
るや、状況は再び一転する。ソ連によるインド洋南下の脅威が去り、その防壁としてのパキスタンの戦略的価値が
低下するや、前述の通り米国は手の平を返したように10年間にわたって事実上不問に付されていた「パキスタンの
核兵器疑惑」を持ち出し、「核開発を中止しなければ援助を打ち切る」と猛烈な圧力をかけた。ソ連のアフガン内戦
介入時代の10年間に米国からの巨額の援助が国家財政の不可欠の部分を占めるに至っていたパキスタンはこれ
に屈し、核兵器開発は凍結された。
パキスタンは自国内にウラン埋蔵は無く、重水の製造装置を持たず、核兵器の組み立てのための関連部品に使わ
れる資材のほとんどを外国に依存している
、きわめて脆弱な基盤に成り立っているのが大きな特徴となっている。
インドのような自己完結性を持たないがゆえの脆弱の基盤に加え、パキスタンの核兵器開発にはもうひとつ大きな
弱点がある。ウラン型の原爆は構造が簡単で製造が容易である代わりに、プルトニウム型に比べて重量が重く小
型化が難しい
ことだ。プルトニウム型原爆は改良を重ねることで小型・軽量化を進めて比較的早くミサイル搭載タイ
プを開発することができるのに対し、ウラン型は小型・軽量化が容易ではないため、どうしても航空機搭載に頼らざ
るをえない。その結果、ウラン型原爆はミサイル搭載タイプのプルトニウム型に比べて、相手に対する核兵器として
抑止効果が大幅に落ちる。パキスタンは、広島型の原爆6~10個分の兵器級高濃縮ウラン・部品を保有している
とみられる。その全体構成要素は87年ごろ最初のものが完成し、89年に開発が凍結されたものの、90年にカシミ
ールをめぐる対インド関係緊張激化を受けて再開され、その後91年以降は濃縮ウラン型原爆の開発は凍結されて
いるとみられる。現在は、小型・軽量化が容易な長崎型のプルトニウム型原爆の開発を目指していると推測される。
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インド対パキスタン ~インドの核開発

インド原爆の父 ホミ・バーバー博士
バーバー博士は、イギリスのケンブリッジ大学で核物理学を学んだあと1944年にインドに帰国、翌45年に設立された
「タタ基礎研究所」の所長に就任して、インドの原子力研究をスタートさせた。インドの核兵器開発は中国の核実験成
功がきっかけだったが、バーバー博士自信の核兵器開発への決意は、それよりはるか前に形作られていた。インドが
独立を果たしたわずか11日後の48年8月26日、インドの主だったリーダーが秘密裏に集まって独立後のインドの基本
政策を討議した。席上、バーバー博士は一同に向かって「力を使わない者に、力は形成されない」と述べ、「強いイン
ド」作りを執拗に主張したという。「58年までには核実験を実施したい」。その後62年の中印国境紛争でインド軍が大
敗するや、バーバー博士は原爆製造の必要性を公言するようになり、64年10月の中国による核実験成功の直後に
は「インドは18ヶ月以内に核実験を行うことができる」と言明するに至った。バーバー博士の最大の功績は、その広範
な交友関係を通じて、イギリス、カナダ、フランス、米国から原子炉建設や燃料、重水の提供に至るまで、様々な支援
と協力を取り付けたことだった。
米国の失政
宿命の対立関係にある隣国パキスタンとインドの核実験に使われたもともとのプルトニウムを抽出したシーラス原子
炉の輸出国であるカナダは激しく反発したが、ソ連は「インドが核爆発の平和的利用技術において世界水準に達す
る道を開いた」と、事実上支持する態度を取ったほか、フランス原子力委員会に至っては祝意を表した。中国はコメ
ントなしに速報。米国は「インドの核実験に使われた物質は米国が提供したものではない」ことを強調するとともに、
「米国は引き続き核兵器の拡散には反対していく」ことを表明したにとどまり、国際社会の対応は大きく分かれた。
インド核実験成功のカギを与えた、トロンベイの再処理工場の基礎技術は、米国が初期の原爆を開発するのに成功
したビューレックス法と呼ばれるプルトニウム濃縮方法で、米国はこの技術をトロンベイ工場に全面供与し、24人の
インド人技術者の訓練にもあたった。米国はなぜ、危険な各関連技術・施設を気前よくインドに提供してしまったの
だろうか。その理由はアイゼンハワー政権が打ち出した「平和のための原子力」構想にあった。その基本的考え方
は、核兵器の拡散を阻止する最善の方法は、原子力研究で最先端を走っている米国が、友好国の平和利用研究を
積極的に支援することによって、これら友好国が軍事利用への道を自制するようになること
だというものだった。この
ようなきわめて楽観的な考え方に基づいて米国は、インドの原子力研究を育てるために、保証金付の借款、研究費、
訓練などの大盤振る舞いをし、1300人ものインド人科学者やエンジニアが米国内で教育・訓練を受けた。このように
みてくると、米国の場当たり的な政策の責任はきわめて重いといわざるをえない。
インドが開発したとみられる核兵器は、長崎に落とされたのと同じプルトニウム型であるということだ。またパキスタン
が核兵器開発に必要な多くのものを外国から輸入に依存しているのに対し、インドの核兵器開発は基本的には「自
己完結性」を有していると言える。インドは自国にウランを埋蔵しており、IAEAの推計によれば1キロのウラン抽出に
80ドル未満という比較的低いコストで済むものが35000トンもある
ことだ。自国産の天然ウランを使って、マドラス、ナ
ロラ、カクラパルの原発、さらにはシーラス、ドゥルーヴァ、FBTRのプルトニウム生産炉でプルトニウムを生産し、これ
をトロンベイ、タラプールのプルトニウム再処理施設で兵器級プルトニウム(純度93%以上)に精製するという、一連の
サイクルを自国内で行っていることだ。第三は原発炉、プルトニウム生産炉いずれにも必要不可欠な重水をインドは
大量に国産する能力を持っている
点だ。第4は1958年に設立された「国防研究開発機構」傘下に、47の研究所、8つ
の国有製造企業、科学者・技術者約6000人、専門技能工10000人を抱え、裾野の広い技術基盤を保有しているこ
とだ。第五は、36万9000トンに及ぶトリウムを自国内に埋蔵しており、万一自国産の天然ウランを掘り尽くしても、ウ
ランに変わるプルトニウム生産手段を確保していることだ。トリウムはウランと一緒に高温ガス冷却炉で燃やすことで、
ウラン233を生産でき、これを燃料に高速炉でプルトニウムを生産することが可能だ。インドはこの、トリウム燃料サイ
クルに取り組んでいる。インドの核兵器開発の特色は、インドの各関連施設はパキスタンに比べて膨大であり、大量
の兵器級プルトニウムを生産できる点にある。また熱核兵器である水爆を製造するための設備を持っている点も見
逃すことはできない。インドは計画中のものも含めて8つもの重水製造工場を持っているために、水爆製造に必要な
三重水素(別名トリチウム)を多量に生産できるうえに、もうひとつ水爆製造に不可欠なリチウム6の生産・精製も行っ
ている。唯一ともいえる弱点は、純度の高いベリリウム金属を国内調達できないことだ。核物質のコアを取り巻く反
射材にベリリウムを使えば、爆縮圧縮を2倍を高められる。こうすれば原爆製造は最少量のプルトニウムで済む(臨
界量を最小化できる)ので、原爆を小型化・軽量化できるのだ。そのため、インドは80年代に大量の高純度ベリリウ
ム金属を輸入している。
【資源獲得競争】
2010.03.02: テロ・マネー ~血に染まったダイヤモンド
2009.12.04: アジア情勢を読む地図2
2009.06.26: プーチンのロシア2
2009.03.13: 裏支配
2009.01.29: 意外に重要、イランという国
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2008.09.08: いい女発見!
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インド対パキスタン

NPTの無期限延長決定、CTBTの圧倒的多数で採択という、日本をはじめ国際社会がこぞって歓迎した事柄が皮肉
にも結果的にインドを追い詰め、この時期に核実験をやらざるをえない状況を作り出したことを、インド側の証言を通じ
て明らかにするとともに、軍事的には受け身の実験であったことを示し、今回の核実験の本当の狙いがどこにあった
のかを改名する。イラン・リビアの中東地域への核兵器開発が波及していくかなどの点について、米国、ロシア、中
国といった周辺大国の思惑をからめて、21世紀のパワーゲームの行方を展望した。
インド洋に突き出た南アジア地域は、日本がその大部分を依存している中東石油の輸送ルートにあたるだけでなく、
隣の大国中国を背後からけん制し得る地政学的位置を占めている
。21世紀のアジア・太平洋地域の戦略バランスを
考えるうえで、絶対に無視できない重要な地域であることに気付いている日本人は、意外に少ない。
攻撃的防御へ転換したパキスタン
宿命的対決関係にあるインドとパキスタンだが、双方の長大な国境線(およそ2000kmにおよぶ)は、①カシミールを抱
えた北部山岳地帯、②パンジャーブ平原をはさんだ中部平原地帯、③98年5月にインドが核実験を行ったタール砂漠
上に引かれた南部砂漠地帯、④最南部のカッチ湿地地帯のほぼ4つの部分からなっている。
このうち、カシミールの峻険な山岳地帯は他の地域とは地理的に隔絶された独立の単位となっており、ここで相手を
打ち負かした軍隊がそのままインド、パキスタンどちらかの首都になだれ込むという展開にならない。最南部の湿地
帯も、深いぬかるみに足を取られるために双方とも大規模作戦を実施するには困難を極める。ということで残るパンジ
ャーブ平原と、タール砂漠をはさんだ乾燥地帯が、インド・パキスタンの雌雄を決する戦略正面となってくる
。インド軍
が侵攻した中部国境地帯のパンジャーブ平原は、見渡すかぎり平坦な地形であるため、敵がひとたび全力で進撃を
始めると後方の砲兵部隊を温存するいとまもなく防御線は突破されてしまう。このときのインド軍はまるで無人の野を
行くがごとく電撃的に進撃してパキスタンの重要都市、ラホールに迫り、パキスタンは敗戦という形で停戦を受け入
れたのだ。
インド陸軍2000構想
インドはパキスタンに対して軍事的に圧倒的優位に立っている。それなのになぜ、パキスタンを直接的脅威とみなして
いるのか。それはインドが圧倒的優位にあるのは軍事力の量の分野であって、兵器の性能などの質の面ではパキス
タンをあなどれない状況にあるためだ。財政的に豊かではないはずのパキスタンがなぜ兵器の質が良いのか。その
理由は米国の支援にある
。79年12月にソ連軍が突如としてアフガニスタンに侵攻した。米ソ冷戦のただ中にあったた
め、米国はこのソ連軍侵攻を「ソ連が暖かいインド洋に進出するための戦略的行動である」と危機感を強め、アフガニ
スタンの東隣にあってソ連なんかを阻止する防御駅を果たす地理的位置にあったパキスタンに膨大な量の高性能兵
器を注ぎ込んでテコ入れをした。こうして貧しい国であるにもかかわらずパキスタン軍は米国製の高性能兵器で武装
することになった。
中国の主張「わが核は米国向け」
98年5月インドは24年ぶりに核実験を行った。パジパイ首相は、インドが核実験に踏み切らざるえなかった理由として
次の3点をあげた。
①インドは公然たる核保有国に国境を接しており、その国は1962年にインドに軍事侵攻した。(中国を指す)
②この国(すなわち中国)とインドの関係はここ10年間、改善が進んでいるが、国境線問題のために不信感が続いて
 いるうえに、わが国のもう一つの隣国(パキスタン)による秘密裏の核兵器開発を物理的に支援したことで、この不
 信感は増幅された。
③インドはこの隣国(パキスタン)との間では過去50年間に3度も侵略をこうむっており、ここ10年間でもパンジャーブと
 カシミールなど数ヶ所でこの隣国に支援されたテロと軍事行動の被害を受けている。
インドが核実験を合理化する理由としてあげている3点のうち、2点までも「中国の核の脅威」に言及しているのだ。
中国はこれまで45回の核実験を行っている。核戦力の中核であるミサイル搭載核兵器として、中国は長射程の大陸
間弾道ミサイル(ICBM)を約30基、中射程のIRBMを約130基、潜水艦から発射する中射程の弾道ミサイルを約24基
保有している。以上のように中国の核ミサイルは、中射程のIRBMが圧倒的な割合を占めていることがわかる。では
中国はこれら核ミサイルをどのような考え方に基づいて配備・運用しているのか、中国の核戦略を検討してみる。中
国の安全保障戦略は「冷戦期」と「ポスト冷戦期」で大きく異なってきている。
①米ソからの核による威嚇を抑止する。②ソ連による核攻撃に対する報復能力を維持する。③大国の威信としての
核兵器を維持する。91年にソ連が崩壊したことで中国にとっての北の脅威は大幅に減少した。この結果、現在では
中国の核ミサイルの多くは米国を指向しているとみられている。以上が中国の核戦略の外観だが、インドは中国の
核ミサイルが中射程ミサイル(すなわちインド全土を射程内にいれることができる)に重点が置かれ続けていることを
挙げ、あくまで「中国の核はインドに向けられている」と主張しているのだ。62年の 中印国境紛争の遠因は、59年3月
に中国のチベット地区で起きた大規模な反中国暴動にある。この暴動は中国軍によって鎮圧されたが、チベット仏教
の指導者でチベット独立運動の中心人物であったダライ・ラマがインドに亡命を図り、中国の激しい抗議にもかかわら
ずインド政府が亡命を受け入れた
。中印国境はネパール、ブータンの二つの小国を左右から挟みこむ形で、東側国境
のアッサム地方と、西側国境のカシミール東部のラダク地域と、二つの部分から成り、その総延長は約4500kmにお
よぶ。チベット地区内の反中国・独立運動は武力でなんとか押さえ込めたものの、ダライ・ラマのインド亡命はこの運
動の長期化を意味し、そこでチベットとインド領内を結ぶ唯一の幹線道路が通るラダク地域の戦略的価値が急上昇し
た。チベット独立運動支援のインド側からの補給ルートとなり得るからだ。キューバにソ連のミサイル基地が建設され
つつあることが発覚して、世界中がキューバ・ミサイル危機に目を奪われている最中の62年10月、中国軍の大部隊
が中印国境の東部地域マクラホン・ライン(インドが長年主張している国境線)を南下、あわせて西部国境ラダク地域
でも武力衝突が発生した
。戦闘は中国の圧倒的勝利のもとに一ヶ月で終わり、インド側損害は戦死1400人、行方不
明1700人、捕虜4000人にのぼった。この戦闘によって中国はラダク地区のうちチベットに通じる幹線道路を含む地域
を占領、その実効支配は今日まで続いている。

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