食と文化の謎 3/7~おぞましき豚

豚肉嫌悪はどう考えても牛肉嫌悪よりももっと非合理的に思える。すべての家畜の中で、豚は、植物を肉に変える速度と効率でもっとも大きい潜在能力を持っている。一生の間、豚は、餌に含まれるエネルギーの35%を肉に変えることができる。これに比べて、羊は13%、牛に至ってはわずか6.5%にすぎない。

豚に対する恐れと嫌悪の根拠を、いわば自明な豚の不潔さに求めることは、少なくとも12世紀にエジプトのイスラム王朝サラディン王につかえた宮廷医ラビ・モーゼス・マイモニデスの時代にまでさかのぼる。「豚の口はその糞とおなじくらいきたないから」 豚の排せつ物趣味は、豚の悪しき本性の故ではなく、ご主人様の買い方に問題があるのだ。排泄物を食べるのは、他にもっと良いものが無い時だけである。豚を動物の中で最も汚いものと非難しながら、他のくそを食べる家畜に対する寛大な態度については何も説明していない。ニワトリもヤギも、動機と機械がありさえすれば、やはり糞を食べる。犬もまた、人糞に対してたやすく食欲モリモリとなる家畜だ。豚肉忌避に関するマイモニデスの公衆衛生理論が科学的に正当性らしきものを獲得するには、その後700年待たねばならなかった。1859年に寄生虫のセンモウチュウと生の豚肉の関係が医学的に初めて立証され、それ以来、これがユダヤ教とイスラム教の豚肉タブーに対するもっともポピュラーな説明となった。

旧約聖書には、食べてよい肉と禁じられた肉を区別する定則が、かなりくわしく書かれている。その定則は、習性の不浄性や肉の健康に対する有害性については何も言っていない。そのかわり、食べてよい動物の解剖学的、生理学的な、ある特徴に注意を向けている。レビ記11・1は次のように言っている。

動物のうち、すべての蹄のわかれた、偶蹄のもの、そして反芻するもの、それらは食べることができる。

なぜ豚は食べるに良くないとされているかを説明しようと本当に思うなら、一言も言われていない排泄物や有害性ではなく、この定則を出発点にしなければならない。レビ記は続いて、豚はその定めの半分しか満たしていない、とはっきり言っている。つまり、「それは蹄がわかれている」。しかし、定めのもう半分は満たしていない。「すなわち、それは反芻しない」。

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反芻動物の並外れたセルロース消化能力は、中東では人間と家畜の関係にとって極めて重要な意味を持っていた。「反芻」できる動物の飼育によって、イスラエルの民とその周辺の人々は、人間消費用の作物と家畜と分け合わずに肉とミルクを得られたのだ。牛・羊・ヤギは、草、ワラ、干し草、切り株、灌木、木の葉などを食べて大きくなる。それらはセルロースをたくさん含んでいるため、どんなによく煮ても人間が食べるには適さない。反芻動物は、食物をめぐって人間と競合するどころか、肥料としての糞とスキをひく牽引力を提供することによって、農業の生産力をさらに高めた。

豚は雑食動物だが、反芻動物ではない。実際のところ、消化器官、必要な栄養分に関して、豚は、猿と類人猿以外のどの哺乳動物より、人間によく似ている。それが、アテローム性動脈硬化症、カロリー・蛋白質不足症、栄養物吸収作用、新陳代謝などに関する医学研究に豚がよく使われる理由なのだ。

豚は中東の気候と生態環境に合っていないという、もう一つのハンデキャップを追っている。豚の体温調整システムは、暑くて、陽であぶれられるようなところの生活には全く適していない。しかし、そういう所がアブラハムの子供たちのホームグランドであったのだ。汗かきの人間は「豚のように汗をかく」といわれるが、この表現は解剖学的根拠を欠いている。豚は汗をかけない-汗腺をもっていないのだ。豚はよく汗みずくになっているが、それは外部から取った水分で身体を濡らしているためである。ここに、豚が泥の中で転げまわるのを好む理由がある。豚は転げまわることによって皮膚からの蒸発作用と冷たい地面からの伝導作用で熱を発散する。泥の冷却効果は水より勝っている。

こういったマイナスをすべて相殺するには、豚は反芻動物に比べて、あたえてくれるベネフィットがあまりに少ない。豚はスキを引けず、その毛は繊維や布に向かず、そのうえ乳用に適さないからだ。豚は肉以外ほとんど役に立たない唯一の大型家畜である。ニワトリは肉だけでなく卵も産む

レビ記は、反芻しないすべての陸上脊椎動物を徹底して禁じている。禁じられているものは、豚の他に、馬、猫、犬、ネズミ、爬虫類があり、これらはどれも反芻動物ではない。しかしレビ記の記述は、頭が変になりそうなほど複雑である。レビ記が特別に反芻動物と認定した三種類の動物も、食べるのを禁じられている。それは、ラクダと野ウサギ、そして三番目の動物はヘブライ語でシャーファーンである。これら名指しにされた三種の反芻動物が食べるに良くない理由は、「蹄がわかれて」いないから、と書かれている。

レビ記の食物規則はそれまでにあった伝統的な食物偏見と忌避を、ほぼそのまま成文化したものである。レビ記は紀元前450年まで文字に書かれなかった。これはイスラエルの歴史では非常に遅い時期である。おそらくレビ記の著者たちは、食べるに良い陸上脊椎動物が共通に持っているなんらかのわかりやすい特徴を見つけ出そうとしていたのだろう。レビ人が動物学の知識をもう少し持っていれば、反芻と言う基準の身を使い、ただ「ラクダを除く」と但し書きを付け加えるだけで良かったのだ。ラクダ以外のレビ記ではっきりと禁止されているすべての陸上動物-ウマ科、ネコ科、イヌ科、げっし類、ウサギ、爬虫類-は非反芻動物なのだから。しかし、動物学の知識に不安のあった法典編纂者たちは、ラクダだけが望ましくない反芻動物であるのか自信を持てなかった。そこでかれらは蹄が割れているという基準を加えたのだ。この特徴は、ラクダには欠けているが他の身近にいる反芻動物は備えていた。ラクダは蹄のかわりに、各足に二つのよくまがる、大きな指を持っている。

しかし、ラクダはなぜ望ましくない動物なのだろうか。ラクダが砂漠の環境に極めてうまく適応していることの反映であると考える。水を貯え、暑さに耐え、重い荷物を長距離運ぶという素晴らしい能力を持ち、しっかり閉じて砂嵐から守る長いまつげと鼻孔をもつラクダは、中東の砂漠地帯の遊牧民にとって最も重要な財産だった。しかし定住農耕民であるイスラエルの民はラクダをほとんど利用しない。砂漠以外のところでは、羊・ヤギ・牛の方が、ずっと効率よくセルロースを肉とミルクに変える変換器である。それにラクダの繁殖は極めて遅い。雌はなかなか子を埋めるようにならないし、雄も6歳にならないと交尾できない。そのうえ、雄の発情期は年に一度であり、また妊娠期間が12か月かかることが繁殖をさらに遅くしている。ラクダの肉もミルクも、古代イスラエル人の食糧に占める割合はごくわずかだった。アブラハムやヨセフのようにラクダを持っていた少数のイスラエル人も、砂漠を横断する時の運搬手段としてのみラクダを利用していたと思われる。

このような解釈は、イスラム教徒がラクダの肉を食べることを考えると説得力が増す。コーランでは、豚肉は特別に禁じられているが、逆にラクダの肉は特別に許されている。砂漠に住むイスラム教徒遊牧民ベドウィンの全生活様式は、ラクダを基盤にしていた。ラクダは彼らの主要な運搬手段であり、また、おもにミルクを取ることで主要な動物性食物源となっていた。ラクダの肉は日常食ではなかったが、ベドウィンは砂漠を旅する間、いつもの食糧がなくなってしまうと、非常食としてラクダを殺さなければならないことがよくあった。もしイスラム教がラクダの肉を禁止していたら、巨大な世界宗教になることは決してなかっただろう。アラビアの中心地を征服することも、ビザンチン帝国やペルシャ帝国を攻撃することも、そしてサハラ砂漠を越えてサヘル地域や西アフリカに到達することもできなかったに違いない。