紛争と難民 緒方貞子の回想 4/5~難民の定義

第三章 アフリカ大湖地域における危機
アフリカ中部の極小国ブルンジとルワンダは、2つの大国、ザイール(現コンゴ民主共和国)とタンザニアに挟まれた内陸国である。
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> この地図上の位置だけで、海を奪われた大国の緩衝地帯。悲惨の運命が待っていそうな予感がする。
国土のほとんどは丘陵地で、人口密度は高い。人々は同じ言語を使い、文化を共有しながらも異なる部族、とりわけフツ族とツチ族の二大集団によって構成されている。旧宗主国はツチ族の長を通じて間接統治を行っていた。しかしながら、独立が近付くにつれて、多数派のフツ族は旧来の統治方法に対してますます挑戦的になり、政治的・社会的地位や権力を要求するようになっていった。1961年にフツ族が弾圧的な共和制を樹立すると、おびただしい数のツチ系住民が周辺諸国へ逃避した。1960年代初頭までに、ルワンダから15万人がザイール、ブルンジ、ウガンダ、タンザニアに流出した。1990年の時点でもなお難民だと名乗る人は、概数で60万から70万人にものぼっていた。難民に加え、多数のルワンダ人が、隣接するザイール東部のキヴ地方に移住した。
国内はフツ系とツチ系に分断され、深刻な政治的対立が続いていた。政権の座に就いたのはフツ族であったが、軍を掌握していたのツチ族であった。1993年10月21日にブルンジ政府軍がクーデターを起こし、ンダダイエ大統領が暗殺されると全土に暴動が広がり、5万人を超えるフツ系住民が殺害されたうえ、70万人を超える難民がルワンダ、タンザニア、ザイールへ流出した。
ジェノサイドと難民の避難
ルワンダでジェノサイドが起きると、フツ系住民は大部分が周辺諸国に逃れた。最初の集団は1994年4月末に国境を越えてタンザニアに流入した。その数は25万人にのぼったがUNHCRはこれには何とか対応することができた。難民の多くはキブンゴ州のフツ系農民であったが彼らは殺戮から逃れてきたのではなく、かつてルワンダ東部で起きたツチ系住民の殺害に関与していたため、ルワンダ愛国戦線(RPF)部隊が到着する前に脱出してきたのである。そのなかには、かの悪名高いムランビ市長であるジャン・バプティスト・ガテテが紛れ込んでいた。彼はかつてルワンダで起きた大量殺戮の首謀者であった。UNHCRはこの人物をベナコ難民キャンプからタンザニア警察の拘留所に移送しようとしたが、大きな抵抗にあった。5000人ほどの群衆がキャンプを取り囲み、ガテテの釈放を要求したのである。この暴動事件は難民集団の複雑な性格を示すもので、難民は大部分が、RPFの到着を阻止するために政治行動や犯罪鋼を犯した集団に属していた。この時代は、現場で活動する人道援助要員の安全を確保するにも、難民の活動を抑えるにもタンザニア警察の能力には限界があることを示すものであった。
> 虐殺加担した後で逃げた人は、果たして「難民」なのか?


UNHCRの報道官は9月23日「10日ほど前から難民の自主的帰還の支援を停止した。そして、UNHCRの実地証人の報告をニューヨークの国連事務所とキガリのルワンダ政府に伝えた」と発表した。UNHCRはルワンダ政府からの非難の矢面に立たされた。ビジムング大統領はUNHCRが、「難民の帰還を停止させるために悪意に満ちたキャンペーン」を行ったものであり、その裏には、難民をキャンプにとどめておいて自分たちの仕事を守ろうとする「私的な動機」がある、と非難した。国連総会の討議を控えていた事務総長は、この件がもたらす政治的影響を懸念していた。アメリカ政府は、ルワンダ新政権を弱体化させたくないという政治的利害を有していたが、虐殺を黙認するわけにもいかなかった。私自身、多くの批判にさらされた。事務総長はUNHCRが情報を必要以上に流しているとして、私を非難した。ルワンダ政府軍が報復虐殺しているというUNHCRの申し立てに対して、ルワンダ大統領は事務総長に公式の抗議文を送ったが、事務総長は返書に「こうした申し立てはルワンダの政情安定と国民の和解を目指す取り組みにとって深刻な意味合いを持つことを懸念している」と記した。
難民キャンプの軍事化
ルワンダからザイールに越境した兵士と民兵は総計5万人と推定された。約1万人のFAR兵士はフランスの管轄地域に非難したが、のちに南キヴに移動した。ブカヴではFARはパンジとブロンゲの二か所のキャンプに定着した。武装化した難民キャンプは我々にとって大きな心配の種であった。これらのキャンプに食糧や水、医薬品を配布するべきなのであろうか? とすれば、どのように配布するべきなのだろうか?民兵を見分けるのはいっそう難しく、通常どこの難民キャンプにも存在していた。ザイール当局は国境地点で個人の所有する武器と集団に所属する兵器を大量に押収したが、正規の国境を通らずにザイール国内に入った越境者の武装解除はできなかった。難民キャンプ内の暴力と威嚇は凄まじい勢いで増加していった。ルワンダで起きた虐殺に関与していた多くの兵士や民兵、前政権の役人は、難民認定から除外するべきであるとして、一触即発のリスクを減らすための緊急措置について、次の4つの提案を行った。「1.FAR兵士の完全武装解除。すべての武器や装備を回収し、国境から遠く離れた安全な場所に保管する。2.文民の指導者を分離し、中立化させる。3.犯罪者に対処するシステムを確立する。4.警察などの配置に依って難民キャンプ内の法と秩序を守る」。
そもそも治安維持措置の実施は原則として難民受け入れ国の責任である。フツ系難民が大挙して避難したタンザニアにおいても治安対策は強化されなければならなかった。例えばベナコ難民キャンプでジャン・バプティスト・ガテテの逮捕をめぐり深刻な事件が起きた時、タンザニア当局はガテテを守ろうとした民兵に断固たる処置を取った。当局は決然とした態度を貫き、最後にはガテテを難民キャンプから排除した。UNHCRは難民キャンプの警護を任命されたタンザニアの警察に装備と訓練を与えた。警察がキャンプに駐留すると効果はてきめんに現れた。
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