紛争と難民 緒方貞子の回想 2/5~対立する利害

クルド難民
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UNHCR内には、難民が逃れ出た敵意に満ちたイラク国内にまで難民保護の範囲を拡大することに、深刻な懸念があった。また、庇護の代替として安全地域を設けることに強く反対する者もいた。さらにイラク国内における我々の活動拠点の存在が、周辺諸国に難民の庇護を拒否する口実に使われることが心配された。こうした前例ができてしまうと、UNHCRの基本的な難民保護のマンデート、すなわち本来の任務に弊害をもたらすかもしれない。しかも多国籍軍諸国が採択した緊急措置に異を唱えることはそもそも難民保護と援助を目的に設立されたUNHCRが、その任務を自ら否定する結果にもなりかねなかった。UNHCRは自国の外にあって、人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であること、または政治的意見を理由に迫害を受けるという十分に理由のある恐怖を有するために、自国へ帰還できない人々を保護し援助する任務と権限を与えられていた。つまり、自国内で住んでいる所から追われた人々は法的に定義された、国際的な難民保護の枠組みの外にあると理解されていた。各国は迫害される恐れがある状況下に難民を送還してはならないとする義務はあるが、庇護を与えることを強制されるものではなかった。クルド難民問題は、UNHCRの難民保護の任務にとって、厳しい試金石となったのである。国境内では任務を行使しないという報的命令を守り、越境を阻止されている人々への援助を控えるべきなのか、それとも、より現実的な人道的立場から、できる限り援助の手を広げるべきなのか? 難民支援をトルコ側から行うとすれば、トルコから国境を越えて難民を平地へ移さなければならない。ところが、地形的に平地はイラク側に広がっていた。イラク北部に安全地域を設けるという構想は、犠牲となった特定の民族集団のために、紛争に介入するという先例となった
> 国連同様「国内問題」では動けず、「国際問題」である必要がある。
第二章 バルカン紛争における難民の保護
> 物資の輸送と護衛。護衛は軍事介入?
空輸機撃墜の衝撃
空輸はサラエヴォ市民に不可欠の救援物資を運んだが、食糧、多目的ビニールシート、毛布といった生活必需品の配布から次第に都市の暮らしを便利にするものやサービスの提供へと拡大していった。例えば、郵便の輸送、新聞用紙の輸入、政府要人の輸送、そして病人や負傷者の避難も請け負った。陸上輸送隊もディーゼル油、薪、石炭などの燃料を運搬した。サラエヴォ市民はUNHCRを頼りにし、特に空輸は、国際社会がサラエヴォを忘れず、見殺しにしないというメッセージであると受け取っていた。
しかしながら一方で、メンデルーチェ特使は我々が直面している本質的な問題を私に警告した。「UNHCRはボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエヴォを統治・管理できないことをはっきりと公言すべきです…。サラエヴォの生命維持の問題は単なる救援問題ではありません。ある勢力は他の勢力の支配地域に救援物資が運び込まれるのを見たくないという理由で、輸送を阻止しているのが現実です
人道問題作業部会は、小規模の競技の場にICRC(赤十字国際委員会)の代表に加わってもらい、強制収容所の解体問題も扱った。有刺鉄線越しに撮影された、やせ衰えた被収容者の写真は、世界中の新聞、雑誌に掲載された。ICRCは三勢力全部から総計10か所の収容所にいた5000人の拘留者を一斉に開放する合意を取り付けた。クロアチア人勢力はモスタルの刑務所に閉じ込められていた600人を解放する意向を示した。これは吉報であった。しかし、10月19日に解放されたのは約1000人だけで、残りは引き続き圧力と交渉次第の運命にあった。問題はこれだけに止まらなかった。彼らの自宅は破壊されてしまい、解放されても行き場が無かったのである。また、たとえ自由の身になり、ボスニアのセルビア警護兵が撤退したとしても、被収容者に対する地元のセルビア系住民の敵対心は警護兵よりももっと凶暴であった。結局、ICRCとUNHCRはボスニア北部のマニャカからクロアチアまで、国連保護軍の護衛を要請することとした。UNHCRはクロアチア内に受け入れセンターを設置し、第三国での再定住に向けて出発できるように準備した。それは民族浄化のプロセスに加担するというジレンマがあったが、人命救助をすべてに優先させることは、あらゆる懸念を凌駕する人道上の基本原則であるという点で、我々の意見は一致していた。
国連保護軍との協議は軍隊と人道援助機関との新たな協力関係をスタートさせるものとなった。それまでUNHCRはサラエヴォと空輸を除けば、国連保護軍との接触は限定的なものでしかなかった。もともと国連保護軍は安保理からUNHCRを支援する任務を付与されていなかったうえに、UNHCRは軍隊と一体視されることには不安があった。安保理決議776が採択されたあとですら、軍隊の護衛なしで救援物資を運ぶ陸上輸送隊を走行させたかったのである。しかしながら戦闘地帯で援助活動を展開する過程で、職員のみならず補給物資を守るためには護衛が必要なことを実感するに至った。
国連保護軍は救援物資を運ぶ輸送隊の警護を強化するべきであると認識していた。装甲兵員輸送車(APC)を派遣しなかったために、UNHCR職員と運転手を救出できなかったり、砲火を受けると撤退した例などが繰り返されていた。また非軍事目的の国連の建物が攻撃されたり、何の援護もないまま、砲弾を浴びたこともあった。国連保護軍とUNHCRは協議の結果、あらかじめ配送計画を作成し、護衛が必要なルートの意見をまとめるため、合同企画・調整室をザグレブに設置することを決定した。しかしながら、その後戦争が激化し、NATO軍が航空攻撃と爆撃に傾斜してゆく中で、国連保護軍もまた戦闘的な役割を担うようになると、国連保護軍とUNHCRとの協力関係も変更を余儀なくされていった。国連保護軍がUNHCRと関係の中で制約を受ける基本的条件が一つあった。セルビア人勢力は自らの支配地域内への国連保護軍の派兵を許可しなかったのである。言い換えればボスニア東部のほとんどとバニャルーカ地方には、国連保護軍は立ち入りが禁止された。その結果、UNCHRはボスニア領土の70%にあたる地域で、国連保護軍の護衛なしで活動しなければならなかったのである。
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